徒然読書日記202307
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2023/7/29
「小説で読みとく古代史」―神武東遷、大悪の王、最後の女帝まで― 周防柳 NHK出版新書
古い時代ほど史料が乏しいので、そのぶん迷うことも多くなります。物証がないなら「仮説」で補うしかありません。その仮説を極限まで ふくらませ、模糊たる靄の底に沈んでいる風景をリアルに現出させたもの――が、「小説」です。
というわけでこの本は、正統派の大河小説や文芸色の濃い作品から、SF、ミステリー、漫画まで、歴史の問題を強く意識している中編以上ならOK という姿勢で、2,3世紀の邪馬台国のころから、8世紀の平城京のころまでをテーマにした古代史小説を選び、そこに描かれている「仮説」に 学んでみようという試みなのである。
「小説から歴史を探る?それでは方向が逆ではないか?」という問いに、「空想妄想から浮かび上がってくる真実のようなものもきっとあるはず」と 答えているのは、著者自身が『蘇我の娘の古事記』など、日本史に題材をとる作家だからだ。小説は恰好の思考実験の場であり、よきシミュレーション 装置だと考えているのだという。
たとえば、1章<邪馬台国は二つあったか>では、『魏志倭人伝』に書かれた倭国の記述から、その位置に「畿内説」と「九州説」の論争があること が詳述された後、「九州説」からは、北部九州の正統派の女王として君臨した卑弥呼に、通訳として仕えた「あずみの一族」を主人公として描いた、 帚木蓬生の『日御子』と、父は北方の騎馬民族で、母は魏の曹操の娘という尖った設定で、非定住性の遊牧民の女王として卑弥呼を造形した、 豊田有恒の『倭の女王・卑弥呼』が、「畿内説」では、何とあの浅見光彦が邪馬台国の候補地である纒向遺跡で起きた殺人事件の解決に奔走する、 内田康夫の『箸墓幻想』が取り上げられたりしている。これ以外にも、黒岩重吾や高木彬光の「九州説」、さらには鯨統一郎による仰天の「岩手・ 八幡平説」を紹介した後、自身の考えを披露している。
邪馬台国がどこにあったのかは、じつはすでに判明しているのかもしれません。しかし、現代日本のトップシークレットとしてかたく秘されている、 とか。・・・小説としては、このあたりが開拓領域かもしれません。
と概ねこんな感じのノリで、<神武東遷>、<応神天皇と河内王朝>、<継体天皇と蘇我氏>、<天智と天武>、<不比等と女帝たち>の時代の謎が 語られていく。最終章<カリスマ持統の狙いは何か>では、夫・天武を継いだ持統から、元明、元正、孝謙、称徳と8代中5代(4人)が占める 「女帝の世紀」が取り上げられる。
亡き夫が実現し得なかった「大宝律令」を完成するため、勢力を盛り返した豪族たちに、巌のような精神力で立ち向かう持統女帝を描いたのは、 澤田瞳子の『日輪の賦』。念願通り孫の文武に譲位した持統女帝が葬ったのは、息子・草壁のライバル大津皇子だけではなかったという、持統の闇を 暴いたのは、坂東眞砂子の『朱鳥の陵』。澤田は折り目正しい歴史小説で女帝の「光」を、坂東はホラー風味の変化球で「影」を描きながら、どちら の人物像にも説得力があるところがおもしろいのだという。
この百年は天武天皇の系統が守られた世紀でした。壬申の乱によって天智天皇の血筋が排除されたのち、兄弟間相続は否定され、持統天皇が中心と なって片意地のような直系継承が完遂されていきました。(中略)しかし、私はその外にももう少し、別の力学が働いていたのではないかと想像する のです。そこに見え隠れしているのは、爪を隠して雌伏していた天智天皇の後裔たちの存在です。
このあたりのことについては、馳星周の
『比ぶ者なき』
が、藤原不比等の野望も絡め描かれていて、とても分かりやすいのではないかと思う。また、これは小説ではないが、梅澤恵美子の
『天皇家はなぜ続いたのか』
も、参考になる かもしれない。小林惠子の
『白虎と青龍』
は、 参考にはならないだろうが、ぶっ飛んでいて面白い。
2023/7/18
「新版 映画は死んだ」―世界のすべての眺めを夢見て― 内田樹 松下正己 いなほ書房
「光は、夜を背後から討つだろう」
画面外からの声が語りかける。映写機の作動する音。海辺の部屋。緩慢に開いていこうとするフレンチ・ウインドウ。窓の外いっぱいに朝焼けの空が 広がる。
映像とモノローグと様々な引用によるテクストと音楽の驚異的なコラージュによって、映画そのものを語ろうとした『右側に気を付けろ』などの ゴダール作品が、実は、ヴィデオで観てもあまりにも単調で面白くないのは、彼が希有の「映画」作家であるからだと、映画は常に映画館の暗闇を 必要としていることを論じながら、映画館が衰退し、家庭用ヴィデオデッキによる映画「視聴」が日常のこととなった今こそ、映画館の意味について 考えておく必要があるという「映画館」論。
われわれが自明のものとして無視しながらも、実は映画受容体験の基礎を支えていると思われる、映画館という概念とその具体的な構造は、映画の 短い歴史の中で、どのように形成され確立していったのだろうか。
といった感じで、さらには映画の感情論、映画の身体論を加えるという、精密な構成で<映画の終焉>を論証しようとする松下正己の「映画論」と、
1979年から1992年にかけて製作され、大きな商業的成功を収めた『エイリアン』シリーズ三連作の中心にあるのは、「体内の蛇」という 説話的原型である。
体内に「蛇」の「卵」が入り込み、膨らませた宿主の腹を食い破って寄生主を死に至らしめるというプロセスは、「妊娠と出産」のメタファーであり、 父権制社会の手厚い保護のもとで特権を恣にしているエイリアンに、「自立する女性」が立ち向かい勝利するという、フェミニズムの興隆期に 相応しい物語だった。しかしそれは同時に、フェミニズムの「検閲」によって抑圧された「欲望」のプロテウス的変身の歴程でもあったと説き 起こされる「フェミニズム」論。
このような映画のあり方はたしかに「正しく」はない。私たちはそれに同意する。けれども映画は「正しい」思想よりもしばしば「広く」「深い」。 私たちはこの「映画の狡知」を愛する。おそらく、そこに「世界の基底」に通じる隘路を見出すからである。
といった感じで、『サイコ』や『ニキータ』から『昭和残侠伝』まで、鮮やかに切り刻む手際の良さで読者を楽しませることを禁欲的に追及する 内田樹の「映画論」と。
<松下の論文を続けてふたつ読むといささか厭世的になるし、私の論文を続けてふたつ読むと自堕落な気分になってしまう。>(@内田樹のまえがき) からと、交互に並べられたそれぞれ4編ずつの論文で、内田は「映画批評」の不可能を論じ、松下は「映画の自死」を予告しているようなのである。
批評が「例外的に知的な少数者のためのもの」という看板を掲げている限り、批評はクライアントに窮しない。「社会に対して冷たいまなざしを 向ける」ポーズを忘れなければ、批評は必ずや「ハイ・カルチャー」になる。「好戦的・参加型批評」の実践者たちは、この凡庸で悲痛な事実に 対してあまりにも鈍感であるように私には思われる。
<「恥の感覚」「疚しさ」があるいは批評にとっては思いのほか重要なことなのかもしれない。>(内田樹)
もはや映画は光り輝く唯一無比の存在ではなくなってしまった。世紀を超えて映画も映画館の形式も存続してはいくだろうけれども、人々が暗闇の 中で自己を投射し、映画内世界と融即を図り、世界を創造し続けてきた映画という概念は、確実に終わりのときを迎えているのだ。
<二十世紀の終焉と共に、映画は死のうとしている。映画万歳。>(松下正己)
2023/7/12
「月と六ペンス」 Sモーム 新潮文庫
「女ってのは精神が貧困だ。愛、何かというと、愛だ。男が去る理由は心変わりしかない、と決めつける。きみは、わたしを女のために こんなことをするような馬鹿だと思っているのか?」
「じゃあ、どうして奥さまを捨てたんです?」
「絵を描くためだ」
ロンドンの株式仲買人としてそれなりの成功を収めていた、17年も連れ添ってきた夫人によれば「すごく退屈な男」だ、というストリックランドは、 40歳を迎えて、突然、仕事も家庭もなげうって、パリへと出奔してしまう。夫人も含め周囲の者はみな「女を連れてパリへ駆け落ちした」と勘ぐる のだったが、懇願されてパリに赴くことになった駆け出し作家の「わたし」は、聞いていたのとは大違いの場末のみすぼらしいホテルに独りで暮らす ストリックランドと再会する。
「かりにあなたにまったく才能がないとして、それでもすべてを捨てる価値があるんですか?ほかの仕事なら、多少出来が悪くてもかまわない でしょう。ほどほどにやっていれば、十分楽しく暮らしていけます。だけど、芸術家という職業はちがう」
「きみは大ばか者だな」
「描かなくてはいけない」と言っているのだとストリックランドは答えた。川に落ちれば泳ぎのうまい下手は関係ない。描かずにはいられないのだ と・・・
というわけで、言うまでもなくこの本は、20世紀前半の英国を代表する大作家モームの、空前の大ベストセラーの新訳だが、実は暇人は初めて 読んだのである。物語はこの後、作画に没頭するばかりで生活に困窮し、病に倒れたストリックランドの、その「天才」をただ一人見抜いていた 凡庸な画家ストルーヴェに救われ、にもかかわらず、彼の溺愛する妻ブランチを寝取ったかと思えば、すぐに飽きて捨て去り自殺に追い込む、という 悲惨な結末を残して、ふたたび姿を消す。
「人生には意味などないんだ。ブランチが自殺したのはおれが捨てたからじゃない。ただ愚かで不安定な女だったからだ。だが、あいつの話はもう たくさんだ。まったくどうでもいい女なんだから。」
それから15年。偶然タヒチを訪れたわたしは、各地を転々とした末にこの島に辿り着いたストリックランドが、この島で描いた絵によって名声を 得ていたことを知る。島の娘アタと結ばれた彼は、描きたいという情熱に取り憑かれたように創作に没頭し、やがてハンセン病という業病に侵されて、 9年前に亡くなっていた。寝床に人間の姿をとどめていない哀れな物体がある悪臭に満ちた部屋。往診に訪れた医師がそこで見たものは、言葉に 表せないほどの迫力がある神秘的な絵だった。
彼がこの島にきて多少なりとも優しくなったとは思えないし、利己的でなくなったとも、残忍でなくなったとも思えない。まわりの人間が好意的 だったのだ。・・・ストリックランドは、この地で、祖国の人間には期待も望みもしなかったものを手に入れた――つまり、理解を。
と、あらすじを紹介しているだけで、自分がストーリーの展開に一気に引きずり込まれてしまい、思わずもう一回読んでみようかと思ったくらい 面白い本なのだが、暇人が一番気に入っているのは、登場する人物の「一筋縄ではいかなさ」が、絶妙なやり取りのテンポの中にくっきり浮かび 上がってくるシーンである。たとえば、
「あなたがそんなに感傷的な人間だったなんて、がっかりです。人の同情心に訴えるような子どもじみたまねはしてほしくなかった」
「あんたが金を出していたら軽蔑してたよ」
「出さなくて正解でした」
いかがですか?
2023/7/9
「尾形光琳」―江戸の天才絵師― 飛鳥井頼道 ウェッジ
社の沢の杜若は今が見頃で、妍を競うように咲き乱れている。この杜若を前に舞台がしつらえられ、毛氈が敷かれている。そこには衣冠束帯 に身を包んだ御公家集が、雛人形のように座り、背後に家宰や用人が控えている。こちらは麻裃の正装だ。
<この日、大田の社では御公家衆の歌会が開かれていた。>
元禄4年(1691)4月15日。京都の呉服商雁金屋・尾形宋謙の次男として生まれた市之丞は34歳を迎え、浩臨と改名してこの歌会にお伴と して参加していた。
というわけでこの本は、寛文3年(1663)に6歳で初めて東福門院(雁金屋の最上のお得意様)にお目にかかった日から、享保元年(1716) 徳川家継が没した年に59歳であの世に旅立つまでの尾形光琳の行跡を、史実としての年譜の中の「ある日」のスケッチとして辿った記録である。 とはいえ、副題にある「天才絵師」としての尾形光琳の創作風景の描写はほとんどなく、女癖の悪さと金勘定の不器用さばかりが目立つような気が するのは、
夫光琳は、東福門院様に初めてお目にかかった日のことを、その女院の袂から漂っていた伽羅の香りと、御殿の階の前に咲き初めていた紅白の梅の 姿とともに、よく覚えていると申しておりました。
という妻・多代女からの聞書によって、このお話が描かれていくというスタイルを取っているからだ。(光琳は創作の現場を妻には見せなかった のだろう。)私たち読者が実際に目にすることができるのは、本文から随分離れた位置に挿入された有名な「紅白梅図屏風」(MOA美術館蔵)の カラー図版のみだが、出来上がった作品を目にし、世間の評判を耳にして、ようやく光琳という男がいったいどれほどの「天才」であるのかに気付く のは、妻も同じ立場なのである。
兄・藤三郎、弟・権平(尾形乾山)との兄弟間の確執、家業の没落、それでも「物数寄」を押し通し、人を人とも思わぬ驕奢を誇る光琳への毀誉褒貶 の連続の日々。正徳6年(1716)、病の床に臥すようになった光琳は、「をなごのことでは何度も泣かした。済まんと思てる」と初めて多代に わびる。
「多代は菫草やな思てたんや。梅のように気品があるわけでもない。杜若のように艶麗なわけでもない。水仙のような清楚さも、菊のような豪華さも 似つかわしうない。野辺にひっそり咲く小さな花や。小さいけど可憐な花や。愛らしゅうていとしい花や」
「あんた、無理してそんなお世辞言わんでもええんよ」と言いながらも、光琳の手を強く握りしめていた多代だったが・・・ちょっと待って、 そんなんで騙されていいのか?「菫草」の挿絵は描かれてさえいないのに、たとえば冒頭のエピソードには、あの有名な『燕子花図屏風』(根津 美術館蔵)がしっかり添えられているのだ。
夫光琳は、大田の沢で杜若の群青の花が咲く度に、さよ(幼馴染の初恋の女性)のことを思い出すんやと、よく申しておりました。
と、自分でもそんなことはわかっていたはずなのに、「あんたの子ども、産めへなんだこと、お詫びせなあかんのはうちや」とまで口走ってしまう なんて・・・
というわけで、こんなふうに尾形光琳が遺した作品から、ここまでの物語を紡ぎ出してしまったのだとしたら、この著者の妄想力には脱帽と思った 次第なのである。
2023/7/3
「地図と拳」 小川哲 集英社
「君の報告書には、未知の土地を夢想する人類の歴史が書かれていた。満洲は未知の土地だ。君はそこに理想の国家を書きこむ。僕はその 実現に向けて、必要な資源や人材を用意する」「なんの話をしているのだ」「国家の話だよ」と細川が言った。
<これから満洲に、国家を作るのだ。>
東京帝大で気象学を研究していた須野は、満鉄の歴史地理調査部から「黄海にあるとされる青龍島という小さな島が実在するか、調査してほしい」と 依頼を受ける。存在しない島が存在しないことを証明する、というこの難題に寝食を忘れ没頭してきた須野の元に、ある日満鉄の細川と名乗る男が 現われ、暫く付き合った末に、「満鉄に来ないか」と誘われる。「君は仕事の過程で満洲の地図を調べることになるだろう。つまり君は、仕事の知識 を青龍島の報告書に活かすことができる」と。
第168回「直木賞」受賞作品。
全20章(1899〜1955年)600ページ超に渡って繰り広げられるこの重厚な物語の中では、冒頭の須野の辿った人生などあくまで1つの ケースに過ぎない。ロシア軍の狙いを探るという参謀本部の特命を帯びた軍人の通訳としてハルビンに渡りながら、奉天の東に石炭資源があるという 情報を得た、インテリ学生の細川。満洲地方の測量計画に随員として参加し、黄ロシア構想によるロシア人入植のため、満洲各地に教会を建てると いう使命を与えられた、ロシア人宣教師クラスニコフ。叔父に騙され一攫千金を夢見て、東北にあるらしいという「理想郷」へと逃避し、結局裏切ら れた末、厳しい自己鍛錬を耐え抜いて支配者の座に登り詰めた楊日綱。などなど、数奇な生い立ちを抱える様々な人物がそれぞれの思惑を胸に次々と 登場し、自らの理想を実現せんと格闘する中で、複雑に絡み合っていくことになる。
彼らを誘い込む物語の舞台となるのは、千里眼を持つと豪語する「李大綱(リーダーガン)」が支配してきた、奉天の東にある村「李家鎮 (リージャジェン)」。義和団とロシア軍に蹂躙された李家鎮を李大綱から奪い取った楊日綱は「孫悟空(ソンウーコン)」と名乗り、町を東北随一 の炭坑都市「仙桃城」へと発展させる。支那と日本の資本が投下され、荒野だった場所に隙間なく建物が建つようになった仙桃城だったが、やがて 日中戦争の影は深まり関東軍が侵出してくる。そして「満洲国」が建国され、孫悟空が経営する仙桃城の大型建築「千里眼ビルディング」に、 「戦争構造学研究所」が設立される。それは満鉄を辞めた細川が、国家間の戦争とその結果を物理学のように予測するために設置され、若手官僚など エリート達の「仮想内閣」によるシミュレーションを行うための組織だった。
細川は言う。国家とはすなわち「地図」であり、地図がある限り「拳」はなくならないと。戦争構造学とは地図と拳の両面から、日本の未来を考える 学問なのだと。
1955年春。10年ぶりに仙桃城を訪れた須野の息子・明男はコンペ優勝者として自らが携わった「李家鎮公園」広場の跡地に立ち、目を瞑った まま振り返る。日本軍が撤退してからすぐ、ソ連軍がやってきて仙桃城は廃墟となった。目を開くと、ありえたかもしれない現在が、変えようのない 現実の中に吸いこまれていく。
ここまできて、初めて私たちは気付くことになる。この長大な物語の主人公は、他でもない、満洲の名もない小さな町だったのだということに。
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