徒然読書日記202312
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2023/12/29
「今年の三冊」
誰に頼まれたわけでもないのに、徒然なるままに「読書日記」を綴り続けている暇人が、満を持してお届けする。今年もいよいよ、毎年 恒例の「マイ・ベスト」発表の日がやってまいりました。なお、「今年の三冊」と言っても、「今年私が読んだ」ということで、発表されたのは 必ずしも今年とは限りませんので、そこのところは、どうかお許しくださいね。
「ノンフィクション部門」
(国内編)
『言語の本質』―ことばはどう生まれ、進化 したか―
(今井むつみ 秋田喜美 中公新書)
『まちがえる脳』
(櫻井芳雄 岩波新書)
『日本の包茎』―男の体の200年史―
(澁谷知美 筑摩選書)
(海外編)
『テヘランでロリータを読む』
(Aナフィーシー 河出文庫)
『論理哲学論考』
(Lウィトゲンシュタイン 岩波文庫)
『超圧縮 地球生物全史』
(Hジー ダイヤモンド社)
「フィクション部門」
(国内編)
『スワン』
(呉勝浩 角川文庫)
『地図と拳』
(小川哲 集英社)
『まず牛を球とします。』
(柞刈湯葉 河出書房新社)
(海外編)
『アシェンデン』―英国秘密情報部員の手記―
(Sモーム 新潮文庫)
『ロリータ』
(Vナボコフ 新潮文庫)
『ねじの回転』
(Hジェイムズ 新潮文庫)
それでは、皆さま、どうぞよいお年を。
2023/12/29
「大聖堂」 Rカーヴァー 中央公論新社
彼女の仕事の最後の日、盲人は彼女に向かって、君の顔をさわらせてはくれないだろうか、とたずねた。どうぞ、と彼女は言った。 盲人は彼女の顔じゅうに指を走らせた。鼻とか、それから首までもだ!
前の夫との結婚前に、新聞の求人広告で見つけた盲人のための代読作業をしていた妻は、その出来事をいつまでも覚えていて、それについての 詩まで書いていた。彼女と盲人とはそのあとも十年に及ぶ交流を続け、孤独な結婚生活、自殺未遂、離婚、そして私と付き合い始めたことも、 テープに吹き込んでやり取りしてきたのだ。
<ところが今回、そのわけのわからない盲人が私の家に泊まりに来るというわけだ。>
という表題作『大聖堂』を締めとして、カーヴァーの作品の中では「最も粒の揃った」(訳者・村上春樹評)十二編の名篇を収録した短篇集で ある。
夕食に招待された同僚夫婦の家には、奇妙な孔雀と不細工な赤ん坊がいた。しかし、彼らなりに幸せな家族のありように感化され、自分たちもと 決意するのだったが、その後、待望の子供が生まれるが、私にとってそれは裏目に出てしまう。何が原因だったのかはわからないが、あの夜の ことを思い出すのだ。(『羽根』)
誕生日の朝、登校中に交通事故にあい意識不明となってしまった子供に、付き添っている両親が交替で自宅に着替えに帰ると何度もかかってくる 不審な電話。それは注文したケーキを「取りに来い」というパン屋からの催促だった。お互いの誤解が解けた時差し出されたのは、焼き上がった ばかりのシナモン・ロールだった。(『ささやかだけれど、役にたつこと』)
アルコール中毒療養所で出会ったJPは、煙突掃除の娘と結婚し、煙突掃除人となって幸福な人生を送っていたのだが、突然強い酒に溺れるよう になってしまった。そんなJPの元へ面会に訪れた妻との温かな触れ合いがあって、ぼくは躊躇っていたガールフレンドへの電話をしようと思う のだ。「やあ、僕だよ」(『ぼくが電話をかけている場所』)
など、誰もが「うまくいかない人生」を抱えながら、懸命にもがいているようなお話しばかりなのだが、それを見つめる作者の優しい視線が心を ほっこりさせてくれる。
「もしあなたに友だちがいて、その人がうちに来るとしたら、それがどんな人だろうが私は温かく迎えるわよ」
「僕には目の見えない友だちなんかいないぜ」
「どんな友だちもいないくせに」
と友だちの来訪に妻が舞い上がり気味なのが、なんとなく面白くないのは、二人の仲を疑っていることもあるが、目が見えないということが 実感できないからだった。しかし、一緒に酒を飲み、マリファナを吸っているうちに次第に打ち解け、たまたまテレビに映し出された「大聖堂」 の画面の説明をすることになって事態は動く。「うまく説明できないや」という私に、「紙とペンを持ってきて、二人で一緒にその絵を描いて みよう」と盲人は言ったのだ。「さあ、目を閉じて」
私の指の上には彼の指がのっていた。私の手はざらざらとした紙の上を動きまわった。それは生まれてこのかた味わったことのない気持ち だった。・・・「たしかにこれはすごいや」と私は言った。(『大聖堂』)
2023/12/26
「うたかたの国」―日本は歌でできている― 松岡正剛 米山拓矢編 工作舎
そもそも日本の歌は時や所を超えて継承されていくものだ。心情や技法が継承されるのは当然だが、歌はもともと「うたた」すると いうものなのだ。「うたた」というのは「転」という漢字をあてる。うたた寝の「うたた」だ。
<歌は転々と「うたた」をしていくものなのである。>(『万葉集の詩性』角川新書・2019)
と、博覧強記の編集工学者・松岡正剛が1979年から2019年にかけて著した、人知を超えるほど多種多彩なテーマに渉る著作群の中から、 「詩歌」について書かれた文章の、それも「日本のもの」のみを抜き出して「再編集」した、これは珠玉のリミックス本なのである。こんな本を 企画した、松岡が主宰するイシス編集学校の師範代・米山拓矢が、あとがき―「うまし言の葉」を編集工学で味わう―で述べるところによれば、
松岡さんの膨大な量の歌語りを精選して詞華集(アンソロジー)に編み直してみたら、これまでにないような通史的かつ編集工学的な歌論が 浮かび上がってくるのではないだろうか。(編者あとがき)
「日本という方法」
を語るために紹介して きた歌たちを、主客をひっくりかえして歌を主役にしてみたら、新しい「松岡日本論」が生まれるに違いないというわけだ。つまりこの本は、 「ぼくが書いたテキストがすべてもとになっているとはいえ、仕上がったものはまったく見違えるほどにおもしろく・・・」と松岡も驚いた ように、何百枚もの楽譜をおこして、美しい律動や平仄を揃えてみせた、編集者・米山(剛腕で最後の編曲をまとめ発刊にこぎつけた工作舎・ 米澤敬と)の手柄なのである。
本歌どりとは本歌に肖った歌なのだ。「あやかり」という編集技法なのだ。「あやかる」は「肖る」で、そのプロフィールやフィギュアを ずらしながらもってくることをいう。このこと、「すがた」(姿形)をうつす、とも言った。姿は「す・かた」(素・型)のことである。
<もっと正確なことをいえば、たんに引用しているのではなく、引用したものに自分の好みを重ねたのだ。そして、本歌と自分の好みを競わせた のだ。>(『千夜千冊』ウェブサイト)という意味で言えば、この本は松岡の十八番(おはこ)は実は「歌」だと確信する愛弟子が、師匠直伝の 編集技法を駆使して「肖った」本歌どりの力作なのである。
「うたの苗床」とも言うべき音と声と霊の論証から始まって、古代・記紀万葉から平安・古今、中世・西行、近世・良寛まで。
良寛にとっての無常は外観に吹き荒れる動向です。その動向はもちろん自分にもさしかかっているのですが、それはどちらかといえば一般的 な人生の姿にすぎません。ただ良寛は「無常まことに迅速、刹那刹那に移る」ということを告示したかった。
<良寛は書くことで、書くことを捨てている人です。>(
『外は、良寛。』
芸術新聞社・1993)
さらに、物語では源氏から浄瑠璃まで、歌謡では今様から念仏、端唄まで、「ひふみよいむな」の七章で展開される、日本の「うた」の絵巻模様 の世界。「たらちねの」で「母」という情報の束を、「ひさかたの」で「光」に関する情報が出てくる、枕詞のパスワードとしてのプロトコル 能力の素晴らしさ。約500種以上ある歌枕も、そこに行かずしてそこにまつわるイメージを喚起し、湧き出る感情まで表象できてしまう 「和歌という方法」の論述。
ぼくは日本の和歌や物語は文芸というより、日本文化の大切なものを保持しておく情報編集装置だったと思っているし、文様や模様や色どり はそれを明示するための必要不可欠な表象だったと思っている。
(
『日本問答』
岩波新書・2017)
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