- 2001/5/28 「火花」 高山文彦 飛鳥新社
- 北条民雄。本名不詳。18歳で発病、23歳で死亡。発病後は、川端康成に師事し、入院初日の体験を描いた「いのちの初夜」にて文壇に衝撃のデビュー。
芥川賞候補となり最有力視されるも、川端の配慮から落選。癩者であった。
ハンセン氏病裁判の原告勝訴、控訴断念の流れの中で、国が認定し、奨励してきた根拠のない差別との闘いの歴史が明らかになりつつあるが、
それ以前、癩者=人間としての死を本人ですら覚悟せざるを得なかった時代に、癩者を嫌悪し、嘲笑するその言葉の刃の一つ一つが、
逆に、自らの研ぎ澄まされた感性を傷つけることになった。これは壮絶に孤独な魂の記録である。
- 2001/5/24 「誰が「本」を殺すのか」 佐野眞一 プレジデント社
- 「面白そうな本を見つけたら、とにかく買ってしまわないと、この次また巡り合えるとは限らない。」
「新聞の書評で見た本を買いにいったが売っていない。」
「カウンターに行ってこの本ありますかと聞くと、探しにいって、ないという。探してもないから聞いているのだが・・・でも探してくれるのはまだ良心的な店である。」
すべて書店の側に責任があるのだと思い込んでいた。何故、もっとわくわくするような売り方をしないのか?不思議に思っていた。この本を読むまでは。
ブックオフの台頭やコンビニでの雑誌販売の影響で、町の本屋の生存理由が奪われていく。
版元、取次、書店、図書館、作者それぞれにそれぞれの言い分と問題点を抱えているわけだけれど、
でもやっぱり「本」を殺してしまったのは私たち読者なのだろう。
- 2001/5/18 「天国への階段」 白川道 幻冬舎
- 作りこみすぎた設定のわざとらしさは、シドニィ・シェルダン「ゲームの達人」のような趣きで、
外国が舞台ならそれほど気にならない設定が日本人だとちょっと気恥ずかしくなるような部分もありますが、
一大娯楽巨編であることは申すまでもなく、どの人物に対してでも感情移入が可能な不思議な仕上がりを見せています。
前提部分もドラマ化すれば、「上京まで」「成り上がり」「本編」と立派な3部作になりそうですが、まさかテレビドラマ化はしないでしょうね?
「永遠の仔」ドラマ化ではかなりしらけたものですから。
- 2001/5/10 「あきらめるな!会社再建」 清水直 東洋経済
- 民事再生法の花盛りを持ち出すまでもなく、いまや「会社整理」も経営戦略の重要な選択肢の一つとして位置付けることを経営者の「常識」とする必要があるということを、
懇切丁寧に事例を用いて示してもらったような気がしました。ちょっと自慢話めいた部分が鼻につくところが中坊公平さんとの品格の差でしょうが・・・
読みようによっては中小企業の経営者に勇気を与える本ではあると思う。
- 2001/5/4 「言葉は静かに踊る」 柳美里 新潮社
- 書評を読むのが好きである。次に読みたい本の情報を得るというよりも、その本の読み方や、本の選択そのものが、評者の思考をあからさまになぞるようで。
当然評者もその辺は織り込み済みで、読まれることを前提とした日記のように、すべてをあからさまにさらけだすわけではないにしても。
それにしても、既読の本がほとんどないばかりか、読んでみたいと思わせる本も少ないにも拘らず、気が付いてみたらいつのまにか柳美里の世界に引きずり込まれてしまっている自分を発見。
書評ってやっぱり本の紹介というより、自らの思想の発露だよなあ。自分の本棚を他人に見せるのって、何となく人前で裸になるようで恥ずかしいもんなあ。と思った私でした。
- 2001/5/4 「ボロ儲け経済学」 青木雄二 光文社
- 「ナニワ金融道」全19巻は、当社指定の必読本として、社員用の書棚に常備し、新入社員の自習用テキストとしても利用しておりますが、
「銭道」教祖の青木氏の考え方の根幹には「資本論」があって、滅茶苦茶なことを言っているようでいて、痒いところに手が届くように腑に落ちる。
速水日銀総裁や、堺屋元経済企画庁長官などがのたまう議論などよりはよほど説得力がある。
竹中新経済財政担当大臣の「みんなの経済学」のお手並み拝見の結果によっては、次期有力候補ではないでしょうか?
- 2001/5/1 「働くことがイヤな人のための本」 中島義道 日本経済新聞社
- 「美人って性格の悪いのが多いじゃないですか」「金持ちでも必ずしも幸福ではない」というありがちな論説は、
その裏に「ブスのほうが心が美しい」「貧乏でも必ずしも不幸ではない」という含みを持たせることで、
世の中捨てたもんではないという安心感に浸ろうとする人間の悲しい性によるものであるが、
実際には「ブスで性格の悪いのは掃いて捨てるほどいる」ことは誰もが経験的に認識していることであって、
ただそれをその通り口にすることは、はばかられるような雰囲気があるということに過ぎない。
そういう雰囲気のなかで、みんなやっていけることに違和感を感じること、そういう自分の方こそ「まとも」なのだと居直ってしまうこと、
そこに「落ちこぼれ」の驕りがある。「あいつはずるいから成功した」からといって「失敗した人が真面目だった」ことにはならない。
などなど、働くことがイヤになる時の様々な言い訳や自己憐憫、自慰行為を哲学的に分析した好著です。
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