徒然読書日記202210
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2022/10/24
「テヘランでロリータを読む」 Aナフィーシー 河出文庫
イラン・イスラーム共和国における私たちの生活に一番ぴったりくる小説を選ぶとしたら、それは『ミス・ブロウディの青春』でも なければ『一九八四年』でさえなく、むしろナボコフの『断頭台への招待』か、いや・・・
<それ以上に『ロリータ』だろう。>
1995年、ヴェールの着用を拒否するなどしてテヘランの大学を去った著者は、自らが選んだ女子学生7人を自宅に集め、英文学の読書会を 始めた・・・という、この本はイランの女性英文学者が、1979年にホメイニーが起こしたイスラーム革命以降、封建的で特に女性に抑圧的な イランで暮らした18年間の回想録なのだが、語られた事実は、記憶に誤りがないかぎり真実だとしても、名前を改め、本人にさえわからない ほど変装をほどこした、と<著者ことわりがき>にもあるように、仲間たちの秘密を守るために最大限の努力をせねばならなかったのは、 イスラーム革命後のイランが生活の隅々まで当局の監視の目が光る全体主義社会だったからだ。
特に女性には厳しく、髪と肌の露出を禁じられ、少しでも「西洋的」だと見なされれば、不道徳の罪で逮捕・監禁され、時には看守に輪姦され、 そして処刑された。そのような状況の中で開かれたこの<秘密の読書会>で取り上げられたのは、イランでは読むことを禁じられている西洋文学 の古典の数々だったが、
フイッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を、不倫の物語だとする革命派の学生たちの糾弾に対し、そうではなくこれは<夢の喪失>の 物語なのだと伝えたり、ジェイムズの『デイジー・ミラー』のヒロインの、社会のしきたりに反抗しようとする姿勢の中に、自分たちが見習う べき勇気を見出して憧れたり、オースティンが『高慢と偏見』で示した、結婚というものの核心に横たわる個人の自由の問題が、200年後の 自分たちには認められてさえいないことを皮肉ったり、
<研究会のテーマは小説と現実の関係だった。>
そして、いやらしい中年男のハンバートが、どこにも行き場のない12歳の少女を死んだ恋人に仕立て上げようとし、彼女の人生をピン留めに してしまう、ナボコフの『ロリータ』では、この物語の悲惨な真実は少女の凌辱にあるのではなく、ある個人の人生を他者が収奪したことにある のではと熱い議論が闘わされる。ナボコフはハンバートを通して、他人を自分の夢や欲望の型にはめようとする者たちの正体をあばいた。 ホメイニーに、イスラームの男たちに報復しているのだと。
<こんなに悲しく悲劇的な物語が――私たちを喜ばせるのはなぜかしら?>
同じことを新聞で読んでも、自分で経験しても、同じように感じるのかしら?このイラン・イスラーム共和国での私たちの生活について 書いたら、読者は喜ぶかしら?
歳月と政治の暴虐に抗して、自分たち自身でさえ時に想像する勇気がなかった、<私たちの姿>をどうか想像してほしい、と著者は訴える。 テヘランで『ロリータ』を読んでいる私たちを、そして、それらすべてを奪われ、地下に追いやられた私たちを、想像してほしい、というの だった。
だからこれは、テヘランにおける『ロリータ』の物語、『ロリータ』によってテヘランがいかに別の顔を見せ、テヘランがいかにナボコフの 小説の見直しを促し、あの作品をこの『ロリータ』に、私たちの『ロリータ』にしたかという物語なのである。
2022/10/10
「舞姫」 森鴎外 中央公論社
げに、東にかえるいまの我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそなお心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、 人の心の頼みがたきは言うも更なり、われとわが心さえ変りやすきをも悟り得たり。きのうの是はきょうの非なるわが瞬間の感触を、筆に写して 誰にか見せん。これや日記の成らぬ縁故なる、
<あらず、これには別に故あり。>
東大法学部卒のエリート官僚としてドイツに意気揚々と赴いたはずの自分が、5年の留学を終えて帰朝する船の上で、日記を書こうという気に すらなれないのは、ドイツでの様々な体験から、「ニル、アドミラリイ」(何事にも驚かない無感動の態度)の気質を身に着けることになった から・・・ではないというのだ。
ああ、いかにしてかこの恨みを銷せん。もしほかの恨みなりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地すがすがしくもなりなん。これのみはあまり に深くわが心に彫りつけられたればさはあらじと思えど、
<いで、その概略を文につづりてみん。>
と、何やら流行りの映画のようなプロローグで始まったこの短い物語を、旧中央公論社の日本文学全集「森鴎外」の巻の中で読んだのは、暇人が 中学生の時だった。その時は「日本の名著」の1冊として、夏目漱石や芥川龍之介、川端康成などと一緒に、なかば課題図書のような感じで、 意味も解らずただ読んだだけだったのだが、そんな古めかしい本を何で今さら引っぱり出してくる破目になったのかといえば、暇人が参加して いる読書会の課題本選定のためのビブリオバトルで、暇人が紹介した
『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』
が、 次回課題本の栄誉を勝ち取ったからだ。ならば原本もきちんと読んでおかないと、恰好がつかないと思ったのだ。
『舞姫』は、ドイツで出会った踊り子エリスとの同棲生活にやがて破局が訪れ、妊娠し、発狂したエリスを置き去りにして、留学生の豊太郎が 帰国してしまうという、ある意味「情けない男」の物語という風に言われがちな代物なのだが、自分がモデルであること見え見えのそんな話を、 鴎外はなぜわざわざ書こうとしたのか?
余は父の遺言を守り、母の教えに従い、人の神童なりなど褒むるが嬉しさに怠らず学びしときより、官長のよき働き手を得たりと奨ますが 喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、
<ただ所動的、器械的の人物になりてみずから悟らざりしが、>
名家の跡継ぎとしての息子に寄せる母の期待と、将来を嘱望される人物として抜擢してくれた国家に対する責任とを、疑うこともなく背負って きたはずの自分が、ドイツの大学の自由の気風に当てられて、法学よりは文学に心を寄せてしまう「まことの我」に気付いてしまったことへの 戸惑いが、ここには描かれているように思う。官職を解かれ、母の期待にも背く。そんな葛藤の中で育まれた<舞姫エリスとの恋>は決して 偽りのものではなかったにしても、危うい綱渡りのような暮らしだった。
通信員としての職を世話し、そんな窮地を救ってくれたのが同級生の相沢だったが、彼はまた天方伯への紹介の労を取り、帰国への道を開いて くれることになる。豊太郎が打ち明けることのできなかった「止む無き帰国」に至る顛末を、エリスに告げることで彼女を発狂に至らしめた のも相沢だったのだ。
くるくると舞い踊っていたのはエリスではなく、豊太郎の方だったのかもしれない。
ああ、相沢謙吉がごとき良友は世にまた得がたかるべし。されどわが脳裡に一点の彼を憎むこころきょうまでも残れりけり。
2022/10/10
「認知症世界の歩き方」―認知症のある人の頭の中を覗いてみたら?― 筧裕介 ライツ社
あなたは認知症世界を旅する旅人。この物語に登場するのは、架空の主人公でも、知らないだれかでもなく、「少し先の未来のあなた」 や、「あなたの大切な家族」です。
というこの本は、認知症のある人が経験する出来事を誰もが身近に感じながら学べるようにと、「旅のスケッチ」形式で描いたユニークな 「ガイド本」である。(当事者としての思い・体験を語ってもらい、その「知恵」を蓄積するために、実施した認知症者本人へのインタビュー は約100人に及んだという。)
視界も記憶も同時にかき消す「ホワイトアウト渓谷」(同じものを何度も買ってきてしまうのは、なぜ?)
誰もがタイムスリップしてしまう「アルキタイヒルズ」(あてもなく街を歩き回ってしまうのは、なぜ?)
イケメンも美女も見た目が関係ない「顔無し族の村」(人の顔がわからなくなるのは、なぜ?)
時計の針が一定のリズムでは刻まれない「トキシラズ宮殿」(コンロの火を消し忘れてしまうのは、なぜ?)
などなど、用意された13のコースを巡るミステリーツアーを、熟練のガイドさんに案内されて体験していくことで、いままでは「どうして そんなことするの?」と首を傾げるばかりだった不可思議な行動の、その背景にある「理由」もわかり、対応の仕方も変えられる。
たとえば、「お風呂を嫌がる」というのでも、1.温度感覚のトラブルで、お湯が極度に暑く感じる。2.身体機能のトラブルで、服の着脱が 困難。3,記憶のトラブルで、入浴したばかりだと思っている。4.家族に手間をかけさせたくないと思っている。など、その人ごとに抱える 困難は異なっているのだ。
ちょっとした工夫だけで、今まで通りの生活スタイルを維持できるなら、認知症のある人本人の尊厳も守られるし、認知機能の低下を防ぐこと にもつながるだろう。なにより、「わかってくれない」(本人)「わからない」(家族)といったすれ違いを少なくすることができれば、双方 が楽になる場面が増えてくるというのだった。
<認知症の課題解決は、デザイナーの仕事だ。>という確信こそが、社会課題解決のためのデザイン領域の研究、実践に取り組む著者が、 この本を通して発信しようとしている思いなのである。
この超高齢社会の日本に、もっとその世界を想像できる人が増えることで、変わることがあるに違いない。認知症とともに、幸せに生きる 未来をつくるきっかけになれば。そんな思いで、この本をつくりました。
2022/10/4
「読書会という幸福」 向井和美 岩波新書
議論はつきることなく二時間続いた。印象的な一節をだれかが挙げると、みながいっせいにページをめくる。ひとりの感想がほかの 意見や反発や賛同を呼び、それがまた次の感想につながっていく。喋りたいことが次から次へと湧いてくるのだ。
<読書会に参加しはじめて30年近くになる。>
というこの本は、月に一度、同じ本をみんなで読んできてその本の内容について自由に話し合う「読書会」に、永年参加してきた図書館司書で 翻訳家の著者が、読書会とはどのようなものか、その開き方や運営の仕方、課題本の選び方など、読書会を成功させるためのヒントを交えながら、 読書会の様子を紹介したものである。
個人ではなかなか読む機会がない、外国文学の古典作品を読むことが多いという「読書会」の利点として、この著者が掲げるのは、
・自分では手を出さないような本や途中で挫折しそうな本でも、みなで読めばいつのまにか読めてしまうこと。
・日常生活ではまず口にしない話題(生や死や心の問題など)でも、文学をとおしてなら語り合えること。
・本の感想や意見を人前で話せるようになり、言葉にすることで逆に考えが形になっていくこと。
・同じ本を読んできてもさまざまな意見を聞け、自分では思いもよらなかった視点を与えてもらえること。
・その本を読んでどんな感想を持ったかを知れば、その人がどんな人かを知る大きな手がかりになること。
暇人も十数年、似たような読書会の運営に参加してきたので、こうした「読書会の効用」は実感としてとてもよく分かるのだ。もっとも、暇人が 参加している「読書会」の課題本は文学に限られておらず、一貫したテーマを追いかけることもないのだけれど・・・(これはひとえに、暇人の 支離滅裂な読書傾向が災いしていると、メンバーの皆様にこの場を借りてお詫びしておく。)
こうして選ばれた課題本のいくつかについて、そのあらすじと感想交換の内容が紹介されていくことになるのだが、ヘミングウェイ『老人と海』、 カミュ『ペスト』、ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』、モーム『人間の絆』、ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』・・・
実際にどんな本が選ばれて、どのような議論が繰り広げられたのかを、チラッと覗き見しただけで「こんな本なら、今すぐ読んでみたい」と 思わせてくれる。まさしく、これこそが『読書会という幸福』なのである。
司書という職業柄、「本を読みましょう」「ひとりでも多くの人に読書会のすばらしさを」などと口では言っておきながら、むしろ自分が ほんとうに好きなものはあまり多くの人に知られたくない、という倒錯した想いさえかすかに持っている。よさをわかってくれる数人とだけ 共有できれば、わたしにとってそれがいちばん幸福なのだ。
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