徒然読書日記202403
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2024/3/31
「東京都同情塔」 九段理江 文藝春秋
まだ起こっていない未来を、実際に見ているかのように幻視する。何も知らない人たちは、これを才能だとか超能力だとかアーティス ティックなインスピレーションだとか言おうとするけれど、もちろんただの職業病の一種に過ぎない。
<私には未来が見える。>
と豪語する、37歳にして世界的な独身女性建築家・牧名沙羅は、新宿御苑に建設予定の「新形態刑事施設」という「塔」の設計コンペへの 参加を要請される。建設予定地の目の前には、ザハ・ハディドが東京五輪のために遺した流線型の巨大な創造物である「国立競技場」が女神の ような美しい姿で屹立していた。「シンパシータワートーキョー」と名づけられたその施設は、憐れむべき罪人たちを上っ面の言葉のみならず、 より具体的かつ積極的な形で同情し支援するために、タワーマンション並みの豪華な設備を具えた、要するに「世界一幸せな日本の刑務所」= <ホモ・ミゼラビリスのユートピア>だった。
本年度『芥川賞』受賞作品。
「私はあくまで、実際に手で触れられ、出入り可能な、現実の女でありたいということです。みずから築いたものの中に、他人が出たり 入ったりする感覚が、最高に気持ちよいのです」
と、ドローイングと建築の違いについて聞かれるたびに、際どいメタファーで答えてきた沙羅は、外来語由来の言葉への言い換えが横行する 風潮に違和感を覚え、コンペ参加に向けてその名前に拘り続けていたが、15歳年下の新しい友人、建築としてのヒトのフォルム・テクスチャー が完璧なショップスタッフ・東上拓人が、
「東京都同情塔」(トーキョートドージョートー)
とその場で不意に思いつき言い直してみせたことに感動し、コンペへの参加を決めるのだった。参加しさえすればコンペを勝ち抜くのは、彼女 にとっては必然だった。
建築家の女の人は口の中でぶつぶつ言いながらスケッチブックをめくり、一番最後のページに字を書き散らしていく。
そのページに既に書き込まれている猫のひっかき傷みたいなでたらめな線が、実は全部ちゃんと意味を持ったカタカナの単語であることに気付い た拓人は胸を痛め、不憫なカタカナの増殖を食い止めようとするかのように沙羅の背中を抱きしめ、その手から鉛筆を引き離す。その肌には 手作りの巣のような温もりがあった。
彼女が住んでいるのは言葉で出来た家なんかじゃなく、牢獄なんだ。窓もついていない、換気もできないような不衛生な刑務所。看守が常に 彼女の話す言葉を見張っている、監獄。
訊いてもいないことを勝手に説明し始めるマンスプレイニング気質で、スマートでポライトな体裁を取繕うばかりのAIを嫌っている沙羅では あったが、知らない間に自身の頭の中にも、オートモードでワードチョイスの検閲者が成長を遂げており、何かを言おうとしてもうまく言葉が 出てこないことに疲れを覚える。そんな彼女の積み上げる言葉が何かに似ているような気がして記憶を辿った拓人は、それがAIの構築する 文章であることに思い当たるのだった。
牧名(Machina)による<バベルの塔の再現>。それは・・・
やがて我々の言葉を乱し、世界をばらばらにする。ただしこの混乱は、建築技術の進歩によって傲慢になった人間が天に近付こうとして、 神の怒りに触れたせいじゃない。各々の勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した、その当然の帰結として、互いの言っている ことがわからなくなる。喋った先から言葉はすべて、他人には理解不能な独り言になる。独り言が世界を席巻する。大独り言時代の到来。
2024/3/21
「サガレン」―樺太/サハリン 境界を旅する― 梯久美子 角川書店
さまざまな名で呼ばれ、何度も国境線が変わり、いまも帰属の定まらない島。同じ土の上に流された異なる民族の血が歴史の地層を なす場所。それでも、まばゆく光る雲の下、境界をこえて、汽車は走る。
<サハリンで鉄道に乗りたい。できれば廃線跡もたどりたい。そんなシンプルな動機で始まった旅だった。>
というこの本は、橋梁派の廃線ファンだと自称する「乗り鉄」の著者による、かつては大日本帝国最北端であった地の記憶を巡る鉄道紀行という スタイルなのだが、あの名著
『狂うひと』
など、綿密な資料の読み込みによる事実確認を怠らないノンフィクション作家なのであれば、話は紀行だけでは収まらないのである。 (ちなみに、前回ご紹介の『熱源』と中味がかぶる部分が結構あるのだが、これは偶然のなせる技で、たまたま同時期に読んだにすぎない。 セレンディピティ?)
途中駅の白浦(現在のヴズモーリエ)駅に停車中、芙美子はホームで「パンにぐうぬう。パンにぐうぬう」と呼び売りをしているロシア人を 見る。
「このパン屋は、なかなか金持ちだそうです。美味しいパンだと聞いておりましたが、あまり美味しいパンだとは思いませんでした。」 (林芙美子『樺太への旅』)
第1部は、冬の樺太を寝台特急に乗って縦断し最北駅ノグリキへと向かう、4泊中2泊が車中泊という「この列車に乗るのが第一目的」の旅で ある。今回の水先案内は林芙美子だが、それより9年も前に樺太を旅した北原白秋が同じパン屋の住まいを訪れている。当時は、各界名士による 国境見学が流行りだったのだ。1934年には車でしか行けなかった旧国境を結局見ずに戻った芙美子とは違い、早朝の闇の中を列車で通過した 著者は、無事最果ての終着駅のノグリキに辿り着く。
その後は、お目当ての廃線跡探索。ロシアの手でサハリン最北端のオハまで延長されたオハ鉄道の廃線跡と、スターリンが架け替えたトラス橋 などを見て帰国した。
鉄道に揺られてたどり着いた海岸で、サガレン(賢治はこの地をそう呼んだ)という土地の何かが、憔悴しきった心に、新鮮な風を吹かせた のではないか。
「まっ赤な朝のはまなすの花です/ああこれらのするどい花のにほひは/もうどうしても 妖精のしわざだ/それにあんまり雲がひかるので/ たのしく激しいめまぐるしさ」(宮沢賢治『オホーツク挽歌』)
第2部は、1923年に樺太を旅した宮沢賢治を水先案内に、その行程をたどる夏の旅。『銀河鉄道の夜』のモチーフとなったといわれるこの旅 はまた、前年に亡くなった最愛の妹トシの魂を追いかける旅でもあった、というのが定説らしいのだが、樺太に縁もゆかりもない妹の魂がなぜ 北へ向かわねばならないのか。賢治の詩だけを頼りに、彼の足跡を追いかける謎解きの旅が続けられる。(サハリン鉄道が工事中で全島運休の ため、車で移動するというハプニングはさておき。)
「僕もうあんな大きな闇の中だってこはくない。きっとみんなのほんたうのさいはひをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで 行かう。」(『銀河鉄道の夜』のジョバンニの言葉)
<賢治は自分の魂の一部をこの島に残していて、深く問いかければきっと答えてくれると思うようになった>というのが、この旅を終えた著者の 発見なのである。
かれらの声に十分に耳を傾けたとはいえない。列車の揺れは心地よく、目にうつるものはみな面白く、空も海も雪も、工場の廃墟でさえ、 信じられないほど美しかった。旅そのものが与えてくれる幸福が大きすぎたのだ。
2024/3/16
「熱源」 川越宗一 文春文庫
「お前、学校で勉強ができたら褒められるだろう。なぜだかわかるか。それはお前が、大人ほど勉強ができないと思われているからだ。 大人の望むことをしたからだ」「だめなのかい?」
「俺たちアイヌは子供じゃないし、和人どもの望むようになってやる義理もない」
北海道アイヌが勧業博覧会に出品した村の産品で表彰されたことを喜ぶ孤児のヤヨマネクフに、育ての親である若き頭領チコビローの答えは なぜか苦みに満ちていた。
「文明ってのに和人は追い立てられている。その和人に、おれたち樺太のアイヌは追い立てられ、北海道のアイヌはなお苦労している」
日露双方の取り決めでロシアのものとなったため、生まれ故郷の樺太から北海道へと移住させられたアイヌたちは、石狩川沿いの原野を開拓し、 対雁村が誕生した。ヤヨマネクフら子どもたちは、そこにできたばかりの教育所で、和人の言葉での読書、手習い、算盤、地理、そして農業の 実習を学ぶことになったのだが、
「諸君らは、立派な日本人にならねばなりません。そのためにはまずは野蛮なやりかたを捨て、開けた文明的な暮らしを覚えましょう」と、 学校ではことあるごとにそう説かれるものの、“文明”とは何なのか、そもそも“ニッポンジン”というのがどういうものか、まるで想像が つかないのだった。
「俺たちはロシアの役人の言うことは聞かないといけないらしいが、難しくて言っていることがわからない。同じ苦労を子供にかけさせたく ない。だからあんたは、俺の子にロシア語を教えろ」
「あなたたちに興味がある。あなたたちのことを教えてほしい」
流刑地サハリンで出会った原住民たちの、凍てつく島で生きる姿から、再び生への情熱を取り戻したピウスツキの問いかけに、そのギリヤークは 交換条件を出してきた。ロシア皇帝暗殺の企てに巻き込まれ流罪となった、ロシアの学生ピウスツキもまた、帝政ロシアとの併合により母国語を 奪われたポーランドのリトアニア人だった。自らの名を“ピルスドスキー”とロシア語風に呼ばれるたびに、母語を守る国を失った民であること を嘲笑れているようで、ピウスツキは灼けるような反感を覚えた。
やがて懲役囚身分のまま、サハリン民俗学研究の成果を上げたピウスツキは、地理学協会に招聘され講演を行うことになるのだが、講演を締め くくるにあたり、優れた人種が劣った人種を憐れみ教化善導するという、ヒューマニズムを装った支配の名分が支配する、その場の雰囲気に 愕然としながら、語気を強めることになる。
「我々には、彼らの知性を論ずる前にできることがあります。豊かな者は与え、知る者は教える。少なくとも、私は支えられました。流刑の 絶望から這い上がり、いまここでみなさんの前に立てている。生きるための熱を分けてもらった」
帝国に<故郷>を奪われ、無理やり組み入れられることに抗った二人が守ろうとしたものは、<言葉>と<名前>という民族の誇りだったの だろうか。そんな二人の数奇な運命の軌跡が、樺太/サハリンという極寒の地で交わるとき、そこに生み出される「人間」の物語は、計り知れ ない「熱」を帯びてくる。
「弱ければ食われ、滅びる。だから我が国は強さを目指した。そして強くなった。きみらはどうする。強くなるか?日本を食うか?」という 大隈重信の問いかけに、「人の世界の摂理なら、人が変えられる」と答えたピウスツキに対し、「俺たちはどんな世界でも生きていく。」 アイヌは人という意味だからと言ったヤヨマネクフ。
この第162回「直木賞」受賞作品は、「ちょっと史実が多すぎて疲れるくらい」(解説:中島京子)という、史実に基づくフィクションの 逸品なのである。
2024/3/5
「見るだけでわかる微分・積分」 冨島佑充 PHP新書
あなたは、微分積分とは何かと聞かれたら、どう答えるでしょうか?そんなこと、考えたこともないかもしれませんね。私はこう答え ます。
<微分積分とは、「未来予測の数学」である、と。>
というこの本は、自身が金融機関のデータサイエンティストとして、金融市場の分析・予測に微分積分を使い倒してきたと豪語する専門家の 立場から、微分積分の本質や、それを理解することの具体的なメリットについて、「これ以上分かりやすくできない!」くらい丁寧に説明して くれるものだ。
高校時代にその計算方法や公式は学んでいても、それが「何の役に立つのか?」という根本的な疑問については、何の説明も受けた記憶がない という多くの人にとって、微分積分が人類のどういうニーズから生まれ、なぜ重要で、どう役に立っているのかを、ロケットや天気予報の具体 例なども交え知ることは、とても新鮮だろう。
この著者によれば、「未来予測の数学」である微分積分の基本的な考え方は、<「変化を積み重ねる」ことで未来を予測する>ものだという。
そのためには、まず第1ステップで、一つひとつの小さな変化を考え、次に第2ステップとして、その変化が積み重なっていくと最終的に どうなるかを把握する。<小さな変化を考える>ときに使われるのが「微分」であり、<変化を積み重ねた結果を考える>のが「積分」だと いうのである。
古代ギリシャで、複雑な図形の面積を求めるために生まれた「とりつくし法」に起源をもつ「積分」が、グラフの面積を求める計算だったのに 対し、それよりずいぶん遅れた中世の戦場で、砲弾の軌道を正確に知るために生まれた「微分」は、グラフの接線を求める計算だった、なんて 歴史的背景もさることながら、
地球の大気を格子状に細かく区切り、その一つひとつの格子について、気圧、気温、湿度がどうなるかを計算し、最後にその結果を足し合わせ 予測している天気予報。
ドライバーが一定のペースでハンドルを回転させながら走行する、その瞬間瞬間の進む方向を計算し、その結果、車が描く軌跡に合わせて設計 された高速道路のカーブ。
日々変動する株価を微分の発想で数式に落とし込み、リスクを伴う株式投資においても、最善の行動が取れるようにしてくれたオプション取引、 などなど。
データや数学を駆使した高度な未来予測によって支えられている現代社会の、その未来予測を支えているのが微分積分の思考法であることが 示されていく。
さらには、ここで学んだ微分積分の基本思想は汎用性が高いので、単なる教養の域を超えて、普遍的な問題解決のテクニックとしても使える という。
・難しい課題は、考えやすい単位に細かく分けて考えること。(微分の発想)
・分けて考えた後、それらを集めて再び大きな視点に戻ること。(積分の発想)
これこそが、この著者が極力数式を使わず微分積分を解説しようとしたこの本で、特に強調したかったことのようなのである。
仕事や日常生活で直面する色々な課題にこうした発想を当てはめてみると、思いもよらぬ解決策に行き着くこともあるのではないでしょうか。
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