徒然読書日記202107
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2021/7/23
「博物館ななめ歩き」 久世番子 文藝春秋
「番子くんと初めて博物館を<ななめ歩き>したのは、ここ唐澤博物館だったね!我が故郷、練馬区へようこそ!」
「地元ですか。割と単純な理由で選びましたね。でもステキなミュージアムでした。」
「そこがポイントさ!全国には、多く来館者が訪れている博物館だけでなく、地道に研究、展示をしている小さな博物館がたくさんあるので、 それを紹介したいというのが、<ななめ歩き>のポリシーだからね。」
<特に、個人コレクションを中心とする私立博物館は、もう魅力満載で、おかわりをしたくなるくらいだ!>
(「唐澤博物館」練馬区豊玉北)
と、全国6200館以上の博物館を踏破したという、文科省キャリア組きっての“ミュージアムフリーク”クリハラさん(現京都国立博物館 副館長)に先導され、『神は細部に宿るのよ』の漫画家・番子くんが、その魅力を見開き2ページの中に余すところなく詰め込んで見せた、 これは究極の暇つぶし本なのである。たとえば、日本教育史研究の大家・唐澤富太郎先生の「子どもの教育と遊び」に関する資料を展示した 個人博物館では、先生のオール甲の通信簿を見ることができる。
「ここは、私が知る限り世界最小の博物館だ!」
「行ってみてびっくりしましたよ。玄関がミュージアム!」
「新宿区の<ミニ博物館>事業の一つで、いわゆる Living museum だね。」
<地域の伝統産業を守り、伝えるために存在意義は大きいと思うよ>
(「つまみかんざし博物館」新宿区高田馬場)
薄くて小さな絹のキレを一枚一枚つまんで作る「つまみかんざし」の、職人さんの工房があるマンションの玄関に展示ケースが置かれ、 博物館になっているのである。
「屋外広告、LEDサインなどを手掛ける株式会社昭和ネオンの貴重なコレクションだ。」
「看板もいろいろデザインが豊富で、結構奇抜なものもありますね。」
「江戸時代から昭和初期の古看板400点あまりの中から約180点を展示しているよ。」
<その時代時代の文化を映し出し、歴史が凝縮されているよね。いつの時代も看板は、わかりやすさが命だからね>
(「昭和ネオン高村看板ミュージアム」品川区南品川)
普通の企業のビルの2階に、先代の社長が収集した江戸〜昭和期の木製看板が置かれている。展示ケースがないので間近で見学できるとのこと である。
もちろん、こんなマイナーなものばかりでなく、「東京証券取引所 Arrows」(中央区)、「東京都庭園美術館」(港区)、「たばこと塩の 博物館」(墨田区)など、暇人が既知のものも訪れてはいるが、迫力は劣るような気がするのは、「それを観たい」という気持ちより、 「これを見せたい」という熱意が優っているからだろう。そんなこんなで、
「ピカピカの新国立競技場のおとなりにできたミュージアムだ!」
「見えてきたぞ〜五つの輪!」
<2019年9月にオープンしたばかりの、「日本オリンピックミュージアム」(新宿区霞ヶ丘町)には幻の1940年東京オリンピックの 展示もあります>
と聞いて、暇人はホッと胸をなでおろすことになるのである。「このミュージアムそのものが幻にならずに済んでよかった」と。
2021/7/22
「クララとお日さま」 カズオ・イシグロ 早川書房
「あの二人、会えてとても嬉しそうですね」と店長さんが言いました。わたし同様、店長さんもじっと見ていたようです。「はい、 幸せそうです」とわたしは言いました。「でも怒ってもいるようなのが気になります」「クララ」と店長さんが静かに言いました。「あなたは 何一つ見逃さないのね」
「ときどきね、クララ、いまみたいな特別な瞬間には、人は幸せと同時に痛みを感じるものなの。すべてを見逃さずにいてくれて嬉しいわ」
旧型のB2型であるにもにもかかわらず、新型のB3型よりも優れた観察力を持つと評価されていたクララは、病弱な少女ジョジ―のAF (人工親友)に選ばれ、お互い大好きになったジョジ―の家で、「ジョジ―に何が最善かを考え、そのために全力を尽くす」田園での暮しを 始めることになる。ジョジ―の隣家に暮らす親友のリックは「向上処置」を受けなかったため、受けた子供たちからの陰湿な差別の対象と なっていたが、ジョジ―が病弱であるのは、その「向上処置」の失敗によるものであり、そのことが母親クリシーの大きな後悔と怖れに つながっていることなどを、クララは次第に理解するようになるのだった。
というこの本は、2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの受賞後第1作で、彼にとっては8作目となる長編小説である。 (それにしても寡作だ。)
「気になっていることはあります。わたしがジョジ―をつづけるとして、新しいジョジ―に住み着くとして、そのとき・・・これはどうなる のでしょう」わたしが両腕をもちあげると、母親ははじめてわたしを見ました。わたしの顔を見て、脚を見ました。そして目をそらし、こう 言いました。
「どうでもいいことじゃない?だって、ただの作り物だもの。」
自分を選ぶときのテストとして、ジョジ―の歩き方のまねをするよう要求した、母親クリシーの本当の目論見に気づいたとき、「ジョジ―を 救い、健康にすること」が自分の使命だと思い込んできたクララは、本当に「そちら」の方がいいのだろうかと戸惑うことになる。このあたり は、あの名作
『わたしを離さないで』
を まるで裏返したような設定であり、著者にとってはある意味「続編」に位置づけられるものなのかもしれない。
太陽光を動力源とするクララにとって、「お日さま」が発揮するパワーのようなものへの信仰は絶大なものがあり、結局クララは「お日さま」 に懸けることにする。「どうぞジョジ―に特別な思いやりを」と、「お日さまに喜んでいただける(と思う)こと」を実践するため、自らの 大切な一部を投げ出すのである。そして・・・
廃品置き場に打ち棄てられていたクララは、自分が世話したAFを探し、思い出話をするためにやってきた店長さんとの再会を果たし、 打ち明け話を始める。母親の依頼でジョジーの「人形」を作った技術者のカバルディは、「ジョジ―を継続する」ことができないような特別な ものはジョジ―の中にはないと言ったが、全力でジョジ―を学習し、全力で「継続」してみたとしても、どんなにがんばって手を伸ばしても、 つねにその先に何かが残されているだろうと思われた。カバルディは探す場所を間違ったのであり、特別な何かは「ある」と確信できたことが、 クララが「お日さま」を選んだ理由だったのである。
ただ、それはジョジ―の中ではなく、ジョジ―を愛する人々の中にありました。だからカバルディさんの思うようにはならず、わたしの 成功もなかっただろうと思います。わたしは決定を誤らずに幸いでした。
2021/7/17
「戦争の日本近現代史」―征韓論から太平洋戦争まで― 加藤陽子 講談社現代新書
本書では、日清戦争からあとは、十年ごとに戦争をしていた観のある近代日本を歴史的に考えるために、戦争にいたる過程で、 為政者や国民が世界情勢と日本の関係をどのようにとらえ、どのような論理の筋道で戦争を受けとめていったのか、その論理の変遷を追って みるというアプローチを取ります。
という「シラバス(講義要目)」を冒頭に掲げたこの本は、1930年代日本の軍事と外交を専門とする東大教授による、<東大式レッスン> の実況中継である。
<近い過去を分析対象とする近代史では、対象をどのような視覚でとらえるかが、とても大切です。>
だから、歴史の「出来事=事件」について詳細に説明するだけの、研究書を水割りしたような概説書であってはならないという。なぜなら、 そのような書物は、歴史には「出来事=事件」のほかに「問題=問い」があるはずだということに気づかせてくれないからだ。なぜ、為政者や 国民が「だから戦争にうったえなければならない」、あるいは「だから戦争はやむをえない」という感覚までをも、もつようになったのか? そういった国民の視角や観点や感覚をかたちづくった論理とは何なのか、という切り口から、明治維新以降の「戦争の時代」を解きほぐして いくのである。
<日本にとって朝鮮半島はなぜ重要だったのか>
明治維新による異国との接触は日本人意識を強烈に喚起し、朝鮮半島を第三国の占領下に置かないことが日本の独立を守る「利益線」である と山縣有朋は観念した。
<なぜ清は「改革を拒絶する国」とされたのか>
朝鮮の内政改革を推進する文明国と、それを拒絶する野蛮な国という論理で、日本は文明の進歩のために清国と戦争をしなければならないと、 福沢諭吉は述べた。
<なぜロシアは「文明の敵」とされたのか>
門戸開放をせず自国の国民を幸せにできないロシアの専制政府を敗北させることは、相手国の国民のためであるという論理を、明確な言葉に したのは吉野作造だった。
などなど、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、太平洋戦争と、明治以来立て続けに日本が戦ってきた戦争について、様々な 「問い」を用意することで跡付けて行くスタイルは、こののち神奈川の名門・栄光学園の中高校生(歴史クラブのメンバーが中心)を相手に、 繰り広げられた5日間の集中講義
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
へと引き継がれていった。(こちらもぜひお読みいただきたい名著である。)
一回性を特徴とするのが歴史なのであれば、戦争に踏み出す瞬間を支える論理がどのようなものであったかについて、いくら事例を積み重ねた としても、新しく起こされる戦争というのは、まったく予想もつかない論法で正当化され、合理化されてきたことは、日本の近現代史を眺めて みただけでもわかる。ただ・・・
こうした方法で過去を考え抜いておくことは、現在のあれこれの事象が、「いつか来た道」に当てはまるかどうかで未来の危険度をはかろう とする硬直的な態度よりは、はるかに現実的だといえるでしょう。
2021/7/2
「黄砂の籠城」 松岡圭祐 講談社文庫
「あなたが櫻井隆一という人物の玄孫だから贔屓するとか、そんなつもりは毛頭ありません。ただあれは、日本人の本質が浮き彫りに なった歴史上の一大事だと思うのです。戦後の色眼鏡で見られがちな昨今の価値観とも異なる、あなたがた日本人の真の姿ですよ。私はそう 信じます。」
実現困難な商談を担当していた櫻井海斗は、自分のような一介の営業マンには面会すらできないはずの先方の重役エリック・チョウに呼び 出され、単身北京に赴く。「契約しましょう」という意外な申し出とともに、チョウの口から語り出されたのは、高祖父・櫻井隆一も関わった 歴史的事件の顛末と彼の日本人尊崇の思いだった。
<柴五郎を知っているかとチョウはきいた。>
柴五郎なら、あの
『ある明治人の記録』
を遺した、会津精神の化身ともいうべき立志伝中の人物として、暇人は既に知っていたけれど、その後、生粋の陸軍武官として異例の出世を 遂げ、「義和団事件」における総指揮官としての活躍が、列国の称賛を受けたことは、軽く触れられていただけだった。
というわけで、清朝末期の中国で外国人排斥を叫んで立ち上がった民衆武装集団が、治外法権の北京在外公館区域を取り囲んで襲撃した 「義和団事件」だが、これはそんな歴史上の大事件を題材に、膨大な資料に基づいて、多くの登場人物や事件はほぼ史実という舞台背景の中で、 紡ぎ上げて見せた壮大なドラマなのである。
「東交民巷」というおよそ1キロ四方の狭い区域に閉じ込められた、日、独、米、仏、英、伊、露、西、白、墺、蘭、11か国の公使(と家族 ら民間人)たちは、それぞれの国が抱える事情や思惑の違いからなかなか足並みが揃わぬ内に、西太后が義和団の支援に回って、頼みの綱の 援軍も絶たれ、絶望的な籠城戦を強いられる。そんな時に立ち上がったのが、それまでは小国として意見を述べることもなく軽んじられてきた 柴中佐だった。その情勢分析の確かさが一目置かれるようになったのだ。語学の才能を見込まれた櫻井は、通訳として各国の意思疎通を図り、 義和団を蔭で支える清国軍との2カ月に及ぶ死闘の中で、逞しく成長しいく姿が描かれていく。
もちろんこの本は、あの『千里眼』シリーズ(暇人は読んだことないけど)の超人気作家の手になるものなので、雲霞のごとく執拗に迫りくる 人民軍との戦闘は言うに及ばず、奇襲に対する逆襲作戦の妙技や、味方の中に潜む内通者探しの推理劇など、読みどころは満載である。しかし 何と言っても心に響いてくるのは、各国との対比の中で顕わになってくる、日本人兵士(特に民間から募った義勇兵)たちの美質である。
戦いが終息して、英国駐在公使だったサー・クロード・マックスウェル・マクドナルド(初代駐日英国大使)が公式に発した賞賛の言葉は、 日英同盟につながった。昨今の「美しい国」を標榜するどこかの国の首相のような、自画自賛の謳い文句とはまったく主旨を異にするもので ある。一体いつから日本人は、「自分で自分をほめる」ことしかできない国民に成り下がってしまったのだろうか?
「日本の指揮官だった柴五郎陸軍砲兵中佐の冷静沈着にして頭脳明晰なリーダーシップ、彼に率いられた日本の兵士らの忠誠心と勇敢さ、 礼儀正しさは特筆に値する。11か国の中で、日本は真の意味での規範であり筆頭であった。私は日本人に対し、ここに深い敬意をしめす ものである」
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