徒然読書日記202109
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2021/9/30
「海の上の建築革命」―近代の相克が生んだ超技師の未来都市〈軍艦島〉― 中村享一 忘羊社
独特の景観が残される島はその後、学者や建築家を中心とした調査が限定的に行われていたが、閉山から35年後の2009年、 再び上陸が許可されると、にわかに脚光を浴び始めた。それまで年間5万人程度だった見学者は、15年の世界遺産登録以降、20万人台後半 に増加した。
<廃墟となった近現代の産業遺構がこれほどの注目を集めている理由は何なのだろう。>
というこの本は、「都市の解体と再構築」をテーマとする都市設計コンペで、出島から端島にいたる長崎の歴史風土を軸とした都市の再構築案 で銅賞を受賞して以降、「軍艦島」の研究を続けてきた建築家が、「明治期三菱端島坑の形成過程に関する研究」と題して提出した博士論文の 内容に沿いながら、元は海上の小さな岩礁に過ぎなかった端島が埋立によって拡張され、いつしか「軍艦島」と呼ばれる高密度の炭坑都市と なっていく過程を、それに貢献した各分野の知られざる“超技師”たちにフォーカスして、できるだけ読み物として読み進められるような体裁 となるよう工夫したという労作なのである。
2015年「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として登録された「端島」が、近代炭坑発祥の地とされる高島炭坑の“支坑”として開発 されたのは明治初頭で、後押しを受けたグラバーの破綻による天草の大棟梁・小山秀之進の挫折と、引き継いだ岩崎彌太郎率いる三菱による 炭坑の近代化の推進の物語や、三菱の炭坑・鉱山事業を率いた“超技師”たち、中でも士魂の坑山師・長谷川芳之助を寝耳に水と憤怒させた、 三菱の大番頭・荘田平五郎の丸の内再開発計画、大土木家・白石直治の登場と、三菱の建築部門をリードした曾禰達蔵、保岡勝也ら錚々たる メンバーによる、エンジニア・アーキテクトの近代の夜明けなど、前奏曲ともいうべき歴史物語も読み応え十分の面白さなのではあるが、 やはりなんといっても話の本筋は「軍艦島」の成り立ちである。
わずか6ha余りの土地に高層建築群を擁するその島影が、軍艦「土佐」に似ていると新聞に報じられたことから、いつしか「軍艦島」と 呼ばれるようになった、この島の象徴ともいうべき7階建ての通称「30号棟」は、大正5年竣工で、わが国で最も早くに建設された鉄筋 コンクリート造の高層集合住宅だった。
端島の30号棟や日給住宅は労働者用の集合住宅である。建設コストを徹底して削減した結果、その意匠は装飾を廃したものとなり、 はからずもモダニズム建築の条件を満たす建築となった――
<そう説明してしまえば簡単だが、これらが生まれた理由はそれほど安直なものではなかった。>
30号棟誕生から10年後の1926年、ル・コルビュジエが、自らが手掛けたクック邸の5つのポイント、いわゆる「近代建築五原則」を 提唱する。
1.ピロティは建築全体を地上から持ち上げる。
2.自由な平面は、耐力性を間仕切り壁から分離させて達成される。
3.自由な正面は、自由な平面の垂直面への必然的投影である。
4.横長引き違い窓、または「水平窓」が取り付けられる。
5.屋上庭園は建築が占める地上の面積を取り戻すことになる。
この「近代建築5原則」が、10年も前に長崎沖の岩礁の島で現実の建築物としてまがりなりにも具現化されていた事実は、どんなに強調 してもしすぎることはない。高密な人口が居住可能な環境を整備するという、端島ならではの課題を合理的に解決するため、RC工法が採用 され、コルビュジエがプロトタイプとして示した「ドミノ構造」と酷似する建築が図らずも出現したのではないだろうか、というのがこの著者 の冒頭の問いへの回答である。
その意味でも、30号棟はモダニズム建築の定義を満たすものである。
2021/9/24
「貝に続く場所にて」 石沢麻依 文藝春秋
ゲッティンゲンに来てから、ここから離れた場所を襲った地震の記憶について、一度も耳にしたことはなかった。緑に包まれたあの 東北の土地、まだ四季が境界をなしている場所の名前は、ここでは誰の耳をもすり抜けてゆく遠い言葉だったからだ、
<人気のない駅舎の陰に立って、私は半ば顔の消えた来訪者を待ち続けていた。>
ドイツのゲッティンゲンで西洋美術史の博士論文を準備している私を訪ねてきたのは、9年前の東日本大震災で行方不明となったままの友人、 野宮の幽霊だった。
――野宮に変わりはありませんでしたか?
仙台から野宮の来訪をスカイプで伝えてきた澤田も、そして私も、野宮を死者としてではなく過去からの漂流者と思っている節があった。
<本年度芥川賞受賞作品>
「惑星の小道」と呼ばれる太陽系の縮尺模型が組み込まれ、ひとつの時間から別の時間へ、重ねられた記憶の中をすいすいと進んでゆくことが できる、「時間の縫い目が目立たない街」を野宮を案内して歩くのは、筋の通った静けさを馴染んだ服のようにまとっている印象の物理学者・ 寺田寅彦だった。生きている者と死んでしまった者が交わり、パイ状に重ね合わさった時空間を自在に行き来して巧みに構築してみせた、 これは「3.11」への鎮魂歌なのである。
――月沈原(ゲッティンゲン)でトリュフ犬に会いました。
海王星近くの森で、トリュフでも毒茸でも動物の死骸でもない「何かしら」を引っ張り出すという、奇妙な収集癖を示し始めたトリュフ犬の ヘクトー。杖、玩具の剣、ダーツの矢、羊の縫いぐるみ、錆にまみれた杯、取っ手が壊れたバスケット、塔の形をした人形の家。落とし物と みなすにはあまりにも「森」という場所にそぐわない、誰かの生活に組み込まれながら、そこから引き離されてしまった物たち。
――この中には何か、あなた自身のものも含まれているのですか?
ただ話を聞くために「木曜の時間」を開放してきたウルスラが始めた発掘物の収集部屋は、小さな美術館の展示室の趣を醸し出していた。 部屋中にほぼ隙間なく並べられた断片たちは、場所に馴染まず、部屋の主を表すひとつの印象を作り出すこともなく、濃密な気配で眼差しを 突き刺してきた。蒐集された物は一枚の絵を完成させる断片とはなり得ず、それぞれが「誰か」の時間や記憶を主張して、その「誰か」が 引き取りに来ることを待っているのだ。
――ただ抜けばいいでしょう。奥歯じゃなくてよかった。
ある朝、目が覚めると突然背中に生えていた前歯3枚と犬歯が2つ。私の中から生えてきた痛みが形をとった、 これは野宮の歯なのだろうか。
<午後2時46分、と野宮は呟く。静かな透明な声。>
私には振り返り、確認することはできない。幾重にも幾重にも記憶と時間を結びつけたつぎはぎの記憶の襞に、その気配もまぎれて 遠ざかっていった。そこに還ることを願うという祈りは、見えない糸となって記憶を固定した。野宮は、もうそこにいないのかもしれない。
2021/9/18
「禅的生活」 玄侑宗久 ちくま新書
禅とはむろん特定の仏教宗派(日本では臨済宗、曹洞宗、黄檗宗)のことでもあるが、もともとはディアーナ(禅那=三昧)の 省略形だから、さまざまな場面であり得る一種の精神状態のことだと考えていいだろう。
<そうした観点でこの本の「禅的」という言葉は受け止めてほしい。>
というこの本は、
『中陰の花』
で芥川賞 を受賞した作家でもある臨済宗の僧侶が、様々な禅語を通じて禅の世界観を味わい、日常生活に具体的な変化を生み出すことで、迷いや辛さが すこしでも減り、楽になっていただけたらと書いたものなので、佳いと思った言葉はどこのものでも無節操に引っ張り出してきたとしても、 皆さんも思想や宗教の枠組みにとらわれない自由さで読み進めてほしいというものである。たとえば・・・
<一切唯心造>(新釈『華厳経』)
世界の在り方を観ようと思うなら、まず世界が心で造られたものだと見極め、「心」などしょせん「心」が捏造したに過ぎないものとバカに すること。概して禅では、左脳の言語・思考機能が最もバカにされる。いわゆる「理屈」とか「価値判断」を最大の妄想とするということのよう なのである。
<柳緑花紅真面目>(『東坡禅喜集』)
柳は緑で花は紅。ともに素晴らしい。本来比較のしようがないものを、なんの価値判断もせずに受け入れた結果が、蘇東坡の目に映った風景 なのである。そうしたあたりまえの認識ができなくなるほどに、普段の我々はでっちあげの価値観で目が曇り、比べられないものを比べて 勝手な取捨選択をしているのではないか。
<日日是好日>(『雲門広録』)
「修業期間があけた日に悟ったあとの心境をもって来なさい」という問いに、誰ひとり答えられなかった弟子たちに向かって、唐末の雲門禅師 は自ら答えてしまう。昨日と関係なく出逢ったのだから、それがどんな日であろうと今日はみな新鮮で佳い日である。すべての因果を看取る ことは不可能だから、意識的に無視するのだ。
というわけで、「拈華微笑」とは後継ぎを決めようとした釈尊が、コンパラゲという華を手に持ち示したところ、不思議そうに見守るだけ だった弟子大衆の中で、摩訶迦葉のみが微笑んだので彼に後事を託したという逸話があるが、これはあらゆる言葉や論理を仲立ちとせず、 悟った心どうしが感応し共振したということで、それは「以心伝心」や、「不立文字」、「教外別伝」、「直指人心」などと云われ、それほど に仏心そのものを言葉や論理で伝えることは難しいとされるのだ。それにしても・・・
言葉で表現できない事柄に関してこれだけ多くの表現があるというのが可笑しい。それはおそらく、人間は無意識の世界をも意識が射程に 入れるしかないように、言葉の届かない世界にもなんとか言葉で近づこうとする生き物だという証左ではないだろうか。
2021/9/17
「イエスの弟」―ヤコブの骨箱発見をめぐって― Hシャンクス Bウェザリントン 松柏社
この小さな箱は、一番長い大腿骨が納まる大きさで、箱の外側には、死者の名が刻まれることもあった。本書の主役であるその骨箱 にも、銘文が刻み込まれていた。
『ヤコブ、ヨセフの息子、イエスの弟』と。
というこの本は、2002年にテルアビブの骨董収集家の元を訪れた古文書学者が発見した、随分前に骨董市場で手に入れたという怪しげな 「骨箱」を巡る物語である。イエスの時代、エルサレムでは遺体を洞窟の墓所内の長く窪んだ穴に埋葬する風習があった。肉体が朽ち果てる と、死者の骨は石灰石の蓋つきの箱に納められるのだ。
「ヤコブは初期のキリスト教史上、非常に重要な人物なんだ。」と古文書学者は叫んだ。しかし・・・収集家は、イエス処刑後のエルサレムの キリスト教ユダヤ人共同体の指導者として「福音書」などにも登場する「義の人ヤコブ」に、全く馴染みがないようだったし、これだけでは あの「イエスの弟」ヤコブだと確定するには不十分である。ヨセフ、イエス、ヤコブという名は1世紀のエルサレムではありふれたものだから だ。当時のエルサレムの人口規模も考慮に入れながら、ヨセフ、イエス、ヤコブが同じ銘文の中に刻まれる確率の概算を求めることから、 予備的な調査は始まった。(この辺りの事情は、ずいぶん昔にご紹介した
『キリストの棺』
の時にも、 話題になっていた。)
この骨箱はいったいどこから出てきたのか?どうやって手に入れたのか?という質問に、収集家が曖昧な態度を示したこともあり、「偽物」 論議も盛り上がる中、各分野の専門家の手による、骨箱の成分分析や銘文の字体と刻まれ方の鑑定が進められ、「おそらく本物」という お墨付きを得て、トロントの王立美術館で展覧される。ところが、なんと空輸の途中で梱包のやり方に不具合があったため、美術館に到着した 骨箱は大きく破損しており、専門家の手で修復が行われ・・・などなど。これは、「ナザレのイエス」の実在を証する考古学的発見にまつわる 「大騒ぎ」の顛末を、余すところなく詳細に伝えてくれる衝撃のレポートなのである。
さて、この本が出版されて直後に「偽物」と判断したイスラエル当局が収集家一味を詐欺罪で告発したが、10数年の裁判闘争の結果、無罪と なったらしいと聞くが、<では、この石の箱には本当にイエスの弟ヤコブの骨が納まっていたことになるのだろうか?>という、日本では それほど話題にならなかった「疑問」が、キリスト教社会においてこれほどの大騒動になったのは、実は「イエスに弟がいた」という事実の方 にある。ローマカトリック教会の「福音書」解釈では、義の人ヤコブはイエスの従兄弟にすぎないとされているからだ。(あるいは、少なく とも異母兄弟である。)<マリアは永遠の処女>なのだから、処女懐胎で生まれたイエス本人はともかくとして、弟がいてはさすがに説明が つかないということのようなのである。
暇人にとっては、そちらの方がよほどに興味津々の、考古学的「謎」であるように感じたわけなのだが、もちろん、これに対する満足な解答は 得られるはずもなかった。
2021/9/16
「銀河の片隅で科学夜話」 全卓樹 朝日出版社
科学は秘密の花園である。方程式と専門用語の壁に囲まれて、通りすがりには容易に魅力を明かさない。花園の壁に覗き窓をつける ことは、それゆえわれわれ科学者の責務であろう。
<特にテーマを決めず、科学の面白さの核心を伝える本を書いてみたい。>・・・と出版社の人に言ったら、「化学エッセイは売れないから」 と言下に断られたという理論物理学者が、本業の量子力学を数式を使わずに解説する本の好評に力を得て書き上げたこの本は、現代科学の様々 な分野の成果とそれをめぐる人間の物語の中から、著者の興味を引いた一般にはあまり流通していない話題を選んだ、22夜に渉る「徒然話」 である。
1日の長さは、潮の満ち引きによる摩擦の影響で、1年に0.000017秒ずつ伸びているため、500億年後には1日の長さがそのときの1月の 長さと揃ってしまう。いまの月のように、地球もいつも同じ面を月に向けるようになり、地上には月が決して見えない国ができるであろう。 われわれの世界に永遠は存在しないようだ。という『海辺の永遠』など4夜を納めた「天空編」。
量子力学に従う粒子は同時に複数の相反する性質を帯びており、観測された瞬間に確率的にそのどれかの状態と確定する、という 「シュレディンガーの猫」実験。この「重ね合わせ状態」の逆説を回避するために、無限に分岐し増殖する多世界解釈を着想したエヴェレット は、黙殺と冷笑で迎えられ国防業界に身を転じてしまった。という『エヴェレット博士の無限分岐宇宙』など4夜を納めた「原子編」。
賛成・反対の定まった意見を持ち続ける「固定票タイプ」と、他人の意見を参考勘案して決める「浮動票タイプ」、すべての個人が2つの タイプのいずれかに属する。もしも各人の意見の調整が、「ランダムに集まった3人の多数決」によって繰り返し断続的に起きるとすると、 固定型は17%いれば浮動型を制圧できることになる。という『多数決の秘められた力』など5夜を納めた「数理社会編」。
人は起きる前ずっと夢を見ているが、直近30秒以前のものは忘れ去られてしまう、という実験結果。脳内イメージの抽出技術は恐るべき速度 で様々な展開をみせる。人の脳内概念を別の人の脳に直接伝えるSFの世界がいまや現実の視野に入ってきた。しかしそれがはたして新たな 人間の解放なのか、それとも封印すべき技芸か。という『思い出せない夢の倫理学』など4夜を納めた「倫理編」。
12羽のカナダガモの編隊を率いて上空を周回する様子を撮影した映画で評判を呼んだリッシュマンに白羽の矢を立てたのは、渡り鳥研究者 スレイデン博士だった。人工孵化した絶滅危惧種のアメリカシロヅルが、生存競争に耐えることができるよう、道を教えてくれる親鳥に 代わって「渡りの技」を教えてほしいと頼んだのだ。5夜が納められた「生命編」の最終話『渡り鳥を率いて』は、この抒情的で詩情に溢れる 「科学夜話」の掉尾を飾るにふさわしいものだった。後日、「なぜ鳥たちに渡りを教えたいと思ったのか」と新聞記者に問われたリッシュマン は、こう答えたのだという。
「人間は鳥から飛行を学んだのだから、飛べなくなった鳥に飛行を教えるのは、われわれの義務なのではないかと感じたんです。」
古代アメリカの伝説によると、太陽が毎朝昇ってくるためには、人間の気高い行いの奉納が絶えず必要なのだという。彼らのような人々の 営みも、あるいは地球が廻り続けている理由の一つなのかもしれない。
2021/9/14
「金澤町家」―改修と活用― NPO法人金澤町家研究会 編
「金澤町家」は金沢の歴史的建築物を総称するための愛称である。城下町であったため、武士系建築や町家タイプの建築、および、 明治維新以降に西洋建築の様式を一部に取り入れた近代和風建築など多様である。そうした歴史的建築物は金沢の文化や暮らしを包摂してきた 歴史的資産である。それらを継承、活用していくことは私たちの世代の役割であり、次世代に継承する責務がある。(理事長 川上光彦)
というこの本は、金澤町家の改修・活用を重要施策と位置付け各種施策を実施してきた金沢市と連携し、2005年に市民活動としてスタート したNPO法人が、伝統的建物の特徴とそれを継承・活用する方法をわかりやすく解説することで、金澤町家の改修・活用をより一層進めよう としてまとめられたものである。
活用事例を採り上げた第二部では、住宅、商店はもとより、近頃流行りのレストラン、ゲストハウスなど、多くの事例が豊富なカラー写真と ともに紹介されるのだが、
鈴木さん夫妻は子供二人の四人家族。福井から金沢に移住された。ご夫妻は学生時代を金沢で過ごされており、「金沢に住むなら町家」 との思いで町家探しが始まった。(寺町 鈴木邸)
といった具合で、ピンときた出会いから始まる「金澤町家物語」(丁寧なインタビューの成果と思われる)が披露され、「顔の見える」 家づくりを楽しむことで、普通の人なら必ず聞かずにはおれない「壊して新築した方が早いし安いのでは?」(確かに安いのだ)という 疑問に、納得の回答を与えてくれるのである。
暇人の会社は「金沢で一番小さいゼネコン」を自称しているので、町家改修どころか木造建築専門ですらない、総合建設工事業者なのだが、 10年ほど前に縁あって東山の町家改修のお手伝いをさせていただいて以来、ブームに乗ったこともあって、立て続けに毎年数棟の町家改修を 手掛けることになった。そんなわけで、この本でも、当社がお手伝いさせていただいたものとしては、 (それぞれに当社の工事日誌を添付しておきます。)
「山田邸」
―Uターン後の新居に
「池守邸」
―二軒の町家を一つに
「寺町 鈴木邸」
―暮らしの楽しみを町家に詰めて
「ディキシット邸」
―蔵と庭のある暮らし
「豆月」
―豆をテーマにしたカフェ
「観音坂の望楼 いちえ」
―歴史的な家並みが眺められるカフェ
「金澤町家職人工房 東山」
―職人の町に工芸の響きを
「四知堂KANAZAWA」
―望楼のある大型町家の再生活用
「西玖SAIK」
―町家で楽しむ多様な和室の宿
「町家ゲストハウスかるた」
―表紙
が掲載されているのだが、いま改めて読み返してみると、どれ一つとして容易な工事ではなかった、一つ一つの町家づくりの物語が、走馬灯の ように蘇ってくる。もちろん、新築工事をお手伝いする時でも、それぞれにそれぞれのストーリーが展開されるわけで、そこに大きな違いが あるわけではないのだけれど、町家の改修の場合には、そこに積み重ねられてきた歴史の重みというものが加わってくるだけに、随分得難い 経験をさせていただいたものだと感謝している。
2021/9/7
「日本思想史新論」―プラグマティズムからナショナリズムへ ― 中野剛志 ちくま新書
開国を巡る歴史物語は、戦後、知識人に限らず、多くの日本人にも共有されてきたと言ってよいだろう。すなわち、江戸時代と戦前の 日本は「閉じた社会」という負の側面であり、明治時代と戦後の日本は「開いた社会」という正の側面であるという歴史観である。
<そして、この開国物語における最大のヒール(悪役)こそ、戦時中のイデオロギーとして作用した水戸学の尊王攘夷論なのである。>
戦前、水戸学の尊王攘夷論、特に会沢正志斎の著した『新論』(1825)は、国民を戦争へと鼓舞するものとして、盛んに称賛されたもの だったからだ。しかし、この戦後日本人が共有してきた「開国物語」は、単なる過去の歴史をどう見るかという問題にとどまらず、今日の 日本の政治の方向性にも大きな影響を与え、そのイデオロギーはグローバリゼーションという大きな世界の潮流の中で、強力に作動することに なる。90年代の構造改革路線に乗った「第3の開国」論である。
<本書は、この戦後日本を支配してきた開国物語を破壊しようという企てである。>
というこの本は、戦略的に考えようとする思考回路を遮断して、「TPPに参加しなければ世界の孤児になる」といった決まり文句で煽り 立てるばかりだと、「TPP賛成」の世間の風潮に警鐘を鳴らす
『TPP亡国論』
を著した気鋭の ナショナリストによる、日本思想史の<封印された系譜>発掘の試みなのである。
そんな著者が「迂遠なようではあるが」と断りながらも、江戸時代初期の「古学」の登場という思想史上の画期にまで遡って、この議論を 説き起こすことにしたのは、当時の思想世界において大きな地位を占めていた「朱子学」が、「理」という一つの原理であらゆる物事を説明 する強力な理論体系であったことに対し、国家戦略に求められる思考様式は実践的なものでなければならないと、その形式的で硬直的な 「合理主義」を根本的に批判したのが「古学」だったと見立てたからだ。
古学の開祖・伊藤仁斎は、「気」を「理」に先行させ、人間とその環境を「活物」とする動態的な世界観を提示して、日常の経験世界を重視 した実践哲学を樹立した。仁斎の哲学を批判的に継承・発展させた荻生徂徠は、制度を通じた実践的な統治を提唱し、通貨の供給拡大や武士の 土着化といった画期的な制度改革を提言した。
仁斎が生み徂徠が育てた「古学」によって、近代西洋の衝撃に対処すべく、壮大な国家戦略の書『新論』を著したのが会沢正志斎だった。 国民国家の原型ともいうべき「国体」という彼が構想した日本が目指すべき姿。これが対外的危機に直面した時、「水戸学」の尊王攘夷思想へ と姿を変えたのである。「尊皇攘夷思想」は、幕末・維新の日本を動かす原動力となったが、皮肉なことに、水戸学が守ろうとした幕藩体制は その尊皇攘夷思想によって崩壊することになる。
しかし維新後においても、水戸学のような実践哲学に裏打ちされたナショナリズムの精神を継承した思想家がいた。それは誰あろう、福沢諭吉 である。福沢は言うまでもなく、「実学」を提唱すると同時に、近代世界における日本の独立国家としてのあるべき姿を論じた思想家である。
<尊王攘夷論は、国家的危機を解決しようとしたプラグマティズムなのである。>だとすれば、これは同時に、日本のナショナリズムに プラグマティズムという思想があったということを示唆することにはならないか、というのが著者の主張である。
伊藤仁斎、荻生徂徠、会沢正志斎そして福沢諭吉。この四人の思想家を直列させたとき、我々は戦後日本を支配してきた開国物語の呪縛から 解放され、実学という日本の伝統的なプラグマティズムを回復し、そして日本のナショナリズムを健全な姿で取り戻すことができるのである。
2021/9/5
「哲学と宗教全史」 出口治明 ダイヤモンド社
哲学と宗教について、改めて「それって何ですか?」と問われると、その定義づけはなかなか難しい問題となります。ここで大切な ことは、はるか昔から人間が抱いてきた問いかけとは何か、ということです。それは次の2つに要約されます。
「世界はどうしてできたのか?」
「人間はどこからきてどこへ行くのか?」
人間が抱き続けてきたこの2つの素朴な問いに答えてきたのが、宗教であり哲学であり、さらには哲学から派生した自然科学だった。そして、 最後に登場してきた自然科学の中の、特に宇宙物理学や脳科学などの進歩によって、この2つの問いには大枠でほぼ最終的な解答が導き出され ている。
人間は星のかけらから生まれ、動物であるがゆえに次の世代を残すために生きている。自然科学は、そこまでの道筋を明らかにしました。
しかし・・・<皆さんはこの結論で、自分が生きている意味や世界の存在について納得しますか?>
というこの本は、日本生命退職後に還暦でライフネット生命を立ち上げたバリバリの実業家(現在は立命館アジア太平洋大学学長)であり ながら、これまでに読破した本は1万冊超という稀代の読書家が、学生時代に読み漁ったという哲学や宗教の歴史を、記憶を辿りながら まとめたものである。忙しい毎日をおくっているビジネスパーソンの皆さんに、少しでも哲学や宗教について興味を持ってほしいと考え、 枝葉を切り捨ててできるだけシンプルに書いたのは、仕事が行き詰まったときに新鮮な発想をもたらしてくれるという意味で、人類の知の 葛藤から生み出された哲学や宗教を学ぶことは有益だと考えたからだという。
そんなわけで、ソクラテスから始まってヘーゲルへと至る西洋哲学の大きな流れを縫うように、キリスト教、ユダヤ教、イスラーム教、 そして儒教と仏教が交錯し、人間の哲学と宗教の歩みが体系的に語られていくその中身については、もっと勉強したい人への膨大なお薦め本も あわせて、ご自分でお読みいただきたいのだが、
この本の最大の売りは、「可能な限りそれらの宗教家や哲学者の肖像を載せるように努めました」とあるように、彼らが血の通った隣人として 描かれているところだ。それぞれの時代環境の中で、彼らがどのように思い悩み、生き抜いたかを感じ取ってほしいという著者のそんな思いが、 活き活きとした人間像を浮かび上がらせている。
最終章の20世紀の哲学の世界は、自然科学の進歩により様々な難問が解明され未知の部分が消滅したことで、哲学者が小粒になった時代と されている。(20世紀の思想界を代表する哲学者として、ソシュール、フッサール、ウィトゲンシュタイン、サルトル、レヴィ=ストロース が選ばれている。これが小粒か?)
自らが考え出した神の支配の手からもう一度自由を取り戻したのだが、その次には自らが進歩させた科学に左右される時代を迎えたということ なのだが、「神は死んだ」と断言したうえで、それでも強い意志で生きる力が人間には備わっているのだと考え、「超人」の思想を構築した ニーチェのように、
<僕たちは今、次代の哲学や宗教の地平線の前に立っているのかな、と考えています。>
哲学も宗教も、人間が生きていくための知恵を探し出すことから出発したといえなくもありません。・・・そのような意志や意欲ある人間 の存在が、巨人の肩の上に21世紀の新しい時代を見通せる哲学や思想を生み出してくれるのかもしれません。
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