徒然読書日記202208
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2022/8/30
「ジェイムズ・ジョイスの謎を解く」 柳瀬尚紀 岩波新書
――おお、ジョウ、と、俺が云う。元気かよう?見たか、あの煙突掃除の野郎、俺の目ん玉をブラシで危うくえぐるところだったぜ。
――煤とは縁起がいいやな、と、ジョウが云う。いま話してた老いぼれ金玉は誰だ?
――トロイ爺公よ、俺は云う、警察にいた。どうにもおさまらねえや、さっきの野郎が箒と梯で通行妨害しやがったと訴えてやりてえ。
――こんなとこで何してる?ジョウが云う。
さて・・・「<俺>とは何者だろうか?」
20世紀最大の文学者の一人、ジェイムズ・ジョイスの作品には常に「難解」という言葉がつきまとう。そこには無数の「言葉遊び」の謎が 仕掛けられているからだ。なかでも最難関の『フィネガンズ・ウェイク』を、ジョイスの使った手法をできうるかぎり日本語で模倣して全訳 するという、前代未聞の偉業を成し遂げた著者が、今回挑むことにしたのは、『ユリシーズ』の第12挿話。ホメロスの『オデュッセイア』で いえば「キュクロープス挿話」と、細部まで照応することを楽しむ章である。そして、著者が本書で宣言しようとするメッセージは、何と・・・ 「<俺>は犬である。」というものだった。(世界初の主張だが、もちろん認められてはいない。)
街角で顔見知りのジョウとばったり出くわした<俺>が、煤を浴びせながら目もくれずに行ってしまった煙突掃除屋に悪態をついても、ジョウ は何の反応も示さない。次に訪れたパブに集まる常連客達にも<俺>はとことん無視される。酔客同士の議論に自ら加わることもせず、誰かに 意見を求められることもない。だから・・・
――わん、キャン。わんわんうー?きゃん、きゃんきゃんきゃんわん、わんきゃんうーうーきゃんきゃんきゃんきゃんきゃん。
――煤とは縁起がいいやな、と、ジョウが云う。いま話してた老いぼれ金玉は誰だ?
――キャンわん。きゃん。うーきゃんわんわん、わんきゃんわんきゃんきゃんきゃんきゃんわんわん。
――こんなとこで何してる?ジョウが云う。
と、「わんわんきゃんきゃん」を同時に耳にひびかせながら読んでいくのでなければ、<俺>との会話の面白みは半減してしまうというのである。 つまり・・・
@読者は――人間同士の辻褄の合う会話。
Aジョウは――相手が犬の一歩通行の会話。
B<俺>は――ジョウに然るべく受け答えをしている会話。
という三重構造の中で、<俺>が犬であることを知っていれば、ジョウが知らぬうちに<俺>に然るべく受け答えしてしまっていることを、 楽しむことができるのだ。
もちろん、以上の論証だけで、この突飛な主張を押し通そうというわけではなく、ここからさらに、微に入り細を穿った緻密な分析が進められ ていく。たとえば・・・
"Gob, he's not as green as he's cabbagelooking."
「どベッ、こいつは碌でもない阿呆面ほどには才六じゃねえや。」
「どベッ」は、<Gob>が<God>のdを裏返してbにしたことに照応して、「どっぐ」の「く」を45度回転して「へ」にしたという、著者 創案の「犬投詞」なのだ。
<俺>はしきりと<Gob>の末尾をふって、その短い尾をふって、合図を送っているわけだ――裏返しだぞ、裏返しだぞ、と。<Gob>のbを 裏返しにして<God>を読み取れば、それは誰しも知るように、<Dog>の逆綴りである。
2022/8/25
「教団X」 中村文則 集英社文庫
古びた、巨大な、木製の門。何か字が書かれているけど、薄くてよく読めない。すぐに入ろうか?楢崎は迷った。でも何だか奇妙だ。 宗教施設というより、これじゃただの屋敷じゃないか。
突然失踪した立花涼子が「ある宗教団体に所属している」という探偵調査報告から楢崎が辿り着いたのは、アマチュア思索家と自称する松尾と いう老人の家だった。宗教団体と見られてはいても、正式な団体名も、特定の信者という概念も、祀る神もない。そもそも《神はいるのか?》 という問いを考える会だというのである。そこで楢崎は立花が、松尾に詐欺を働き資産の一部と高学歴の参加者を引き抜いて姿を消した沢渡と いう男と共に、彼らのやっている宗教に「戻った」と聞かされる。
赤い薄明かりの部屋で、楢崎は背を向け、自分がさっき入ってきた、マンションの部屋の玄関のようなドアを見る。口が渇き、唾を飲む。 鼓動が速くなる。空気が湿っている。楢崎の身体に汗が滲む。
沢渡を教祖として都内のマンション一棟を隠れ家とするその宗教団体は、性の解放を謳う謎のカルト集団として、公安から「教団X」と呼ばれ 目を付けられていた。目隠しされた上で「教団X」に招待され、10日間以上にも渡って我を失うかのような性の饗応を浴び続けた楢崎は、 ついに「教祖様」との対面を果たす。
「僕は、自分の人生を侮蔑するためにここに来ました。」
みなが眉をひそめる、わけのわからない団体に入ることで、自分の人生と、奇麗ごとを語る偉そうな連中を全部侮蔑するために・・・
というこの本は、
『土の中の子供』
で 芥川賞を受賞して以来、
『掏(スリ)摸』
、
『何もかも憂鬱な夜に』
などなど、 数々の話題作を送り出してきた著者が、国家と宗教という問題をテーマに見据えて、人間の生の根源に鋭く切り込んでみせた、過去最長 (描かれる時間ではなく語りがまことに長い)の小説である。
「まるで<私>達が、<自分>という座席に座ったこの人生の観客であるかのように」と、教えを請う人そのものを見ながら様々に言葉を 発したブッダの悟りを、仏教成立以前のインド最古の宗教と現代物理学との酷似という観点から説きあかす松尾。「人間のほとんどは、自分の 生きている世界がどういうものであるのか、運命がどうであるのかも知らずに生きている」からと、性の仕事につく女たちを開放するハーレム から始め、やがて多くの悩める若き信者たちが集う「教団」で偽の神を演じて、本当の神に裁かれる道を選んだ沢渡。敵対する2つの集団を 率いる2人のカリスマは、まるで異なる宗旨の下に若者たちを感化していくが、実は彼らは同じ師に学んだ同志なのだった。
つまりこれは、悟りに向かおうとした人間が苦悩の末にようやくたどり着いたかに見える「境地」の、その「光」の裏側に蠢く「闇」を描いた 物語なのだろう。「教団X」が目指したテロという破滅への企てが崩壊し、2人の教祖の死という大団円の中で、この流れが悲劇的にならない たった一つの終わり方を指し示したのは、遊郭から松尾に救い出され、教祖の糟糠の妻として、彼の世界を肯定しようとする意志を支え続けて きた、芳子(よっちゃん)の「希望」への宣言だった。
「共に生きましょう!」
生きていたら、その中で、どんな小さなことでも肯定できるものがある。私達は、全ての人達がこの世界の一部でも肯定できるように、 一つでも多く、そういう肯定できるものを増やすことができるように、努力していきましょう。・・・日々の中で、少しでもいい。何かに関心 を持って世界を善へ動かす歯車になりましょう。
2022/8/22
「弔辞」 新藤兼人 岩波新書
杉村春子さん、あなたは広島の人。・・・女優ひとすじの道をまっすぐに歩みつづけられました。悔いはないでしょう。あなたの その姿を、わたしたちは忘れません。
平成9年に青山斎場で営まれた女優杉村春子の文学座葬での「弔辞」で始まるからといって、これは著者が関りをもった人々への「弔辞」を 集めただけの本ではない。この名女優の映画を一本撮っておきたいと思った著者は、80も半ばを越えた杉村に『午後の遺言状』という シナリオを当て書きして、出演の快諾を得たのだが、蓼科ロケの弁当休憩で、芽吹いたぜんまいを見て「だれにもいのちがあるのね。でも わたしにはいまがあるだけ。きのうもあすもないわ」と明るい声で言ったとか、新潟・寺泊の海岸でのラストカットの撮影で、青い海を見て 「ひきこまれそうな深い色ね。このままずんずんはいって行けたらね」と笑っていたとか、それは「弔辞」で披露されたエピソードでもある のだが、彼女が歩んだ<大輪の向日葵>のような人生を背景にすれば、その人物像がより鮮やかに浮かび上がってくる。
「オレはバカだ、バカは死ななきゃなおらないと広沢虎造がいったな」と大笑いしたという勝新太郎は、多くは二枚目の時代劇スターからは はみだした存在で、あくの強さが売り物の社会の底辺を這いつくばってゆく「座頭市」だった。勝ははにかみ屋で、ひどい照れ性だったのでは ないかという。外に出ては会う人ごとに照れ、照れている自分自身にハラがたって、思わぬ逆の行動を取るのだと。
「わたしもふじが好きです」と、『或る「小倉日記」伝』で息子を献身的に助ける母親ふじの造形を褒められて、満足そうに笑ったという 松本清張が、この作品で芥川賞を受賞したとき、彼ら一家は六畳一間と四畳半二間に夫婦と父母、四人の子供の八人で同居していた。一生 尽くし続けた家族に見とられて永眠し、松本清張はやっと楽になったのだ。
「それはやめたほうがいい、たんなるリアリズムになる」と、『裸の島』という自主制作のセリフのない映画に、「しかもかれらは生きて行く」 というタイトルを入れようとしたのを、間髪入れずに一蹴したという、岡本太郎は笑わない人だった。あの丸い目を見張って、いつも対象を 見つめている。そんな彼の作品は、岡本太郎自身だから、ずばりところきらわず刺してくる。生理的に嫌いだと横を向かれるのも名誉なことだ。 作品がそれほどの力をもっている証だから。岡本太郎は太陽に向かって昇天して行った。
「酒が田村の死を早めたな」と、集まった仲間たちから64歳での突然の死を悼まれた、シナリオ作家の田村孟(つとむ)はほんとうに優しい 心をもった人だった。だから、酒を飲んだのだ。彼への著者からの「弔辞」は、生涯ひとすじの道を歩み、純粋にそれを愛し、ひたすら研鑽を 積んできた、すべての「あなた」に捧げられた讃歌なのである。
孟(もう)さん、人は死んで肉体は亡びますが、心は死ぬことはありませんから、あなたの心は残ったわたしたちの心の糧となります。 安らかに眠ってください。さようなら。
2022/8/10
「天下無双の建築学入門」 藤森照信 ちくま新書
原始時代の家を、その時代の道具と技術で作ってみたいという夢。この本が建築学入門とうたいながら、縄文建築学入門と化しがち なのは、そういうよんどころない事情があるのでお許しねがいたい。
<私には、少年の頃より変わらない夢がひとつだけある。>
というこの本は、(当時)東大生産技研の教授として近代建築・都市計画史を専門とする傍ら、「路上観察学会」の建築探偵団員としても名を 馳せる一方、「神長官守矢史料館」で遅咲きの建築家としてデビューしてからは、「タンポポハウス(自邸)」「ニラハウス(赤瀬川源平邸)」 「熊本県立農大学生寮」など、数々の話題作を発表し、日本建築学会賞、日本芸術院賞などに輝いてきた異能の鬼才の、「マイケンチク学」と 称する(20年前の)雑誌連載をまとめたものである。
縄文時代の人々は、ニワトリ小屋程度の造りであったにせよ、夏に高い床の上で暮らす快適さを知っており、この習慣の上に弥生時代に なってから、建築的にはより高度な新来の高床式を受け入れたにちがいない。
『夏は巣に宿(ね)、冬は穴に住む』と『日本書紀』にも書かれたように、縄文時代の暮らし方はどうやら竪穴式住居だけではなかったよう なのである。鳥が巣を架けるように、こちらは身の丈ほどの高さの樹の分岐のところに丸太を差し渡して床とし、その床と樹を使って屋根を かけた人間のための「巣」。「高く張って清らかに保つ」という日本の「床のこころ」の伝統には、縄文時代このかた5千年以上の歴史がある のだと、藤森先生は遠い目をして語りかける。
伊勢神宮の正殿の床下の中心位置には檜の掘立柱が一本隠されているし、出雲大社の場合、中心の柱は床下にとどまらず床を突き抜けて 天井位置(天井は張られていないが)にいたって止る。
それはおそらく、カミの宿る立木か、カミをおろしてきて宿らせる柱か。建物が作られる以前からそこに立っていた、「聖なる柱」の名残で あるに違いない。伊勢にせよ出雲にせよ、現在、参詣客がありがたがってかしわ手をうつ高床式の立派な建物は、本当は聖なる木の柱を風雨 から守る雨傘のようなものにすぎないのだ。家の中心に立つ大黒柱。部屋の中心に立つ床柱。「一本を大事にし、素木にかぎる」という今でも 生きているセンスの源は、縄文に辿り着くのかもしれないという。
そんなわけで、縄文時代の人々が家を建てるようになってから、今でも日本建築の中にひっそりと根付いている「センス」のようなものに ついて、(その「センス」こそが、「ラ・コリーナ近江八幡」など、後に続く藤森先生の建築作品に色濃く反映されていることは一目瞭然で ある。)屋根、床、柱、窓、雨戸、ヴェランダなどの部位ごとに、「目からウロコ」の話題が展開されていくことになるのだが、先生が一貫 して持ち続けた問題意識は、<人間が人間として生きてゆくうえで、その時の心や精神や意識にとって、どうして建築は大切なのか。>という ことだったという。
それは、脳の中に作られている自分の世界の安定と連続がなければ、自分が自分であることの証しを人間は自分で確かめることはできないが、 建物や町並みを見て懐かしいと感じることができれば、確認できたことのよろこびが得もいわれぬ感情となって湧き上がってくるはずだという 先生の確信なのだ。
私たち建築史家が昔の建物を大事にしようと主張するのも、新しく作る建物はよりよいものにしてほしいと願うのも、そういうことなので ある。
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