徒然読書日記202101
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2021/1/31
「口語訳古事記」[完全版] 三浦佑之 文藝春秋
なにもなかったのじゃ・・・、言葉で言いあらわせるものは、なにも。あったのは、そうさな、うずまきみたいなものだったかいのう。 この老いぼれはなにも聞いてはおらぬし、見てもおらぬでのう。知っておるのは、天(あめ)と地(つち)とが出来てからのことじゃ・・・。
と、原文には存在しない古老の一人語りから、この古事記のほぼ完璧な口語訳の幕を開けることにしたのは、古事記という作品を突き抜けようと 意図したからだった。和語を生かした音仮名(万葉仮名)を包み込みながら、その全体は外国語(漢文)によって記述されているのが、『古事記』 という作品なのであれば、天皇家や国家のために外国語で書かれた神話や歴史を、文字と国家との呪縛を解いた世界に置きなおし、哀しい恋物語 や陰謀うず巻く戦さ語りとして再生することで、高天の原から降りてきた者が纏う国家とか天皇などの「権力」を無化し、それ以前にあった 「ふること」を語り継ごうとした人びとの世界に向き合えるのではないか。
それが、『日本書紀』では決して描こうとしない生々しい人間像を、『古事記』が執拗に語ろうとする理由なのであり、「古事記が成立した8年 後に、なぜまた日本書紀が奏上されることになったのか」「元は一つのところから出ていながら、古事記と日本書紀とではその性格に本質的な 差異があるのはなぜか」という疑問につながるだろうと言うのである。
『古事記』は全体の3分の1が神がみの物語となっており、比較的馴染み深い神話とともに語られるのは、ほとんどが神がみのカタカナだらけの 系譜なのであり、(巻末に掲載された神々の系図が圧巻だ。)アマテラス―アメノオシホミミ―ホノニニギ―ホヲリ―ウガヤフキアエズ― カムヤマトイワレビコ(神武天皇)へとつながる天皇家の由緒正しさを主張している。
しかし、天皇家の事績を記すことに主眼を置いた『日本書紀』と大きく違うのは、オホクニヌシを中心とした出雲系の神がみの物語に多くを 費やしていることだ。有名な「国譲り」の物語を読めば、葦原中つ国をめぐる争いの最後の勝利者となった天皇家の「地上征服」を強調する ためだということもできようが、別名オホナムヂ(ヤチホコ)という英雄神を生き生きと語る、叙事詩的な語りへの過剰な傾斜には、出雲系の 神がみを語ろうとする意志を感じることができる。
<それが、語りの論理に生きる古事記と、文字の論理を内在化させた日本書紀との違いである。>
というわけで、『古事記』専門家とも称される泰斗の手になるこの本は、<記述されている神話や事績は、もともとどのようなかたちで存在した のかということを問うことなしに、歴史書の編纂を論じることはできない。>という、古代文学・伝承文学に携わる研究者としての信念と姿勢を 貫き通すことで成し遂げられた、畢生の大著であると言っていいと思う。
その後に発表された、
『風土記の世界』
も、 併せて読まれることを強くお勧めしておきたい。
音声から記述へという単線的な論理が、先ごろの『新しい日本の教科書』に象徴されるような「日本」賛美論に絡めとられてしまう危険性を 抱え込んでいるのは十分に承知している。その上であらためて、安易な「文字」絶対化に対しては異議を唱えておきたい。極端に言い切って しまえば、文字は手段でしかないはずだ。
2021/1/24
「バシレウス」―呂不韋伝― 塚本史 NHK出版
「でも旦那。あのお人は、実に吝嗇(けち)ですぜ。薪や炭を買って貰うのは良いんですが、掛け取りに行くと居留守を使って、その くせ、酒だけは三日に上げず酒房で飲んでるんです」秦王にとっては太子の庶子の一人に過ぎず、母である夏姫も既に太子の寵愛を失っている という。それゆえに秦本国から、あまり重要視されていないのだろう。それがまた、呂不韋には好都合だ。「酒房へ行くのを見かけたら、 教えてくれ」
<奇貨居くべし>――取っておきの商品だ。やがて途轍もなく値が跳ね上がる。それまで大事に取っておこう。
韓の都に店を持つ大商人で、自由な発想で販路を開拓する奇才・呂不韋が、趙に人質に出され不遇をかこっていた秦の公子・子楚を見出した際の 有名な逸話である。秦の太子(孝文王)の本妻・華陽夫人には子がおらず、将来を憂える夫人の弱みにつけ込んだ呂不韋の策謀により、養子と なった子楚はついには荘襄王となるのだが、その功績により秦の相国(宰相)にまで上り詰め、一族郎党栄華を極めることになった呂不韋には、 常に付き纏って離れない不穏な噂があった。荘襄王が質子となっていた趙から連れ戻した姫妾・朱綾児との間には、政という男児が生まれていた のだが、その容貌が呂不韋に酷似していたのだ。
この政こそが、後の秦の始皇帝なのであり、呂不韋は始皇帝から「仲父(ちゅうほ)」という称号を授けられ、権勢をますます高めることになる。 というのが、『史記』呂不韋列伝でも述べられている、始皇帝に纏わる血筋の疑惑という噂の大筋なのだが・・・
呂不韋の母と朱綾児の母は異母姉妹であり、父はアレクサンドロス大王イスカンダルだったので、白人系統(コーカソイド)の遺伝子が共通して いた。つまり、Aの刻印があるアレクサンドロス大王のギリシア金貨を母親から受け継ぎ、肌身離さず持ち続けていることが互いに同じ血が流れ ていることの証であり、黄色人種(モンゴロイド)にはない容貌の違いばかりが際立って、白人系統(コーカソイド)の中での微妙な差など周囲 の者には見分けがつかなかったということだ。これが、この不穏な噂に対する著者なりの解釈なのである。
ところが、それがこの物語の主筋ではまったくなかったところに、大きな驚きと小さな期待外れとを感じざるを得なかったというのが、暇人の 率直な感想で、イスカンダルの末裔たる呂不韋(ソグド人という設定)が、エジプトからシリア、ペルシア、マケドニア、インドなど、中央 アジアを経巡りながら東方を目指し、権謀術数渦巻く戦国時代の中華圏という活躍の場を得て、水を得た魚のように商人としての才を発揮し、 のし上がっていく、舞台設定のための仕掛けだったのだ。
「さあ、中華統一のため、孤もおまえたちも固く決意しようではないか!」と、五国合従軍の攻撃から秦を護り抜いた兵士たちに、政(始皇帝) が静かによく通る声で秦王としての夢を語り始めたのは物語の最終盤である。ようやく、「バシレウス(諸王の王)」が誕生したのである。 ・・・って、ここで終わるのかよ!
「今、孤やおまえたちの前に偉業があるのだ。それを為し遂げるのは、孤やおまえたち、生き残っている秦の者だけの権利であり義務でも ある。目の前にある中華統一の大偉業を、是非とも孤やおまえたちの手で、成し遂げようではないか!」
2021/1/22
「亜玖夢博士の経済入門」 橘玲 文藝春秋
博士は身長150センチほどの小男で、体長のおよそ4分の1を頭部が占め、さらにその半分が額であった。ピンクサロンやラブホテル の絢爛たるネオンを背景に、絹のような白髪を肩まで伸ばしたその異形のシルエットは怪奇映画の狂人科学者そのものである。
社会の底辺に沈む不幸な人々に寄り添うべく、民衆救済事業の拠点となる研究所を開設した亜玖夢博士は、齢70にして諸般の学問の精髄を極め てはいたが、「相談無料。地獄を見たら亜玖夢へ」と、ポン引きが呼び込みの合間に配るチラシを手に、歌舞伎町裏の怪しげな雑居ビルにある 研究所にわざわざ足を運ぶような客は、誰もが<社会の屑>ばかりだった。
というこの本は、「新世紀の資本論」と絶賛を浴びた
『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』
以来、絵空事ではない街場の経済を相手にとって、実際に使い物になる切れ味鋭い武器を提供し続けてきた著者による、「経済学理論」実践の ための裏口入学案内なのである。
「借金が増えるにしたがって君の不幸は減速していく。借金の額がとうてい返せなくなれば、もはやそれ以上不幸にはならん。」
と、「働いて金を稼いで借金を返す」なんて真っ当なやり方など到底ムリという借金まみれの男に、逆に「借金を増やす」ことを薦めた―― <行動経済学>
「そりゃ、どうしようもないな。・・・しっぺ返し戦略で利益が最大化できるのは、ゲームがいつ終わるのかプレイヤーが知らない場合だけだ。」
と、相手の裏切りを恐れて「手打ち」に踏み切れないヤクザに、「俺に手を出したら面倒なことになる」とわからせればいいことに気付かせた ――<囚人のジレンマ>
「最初はちょっと目立っていただけなのに、どんどん注目を集めて人気者になっていく。ハブが加速度的にリンクを獲得していくこの過程を 増幅効果という。」
だから「転校すればいい」という忠告に、その子は「自分がいることでほかの子がいじめられないならそれでいい」と結局従わなかった―― <ネットワーク経済学>
「人の心には様々な癖がある。それを利用することで、相手を説得したり、騙したり、商品を売り込んだりすることができる。」
と、次々に繰り出す説得のテクニックのトリックを明かされてしまったマルチ商法の詐欺師は、やがて世界の終わりを迎えることになる―― <社会心理学>
「自己言及は、構造的にパラドクスを生み出す。そしてこのパラドクスを、システムの内部で解決することはできん。」
だから「本当の自分を探す」ことなどできないと言われてしまった家出娘は、行き場と希望を失って研究所で暮らすことになる。―― <ゲーデルの不完全性定理>
といった具合で、どのお話にしてみても博士の理論展開はまことに理路整然たるものなのだが、その処方箋が相談者を救うことになったかどうか は、はなはだ怪しい。しかし物語の最後で窮地に陥った家出娘が、見事に切り抜けて見せたその手管を見る限り、「理論」は実践によって身に 付くものだということが分かるのである。
「これからあなたがなにをするか、あたしが当てる。もし外れれば、あなたの勝ち。もし言うとおりだったら、あたしを解放する」 「その賭け、どうやったって俺の勝ちじゃねえか。おまえの言うことと違うことをやりゃあいいんだろう」「そういうこと。この賭け、受ける?」 「いいだろう。じゃあ、これから俺のやることを当ててみろ」「あたしをそのピストルで撃つ」「なんだと?」
2021/1/19
「中世の罪と罰」 笠松宏至他 講談社学術文庫
「われわれの間では窃盗をしても、それが相当の金額でなければ殺されることはない。日本ではごく僅かな額でも、そのことによって 殺される。」(フロイス『日欧文化比較』)
16世紀の日本人が「盗み」を死をもって贖うべき重い罪として憎んでいたことは、当時の西欧人からは“日本独特の風習”として捉えられて いた。一体このような窃盗観はいつのころから日本の社会に定着したのか。そもそも、そのような法思想が生まれた原因は何なのだろうか。 という切り口から「多少の史料に一、二の憶測」を加えて、中世における「犯罪=穢れ」観念の存在に迫ってみせた。
――笠松宏至「盗み」。
中世において、みずから神に誓約したことを遵守せず、そのために下される「天罰」が、当時不治の病と考えられた「癩病」にかかることである と意識されたという。「詐欺罪」(あざむきの罪)に対して科される「肉刑」が、受刑者に単に苦痛を与えるためではなく、異形にすることを 目的にしていたことを明らかにした。
――勝俣鎭夫「ミゝヲキリ、ハナヲソグ」
万人によって親しまれながら、場所を変えれば「諸悪の源」として禁制され、はじめは正当な行為だったものが時代が降ると罪になる。その 行われている場と時とを、日常から切り離した「無縁」の場にしてしまう、「境界的な罪」の問題を鮮やかに論じてみせた。
――網野善彦「博奕」。
年貢未納のため身柄を領主に曳き取られる「いましめ状」は、領主の用意した文案通りの文書に署判を強要して出来上がった文書に違いなかった。 刑罰に処せられる側が、自発的にそれを承認する「曳文」(いましめ状)を提出する形式をふまざるをえなかったところに、中世という時代の 特色を読み取った。
――石井進「身曳きと“いましめ”」
というこの本は、本書がはじめて世に出た1983年当時、東大の国史学研究室と史料編纂所で、斬新な論文や著書を次々に発表して注目を 集めていた、東大中世史「四人組」。網野善彦(当時55歳)、石井進(52歳)、笠松宏至(52歳)、勝俣鎭夫(49歳)が、『UP』 (東大出版会)という小雑誌に連載した10篇の論文集である。
終章に置かれた、実は4人集まって何かしたのは初めてという、まことに豪華な討論会の丁々発止の論戦を読むだけでも、『中世の罪と罰』と いう大変難解なテーマに、多面的なアプローチで意欲的に挑んでみせた各氏の分析は、一致した結論へと収斂していくように思われた。中世に おける刑罰は、犯人を処罰することよりも、むしろ世の中の正常な状態を回復することに、重点が置かれていたようなのである。
<中世の人びとにとって、犯罪とは穢れにほかならなかった。>
本書を通じてあらためて浮き彫りになるのは、中世社会が、現代人の常識や価値観では容易に解釈できない社会だということ、つまりそれは 私たちにとって彼岸=異文化にほかならないということである。そのことを教えてくれるのも本書の重要な意義といえそうだ。(桜井英治・ 東大教授「解説」)
2021/1/2
「老人と海」 Aヘミングウェイ 新潮文庫
「なにを食べるの?」少年はたずねた。「魚のまぜ御飯がある。お前も食べていくかい?」「ううん、ぼくは家で食べる。火をおこし てあげようか?」「いいよ、もうすこししたら自分でやるから。それに冷飯のままでもいいんだよ」「じゃ、投網を持っていっていいかい?」 「そうしておくれ」
キューバの年老いた漁夫サンチャゴは長い不漁に陥り、漁を手伝ってくれていた少年マノーリンも、両親のいいつけに従い別の船に乗り込まざる を得なくなっていた。もう売ってしまったのだから投網などなかったし、まぜご飯だってありはしないことも少年は知っていたが、二人はこの 「作りごと」を毎日くりかえし演じている。それは今も誇りを失うまいとするサンチャゴの矜持であり、そんな老漁夫への尊崇の念を胸に少年は まるで保護者のように甲斐甲斐しく世話を続けていたのである。
だから、一匹も釣れない日が84日も続いた後で、まだ夜が明けないうちに沖へ出てうんと遠出をしてみたのは、そんな少年の気持ちに応えたい とでも思ったのか。ついに引っかけた大魚は、たった一人で操る小舟より2フィート以上も長い、18フィートの巨大なカジキマグロだった ・・・
『老人と海』といえば、ノーベル文学賞作家ヘミングウェイの最高傑作として名高い小説なのだから、誰もが一度くらいは(読まなくても)目に しているはずで、<頑固一徹の偏屈な漁師が、数日にわたる格闘の末に巨大な魚を釣り上げたが、帰り途に折角の獲物をサメに襲われて、結局 なにも手元に残らず終わる。>という粗筋を聞けば、「ああ、あれね」と思い当たる人も多いだろう。(随分昔に読んだはずの暇人の理解もその 程度だった。)
しかし、今回「読書会」のテーマ本に選ばれたこともあり、老漁夫の齢を超える老境に入って再読してみて、そんな単純なお話ではないことに 気付かされた。
かれはいつも老人を迎えにいき、魚鉤や銛を、それからマストに巻きつけた帆などをしまいこむ手つだいをしてやった。帆はあちこちに粉袋 の継ぎが当ててあったが、それをマストにぐるぐる巻きにした格好は、永遠の敗北を象徴する旗印としか見えなかった。
それが老人の乗る小舟の姿なのであり、つまりは他の漁師たちからいい慰みものにされている老漁夫の、少年の眼に映る実像ともいうもべきもの なのだから、
「おい」とかれは魚に向かって呼びかけた、「おれはお前が大好きだ、どうしてなかなか見あげたもんだ。だが、おれはかならずお前を殺し てやるぞ、きょうという日が終わるまでにはな」
と、その堂々としたふるまい、その威厳に、「こいつを食う値打ちのある人間なんてひとりだっているものか」と心通じるものを感じながらの 死闘のうちに、ようやく釣り上げた大魚が、次々と襲いかかるサメによって喰い荒らされ、片端になって行くのを見たときには、自分の身が えぐられるような苦痛を感じ、
いいことは長続きしないものだ、とかれは思った。これが夢だったらよかったのに、いまとなってはそう思う、魚なんか釣れないほうが よかった。そしてひとりベッドで新聞紙の上に寝ころがっていたほうがずっとましだった。
結局、こうなることは最初から分かっていたって?いや、闘ったものにしか口にすることのできない「敗北」の苦味というものがあるはずだ。 老人は己の背中でそれを少年に見せようとしたのではなかったか?何も知らない他人には屑にしかみえない背骨でも、少年にとっては「自慢の 勲章」となるような、それは大きな尻尾をつけた巨大な白い背骨だった。
「あれ、なんでしょう?」女はかたわらの給仕にたずねながら、大魚の長い背骨を指さした。その骨はいまや潮とともに港のそとへ吐き だされるのを待っている屑としか見えなかった。(中略)「さめが・・・」かれは一所懸命顛末を説明しようとする。「あら、鮫って、あんな 見事な、形のいい尻尾を持っているとはおもわなかった」
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