202111徒然読書日記
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2021/11/30
「生命と地球の歴史」 丸山茂徳 磯崎行雄 岩波新書
私たち人類をはじめとする生命は、地球上で生まれ、生きてきたわけであるから、とうぜん地球の変動とは無縁でないはずだ。その 関係をつかむためにも、地球の変動の歴史はどうだったのか、生命の歴史はどうだったのかを確かに知らなくてはならない。
<両者をすり合わせてみたときに、はじめて関係の端緒が見えてくるだろう。>
というこの本は、2人の地質・生命史学者が、固体地球の進化史という視点から地球生命の進化史をとらえなおし、その起源から現在までを 解きおこしたものなのだが、これまで世界中から集められた膨大な研究成果を踏まえているとはいえ、提示された地球史・生命史の考え方は まったくのオリジナルと自負する意欲作である。(もっとも、本書が発行されたのは1998年であり、永年に渡って重版を重ねている名著 なので、もう定説になってしまっている可能性もあるが・・・)
<生命と地球の歴史についての研究は、1980年頃から急速に進展した。>
地球表層はいくつかの硬い板に分かれ、地球変動はそれらプレートの相対的な水平運動によるものだという、プレートテクトニクス理論の体系 ができあがったからだ。火の球だった地球は、宇宙空間のなかで冷却しつづけて現在にいたるが、内部からの熱の放出と物質の移動は非定常的 におき、地球環境に大きな変化を与えてきた。地球の歴史としてもっとも重要な、不可逆的な七大事件とは、以下のとおりである。
@微惑星の衝突付加による成層構造の形成(45.5億年前)
Aプレートテクトニクス開始と生命誕生(40億年前)
B強い地球磁場の誕生と光合成生物の浅海進出(27億年前)
Cはじめての超大陸の形成(19億年前)
D海水のマントルへの注入開始と硬骨格生物出現(7.5億年前)
E古生代と中生代の境界での生物大量絶滅(2.5億年前)
F人類の誕生と科学のはじまり(500万年前)
一方、分子生物学の分野でも、遺伝子や光合成などの研究から、生命の誕生と進化メカニズムについての理解が驚異的に進歩して、神話的な イメージは払拭された。私たちの体を造る主要な元素は、赤色巨星内でおきた核融合反応をとおして合成され、それらの星が超新星爆発を おこしたときに星間空間に放出されたものだ。
<いわば、私たちの体は星屑から生まれたともいえる。>
であるとするならば、太陽系と同様な恒星系は無数に存在するのだから、地球のような生命をもつ星もどこかに存在することにはなるはずだ。 しかし・・・もし、水が液体として存在しなかったら。もし、マントルに海水が注入されなかったら。もし、隕石が落下しなかったなら。 固体地球と生命の歴史を振り返ってみると、人類の誕生にいたる道筋はたいへんな偶然の積み重ねの結果であったということがわかってくる のである。
地球誕生後の45.5億年のあいだに、数多くの環境変化がおきた。多くは生物の存在を否定しようとするものであったが、それらをすべて くぐりぬけて生物は進化し、人類という唯一歴史観をもった生物が現われた。
2021/11/22
「人工培養された脳は<誰>なのか」―超先端バイオ技術が変える新生命― Pボール 原書房
2017年の夏、わたしの腕から採取された小さな断片が、ミニチュアの原始的な脳につくり替えられた。・・・試験管のなかで 培養液に浸かったわたしの体の一部を種として、8カ月後には小さな脳に似たものができる。
<生命?誰の生命だろう?>
正確にはわたしのではない。しかし、だとすれば、本物の脳のなかにある細胞や、体内を流れる血液や鼓動する心臓は、わたしの生命といえる のだろうか?わたしは、細胞の協力によって生かされ、細胞のコミュニケーションによって自己認識と独自性の感覚を与えられている、 <細胞の群体(コロニー)>なのだから。
というこの本は、科学メディアの第一線で活躍するイギリスの人気サイエンスライターが、UCL神経学研究所から協力を依頼された 「驚くべき実験」を体験し、<ヒトのあらゆる部分は、ほかのどの部分にでも変えられる可能性を秘めている――全身を含めて。>という <細胞形質転換技術>など、高度なバイオテクノロジー分野の科学を支配している<物語>を詳しく調べ、明らかにしようとした渾身の リポートなのである。
もしヒトをつくりたいのなら、これまでのところ、セックスという「昔ながらのヒトのつくりかた」にまさるものはないが、それは生物学的 にはということで・・・生体組織を最初に生体外で培養することに成功した、20世紀初頭の出来事から始まった細胞生物学の歩みは、 いつしか細胞をプログラムし直す段階へと至る。
<初期細胞には、なんでもできる。>
胚をしかるべくつくり上げる細胞なら、成熟した人体のあらゆる組織型をつくれるような多様性を保つという、胚性幹(ES)細胞。幹細胞の 多能性を担っている遺伝子を成熟した体細胞のなかで活性化することで、ヒト胚を犠牲にしない倫理性を求めた人工多能性幹(iPS)細胞。 再プログラムされた細胞から、人間のあらゆる組織や器官を培養することは、研究者たちの夢だったが、それは本当に体外で完全な器官に 育つのだろうか?
<性交という肉体的な行為が生殖に必須ではないことがわかってから、少なくとも数世紀になる。>
生殖補助医療(ART)と、そこから派生した科学技術――幹細胞、ゲノム編集、高度な組織培養――は、生と死についての先入観に真っ向 から挑んでくる。平均寿命が延びるにつれ、アルツハイマー病やパーキンソン病など、老化していく脳を脅かす疾患にかかる人が増えてきた が、脳自体も交換できるのだろうか?
<知覚力のある脳オルガノイドの生死は誰が――というより何が決めるのだろう?>
わたしのミニ脳は栄光の日々を終えた。クリスとセライナはそれを育てたあと、ホルムアルデヒドで固定し、ゲルに包埋して、染色と 画像化のために切断した。あの生き物に対する心のケアの義務を怠ったとは思っていないが、あとを引くささやかな感情を、完全には振り 払えずにいる。
「液体窒素のなかに、まだきみの線維芽細胞とiPS細胞があるよ。冷凍保存され、よみがえらせる準備はできている・・・」
2021/11/19
「将軍と側用人の政治」 大石慎三郎 講談社現代新書
これまで、「側用人」というと、必ずしもいい意味では語られてこなかった。むしろ、「君側の奸」といった悪いイメージがつき まといがちだったのではないだろうか。しかし、私は、この「側用人政治」こそが、270年近くにわたる徳川体制の維持を可能にし、さらに 日本の「近代」を用意したものではなかったかと考えている。
江戸時代に「側用人」という名の役職についた30人のなかで、将軍から厚い信頼を受けて政治的実権を握り、「側用人政治」と呼ぶに足る 政治を行ったのは、5代綱吉時代の柳沢吉保、6代家宣・7代家継時代の間部詮房、8代吉宗時代の加納久通・有馬氏倫、9代家重・10代 家治時代の田沼意次と、わずかしかいないが、
<これらの「側用人たち」は、皆「経済のわかる」人物だった。>
というこの本は、「側用人」を「江戸時代政治の硬直性・停滞性を補って、それに柔軟性・改新性を与えた存在」と捉え直すことで、再評価 しようとするものだ。(筆者は「新書・江戸時代」シリーズ全5冊の監修も務めた日本近世史の重鎮で、自身が担当した本書は第4回山本七平 賞を受賞している。)
徳川幕府の「家格制」という政治体制は、世の中が安定していた3代家光・4代家綱の時代には、権力をめぐる争いが起こりにくく、非常に 有効に機能するものだった。しかし、交換経済・貨幣経済が一気に広がるなどの経済社会化現象が起きた5代綱吉の時代=「元禄時代」という 「転換の時代」は、それでは乗り切れなくなる。
江戸初期の城下町建造とインフラ整備による未曽有の土建ブームから続いた空前の好景気のバブルがはじけ、崩壊の危機に直面した幕府財政を いかに立て直すか。「身分制」に守られて何の苦労もなく出世してきた人物などには太刀打ちできる術もなく、「経済のわかる」エキスパート が求められる時代となったのである。5代将軍綱吉の「元禄時代」が、身分制にとらわれない人材抜擢の時代となり、「側用人政治」登場の 時代となったのには、そのような背景があったのだ。
ここから約百年(17世紀末から18世紀末まで)続くことになる「側用人の政治」の個々の具体的内容については、本書をお読みいただく として、「側用人」の身辺に黒い噂が満ちあふれたのは、小身でありながら余りにも急速に出世したため、とかく誹謗中傷の対象にされやすい ものだからと、否定されており、「賄賂政治」の代表とも言われ続けてきた田沼意次についても、「予算制度」を確立し「流通税」を導入する など、その画期的な政治手腕を高く評価している。
「寛政の改革」で名高い松平定信の政策には、田沼のような明日の日本を見据えその発展に寄与するようなものは一つとしてない、反動的な 愚策だとさえいうのだ。
――白河(松平定信)の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼(意次)恋しき
では、経済化していく社会を危惧して、なんとか以前の自給体制に戻そうと発想した松平定信は、なぜ「理想的指導者」だと評価されることに なったのか?
<日本には古来、「経済」を卑しいものと見る性癖といったものがある。>
幕府行政の要である「三奉行」(寺社・町・勘定)の中でも、経済を担当する勘定奉行のポストは最下等に置かれているのである。
経済蔑視の歴史観を離れて、「経済」の視点から江戸時代を読み直すと、彼らの姿が鮮やかに浮かび上がってくる。経済発展を肯定した上 で、それによって変わった社会をいかに発展させていくか、ということを最も切実に考えていたのが「側用人」たちだったからである。
2021/11/12
「マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する」 丸山俊一 NHK出版新書
「世界」を「すべてを包括する全体」と定義する時、「すべてを包括する全体」が、意味の場において認識されることはあり得ない。 なぜなら、「すべて」を考える際に、その場もまた「世界」に含まれているはずなのであり、世界それ自体が、世界を含む場において認識 される、ということはあり得ないのだから・・・
「世界は存在しない。だが、一角獣は存在する。」
「存在する」ということは、その認識者によって「意味を付与される」ことだから、ある意味が付与されれば、想像上の存在にでさえ様々な 「認識」を持ち得るが、こうした様々な意味の場を「すべて包括する全体=世界」は存在しないというのが、ガブリエルが支持している 「新実在論」の立ち位置なのだ。
この本は、史上最年少でボン大学教授に就任した天才哲学者マルクス・ガブリエルのそんな思想を、「欲望の時代の哲学」として紹介し話題と なったNHKの番組を、担当した敏腕プロデューサーが改めて書籍化することで、“哲学界のロックスター”の発想のエッセンスを凝縮して お届けしましょうという試みなのである。
理性に立脚した「主体」が、理性的な手続きにおいて決められたルールによって、他者の「主体」性を尊重するところに形成される「合理」 的な市民社会の姿。ヨーロッパ文明の一つの達成ともいうべき、「輝かしい知性の結晶」としての「近代=モダン」はしかし、独裁者の暴走を 許し、とてつもない殺戮を生むことになる。
そんな壮大な負の歴史への自己反省から、実存主義が生まれ、構造主義が生まれ、さらにポスト構造主義へという流れが生まれてきたがゆえ に、「モダン」に対する「ポストモダン」は、絶対的で強固な構築物たる「遺産」の最良の部分を継承しつつ、その「歪み」を修正する 「相対」的技法となった。いわく「事実というのは存在しない」(ジャック・デリダ)
と、このヨーロッパの新たな世代の知性は、第二次世界大戦後、現在に至るまでの哲学の歴史を鮮やかに概観してみせるのだが・・・
ポストモダニズムの基礎的な概念は、覚えているだろうか、これらすべてを突き動かしていたのは、僕らは現実を見ることができない、 社会的現実などない、そして映像の外の現実もなく、ただ一つの鏡がもう一つの鏡の横にあるという概念だった。
「だが、もう明らかに、鏡を投げ捨て、新しい段階を始める時だろう。」
なぜなら、ポストモダンの独裁者(反民主主義者や反啓蒙活動家たち)は、「あなた」が知っていることを、本当は知らないと信じさせたい のだから、もし「あなた」があなた自身の知る能力を自ら攻撃するようになれば、知識と科学によって形成される道徳観も攻撃され、道徳的 間違いを犯す可能性を高めるだろう。
「ポスト真実の危機に直面した時、僕らに何ができるだろう?」
哲学はこれを手助けできると、ガブリエルは力強く宣言する。哲学の義務はカントがすでに18世紀に古代ローマの詩人ホラティウスを引用 して、言った通りだからと。<Sapere Aude 知恵を持つことに勇気を持て!>
僕らは、今こそ、本当の事実を見つけ出すため、人類全体として力を合わせはじめなければならない。・・・特に「現実がどのような ものかを知ることなどできない」という幻想を乗り越える解釈、この基礎の上にのみ、僕らの時代における大いなる疑問に答えはじめることが できる。
2021/11/10
「科学哲学の冒険」―サイエンスの目的と方法をさぐる― 戸田山和久 NHKブックス
世界をまるごと理解するための試みとしての哲学は、「世界の中に<世界を理解する>というたぐいまれな活動(つまり科学)が 生じているということ」そのものを理解しなければならないだろう。
<こうした謎を解くのが科学哲学の第一の課題だと思う。>
・科学はなぜ可能なのか?
・科学は他の活動とどこが違うのか?
・どこがどう違うから世界を理解することができるのか?
科学が世界のありさまを徐々に明らかにしていっている(ように見える)ということは、それじたい説明を要する謎なのだ。
というこの本は、「科学的実在論」を擁護する立場に立つ科学哲学者が「センセイ」となって、2人の学生を相手に対話する形式を採っている のだが、「科学が理解しようとしている世界は、目に見えないミクロなものも含めて、科学とは別にあらかじめ存在している。」という、多く の人が科学についてもっている素朴な直観を肯定する「科学的実在論」が、科学哲学の世界では必ずしも強い立場ではないと明かすセンセイに 対し、
「科学哲学が科学という<現象>の理解を目指すってことは分かったんですけど、科学のどういうところをどんな風に理解しようとしている んですか。」と、旺盛な知識欲を発揮して、あくまで正面から剛速球で挑みかかってくるような、理学部3年生で生物物理専攻の理系少女 柳田リカさんと、
「センセイの話を聞いていると、科学哲学は本当は科学者がやればいいのに、科学者は本業で忙しいので、哲学者が下請けでやってるみたい に感じるんですけど。」と、ユニークな切り口から、鋭い切れ味の変化球を投げ込んでくる、文学部哲学科3年生でフランス現代思想オタクの 塚本テツオくんと、
絶妙なコンビを組んだ3人が興じる科学哲学のキャッチボールは、「楽屋落ち」に陥りがちな従来の「対話方式」とは一線を画す、臨場感に 溢れているのである。
たとえば、科学と独立した世界の存在と秩序をみとめる「独立性テーゼ」と、科学によってその世界のありさまを知ることができると考える 「知識テーゼ」、この両方をみとめる立場である「科学的実在論」に対し、独立性テーゼを否定する「社会構成主義」と、知識テーゼを否定 する「反実在論」を採り上げて論じられる、「科学的実在論論争」は、われわれは世界のどこまでを知りうるかという問いについての論争と なり、科学の目的は何かという問いを巡る大団円へといたるのである。
テツオ「ボクが疑問なのは、その目的を達したか、というか、そもそもその目的に近づいているってどうやって分かるのか、ということ なんですけど。」
リカ「実在論的な目的って、実在にぴったり当てはまる理論を作ること、とか、実在によく似た理論を作ること、みたいに、科学の外にある 実在との関係が含まれるような目的ってことでいいですか?」
センセイ「科学方法論自体が、<しかじかのことを主張したいなら、かくかくの正当化をしなさい>という正当化のやり方を含んでいるよね。 これを<方法論のメタ正当化>って言うわけ。」
だから、科学的実在論というのは、科学が科学を説明しようとするときの、一つの仮説だと考えることができる。
2021/11/8
「漢字と日本人」 高島俊男 文春新書
いまかりに英語が、それを書きあらわす手段を持たなかったとする。そして、この世におよそ文字というものは漢字だけしかなく、 そこでどうしても英語を漢字で書きあらわさねばならないとしたら、それはどんなに途方もない、困難きわまることであろうか。
<かつて日本でおこったのは、まさしくそういう事態なのであった。>
というこの本は、
『漢字雑談』
『漢字と日本語』
など、日本における 漢字の問題を巡って、溢れ出すような蘊蓄を傾けてきた著者が、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(講談社エッセイ賞受賞)と自称する 本領を思う存分発揮して、縦横無尽に斬りまくってみせる辛口のエッセイである。
<かつて日本に文字はなかった。>
だからといって、日本に言語がなかったわけではない。日本列島に住む人々が話していた「ことば」を表記する文字がなかったということで ある。
<千数百年前に中国から漢字がはいってきた。>
中国の漢族の言語「漢語」には、三千年以上前からそれを表記する文字「漢字」があり、それが非常に発達した、整備された文字体系となって、 日本にはいってきた。
<それは、日本語にとって不幸なことであった。>
第一に、具体的なものをさす言葉はあったが、抽象的なものをさす言葉はほとんどないという、まだ幼稚な段階にあった日本語の発達が とまってしまったということ。「雨」「雪」「風」とか、あるいは「あつい」「さむい」などの言葉はあっても、「天候」とか「気象」とか の、それらを概括する抽象的な言葉はなかったのだ。
第二に、漢字とは、世界のあらゆる言語のなかでもっとも完璧な非のうちどころのない言語である「漢語」を書き表すためにできた、理想的な 文字だということ。漢語とかけへだたった日本語を漢字で書くということには、非常な困難と混乱が伴い、それが千数百年後のこんにちもまだ 続いているというのである。
と、このあたりまでの論調はきわめて真っ当で、なるほどフムフムと納得させられるのだが、そろそろ毒舌の虫が騒ぎ出してきたようで、
<ときどき、英語のアルファベットはたったの26文字で、それで何でも書けるのに、漢字は何千もあるからむずかしい、と言う人があるが ・・・>
「こういうことを言う人はかならずバカである。」漢字は一字一語一音節の文字なので、一つ一つの文字が英語のaとかbとかの文字に相当 するのではなく、「つづり」(スペリング)に相当している。「日」にせよ「月」にせよ、その字が表しているのは一つの意味を持つ一つの 音節なのだから、sunやmoonのスペリングを覚えるより、むしろやさしいのだ。
というわけで、漢字自体は漢語のなかで用いられているかぎりにおいては、別に何も難しいものではないのに、日本語のなかの漢字がえらく 難しいのはなぜか。それは本書を読んで確かめていただくとして、しかしそれを使う日本人がえらく難しいことをやってのけていると思って ないんだから、<まあ多分そう難しくないんだろう。>というのだった。
2021/11/5
「ぼくは数式で宇宙の美しさを伝えたい」 Kバーネット 角川文庫
わたしたち夫婦は、二人のあいだに生まれた活発で早熟な赤ん坊が、徐々におしゃべりをしなくなり、自分だけの世界に閉じこもって いくのを目の当たりにしながら、なすすべもなくそれを見ているしかありませんでした。
<16歳になったときに自分で靴ひもを結べるようになっていたらラッキーだ。>
と専門家が診断を下したジェイクは、しかし8歳で大学レベルの数学、天文学、物理学のコースを受講し、9歳で大学に入学して、相対性理論 に取り組むようになる。この本は、将来のノーベル賞候補とも賞される自閉症の天才少年ジェイコブ・バーネットの母親が綴った、どん底から 今ここにいたるまでの感動の物語なのである。
発育のバロメーターとなる様々なスキルが同じぐらいのレベルに揃わず、発育段階のあちこちに散らばっている子どもに下される「自閉症 スペクトラム」という診断。早くから字が読め、複雑な迷路をいとも簡単に解き、ひとつのことに何時間でも集中していられるなど、親として ひそかに自慢に思っていたこれらの才能がすべて、その反対側にある多くの「できないこと」と切っても切り離せない表裏一体の関係として、 ジェイクの自閉症を決定づける行動だったことを知らされた時の衝撃。
<息子が他の子どもよりパズルを速くやれるといって喜んだ自分がひどく愚かに思えました。(それと引き換えに)採用面接の相手と握手を 交わすことができないということなのですから。>
3歳になったジェイクは、発達障碍児に基本的な生活スキルを教えるための特別支援クラスに通いはじめるが、おかしな行動が数多くみられる ようになる。通いはじめる前に少しずつできるようになっていたことができなくなり、じきにしゃべることができるようになるかも、という 期待は再び手が届かなくなっていった。
「バーネットさん、申し訳ないのですが、わたしが言いたいのは、ジェイコブ君についてはアルファベットを学ばせようとする必要はない ということなんです」ジェイクの未来への扉をバタンと閉めてしまうような教師の言葉を聞いても、まだ3歳にしかならない子どもの可能性を 完全にシャットアウトするつもりはなかった。
<なぜみんな、この子たちができないことにばかり焦点を当てるのだろう?なぜできることにもっと注目しないのだろう?>
プロのアドバイスに逆らうというのは非常な恐怖心をともなう選択だったが、このままでは息子は駄目になってしまうという母親としての直観 を信じ、息子が本当に必要としている支援を受けるために、自分自身でジェイクの教育をし、希望を捨てるのではなく、探し求める道を進もう と、彼女は決断する。ここから「ジェイクの可能性を―それが何であろうとも―フルに引き出すために、必要なことは何だってやる」という 壮絶な闘いの日々が始まったのだった。
ここからの、あれよあれよと続くジェットコースターのような物語は、彼女が立ち上げた障害児の保育施設の物語とともに、どうぞご自分で お読みいただきたいのだが、天才少年ジェイクの存在が全米に知れ渡って、大勢のメディアが自宅に押し寄せてきたとき、困惑した彼女は 改めて気付かされることになったという。
メディアはジェイクの才能はあり得ないほど「すばらしい」と言うが、それはあやうく完全に失われてしまうところだった才能だからこそ 「すばらしい」のだと。
息子の才能は特殊なものですが、彼の話を書くことによって、誰もが持っているそれぞれの個性や特技がもっと注目されるようになれば 良いと思います。・・・子どもの内なるきらめきに注目し、それを伸ばしてあげれば、かならず想像もしなかったほどの発展がみられる のです。
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