徒然読書日記202110
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2021/10/28
「江戸奇人伝」―旗本・川路家の人びと― 氏家幹人 平凡社新書
明治17年10月17日の日本立憲政党新聞の紙面には5日前に胃癌で亡くなったさる「稀なる賢婦」の死亡記事が載っています。 享年81歳。
「いと長く思ひしかども限りある 我が世の夢も今ぞさめぬる」という辞世を遺した彼女は、その前年に『ね覚のすさび』と題する随筆を認め、 自分が80歳になるまで歩んできた人生をしみじみと振り返っていた。紀伊徳川家の姫君にお仕えし、35歳でようやく縁付いた嫁ぎ先の夫 には、先妻および妾との間にもうけた二男二女があり、養父母のほかに生母も存生していた。そんな複雑な家庭環境の中に放り出されたにも かかわらず、夫が激務で留守勝ちの家を守り、舅・姑によく仕え、育ち盛りの子供たちを見事に育て上げた。
え?お疑いですか?さすがに、自分で自分を褒めすぎだろうって?
いやいや、彼女の良妻賢母ぶりは30年も連れ添った夫の日記『寧府紀事』に克明に記されており、正真正銘の折り紙付きなのだ。で、その夫 こそは誰あろう・・・冒頭の新聞記事で「旗本だった夫が幕府瓦解の折に慷慨の余り自決した際の彼女の沈着な態度」と称えられたように、 幕臣きっての能吏・川路左衛門尉聖謨だった。
というこの本は、
『かたき討ち』 ―復讐の作法―
など、江戸時代の特異な世相や風習に題材を得て、軽妙洒脱な語りを展開してくれる日本近世史研究者が、歴史に埋もれた 異色の才能や味のある人物を発掘して紹介しようと始めた雑誌の連載なのだが、結局「川路家」の話題に終始することになってしまったのは、 「川路の日記が面白すぎたから」なのだという。
勘定奉行だった川路が開国を求めるロシアの使節プチャーチンと長崎で会見した際、異国の男は妻を話題にすると喜ぶと聞き、咄嗟の機転で 口にしたのは、「左衛門尉妻は江戸にて一二を争ふ美人也。それを置て来りたる故か、おりおりおもひ出し候。忘るる法はあるまじきや。」 と臆面もなくノロケをかますぐらい「美人」だった、川路の妻はまた、かつて自作の歌文を水戸烈公に捧げたこともあるくらい人並外れた 文才の持ち主でもあった。実家の兄が妹を「紫式部」並みの才能とほめそやすのを、負けず嫌いのやっかみ半分で、「花色秩父」(裏地に 用いるはなだ色の絹)程度だろうと妻に文を送ると、「されど夫もまだ過たらむ。紫もめんせつたうらかわ姫位ならむ。いと顔の皮あつ姫と 人やわらはむ。」と、妻の方が一枚も二枚も上手なのである。しかしそんな彼女にも唯一の弱点があって、「げろげろ」で「ごろごろ」という <奇妙な持病>に悩まされ続けたという、「天下の奇妻」でもあったのだった。
と、夫婦のエピソードだけでもこんな話が延々と続くので、両親・子供や奉公人も含めた『川路家の人びと』の「奇人」ぶりは、是非ご自分で お確かめいただくとして、
<彼の日記は、そのほとんどが母へ宛てた近況報告の手紙で、おのずと情愛とユーモアに溢れ、親しみやすい。>
川路の日記がこれほどに面白い一番の理由は、この日記の多くが江戸で離れて暮らす最愛の母親の心を慰める目的で書かれたものだったから だろうという。
折々にこみ上げてくる亡父への思いとそれにもまして強烈な母親思い。妻との軽妙かつ知的な会話の数々。子どもたちへの細やかな配慮。 教育熱心等々。しかも家族を見つめる左衛門尉さんの眼差しはいつも優しく、彼の日記の中で川路家の人びとは、奉公人に至るまで活き活きと 描き出されているのです。
2021/10/22
「星はなぜ輝くのか」 尾崎洋二 朝日選書
星の科学は、16世紀のコペルニクスにはじまるが、太陽系の外にある星(恒星)についてさまざまなことがわかるようになった のは、20世紀初頭になってからである。また、ことに1960年代以降は、宇宙を観測する方法が多様になり、それにともなう天文学の理論 の躍進的な研究成果によって、おもしろいほどいろいろなことが解明された。
<星がどうして輝くのかも、わかった。>と「まえがき」で既に種明かししてしまっているのだから、この本は決して『星はなぜ輝くのか』と いう専門的な仕組みだけを解き明かそうとしたものではない。子供の頃に聞いた「星座の神話」で星好きとなり、小・中学校では「星」に ついての科学的な記述のある本に魅せられたことがきっかけで天文学者となった著者が、20世紀に科学者が解明した星の謎と、そこに至る ドラマを通して、できるだけ多くの人に天文学の面白さを伝えたいという思いが詰まった一般向けの本なのである。
でも、『星はなぜ輝くのか』?
星は内部の水素やヘリウムなどの軽い原子核から、より重い原子核をつくる「核融合反応」によって、莫大なエネルギーを宇宙空間に放射して いる。しかし、「星が光り輝く」のは、「星の内部に核燃料があり、核融合エネルギーが発生する」からだとするのは、半分正しく、半分 間違っているのだという。
「星はみずからの重力を内部の圧力で支えているガス球である」ため、みずからの莫大な重みを支えるためには、内部の圧力も莫大でなければ ならない。そして、ガス球である星がこの高圧を生み出すためには、内部は高温、高密度でなければならないのだ。(太陽の場合で中心温度 1500万度、密度は水の150倍。)こんな高温の星の内部から、低温(−270度)の星外宇宙空間へと、熱エネルギーが四方八方に 放射され、その一部が可視光となって観測されることになる。
つまり、星は核燃料があるかないかにかかわらず、みずからの重力によって「光り輝く運命にある」ということなのだ。
とはいえ、星が長期間安定してエネルギーを放出し続けるにはエネルギー源が必要であり、その燃料としてもっとも重要なのが核融合 エネルギーなのだった。内部の核燃料を消費し続ければ、それにともなって内部の化学組成が変化していくため、その結果として、星は時と ともにその姿を変えていく。主系列星、赤色巨星、白色矮星など、質量や組成によってさまざまな道筋を辿るとはいえ、核燃料を消費し尽くし た星は、いずれその一生を終え、死んでいく。
これを「星が進化する」という。世代を重ねる「生物の進化」とは異なり、星は単独で時間とともにその姿を変え「進化」を終えるのである。 でもご心配なく。太陽より重い星は最後に超新星爆発を起こして死んでいくが、宇宙空間にばらまかれた核廃棄物(重い元素)は希薄なガスの 星間雲に混ざり込み、次世代の星となる。宇宙ではこのようにして「輪廻転生」が繰り返されているのだ。
星は無機的な物体だと思っていたかもしれないが、星には実は生まれてくる喜びや消えゆく悲しみという、人間と変わらない「一生」があった。 そして・・・<私たちは、その意味で「星の子」といえる。>
星が死に際にばらまく、内部の核反応を経た物質が、つぎの世代の星をつくる材料として使われる。私たちの身体をつくっている炭素、 酸素、その他の多くの元素は、源をたどると、星の内部の核反応でつくられたものである。
2021/10/18
「新・朝鮮語で万葉集は解読できない」 安本美典 JICC出版局
最近(引用者注:1991年)、『人麻呂の暗号』『もう一つの万葉集』『日本語の悲劇』など、古代の日本語が、朝鮮語で解読 できるという趣旨の本が、つぎつぎと刊行されている。これらのなかには、数十万部というベストセラーになっている本もあるようだ。
<「『万葉集』が朝鮮語で解読できる」とするような説は到底成立しない。>
「man yo shu」の「man」は「manual」で「手」、「yo」は「yours」で「あなたの」、「syu」は「show」だから、「あなたの手を見せなさい」 という意味となる。『万葉集』は実は「英語で解読できる」暗号として読めば、古代の人々が手相の秘儀を記した現代に送るメッセージへと、 慄くばかりの変容を遂げるのだ。
というのはもちろん著者オリジナルのパロディだが、藤村由加が書いた『人麻呂の暗号』(この本は暇人も発売と同時に読んだ!)の帯広告 には、「人麻呂を韓国語で読むと・・・千有余年の封印を解いて今明らかにする歌聖の出自と死の謎。文学史を覆す衝撃の書。」なんて書いて あったりするのだ。出版社が大手で、発行部数も多いから、通説をひっくり返したような彼らの見解を、人は面白がって読むだろうし、出版社 もそれをねらって次々に刊行するのだろう。しかし、事実や論理や長い研究史を余りにも無視しすぎた彼らの見解は、『万葉集』や古代語の 研究に付け加えるところは何一つなく、時間がたてば消え去るはずだ。
<「売れる」ということと、内容が事実や論理に照らして「正しい」ということとは、別のことである。>
というこの本は、『日本語の起源を探る』などの自著があんまり売れなかったことに対する「やっかみ半分」、なんてことは絶対にないはず の(と思われる?)、日本古代史を専門とする「計量比較言語学者」による、まことに真っ当な「反論証明」なのである。(古い本なのでもう 決着は着いているはずと思うが・・・)
「数詞」や、手、口、鼻などの「身体語」といった、どのような民族集団でも必ずそれに当たる単語をもっているような「基礎語彙」は、 それほど変化せずに残る。これを手がかりとした計量比較言語学的な研究によれば、日本語と偶然とはいえない関係をもつ言語として、まず 朝鮮語、アイヌ語が浮かび上がってくる。これら「古極東アジア語」系の言語は、近隣のアルタイ諸言語の祖語的なものから、きわめて古く (約7千年以上前)に分離したもののようなのである。
ところで、現在のスペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語などは、古代ローマで使われていたラテン語から分裂し、独自に発達 してきたものなのだが、これとは逆に、日本語は多くの言語が流れ込む形で成立したものであり、それがいくつかの異質の言語と、統計的に 偶然以上の一致を示す理由となっているという。
「古極東アジア語」系から分裂、発展した日本語、朝鮮語、アイヌ語が共通する語順(SOV)を用いているのは、そこに由来するものと みなされるが、朝鮮語がその後もアルタイ諸言語からの影響を受け続け、アイヌ語も古極東アジア語の古代的特徴を比較的多く残したかと 見られるのに対し、日本語のほうは縄文期にインドネシア系言語が、弥生時代には稲作などと共にビルマ系の言語が流入し、「基礎語彙」が 改めて形作られたようなのだ。
このようなことは、日本語と朝鮮語が「姉妹語」であると考えたり、朝鮮語が日本語の「祖語」のようなものであると考えたり、 「奈良時代には、日本人と朝鮮人とは通訳なしでも話が通じた」と考えたりする反証になっているはずである。
(参考までに)
なぜこんな古い本を今さら読んだかといえば、『彼岸花が咲く島』に触発されて日本語の起源が気になったからで、『日本書紀の謎を解く』も その流れで読んだのである。
2021/10/15
「進化の隣人 ヒトとチンパンジー」 松沢哲郎 岩波新書
ヒトとサルが昔は同じ一つの生き物だったということは、多くの人が理解するところです。これは科学的な正しい理解です。 「ではチンパンジーは?」ときくと、「チンパンジーは黒くて大きなサルだ」と多くの人々が思っているでしょう。
<しかし、これはまちがいです。>
「霊長類」と呼ばれる約200種のサルの仲間の系統発生的な関係を見れば、昔は一つの生き物だったものがヒトの系統とサルの系統へと 分かれたことは確かだが、分かれた後のサルの共通祖先から、ゴリラやオランウータンやテナガザルなどのサルが生まれ、そのなかの一つが チンパンジーだ、と考えるのは間違いなのである。
まず3千万年前に、ヒト、チンパンジーなどの尻尾のないサル「エイプ ape」と、ニホンザルなどの尻尾のあるサル「モンキー monkey」の 系統が分かれた。そして8百万年前に、「ゴリラに向かう系統」と「ヒトとチンパンジーに向かう系統」が三者の共通祖先から分岐したこと が、DNAの塩基配列から判明している。19世紀以来の動物分類ではチンパンジーとゴリラを「大型類人猿」としてヒトと対置してきたが、 実はゴリラが違って、ヒトとチンパンジーが同じだったのだ。およそ5百万年さかのぼれば同じ一つの生き物だったということで、ヒトと チンパンジー(とボノボ)のDNA配列による遺伝的な差はわずか1.2%なのである。
というわけでこの本は、人間の言葉や数を理解するチンパンジーとして注目を浴びた「アイ」と、彼女が1歳のときから25年に渡って一緒に 過ごしてきた、京大霊長類研究所の教授が、アフリカの森での観察や、日本の研究室内での振る舞いの検証を通して、彼らの心の奥を探って きた研究成果の集大成なのである。
野生にも拘らず巧みにできあいの道具を使う工夫をしてみせたり、研究室のコンピューターを使って文字や数字が理解できることを嬉々として 示したり、彼らが披露してくれた、ヒトと比肩しうる(時には凌駕する)ような認知的な能力や、様々な感情や仲間意識の発露など、驚くべき 新発見の喜びは、どうぞご自分で読んでいただきたいのだが、(NHKの人間講座でもやったらしい、但し2002年と物凄く古い話で恐縮 です。)
人間の心や認識に興味があって選んだ「哲学科」の大学院博士課程1年の時に、霊長類研究所の助手の公募に申し込んだのは、「人間に最も 近いといわれるサルの仲間が、この世界をどのように見ているのか、何を考えているのか、それを行動の解析を通じて調べたい」というのが、 26年後の今に続く研究動機だったという。
人間の心も、その体同様に進化の産物ではあるが、化石に残る骨格や歯などと違って、知性や認識は化石に残ることがない。だとすれば、我々 の心の由来を知るためには、人間以外の動物との「比較認知科学」(どこが同じでどこが違うか)の研究が必要だろうというのである。 人間と最も近縁なチンパンジーを知ることは、両者の共通祖先のふるまいや認識を推測し、我々の「心の進化」の過程を辿るための道標となる のである。
チンパンジーを進化の隣人だと理解することによって、人間は現在地球上に生きている他の多様な動植物と変わらない生命の一員である ことがわかります。そして「進化」と「多様性」と「共生」といったキーワードで語られるような、まったく新しい人間観、人間という存在の 科学的理解を手にいれられるように思います。
2021/10/8
「日本書紀の謎を解く」―述作者は誰か― 森博達 中公新書
『古事記』が林なら『日本書紀』は森だ。・・・私は雑然たる森を見て、中の様子が気にかかった。周りを巡ると、北半分は万葉 仮名の森、南半分は文章の林だった。・・・森の周りを巡るだけでは、植生の秘密は解けない。内部を探検してはじめて、この森の卓絶した 価値を知った。振り返ってつくづく思う。自然のわざのなんと奇しく妙なることか。
<皆さんと一緒にこの森を探検します。>と、まるでお気楽なハイキングへのお誘いのような口車に乗って、なんの心の準備もなくこの森へと 足を踏み入れたアナタは、少しばかり意表をつかれることになる。
なにしろ、手渡されるのは森までの地図が3枚と、方位磁石と、目印に使う赤・黄・白の3種のリボンだけだというのだが、地図はそれぞれ 「書紀概説」、「書紀研究の視点」、「書紀成立区分論」なる名前で、これを「音韻学」の方位磁石と「訓古学」のリボンを使って探検する のである。難しい話になりそうだから、親しみやすそうな比喩を用いて、少しでも肩の力を抜いてもらえたら、という配慮なのかもしれない が、かえって不気味なのだ。
そんなわけでこの本は、古代音韻学を専門とする中国文学者が、その記述に用いられた漢字の音韻や語法を分析することで、日本書紀成立の 真相に迫る意欲作である。
花樹を避けて北東部から森に入ってみた。松が繁茂している。竹も混在しているが、生気がない。根づいていないのだろう。西へ向かって しばらく行くと、小川が流れている。跳び越えて頭を挙げると、一面の竹林であった。
<小川を挟んだ東西の対立は倭漢の対立だ。>
『日本書紀』全30巻はその表記の性格によって、α群(14〜21・24〜27)と、β群(1〜13・22〜23・28〜29)とに截然と二分される。 (巻30は除く。)α群は、中国原音によって仮名が表記されており、文章は基本的に正格漢文で綴られていて、β群に比べて「倭習」(和文的 要素)も少ないのに対し、β群は、歌謡と訓注の仮名が倭音によって表記されているため、原音で読むとまったく日本語の音韻を区別できない、 和化漢文で綴られているというのである。
つまり、まず持統朝に来朝した唐人の俘虜が「音博士」に登用されてα群を書き、文武朝になって倭人の「史(フヒト)」がβ群を仕上げた というのが結論なのだ。(本書では、具体的に、いつ、誰が書いたかという推定まで突っ込んで議論されているので、興味のある方はご自分で 読んでみてください。)
<真実はいつも簡単だ。>「私はこの本を書くために生まれてきた。」と、書き終えての余韻にふけるこの著者のドヤ顔が目に浮かんでくる ような締め括りなのだが・・・
単語の長さ(これでは日本語が分析できない)にとどまらず、文の長さ、品詞や特定の言葉の出現率、語彙の豊富さ、さらに日本語では漢字の 使用率などから、「グリコ・森永事件の<かい人21面相>は二人いた?」など、まことに興味津々の様々な謎に迫ってみせた「計量文献学」 の名著、
『シェークスピアは誰ですか?』
の方が、とっつきやすくて暇人としてはお薦めかな?
2021/10/3
「彼岸花が咲く島」 李琴峰 文芸春秋
砂浜に倒れている少女は、炙られているようでもあり、炎の触手に囲われ大事に守られているようでもあった。
「わたし、なんでここにいるの?・・・わたしはだれ?」
その真っ白なワンピースを身に纏った少女を、最初に発見したのは、彼岸花を採りに砂浜にやってきた<島>の娘、游娜(ヨナ)だった。
「リー、ニライカナイより来(ライ)したに非(アラ)ずマー?」
どうやら記憶を失っているらしい少女と会話を交わすうち、互いが使っている言葉は似ているけれども微妙に異なっており、上手く通じない ことに二人は気付く。
<本年度芥川賞受賞作品>
この<島>には普通に話されている<ニホン語>と、島の歴史の伝承を受け継ぐ指導者<ノロ>となるために女のみが修得を許される<女語 (じょご)>があったが、游娜から「海の向こうから来した故」宇美(ウミ)と呼ばれるようになった少女が使う<ひのもとことば>は、 なぜか<女語>にとても似ているのだった。
<島>に生まれた女として、当然のように<ノロ>になることを目指しながら、<女語>の習得に悪戦苦闘している游娜。 <島>の人々がどこから来たのか、海の向こうにはなにがあるのかを知りたいからと、男のくせに<女語>を学んでいる幼馴染の拓慈(タツ)。 なぜか<大ノロ>から「出ていきたくないのなら春までに<島>の言葉を身につけよ」と、<ノロ>となって<島>の歴史を背負うことを義務 付けられた宇美。3人の若者たちが、お互いの置かれた立場に思いを寄せながら、助け合い、励まし合い、時にいがみ合いながら、じゃれ合う ように成長していく姿が描かれていく。
というわけで、ついに<ノロ>となる儀式を迎え、<大ノロ>の口から秘儀と共に明かされた、<島>にまつわる封印された歴史とは・・・
<以下、ネタバレにつき文字を白くしておきます。>
お前たちはびっくりするかもしれんが、あん時、偉い人たちはほとんど男だった。・・・それだけじゃあない。 歴史の担い手もまた男だった。歴史を作る人も、語る人も、全て男だった。
<あん時、女っちゅうのはただ男の所有物でしかなかった。>
「美しい国」を取り戻すために「外人」を悉く追い出そうと躍起になった<ニホン>の偉い人たちによって、追い出された先祖たちが流れ 着いた<島>の歴史。そこに元々住んでいた<別の人たち>を皆殺しにしたのも束の間、今度は<チュウゴク>に負けた<タイワン>から たくさんの人たちが<島>へ逃げ込んできた。再び繰り返された殺戮の「歴史」により、彼岸花のように赤い血で<島>が染められた時、 戦いに疲れた男たちはようやく自分たちの愚かさに気付く。男たちは「歴史」を女たちに手渡すことにし、手渡された女たちは、長い長い 人間の歴史で誰もやったことがなかったことに踏み切る。まず「戦い」をやめたのだ。
つまり<ニホン語>とは、<ニホン>と<タイワン>の言葉が入り混じった物(従って漢字かな混じりの漢文読み下し風になる)であり、 <女語>の方は、<ニホン>から逃げてきた人々が、過去の記憶を継承するために、当時に使っていた古の言葉を遺そうとしたものだった のである。
正直に言えば、暇人としては物語自体の進行より、この言語体系の構築力の方に魅力を感じてしまったと言わねばならない。
2021/10/3
「心にナイフをしのばせて」 奥野修司 文藝春秋
(1969年)4月23日午後4時すぎ、すでに授業は終わり、校庭には部活動に余念のない生徒たちがいるだけだった。そこへ 突然、左腕を切られて血を流している生徒がかつぎ込まれた。この4月に入学してまもない少年Aだった。
「おれのことはいいから、先生、早く行ってくれ。加賀美君が大変な目にあってるんだ」
少年Aが3人の男に襲われたという現場に駆けつけた教師が発見したのは、体中をめった刺しにされた上で、首が胴体から切り離された加賀美 少年の遺体だった。遠くからサイレンが聞こえ「さすがに日本の警察は早いなあ」と教師は感心したが、目撃情報によりすでに神奈川県警は 少年Aが犯人であることを知っていたのだ。
という「この事件」を著者が取材するきっかけになったのは、1997年に神戸で起こった連続児童殺傷事件、いわゆる「酒鬼薔薇」事件 だった。神戸家庭裁判所が、当時14歳の少年に医療少年院送致という保護処分を決定したのは、28年前の川崎の事件を参考にしている という噂を耳にしたからだ。
猟奇的な殺人をわずか14歳で平然とやり遂げた「酒鬼薔薇」少年は、「少年法」の通達によれば、少年院に送られてもわずか2,3年で出て くることになる。人権擁護の名目でいたずらに少年を甘やかすことはかえって凶悪犯罪につながるのであり、もっと厳罰主義で臨むべきだ、 という論議も高まってはいたが、犯罪を犯した少年の「更正」とはそもそも何なのか、たとえば犯罪被害者をどうケアするのか、何かが欠けて いるようで釈然としないものがあったのだという。
<たとえ少年であっても、他人の命を奪った罪は、奪われた遺族の悲しみと表裏一体であることを忘れてはいないだろうか。>
「酒鬼薔薇」少年の犯した罪が「心の闇」に葬られたように、少年Aのその後を追い、加害者にまつわる「なぜ」をいくら追っても虚しさが 漂うだけだから、むしろ大事なのは、遺族がその後の人生をどれだけ苦しみながら生きてきたかを詳らかにすることだと始められた、 妹みゆきさんへの3年に及ぶインタビューの記録。
家族の前では涙を見せず、親戚の家で泣いていたという寡黙な父。2年近くも寝込み、髪が真っ白に変わり、自殺未遂まで引き起こした母。 「自分が死ねばよかった」という罪悪感から両親に猛然と反発し、リストカットを繰り返すなど、波乱万丈の人生を辿ることになった妹。 母娘そろって、加害者を恨んだことがなかったと告白したのは、家族としての本来の姿を取り戻すことに精一杯で、加害者を恨む余裕も なかったのだろうが・・・少年Aは国家から無償の教育を受け、少年院を退院した後は名前を変えて最高学府に入り、人もうらやむ弁護士に なっていた。慰謝料も払わず、謝罪もなく。
「あいつをめちゃめちゃにしてやりたい」
終章で、兄を殺したAが弁護士になっていると聞いたとき、半狂乱になったというみゆきさんが、父母への複雑な思いと共に初めて吐露した 胸の内の棘。『心にナイフをしのばせて』生きてきたのは、表紙に描かれていた<加害者>の方ではなかった。
わたしの心につけられたシミのような傷を消すことができるとすれば、あの事件に「決着」をつけられたときのような気がする。その 「決着」のために、わたしはこの30余年、心の底にナイフをしのばせてきた。いつでも対決できるように・・・。
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