徒然読書日記202408
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2024/8/23
「隠された聖徳太子」―近現代日本の偽史とオカルト文化― Oクラウタウ ちくま新書
本書の主な目的は、聖徳太子にまつわる「異説」がどのような背景をもとに成立し、それらがいかなる時代的なニーズに応えるために 構築されていったのかを明らかにすることである。
聖徳太子といえば、飛鳥時代の皇族で「冠位十二階」を制定し「十七条憲法」を作成した、(後に高額紙幣の顔にまでなった)日本を代表する 「歴史上の偉人」である。厩の前で生まれ「厩戸皇子」と呼ばれた、十人の話を同時に聴き取ることができた、隋の皇帝に対等の立場で国書を 送った、など印象的な伝説も数多く残されている。
という、暇人世代の人間が学校で学んできたようなイメージが、「真実とは異なるのではないか」と意識されるようになったのは、一体いつ頃 からだっただろうか。そもそも歴史的に実在したのかはさておき、8世紀以来その存在に託されてきた数多くの偉業の評価は、時代背景の中で 転変を繰り返し、その物語は今も続いている。
そんな太子にまつわる近現代に現れた「偽史」を含む「異説」を、「トンデモ論」として切り捨てるのではなく、その裏面に秘められた意図を 解き明かすこと。それを、その時代の人々のある特殊なニーズに応えるために示された、聖徳太子のもう一つの「歴史」として描き出すことが、 本書における著者の狙いなのである。(著者はブラジル生まれの宗教史学者で、サンパウロ大学歴史学科を卒業し、現在は東北大学大学院准教授 として「日本オカルティズム史講座」を開いている。)
飛鳥時代に渡来した一神教の信者から聖徳太子が影響を受けたのではないかとして、太子生誕の物語にキリスト教やユダヤ教の影響を主張する 諸説を検討した第一章。
戦前の「国体」思想というイデオロギーを支持するものとされた太子の「和」の倫理が、戦後は平和主義へと変貌する中で誕生した「人間聖徳 太子」を論じた第二章。
ベストセラーとなった『日本人とユダヤ人』の刊行を機に、ユダヤ商人・秦氏との関係の中で変遷していくことになった、そんな新たな聖徳太子 像に迫った第三章。
科学がもたらした異世界への視座が、日本の精神世界を動かすことで「オカルト」への関心を高め、それが聖徳太子のまた別の側面の描写を 促したとする第四章。
ここで取り上げられる“隠された太子”に関わる異説の主要なものとしては、
・キリスト教からの影響の可能性を主張した久米邦武
・秦氏をユダヤ人だと主張した佐伯好郎
・太子ゆかりの寺院との関係を繙いた池田栄
など、一流の高等教育機関で教え、博士号も取得している研究者たちに加え、
・法隆寺は太子怨霊の鎮魂のために造られたと論じた梅原猛
・ノストラダムス論を展開し太子を予言者に仕立て上げた五島勉
・同性の蘇我蝦夷からパワーを得る超人・太子を描いた山岸涼子
などまことに多士済々だが、いずれをとってみても、聖徳太子のそれまで隠れていた側面を“発見”し、自分にとって有意義な形でその事業を 語りなおす行為が、太子信仰の歴史と大きく重なっている、というのだった。
以上、明治から現代までのおよそ百年の旅となるが、千数百年にわたる太子信仰の歴史に比べれば、短いものだろう。とはいえ、この百年は 間違いなく、聖徳太子の物語が最も多様化した時代である。本書は、知られざる聖徳太子の一つの物語であると同時に、そのオカルトな彼の 「何か」に、生きる意義を求めてきた人々の物語である。
2024/8/20
「奇っ怪紳士録」 荒俣宏 平凡社ライブラリー
奇人が一人でも存在すれば、世界の均衡を崩す。しかし逆に、バランスを打ちこわすからこそ、世界に奇人の数はすくない。仮に、 これを<奇人の原理>と呼ぶ。
<本書は、そういう仮説をごく軽く検証するためのコレクションである。>
蝦夷地を開拓し、アイヌたちと仲良くしなければ、日本はロシアの餌食になると確信し、27歳で憂国の北地探検家となり、「北海道人」を 名乗った――松浦武四郎。
16歳で世界無銭旅行を志し、ボーイとして潜り込んだ米軍艦で類まれなる商才を発揮して、20歳で巨万の富を成すという立身出世を果たした ――小池泉。
軽便印刷機への世界的需要に目を付け、ライバルとなる発明王エジソンの影に怯えながら、全財産を投げうって世界に誇る「ガリ版」を発明した ――堀井新治郎。
などなど、有名・無名織り交ぜた数々の奇人・変人たちを次々と俎上に載せ、その艱難辛苦・波乱万丈の人生の歩みを活写してみせる・・・ この類の本は、
『バンヴァードの阿房宮』 ―世界を変えなかった十三人―
、
『二列目の人生』と『泡沫桀人列伝』
など、「記録」には残らないが、ある人々の「記憶」には残った「人生」の優しさが偲ばれて、 暇人の好きな部類の本ではあるのだが、
この本における奇人蒐集者は、
『サイエンス 異人伝』―科学が残した「夢の痕跡」―
、
『陰陽師』
、
『お化けの愛し方』―なぜ 人は怪談が好きなのか―
などでもご紹介した、「評論家とは世をしのぶ仮の姿で、正体は幽明界を自在に往き来できる」(@南伸坊)、 あの世界の秘密に通暁した妖怪・荒俣宏なのだから、選んだ当の本人が、一番面白がっていることは、
『アラマタ大事典』
の 「アラマタ・ヒロシ」の項目を読んでみれば、明らかなことなのである。
人にはもって生まれた「分」というものがあり、いたずらにその「分」を越そうとすれば、創りださねばならない“過剰”の重みに潰されて しまうことになる。しかし稀には才能や財力や、あるいは「思い込み」などという非常の力を借りて、その重量を支えきってしまう人物が出て くることがある。
<これが奇人なのだ。>という著者の定義に従えば、妖怪・荒俣宏その人こそが奇人であることは明白であり、もちろんそんなことはアラマタ 自身も自覚しているようなのである。
筆者は、このすばらしい奇人たちを集めるのに、3年間を無駄についやした。だがもちろん、奇人にとっては、無駄な努力を嬉々として 積み重ねることも、“過剰”と並ぶ特徴的行動なのだが――。
2024/8/18
「まいまいつぶろ」 村木嵐 幻冬舎
「越前殿は長福丸様の御姿を拝したことがおありであろう。歩くには足を引き摺っておられ、乳母を務めた妾でさえ、お言葉がよう 聞き取れませぬ」
生まれつき身体に麻痺があり、片手片足はほとんど動かせず、口もきけなかった14歳の長福丸は、将軍継嗣に相応しい扱いを全く受けて こなかったのだが、江戸町奉行・大岡越前守忠相が江戸城中奥で、かつては長福丸(後の九代将軍家重)の乳母だった上臈御年寄・滝の井から 聞かされたのは、思いもよらぬ話だった。
「長福丸様の御言葉を聞き取る少年が現れたのです」
その少年の名は16歳の大岡兵庫。忠相の遠縁にあたるといい、小姓に取り立てるので「決して出過ぎた真似をせぬよう」言い聞かせてほしい というのである。五代綱吉が創った側用人制度の歪みを正すため、八代吉宗が英断した幕政改革。口のきけぬ将軍に、一人だけ言葉の分かる 小姓が侍れば、側用人制の復活も危惧された。忠相はすぐに兵庫(後の大岡忠光)を呼びつけ、その人となりを見定めると、長福丸のただ一人の 通詞として生きていくための覚悟を授け、送り出した。
「そなたは決して、長福丸様の目と耳になってはならぬ・・・長福丸様は、目も耳もお持ちである。そなたはただ、長福丸様の御口代わりだけを 務めねばならぬ」
やがて小姓として城に上がった兵庫は、慎み深くて知恵も回ると評判をとるほどの働きぶりを見せるのだが、蔭で聞こえよがしにつぶやく、 ある幕閣の言葉を耳にする。
「汚いまいまいつぶろもおったものよ」と。
頻尿のうえ尿を堪えることができない長福丸は、長々と座敷に座らされ皆の前を歩いて戻る時など、かたつむりが這ったように、跡が残っている ことがあったのだ。それでも兵庫が忠相の助言を守り、長福丸にご注進に及ぼうとしなかったのは、そんな間者のような真似をすれば、自分の 方が小姓の座を追われることになるからだ。もちろんそれは自らの保身や、出世を考えてのものではない。そうなれば、長福丸は再び不自由な 暮らしを強いられる。それだけはさせたくないという思いからだった。
というこの本は、古くはNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』で中村梅雀が、最近ではNHKドラマ10『大奥』で三浦透子が熱演した(とはいえ 脇役だったのだが)、「小便公方」家重を主役に、言葉が伝わらぬゆえ幕閣からは無能と侮られながら、実は非常に聡明であった家重と、それを 支えた人々の格闘を描いた感動の物語である。
家重の身体のことも知らされず嫁いできて、初めのうちは嘆くことも多かったが、やがて人の痛みを感じることのできる本当の優しさに触れ、 家重を愛した比宮増子。
忠光の存在により家重の本来の英邁さを知り、誰よりも名君になれると勇気づけ、臨終の床で「本気で将軍を目指してもよいか」とまで言わ しめた老中・酒井忠音。
取り巻く人々の温かさが心に染みる名シーンの存在が、長福丸が将軍家重へと成長していくために歩んでいく道の険しさを、折に触れて解き ほぐしていくのだが、圧巻は何と言っても忠光の存在である。自らの身を省みることもなく、家族までも犠牲にして、あくまで「口」として 家重に寄り添い続けた忠光にとって、自らが病を得、もはや「口」の務めを果たせないと悟った時、将軍職を辞して忠光に語りかけた家重の 言葉こそ、最後にして最大のご褒美であったに違いない。
「まいまいつぶろじゃと指をさされ、口がきけずに幸いであった。そのおかげで、私はそなたと会うことができた。・・・ もう一度生まれても、私はこの身体でよい。忠光と会えるのならば」
2024/8/13
「鵺の碑」 京極夏彦 講談社
(注記:「鵺」は原文では夜ヘンではなく空ヘンに鳥)
黒い着物に黒い羽織。黒足袋に黒下駄。鼻緒だけが赤い。闇を纏った男は背後に置かれた手燭を黒い手甲を嵌めた手で取って、己の 前に掲げた。
<まるで地獄の底から這い出て来た魔物の如き悪相である。>
と800ページを超えるこの本の、750ページになってようやく登場してきた<京極堂>こと中禅寺秋彦に、「待ってました」の声をかけたく なってしまうのには、これが「百鬼夜行シリーズ」(昔はそんな名前は付いていなかったような気がするが)の、なんと17年ぶりの新作だと いう事情もあるのだが、デビュー作『姑獲鳥の夏』から、日本推理作家協会賞を受賞した二作目の
『魍魎の匣』
に続き、
『邪魅の雫』
に至るまで、 まるで小ぶりの弁当箱のような長編、全9作を読み通してきた者とはいえ、物語の設定上は昭和28年の『邪魅の雫』の翌年、昭和29年の事件 だと言われても、17年も前の事件の詳細など覚えているはずもなく、ほとんどの登場人物が過去の事件の経緯を引きずっているその場の空気に 馴染むのに些か苦労することになった。
◎鵺――鵺は深山にすめる化鳥なり 源三位頼政 頭は猿 足手は虎 尾はくちなはのごとき異物を射おとせしに なく聲の鵺に似たれば とて ぬえと名づけしならん――『今昔画図続百鬼』鳥山石燕
「蛇」幼い頃の父親殺しの記憶に悩む娘の話に巻き込まれてしまった作家の関口。
「虎」失踪してしまった婚約者の捜索の依頼を受けた探偵の益田。
「貍」20年前に発生した他殺死体紛失事件の真相究明を命じられた刑事の木場。
「猴」発掘された古文書の鑑定に駆り出され光る猿の謎を耳にした古書肆の中禅寺。
「鵺」山中の独り暮らしで亡くなった大叔父の遺品整理に訪れた病理学者の緑川(今回初登場)。
と、それぞれがそれぞれに抱える謎を追いかける5つの物語が、順繰りにバラバラに語られていくのだが、いつしか舞台は日光の山奥へと引き 付けられることになり、5つの謎は絡まり合って、題名にある「鵺」のような<キマイラの化け物>が誕生してくるという趣向なのである。
では、その化け物の正体とは何だったのか?ネタバレになるので、どうしても知りたいという方は、ご自分でお読みください。
「じゃあ何なんだよ京極堂」
「だから、何でもないのさ。何もなかったんだから何でも良いんだ。猿だの虎だの蛇だのがチョイスされた理由は判らない。ただ――鳥だけは 判る」
2024/8/2
「言語の脳科学」―脳はどのようにことばを生みだすか― 酒井邦嘉 中公新書
言語に規則があるのは、人間が規則的に言語を作ったためではなく、言語が自然法則に従っているためだと私は考える。
<本書では、言語がサイエンスの対象であることを明らかにしたい。>
というこの本は、大学で物理学を専攻し、大学院では日本ザルの脳の研究を行った著者が、ボストン留学中に触れたチョムスキーの思想から 言語学へと進み、ちょうどその頃始まったMRIを使った人間の脳の研究の成果も踏まえながら、言語の問題を脳科学の視点から捉え直そう とした「挑戦状」なのである。
言語の発達過程にある幼児が耳にする言葉は、多くの言い間違いや不完全な文を含んでおり、限りある言語データしか与えられない。
<それにもかかわらず、どうしてほとんど無限に近い文を発話したり解釈したりできるようになるのだろうか。>
この「刺激の貧困」とも呼ばれている、プラトンが提起した問題が示しているのは、幼児は白紙の状態から言葉を話せるようになるのではない、 という事実である。
・できないはずの帰納的推論が、なぜ決定できてしまうのか?
・不完全なデータから、なぜ完全な文法能力が生まれるのか?
・否定証拠なしに、なぜ文法的に間違っていると分かるのか?
<幼児の脳にはじめから文法の知識があると考えればよいのだ。>と考えたのは、言語学者のチョムスキーである。人間の脳には「言語器官 (language organ)」があって、発生の仕組みで体ができあがるのと同じように、言語も成長に従って決定される。つまり・・・言語は「学習」 の結果生ずるのではなくて、言語の元になる能力、すなわち言語知識の原型がすでに脳に存在していて、その変化によって多様な言語は「獲得」 される。人間の言葉には文の構造に一定の文法規則があり、それが多様に変形されうると、言語の多様性の謎に説明を与えたのが、チョムスキー の「生成文法理論」だった。
この「言語生得説」という革命的な考え方は激しい賛否を巻き起こしてきたのだが、この本では最新の脳科学の成果も示しながら、この主張を 裏付けようとしている。MRI技術による言語に必要な脳の場所の特定、失語症と言語野の謎の解明、手話と言語獲得の謎、そして自然言語処理 と人工知能の挑戦、などなど。興味を持たれた方は、是非ともご自分でお読みいただければと思う。
と、ここまできて今さらの話だが、実はこの本は20年も前のものなので、自然言語処理については先にご紹介した
『ChatGPTの頭の中』
を併せ読むのがよい。 「乳児は確率に敏感である」などの研究成果を見れば、ニューラルネットによる深層学習の仕組みの追求こそが、人間の脳の謎の解明への 近道であるように感じる。
言語の脳科学は、新しいアイディア、新しい手法、そして従来のアプローチの新しい組合せによって、これからどんなに面白いことが わかっていくのだろう、と期待がふくらむテーマである。言語のサイエンスには、未知の問題がたくさん眠っている。
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