- 2003/11/24 「グロテスク」 桐野夏生 文芸春秋
- 東電OL事件に題材を取ったこの本は、いろいろな所で激賞された今年の話題作ですが(当地、金沢においても、丸谷才一「輝く日の宮」と並んで「泉鏡花文学賞」を受賞しました。著者は金沢出身なのです。)
そこまで素晴らしい作品であるのかは、どうもよくわかりません。面白く読めたことは間違いありませんが「柔らかな頬」の方が私は好きでした。
最終章で付け足しのように出てきた「盲目で美形の娼夫」というのは究極のかたちかもしれない、というのも場違いな感想かもしれませんが、ここにこの小説の昇華したテーマがある、というのも、あながち間違いではないような気がします。
- 2003/11/24 「危ない精神分析」 矢幡洋 亜紀書房
- 「幼児期に性的虐待を受けた」というトラウマが・・・というのが、遅刻した理由にまで援用されがちな今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?
PTSD(外傷後ストレス障害)。日本では、地下鉄サリン事件や阪神大震災以降、続発する凶悪事件の被害者の話題などで耳にすることが増えてきたわけであるが、
当時のアメリカでは、セラピストのカウンセリングを受けて、虐待の記憶が蘇り、実の親を訴えると言う訴訟事件が続発していた。
この本は、そうした事例の多くが虚構であったことを例証し、安易な精神分析的手法を援用することの誤謬性を指摘している。
こうした風潮が日本でも蔓延し始めていることの背景には、「不幸な人々」が「私は不幸だ」と言う事実を受け入れることができず「私は被害者だ」という図式を求めるところにある。
精神分析はそうした被害者意識に巨大な根拠を与えたことになる。そして、アメリカでは「父親が犯人」とされたのに対し、日本では「母親狩り」が定番となっているのである。
- 2003/11/16 「さらば外務省!」 天木直人 講談社
- 米軍の対イラク攻撃に対する小泉首相の「米国支持表明」に対し、「意見具申」を打電したことにより、大使辞任に追い込まれたキャリア官僚の手記。
「私は小泉首相と売国官僚を許さない」「自分の首と引き替えに、すべてを書いた驚愕の書!」
これは「在勤給与が減らされた時には多くの大使が長々とした意見具申をしていたにも拘らず、米軍の対イラク攻撃という暴挙に対し誰一人として意見を具申するものがいない。」
という恥ずべき外務省の実態を憂えたというよりも(きっかけはそうであったにしても)首になった腹いせに、個々人の実名を挙げて
「政治家や外務官僚たちの許すべからざる行状、省内で犯された悪事の数々を世に向かって明らかにしよう」という暴露本にすぎないのではないのか?と思ったら
「これを人は、私怨による憂さ晴らしと取るだろう。その通りだ。私のはらわたは煮えくり返っている。」とあからさまに書いてありました。
本当に問題なのは「今までは黙っていたが」という著者のような人間が、正義派大使のような面をしてのうのうと恥じることなくこのような本を書いてしまうほど、
官僚の世界の腐敗が進行しているということなのではないかと思うのですが・・・
- 2003/11/15 「空想英語読本」 Mファーゴ メディアファクトリー
- 「空想科学読本」といえば「ウルトラマンは身長40m、体重3万5千キロ。人間が40mに巨大化したより41倍も重い。」というあれですが、これを英語で説明しようとすると、
空想の中味の「破壊力」がさらに過激化するという試みです。日本語のような気分的な言語を、英語のような論理的な言語にそのまま直訳しようとしても、そもそも、そのような概念すら存在しない。
存在しない言葉は英訳できないというのは、いくら英会話を勉強しても、日本語でしゃべれないことは英語でもしゃべれないというのとは少し違います。なかなか有意義な発見に満ちた本でした。
例えば「銀河鉄道999」は「Three Nines」であって、「Three Nine」では「銀河鉄道39号」である等々。
- 2003/11/12 「仏教が好き!」 河合隼雄 中沢新一 朝日出版社
- 人と人は言うまでもなく、人と動物の間にさえも、対称的な関係性を保っている(動物たちに見守られたブッダの涅槃図を見よ)仏教に対し、
キリスト教は(もちろんユダヤ教、イスラム教も)神の前での人間の平等を説きはしても、神と人との間には絶対的に非対称な関係性が存在している。
当初、イエスが美しい言葉で語っていた彼の思想は、ほとんど「仏教」に近いものであったが、神と人との間の絶対的な非対称の関係が硬直化していくユダヤ教では存在し得ない神の「愛」を、
自らを犠牲にすることによって神との間に回路を通したのが「キリスト教」の発生である。イエスは「大衆の期待」という「十字架」を背負ったのだ。という指摘に思わずうっとりしてしまった。
ということは、「他力本願」の極地、当地の「浄土真宗」はいわば「仏教のキリスト教化」というべきものなのだろうが、犠牲を棚上げしている分、洗練されているというべきなのだろうか?
- 2003/11/2 「博士の愛した数式」 小川洋子 新潮社
- 果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り、
恥ずかしがり屋のiと握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0に抱き留められる。
「πとiを掛け合わせた数でeを累乗し、1を足すと0になる。」かつて「オイラーの公式」をこれほどいとおしく表現した文章があっただろうか?
冬用、夏用、春秋用三着しかない古びたスーツ。家にいる時も、例外なく背広を着てネクタイを締めている博士のそのスーツには、いたるところにクリップでメモが留められていた。多くは意味不明の数字や記号のメモだったが、
一番古びてクリップも錆付いた、一番大切なメモ「僕の記憶は80分しかもたない」。
数学教授だった「博士」が、交通事故でそれ以降の記憶を失うことになったのは、江夏が阪神からトレードされることになった年だった。未婚の母で派遣家政婦の「私」と息子で大阪神ファンの「ルート」。
80分しかもたない記憶の中で、毎朝新たに構築される三人の「擬似家族」のような関係は、忘れられてしまうことがわかっているそのぶんだけ、いとおしく大切に育まれていく。
決して忘れられることのない「数学」の記憶との対比の中で、それは「素数」や「虚数」の悦びに満ちた「愛」という形で伝えられていくのだ。
これほどまでに「切なく」「いとおしい」ラブストーリーを、わたしは体験したことがない。間違いなく、本年の最高傑作である。
- 2003/11/1 「「頭がよい」って何だろう」 植島啓司 集英社新書
- 天才判定テストで有名なMENSAというグループは「IQ148以上」の人々で構成されている。その日本人会員は自分たちの会について「この会は、例えば人口分布的に身長が2メートル以上ある人の集まりのようなものだ。」と発言している。
「2メートル以上あるからといって、優れているわけではない。普通の人にはない悩みもある。」というのである。このあたりの事情は「偏差値」というものも同様で、それは「ある試験で獲得した点数が、全体の点数分布の上位何%以内」という相対的な指標に過ぎない。
全国統一テストを実施して、学校という小さな母集団の、上位の母集団の中での位置づけを探ってみたり、数字では掬い取ることのできない才能を発掘しようとAO入試なるわけのわからない評価枠を導入してみたりすることが、却って問題をややこしくしてしまうのだ。
受けたい人が受けたい大学を受験して、その試験での点数の絶対評価で一発決着というのが、一番合理的であることは、マラソンのアテネオリンピック代表選考を考えてみれば、一目瞭然なのである。
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