徒然読書日記202309
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2023/9/29
「沙林」―偽りの王国― 帚木蓬生 新潮社
1994年6月28日の火曜日、たまたま教授室にいた午前11時近く、読売新聞の社会部記者から電話がかかってきた。名を告げて、 東京の神経内科H教授からの紹介だと明かした。H教授とは旧知の仲だった。
「沢井直尚先生ですよね。・・・松本市で原因不明の突発事故があり、7人の死者と200人近い患者が出ています」
これが、後のオウム真理教による未曽有の毒ガス散布テロ「地下鉄サリン事件」の前触れとなる犯罪であることに、その時はまだ誰も気付いては いなかった。というこの本は、「オウム真理教の犯行の全貌を明らかにしなければならない」と感じた著者が、現役の医師としての知識と、作家と しての想像力とを総動員して、膨大な資料を材料に、25年の歳月を費やして織り出してみせた、この卑劣な犯罪の犠牲者となった人たちへの 鎮魂歌なのである。
九州大学医学部衛生学教室の「薬物中毒の権威」沢井教授の視点で描いた、「ほとんど事実」に基くフィクションノベルというスタイルは、 「和歌山カレー事件」を題材に描いた
『悲素』
の続編のような趣で、「これが最後のご奉公」みたいなことを言っていたのに、また引っ張り出されたわけだ。
「松本サリン」「地下鉄サリン」以外にも、「坂本弁護士一家」「目黒公証役場」「警察庁長官殺害未遂」など、様々な事件の経緯が裁判記録 などから執拗に追われ、大勢の犠牲者を出したリンチまがいの「修行」の実態や、道場を隠れ蓑とした工場における毒ガスや銃火器の製造の記録が 丹念に明るみにされていく。ずいぶん昔に、マスコミの報道で確かに「そんな話」を耳にしたような覚えはあるが、いま改めて一連の流れで事件の 記録を聞かされてみると、「本当にそんなことがあったのか」と耳を疑うばかりなのである。麻原彰晃という実在の存在が夢想した国家転覆の夢は、 フィクションを軽く凌駕していた。
「警視庁を含め県警相互間の連携が全くなされなかったために、教団に対する警察の捜査が後手に回ることになった」
「外部と隔絶された空間で、四六時中、単純な論理を繰り返し吹き込まれれば、人は誰でも洗脳される。高学歴で偏狭な専門家であればあるほど ・・・」
「洗脳された宗教心は感染しやすく、自分たちが行使する暴力はすべて、正当防衛と化す。世界の歴史上類を見ない教団による残虐行為は、その 行き着いた先だった」
「治療法不明でも最大限の知識を駆使して救命に尽力した、医療機関の奮闘があまり称揚されていないが、わが国の卓越した医療技術と体制を 等閑視してはいけない」
と、「この未曽有の犯罪は、日本人のみならず人類の記憶に、永遠に記憶されるべき重大さを有している」という著者の発言は重い。事件当時、 多くのメディアがつぶさに追い、膨大な裁判でも個々の事件が裁かれたことによって、事件はすべて明るみに出されたような錯覚を与えているが、
「国松孝次警察庁長官殺害未遂の犯人は誰か?」
「教団の犯行をすべて知り尽くしていた村井秀夫に刺客を送ったのは誰か?」
など、まだまだ未解決の謎は多い。にもかかわらず、「天皇の御代替り」の前にという思惑で、拙速に死刑は執行され、真相の解明は永久に困難 となってしまった。
メディアにも裁判にも欠けていたのは、犯罪の全体像である。さらに、高学歴の連中が何故いとも簡単に洗脳され、やみくもに殺人兵器を作製 したかについては、何ひとつ解明されていない。
2023/9/28
「自壊する帝国」 佐藤優 新潮社
外国に征服された結果、国家が解体されてしまうこともあるが、国家が内側から自壊してしまうこともある。61年前に連合国によって 解体された大日本帝国が前者の例で、15年前に自壊したソビエト社会主義共和国連邦が後者の例だ。
<国家は崩壊することがある。>
というこの本は、いわゆる「ムネオ疑惑」に絡んで偽計業務妨害の容疑で逮捕された顛末を描いた
『国家の罠』
で、「国策捜査」という流行語 を生んだ、「外務省のラスプーチン」こと佐藤優が、読者からの「モスクワ時代の活動をもっと知りたい」という要望に応えて書いた、自分の モスクワ時代の回想録なのである。
同志社大学の大学院で神学を学んでいた著者は、チェコ人神学者を研究するために当時は難しかったチェコへの留学を画策する中で、外務省専門 職員への道を選ぶ。しかし、その梯子は外されてロシア語研修を命じられガッカリしたが、「少なくとも社会主義というものを肌に感じることは できる」とソ連課の扉を開いたのだという。
最初にロシア語の基礎を徹底的に叩き込むために向かった「英国陸軍語学学校」ロシア語科での研修時代と、そこで出会った、亡命チェコ人の 古本屋からの助言。
「ロシア人の生活の文法、内在的論理と言ってもいいんだけれど、それを掴むためには、できるだけ普通のモスクワ市民に近い生活をすることだ。」
(ちなみに、モスクワ大学にある資本主義国家の外交官向けのロシア語コースは、諜報活動妨害のためわざとロシア語を上達させないようにして いるらしい。)
モスクワへ転勤し入学したモスクワ大学哲学部科学的無神論学科(ソ連は無宗教国家を標榜している)の合同特別ゼミにおける反体制派の傑物 サーシャとの出会い。
「共産主義体制下でロシア人は、『どれだけ分け前を得られるかという分配にしか関心を持たない。』マルクス・レーニン主義という腐り切った イデオロギーと一日も早く訣別し、ロシア正教の伝統に則った保守主義を復活させなければならない」
この2つの大きな道標を得た著者は、共産党官僚や学者、ジャーナリスト、宗教関係者、反体制的な活動家など様々なネットワークに、果敢に首を 突っ込みながら、持ち前の強靭な胃袋と肝臓を武器に(ロシア人との付き合いは、会食と飲酒の壮絶な闘いの連続なのだ)鮮やかにその懐深くに 溶け込んでいくのだが、ロシアの友人たちから「ミーシャ」という愛称で呼ばれるようになった著者が、執拗なまでに追いかけていったのは、 ソ連という国家が崩壊していくプロセスだった。
「ゴルバチョフが1985年に権力の座に就いたとき、既にソ連は崩壊していたんだ。俺の貢献はエリツィンにその現実を理解させたことだけだ。 崩壊したソ連の汚染物を処理しながら、新しいロシアという国家を建設しなければならないのが、現在この国が直面している困難なんだよ」 (ブルブリス:初期エリツィン政権の国務長官)
さて、20年も前に書かれたこんな本を、なぜ今さら引っぱり出してきて読んだのかと言えば、もちろん「ウクライナ紛争」がきっかけである。 ロシアが宗主国で、ラトビア、リトアニア、ウクライナ、ウズベキスタンなどのロシア以外のソ連邦構成共和国が植民地であったという見方は 間違っている。という著者のソ連崩壊時の見立てが、そのまま今回の「ウクライナ紛争」の根っこに残っていて、いまだにしぶとく顔を覗かせて いるのではないかと思ったからだ。
「国民的生命のうちに潜む偉大なるもの、高貴なるもの、堅実なるものを認識し、これを復興せしむること」(『真の革命のために』大川周明)
国家の崩壊がその領域に生きる人々に多くの痛みと禍をもたらす現実をその目で見た著者には、それが具体的に何であるかはまだ見えてこない というのだが、
ソ連崩壊の過程で、あの地に生きたロシア人、リトアニア人、ラトビア人などが発見した「国民的生命のうちに潜む偉大なるもの、高貴なる もの、堅実なるもの」から、現下日本人が学び取っていけるものがたくさんあると私は考えている。
2023/9/23
「あちらにいる鬼」 井上荒野 朝日文庫
怯えているのは白木のほうに違いなかった。そっと窺うと、さっきわたしに触れた手で今はシートの肘掛を固く握って、目は中空を 睨みつけていた。滑稽だったが、可愛らしくも思った。大きな声でずけずけと話すこの男が、生きることにそんなにも、それこそしがみついて いるなんて。
「こわかったら、僕にしがみついていていいですよ」
と、その男は揺れる飛行機の中でわたしの右腕に突然触れてきた。運命はわたしのような女をそうそう簡単に死なせてはくれまいから、ちっとも こわくなかったのに。徳島への講演旅行でのほんの些細な出来事。これが、純文学界気鋭の小説家・白木篤郎と、女流流行作家・長内みはるとの <特別な関係>の始まりだった。
それから「おーい」と篤郎は私を呼んだ。ウィスキーのおかわりを持ってきてくれと書斎から呼ぶときみたいに。そして私が出ていくと、 「すまないけど、見舞いに行ってきてくれないか」と言った。
「俺が行くとまたみょうなふうになるから。本当に考え違いをしているんだよ」
と夫があきらかに動揺していたのは、手首を切って病院に運ばれた知り合いの女が自分を呼んでいたからだった。あんたが行ったほうが相手も 納得するというのである。私は行って、夫に言われた結構な額のお金を渡し帰ってきた。行くことがいちばん簡単だった。なぜなら自分がすでに 夫を許そうとしていることがわかっていたから。
篤郎と一緒になってから、私の心は彼という男にふさわしいように作り変えられてしまった。彼ではなく、自分自身によって。
そんなある日、みはるから旅行中のトランプ占いのお礼として著書数冊が届き、夫から礼状の葉書を出しておくよう頼まれる。「占いの効果は ありましたか」とあった。篤郎が「文壇ではぴかいち」と自慢する美人妻・笙子が、夫とみはるとの関係に気付いたのはその時だった。馴染み のある予感はすでにはっきりしたものになっていた。
というわけでこの本は、「男とその妻、そして男にかかわった女」が共有した時間を、妻(笙子)と女(みはる)それぞれの視点から描いていく 物語なのだが、
「白木の妻は、今、どこでどうしているのだろう。何を考えているのだろう。白木のような男と、どんな気持ちで暮らし続けているのだろう。」 (みはるの視点)
「私はそれを避けている。長内みはるから滲み出る篤郎の姿を知りたくない。知れば、あのふたりのことを許せなくなってしまうかもしれない から。」(笙子の視点)
と「白木のような男」と二人で過ごす時間にも、そんな男を間に挟みながら頭に浮かぶ思いは、相手の女のことばかりなのは、
「篤郎がいないときのほうが、私と彼女との間に篤郎が『いる』感じがする。そしてその幻の篤郎のほうが、本物だと思えることがある。」
という、父(井上光晴)とその愛人(瀬戸内晴美=寂聴)との「ただならぬ関係」と、それを静かに眺めている母の姿を、娘(井上荒野)の視点で 描いたからでもあった。
(余談ながら、この物語を読んでいるとどうしても寂聴のアノ顔が浮かんできて集中できなくなるので、映画化された寺島しのぶの顔を思い出す ことをお薦めする。)
さて、「鬼」は一体誰だったのか?「鬼」は自分の内にいるというのが定番だが、著者の回答はさすがに洒落ていて一本取られたという次第である。
「寂聴さんから見たら母のことかもしれないし、母から見たら寂聴さんのことかもしれない。父が鬼ごっごの鬼であるというイメージも浮かび ました。『今、鬼はあっちの人のところにいる』みたいな、ね」(「好書好日」著者インタビューより)
2023/9/6
「まちがえる脳」 櫻井芳雄 岩波新書
正常に働いていても脳はよくまちがえるが、正常に働いているコンピューターはまちがえない。まちがえることがあれば、それは人が つくったプログラムのまちがいである。
<脳はどんなに頑張ってもまちがえてしまう。では、それはなぜだろうか?>
というこの本は、「脳はまちがえる」という事実に焦点を当てながら、まちがいはけっして脳の誤動作ではなく、そもそも不可避であること、 しかしながら、まちがえながら働くようになっているからこそ、新たなアイデアを創造できる、などなど、最新の研究成果を踏まえて脳の本当の 姿に迫ってみせた意欲作なのである。
ニューロンは脳内で信号を発生し伝える基本素子なのだが、その性能はきわめて悪く、たとえば信号の発生はきわめて不安定かつ非効率であること がわかっている。必要がないときでもパラパラと常に発火している、ニューロンの信号が軸索上を伝わる速度は、電線を流れている電気信号の速度 の数百万分の1と途方もなく遅い。軸索上のイオンチャンネルの開閉と、イオンの移動を次々と繰り返すという信号伝達方法だから、速さで比べ れば脳は機械にまったくかなわないのである。
さらに、このバトンリレーとでもいうべきニューロン間の信号伝達はきわめて効率が悪く、次のニューロンの発火に貢献できる確率は平均すると 30回に1回程度。つまり、ニューロンはサイコロを振るように信号を伝えているわけだが、そのサイコロには目が1から100まであり、 当たりの目はわずか数個しかないのだ。
それでは「脳はほとんどまちがえている」ことになるが、そうならないのは、それを数十回に1回だけ失敗する程度に改善するメカニズムが脳には 備わっているからだ。信号を伝える際に1つのニューロンだけでは無力だが、多数のニューロンが協力して同時に発火すれば、受け取った ニューロンに伝わる確率はぐんと向上する。集中しているとき、つまり1つのことに注意を向けているときまちがいは少なくなるが、「注意」と 「同期発火」は関係していることもわかっているというのだった。
もちろん、個々のニューロン間の信号伝達が不確実であることは変わらないのだから、集団の同期発火にもある程度のゆらぎが生じることは 避けられない。その結果、人は時々まちがえるし、いつまちがえるかも予測不可だが、まちがえることにはメリットもあるらしい。それは新たな アイデアの創出、つまり創造である。
ある確率で予期せぬエラーが出力されることがあるから、脳はある確率で意外性のある答えを出すようになっている。それらの多くはエラーと なってしまうだろうが、時には、今までになかった有用な答、つまり斬新なアイデアや発想が出力されるかもしれない。けっしてまちがえない コンピューターにそのような可能性はあるまい。脳が創造を生むプロセスは、生物の進化のプロセスと似ているかもしれない。偶然起こった 遺伝子のコピーミスによる多くのエラーの中から、ヒトは生まれたのだ。
ある意味でいいかげんな脳の神経回路の構造と機能は逆に、独特の冗長性を持つ。部分的な損傷を受けても影響を受けなかったり、大きな損傷でも 回復できるのだ。脳はいいかげんな信号伝達をしてまちがえるからこそ柔軟であり、それが人の高次機能を実現し、個性をつくっている というのが、この著者の主張するところなのだ。
現在の脳科学は、人の多様性と可塑性を保証しており、人を安易に分類することや、その可能性をあらかじめ決めつけることを、強く戒めて いる(はずである)。
2023/9/5
「ねじの回転」 Hジェイムズ 新潮文庫
さっきグリフィンが言った幽霊は――いや、幽霊だか何だか、そういうものが――まず年端もいかない子供の目に見えたということで、 ひとひねりした趣向が出ていたのだね。・・・もし子供だということで、ねじをひとひねり回すくらいの効果があるなら――
「さて、子供が二人だったらどうだろう」
クリスマスイヴに古い館で開かれた怪談話を聞く集まりで、お開きとなる直前にダグラスが「あれに匹敵するようなものは、ほかに知らない」と 語り出したのは、イギリス郊外の伝統的な貴族屋敷に、両親と死別して暮らす「天使のような」幼い兄妹二人の伯父から頼まれて、住み込みで 養育することになった家庭教師の話だった。やっと二十歳の貧乏な家庭の末娘である彼女の、富豪の伯父への淡い恋心のようなものが仄めかされた 後、彼女が遺した手稿なるものが披露され、朗読が始まる。
そう・・・この「おどろおどろしく醜悪で、空恐ろしく、苦しいばかりの」凄惨な物語は、<私>の一人語りで幕を開け、それが幕を閉じるまで 続くのである。
マイルズは乗合馬車から降ろされた宿屋の前で、さびしそうな人待ち顔をしていました。これを見た瞬間、その妹を初めて見たときと同じく、 純粋の気が香り立つばかりの子が、みごとな清新の光に心身を包まれていると思いました。
9歳の兄マイルズと8歳の妹フローラ。目にした瞬間から「優しくしてやりたいという愛情だけが残ってあとはみんな流されてしまう」信じがたい ほど美しい兄妹。こんな子たちと知り合いになれるだけで大変な果報と、赴任するまでの不安な気持ちを払拭し、舞い上がっていた<私>だったが ・・・いきなり「出た」のである。
「で、服装は・・・」「あれは借り着でしょう。上等な身なりでしたが、自前の服ではなさそうです」
グロースさん(屋敷に永く勤めている女中頭)は息詰まるように絞り出した声で、裏付けとなることを言いました。「旦那さまの服ですよ!」
それは身の回りの世話係をしていたクイントの幽霊だった。そしてもう一人、彼と密通していて亡くなった前任の家庭教師ジェセルの幽霊も・・・
彼らが何のために出てくるのか全く見当がつかない<私>は、自分には見えないというグロースさんから、なんとか背景にある事情を聞き出そう とする。どうやら幽霊の標的は子どもたちであるらしいと気付いた<私>は、何とか子どもたちを守ろうと決意するのだが、それはかえって子供 たちを怯えさせてしまう。子どもたちにも実は幽霊が見えていて、にもかかわらず、それを隠そうとしているのではないか?それとも、幽霊など <私>が作り出した幻想ではないのか?
「あの二人はあの二人のことを話してるんです。とんでもない会話です!こんなことを言うと私がおかしくなったと思うでしょう。おかしく ならないのですから不思議ですよね。あんなものを見てしまったというのに」
この子どもたちを守ることは、<私>の憧れの人から与えられた使命なのだから、子どもたちはいつまでも<私>の腕の中で育んでいかねば ならない。呪縛を解かれて大人へと巣立とうとする少年を繋ぎとめる、その目的のために出現したのがこの幽霊なのであれば、実は<私>こそが 幽霊だったのかもしれない。
こうして、ねじはギリギリと<私>の心を締め付け、物語は後戻りのできない大団円へと突き進んでいくのだった。
私を苦しめている怪事件は、もちろん異常な、また不愉快な方向に押す力として作用します。しかし、ねじを回転させて、ひとひねりでも前へ 進めるように、まともな人間性を働かせるならば、しっかりと立ち向かうこともできましょう。そう考えるしか道はありませんでした。
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