徒然読書日記202105
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2021/5/27
「天皇家はなぜ続いたのか」―「日本書紀」に隠された王権成立の謎― 梅澤恵美子 ベスト新書
「天皇」の本当の謎は、なぜ天皇には、理屈では説明のつかない不可侵性が備わっていたのか、ということであり、それが果たして 人の手によってつくられたものなのか、それとも、古代人の信仰が今日まで受け継がれたものなのか、ということではないだろうか。
<いったい「天皇」のどこにそのような不思議な力が秘められているのであろう。>
それまでは「大王(おおきみ)」と呼ばれていた日本の王家が「天皇号」を用いるようになったのが、7世紀の天武朝まで遡ることには、 考古学的な物証がある。それは表向きは、明文化された律令という法体系によって存在意義が明確にされた「天皇システム」を、象徴する存在 としての「天皇」への呼称変更ということだが、その背後には、仏教導入を柱に外交姿勢の活性化を図って台頭してきた蘇我氏と、時代に逆行 する保守的な姿勢を貫こうとするヤマト朝廷側との対立があった。
「乙巳の変」により蘇我氏を打ち倒した天智(中大兄)だったが、「壬申の乱」で天智の息子から権力を奪取した天武(大海人)は実は蘇我氏 の系統だった。そして、蘇我氏の事業を復活させようとした天武の遺志を継いだはずの妻・持統は、藤原不比等の力添えを得て、父・天智の 想いに応えようと企むことになる。そこで持ち込まれたのが、「天孫降臨」という神話だった。天武の子・草壁ではなく、持統(アマテラス) の孫・文武(ニニギノミコト)が地上の支配者となる。実権を伴わない権威のみの王、現人神という「天皇」のもとに、自家の女人を送り込む ことで「実質的な権力」を藤原氏が永遠に保持し続けるシステムの完成である。
(このあたりのお話は、馳星周の
『比ぶ者なき』
とほぼ同じだが、もちろんこちらの方が小説なので断然読みやすい。)
このように、「天皇」という器に、商品名(氏)と生産者名(藤原)のラベルを貼らず、その持ち主が代わり中味はそれぞれの好みに入れ 替わっても、その器は重宝なものとして、使いつづけられていったのである。
というわけで、これが「明治維新」、「太平洋戦争」、そして「象徴天皇制」と変遷しながら、「天皇制が続いた」理由だというのだが、何と 驚いたことに、ここまではほんの序章にすぎないのだ。多くの豪族は藤原氏を憎み恨んでいたのだから、にわかづくりの「藤原の幻想」に従う はずはないと。
<とすれば、いったい、いつ、どういう理由で「不可侵性をもった天皇」という「幻想」は生まれたのか。>
ここで著者から提示されるのが、<神武天皇はなぜ熊襲の地・日向からやって来たのか>という、『日本書紀』の「東征神話」に潜む第二の謎 だった。神話の人物なのだから詮索する必要はないと通説は決定づけているようだが、架空の話ならなおさら、天皇家ははじめからヤマトに いたことにすればよいではないか?
というわけで、北部九州の山門にいた卑弥呼を打倒した伽耶からの帰国女子が神功皇后(トヨ)で、それを追いかけてきた伽耶の王子が仲哀 天皇(大国主神)だった。神功皇后は九州政権に危機感を持ったヤマト勢力に追い落とされ、次男の応神天皇は諏訪に封じられて建御名方神 となり、長男は父・武内宿禰と日向へ逃げる。やがて糸魚川の平牛山に落ち延び入水自殺したトヨの祟りを恐れたヤマト側は、日向から皇子を 迎え崇神なる天皇を創作し、「神武東征」の神話と重ね合わせた・・・などという、邪馬台国からヤマト朝廷へという日本の歴史の黎明期に 起きた悲劇が、『日本書紀』を綿密に解き明かすことでくっきりと浮かび上がってくるのだ。
え、嘘くさいって?いえいえ、以前ご紹介した小林惠子先生の
『白虎と青龍』
なんかに比べれば、 まだまだ付いていきやすい方ではないかと・・・
2021/5/25
「脳の大統一理論」―自由エネルギー原理とは何か― 乾敏郎 阪口豊 岩波科学ライブラリー
いまから10年ほど前にカール・フリストンという研究者が脳に関するある統一理論を提案した。これは、新しい考え「能動的推論」 を定義することで、運動もまた知覚と同じように推論の結果であるということを一つの計算原理で説明する、画期的なものだった。
<その原理こそ本書のテーマである「自由エネルギー原理」である。>
なんてことを言われたって、まったく「何のこっちゃら」なのではあるが、(そんなら読まなきゃいいのだが、ついつい見栄張って挑んで しまう性分なのだ。)単なる細胞の集まりという物質にすぎない脳が、自分自身が意識を持つ人間であると自覚していたり、友人の顔を思い 浮かべることができたりするのはなぜか?という疑問を解決しようと、多くの脳科学者が永年取り組んできた研究により、認知や記憶などの 機能それぞれの仕組みについての理解は進んできたとはいえ、大規模なニューラルネットワークの中を信号が行き来することで実現する、 それらの機能に共通して働いている脳機能の一般原理といった理論はまだなかった。
しかし、ようやく最近になってフリストンが提唱した、脳の情報処理の原理を説明する一般的理論=「自由エネルギー原理」は、概念的なもの などではなく、数式を使って記述されたもので、ニューラルネットワークでの処理として表すことにより、ヒトの多種多様な脳機能が説明 できる可能性を示すものだった。その理論によれば、私たちの脳は観測した感覚情報に基づき、外環境の状況である「隠れ原因」と「隠れ 状態」を無意識的に推論しているというのである。
脳はまず何らかの「想定」(これを「信念」と呼ぶことがある)をおき、その想定が正しければこんな感覚信号が得られるはずという「予測 信号」を生成する。これと、実際に受け取っている「感覚信号」のズレを最小化するよう想定の更新を繰り返し、最終的に予測誤差がゼロに なったとき、「知覚」が得られるというのだ。
この、脳が推論を進める一連のプロセス(事後確率を求める代わりに、それを近似する別の量「認識確率」を計算する)を数式で表すと、 なぜかそこに出現するのが、熱力学で、温度が一定に保たれた系が外部に対して与えることができる機械的なエネルギーの最大値を表す 「ヘルムホルツの自由エネルギー」なのだった。つまり式が同じだったからという意味で、「自由エネルギー原理」と名付けたらしいのだが、 それはたまたまそうだったということではなく(たぶん・・・)、「熱力学」と「情報理論」が共に、系の乱雑さを測る「エントロピー」と いう概念で捉えられることを考えると、どうやら偶然の産物ではなさそうなのである。
いずれにしても、この驚くべき理論に関しては、現在、神経科学や心理学、物理学、情報科学、哲学など、実に様々な分野の研究者が、その 応用に取り組んでおり、この本においても、知覚、認知、運動、思考、意思決定、発達障害や精神疾患、進化、意識などが、この原理によって どのように説明できるかが紹介されている。
高度な数学を用いて記述されているため、大変興味深いのに難しくてわかりにくいこの理論を、一般の読者にも知ってもらいたい、という著者 の熱い思いに支えられて、脳の多くの機能がどのように働いているのかということに、こんなに筋の通った理論があることを知れただけでも、 頑張って読んだ甲斐があったと思う。
この理論は人間のもつ広範囲の機能を統一的に説明するものなので、読者はこの理論に基づく説明を通じて、感覚や知覚、認知、運動と いった、脳がかかわるさまざまな機能についての最新の説明を俯瞰的に知ることもできるでしょう。
2021/5/20
「南極で心臓の音は聞こえるか」―生還の保証なし、南極観測隊― 山田恭平 光文社新書
高校にOBが来て講演をした。南極観測隊だと言っていた。彼の話で、覚えているのは3つだけだ。1つ目は「南極に行きたいなら、 金持ちになるか南極観測隊員になれ」ということ。2つ目は「南極観測隊になるなら研究者になるのが簡単だ」ということ。
<3つ目は「南極大陸では自分の心臓の音が聞こえる」ということ。>
この話は強く心に刻まれ、将来の進路決定の指針となった。その「音」を聞きたいという動機だけで南極に行きたいと思い、大気研究者になる 道を歩んだのだという。2017年11月、29歳でついに夢を実現し、第59次日本南極地域観測隊の越冬隊の一員として、南極大陸に足を踏み入れる ことになった、これは涙と感動の記録である。
と言いたいところだが、これは「ニッチな話を続けていれば話題になって書籍化もありえて儲かるのではないか」程度の軽いノリで始めた 非公式ブログの書籍化なので、1年4カ月にも及ぶ極寒生活の中には、屋外での観測など過酷なものもあるが、非日常の中で繰り返される 日常をいかに楽しむかという姿勢に溢れているのである。
埋もれた雪上車の掘り出し作業の合間に踏み荒らされていない新雪にシロップをかけてかき氷を食べたり、無国籍の南極ならではの脱法 ビールを醸造したり、最大の娯楽となった四つ玉ビリヤードで配給された菓子を賭けて巻き上げたり、専任の調理隊員が厳選された食材で作る 料理はこれまでの人生で最高レベルだし・・・
ところで、<昭和基地は南極に存在する日本の基地だが、南極大陸にはない。>というのはご存じだったろうか。(暇人は知らなかった) 「昭和基地」は南極大陸のすぐ傍にある東オングル島にあり、日本の南極観測隊はここを拠点として、大陸沿岸や内陸にはヘリや氷上移動で 渡って観測活動を行う。従って、夏となる12月から1月にかけては、平均気温はー1℃程度、最低でもー10℃を下回らず、雪と氷に包まれた 静謐な空間ではないのだそうである。かつて大陸上にあった3つの基地は現在休止中で雪と氷に埋もれた状態ということで、夏の内陸観測旅行 で選抜隊が訪れるだけになっている。(著者も参加している)ちなみに映画化もされた、
『面白南極料理人』
は、昭和基地から もっとも遠い、1000q南の氷床上にある「ドームふじ基地」でのお話だったのだそうで、言われてみれば、隊員たちのどこにも逃げようがない という「やけくそ気味」が昭和基地の一段上を行っていたのもうなずけるような気がする。
(南極生活のお約束と言えば
『南極1号伝説』
なんていうのもあるが、こちらはくれぐれも興味のある方だけどうぞ)
というわけで、『心臓の音が聞こえたか』どうかは定かではないが、普通の研究者が南極を目指すのは、そこが「研究が進んでいない場所」 であるからだ。温暖化に伴う南極氷床の融解は海水準の上昇という地球規模の現象を生むなど、全球的な視点に立てば、南極というのは気象 変動にとって重要な場所である。しかし、<温暖化しても地球そのものが困るわけではない。>恐竜が生きていた時代は現代より二酸化炭素 濃度がずっと高く、温暖な気候だったし、地球表面が完全に氷に包まれる全球凍結状態になってしまったこともある。そうした気候でも、地球 は壊れたりはしなかったのだから、この強大な存在をその表面にへばりついて生きる人間ごときが守ってやる必要はないのではないか。
<だが温暖化してしまっては、人間が困るのだ。>というのが、研究者としての著者のスタンスのようなのである。
2021/5/18
「空海に学ぶ仏教入門」 吉村均 ちくま新書
三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識らず。生まれ生まれ生まれ生まれて、生の始めに暗く、死に死に 死に死んで、死の終わりに冥らし。
空海が、主著『十住心論』を僧侶以外が読むことを意識して書き改めたという略本『秘蔵宝鑰』の、冒頭にある詩の中で説かれた有名な言葉 である。輪廻のなかをさまよう私たちは、本当の苦しみの原因を知らないために、誰もが幸せを望みながらかえって苦しみに陥っている、 というのだ。自分がいて、自分が捉えた通りの世界があるという、誰も普通は疑っていない捉え方=<我執>、それこそが苦しみの真の原因 である、と伝統仏教は説くのである。
衆生は狂い迷っていて、帰るべき家を知りません。そうやって三悪趣(地獄・餓鬼・畜生)に沈み、四種の生まれ(胎生・卵生・湿生・ 化生)を繰り返しさまよっています。苦しみの本当の原因を知らないため、本来の境地に戻ろうという気持ちがないのです。
<聖なる父のごとき仏陀は、それをあわれんで、帰る道を示されました。>(『十住心論』総論・現代語訳)
東京から金閣寺に行こうと考えた人が、「新幹線で京都に行きなさい。」とアドヴァイスされて、新幹線に乗って京都駅で降りたとしても、 そこに金閣寺はない。そこで、「何番のバス停からどこどこ行きのバスに乗り、何という停留所で降りなさい。」と人に聞いて、その通りに、 バスに乗り、停留所で降りることにする。お寺の境内に入り、そこにいる人にどうすれば金閣寺に行くことができるかと聞けば、「ここが 金閣寺で、どこにも行く必要はない。」と言われるだろう。
もし出かける前に、「新幹線で京都に着いても、そこに金閣寺はない。」だの、「どこにも行かなくてよい。ここが金閣寺だ。」と言われて、 それに従っていたら、いつまでたっても金閣寺にたどり着くことはない。つまり、金閣寺に行きたいのであれば、実際に金閣寺に行くことが できた師の指導を受けることが不可欠なのだ。「教え」というものは、それらがバラバラに説かれており、それを正しい順番で進んでいか なければ、目的にたどり着くことはできないのだ。(うまい例え話だ。)
相手に合わせて異なる教えを説く仏教は、医学的な発想の教えである。教えは薬のようなもので、症状にあったものを飲まなければ、正しい 効果は得られない。僧侶は寺院に付属の学習機関で、倶舎、唯識、中観など、異なる視点から教えを理論化したものを学び、その相互関係を 理解する形で仏教を学習していく。
<この学習法の最大の問題は、時間がかかることです。>(これは、複数の平面図から立体像を思い描くような作業で、一般には十数年〜 二十年を要するという。)そこで、この伝統的な仏教理解の全体像を、空海の理解に基づいて、一望のもとに示してみせようとしたのが、 『十住心論』なのである。
まず、他宗教とも共通する、私たちの物の見方に合わせた、苦しみを減らしていく段階(第一から第三住心)から始まって、仏教固有の教えと して、苦しみを根源から断ち切ろうとする段階(第四から第七住心)、空を体験した者に現れる世界(第八、第九住心)を過ぎ、言葉を超えた さとりの境地が直接示される段階(第十住心)へとたどり着く。第九までの顕教に対し、第十は密教だから言葉でなく、灌頂という儀式で伝え ると結ぶ。
<ここに自分自身が金剛薩唾、つまり密教の正統の後継者であることを自覚するのです。>(『秘蔵宝鑰』現代語訳)
本書では、空海の教え自体を解説するのではなく、その背景となっている仏教の考え方を説明し、なぜ空海がそのようなことを説くのかが 読者にわかるよう努めました。・・・何よりも、そのように仏教の教えを現代に役立つ教えとして蘇らせることは、空海が『秘蔵宝鑰』で おこなったことでもありました。
2021/5/17
「小説伊勢物語 業平」 樹のぶ子 日本経済新聞出版
むかし、男ありけり。奈良の京は離れ、この京は人の家まだ定まらざりける時に、西の京に女ありけり。その女、世人にはまされり けり。その人、かたちよりは心なむまさりたりける。ひとりのみもあらざりけらし。それをかのまめ男、うち物語らひて、帰り来て、いかゞ 思ひけむ、時はやよひのついたち、雨そほふるにやりける。(第二段 眺め暮しつ)
遷都したばかりで、東の左京に比べて人家もまばらな西の右京に住む、世間で評判の女人のもとを訪れた「例のまめ男」が、一夜を過ごして 帰ってきて歌を届けた。原文では僅かこれだけにすぎない描写の隙間を埋めるかのように、16歳の「業平」がその日、その歌を詠むに至った 情況が15ページにわたって物語られていく。桓武帝の娘という高貴すぎる母の気持ちがわからず、「母君と添い寝をしている心地がする」と 甘える業平を、薄絹の温かさでただ柔らかく受け止めてくれた年上の女。昨夜のわたしは甘い酔いに縛られて、起きていたのか、寝ていた のか。今あなたから離れても、わたしの身内に春の雨は、いつまでも終わりなく降り続いている。
――起きもせず寝もせで夜を明かしては 春のものとて眺め暮しつ
おおよそ粟立ち揺れる業平の心根とは別の、やわらかでやさしい、いくらか投げやりでもある歌となりました。不思議なものです。言葉が 出て参りますと、その言葉により、業平の全身が塗り変えられて参るのです。
この本は、芥川賞を皮切りに数々の文学賞に輝いた作家が、125章段の歌物語からなる『伊勢物語』を、在原業平の一代記という小説仕立て に編み直したものである。(先にご紹介した、
『恋と誠』
は、この小説のメイキング・ ストーリイのようなエッセイなので、こちらもよろしければどうぞ。)
あくまで歌がメインの各章段を、さまざまな文献を渉猟した末に適宜取捨選択し、時間軸の糸を通して仕立て上げた、在原業平の「思うに 任せぬ生涯」の物語は、時に母性本能の懐にズケズケ踏み込んできながら、「女性に寄り添える感性」を持ち合わせている、業平という 「モテ男」の人間的魅力をあぶりだして見せる。
「すでにこの世に在る業平様のお歌は、業平様がいかに望まれようと。言わで止むことなど叶いませぬ。お歌が優れておれば、優れて おりますほどに、業平様より離れ、いのちあるもののごとく、後の世の方の歌心に寄り添い、学び真似られ、生き続けましょう。」
いよいよ食が細くなり身体が弱ったことで、「すずろな心地」に覆われた業平は、生涯最後の伴侶となった若い女「伊勢の方」に歌を託す。 かつて斎王・恬子内親王の女童として業平を手引きし、今はあくまで下女として業平の世話をする伊勢の言葉は、業平自身が歌で誘って著者に 書かせたものなのである。
――思ふこと言はでぞただに止みぬべき 我とひとしき人しなければ
「古典との関わり方として、私は現代語訳ではなく小説化で人物を蘇らせたいと思ってきた。」のは、現代の言葉を用いるという安易なやり方 に抵抗があるからで、千年昔には身体感覚において、どこかが違う人間が生きていて、私たち現代人は現代にも通じる部分においてのみ、かの 時代の人間を理解しいるのではないかという。確かに、千年前の日本の貴族たちの間で育まれていた豊かな感性や、研ぎ澄まされた立ち居 振る舞いという「雅やかな世界」は、既に跡形もなくなってしまい、現代の私たちは、もうわずかな痕跡の中に見るしか術はないのであれば、 この著者が想像力を発揮して再現してみせた「まめ男」の実像はまことに味わい深いものだ。
こうした矛盾を抱えつつ、平安の雅を可能な限り取り込み、歌を小説の筋の中に据えていくために編み出したのがこの文体です。じっくり 味わい読んでいただければ、在原業平という男の色香や、日本の美が確立した時代の風が、御身に染み込んでいくものと信じます。
2021/5/15
「日本史サイエンス」―蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る― 播田安弘 講談社ブルーバックス
玄米のごはんで握ったおにぎり1個を、およそ100gと見積もります。そのエネルギー量は、約173kcalです。すると、3700kcal (注:先に計算した兵士の1日の消費エネルギー)をまかなうには、ほぼ20個必要となります。全軍は2万人ですから、毎日、約40万個の おにぎりが必要ということです。
<ある日突然、秀吉の斥候部隊がやってきて、おにぎり40万個分の玄米を1〜2日で供出しろと命じられて、はたしてできるもの でしょうか。>
なんとか調達できたとしても、1日分だけで40tにもなる玄米に加えて、水、味噌、塩などの副食品や、兵器、弾薬、医療品を運ぶには、 約3900頭の馬が必要である。もちろん、馬にも食料(大豆)と水は必要なので、これを運ぶためにさらに約2050頭の馬が増えることになる。 ところが、増えた馬にも食料は必要なのだから・・・
【結論】事前の準備なく全軍2万人が8日間で全行程を踏破することは、食料調達の困難さ、雨中の野営と船坂峠越えによる体力の消耗など から不可能と考えられる。
というこの本は、艦船設計の専門家として船の物理を熟知する著者が、当時のデータを集め、物理に従って分析し、緻密なシミュレーションも 試みることで、歴史上の「通説」とされてきたことの真偽を確かめたうえで謎解きし、従来いわれてきたものとはかなり様相の異なる姿を 浮かび上がらせてみせたものである。
蒙古軍は対馬・壱岐を襲ったあと博多湾に上陸し、装備で劣る鎌倉武士をさんざん蹴散らして、一説には、博多市街にまで攻め上ったと されています。・・・ところが、どういうわけか蒙古軍は夜になると全軍が撤退し、博多湾に係留していた軍船に引き揚げたのです。
そこにいわゆる「神風」が吹いて、蒙古の艦隊は壊滅状態となり逃げ帰った、というのが「通説」であるが、では<蒙古軍はなぜ一夜で撤退 したのか?>
総兵数2万6000が乗った300隻の蒙古艦隊は、大型船では座礁の恐れがある博多湾には投錨できず、兵士は小型の船に分乗して順次上陸せざるを 得なかった。小刻みな投入となった蒙古兵は、玄界灘の荒波に酔い体力を消耗していたこともあり、日本武士団との白兵戦で敗走し、上陸を 続ける味方兵と錯綜して大混乱となる。
【結論】一日で全軍が上陸できなかった蒙古軍は、想定外の被害が出たため早期の大宰府攻略を断念し、天候急変を警戒して撤退を決行する も、強風により遭難した。
帝国海軍、いや日本そのものの浮沈の鍵を握る存在として期待された戦艦大和は、自慢の46cm砲が敵艦に火を噴くこともほとんどない まま、3年4カ月の生涯を閉じました。
<はたして戦艦大和は無用の長物だったのか?>といえばそうではなく、アウトレンジ作戦の切り札として温存されているうちに、活躍の場を 失ってしまったからだ。当時世界の海戦の主流であった「大艦巨砲主義」という戦略を、大きく変えるきっかけとなったのは、皮肉にも山本 五十六が生み出した「航空機動作戦」の戦果だった。
【結論】大和を戦争初期に効果的に運用する方法はいくつも考えられた。とはいえ、戦後は日本のものづくりの基盤となり、日本人の精神的 支柱ともなったといえる。
さて、冒頭の議論にもかかわらず「中国大返し」という不可能を可能にしてしまったは秀吉には、事前に相当な準備が必要だったに違いない。 (詳しくは本書でね!)<では、なぜ秀吉はあらかじめこのような事態を想定することができたのか?>それは歴史家の研究領域なのだから、 「私が口をはさむべきことではありません。」というのが、著者なりの技術者としての矜持なのである。
歴史を動かすのは人です。そして人も物質である以上は、物理法則にしたがっています。・・・これに逆らうことは、どんな人にも できません。ところが、従来の歴史学では、ニュートンの運動方程式に明らかに反しているにもかかわらず、「結論」あるいは「通説」と してまかり通っているものが少なからずあるようです。
2021/5/13
「AIの雑談力」 東中竜一郎 角川新書
スマートフォンやAIスピーカーをお持ちの方であれば、毎日とは言わないまでも、AIに話しかける日があると思います。今は 天気を聞いたり、スケジュールを確認したり、といった用途でしかほとんど利用されていないこれらのAIですが、最近雑談を始めています。 それも急速に。
<では、なぜAIは雑談を始めたのでしょうか?>
それは、音声認識技術の進歩により、これまでは情報を伝えるだけの一方通行だったAIとのやり取りが双方向になって、AIと人間の関係が 変わったからだ。国立国語研究所が日本人の会話を調査したデータによれば、会話総数の60%は雑談だったという。お互いの「人となり」を 知ることが人間関係には重要なのだ。だから、仕事に必要な情報を列挙するだけの「タスクAI」に対し、「雑談AI」は自己開示を深める ことで「AIとなり」を相手に知ってもらおうと努力する。「このシステムがおすすめしているなら」という購買客の信頼を得られることが、 GAFAなどの大企業がこぞって雑談AIに参入してきている理由なのだという。
<AIは社会の一員として、人間とうまくやっていくために雑談を始めたのです。>
というこの本の著者は、あの
《東ロボくん》
のプロジェクトにも関わっていた、「非タスク指向型対話システム」の最前線に立つ研究者なのだから、ここまでのお話は、もちろん雑談 AIが登場することになった背景を説明したにすぎず、本論は「AIが雑談することを可能にする仕組みづくり」の現場ルポとなる。
「雑談AI」の的確な応答を実現するためには、
・手書きのルールによる方法
・ネット上の大規模なデータから発言を検索する方法
・ディープラーニングを使って発言を作る方法
があり、これらを統合した手法も用いられている。しかし相手の言ったことを理解するためには、その質問の内容や発話の意図だけでなく、 言葉の裏の意味を読み取るといった高度な技術も必要になってくる。
<コンピューターが理解するとはどういうことでしょうか。>
それは「カテゴリに分ける」ことだ。人が地道に作成したカテゴリ体系の大量のデータを機械学習することで、AIは発言を「理解」できる ようになるのである。「なりきり質問応答」というデータ収集方法がある。そのキャラクタのファンに質問を書いてもらい、同じくファンが そのキャラになりきって答えを書くのだが、質問者と回答者がゲーム感覚で楽しみながら、良質な問答データを大量に集める仕組みが、自然 でありながら個性的な発言をする「なりきりAI」を育てるのだ。
もちろん、しばしば変な発言をして、人間が対話を続けることが困難となる「対話破綻」に陥るなど、「雑談AIはまだまだだ」と感じる 場面も多いそうだし、そもそも現在の能力では低すぎて、何時間も話し続けられるものではないという。雑談AIとの対話は「正直飽きる」 のである。
<どうすればAIと話し合えるようになるのでしょうか>
対話を目的とするのではなく、対話をツールとして、何かしらの目的をもって対話すること。AIが「意図」を持つことが今後の課題になる というのだった。
知的なコンピューターと我々のやり取りは、人間同士のような音声言語を用いた対話によるコミュニケーションが基本となります。 そうした時、コンピューターに何を任せるかを決定するのは日ごろからの信頼であり、ベースとなるのは雑談によるやり取りです。
2021/5/5
「世界を変えた17の方程式」 Iスチュアート ソフトバンククリエイティブ
数学に登場する方程式には2種類あり、表面的な見た目はとても似ている。1種類目はさまざまな数量のあいだの関係を表しており、 その方程式が真であることを証明するのが課題となる。
たとえば、「i^2=−1」という「虚数」の式などは、さらに一歩進んで、純粋数学における数学的概念の定義そのものとなっているが、 これはその名の通り、3次方程式の一般解を求める際に、それが何を意味するかはとりあえず無視して導入された「想像上の数」(imaginary number)にすぎなかった。そこから生まれた「複素数」の体系が数学で地位を固めるためには、何人かの先覚者が複素数を使った微積分、 すなわち複素解析に関心を向ける必要があったのだ。
もう1種類は未知の量に関する情報を与えるもので、数学者の課題はそれを解くこと、つまり未知の量を既知にすることである。
たとえば、「F=G・m1m2/d^2」というニュートンの重力の法則を使えば、2つの物体の質量と距離からそれらの間に働く力を計算できる わけだが、このような数理物理学に登場する方程式は、現実世界に関する情報を符号化したもので、それが表している宇宙の性質は、数学的に 証明された式ではなく、実験や観察から経験的に導かれた物理的理由により真なのであり、だからこそ観測結果に一致するにすぎず、原理的に は全く違っていてもおかしくはなかったのだ。
<方程式は、数学、科学、工学のいわば血液である。>
というこの本は、
『パズルでめぐる奇妙な数学ワールド』
などポピュラーサイエンスの著者としても有名な英国の第一線の数学者が、歴史上重要な役割を 果たしてきた17の方程式を採り上げ、「何を表しているのか?」、「なぜ重要なのか?」「そこから何が導かれたのか?」という切り口で、 それぞれの方程式が誕生したエピソードも交えながら、方程式そのものの解説に留まることなく、その後影響を与えた学問分野への進展まで 視野を広げてくれる。
たとえば、「H=−廃(x)logp(x)」という方程式は、1つのメッセージに含まれている情報量を、それを構成する記号が出現する確率に 基づいて定義しており、これが情報時代の先駆けとなって、現在のデジタル通信――電話、CD、DVD、インターネット――の基礎と なったわけだが、そこから効率的なエラー検出・訂正コードに応用され、統計学、人工知能、暗号学、さらにはDNA配列が何を意味している かを導き出す方法にまでつながっている。
といった具合で、ピタゴラスの定理、対数、微積分、重力の法則、複素数、多面体の公式、正規分布ぐらいまでは、なんとか遅れずについて 行った暇人も、波動方程式からだんだん苦しくなって、ここらあたりまで来ると大筋を追いかける程度となり、最後のブラック=ショールズ 方程式では置いてけぼりを喰らうのだが、著者も断言するように、「何もロケット科学者にならなくても、重要で優れた方程式の詩情と美しさ を味わうことはできる」ことだけは、暇人が保証しよう。
しかし、適切な方程式だからといって、必ずしも単純だとは限らない。方程式が複雑になると、何か手助けが必要となる。 では、次は何か?
(離散的でデジタルな構造や系を基礎とした)未来は、方程式ではなくアルゴリズムからなっているのかもしれない。しかし、たとえ その日が来るとしても、それまでは、自然法則に対するわたしたちのもっとも優れた洞察は方程式という形を取っており、わたしたちはそれを 理解してその価値を認めなければならない。
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