徒然読書日記202205
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2022/5/28
「紙の動物園」 Kリュウ ハヤカワ文庫
「看(ほら)」母さんは言った。「老虎(ラオフー)だよ」両手をテーブルに置いてから離した。小さな紙の虎がテーブルの上に 立っていた。
<父さんはカタログで母さんを選んだ。>
泣き虫の僕をなだめようと、英語が話せない母さんが折ってくれたのは、「魔法の折り紙」だった。母さんが息を吹き込むと、母さんの命を もらって動き出すのだ。
という表題作『紙の動物園』を含め、7本の短篇が収録されたこの本は、ヒューゴー賞/ネビュラ賞/世界幻想文学大賞と、なんと史上初の 3冠を席捲した、期待の新鋭SF作家ケン・リュウの日本オリジナル作品集である。(今回の文庫化に当たり、全15作品が2分冊となって いる。)
伸び縮みする長い麻縄の結び目であらゆる物事を記録する「結縄文字」。ビルマの山中の部族に今も伝わるその技術の第一人者を、アメリカに 招聘し、アミノ酸配列の自然な状態を予測して、タンパク質を折りたたむための正確で速いアルゴリズムを発見しようとする企みの結末は・・・ (『結縄』)
人類居住世界から60光年以上離れた宇宙空間に一人取り残された女性宇宙飛行士が、脱出ポッドによる5光年のハイパースペース・ジャンプ という賭けに出る。目が覚めるとそこは、数世紀前に地球から脱出を試み、鉄工より進んだすべての知識を失ってしまった、中国系原始集団の 子孫の村だった。(『心智五行』)
父の転勤で独裁政権下の台湾に引っ越してきた少女は、地元の子どもたちのいじめから救ってくれた少年を通じて、不思議な老人と知り合うこと になる。その人が選んだ「漢字」から、その人の悩みや未来に待ち受けているものを言い当てることができる、という老人は「測字先生」だった。 (『文字占い師』)
などなど、弁護士でプログラマーの顔も持つというだけあって、近未来の科学文明と古来から伝わるアジアの文化との邂逅から生まれる、独自の 世界が描かれていく。しかし、やはり何と言っても極めつけは、表題作『紙の動物園』の母さんの、鼻の奥がツンとするような独白につきると いうことになるだろう。
「あなたがわたしの母とおなじアクセントで、はじめての言葉を中国語で口にしたとき、わたしは何時間も泣きました。最初の折り紙の動物を あなたのためにこしらえたとき、あなたは笑い声をあげ、母さんはこの世になんの心配もないと思ったわ。」
ところが、幼いころはいろんな動物を折ってくれとせがんでいた僕も、成長するにつれて「うちのお母さんはほかのうちと違う」ことを意識する ようになり、やがて、母さんの手作りの中華を押しのけ、英語で話しかけなければ口もきかなくなってしまった僕は、紙の動物たちを屋根裏の 大きな靴箱にしまいこんだ。
<父さんとぼくは、病院のベッドに寝ている母さんを両側からはさんで立っていた。>
40歳にもならないのに、医者に行くのを拒んでいるうちに癌が広がって、手の施しようがなくなっていた母だったが、僕は就職活動に戻ること ばかり考えていた。母さんが死んでから、たまに開けてくれるよう言い残された屋根裏の靴箱を開けると、懐かしい「老虎」がひとりでに折り目 をほどいて広がっていった。そしてそこには、自分には「息子へ」以外は読むことのできない漢字で書かれた手紙が、母さんのへたくそな子ども っぽい筆跡で記されていたのだ。・・・号泣
息子や、あなたが自分の中国人の目を好きでないのはわかっています。わたしとおなじ目だから。・・・だけど、あなたの存在そのものが、 どれほどわたしに喜びをもたらしたのか、わかってもらえるかしら?あなたがわたしに話すのを止め、中国語であなたに話しかけさせてもらえ なくなったとき、母さんがどんな気持ちだったのか、わかってもらえるかしら?あらゆるものをもう一度失う気がしました。
2022/5/27
「鴎外の恋 舞姫エリスの真実」 六草いちか 河出文庫
エリスにたどり着くまでの道のりは、蜘蛛の糸をたぐり寄せるような、心許ない作業のくり返しだった。夏のある日の夕方、それは 一丁の拳銃から始まった。
「オーガイというその軍医、その人の恋人は、僕のおばあちゃんの踊りの先生だった人だ」
行きたくもない射撃訓練に誘われた後の、ビール酒場での懇親の席で、鴎外のことが話題になった時、たまたま右隣に座ったドイツ人の男性が 発した言葉だった。
『舞姫』は、踊り子エリスとの同棲生活にやがて破局が訪れ、妊娠し、発狂したエリスを置き去りにして、留学生の豊太郎が帰国してしまうと いう物語なのだが、実は鴎外にもドイツで知り合った恋人がいて、しかも帰国した数日後、後を追いかけるように日本に来て、横浜の港に降り 立っていた、という有名な事実がある。『舞姫』のエリス・ワイゲルトととてもよく似た名前を持ち、小柄で美しい女性だった・・・エリーゼ ・ヴィーゲルトとは、いったいどんな女性だったのか?
1988年からベルリンに在住し、ベルリンの歴史や日独交流史を執筆してきたノンフィクションライターが、エリスのモデル探しにのめり 込んでいったのは、鴎外の妹・金井喜美子の回想記などの影響から、鴎外の恋人が「娼婦」であったとする説が、鴎外関係者の間に深く根付いて いることに驚愕したからだという。
『舞姫』は小説ですから、どう解釈するのも読者の自由です。けれども鴎外の恋人は実在の人物です。私が暮らすこのベルリンの町に、実際 に生きた人なのです。故人とはいえ、知りもしない他人を侮辱するなんて・・・
ここから始まることになる、第一次資料発見に向けての著者の執念は、日本推理作家協会賞「評論その他の部門」にノミネートされたのも うなずけるものだった。『舞姫』の中でエリスが踊った劇場や、扉にすがりついて涙に暮れた教会を特定するための、古ベルリンの市街図や 古い町並み写真の調査から手を付けて、エリーゼが鴎外を追いかけてきた船の「乗船者名簿」や、古い「住所帳」、「電話帳」に掲載された 名前からの家系や職業の探索・・・などなど。
調査の過程を報告しながら進行する。調査が行き詰る。放棄しようとし、一呼吸置いて別途の道を探る。行きつ戻りつする。そして別の世界 が拓けてくる。この徒労感、苛立ち、断念を思いつつ諦めの悪さ、やがて発見の喜び、すでに物語である。
(『文庫版解説』山崎一頴)
洗礼記録簿からたどり着いたヴィーゲルト家の教会の、経年劣化でくすんだ「堅信礼」の記録の中についに発見した、不思議なほど鮮やかな 「エリーゼ」の文字。
モニターに映し出されているその名前を、ゆっくりと読み上げて、「はじめまして」と、言おうと思ったけれども、初めての感じが しなかった。この半年間、この人の垂らした糸を手繰ってきたのだ。
『舞姫』を初めて読んだとき、豊太郎の不甲斐なさに憤慨し、男の身勝手さが正当化されているようなこの作品が好きでなかったという著者は、 この探索を続ける中で、鴎外が「何を書いたか」ではなく、「なぜ書いたか」に目を向けることができるようになり、鴎外への誤解が解けた らしい。ベルリンでエリスとともに豊太郎が暮らしていたのは、エリーゼとの約束を果たせなかった鴎外が、小説の中にだけ描くことができた 儚い夢だったというのだ。
エリーゼは男の勝手な都合で棄てられたのではなかった。エリーゼだけでなく、鴎外もまた十分以上に苦しんで、傷ついていた。・・・最後 に、エリーゼはこのベルリンの町で、しっかりと地に足をつけて生きていた。
<もう、娼婦だったとは言わせない。>
2022/5/18
「サカナとヤクザ」―暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う― 鈴木智彦 小学館文庫
簡単に築地で働けるとは考えていなかった。当時47歳でなんのスキルもないし、中高年の再就職は厳しいと聞いていた。履歴書を 書いたのは原発潜入以来である。嘘はつかないことにした。
<密漁品の売買を調べに来たことは、訊かれないはずなのであえて言わない。>
ヤクザ専門誌の元編集長として、ヤクザ関連の記事の取材・寄稿を続けてきた暴力団専門のライターが、
『ヤクザと原発』
に続いて潜入を敢行した のは、なんと「東京都中央卸売市場築地市場」だった。「福島原発1F」の高密度汚染区域同様に、そこは「ヤクザ」に汚染されているよう なのである。世界中から訪れた観光客が海の幸を味わい舌鼓を打っている築地の魚河岸で、密漁品は堂々と表ルートで売られ、消費者は知らぬ 間に共犯者になっているとしたら・・・
「密漁団はそもそも人のいない場所に入ってくる。そういったエリアが震災で増えてしまった。これまでなら無人の港であっても、その隣の港 とかその近くに人が住んでいたわけです。」(三陸の海上保安庁員)
東日本大震災で甚大な被害を受けたアワビだが、濡れ手にアワビの状態となった密漁団には好都合だった。その利益のほとんどは暴力団関係者 にかっさらわれた。全国の総流通量から漁獲量と輸入量をマイナスした残りの45%、およそ906トン(市場規模約40億円)が密漁の アワビなのだ。ヤクザには大きなシノギである。
「ナマコは動く金がでかすぎて、海保も警察もやっきになって摘発しようとしているから、作戦指揮官やブツの受け渡しの現場に女を行かせる チームもある。検問でも女はフリーパスだし、」(函館の密漁団リーダー)
国内にほとんど需要がないナマコは、高級食材として中国が買い漁ったことによりバブルとなり、特に北海道産はキロ8万円で取引される 「密漁天国」となった。しかし、少人数でゴムボートという貧弱な装備で、夜中に電気も点けずに潜水器で40mまで潜るという危険な仕事に 挑むため、死亡事故が頻発しているという。
「養鰻業者も本音は一刻も早くシラスが欲しい。でも公にされると困る。そこをヤクザの看板でやる。泥被ってるようなもんです。」 (密漁関係者としか記せない)
全国有数のシラス産地である宮崎県が許可したのが364キロなのに対し、養鰻業者が池入れしたシラスは統計上10倍の3.5トン。残りは 県外産で賄ったのか?いや、宮崎には宮崎で獲れたシラスが逆輸入される。ウナギは誰もが儲かる商売だが、ヤクザがいなければ養鰻業者の 池は埋まらないのである。
欲に目がくらんだ漁業協同組合関係者。漁獲制限を守らない漁師。チームを組んで夜の海に潜る密漁者。そこに元締めとなる暴力団が加わって、 完成した見事な密漁のネットワーク。いまの日本でこれほど犯罪がのさばっている業界も珍しいだろうが、<密漁はなにも暴力団だけが悪人 というわけではない。>というのが、今回の決死の潜入ルポが明らかにしてみせた、紛れもない真実なのである。
その手先となる漁師がいて、そうと分かって仕入れる水産業者との共生関係が構築されている。それらがリンクし合い、魑魅魍魎が跋扈し、 毎日、闇夜の中で密漁は繰り返される。
2022/5/17
「海・呼吸・古代形象」―生命記憶と回想― 三木成夫 うぶすな書院
この顔つきをしっかりと眺めてみよう。まず、最初のそれはどうか。この口裂けから頸すじの模様は、どう見ても、人間はおろか どんな四ツ足とも違う。
<まるでフカの頭ではないか。>受胎1月後の1週間に起こる顔面形成の1コマ1コマを示した写生図は、魚類の鰓烈から爬虫類的な口もと へと移り、アッという間に獅子頭の鼻づらに変わってゆく。<われわれは、胎児の顔を通して、かつての動物であった時代の“まぼろし”を 偲ぶ・・・、ということになるのではなかろうか。>
ヒトの胎児は受胎後32日目からわずか1週間のうちに、「水棲から陸棲へ」という古生代の終わりの1億年をかけた「上陸の歴史」を なぞっていく。自らのからだを舞台に激しく繰り展げられる、この軟骨魚類から哺乳類へと至る「変身のドラマ」を、母親はじっと抱え込んで いるしかないのだが、<爬虫類の36日目、ついに“悪阻”がやってくる。>
というこの本は、昭和26年に東大医学部を卒業した解剖学者でありながら、動・植物に対する形態学的洞察に基づく独自の「学」を築きあげた 奇才の書なのである。
時間の分らない部屋で、長期間、好きなように寝起きさせると、ほとんど例外なく24時間よりも1時間前後も長い「約25時間」という、 おそろしく根の深い周期が顔を出し、・・・
<この不可思議のリズムは、地球生命の故郷である大海原のうねりと深いきずなで結ばれているのではないか。>それは、同じ自転によるもの でも、太陽との関わりから生まれた「昼夜リズム」とは著しく様相を異にする、月が地球を巡って生まれた「潮汐リズム」である。磯辺の生き物 の活動が2週間おきに活発となるのは、あたかも振動数のズレた2種の音叉が“唸り”を発するのと同じであることがうかがわれるというのだ。 <私たちはしかし、ここで取り上げた眠りのリズムのズレの中に、この遠いはるかな潮汐時計の“おもかげ”を見ずにはいられないのです。>
動物のからだから腸管を1本引っこ抜いて、これをちょうど袖まくりするように、裏側に引っくり返し、ついで露出した腸の粘膜に開口する 無数のくぼみを一つ残らず外に引っぱり出し、
<そうして出来た形が、すなわち植物である。>“植”わったままで、生本来の「栄養と生殖」の営みを展開する植物の胚細胞が、大地と大空に 向かって垂直的にただひたすら増殖を続けるのに対し、“動”くことによって、「感覚と運動」の営みを遂げる動物のそれは、互いに手を組み 大宇宙を内に取り込むことで、からだの奥深くに小宇宙を内蔵していく。<みずからを養うために動くことを余儀なくされた動物たちが、止むに 止まれず身につけた、まさに宿命の機能というものであろう。>
さて、この著者は解剖医であるのだから、以上のような知見の多くは「死体」の解剖、中でも「心臓奇形の赤ちゃん」の解剖から得られたもの ということになる。<人間は水中生活に戻りたがるのである。>という論考とともに、このすばらしい本の存在を教えてくれたのは、
『畸形の神』
(種村季弘 青土社) だった。海への郷愁、生命的遡行本能の呼びかけが畸形を生むという。進化論的系統発生への「いやいや」をして上陸を忌諱し、降海に立ち 戻ろうとする衝動があり得るのだ。
ヒトの胎児は、受胎1ヶ月後の数日の間に、古生代の上陸誌をひとつの象徴劇として自ら演じて見せるだろう。これに対し奇型児の多くは、 そのからだの一部をはって、上陸ならぬ降海の見果てぬ夢をなぞりながら、その奇なる発生をとげ終えたかのごとくである。
2022/5/11
「残像に口紅を」 筒井康隆 中公文庫
妻は悲しげだった。夫への呼びかけのことばを失っていた。その慣れ親しんだ呼びかけのことばを使えたらどんなにいいだろうと 彼女は思っているに違いないのだ。それはなんとすばらしいことばだったことか。それはなんとやさしいことばだったことか。
「もしもし。果物、食べますか」・・・世界から「あ」が消えたのである。
友人の評論家・津田得治に焚きつけられて、虚構小説家・佐治勝夫が挑むことになったのは、「音」そのものがこの世界から一つずつ消えていく という趣向だった。もしひとつの言葉が消滅した時、惜しまれるのは「言葉」なのか、それとも「イメージ」の方だろうか、というこれは 「ずいぶん実験的」な小説なのであり、
「現在君とぼくとがこうやって話している現実がすでに虚構だとすれば、この小説はもう始まっているわけだし、テーマ通りのことが冒頭から 起こっている」ということを、書かれている本人(=書いている本人)も既に知っているという意味で、これはまことに穿った形の 「メタフィクション」の極北でもあるのだった。
「こうした短い創作の書き方作り方を教わることがいつも流行っておるのは、作家になりたくても何をどう書いていいかわからない多くの 者が、まず最初に教わるには恰好のものだったからなのじゃな」
「ただいま紹介していただいた佐治勝男じゃが」と、ことさらに喉の嗄れを装って話し出すことになったのは、佐治が文化講座でのこの講話を 依頼された時点で、「あ」「ぱ」「せ」「ぬ」「ふ」「ゆ」「ぷ」「ぺ」「ほ」「め」「ご」「ぎ」「ち」「む」「ぴ」「ね」「ひ」「ぼ」 「け」「へ」「ぽ」「ろ」「び」「ぐ」「ぺ」「え」「ぜ」「ヴ」「す」「ぞ」「ぶ」の31音が、すでにこの世界から失われてしまっていた からだった。(注記:「ヴ」は「う」に「”」)年寄りの独白のみで一作書いた時、年寄りの言いまわしの多彩さ、特にことば尻が多様だった ことを思い出し、「年寄りでいくか」と思い付いたのである。
ちなみに、この実験小説が書かれた1989年に、筒井康隆は『文学部唯野教授』という大ベストセラーを生んでいるのだが、その流れに便乗 して(?)出したと思われる『短篇小説講義』(岩波新書)の内容が、この文化講座における講話の内容と大筋で一致していることに 驚かされる。著者名や書名など固有名詞は言い換え不能だが、その他の言葉に関しては半分程度の音が失われたところで、手練れの腕にかかれ ば翻訳可能ということなのである。
ひとり消えたな。たしかにひとりいなくなった。その名とともにこの世から消失した。佐治勝夫はいそぎ、記憶から脱落しないうちにと 三女の残像を追った。
家族5人の食事の席で、椅子も食器もちゃんと5人分用意されているのに、家族は4人しかおらず、誰もが「ん?」という顔つきで見かわす ことしかできない。実は、この小説の本当の狙いは、「音」が失われると同時にその音を含む「モノ」も失われ、しかも「何」が失われたのか さえわからなくなってしまうところにある。
<無理に思い出そうとしない方がこの虚構の中ではまともな対応なのだろう。>しかし、佐治は目を閉じて、夢をたどるが如く、一部から全体 を思い出そうとする。丈の高い、大柄な娘だった。常に前かがみになって・・・
若い娘なんだものな。彼女の化粧した顔を一度見たかった。では意識野からまだ消えないうち、その残像に薄化粧を施し、唇に紅をさして やろう。
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