徒然読書日記202202
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2022/2/19
「古事記の研究」 折口信夫 中公文庫
はじめて、お目にかゝる方が多い事と存じます。私は話が下手で、又、特殊な話し振りをいたしますので、お聞きとりにくい所もある ことゝ思ひます。
「伊那も、下伊那迄参ると、私の郷里の言葉に近く、北の方よりは、いくらかお話しよいかと思ひます。」
とやんわりとした口調で始まったこの本は、昭和9年に長野県下伊那郡の小学校の教員たちを相手に催された、4日間にわたる講演などの筆記 記録なのである。そもそも、折口が現場の教員たちからこのような講演の依頼を受けることになった背景には、昭和8年度から採用された第4期 国定教科書の改訂があった。いわゆる「サクラ読本」と呼ばれるこの教科書では、軍国主義的な思想の高まりを受け、古事記や日本書紀の神話の 採用が格段に多くなっていたのである。
<現場の教員たちにとって、神話をどう教えるかは大きな課題であったに違いない。>(@三浦佑之『解説』)
古事記の研究といふ題目ですが、古事記に就いては、あらゆる方面から観察研究が出来ますが、私は、古代に関することには興味をもって ゐますので、広い題目を与へられますと、却って苦しいのです。
「で、出来るだけ範囲を狭めて申し上げてみたいと存じます。」と、古事記に収められた神話や伝承、特に歌謡の表現を取り上げることに焦点を 絞ったのは、我々の生活の源たる<昔の形>を考えてみることで、日本の古代の民族がどういう様な経路を経て今に至ったかがわかればよいと 思ったからだ。一冊の書物としての『古事記』について、多少目鼻のついたお話をするということよりも、<古事記の世界>の解釈がなければ、 何にもならないというのである。教育現場の新たな動きに対応しようとした要請に、折口がどれほど応えていたかは別として、(少なくとも 難しい時代の状況に対する配慮は感じられるとしても、)「支那の正史にならって」編纂された『日本紀』が歴史を担うものだったとすれば、 「語部の口述によって」伝えられた『古事記』は、それとは別の存在である。「古事記と日本紀とは、おのづから、違ふ目的がなければならぬ」 というのが、折口信夫の因って立つ明確な立ち位置だった。
<本書で論じられている古事記は、戦前に凡百が論じたであろう古事記とは一線を画しているというのもまた明らかである。>(@三浦佑之 『解説』)
この講演記録は、折口自らが「古事記研究の初歩」と銘打った、神話や歌謡などの「ことば」に対するすぐれた『音声論』の入門講義なので あって、唯物史観などという言葉がはやって、皆の目を覚ましてやろうと考えている「先走った人達」に迎合しようという『歴史論』では、 決してないのである。
「どうかこの講義の後に、心を潜めて、古事記の研究を進めて頂きたいと思ひます。」という静謐な言葉の裏に、折口の学者としての「反骨精神」 が込められているように感じてしまうのは、暇人だけではあるまい。
日本の古代歴史の、いはゆる神話は、政治家が手を入れて一種の政治的合理化を加へない中に、民族的に皆が承認して出来てしまったもので あって、古代民族全体が作ったものではない。この事をよく頭に入れて置いて欲しいと思ひます。
2022/2/13
「今日からドヤれる科学リテラシー講座」 くられ:原案・解説 化学同人
らる「そういえばシャンプー切らしてたっけ。どっちにしよう。やっぱ天然素材の無添加かな〜。」
・・・ズム!(飛び蹴りの音)・・・ぐえっ!
夜子「なんとなーく、体に良さそうとかバカな理由で決めてたでしょ?」
<天然が良くて人工がアカンってどこ情報よ?>
石油系商品も、「3億年の時が生み出した奇跡の石の滴由来の安心安全○○」みたいにキャッチコピー変えたら、自然派ママにバカ売れってか? 無添加ってのは、旧表示指定成分に該当する100種ほどが入っていないだけで、ホント無意味。国が決めたガイドラインはなく、単なる 「自称」よ。
というこの本は、身の回りのさまざまなことについて、「あーこれも科学的に考えるとソウナンダ・・・」と気づいてほしいという思いが込め られた、「ドタバタ漫画2ページと解説2ページで大事なことがすぐにわかる」ように、情報のコンパクト化を徹底した「科学リテラシー入門書」 なのだそうである。
<残念な真実!高級栄養ドリンクも効果なし!?>
あのね〜、栄養ドリンクって実はカフェインとガムシロップとアルコールしか有効成分ないんだよ〜、生薬に即効性なんてないっつーの!
「よーするに、気休め程度の効果しかないし、お金のムダさね」
<水素水、飲んでも無意味なのにバカ売れなのはなぜ?>
水素水。いやーこの名前を考えたヤツは天才だね。昔々ののインチキ商材を、現代風の名前にアレンジして、もう一度売るって商魂がすごい ってこったよ。
「大なり小なり中身は違うんだろうけど、健康に与える影響なんか、誤差も誤差よ。」
<電気刺激の腹筋ベルトは「筋肉増やす」効果もデータもない!>
もともとは寝たきりの人の筋力低下を少しでも防ぐために使われていて、そういう意味では医療機器だが、アレでムキムキになるんだったら ・・・
「そんなんで筋肉育つなら、オリンピック選手が真っ先にみんなやってるよ。」
<えーまだ青酸カリで毒殺してるの?>
青酸化合物は熱で分解しやすいし、すごいメタリックな味がしてマズいのよ。おまけに、何かあったら即警察に情報が行くから、悪用なんて できやしないよ。
「青酸カリで毒殺は時代遅れ。カビくさいから、ミステリーでもそろそろやめておいた方が無難だよ〜」
さて、いかがでしょうか?
馬鹿騒ぎしているだけの漫画に見えるかもしれませんが、そこに詰められた知識は、日々の生活で「ちょっと役にたつ」はずです。
2022/2/7
「テスカトリポカ」 佐藤究 KADOKAWA
ベラクルス出身のカサソラ兄弟がメキシコ北東部に進出し、20年かけて巨大化させた<ロス・カサソラス>、彼らの縄張りを急激に 台頭してきた新興勢力の<ドゴ・カルテル>が侵略し、2013年に戦争は開始された。
密輸による天文学的な利益を独占しようとするライバル同士の熾烈な麻薬戦争に敗れ、家族のすべてを失ったカサソラ4兄弟の生き残り バルミロ・カサソラが、<粉エル・ボルボ>という二つ名で呼ばれていたのは、拉致した殺し屋を生かしたまま、液体窒素で凍らせた手足を ハンマーで打ち砕く、残虐な拷問を好んだからだ。それは、アステカの勇者の末裔であることを誇る祖母が、生贄を神殿に捧げるために 執り行なってみせたテスカトリポカの祝祭の儀式から思い付いたものだった。
「バルミロ、三男のおまえは用心深くて、それに早起きだ。いいことだよ。だから、東を護る赤のテスカトリポカ様がおまえについてくださる。 おまえは人より早く目覚めて、誰よりも早く夜明けの薄闇に立ち、兄弟を助けておやり」
パトカーを降りた警官たちが2階の部屋のドアを開けたとき、13歳の少年は壁ぎわに座って、しぼんだバスケットボールを宙に放り上げて いた。明かりのない部屋に両親の死体が並んでいた。
「日本語わかるか?」と警官が呼びかけたのは、暴力団幹部の妻であるメキシコ人の母親の育児放棄により、この少年が小学校すらまともに 通っていなかったからだ。少年院に送られた土方コシモは、罪の重さや反省の欠如、日本語読解力の低さなどから「社会に居場所がない」と して、その後更生保護施設へと送られてしまうのだが、木工細工に類まれな才能を発揮したため、コレクター鑑賞用のナイフを作る工房から、 就職の誘いを受けることになる。・・・そこには隠された思惑が蠢いていた。
圧倒的迫力が他の候補作を寄せ付けなかったとの評判高い「直木賞」受賞作品。
眺めていたバルミロは戦慄さえ感じた。どれほどの腕力、どれほどの握力があれば、こんなことができるのか。力だけではない。獲物を 仕留める俊敏さ、とどめを刺す冷徹さにおいても、その若者はずば抜けていた。
「コシモ、おまえは今日からおれたちの家族(ファミリア)だ」
世界最強の猟犬が牙をむいて飛びかかるのを、ひるむことなく宙で受け止め地面に叩きつけてみせ、<断頭台エル・バティブロ>と名付けられた コシモこそは、追っ手を逃れて潜伏していたジャカルタで、出会った闇医者に触発された「臓器売買」ビジネスにカルテル再興の手がかりを 見つけ、日本へと乗り込んできた、バルミロが、<麻薬ナルコ密売>に代わる<心臓コラソン密売>のための、最強の<殺し屋シカリオ>に 育て上げようとして白羽の矢を立てた少年だったのだ。
で、<テスカトリポカって何?>
「わが神は、われらは彼の奴隷ティトラカワンとも呼ばれている。神に服従を示す人間の呼びかけが、そのまま神の名になってしまうほどに 怖ろしいということだ。」
バルミロとコシモという2人の宿命の出会いから、衝撃の大団円へと駆け抜けていくことになるこの物語の行く末は、どうぞご自分で確かめて いただきたい。スペイン語とナワトル語のルビが飛び交う喧騒の中で、時に自分の居場所を見失いそうになるかもしれないが、ここは紛れも なく今の日本なのである。
わが神は、夜と風ヨワリ・エエトカルとも呼ばれている。夜は暗く、風には体がない。つまり『目に見えず。触れることもできない』という 意味だ。それが、煙を吐く鏡テスカトリポカの偉大さだ。
2022/2/6
「24/7 眠らない社会」 Jクレーリー NTT出版
24/7とは、無関心の時間である。そのもとでは、人間の生のもろさはますます不適切なものとなっていき、睡眠が必須でも不可避 なものでもなくなっていく。
<24/7は、昼と夜、光と闇、能動と受動の区別を着実に掘り崩している。>
グアンタナモ収容所における囚人虐待の例を引き合いに出すまでもなく、拷問としての「睡眠剥奪」の歴史は何世紀も前まで遡ることができる が、グローバル化する資本主義の、連続的な労働と消費のための24時間・週7日フルタイム(=24/7)の市場や、地球規模のインフラ ストラクチャーによって、人間主体が徹底的にそれに適合するようにつくりかえられ、練り上げられ再組織化されるようになったのは、ほんの 最近のことなのである。
24/7は、広告の売り文句のように、いつでも利用可能であることが絶対であると説き、退屈なこと、不活性なこと、年をとらないことに 味方する。ゆえに「睡眠」は、生産時間と流通と消費において計り知れないほどの損失をもたらすため、24/7の世界の要求への断固とした 妨害であるとされるのだ。
<限界も休憩もなしに働きつづけるという理想がもっともらしく正常であるかのようになる。>
ここ2,30年のあいだに進展したインターネットなどのテクノロジー消費の仮借ないリズムのために、人はもはやいかなる時間の余裕をも もつことができない。現在評価されるのは、物を蓄積する欲望ではなく、常時利用可能で販売促進されているものなら何にでも、自らの生活を 一致させられるという確信なのであり、購入と廃棄の加速されたパターンへの従属がほとんど拒絶できないのは、そこには社会的・経済的失敗 の前兆となることへの恐れがあるからだ。
<わたしたちは、グローバルな都市社会の無害で従順な住人になっている。>
生活のための責任の完全な放棄は、まるで宿命でもあるかのように気味悪くわたしたちに語りかけるさまざまなベストセラー・ガイドの 題名に示唆されている。
死ぬ前に見るべき1000本の映画。
死ぬ前に訪れるべき観光地100選。
死ぬ前に読むべき500冊。
このような変化の経験は人を閉じこもりに引き寄せ、共通の世界の明らかな物足りなさから自分だけは特別に免れているという蜃気楼をふくら ませる。24/7の資本主義の内部では、個人の自己関心(自己利益)の外の社会性は容赦なくすり減らされ、公共空間における人と人のあいだ の基盤は不適切なものとなる。
しかし、<いまや事実上、他のすべてをさしおいて、ひとつだけ夢がある。>と、視覚の変容というテーマに挑んできたこの美術史家は警鐘を 鳴らす。わたしたちのグローバルな現在の容赦ない重荷のラディカルな中断として、その拒絶として、<睡眠>を暗示することになるという。 この本は、「不眠社会へと突き進むグローバル資本主義の猪突猛進に対する手厳しい批判と警告の論調」(@岡田温司)で貫かれた「黙示録」 なのである。
さまざまに異なる場所で、夢想や白日夢を含む多様なばらばらの状態で、資本主義なき未来を想像することは、睡眠の夢として開始される ことが可能である。
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