徒然読書日記200510
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2005/10/28
「性愛奥義」 植島啓司 講談社現代新書
「嵌入」「摩擦または攪拌」「貫通」「摩擦」「圧迫」「一撃」「猪の一撃」「牡牛の一撃」「雀のたわむれ」
セックスにおいて男のなすべき行為の一覧である。私には段階が分かれすぎていて、実現不可能のような気がする。
「処女との交渉」「妻」「他人の妻」「遊女」
性の対象の分類である。「他人と結婚した女との性愛」は禁止されていた。ではなぜ「他人の妻」が性の対象として取り上げられているのか?
「もし彼女に自由意志があって、これまでにも自分以外の多くの男を楽しませてきたとしたら・・・」から始まって
「もし自分が貧しいとしたら、彼女と交わることによって、彼女の莫大な富を造作もなく・・・」という犯罪まがいまで
6つの「誘惑しても構わない」補足があげられている。つまり「何でもあり」なのである。
官能の「カーマ・スートラ」解読。「われわれはなんと貧困な性愛しか知らなかったか!」(んなこと、今更言われたって困るのである。)
2005/10/14
「八月十五日の神話」 佐藤卓己 ちくま新書
「先の戦争」が終戦したのはいつか?と問われれば、私を含め多くの人は「八月十五日」と答えるに違いない。しかし、その根拠となっているであろう「天皇が朗読した詔書」の日付は、ポツダム宣言を受諾した「八月十四日」なのである。 さらに言えば、その時点でも戦闘行為は続いており、戦艦ミズーリ号上で降伏文書に署名がなされた「九月二日」が「戦勝記念日」(もちろん日本にとっては敗戦)であるというのが、世界の標準なのである。 ではなぜ「8・15」が、かくも深くわれわれの記憶に刻み込まれてしまったのか。これは膨大なメディア資料の綿密な検証に基づく見事な分析の記録である。
「8・15=終戦記念日」には、毎年「玉音放送」を聞き、泣き崩れる人々の姿がメディアに取り上げられる。しかし、私も含め、戦争を知らない多くの人びとにとって、それはもちろん実際に経験したことではなく、「八月ジャーナリズム」によって刷り込まれてきた記憶であるに過ぎない。 (実際に目にしてきたのは、夏の甲子園の黙祷程度なのである。)しかも、「8・15=終戦記念日」が法的に決定されたのは、何とようやく1963年の「全国戦没者追悼式実施要項」においてなのである。
2005/10/2
「東電OL殺人事件」 佐野眞一 新潮社
一流大学を卒業後、東京電力に女性としては初の総合職として入社した渡辺泰子は、昼はエリートOL、夜は売春婦という二重生活を続けていたが、ある日円山町の小汚いアパートの一室で絞殺死体として発見される。 本書はこの事件の被害者である渡辺泰子が、
なぜ堕落の道を選んだのか。彼女をそう仕向けたものは何だったのか。私は彼女と何らかの形で接触した人びとにできるだけ多く会い、三十九歳の若さで命を落とさなければならなかった彼女の心象に映った風景を忠実に再現してみたいと思った。
彼女の不可解な行動の丹念な跡付けを主旋律とし、事件の被告人となったネパール人男性ゴビンダ・プラサド・マイナリに対する取調べと裁判の経過を辿る中から、その冤罪の可能性を追求することを副旋律とした、力作のルポルタージュである。
そもそも
桐野夏生の怪作「グロテスク」
において描かれた女性像を、いくらなんでも、実際にはそこまで凄まじく「堕落」するはずはないだろうと思って読んでいたわけであるが、事実は創作を軽く凌駕していた。 (普通の人は「東電」を先に読んで「グロテスク」を読んだのであろうから、もし私が「普通の人」であったなら、随分印象は違ったものになっていたことだろうと思う。) 路上でのセックス(さらには立小便さえ)も厭わず、自らに厳しいノルマを課し、売春婦へと「堕落」していく彼女の生き様は、むしろ崇高でさえあるように感じられた。
ところで、被疑者なのであるが、その証言を真面目に読んでいくと、私にはどうしても「真犯人」であるように思えて仕方がないのであるが、「疑わしきは罰せず」ということなのであろうか?
2005/10/1
「天使のナイフ」 薬丸岳 講談社
「国家が罰を与えないなら、自分の手で犯人を殺してやりたい」
四年前、妻を殺された桧山は、刑事の訪問を受ける。十四歳未満のため刑事責任は問われず、児童自立支援施設への送致となった犯人の少年たちが、最近、相次いで殺されたのだ。 四年前の発言から、自らが被疑者となってしまった桧山は、真実を求めて調査に乗り出す。そこから次々と明らかになっていく衝撃の事実とは?
二転三転する展開、終盤はどんでん返しの連続。伏線の張り方も見事で、とても新人の第一作とは思えないほどよくできている。欠点はよく出来すぎていることぐらい。 (こんなに都合よく、身の周りに「○○を経験した人」が登場してくることがあるだろうか?と一瞬頭を掠めないわけでもなかったが、語り口のよさに負けて、すぐにストーリーに引き込まれてしまうのだ。)
一貫して流れているテーマは、触法少年は厳罰にすべきなのか、それとも子どもの人権を守り、更生に期待を寄せるのか、ということ。それを少年犯罪の被害者の立場から生々しく検証しながら、逆の立場からのフォローも忘れていない。 これ以上書くと、ネタばらしになってしまうので、あとはぜひ読んでいただくとして、上級のミステリーであるにもかかわらず、社会批評としても相当に深く追求されていることが、この作品の素晴らしさである。
本年度江戸川乱歩賞受賞作。
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