徒然読書日記202306
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2023/6/30
「神と科学は共存できるか?」 SJグールド 日経BP社
私が本書でとりあつかう問題とは、「科学」と「宗教」とのあいだにあるとされている対立である。この論争は、人々の心と社会的な 実践のうちにのみ存在するのであって、科学と宗教というたがいにまったく異なり同等に大切な主題の論理や適切な有効性のなかに存在するもの ではない。
「NOMA原理」(Non-Overlappinng Magisteria)―非重複教導権(マジステリウム)の原理―
<敬意をもった非干渉――ふたつの、それぞれ人間の存在の中心的な側面を担う別個の主体のあいだの、密度の濃い対話を伴う非干渉――という 中心原理>
科学のマジステリウムが事実と理論に基づく経験的な領域であるのに対し、宗教のマジステリウムは究極的な意味と道徳的な価値の上に広がって いる。科学と宗教が平和的に共存し、私たちの現実の生活と倫理的な生活を、ともに手をたずさえて豊かにしてくれる、という前提から出発する ことは尊重すべきだが、協力して活動するのだから方法論と主題も共通するはずと推論し、なんらかの壮大な知性の枠組みが、科学と宗教をひとつに するだろうと思い込むことは誤りだ。
<それはお互いの領域侵犯なのだ。>
私には、科学と宗教が、どのような共通の説明や解析の枠組みにおいてであれ、どうすれば統一されたり統合されたりするのか理解できないが、 しかし同時に、なぜこのふたつのいとなみが対立しなければならないのかも理解できない。
というこの本は、進化論の専門家の間では主流派となった「適応主義」に対し、「断続平衡説」を武器に孤独な闘いを挑み続けながら(参照:
『理不尽な進化』
)、優れた科学解説書の 書き手として愛読者も多かった古生物学者のグールドが、「科学と宗教の関係」という究極のテーマについて最後に書き遺した一冊なのである。
グールドがそれまでの著作とは異質なテーマの本を最後に書くことになったのには、進化を否定する「創造主義」の隆盛というアメリカ独特の背景が あったという。「聖書は文字どおり真実である」と信じる「原理主義」運動の活動家たちは、神が無からすべての種を個別に創造されたと主張し、 進化を教えることに反対する。グールドにはまた、「創造主義運動」に抗して戦い続けた闘士としての顔があり、この本はそんな活動の中で深め られていった思索の集大成でもあったのだ。
とはいえ、「科学者が宗教家に遠慮する必要などどこにあるのか」と「神の存在」を一刀両断する、論敵にして盟友の
『悪魔に仕える牧師』
ドーキンスに比べれば、 宗教が科学の領域に介入することを厳しく弾劾することは同様でも、科学も倫理や道徳など宗教の領域に不用意に踏み込むべきでないと、執拗に 主張している。科学も宗教もそれぞれに独立で重複するところのない「教導権」なのだから、敵対したり論争したりするのは無駄であり、互いの 「教導権」を尊重すべきという。NOMAは科学と宗教のそれぞれの立場を大切にする――それぞれが人間に貢献をもたらす「ちとせの岩: 原題 Rocks of Ages」だというのだが・・・「科学と宗教とのあいだの偽りの対立」への解答としては、ドーキンスよりグールドのほうが、よほど 頑なで容赦のないもののような気がするのは暇人だけだろうか。
古いきまり文句を引用すれば、科学は「岩の年齢 Age of Rocks」を知り、宗教は「ちとせの岩 Rock of Ages」を知るのである。あるいは、 科学は天がどのように運行しているかを研究し、宗教はどのようにして天に行くかを研究するといってもいい。
2023/6/15
「大和朝廷の起源」―邪馬台国の東遷と神武東征伝承― 安本美典 勉誠出版
『日本書紀』は語る。神武天皇は、西暦紀元前の660年にあたる年に、大和の橿原の宮で即位した、と。このような『日本書紀』の年代 は、大幅に延長されている。
<大和朝廷は、いつ、どのように成立したのか。>
というこの本は、「大和朝廷の権力者たちの作った『古事記』『日本書紀』の古代の記事は信用できない」と、神武天皇の存在すら神話伝説上の人物 と疑ってしまう、戦後日本の古代史を牛耳ってきた津田左右吉流の日本文献学に、一貫して激しい論争を挑み続けてきた古代史研究者による、反撃の 狼煙のような本である。
天皇の年代を、従来考えられているよりも短めに縮めさえすれば、日本文献や中国文献の記事も、考古学的事実も、統一的、整合的に説明できる 見込みがある。つまり、神武東征伝説は(年代が延長されているにしても)、いつかこの日本で起きた史実を、伝承の形で伝えているものに違いない、 というのである。
手にする武器は「天皇の平均在位年数」を用いた、テキストの「数理文献学」的な分析である。(興味のある方は
『新・朝鮮語で万葉集は解読できない』
も どうぞ)これに比べれば、何を疑い何を信ずるかについての客観的基準を提供もしない津田史学の文献批判など、主観的にひたすら疑わしいと述べて いるだけだと手厳しい。すなわち、実年代がはっきりしている第31代用明天皇以後の天皇の平均在位年数は、11〜15年程度。これを用いて 推定の誤差計算をしてみると、日本建国(神武天皇即位)を紀元前660年とした建国神話の年代は大幅に後ろに送られ、神武天皇は西暦280年 ごろに活動していた人物となる。そして・・・記紀では神武天皇より5代前とされる天照大御神は、西暦230年ごろの人(神ではなく)となる のだが、これは女王卑弥呼が活躍した時期と重なってしまうのだ。
<神武天皇は、なぜ、東征したのだろうか。>
邪馬台国は北九州にあり、その邪馬台国が神話化し、伝承化したものが『古事記』『日本書紀』の伝える「高天の原」であると考える著者は、 天照大御神(=卑弥呼の神話化)の後継勢力が、南九州(=天孫降臨の地)よりも生産力の豊かな地への植民地化革命運動として、東へ向かった のだとする。弥生時代に九州を中心に分布していた刀剣、矛、鏡、玉、鉄、墓のすべてについて、それらに関連する記事を、記紀の神話や 『魏志倭人伝』にも見出すことができるが、近畿を中心に分布していた銅鐸については、記紀にも『魏志倭人伝』にも見出せないことなどからも、 政治の中心が九州から畿内へと動いたことがうかがえる。この「邪馬台国東遷説」によれば、いわゆる「邪馬台国問題」とともに、わが国の成り立ち に関する基本的な問題は、ほとんど解決してしまうのだ。
<これは、ひとつの仮説である。>
しかし、ある仮説をもうけ、それによって理論を発展させて行くということは、現代科学が、対象の研究のために取る常道であるのだから、これが 妥当であるか否かは、その仮説から導きだされる体系が、諸種のデータを矛盾なく包括的に説明しうるかにかかっているはずだ、というのがこの本 における著者の主張なのである。
2023/6/9
「エーゲ 永遠回帰の海」 立花隆 写真=須田慎太郎 ちくま文庫
突如として私は、自分がこれまで歴史というものをどこか根本的なところで思いちがいをしていたのにちがいないと思いはじめていた。
1972年、1日千円ぐらいの予算で地中海周辺の国々の貧乏旅行を続けて辿り着いた、シチリア島セリエヌンテの遺跡。そこで覚えた感動のための 震え。ギリシア指折りの植民都市とはいえ、さして有名ではない都市の痕跡。それが立花が古代遺跡の美しさに魅せられることになった、最初の衝撃 的な出会いだった。
<知識としての歴史はフェイクである。>
たとえば、ギリシア北部のフィリピの遺跡には、パウロが入れられた牢獄だという地下牢の跡が残っているのだが、フィリッポス2世のフィリッポス が、シェイクスピアのフィリパイと、新約聖書のピリピと、みな同じ一つのこの町を意味していることなど、歴史の重なりがある遺跡の現場に来て みなければわからない。記録されざる歴史、後世の人が何も知らない歴史こそが最も正統な歴史なのであり、千年単位の時間が見えてくることが、 遺跡と出会うということなのだと・・・
というわけでこの本は、それから10年続いた「ロッキード裁判」取材の、長年の慰労を兼ねたご褒美として企画された、写真家同行の旅行記録 なのである。『田中角栄研究』を書く直前までは、世界を旅してまわることに熱中していたので、またあの世界に戻りたいと思っていたと述懐にも あるように、「本当に書きたかったのはこういう本だった」とばかりに、枷を外された立花の筆は哲学や宗教や文明をめぐる思索に分け入り、 どんどん翅を伸ばしていくかのようだ。
もっとも、自分が書いた本の中で一番気に入っていると自賛するほどのものかはわからないが、これは
『思索紀行』
で果たされなかった約束の本 なのだそうだ。ちなみに、『月刊プレイボーイ』のこの企画は雑誌連載を終えたらすぐに単行本にまとめられる予定だったが、田中側の反撃で ロッキード裁判の仕事が再開され、単行本化の作業が休止したまま、20年の時を経過することになる。写真家・須田慎太郎の7千枚にも及ぶ写真 も、あわや「お蔵入り」の危機だったのである。そんな事情もあって、この本の前半1/3を占める長い長い序章は、沢山の美しい写真と長めの キャプションで構成されているのだが、これは、本ができないことに業を煮やした須田がフォトサロンで開いた『エーゲ 永遠回帰の海』という個展 のプログラムに、立花が寄せた解説文なのだという。
テキスト部分に相当な加筆をしないと本1冊分にならないという先入観から、いざ加筆をはじめるととめどなくふくらんで、とても納まりきらないと いう悪循環。それは、繰り返してきた再起動と再中断の試みの中で、すでにそこに存在していたコンテンツの、茫洋と広がっていた不定形のものに、 形を与えてくれたものだった。
――遺跡を楽しむのに知識はいらない。
黙ってそこにしばらく座っているだけでよい。
大切なのは、「黙って」と「しばらく」である。
できれば、2時間くらい黙って座っているとよい。
本書は写真集でもなければ、写真入りの文章本でもない。写真と文章がお互いに強く自己主張をしあい、かつ補完しあう、写真家と文章家の合作本 である。
2023/6/6
「日本の包茎」―男の体の200年史― 澁谷知美 筑摩選書
日本人男性の多くは包茎であることを恥ずかしいと思っている。・・・包茎者がマイノリティならば、恥ずかしいと思う気持ちもわからない でもない。しかし、仮性包茎は日本人男性のマジョリティであるといわれる。
たとえば、神奈川県でおこなわれた医学調査では、仮性包茎が約63%、真性包茎が約2%、露茎が約35%で、仮性包茎がもっとも多かったのだ。 <仮性包茎にたいする日本人男性の恥の感覚は、歴史的にどのようにして形成されたのだろうか。これが本書の問いである。>
というこの本は、東大教育学科への「修士論文」が元となった
『日本の童貞』
以来、一貫して男性の セクシュアリティの歴史を研究してきた教育学者が、医学書から雑誌広告まで、「包茎」をキーワードに検索してヒットしたあらゆる文献を対象に、 包茎をめぐる価値観の変遷をたどった「史的言説分析」の試みなのだ。
<多数派なのに恥ずかしい>という仮性包茎をめぐる恥の感覚。それが形成された歴史を検証するために、この著者が立てた仮設は2つ。 (学術論文的手続きだネ)
仮設@ 仮性包茎にたいする恥の感覚は、美容整形医によって集客のために捏造された。
仮設A 仮性包茎という概念は、美容整形医によって集客のために捏造された。
仮設Aは、そもそも真性包茎に比べ清潔にしさえすればトラブルもないものに、「病気感」を付与するためにあえて「包茎」と名指したものだった、 という意味だ。結論から先に言うと、第1章冒頭の戦前までの資料検証の段階で、仮設@、Aは共に否定されている。「仮性包茎」という言葉は 戦前から盛んに使われていたし、徴兵検査における「M検」(Maraの検査)において、皮被りの者の多くがこっそり皮をたくし上げるような「土着の 恥ずかしさ」は、すでに存在していたのである。しかし、この時代の医師たちの仮性包茎の扱い方は「亀頭を退却することの容易なるものは強ち手術 するの必要を認めない」など、概して「やさしい」ものだった。
そんな仮性包茎への言説が、「短小につながる」、「いつも早漏気味」など、「きびしい」論調に変わるのは、1960年代におとずれた性器整形 ブームからであり、『平凡パンチ』、『ホットドッグ・プレス』などの青年誌に包茎言説の主戦場が移った1970年代以降には、「包茎を嫌がる 女の意見」が取り上げられるようになる。
雑誌の記事で女のコに「包茎の男って不潔で早くてダサい!」って言わせて土壌を作ったんですよ。 (高須克弥への2007年のインタビュー)
「土着の恥ずかしさ」は、<フィクションとしての女性の目>を通して、「作られた恥ずかしさ」へと昇華されたということになる。こうして雑誌に 掲載された数々の「女性たちの包茎ディス」は、男が依頼し、男に読ませるという、「男による男のための言説」だった。実のところ、「お前の包茎 チンポは同性に見られている」と言われるほうが、「女は包茎をどう見ているか」より、男にとってはキツいのである。
<なぜ女が、しかもフェミニストが包茎研究を?>と本書を手にした誰もが持つであろう疑問に、あとがきでこの著者は「男が幸せにならなければ、 女もまた幸せにならないと思ったからだ」と答えている。
女が男から受けている有形無形の暴力の少なからずが、男が同性間の関係において受けた暴力が移譲されたものだと筆者はふんでいる。だから、 男同士の関係から暴力を排したい。そして、男から女への暴力が止む社会を実現したい。本書はそのための小さな布石である。
2023/6/6
「人間の建設」 小林秀雄 岡潔 新潮文庫
小林 今日は大文字の山焼きがある日だそうですね。ここの家からも見えると言ってました。
岡 私はああいう人為的なものには、あまり興味がありません。
と「いっぺんお目にかかってお話しをうかがいたいと思っていたので出向いた」という小林の、時候の挨拶のような問いかけから始まったこの対談は、 「山はやっぱり焼かないほうがいいですよ。」という岡の、下世話な話題はいきなり遮断するかのような応答で、ある意味で<不穏な>空気さえ漂い 始めるのだったが、「ごもっともです。」と鷹揚に受け止めて見せた小林は、それでは<学問を好むという意味>についてどのようにお考えかと、 鮮やかに局面を転回してみせる。
これは、世界中の数学者が挫折した三大問題を一人ですべて解決するなど、多変数解析函数論で独創的な業績を残した<日本数学史上最大の天才> 岡潔と、『様々なる意匠』を皮切りに、『無常ということ』『本居宣長』などの著作により、日本における近代批評の表現を確立した<文系的頭脳の 天才>小林秀雄が、学問、芸術、酒、自然科学、美的感動、近代数学、素読教育などなど、様々な分野を駆け巡りながら示唆に富んだ言葉を刻んで いく、<知的バトル>の軌跡なのだ。
岡 人は極端になにかをやれば、必ず好きになるという性質をもっています。好きにならぬのがむしろ不思議です。
小林 むずかしければむずかしいほど面白いということは、だれにでもわかることですよ。そういう教育をしなければいけないとぼくは思う。
学問を好むという意味がわからない、いまの小中高等学校の先生方はむずかしいことが面白いという教育をしないので、学問の権威が社会に認められ ていないという。
小林 ベルグソンは若いころにこういうことを言っています。問題を出すということが一番大事なことだ。うまく出す。問題をうまく出せば即ち それが答えだと。
岡 問題を出すときに、その答えがこうであると直観するところまではできます。できていなければよい問題でないかもしれません。
数学ではその直観が事実であるという証明が必要で、それが容易ではないのだが、哲学においてもいらないわけではなく、ただ、数学的ではないと いうだけなのだ。
小林 あなたは確信したことばかり書いていらっしゃいますね。自分の確信したことしか文章に書いていない。
岡 どうも、確信のないことを書くということは数学者にはできないだろうと思いますね、確信しない間は複雑で書けない。
直観と確信とが離れ離れになっている文士は、一種の習性として勝手に自分の思うことを書いてしまう達人だが、確信したことを書くくらい単純な ことはないのだ。
小林 その人の身になってみるというのが、実は批評の極意ですがね。
岡 極意というのは簡単なことですな。
小林 ええ、簡単といえば簡単なのですが。
高みにいればいくらでもあったはずの言葉が、その人の身になってみたらなくなる。いったんそこまで行って、なんとかして言葉をみつけるという のが批評なのである。
などなど、パラパラと読み直して目についたところを適当に拾い出してみただけなのだが、「異分野」の文脈の中で培われてきた知性が交錯し、眩い 火花を放ち出す。<有り体にいえば雑談である。しかし並の雑談ではない。>
「人間の建設」において大切なことは何か。何を拠り所とすべきか。インターネットをはじめとする情報メディアの爆発的発展に魂が取り残され つつある現代人にとって、これほど切実な問題はないだろう。この対話の中には、私たちの滋養になるヒントがちりばめられている。(「情緒」を 美しく耕すために 茂木健一郎)
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