徒然読書日記202112
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2021/12/27
「言語学バーリ・トゥード」―Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか― 川添愛 東京大学出版会
たとえば、誰かが「時は来た!」と言ったとしよう。日本語だし、何ら難しい用語なども入っていないので、意味自体は明確だ。しかし 文脈によって、いったいその人が何について、またどういうつもりでそう言ったのかが大きく変わってくる。
<言葉の理解のために、文脈の理解は不可欠だ。>
もし予備校の熱血教師がそう言ったのなら、それは受験目前の生徒たちへの激励だろうし、自意識高めの社長が言ったのなら、新プロジェクト 開始の宣言かもしれない。実はこの本の内容にも、文脈が分からないと理解できない部分があるので、「言語学」という知的ワードに惹かれて 読むとがっかりしてしまうに違いない。言葉の本質を抽出した滋味溢れる文章など期待せず、最初から「箸休め的な内容しか載っていない」こと を了承した上で、読むかどうかを判断してほしい。
と随分控えめな「前書き」で始まったのは、これが東大出版会の月刊冊子『UP』の豪華執筆陣によるフルコースメニューに添えられた 「お口直し」の連載だからだ。とはいえ、
『ヒトの言葉 機械の言葉』
など、理論言語学で武装した作家が揮うペンの切れ味は、ますます研ぎ澄まされてきているようで・・・
何かを勘違いしたまま長い年月を過ごしてしまうというのはよくあることだ。私も今年になって、ユーミンこと松任谷由実の名曲について、 30年以上勘違いしていた「あること」に気がついた。
<その曲の名は、『恋人がサンタクロース』である。>
「A{は/が}B」という形で、かつAおよびBが「名詞(句)」であるような文は、言語学においては「コピュラ文」と呼ばれるが、 「AはB」と言った場合は、「AとBは同一のものだ」という解釈とは別に、「BがAという役割をになっている」という解釈が成り立つのに 対し、「AがB」と言った場合は、「AとBは同一のものだ」という解釈は同じだが、「AがBという役割をになっている」と解釈が逆になる ことに注意せねばならない。つまり、ユーミンが『恋人{は}サンタクロース』ではなく、『恋人{が}サンタクロース』というフレーズを選択 することにしたのは、「白髭のサンタクロース本人が恋人として登場する」のではなく、「ある特定の恋人がクリスマスの夜にサンタクロースと してやってくる」ことを想定したからだ。
などなど、コミュニケーションにまつわる矛盾や誤解、副題にもある「意味」と「意図」のズレの問題などを、軽快な語り口とともに、教えて くれるのである。
ところで、<バーリ・トゥード>って、何?
<「バーリ・トゥード」とはポルトガル語で「何でもあり」の意味で、ルールや反則を最小限にした格闘技>という言葉の説明をせずにタイトル に用いたことに対するウダウダとした釈明を読むだけでも、この著者の「一筋縄ではいかなさ」が明白なのだが、要するに、それが耳慣れないと 感じる人の方が多いということを忘れてしまうほど、「私は根っからの格闘技ファンです」と言いたいらしいのである。
もしプロレス好きの人が酒に酔って「時は来た!」と言っているのであれば、単に橋本真也のモノマネをしている可能性が高い。その場合は ・・・すかさず「橋本の隣で笑いをこらえる蝶野」のモノマネをして返すのが最高の作法というものだ。
2021/12/20
「東大の先生! 文系の私に超わかりやすく数学を教えてください!」 西成活裕 かんき出版
ついに禁断の書を出してしまいました。・・・この本はヤバいです。まじめに勉強している中学生は、決して見ないでください。 なぜかと言えば、最速・最短で中学数学をマスターできてしまうからです。
<言わば「R16指定」の本です。>
というこの本は、世の中のありとあらゆる「流れ」(車、人、モノ、カネ)を対象に、その流れが悪くなることのメカニズムを解析して見せた 名著、
『渋滞学』
で評判を呼んだ東大先端 科学技術研究センターの教授が、「数学アレルギー」を抱える文系ライターを生徒役として、5〜6時間足らずで中学数学を学び直すためには、 「実はこのコツだけ押さえておけばよかった!」と気付かせてさし子あげましょう、というものなのである。
中学数学が3年間で修得を目指す「ゴール」とは、
「代数」(数と式)→中学では二次方程式まで
「解析」(グラフ)→微分・積分(二次関数まで)
「幾何」(図解)→ベクトル(ピタゴラスの定理と円周角と相似まで)
最終的にこの3つがわかれば、大体どんな研究でも始められますよ。大学の数学はそれをもっと細かく複雑にしただけ。
<私が今回一番強調したいことはココなんです!!>
そんなわけで、具体的に展開されていく授業の模様は、一応理科系の暇人にとっては拍子抜けするほど簡単な内容だったので、割愛させていただく ことにするが、「マイナスとマイナスを掛けるとなんでプラスになるのか」が中学生にはわからず、「否定の否定は肯定だ」なんてわかりづらい 答えばかり書いてあるという話で、暇人の息子が小学生の時、分数の割り算がどうしても計算できなかったので、「分母と分子をひっくり返して 掛ければいいんだよ」と教えようとしたら、「計算の仕方が解らない」のではなく、「分数で割る」ということの意味が解らなくて悩んでいた ことを思い出した。
生徒「じゃあ、先生なりの答えは何ですか?」
先生「それが数学の決まりごとだからです。(キッパリ)」
つまり、「マイナスとマイナスを掛けるとプラスになる」という決まりごとにしないと、負の数を数学の世界に導入するに当たって矛盾が発生 してしまうのだ。
生徒「でも、<何で?>って疑問を抱くことって大事じゃないんですか?」
先生「もちろん、本質に立ち返る姿勢は極めて大事です。ただ、<そもそもの決まりごと>みたいな話になってくると、語学の文法を覚えるのに 近いんです。文法に文句を言う人っていないでしょう?」
といったあたりの議論は、さすがに
『無駄学』
の権威の面目躍如である。「無駄」とは、「投入したコスト(お金、時間、労力、資源)」(=インプット)に見合うだけの「効果」が 得られないこと、なのだそうである。
2021/12/18
「三体U 黒暗森林」 劉慈欣 早川書房
彼らは、100%自分の頭の中だけで計画を練ることになります。外界といかなるコミュニケーションもとらず、作戦におけるほんとう の戦略、実現に至るまでに必要なステップ、最終的な目標などは、自分の頭の中だけに隠しておくことになります。彼らは、古代の東方の瞑想者 たちにちなんで、面壁者と名づけられました。
「ではこれより、国際連合の名のもと、国連惑星防衛理事会により最終的に選定された4名の面壁者を発表します」
日本のSF界を席捲した前作
『三体』
で、 圧倒的な技術文明を誇る「三体人」から「虫けら」呼ばわりされてしまった地球人が、400年後に迫った「三体艦隊」との対決という絶望的 事態を打開せんと仕組んだのは、「面壁計画」という弱者の戦略だった。三体文明が送り込んだ極微スーパーコンピューター「智子(ソフォン)」 により、人類のあらゆる活動は監視され、すべてが筒抜けになってしまっている中で、「人間の思考だけは読むことができない」という、三体人 の弱点を突くことに、地球文明存続の唯一の望みを託すことにしたのである。
外界とコミュニケートしなければ、人間ひとりひとりの頭の中は、智子にとって永遠の秘密なのです。これが面壁計画の基盤となっています。
人類の命運を託された4名の面壁者とは、元米国防長官で戦略理論家のフレデリック・タイラー。前ベネズエラ大統領で革命の英雄のマニュエル ・レイ・ディアス。元欧州委員会委員長で脳科学者のビル・ハインズ。そして、元天文学者で社会学教授の羅輯(ルオ・ジー)だった。・・・ 「どうしてぼくなんです?」
というわけで、ここから展開されることになる4名それぞれの「面壁者」による、地球防衛のための秘策を巡る虚々実々の駆け引きは是非ご自分で お読みください。・・・注意!!<ここからネタバレあり>
真の狙いを明かすわけにはいかない「面壁計画」の真実は、地球三体協会から送り込まれた「破壁人」によって次々と 暴かれ、失敗していくことになるのだが、最後に残った場違いな「面壁者」羅輯は、自分が選ばれたのは地球三体協会の創設者、葉文潔から “宇宙社会学の公理”を託されていたからだと気付く。
1.生存は、文明の第一欲求である。
2.文明はたえず成長し拡張するが、宇宙における物質の総量はつねに一定である。
この、「猜疑連鎖」を前提とする「黒暗森林」理論に辿り着いた羅輯は、起死回生の“呪い”を宇宙に向けて発信し、200年の人工冬眠に 入ったのだが、冬眠から目覚めた羅輯が目にしたものは、文明の進歩に浮かれ、滅亡の危機を忘れてしまったかのような、未来社会の“こども さん”たちの姿だった。そしてついに、三体艦隊の偵察機「水滴」を迎え撃つため、地球連合艦隊の出撃が始まり、地球文明は衝撃の事態に 直面することになる。そして・・・
(智子)あなたは昨夜の講演でこう言いました。宇宙の本質は黒暗森林だと理解するのがこんなに遅れたのは、人類文明の進化が未熟で宇宙 意識を欠いているからではなく、人類に愛があるからだ、と。
「それがまちがいだと?」
(智子)いいえ、まちがいではありません。まちがっているのは、あなたがそれにつづいて述べたことです。この宇宙で愛を持つ種属はおそらく 人類だけだろうと、あなたは言いました。面壁者として使命を果たしたもっともつらい時期に、あなたを支えていたのがこの考えです。・・・ 少なくとも三体世界には愛がある。わたしはそのことを知っています。
2021/12/13
「日本史の考え方」 石川昌康 講談社現代新書
古代史にまで遡っていかない近現代史、あるいは近現代史につながらない古代史は、しょせん趣味の世界にとどまるでしょう。・・・ そこで、「無理にでも古代と近現代に橋を架けてしまえ」というのが、この二期区分だったのです。
<具体的には、天武天皇と明治天皇という二人の天皇に着目します。>
7世紀後半、白村江の敗戦で国防に忙殺されるなかで、没した天智天皇の後継を争った壬申の乱を制し、「律令体制」に基づく中央集権を確立した 天武天皇。19世紀後半、ペリー来航などの外圧が迫るなかで、戊辰戦争という内乱に勝ち、天皇を頂点とする「立憲国家」の形成を目指して いった明治天皇。この二人の天皇の出現に共通する前提は「対外戦争」と「内乱」であり、勝利した天皇は「神」として人々の前に立ち現れる ことで、「日本という帝国」が成立した。
天武朝が中国に対抗するべく、中国を模範とする国家体制を作り上げたのに対し、明治天皇のもとでは欧米に対抗するべく、欧米型の国家体制が 目指された。どちらも、戦いに敗れたその相手の体制を導入することになり、外国の影響を排除するのではなく、積極的に摂取していく契機と なったというところが面白い。
そこで、1853年のペリー来航を区切りとして、それ以前を「中国時代」、それ以降を「欧米時代」と呼び、この二つの時期を対比しつつ 考えていくことにする。ただし、前近代から近代へと、単純に「流れ」として捉えるのではなく、この二つの時期の共通点に注目して考えて みたいという狙いなのである。
どちらの時代においても、天皇が「神」として先頭に立った時代はそれほど長くは続かず、支配者層たる官僚が外国人の指導を受けながら、 外国化を推進した。つまり、天皇は伝統を破壊する「神」であり、「帝国」形成の作業を実際に担っていたのは、外国語を武器に身分と権力を 制度的に保障された「官僚」であった。
「帝国」であることを前提として官僚政治を産んだ中央集権化は、その成立過程として軍事優先を準備しており、やがて「軍事政権」を誕生 させることになる。「官僚」の地位は表面から姿を消した「天皇」によってのみ保障されたものだったが、「軍事政権」は天皇を核に閉鎖的な 集団を形成し、共存を図る。
天皇は見えないほどよいのです。可視的な天皇というのは決して生身の天皇ではありません。そこで、天皇は、彼らの読み替えによって成立 した「神話」、ものがたりの主人公となり、彼らは「神」の側近として排他的な身分を保持するのです。
う〜む、なるほど。どちらの時代にもうまく当てはまって、「歴史は繰り返す」ことが実感できる。だからといって、「東大日本史」は解け そうにもないが・・・その「切れ味」を試すために題材として選ばれたのが、東京大学二次試験の日本史の論述問題なのは、著者が河合塾日本史 科のカリスマ講師なるがゆえ。まじめに勉強しようという受験生の一般的な傾向として、前近代か近現代のどちらかが好きで、他方は不得意という 傾向がはっきりしているので、そんな受験生に、何とか、現在が過去とつながっていることを知ってもらうところから、始めなければならない というのが、執筆の動機だったらしい。
「ともかく日本史は、大きく二期に時期区分できる」と切り出してまとめた、というか、強引にまとめてしまったというのが正確なところです。 ・・・「いったい中世や近世はどうなってるんだ。あまりにも乱暴じゃないか」という怒りの声が聞こえてきますが、これに、どう答えるかは 実は今後の楽しみなのです。
2021/12/12
「書き出し<世界文学全集>」 柴田元幸編・訳 河出書房新社
この本は、かつて世界文学全集などでよくお目にかかったいろんな作品の、書き出し部分だけ新訳を作って並べてみたものである。 といっても、既訳に喧嘩を売るつもりはまったくない。この作品は既訳がよくないから新訳が出るべきである、とかいったメッセージはいっさい 込めていない。
<あんまり強く否定すると、かえって実はそういう意図があるんじゃないかと勘ぐられそうだが・・・>
そんなわけで、これは巷によくある『あらすじで読む世界文学』のような、お手軽に「読んだことにする」ための「付け焼刃」本なんかでは なくて、正真正銘の原文を(冒頭わずか3ページとはいえ)、しかもあの翻訳家・柴田元幸の新訳で、73作品も味わうことができるという、 至福の「読書体験」本なのである。
自分が我が人生の主人公となるのか、それともその座は誰か他人に譲ることになるのか、それは今後のページに語ってもらわねばならない。 (『デイヴィッド・コパーフィールド』Cディケンズ)
という書き出しを読んだだけで、「こんな感じなら、読んでみようかな」と、思うかどうかは正直に言えば微妙なのだが、自分の一生を時間軸に 沿って順々と語っていく、その王道的な語り口に反発したサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が、そもそもホールデン・コール フィールドという主人公の名前からして、大きく依拠しているのは明らか、なんて小コラムの解説の方が「この本を読め」と迫ってくる。
いまよりも若く、傷つきやすかった年月に、僕は父から忠告を受けた。その忠告を、今日に至るまでずっと、僕はよく思い返してきた。 (『グレート・ギャツビー』FSフィッツジェラルド)
という有名な「書き出し」を、
村上春樹の 「新訳」
と読み比べてみるというお楽しみもあるし、(柴田と村上には『翻訳夜話』という対談本もある。)
私は猫だ。いまのところまだ名前はない。どこで生まれたのか、見当もつかない。唯一覚えているのは、湿った暗い場所でニャーニャー鳴いて いたら、初めて人間を見たことだ。(『私は猫だ』夏目漱石)
というのは、もちろん『吾輩は猫である』の英訳からの重訳で、原文を極力忘れるように努めて訳したとのことだが、原文を知らなくても、この 猫の個性が見えてくるうちに、「I am a cat.=吾輩は猫である」という訳文にいずれたどり着いたかもしれないという。
幸福な家族はみな似たようなものだが、不幸な家族はそれぞれ独自に不幸である。 (『アンナ・カレーニナ』Lトルストイ)
という一文が、あらゆる書き出しのなかで最高じゃないかと思うと柴田は言う。ひょっとしたら小説自体もあらゆる小説の中で最高と言いたい 誘惑に駆られると。もちろん、こちらも英訳からの重訳なのだが、選ばれた作品の大半を英米文学が占めていて、それで「世界文学」と銘打つ のはいささか、という結果がこれなので、もし、ほかの言語による文学の翻訳・研究に携わる方々も「じゃあこっちもやってみるか」という気に なってもらえればとても嬉しいそうである。
<すみません英語しかできないんですごめんなさい>
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