徒然読書日記202102
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2021/2/25
「人新世の『資本論』」 斎藤幸平 集英社新書
温暖化対策として、あなたは、なにかしているだろうか。レジ袋削減のために、エコバッグを買った?ペットボトル入り飲料を 買わないようにマイボトルを持ち歩いている?車をハイブリッドカーにした?
<はっきり言おう。その善意は有害でさえある。>
そんな「免罪符」としてしか機能しない消費行動など、資本の側が環境配慮を装って私たちを欺くグリーン・ウォッシュに、いとも簡単に 取り込まれてしまうからだ。
というこの本は、ベルリン留学時代に、『資本論』以降の晩年のマルクスが自然科学の研究に没頭しで深めていった、エコロジー思想の膨大な 研究ノートを発掘し、“Karl Marx's Ecosocialism : Capital,Nature,and the Unfinished Critique of Political Economy”(邦訳『大洪水 の前に』)という著作によって、権威ある「ドイッチャー記念賞」を歴代最年少で受賞して、世界的に注目を浴びた俊英が提示してみせた、 近未来の「黙示録」なのである。
「人新世(ひとしんせい)」(Anthropocene)とは、人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を蔽いつくし、地質学的に見て、地球は新たな年 に突入したとして、ノーベル化学賞受賞者クルッツェンが命名したものだが、「人新世」が陥ってしまった環境危機が明らかにしたことは、 それは豊かな生活を約束していたはずの、近代化による経済成長がもたらしたものだったということだ。
<資本主義とは、価値増殖と資本蓄積のために、さらなる市場を絶えず開拓していくシステムである。>
それはマルクスが言うように、その過程で環境への負荷を外部へ転嫁しながら、自然と人間からの収奪を行うという「際限のない」運動なので あれば、無限の経済成長を目指す資本主義に、今、ここで本気で対峙しなくてはならない。私たちの手で資本主義を止めなければ、人類の歴史 が終わってしまうから・・・<脱成長型のポスト資本主義>に向けて大転換すること、というのが、この危機を乗り越えるためにと、著者が 提示してみせた「処方箋」なのである。
マクロで成長しないと再分配のパイが増えないから、トリクルダウンもせず、結局貧困層にも富がいかない、というのが富裕層の側のよくある 言い分だが、資本主義がすでにこれほど発展しているのに、先進国で暮らす大多数の人々が依然として「貧しい」のは、おかしくないだろうか。 <いったいあとどれくらい経済成長すれば、人々は豊かになるのだろうか。>
@「使用価値」に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する。
A労働時間を削減して、生活の質を向上させる。
B画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働の創造性を回復させる。
C生産のプロセスの民主化を進めて、経済を減速させる。
D使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワークを重視する。
これが「ラディカルな潤沢さ」を実現する脱成長型コミュニズムへの跳躍に向けて、私たちがなすべきことだというのである。
1%の超富裕層と99%の私たちとの富の偏在を是正し、人工的希少性をなくしていくことで、社会は、これまでよりもずっと少ない労働 時間で成立する。しかも、大多数の人々の生活の質は上昇する。さらに、無駄な労働が減ることで、最終的には、地球環境をも救うのだ。
2021/2/15
「ダルタニャンの生涯」―史実の「三銃士」― 佐藤賢一 岩波新書
(舞台は17世紀フランス。太陽王ルイ14世の親政下。)文豪デュマは勇気凛々、才気煥発の主人公を、アトス、ポルトス、 アラミスという3人の魅力的な友人たちと絡めながら、まさしく縦横無尽に活躍させた。
銃士志望の若者ダルタニャンがパリ上京を果たし、ルイ13世の王妃アンヌ・ドートリッシュの名誉を守るため、イギリスに冒険の旅に 乗り出す。『三銃士』である。1844年の新聞連載から始まったこの物語は、中年の銃士隊長代理となって英国王の救出を試み、最後は 熟年の銃士隊長としてオランダで戦没する場面に終わるまで、『20年後』(1845)から、『ブラジュロンヌ子爵』(1847)へと続く 大河小説として、まさしく文学史を塗り替える空前の大ヒットとなった。
混乱を極めたフロンドの乱あり、財務長官フーケの壮絶な失脚劇あり、恋多きルイ14世と寵姫たちの物語ありと、随所に史実を盛りこんだ 迫真の展開を読めば、片田舎のガスコーニュから、銃士隊長トレヴィル宛の父親からの推薦状を携えて出掛けてきたこの若者が、本当に いたかのように錯覚してしまうのだが・・・<結論からいえば、ダルタニャンは実在の人物だった。>
というこの本は、
『ジャガーになった男』
でデビュー以来、『傭兵ピエール』、『双頭の鷲』、そして直木賞に輝いた『王妃の離婚』など、主に中世から近世にかけてのフランスを 舞台として、あくまで史実に基づいた緻密な背景描写の中に、独創的な歴史物語を紡ぎ出してみせてきた小説家が、初めてのノンフィクション として、「小説よりも奇なる人生」の冒険に斬り込んだ意欲作なのだ。(これ以降、歴史ノンフィクションの力作を多く生み出している。)
デュマの『三銃士』には、17世紀末ごろにサンドラスによって書かれた『ダルタニャン氏の覚え書』という種本があった。(デュマ自身が 序文に書いている。)あたかも本人が回想しているかのように一人称で書かれたこの本は、実は作家的な工夫による完全なフィクションだった のだが、この作家の経歴は変わったもので、30歳すぎまで軍隊に務めたのち剣をペンに持ち替えており、1667年まで在籍した当時の 銃士隊長の、その名が「シャルル・ダルタニャン伯爵」だったのだ。
デュマの銃士がサンドラスの銃士に基づき、サンドラスの銃士が史実の銃士に基づいているのなら、小説も偽回想録も大きく史実を逸脱しては いないのではないか?偉大なデュマの『三銃士』はサンドラスの偽回想録がなければ生まれえず、サンドラスの偽回想録も史実のダルタニャン が魅力的でなければ生まれえない。
「どんな人物であれば、歴史小説の主人公として、世界中で愛されるようになるのか」歴史小説家の端くれとして抱いた、そんな素朴な疑問 から出発した、出仕、陰謀、栄達、確執渦巻く波瀾万丈の人生の追体験記を、どうぞご自分でお楽しみください。
<なるほど、世界で最も有名なフランス人になるはずだ。>
やはりダルタニャンなどは、ちょっと成功した一軍人にすぎなかった。だというのに、その足跡を追うほどに、また史実の人物も魅力的に 思えてくるから、よくよく不思議な話である。平凡な人間を魅力的に見せながら、あるいは真に偉大なのは、17世紀フランスという希有な 時代と場所だったのかもしれない。
2021/2/6
「恋と誠」―伊勢物語 在原業平― 高樹のぶ子 日経プレミアシリーズ
業平のさまざまな交友関係を通じて、彼がなぜあれほどまで女人の心を掴み、友人たちに親しまれ頼られ、ひとつ間違えれば当時の 宮廷社会から弾き出され、不遇の中に死んでいっても不思議ではないはずなのに、歌人として日本の文芸史に名を残し、彼自身にとっても 穏やかに満足して命を終えることができたかを、解きほぐしていくことができれば、現代に生きる人にも、何かの参考になるかもしれません ね。
<ひと言で言えば在原業平、「思うに任せぬことの多かった生涯」を、「思うに任せぬことをも愉しみながら」生き抜いた人と申せます。>
というこの本は、平安時代初期に成立したあくまで歌が主役の歌物語『伊勢物語』の、章段の書き出しに「むかし男在りけり」として登場する、 この「むかし男」を、確かにあの色男・業平が主人公であるとして、『小説伊勢物語 業平』という一代記に仕立て上げてみせた作家による、 創作ノート風の裏メニューなのである。
在原業平といえば名うてのプレイボーイというのが通り相場だが、それは千年以上もの長きに渡って、間違って語られてきたイメージでは ないかという。
<月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして>
梅の香だけを残してあの人が消えてしまった春の宵。この月は、この春は、いつぞやの月や春とは違うのか。私ひとりは元のまま、何も 変わってはいないというのに。なんて、一瞬の切ない想いを真っ直ぐに吐露するような歌を繰り返し味わうたびに、業平には女性に寄り添える 感性が備わっていることが分かるというのである。(まあ、でもそれこそが「モテ男」の最大の強味じゃあなかろうかと、「非モテ」の典型男 は思わないでもないんだけどね・・・)
天皇の外戚として権力を伸ばしていく藤原氏に対する、臣籍降下した直系血族としての複雑な思いと、世渡り上手な兄・行平への屈折した 感情を・・・
<咲く花の下に隠るる人を多み 在りしにまさる藤の蔭かも>
業平に恋い焦がれたあまり病いに臥せったと聞き、病床を訪れた業平の腕の中で息絶えてしまった蛍の方に、叶わなければ飽きもない、 そういう縁もあると・・・
<ゆくほたる雲のうへまでいぬべくは 秋風ふくと雁につげこせ>
清和天皇の女御となる運命を背負った藤原高子との禁断の恋。破局に終わり「東下り」から戻って再会した業平は、「お懐かしうございます」 と声を掛けられ・・・
<花にあかぬなげきはいつもせしかども 今日の今宵に似るときはなし>
御簾の中の高子は深く頷き、業平は「これでよろしいのですね。」と自らに言いきかせる。これからの半生の生きる目的が、この日、こうして 定まったのだ。
相手をとことん追い詰めない、早々に決着をつけない、短絡的に勝者と敗者を分けてしまわない。一見曖昧にも見える振る舞い、考え方、 余裕のある性格。業平の生き方、人間性、対人関係を見るとき、ようやく「雅」とは何かということが見えてくるというのだ。そこに「歌」 が生まれるのだろう。
「業平の心に戀わびはあっても、好色のすきはない。すきものであったことを否定はしないが、このすきは西鶴の好色物の人物とはまるで 違ふ。ここには一種のきよらかなあはれがある」(『無用者の系譜』唐木順三)
無常について考えた唐木順三らしい卓見です。彼の言う「きよらかなあはれ」こそ、平安の雅の本質であり、現代にも通じる「誠」の姿 なのです。
2021/2/3
「誰も知らない世界と日本のまちがい」―自由と国家と資本主義― 松岡正剛 春秋社
これから私がお話することは、いっせいに「グローバル資本主義」に向かってしまった社会が、いったいいつごろ、どのように 出現してきたかという背景を、近代国家や国民の成り立ちを通して、またそのほかの出来事や現象を通して、いくつかの大きな流れを ピックアップしながらめぐってみることになりそうです。
近代から今日にいたるまでの世界と日本の流れを大きくはタテに追いながら、そのなかでできるだけ同時代的に共通する話題や問題をヨコや ナナメにつなげ、それぞれの情報や知識の「あいだ」にひそむ隠れた関係に着目し、組み替えてみることで、多様な「文化」や有効な「方法」 を創発し、編集してみよう。
というこの本は、世界宗教の発生からバロック時代までを扱った前著
「17歳のための世界と日本の見方」
の「つづき」として講義されたものと言うだけあって、ここでもまた、編集工学研究所所長による、世界と日本の文化を編集的にみるという 見方が、惜しげもなく、そしてわかりやすく、披露されている。曰く、世界と日本を同時に見るには「異質」を排除して歴史を見ようとして はダメだというのが、セイゴオ先生が口を酸っぱくして説くところなのである。
<だって歴史とは、そのつどの「異質の発生」との出会いなんですね。>
48歳の信長が本能寺の変に斃れた頃(秀吉は45歳、家康は40歳だった)、ヨーロッパの覇権を握っていたのはスペインのフェリペ2世 (55歳)だった。さらに、ロシアにはイワン4世(雷帝)という52歳の物凄い支配者がおり、インドのムガール帝国には40歳の アクバル大帝という偉大な君主も存在していた。16世紀から17世紀にかけて、ほぼ年齢の近い専制君主たちは帝国をもち、世界を支配 しようという野望をもって、ほぼ同時期に世界進出を試みていたのだ。
フェリペ2世が61歳となった1588年、イギリスのエリザベス女王は55歳(信長の1つ上)で、スペインの無敵艦隊を破り、世界の 「七つの海」を支配していく。議会も株式会社もジャーナリズムも小説も産業技術も、近代社会がその恩恵に浴しているモデルの多くが、 イギリスの発明であることは間違いない。しかし、これらを世界に撒き散らさないと覇権を握れなくなったイギリスは、そのために植民地を 経営し、奴隷を発明し、三角貿易を定着させることになる。そして、そのイギリスからの移民によって自立したアメリカが、この覇権を継承 すると、世界中が同一のルールとツールを使うようになっていった。
<これは「まちがい」です。>
自由競争を組み立て、勝者と敗者をはっきりさせることで「社会の自由」を定義する。国民国家や資本主義や民主主義というものは、大変 よくできたシステムである。しかし、今日の社会の大勢がこれでいいはずがない。もっと社会の分節を取り戻すか、新たな分節を作り直す べきだとセイゴオ先生は警鐘を鳴らす。
<苗代は、とても大事な「日本という方法」です。>
本書では「苗代」を例にして、グローバリズムの導入をいったん幼若な苗にして、それから本番で植え替えるという方法があるのでは ないかということを最終章の提案にしてみました。直撒きちょっと待ったという提案です。
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