徒然読書日記202405
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2024/5/31
「ある行旅死亡人の物語」 武田惇志 伊藤亜衣 毎日新聞出版
「本籍(国籍)・住所・氏名不明、年齢75歳くらい、女性、身長約133cm、中肉、右手指全て欠損、現金34,821,350 円」(尼崎市・官報)
裁判担当記者から「遊軍」担当に回され、ネタ探しに追われるようになった記者が目を付けたのは、「行旅死亡人データベース」の中の所持金 ランキングだった。「行旅死亡人」とは、病気や行き倒れ、自殺等で亡くなり、名前や住所など身元が判明せず、引き取り人不明の死者を表す 法律用語なのだが、2位の大阪市西成区の簡易宿泊所で自殺した男性の2千万を、圧倒的に引き離した大金を遺して安アパートの玄関先で絶命 した、この指なしの女性とは誰なのか?「お心当たりのある方は」という自治体担当の窓口に問い合わせると、相続財産管理人の弁護士を紹介 され、ダメ元で携帯番号を伝えると、すぐにスマホが鳴った。
「私、弁護士を22年やってますが、この事件はかなり面白いですよ」・・・この人はいきなり、何を言い出すのか。
というこの本は、2022年2月に47NEWSに配信され話題となった『現金3400万円を残して孤独死した身元不明の女性』を大幅加筆、 再構成したものだ。早速申し込んだZoomでのリモート取材で弁護士が語り出したのは、眩暈がするほど奇妙な話の連続で、行き着く先が全く 見えない思いに戸惑うものだった。
彼女は古いアパートに40年以上も住んでおり、「田中千津子」という年金手帳からその生年月日はわかったが、なぜか住民票は抹消されていた。 アパートの賃貸契約は「田中竜次」名義でされているが、1階に暮らす93歳の大家の女性は、何十年も前からずっと一人暮らしだったと言って いる。アルバイトしていた製缶工場で右手指を失ったことは労災の申請書類から判明しているが、自分から労災の障害年金を断り、手続きして いなかった。
レシートなどもほとんどないし、郵便も全然残っていない。携帯も留守電もなく、旧いプッシュ式電話の基本料を払い続けるだけで、それを かけた形跡もなかった。亡くなってから見つかるまでに2週間の間があり、部屋の片付けをしてていねいに調べたところ、部屋の中で亡くなって いるのに、部屋の鍵が出てこなかった。ビニール袋に大事そうに入れられていた、1000ウォン札。そして星形のマーク(北朝鮮?)の付いた 銀色のロケットの中には、2行の謎の数字が書かれた紙。
「田中竜次さんは工作員だと思う。・・・スパイの人にお金を渡したりして生計を立てていたのではないか。」などという弁護士の穿った見立て はさておき、警察の一通りの捜査でも、弁護士が雇った探偵による身辺調査でも、皆目見当が付かなかった彼女の身元がおぼろげに見えてくる ことになったのは、遺品の中から「沖宗」という印鑑が出てきたことがきっかけだった。それは、全国にも何人しかいないすごく珍しい名字で、 広島に多いものだという。
ここから始まる、次々と系図をたどりながら記憶の扉を開いていくような聞き込み調査の醍醐味は、是非ともご自分で確かめていただきたい。 何となくNHKの名番組『ファミリー・ヒストリー』を髣髴とさせるようだが、メインテーマは行旅死亡人・タナカチヅコが、本当の自分を 取り戻す物語なのだ。
<私の前にいるのはもはや、行旅死亡人ではない。86年の歳月を生きた、名前を持つ一人の女性である。>
<行旅死亡人>とは本来、旅の途上に倒れた者を指す言葉だった。故郷や家族について彼女がどんな気持ちを抱いていたか、結局は わからないままだ。・・・今は、偶然の出会いに心打たれ、ひたすらまっすぐ歩き続けて終点に至ったという実感だけがある。
2024/5/27
「古代アメリカ文明」―マヤ・アステカ・ナスカ・インカの実像― 青山和夫編 講談社現代新書
メソアメリカとアンデスは、旧大陸社会と交流することなく、アメリカ大陸でそれぞれ独自に興隆した一次文明であった。
もともといかなる文明もないところから独自に生まれたオリジナルな文明を指す<一次文明>は、じつは世界に四つしか誕生しなかった。 ・・・(ふむふむ。)メソポタミア文明、中国文明、そして、メソアメリカ文明とアンデス文明の四つだけなのである・・・(嘘だぁっ!) と、今アナタはそう思ったかもしれない。
多くの日本人にとって「世界四大文明」と言えば、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河というのがお約束だからだが、それは<学説> ではないそうだ。考古学者の江上波夫が、山川出版社の高校教科書で普及させた、じつは<教科書用語>なのであり、つまり欧米には存在しない 特異な<文明観>だったのである。
というわけでこの本は、メソアメリカのマヤとアステカ、アンデスのナスカとインカを、それぞれの専門家が一緒に解説して、その実像に迫る 日本初の新書なのだが、
「空中都市マチュピチュ」
や
「ナスカの地上絵」
を訪れてみたい という<果たせぬ夢>を胸に読んだ者としても、これは初っ端から驚きの連続だったのだ。
「マヤ文明」(青山和夫)――マヤ文字・神殿ピラミッド・公共広場
「アステカ王国」(井上幸孝)――テノチティトランのモニュメント・絵文書を読む
「ナスカ」(坂井正人)――地上絵はなぜ制作されたか
「インカ帝国」(大平秀一)――インカと山の神々
神々の意思が尊重される世界の中で、支配層と民衆のせめぎ合いが社会を動かす仕組みを更新させ、マヤ文字などの文字が発達した「メソ アメリカ文明」に対し、インカのような巨大な社会が成立したにもかかわらず、文明社会を築き上げるうえで文字を必要としなかった「アンデス 文明」という差異にも注目しながら、旧大陸の諸文明と交流することなく、狩猟採集社会から定住農耕社会、さらに国家へと、双方独自に発展 した先住民独自の一次文明の足跡をたどることで、人類の文明はなぜ、どのように興り変化したのか、そして文明とは何かについて、旧大陸との 接触後の社会の研究からでは得られない、新たな視点が提供される。「文明は乾燥した大河の流域で生まれた」という旧大陸史観は相対化される。 古代アメリカ文明は、高地と低地のきわめて多様な自然環境の中で発達したのだから。
ヨーロッパ人に「発見」される前のアメリカ大陸の歴史が冷遇されてきた、日本の歴史教育に対する大きな懸念が、この本の終章では表明され ている。「現在は過去の総和である。現在の私たちを理解するためには過去の歴史を学ぶことが欠かせない」というのだった。
古代アメリカの二大一次文明を正しく理解することは、バランスの取れたよりグローバルな真の世界史に近づく鍵となる。メソアメリカと アンデス独特の文明の特徴を知るだけでなく、私たち人類の可能性とは何か、人類の文明の普遍性と多様性を理解するうえでもきわめて重要 なのである。
2024/5/13
「異邦人」 Aカミュ 新潮文庫
きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。
この、冒頭の「ママン」という言葉を目にした瞬間に、買ってきたばかりの文庫本を放り出してしまったのは、昭和53年、暇人が25歳の 大学院生の時だった。それ以来45年、本棚に埋もれていたそんな大昔の本を引っぱり出してくることになったのは、この名著が参加している 読書会のテーマ本に選ばれたからなのだが、読み出してみると、こちらが勝手に想像していたのとはまるで違う内容の本であったことを知った。 やはり名著には名著と呼ばれるにふさわしい理由があったのだ。
たった一人の身寄りである母親を預けてあった養老院から、母親が亡くなったという報せを受けて、養老院で行われる葬儀に向かった息子の ムルソーは、母親の死に涙を見せることもなく、柩を閉める前の最後のお別れも断った。通夜の席では門衛と一緒に煙草を吸い、勧められる ままにミルク・コーヒーも飲んだ。埋葬の翌日には久しぶりに再会した女友達マリイと海水浴に出かけ、喜劇映画を見て、夜には<関係>を もった。・・・それは確かにその通りなのである。
その後、友人とアラブ人との揉め事に巻き込まれ、危険を感じて取り上げたはずの友人の拳銃で、自分がアラブ人を撃ち殺してしまう。さらに 四発も撃ち込んで。動機?――「それは太陽のせいだ」
という事件勃発までの経緯が語られる第1部に続いて、第2部ではムルソーの罪を裁くべく、陪審員を前にした法定での検事の追求が描かれて いくのだが、「涙を見せなかった」「顔を見たがらなかった」「煙草を吸った」「ミルク・コーヒーを飲んだ」という証人たちの証言が、 ことごとくムルソーに不利に働いていく。
「陪審員の方々、その母の死の翌日、この男は、海水浴へゆき、不真面目な関係をはじめ、喜劇映画を見に行って笑いころげたのです。もう これ以上あなたがたに申すことはありません」
あの人は何も悪いことはしていないと、自分が考えていたこととはまるで反対のことを言わせられてしまったマリイは、証人席で声をあげて 泣き出してしまったが、
「この男は、諸君、この男はインテリです。この男の陳述をお聞きになったでしょうな。彼は答え方を心得ている。・・・それゆえ、自らの なすところを理解せずして行為した、とはいいえないのです」
という検事の曲解めいた物言いにも、<一人の平凡人の長所が、どうして一人の罪人に対しては不利な圧倒的な証拠になりうるのか。>と 他人事のように聞き流す、ムルソーの法廷における立ち位置は、その場にいながらそこにはいない<異邦人>として、死刑判決を受け入れて しまうのだった。
「母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮す社会では、 異邦人として扱われるよりほかはないということである。」(カミュが英語版に寄せた自序)
一つの生涯の終わりに「許婚」を持ったママンは、そこで開放を感じ、生きかえるのを感じたに違いないのだから、何人といえどもママンのこと を泣く権利はない。私もまた、あの大きな憤怒が私の罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、世界の優しい無関心に心を ひらいた。私は幸福であることを悟ったのだ。
一切がはたされ、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、 憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。
2024/5/3
「寝煙草の危険」 Mエンリケス 国書刊行会
確かなのは、夜現れる蝶たちは指でつぶすと粉々になることだ。まるで内蔵も血もないかのようで、灰皿に放置されて静かに灰に なっていく煙草にも似ている。
あたかも衝撃を楽しむかのように何度も電球にぶつかり、疲れたのか、たぶん抵抗したがくじけたのか、その焦げた臭いが鼻につき、眠れなく なってしまうパウラは、春先のある晩、それとは違う焦げ臭さで目が覚めた。近隣の火事で、半身不随で体の弱った女性が指に煙草を挟んだ まま、ベッドで眠り込んでしまったらしいのだ。「かわいそうなばあさんだ。まさに悪癖ってやつだな」という管理人の言葉に反発を覚えながら、 パウラの頭の中では全く別の想像が広がり始めていた。
6階に住む女性は足元から火が近づいてくるのを見ていたに違いない。脚の感覚がないので、毛布に火がついても放っておいたはずだ。 そしてきっと、このまま炎に仕事を続けさせて何が悪いの、と思ったのではないか。
という表題作『寝煙草の危険』など、12の短篇からなるこの本は、<アルゼンチンのホラー・プリンセス>との異名を持つ新進作家エンリケス の第一短篇集である。
私が子どものころ、裏庭で見つけた祖母の妹の小さな骨。それから10年後。ある嵐の夜に、私のアパートのベッドの脇で、その赤ん坊の幽霊が 泣いていた。半分腐りかけていて何もしゃべらないが、どこまでも私を追いかけてくる。その子をリュックに詰め込んで、私はかつての我が家の 裏庭へ連れて行く。(『ちっちゃな天使を掘り返す』)
歩道でうんちをして、町の住民たちから足蹴にされた老人が、残していったスーパーのカート。それは、誰も片付けようとしないまま放置され、 悪臭を放ちだす。やがて、次々と町の住民たちに不幸が訪れ始める。無事だったのはあの老人を助けようとした家族だけ。それは近所には 知られてはならない事実だった。(『ショッピングカート』)
心音のCDを聞くだけで、何時間でもマスターベーションしていられる私が、心音フェチのサイトで出会ったのは、心音を聴いてもらうのが 好きという男だった。心房細動、長時間の頻拍、ギャロップリズム。興奮させてくれた彼の病の音に、もう飽きた、実物が見たいと訴えた時も、 彼は抵抗しなかった。(『どこにあるの、心臓』)
などなど、“ゴシック・ホラー”の定番として、幽霊、呪術、ゾンビ、幻視など、超自然的モチーフのオンパレードではあるのだが、恐怖や 不安が鮮烈に炙り出されてくるのは、むしろ現実を生きている人間たちの心に湧き上がってくる、苦々しい味や爛れたような臭いのほうなのだ。
<焼けていく老婆たちのいるどこか心安らぐ世界>から引き戻されたパウラが目にする現実は、借りてから3年一度も掃除したことがない、 悪臭たちこめる部屋。腿の内側の皮膚に散る赤い小さな染み、毎朝歯磨きするたびに出血する黄ばんだ歯や歯茎、フケ、気鬱、蜂巣炎、痔・・・ 「誰がこんなふうになりたい?」
ベッドで膝を立てて毛布を持ち上げ、頭まで潜り煙草を咥える。あいているほうの手の人差し指でクリトリスを血が出るほど撫でてみても、 今さら何も起きはしない。テントに避難してきた蝶を煙で追い回して殺してしまい、口で煙のリングを作るのにも飽きると、熾火をシーツに 押しつけ、もう危ないというところまで眺めていた。テントから顔を出し、薄闇の満ちる部屋を覗いたとき、シーツに点々とあいた穴から 灯りが漏れて、天井に光りが届いていた。まるで星々に覆われているかのように。
パウラは天井を見たとたん、自分が求めているのはただひとつ、頭上に広がる星空だけだとわかった。ほしいものは、ただそれだけ。
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