徒然読書日記202012
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2020/12/28
「サブカルの想像力は資本主義を超えるか」 大澤真幸 角川書店
資本主義という社会システムは、その誕生の当初から、黙示録的な想像力とともにあった。・・・資本主義には何か根本的な欠陥が あって、このままずっと続けることが不可能な限界点にいずれは到達するのではないか、という予感が蔓延している。
<普通は、終わりへの予感が生じるのは、終わった後へのヴィジョンが出てきているからだ。>
しかし、資本主義がどのように終わるのか、さらに、終わった後にどうなるのか、どうすべきなのか、と問うても、誰もはっきりとしたことを 言うことができない。一方で、現代の若者たち(いや現代を生きるすべての人と言ってもよいが)は今、二つの方向の欲望の中に引き裂かれた ような状況にいる。半径3m以内の親密圏に関してしか真に納得のいく理解ができず、そのような内輪にとどまっていたいという欲求と、他方で それに対する強い不充足感とである。内輪の外に拡がる<世界>の全体像はつかめないけれど、その<世界>とのつながりを実感し、その <世界>で認められたいという狂おしいまでの願望があるのだ。
<このとき、サブカルチャーが発揮する想像力が決定的な手がかりを与えてくれる。>
親密圏から<世界>を描く寓話としての作品を構成している枠組みを抽出し、その構図を解明することで、<世界>を概念的に把握する理論を 提示すること。
現在のグローバルな資本主義は、終わりへの予感をふりまきつつ、終わりの後への想像力を許していない。とすれば、われわれはまずは、 フィクションを生み出すような人間の最も自由な想像力のレベルで、資本主義に拮抗できなくてはならない。
というこの本は、マンガやアニメや映画や小説等の諸作品を論材にしながら現代社会について考える、早大文化構想学部で行われた白熱の講義の 実況中継なのである。
第一部 対米従属の縛りを破れるか
『シン・ゴジラ』(オタクのナショナリズム)
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(排除された歴史の記憶は抑圧した記憶よりも重い代償を伴う)
第二部 善悪の枷から自由になれるか
『薔薇の名前』(善や正義に対する信仰は逆に悪へと反転する)
『デスノート』(形式的には善と区別ができない悪がある)
第三部 資本主義の鎖を引きちぎれるか
『おそ松さん』(何もしないことの積極的意味)
『バートルビー』(何かをなしうるという状態の権化)
第四部 この世界を救済できるか
『君の名は。』(乗り越えることのできない距離のもどかしさ)
『逃げるは恥だが役に立つ』(プロセスは味わいたくないが、恋愛の結果だけは欲しい)
と2016年に若者たちをひきつけ、社会現象まで起こした興味深い作品の多くをまな板に乗せ、切れ味鋭い包丁で料理してみせた、これは <想像力>を鍛えるための極上のレシピなのだ。
本書は、概念と想像力がどのように出会うかを示すひとつの実例である。それが成功しているかどうかの指標は、楽しいかどうかである。 どんなに悲惨なことが論じられていても、概念と想像力がうまく交差しているときには、知ることの歓びが生ずる。
2020/12/27
「マークスの山」 高村薫 講談社文庫
午前6時20分。窓の外のどんよりと明けた空は、降ったり止んだりの雨だった。靴痕跡の土や付着物は流されているなと、それだけ ぼんやり考えた後、合田雄一郎は音一つなく立ち上がった。
合田雄一郎、33歳6か月、警部補。
警視庁捜査一課第三強行犯捜査七係主任。職務執行法が服を着て歩いているような規律と忍耐の塊。弱冠29歳で警部補になった超優秀なノン キャリア。捜査畑十年で、捜査一課二百三十名の中でもっとも口数と雑音が少なく、もっとも硬い目線を持った日陰の石の一つである合田は まだ、《男の人が道路に倒れてる、助けて、助けて!》というこの悲鳴の通報が、心に「暗い山」を抱く連続殺人者マークスとの格闘の始まり となることを知らなかった。
「警察小説の最高峰」とまで評されているこの直木賞受賞作を、今さら論評したり、ましてやプロットを追いかけたりすることは無用だと 思われるので、ここでは、<七係>の個性的な面々をご紹介することで、著者が必要以上に綿密に仕込んで見せた人物造形の妙を、是非とも 味わっていただきたいと思う。
森義孝、30歳、巡査部長。《蘭丸》
任官5年で巡査部長に昇任した優秀さと、固すぎて鋳型にはまらない出来損ないのコンクリートのような性格で、突出した自尊心と強烈な上昇 志向を腹に忍ばせている。そういうところを持て余す係の連中から《お蘭》と茶化されても、本人は一向気にする様子もないが、持病のアトピー で整髪料を使わない合田としか組めない。
肥後和己、43歳、巡査部長。《あだ名ナシ》
荻窪の愛人宅から見え見えの早朝出勤でも、「どうせお見通しでしょうが」といった厚顔に自嘲を混ぜて、自分より十も年下の警部補にゴマすり を欠かさない。世慣れたサラリーマン根性の中に、よくも悪くも古参らしい傲慢さが同居しており、なかなか侮れない唯我独尊の薩摩の古狸 なのだ。
有沢三郎、35歳、巡査部長。《又三郎》
ひとたび事件となれば、夜中であれタクシーを飛ばし、文字通り疾風のように、ともかく現場に一番か二番に駆け付けてくる、風の《又三郎》。 捜査一課随一の二枚目と自称して憚らない厚顔と口八丁手八丁で、口元だけ白い歯を覗かせて上司の合田に片手を上げてみせる、ある意味肥後 以上の強者である。
広田義則、35歳、巡査部長。《雪之丞》
七係の中で一番物静かで、一番まともな身なりをし、柔道七段の体躯に似合わないひっそりした身のこなしの巨漢だが、ダスターコートの ポケットに岩波新書を忍ばせる秋田出身の色白もち肌男なのだ。
松岡譲、唯一の20代、巡査。《十姉妹》
愛想も気配りも忘れず、返事も明るく、金ボタンのブレザーを着て、ピーチクパーチク飛び回っている能天気な健康優良児。合田には扱いにくい 新人類である。
吾妻哲郎、36歳、警部補。《ペコ》
その名の通りの恐るべき童顔とは裏腹に、東大卒の複雑怪奇にねじれた頭脳が異彩を放ちまくる、無頓着と自信過剰のシンボルのような小柄 小太りの男。権力の中でも、身体に直結した嗜虐的な愉悦に満ちた警察という組織の水が、存外合っていたのは間違いない。
林省三、53歳、警部、係長。《モヤシ》
捜査一課の最年長で、定年までもう昇進はない、叩き上げを絵に描いたような<七係>のお守りみたいな刑事だが、ときに身につけているのを 忘れられてしまうほど影が薄く、腹に何が入っているのかよく分からない。
まあ。これだけの曲者が揃って、他部署の刑事や地検からの横ヤリには力を合わせて対抗しながら、仲間内での先陣争いにも気を抜けないと いう状況なわけだから、どんな事件を扱おうとも、迫真の警察小説になったことは間違いないだろう。(「山」の小説として楽しむことも できるのだろうけれど・・・)
被害者の住所を先に掴んだ者の勝ち。収穫の有無はともかく、初動の段階では浚えるものは真っ先に浚う。それが成果を上げる第一歩であり、 刑事生活で身体にたたき込まれた厳しくあさましい生存競争の事実だった。
2020/12/23
「もっと試験に出る哲学」―「入試問題」で東洋思想に入門する― 斎藤哲也 NHK出版新書
センター倫理の問題では、宗教学・哲学・倫理学・心理学のプロフェッショナルたちが、精魂込めて問題文をつくっている。ですから 個々の設問も、それぞれの思想家の核心を問うものになっているのです。
<センター試験を侮ってはいけません。>
というこの本は、前著
『試験に出る哲学』
(西洋思想入門)の読者からの熱いリクエストにお答えして、今度は、時代的にも地域的にもこれだけ広範囲にわたる思想家を扱ったものは あまりないと思われる、東洋思想の入門書をお届けしようという、意欲作なのである。
問 次の文章の( )に当てはまるものを選べ
古代インドでは、仏教が誕生する以前から、人間の在り方をめぐって深い思索が展開されていた。『ウパニシャッド』の哲人たちは、内なる真実 の自己に目覚め、これが宇宙の根本原理と同一であるという( )の境地に達することを理想とした。
@身心脱落 A梵我一如 B唯我独尊 C心斎坐忘
と、まずは古代インド思想から始まって仏教を、そして古代中国の儒家と道家に加え、朱子学と陽明学までをこなしてから、古代の神信仰と神仏 習合から、中世の仏教思想(大乗仏教・浄土思想・禅)を経て、近世・近代の日本思想の大転換の経緯へと進んでいくのは、インド仏教や中国の 儒教(孔子・孟子)、そして老子・荘子の基礎的な内容と、日本にも大きな影響を与えた朱子学・陽明学が頭に入っていなければ、当時の 東アジアのイデオロギーとなっていた朱子学を学問的に批判した伊藤仁斎や荻生徂徠の方法論が、本居宣長らの国学を準備していくといった ような、豊穣な江戸の思想を咀嚼することはできまいという配慮によるものだ。(巻末のブックガイドも挫折率の低いものを選び、入門書として のスタイルを徹底している。)
とはいえ、これはセンター試験の問題を単に解説することを目的とした本ではなく、解答はあくまでその思想家の思想の核心に迫るための道標に すぎない。冒頭の設問についても、暗記的な知識のみで「梵我一如」という正解に辿りつくことは、それほど難しいわけではないが、「内なる 真実の自己」=アートマン(我)と「宇宙の根本原理」=ブラフマン(梵)とが、本質的に同一であると考えることで、「前世の行い」=カルマ (業)に縛られる「輪廻」のループから永遠に解き放たれる、「解脱」の境地に至ることを希求したことが、ブッダの思想につながった。
「な〜んてことをうだうだ考えているうちに、試験時間が終わってしまったじゃないか。」という受験生の嘆きも聞こえてきそうなくらいに、 東洋思想の濃厚なエキスが1冊に凝縮された、これは前著をしのぐ快作なのだから・・・
<本書は受験生向けの学習参考書ではありません。>
むしろ、東洋思想や日本思想に興味・関心はあるものの、「最初の一冊」に悩んでいる大学生やビジネス・パーソンにこそ読んでもらいたい と思って書きました。
2020/12/22
「ヤバい経済学」―悪ガキ教授が世の裏側を探検する― SDレヴィット SJダブナー 東洋経済新報社
レヴィットが興味を持っているのは、日々の出来事や謎についてである。彼が研究しているのは、現実の世界が実際にはどう働いて いるのか知りたいと思う人なら誰でもかぶりつくような話だ。
<保育園のお迎えに遅れてくる親からは罰金を取ればいい。>
子供1人3ドルの罰金制度が始まると、親の遅刻はすぐに・・・2倍以上に増えた。ほんの数ドルで免罪符が買えたことで、罰金をやめても 遅刻は減らなくなった。
<相撲が神国第一級のスポーツであるならば、八百長で負けるなんてことはありえない。>
千秋楽7勝7敗の力士の8勝6敗の力士に対する勝率は、過去の対戦からの予測を大きく上回る。次回の対戦で返すという星の貸し借りの存在 さえデータから疑われる。
<必要な情報をすべて持っている不動産屋さんは、価格のちょうどいい落としどころを見つけてくれる。>
不動産屋の営業担当は、自分の家を客の家より平均で10日長く市場に出して3%高く売っていた。手間をかけて客の家を高く売っても、手数料 の増はわずかなのだ。
「インセンティブは現代の日常の礎であり、インセンティブを理解することが、どんな問題もほとんど解決できる鍵になる」
40歳未満で最も優れた米国の経済学者に贈られる、ジョン・ベイツ・クラーク・メダルを受賞した聡明な学者が書いたにもかかわらず、 この本が「ヤバい」のは、1990年代に、犯罪学者や政治学者らの誰もが急増すると予測していたアメリカの凶悪犯罪が、逆に減り続けた 理由を解明した論文が話題を呼んだからだった。1973年1月22日に、ダラスに住んでいたアル中でヤク中の21歳の女の子が起こした 集団訴訟により、全国的に中絶が合法になったからだ、というのである。
<中絶の合法化を認めた裁判が、どうして1世代後になって、有史以来最大の犯罪減少を起こしたのだろう?>
家庭環境の悪い子供は他に比べて罪を犯す可能性がずっと高い。裁判の結果を受けて中絶に走った彼女たちの、犯罪予備軍の子供たちは生まれ てこなかったのだ。・・・ね!これってヤバくない?
経済学は計測の学問であり、非常に強力で柔軟な手法を取り揃えているので、情報の山をかきわけ、何かの要因が及ぼす影響をちゃんと探り当て ることができるが、通念はだいたい間違っており、遠く離れたところで起きたほんのちょっとしたことが原因(蝶の羽ばたき)で劇的な事態 (ハリケーン)が起きることも多い。「専門家」は自分の情報優位性を自分のために利用しているが、何をどうやって測るべきかを知っていれば、 込み入った世界もずっとわかりやすくなるという。
「必要なのはただ、ものの見方を変えることなのだ。」
混乱と複雑さとどうしようもない欺瞞が満ちているけれど、現代社会は理解不能ではなく、不可知でもなく、そして――立てた質問が正し ければ――私たちが考えているよりもずっと興味深い。
2020/12/19
「どこにでも神様」―知られざる出雲世界をあるく― 野村進 新潮社
取材先での習慣のひとつとして、地元の不動産業の広告をくまなく見ていたとき、ふと目にとまった一節である。思わず「ほぉーっ」 とため息が漏れた。
「荒神様有り・隣地に水神様とお稲荷様有り」
売家の敷地内に神様がいるなんて、これまで全国すべての都道府県に足を運んできたが、こんな不動産広告は島根県の出雲地方以外で見たことが ない。<出雲には、かくも身近なところにさまざまな神様がおられるのである。>
というこの本は、40年に及ぶ経歴を持ち、日本の超老舗企業の先進性に取材した
『千年、働いてきました』
や、重度認知症 の世界に斬り込んだ
『解放老人』
など、 多方面にわたるルポで各賞受賞に輝いた手練れのノンフィクション作家が、全国の神々が寄り集う「神在月」の地・出雲にここ7年ほどくり返し 訪れて、土着の神々が、いまなお山陰の地にどれほど息づいているのかに耳を澄ませ、目に見えない世界の奥深さに驚いた出逢いの体験の 「お裾分け」なのである。
「私は伊勢神宮にも行ったことがあるけれど、伊勢のような『厳しさ』はなくて、もっと人に寄り添う身近な感じかな」
神社へのまったく新しい見方を得るためにと、なるべく世間の常識に染まっておらず、それでいて自分なりの言語表現を持っている“神社ガール” 達を同行し、ようやく「植物的神聖さ」(@梅棹忠夫)を実感できた出雲大社を皮切りに、さまざまな神社をめぐった出雲路の旅。
「ここでは天気が晴れても妖怪さんのおかげ。子どもが受験に受かっても妖怪さんのおかげ。なんでも妖怪さんのおかげなの」
<犬と猫しか歩いていない商店街>にオバケなんてとんでもないと、商店街からの猛反対を浴びながら、発案した境港市の都市計画係長の熱意に より、いまや山陰地方屈指の観光地として、厳島神社や倉敷美観地区を大きく上回る来訪者数を誇るようになった、たかだか長さ800mの 「水木しげるロード」の謎。
「クリスマスや誕生日のプレゼントに神楽のお面をねだったりするのは、別に珍しいことじゃないですよ」
老若男女や社会的立場などの壁などものともせず、舞い手も楽器の奏者も全員が素人で、それで食べている人間はひとりもいないのに、誰もが 打ち興じる。島根県西部でたいへんな盛り上りを見せているにもかかわらず、全国的にはほとんど知られていない郷土芸能、「石見神楽」の 現場の実況生中継。
著者がこの旅に選んだ題材には、意外な共通項がある。それは、いずれも「無料」であるということだ。「神社」も「水木ロード」も「石見神楽」 も、ただで一般に解放されているのである。
山陰で遭遇する「無料」には、その場に足を運ぶまでに“汗を流した”人々への感謝や歓迎の気持ちが滲み出ているようだ。かような「無料」 は、(昨今もてはやされた)「フリー」とは似て非なるものではないか。おそらく本来の豊かな時代の幕開けを告げているのは、ITの「フリー」 ではなく、山陰の「無料」のほうなのであろう。
2020/12/17
「記憶術全史」―ムネモシュネの饗宴― 桑木野幸司 講談社選書メチエ
記憶の特性を最大限に活用し、その力を爆発的に増大させる知的方法論が、西欧世界ではある時期まで連綿と継承されてきた。・・・ 時間をかけて努力さえすれば誰でも記憶の達人になれるというのだから、まさに夢のような方法だ。
<その名もずばり「記憶術 art of memory」という。>
1.心の中に仮想の建物を建てる。
(覚えようとする内容とは関係なく、ひとまず情報の容れ物を頭の中に作ってしまう。記憶の「ロクス(場所)」を頭の中に刻み込む鍛錬を積む のだ。)
2.そこに情報をヴィジュアル化して順序よく配置する。
(記憶すべき文字情報の要点を鮮やかな図像に転換し、仮想の建築空間のなかに、入り口から順番に目印になるところ「ロクス」に据えて ゆく。)
3.それらの空間を瞑想によって巡回していく。
(呼び戻したい記憶のイメージに出会うたびごとに、それらに託した内容を、あたかもレンジで解凍するかのように取り出してゆくのだ。)
器の準備→情報のインプット→取り出し、というたったこれだけのステップが、単純化したものとはいえ記憶術の核心なのであるが、建築のもつ 秩序的空間連鎖に、イメージの持つ情報圧縮力を巧みに組み合わせた、実に効率的なデータ処理システムとして機能することは実証されている のだ。
<記憶は場所と強く結びついていることが知られている。>
というこの本は、紙の調達が不自由だった古代に長大な弁論を暗唱するために開発された素朴な記憶術の誕生の瞬間から説きおこし、中世には キリスト教の影響をうけて独自の変容をしながら下火となったものが、ルネサンス期に華麗な復活を遂げ、絢爛と咲き誇った記憶術の歴史を 詳述していく。
<では、なぜこの時期(初期近代)に、古代の、いってみれば黴臭いテクニックがよみがえったのだろうか。>
印刷術の発明により古代ギリシアやローマの古典的名著が次々と出版された、ルネサンス人文主義文化の開花は教養人がそなえるべき知的水準の ハードルを上げた。航海術も発達して新大陸が発見され、それらの知見を通じてあふれかえった情報の洪水が、古代以来の伝統を誇る盤石の データベース・ツールの再生を要請したのだ。しかし、合理主義的思考が台頭した17世紀の初頭を過ぎた頃から、その人気にもかげりが見え 始め、18世紀以降はすっかり廃れてしまうことになったのは、人工的記憶強化法が技術としての発展の極限まで行き着いてしまい、なかば 必然的に自己解体を向かえたという面もあったという。
<おや、この記憶術とかいう代物のシステムとそっくりな危機的状況を、現代の我々は生きているのではないか?>
ネットへの常時接続で、毎秒、気の遠くなるほどの巨大データが世界中でやりとりされ、クラウド等を活用して仮想空間にストレージするのが 主流になりつつある。ヴァーチャルな空間にいつでも好きな時にアクセスし、必要な情報を浴びるように摂取するのがあたりまえになった。
実はそういった現代の情報革命の萌芽は、すでにルネサンス時代の記憶術の消長史にすべて内包されていたのだ。
2020/12/4
「一海知義の漢詩道場」 一海知義編 岩波書店
「飲酒望西山戯詠」 酒を飲み西山を望みて戯れに詠ず
太白十詩九言酒 太白 十詩に九は酒を言い
酔翁無詩不説山 酔翁 詩として山を説かざるは無し
若耶老農識幾字 若耶の老農 幾字を識れる
也与二事日相関 也た二事と日びに相い関す
<半解漫語>
漢詩を正確に読むためには、ある種の嗅覚が必要である。典故の有無を推定する嗅覚である。ただしこの詩の場合などは、嗅覚を働かせるまでも なく、李白や欧陽脩の詩句、そして二人のことを論じた文章などの中から、典拠を探し出さねばならない。探索の成否をきめるのは、時間と執念 と忍耐である。
というこの本は、神戸大学を退職した一海先生が院生を相手にゼミの継続として始めた宋代の詩人・陸游の詩を読む会が、次第に年齢層を広げて 参加者も増え、今や十年を超えたこの先生と発表者との討議の詳細なやり取りを記すことで、これから漢詩の読み方を学ぼうという人のお役に 立てたいという試みなのである。
先生いわく、漢詩を読み解くためには、越えねばならない<七つのハードル>があるという。
1.漢字の判読(くずし字、つづけ字の草書体)
2.漢詩の区切り方(リズムの問題)
3.難解な漢語(少し大きな辞書を引く)
4.典故(古典や、故事来歴のある言葉)
5.詩の作者についての知識
6.作詩の背景
7.中国古典語についての正確な知識
高校の漢詩の授業では、初めからそこにある<模範解答>なるもの暗記するだけだったから、ルールさえわかれば誰でも必ず読める、と思ったら それは大間違いで、語源を探し、語の組立のからくりを解くなど、あたかも謎解きに挑むかのような発表者の模索の成果を、あっさりと返り討ち する先生の刃の切れ味は流石である。
とはいえ、冒頭の詩の「戯詠」という表題について、「男子一生の仕事もせずに、こんなものを詠んでいる」という自嘲を見たという堅苦しい 発表者の解釈に、≪「こんな詩ができてしもうた」ぐらいのニュアンスだろう≫と、ユーモアも交えながら最後の決めに入る半解先生の老練の 技がこの会の独特の雰囲気を作っている。
ところで、<半解先生>って誰?
「読游会」と名付けられたこの会は至ってキマジメな研究会なのだが、主宰者をはじめ冗談の好きな連中が多く。時にあたかも落語の高座の ような趣きを呈する。ゆえにこの本は、書名を『漢詩を読むコツ 半解先生の漢詩高座』としてはどうか、という案が出て、次のような「小序」 まで用意されていたそうなのである。
半解先生、姓は一海、名は知義。姓と名より各一文字を採れば、一知。すなわち「一知半解」の人なりと称す。「一知半解」なる語、中国は 宋代、厳羽の著『滄浪詩話』に出で、知識の十分わがものとならず、極めて浅薄なるをいう。すなわち、生半可。その半解先生、いつの頃よりか、 人々を集めて「読游会」なる漢詩講座を始めた。宋代の詩人陸游の詩を読む会である。
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