徒然読書日記200602
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2006/2/12
「死にカタログ」 寄藤文平 大和書房
先日「死ぬ夢」を見ました。「ここで眠ってしまったら、このまま目が覚めずに死んでしまう。」というわけで、「眠ってはいけない!」「眠ってはいけない!」ともがきながら、いつしか眠りに落ちてしまうという「夢」をみながら、眠っていたわけです。(あぁ、ややこしい。) 「人間というものは、毎晩眠りに落ちることで死んでおり、翌朝目覚めた後の生まれ変わった自分が、昨日までの自分と同一であることを保証できるのは自分ではない。」みないなことを、養老孟司だったか(内田樹の引用だったか?)が言っていた様な気がしますが、内容にも、人物にも、確信がもてません。
なんてこととは何の関係もないこの本は、別にたいしたことが書いてあるわけではありませんが、「死のものがたり」という、様々な人物の「人生の図解」の仕方が、なかなか秀逸であったように思います。
2006/2/9
「サウスバウンド」 奥田英朗 角川書店
二郎は(そろそろ夢精を体験しようという、些か微妙なお年頃という意味も含めて)ごく普通の小学校六年生である。父の名は「上原一郎」。これだけで充分普通ではないが
父はどうやら国が嫌いらしい。ことあるごとに、学校など無理して行かなくてもいいからな、と二郎の肩を叩く。義務教育は国の押しつけであり、拒否する権利があるらしい。
「フリーライター」と称し、物心ついたときからたいてい家にいるこの父親は、元過激派の伝説の闘士だった。
あくどい中学生の恐喝にあい、その災難に打ちのめされながら、友人たちと力を合わせ勇敢に立ち向かってゆく第一部。
父親が家にかくまった活動家が事件を起こしたことから、一家で沖縄の西表島に引っ越しすることになる第二部。
第一部では、迷惑千万な厄介者にすぎなかった父親が、第二部ではがぜんその存在感を示し始めるのだが・・・
少年二郎の「ドキドキ」という胸の鼓動や、「ギリギリ」とひざの関節が悲鳴を上げて成長していく音が聞こえてくるような、甘酸っぱくて、ちょっぴり苦い、清涼な痛快感。 やはり、奥田英朗は天才だった。
2006/2/7
「乱世を生きる」 橋本治 集英社新書
「市場原理は嘘かもしれない」という、魅力的な副題がついたこの本は、
「「わからない」という方法」
「上司は思いつきでものを言う」
と続く「三部作」の堂々の完結編であります。 もちろん、これが「なんの三部作」かということは、当の橋本さんにもよくわかっていません。そんなことは「自分で考えて欲しい」というのが、著者のスタンスなのであります。
「勝ち組」「負け組」なんて意味のない二分法で人を括るのはもう辞めにしませんか?という真っ当な言い分すらが「負け組」の負け惜しみとして、二分法の枠組みの中にきっちり位置づけられてしまうという「今の日本の社会のあり方」はおかしい・・・ という地点からスタートするこの本は、ただ「循環すること」にすぎなかったはずの「経済」が「利潤を得る」という「たった一つの方向性」に向かった結果がこの「苦しさ」につながっているということを、諄々と説いていくのです。
ヴァレンタインデーに「自分の家の店でも売っているものをよその店で買われ、それをもらって嬉しそうに食っている菓子屋の子供」だった中学生のオサムちゃんは、「経済というものは金銭的な損得とは別のものである」ということを知るのです。 「生きることが幸福でありたい」という感情こそが、経済という人間行為の本質を示すものではないか?という「三丁目の夕日」の世界。こんな素敵な「経済」は、でももう不可能かもしれない。
昭和三十年代に「商店街」という日本経済を成り立たせていた日本人は、「我慢」という現状に抗する力を、まだ持ち合わせていたからです。
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