- 2003/5/30 「立花隆秘書日記」 佐々木千賀子 ポプラ社
- 立花隆が秘書を採用するに当たって実施した試験の内容は「立花隆のすべて」(文芸春秋)で見たことがあるが、これはその5百分の一の難関を突破した秘書、佐々木さんの日記である。
とはいうものの、この本を読もうという人の大多数は「立花隆」という人物への興味からこの本を手にするのだから、これは一種の「楽屋落ち」「暴露本」と言うことにもなる。
というわけで、「田中角栄死去」や「東大教授就任」など、いくつかの華々しいエピソードが語られた後、食えなくなった?「知の巨人」の実像が唐突に語られるわけである。
- 2003/5/27 「漂流記の魅力」 吉村昭 新潮選書
- 日本の海洋文学は、その舟の構造の違いから「漂流記」とならざるを得なかった。もともと外洋航海を前提としている西洋の帆船に対して、和船は物流を担う内海航路用に設計されており、
絶えず陸地を視認して岸沿いに往き来する道具に過ぎないのである。であればこそ、「漂流記」とは、海と闘う輝かしいロマンなどではなく、荒れ狂う暴風雨の中、ひたすら神の加護を祈り、
あてどなく漂う以外にない過酷な運命を乗り越えた者のみが「外国船」に拾われたり、「漂着」したりということになる。そして「物語」はようやくそこから始まるのである。
言葉も通じぬ異文化との出会い、つのる望郷の念、病気・結婚・改宗などによる落ちこぼれと分裂、想像を絶する艱難辛苦を乗り越え、世界一周の果てに、ついに帰還を果たした彼らを迎える予想外の冷たい仕打ち。
『「漂流記」こそが日本独自の海洋文学であり、魅力的なドラマの宝庫なのだ。』という著者、吉村昭なればこその力作である。
- 2003/5/25 「私の身体は頭がいい」 内田樹 新曜社
- 内田樹の専門は、フランス現代思想、映画論、武道論。で、この本はその武道論のアンソロジーであり、非中枢的身体論という副題がついている。
「勝つと思うな、思えば負けよ」ではないが、少なくとも一流の武道においては「意識を身体的に兆候化させてしまう」ことは絶対の禁忌である。
つまり、「知覚神経が受け取った情報を中枢神経が処理して運動神経に伝える」という中枢的な身体運用法は武道的には「弱い」、
「中枢からの指令抜きで、身体が知覚情報を現場で処理する」という「非中枢的身体」の運用が、達人の秘訣なのである。
「私の身体は頭がいい」というのは、先にご紹介した、橋本治「わからないという方法」からの援用であるが、内田樹の森羅万象諸事雑多に対する対処の見事さ、
切れ味の鋭さを見ると、「余暇に武道の稽古をしている大学教師」というよりは「生活のために大学教師をしている武道家」という本人の言も、あながち冗談とは思えない。
- 2003/5/24 「終戦のローレライ」 福井晴敏 講談社
- 1945年8月、敗色濃厚の日本から、戦利潜水艦「伊507」が出港する。それは、無条件降伏したドイツを逃れ、日本に保護を求めた特殊潜水艦であり、特殊探知兵器を搭載していた。
各地からかき集められた乗員は、艦長を筆頭にいずれも「理由あり」の問題児。彼らに与えられた「任務」とは何か?「ローレライ」というコードネームで恐れられた「特殊探知兵器」とは何なのか?
広島に原爆が投下され、ポツダム宣言受諾・敗戦までの「短く暑い歴史」の裏に秘められた、手に汗握る幻の「終戦ゲーム」。これ以上は、お読みいただく以外にありません。
- 2003/5/24 「ノーベル賞受賞者にきく子どものなぜ?なに?」 Bシュティーケル 主婦の友社
- 「空はどうして青いの?」回答者:Mモリナ(化学賞)「どうして男の子と女の子がいるの?」CNフォルハルト(医学賞)「地球はいつまで回っているの?」Sグラショー(物理学賞)「愛情って何?」ダライ・ラマ14世(平和賞)。
子供たちの発する素朴な質問、それは単純であるだけに却って核心をついており、極めて答えにくい難問ということになるが、そんな疑問にノーベル賞受賞者たちがわかりやすく答えてくれる。子供を相手に想定しているため、
懇切丁寧でわかりやすいとはいえ、手抜きや誤魔化しは一切ない。わからないことは「今はまだわからない」と正直に答えてくれているのである。「どうしたらノーベル賞をもらえるの?」というなんとも素敵な問いに、
Mゴルバチョフ(平和賞)は極めて丁寧な回答を示した後、こう締めくくる。「ノーベル賞受賞者の仕事というのは本当は賞をもらったときから始まるのだ。」と。
- 2003/5/20 「武士の家計簿」 磯田道史 新潮選書
- 「加賀百万石の算盤係」=「加賀藩御算用者」猪山家の家計簿が発見された。そこには収入(俸禄)はもちろん、饅頭一つ買っても記録した帳面が、完全な形で36年分も残されていた!
そこから想定される当時の武家の暮らし向きは?年収は二世帯同居で、収入合算して1230万円、抱える借金が2500万円、金利は年利18%!「借金が年収の二倍」で利子の支払いで年収の3割が消えてしまう。
これではやがて破綻する。というわけで、猪山家は借金整理を開始する。妻と母が個人財産の「着物」を、父は「茶道具」を、本人は「書籍」を売り払っている。これで合計1000万円を捻出。
「元金4割返済、残りの借金は無利子十年賦」を条件に折衝、成功を収めている。まさに「民事再生法」の世界である。しかし、猪山家は何故このような苦境に陥ってしまったのか?
祝儀交際費や儀礼行事の支出がずば抜けて多いのである。それは「武士身分としての格式を保つために支出を強いられる費用」=「身分費用」である。たとえば猪山家では「民事再生」中にもかかわらず、家来・下女を雇っている。
家来・下女の給金はさしたる額ではないが、住込み・賄い付であり、お供やお使いをすればその都度「駄賃」収入があった。そして、その合計はご主人様の月々の「小遣い」よりも多かったと思われるのである。
つまり、江戸末期の武家という商売は「身分収入」に比べて「身分費用」のかかる割の合わない商売であったのだ。一転、明治に入ってからの後半部分は、没落する士族階級の中で「算術」という技術を武器に海軍に出仕し、
出世を果たした猪山家の、「我が子も続け!」と言わんばかりの「受験戦争」にも似た「教育問題」がテーマとなりこれもまた興味津々、「ご当地本」というだけでベストセラーになったのではないこと保証の一冊である。
- 2003/5/15 「市川新之助論」 犬丸治 講談社現代新書
- 「睨む」というのは、市川團十郎家の「お家芸」である。襲名披露の場で「一つ睨んでご覧に入れましょう」というのが「團十郎」なのであり、「團十郎が睨めば瘧が治る」とまで言われたのである。(これは例えではなく事実なのである)
市川新之助はもちろん、その市川家という名門に生まれ、やがては十三代目市川團十郎の名跡を継ぐ立場であり(来年には現・團十郎である父も名乗った市川海老蔵を襲名する)、
「歌舞伎界のプリンス」と称される、既に「アイドル」的な存在であり、しかも今年はNHK大河ドラマ「武蔵」の主演として、公私共に?話題を提供していることはご存知の通りである。
もちろんこれは「講談社現代新書」なので、時流に乗った「タレント本」では決してない。「武蔵」も当然取り上げられているが、それは「白浪五人男」や「勧進帳」「助六由縁江戸桜」などのお馴染みの演目を演じた新之助の演技と同列に、極めて丁寧に解説されている。
いかに「新之助の演じる人間たちは、常に血の通った実在性と肉感に満ち満ちている」かが、愛情を持って語られるのである。
新之助にとって、「アイドル」であることは決して有難いことではない。伝統を重んじる歌舞伎の世界では、「あんな若造が」という色眼鏡をかけて、芸の未熟さのみに批判が集中することになるからである。
新之助の天与の「眼の力」が、そのドラマに対する貪欲なまでの「咀嚼力」や、伝統を革新的に乗り越えようとする「挑戦魂」によって活性化されるとき、そこに新しい歌舞伎の伝統が花開く予感を覚える。
- 2003/5/12 「怒る技術」 中島義道 PHP研究所
- 怒りを「感ずる」技術→「育てる」→「表現する」→「伝える」→「受けとめる」。この本の章立てである。この一連の流れは、「怒り」という部分を「愛」や「悲しみ」に変えても充分に成立する。
つまりこれこそが、他者との関わり方を学ぶ道筋なのであり、「大人」になるための技術なのである。であれば当然、最後の章は「怒らない技術」、「怒ったフリをする」ことによって他者との関係性を優位に持ち込むことができるというわけである。
こうした道筋を歩むことを知らないのが「すぐキレる子供」であったり「他者との関わりをもてない若者」であったりすることになるのだ。しかし、それにしては本書に描かれた著者が実際に実践してきた怒り方が、
随分「子供っぽい」ように思うのは私だけだろうか?
- 2003/5/8 「生き物をめぐる4つの「なぜ」」 長谷川眞理子 集英社新書
- たとえば、蛍は「なぜ」光るのか?それはルシフェリンというたんぱく質にルシフェラーゼという酵素が働いて酸化される時に放出されるエネルギーが・・・
という答えは、どのような仕組みで?という生き物をめぐる1つの「なぜ」(至近要因:高校の生物の教科書にあるようなメカニズムの話。これが一番つまらない!)に答えたに過ぎない。
それでは、蛍は何のために光るのか?(究極要因:行動生態学。求愛や捕食、威嚇等、生のドラマに満ち溢れていてもっとも面白い部分)、
個体が成長する過程の中でいつから光るようになるのか?(発達要因:ちなみに蛍はおなかの中にいるときからすでに光っているそうです。)
どのような進化を経て光るという性質を獲得してきたのか?(系統進化要因:昼間活動する光らない蛍は雌のフェロモンを嗅ぎ分けて求愛する。→羽根のない雌がボーッと光って雄を誘うようになる。→雄が飛びながら点滅信号を発して雌がそれに応えるようになる。)
という4つの「なぜ」のすべてに答えようとする(答えられないことは多いにしても)ことで、生物の行動の不思議を読み解こうとする、知的好奇心にあふれた好著です。
- 2003/5/7 「切り裂きジャック」 Pコーンウェル 講談社
- 「女検屍官」シリーズの作家、あのコーンウェルが、主人公スカーペッタになりかわって、「切り裂きジャック」の捜査に乗り出した!
犯罪史上に名を残す「売春婦連続惨殺殺人犯」、その残忍な手口と、大胆な犯行声明による挑発にもかかわらず、ついに迷宮入りとなったこの事件をめぐっては、様々な説が流布したわけであるが、
百年以上もたった今、コーンウェルは実にあっさりと、確信を持って、真犯人を名指しする。それはイギリス美術界では印象派の中心的存在ともいうべき著名な画家だった。
私費7億円を投入したとも言われる綿密な資料・情報の収集と、当時は不可能であった最新の科学分析に基づくその跡付け作業は、ミステリー作家による推理の域をはるかに超えている。
読むものに「ここまではっきりしているなら、犯人はこの男以外ありえない。」という確信めいたものを与えずにはおかない、その追い詰め方には、鬼気迫る執念すら感じてしまうが、
「最終的な決着が得られるはずもないことに、なぜここまで?」という、コーンウェルの執念のよって来る所以への興味の方が大きかった。
- 2003/5/3 「「わからない」という方法」 橋本治 集英社新書
- 「なんでも簡単に”そうか、わかった”と言えるような便利な”正解”はもうない」
「これであなたも○○ができる」という、便利でお手軽な「正解の時代」が終わってしまった以上、「わからない」をスタート地点として、
「自分はどのようにわからないのだろうか?」という問いを羅針盤に、「わかった」というゴールへの道筋を描くための自分なりの方法を模索すること。
「わかる」をスタート地点にしようとする人は、新たなるレースへ出ることのできない人である。
「わからない」ことだらけの迷路のなかでは、「くだらない」「どうでもいい」と思われるものがとりあえずの手がかりとなる。
なぜならそれは「わかりきっている」と思うものであり、つまり「わかる」のであるから「わからない」を解明するヒントとなるのだ。
「わからない」を思索のスタート地点とするとき、それは「方法」となるのである。
先頭へ
前ページに戻る