徒然読書日記200509
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2005/9/26
「シャドウ・ダイバー」 Rカーソン 早川書房
ニュージャージー沖の水深70メートルもの海底で、美しい流線形の沈没船が発見され、中から鉤十字マーク入りの食器皿が出てきた。それは紛れもなく、ナチスの誇った潜水艇「Uボート」なのだった。 ところが、アメリカのこの海域に沈んだUボートなど、戦史のどこにも記録されていない。いったいこいつは何物なのか……。泥に埋もれた大量の人骨。彼らは誰なのか。なぜそこで人知れず生涯を終えねばならなかったのか? 屈強のレック・ダイバー、コーラーとチャタトンの命を賭けた謎解きの物語が始まった。
「レック・ダイビング」とは、「海底に沈没した昔の客船や軍艦に潜り、冒険の証として磁器、海図、舵輪などの遺物を持ち帰る」というレジャー・スポーツである。しかしそれはまた、 「血液が窒素で泡立つ減圧症、船内に閉じ込められる、潮に流されるなど、幾通りもの死に方が準備されている」危険なレジャー・スポーツなのである。 実際、この物語においても、仲間の三人がダイビング中に命を落としてしまう。些細なミスが予定の浮上時間を少しでも狂わせれば、あとは自らの死を覚悟する以外にない、狂気と隣り合わせの遊戯なのだ。
そんな、手に汗握る深海探索の死闘のドラマに絡み合うかのように、探索が進むにつれて、無駄死にを覚悟の上で、敢然と海に乗り出していった、Uボートのドイツ人乗務員たちのドラマが明らかにされていく。 ついに深海で邂逅することとなった「生者」と「死者」の二様の「勇者」の無言の対話。
忘れてはいけない。これはノンフィクションなのだということを。
2005/9/18
「ヨコモレ通信」 辛酸なめ子 文藝春秋
東京都庁の45階の展望室に開店した「古代ローマ建築風バー」(天上界の会話が聞こえる)への探訪から始まったこのルポは、銀座に出店した「体験型ぬいぐるみショップ」(ハートの入っていないぬいぐるみなんて)、 お台場大江戸温泉物語の犬用温泉「綱吉の湯」(うれちぃうれちぃよかったでちゅねー)、荒川区の誇り北島康介を応援する「あらかわ区民応援団」による「アテネ決勝中継応援会」(無心に応援しているように見えて人は現金なもの)、 天に二物も三物も与えられた女子を崇め奉る祭典「上智大学ミスコン」(童貞率が高そう)、江原啓之霊能イベント「スピリチュアル・ヴォイス」(江原さんのブラックな一面)、「彩・食・健・美」をテーマにグランドオープンした大人のカルチャー発信ビル「ラ・ポルト青山」(今やわざとダサいのがスノッブなのでしょうか?)、 等々と続き、最後は、2003年のその時点でそれぞれが最下位だった横浜とオリックスの観戦記「最下位という涅槃」に終わる、誰もが少しは覘いてみたいと思いながら、なかなか覘くことのできない、社会現象の裏側を鮮やかに切り取り、鋭く批評してみせた才気溢れる逸品です。
たとえば、例の「芥川賞・直木賞贈呈式」(可愛い・・・という溜息混じりの賞賛が)では、「ワイン片手にマルボロを吸い、足を組んで、既に文壇バーの常連のようなハードボイルドな貫禄を漂わせ」「素人には近寄り難い」金原に対し、「清楚なワンピース姿」で「ソフトドリンクに刺さる白いストローが眩しい」綿矢に対し、 「その服はどちらで?」と尋ねると「百貨店でお母さんと選びました」と完璧な明解答が返ってきたとルポした後をこう結びます。
比べられることを拒むかのように対照的な二人は、さすが作家だけあって自分自身のキャラクターも作り込んでいる印象を受けました。小説のみならず人生からも目が離せません。
2005/9/14
「日本語の森を歩いて」 Fドルヌ 小林康夫 講談社現代新書
ある日電話で友人にメトロに乗って自分の仕事場に来る経路説明しながらこう言います。
「表参道
に
降りてください」・・・「でも、飛行機で行くわけじゃないぜ」
「わかってますよ、でも、どうしてそんなこと言うの?」「はいはい、わかったよ、表参道
で
降りるよ。」
「私はパン屋に行った。」「私はパン屋でパンを買った。」 という例文から、どちらも場所を示す助詞であるにもかかわらず、場所が行為の目的となる場合は「に」を使い、あくまで二次的な要素である場合には「で」を使う (「私は行った」(どこへ?)とは言えないけれど、「私はパンを買った」と言うことは出来ますからね)ということを、ようやくマスターできた思っていたフランス人 (フランス語では同じ前置詞を用いるからです)は、がっくり肩を落とすことになるわけです。(もっともフランス人だから肩を上げるのかもしれませんが)
日本人が普段、何気なく使用している日本語の発話の表現を、単なる日本語固有のローカルな表現であると済ませてしまうのではなく、その背後に一般化可能な関係設定を探索しようとする、知的渉猟の試み。 それにしても、夫婦の会話がいちいちこのような感じで停滞していたのでは、くつろぐ暇がないのではというのは、余計なお世話だろうか?
ちなみに冒頭の表現は「表参道に着いたら、そこで降りてください」或いは「表参道で(電車から)ホームに降りてください」とすれば、文化摩擦を生じることはなかったのである。
2005/9/11
「風味絶佳」 山田詠美 文藝春秋
世に風味豊かなものは数多くあれど、その中でも、とりわけ私が心魅かれるのは、人間のかもし出すそれである。 ある人のすっくりと立った時のたたずまい。その姿が微妙に歪む瞬間、なんとも言えぬ香ばしさが、私の許に流れつく。
(著者あとがきより)
鳶職、清掃車作業員、ガソリンスタンドの店員、引越し業者、汚水槽清掃業者、火葬場職員。
どの男も、汗の「匂い」に、その職業独特の「臭い」がこびりついていそうな、「肉体の技術」に従事している六人の男たちの、六つの愛を描いた短篇集である。 だからといって、それぞれの職業の詳細がことさらに描かれているわけではない。だからその「臭い」は、日々の暮らしのなかで男たちが示す何気ないしぐさの中から、立ち上がってくる。 そしてどうやら、その「匂い」のなまめかしさに、女たちはやられてしまっている気配なのである。
「章ちゃん、おとうちゃんのことなーんにも解ってなーい。でも、いんだもーん、私がもう全部解ってるから、おとうちゃんは何も心配することないんだよ」
「悪かったな、じゃあ、親父はどうなんだよ。弥生のこと全部解ってるって言うの?」・・・
「当たり前じゃん。私が側にいるだけで、おとうちゃんには全部おみとおしなんだよ」
「へえ、そんなに親父って頭良かったっけか」
「馬鹿だねえ、章ちゃんは・・・そういう時に使うのって頭じゃないんだよ」
「じゃあ、何、使うんだよ」・・・
「にゃー」
猫?猫なのか!?父は弥生の顎の下を手の甲で揉むようにこすった。猫の飼い主なのか!?
火葬場職員の父親に、密かに(もちろん相手にはみえみえだが)思いを寄せてきた同級生を攫われてしまった章の戸惑いは、実は私の戸惑いでもあった。
山田詠美、初めて読んだがよくわからん。
2005/9/10
「水平記」 高山文彦 新潮社
「結婚の自由が認められれば、差別はなくなる」
という理想を高く掲げながら、己には「酒」「煙草」「博打」「ネクタイ」に「妻帯」も加えた「五禁」を課して、戦前戦後の水平運動を率いた「部落解放の父」松本治一郎の生涯。 大宅壮一ノンフィクション賞に輝いた前作
「火花」
において、ハンセン氏病に苦しんだ北条民雄の生涯を鮮烈に削りだした著者が選んだのは、もう一つ別の「差別」との戦いの物語であった。
700ページ超の大著の前半7割を占めている戦前の記録は、当初は明治天皇の権威にすがって差別撤廃を訴えていた水平社が、やがて共産主義によって活動の性格を変容させ、さらには戦時中の大政翼賛運動に収斂していくという大きなうねりの中にあっても、 権力におもねることなく、擦り寄ろうともせず、「あらゆる差別の撤廃」という一段高い視点から、決してぶれることのない治一郎の姿勢が、存在感をましながらも、融通の利かない厄介者として、浮き上がってもいく過程が描かれている。
「人間が人間を拝むようなまねは、僕にはできんよ」
戦後、参議院議員となり、副議長にまで登りつめた治一郎は、慣例となっていた天皇への拝謁を拒絶する。平民の上に華族があり、下に部落民がある時代は終わった。平民の左に「新平民」がいるのなら、右にいることになる旧華族は新「新平民」であるはずだ というのが水平運動なのであれば、部落民と天皇は同じ立場の両極端なあり方なのであろう。
解放運動を経済的に支援し続けながら(その資金源となる「松本組」というゼネコンの存在や、軽く触れられている利権の構造についての突っ込みが不足しているのは仕方がないことなのだろうが・・・) 中国やインドなど、アジアに視点を拡げていく、後半部分にきて、治一郎に課せられたくびきがほどけていくと同時に、ようやく読書のスピードも上がっていったような気がした。
2005/9/8
「あの戦争は何だったのか」 保阪正康 新潮新書
広島平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に記されている「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」という碑文(は)・・・何を訴えたいのか、よくわからない。・・・ 原爆を落としたのはアメリカであるはずなのに、まるで自分たちが過ちを犯したかのようである。どうして誰も変に思わないのだろうか・・・
「あの戦争とは何であったのか、どうして始まって、どうして負けたのか」あの時代の指導者は結局なにひとつ説明責任を果たしていない、と同時に、 私たち日本人は、いわゆる「平和教育」という歴史観のなかで、戦争そのものを本来の「歴史」として捉えようとしてこなかった、と主張する著者が、 過去をひたすら懴悔することも、逆に正義の戦争だったと居直ることもなく、「あの戦争」を歴史のなかで位置づけしなおす中で見えてきたものとは
「この戦争は始めなければならなかった」(しかも陸軍の暴走ではなく、始めたのは海軍だった)
「原爆のおかげで終戦は早まった」(落ちなければ「一億玉砕」は避けられなかったし、「東日本社会主義人民共和国」が誕生していた)
「戦争以前と以後で、日本人の本質は何も変わらなかった」(高度成長期までの日本にとって、「あの戦争」は続いていた)
つまり、
ひとたび目標を決めると猪突猛進していくその姿こそ、私たち日本人の正直な姿
なのである。
2005/9/6
「花まんま」 朱川湊人 オール読物
本年度直木賞受賞。
私はこの作品をつよく推したが、「次作を待ちたい」という意見にしたがわざるをえなかった。・・・しかし、この書き手にはたしてこれを超える次作があるのだろうか。
(
「となり町戦争」
に対する五木寛之の選評)
まず型を破った文章に、圧倒された。ただ毀しただけでなく、独自の文体を作りあげている。・・・もう少し綿密に構成された物語を読んでみたい、と切に感じた。次作を鶴首である。
(
「ベルカ、吠えないのか?」
に対する北方謙三の選評)
というわけで、「本命」と「穴馬」が仲良く落馬して、無事これ「名馬」が勝ちを拾ったという印象です。それにしても、最近の直木賞は、作品ではなく定評が定まった人物を選ぶという、無難な選択が続いていると思いませんか?
(ちなみに、今回の直木賞にしても芥川賞にしても、作品自体はおもしろいですから、ぜひお読みくださいね。)
2005/9/3
「土の中の子供」 中村文則 文藝春秋
本年度芥川賞受賞。
虐待を受けた人の現実をリアルに描くのは簡単ではない。・・・彼らは多様で複雑なコミュニケーション不全に陥っていて、他人との反応、現実との反応、自分への評価などに、微妙で切実で制御不能なストレスと不具合を併せ持っている。・・・ そういった人を主人公にして一人称で小説を書くのは、読者との距離感を意図的に崩した緻密で実験的な文体が必要になるが、誠実な小説家は、そんなことは不可能だと思わなければならない。
そういう文学的な「畏れ」と「困難さ」を無視して書かれている作品の受賞には反対だ。とおっしゃる村上龍さんは「俺が先に書こうとして挫折したのだから生意気だ。」といいたいのか、「僕は誠実な小説家です。」といいたいのか、どちらなのだろう。 それにしても、最近の芥川賞は、選評の方が格段に面白い状況が続いていると思いませんか?
2005/9/1
「ゲーム理論を読みとく」 竹田茂夫 ちくま新書
深い谷底の敵を、二つの師団が両側の山頂から窺っている。敵を殲滅するためには、両師団が同時に攻撃しなければならない。一方だけでは撃退され全滅してしまう。(もちろん、これは<攻撃、攻撃>というナッシュ均衡と<攻撃せず、攻撃せず>という悪いナッシュ均衡をもつ非協力ゲームである。)
そこで、一方の将軍Aが他方の将軍Bに攻撃日時を知らせる伝令を出す。これでAは安心して攻撃できるだろうか?いや、伝令がBに届いていなければ、全滅するリスクがある。そこでAは伝令の帰りを待つことにする。ところで、伝令を受け取ったBは安心して攻撃できるだろうか? いや、Bが伝令を受け取ったことを確認できなければ、Aは攻撃しない恐れがあるということを、簡単に類推できるBは、全滅のリスクを避けるため、伝令を至急送り返し、連絡を受け取ったことをAに伝えようとする。これで安心して、Bは攻撃できるだろうか? いや、Bが伝令を受け取ったという伝令が確かにAの元に戻ったということが確認できなければ、Bはやはり安心することが出来ない。そこでBは、先の伝令が確かに帰り着いたかを確認するため、新たな伝令を送ることになる。そして・・・以下同様に続くことになるのである。
もちろん、このジレンマを解決する手段はある。伝令が確実に到達するかどうかにかかわらず、Aは打合せどおりに攻撃を開始すればよいし、伝令を受け取ったBも指示通りに攻撃を開始すればよいのである。肝心なことは、お互いにそうすることに事前に決めておくことである。 これで、伝令が届かなかった場合にAが全滅するリスクは依然として残るが、そのリスクが「伝令が届かない確率」以上に膨れ上がる事態は避けることができる。
こうして、ゲーム理論を極めていくと、恐るべきパラドックスに突き当たるわけだ。知力の限りを尽くし究極の一人芝居を演じている人よりも、何にも考えていない人のほうが、よほど強いのである。
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