徒然読書日記202011
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2020/11/30
「くわしすぎる教育勅語」 高橋陽一 太郎次郎社エディタス
朕惟フニ、我カ皇祖皇宗、国ヲ肇ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。
<天皇である私が思うのは、私の祖先である神々や歴代天皇が、この国を始めたのは広く遠いことであり、道徳を樹立したのは深く厚いこと である。>
1890(明治23)年10月30日、天皇自身が臣民に呼びかける形で、睦仁の名前で君主の著作として出されたのが「教育勅語」である。 それは実際には中村正直の原案に基づき、井上毅と元田永孚が法令のように起草したものを、君主が最終的に認めたというものだった。
「勅語奉読の際、参列者は奉読の始ると同時に上体を前に傾けて拝聴し、奉読の終つた時、敬礼しておもむろに元の姿勢に服すること。」 (初等科修身 教師用)
明治、大正、昭和戦前戦中期に、修身の教科書に印刷されていた教育勅語を、意味も解らず全文丸暗記して、暗誦や暗写させることで、天皇を 頂点とした大日本帝国憲法のもとで国民を統合するという、「皇国ノ道」の理念を刷り込まれていったというのが、『教育勅語』の負の歴史で ある。しかし日本教育史(国学・宗教教育)を専攻する著者の水先案内により、全文を一字一句漏らさず逐語的に読みこなしてみると、
「爾臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、学ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ 徳器ヲ成就シ、進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ、常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ、・・・」
<汝ら臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹は仲良く、夫婦は仲むつまじく、友人は互いに信じあい、恭しく己を保ち、博愛をみんなに施し、 学問を修め実業を習い、そうして知能を発達させ道徳性を完成させ、更に進んでは公共の利益を広めて世の中の事業を興し、常に国の憲法を 尊重して国の法律に従い、・・・>
なんて、古来からの儒教にもとづいた徳目の器に、西洋近代社会を起源とする道徳までもが盛り込まれており、「結構いいこと言っているんでは ないか」「少なくとも間違ったことは言っていない」と、近ごろの若者の道徳心の欠如を嘆く竹田某のように言い切ってしまいそうにもなるわけ なのだが、「そこまでいっていいんかい?」
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。」
<ひとたび非常事態のときには大義に勇気をふるって国家につくし、そうして天と地とともに無限に続く皇室の運命を翼賛すべきである。>
と、こうした西洋起源の道徳も含めすべての道徳的な行為が、「天壌無窮」の天皇のもとに結実するところに教育勅語の本当の眼目があるの だから、平成29年、「教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」という閣議決定がなされ、教育勅語を暗唱 させた幼稚園が注目される中、このように「批判的すぎる」本を刊行することにしたのは、教育勅語の書かれているとおりに行って現在の教育が 良くなるとは思っていないからだというのだった。
とはいえ、『源氏物語』という古典の世界観にひたったとしても、現実に貴族として遊んで暮らせると思ったりはしないだろうから・・・、
逆に教育勅語に対して「評価が高すぎる」という感想をお持ちになったとしても、また、まちがいではありません。時代の思想を象徴した 文章は、古典として尊重されるという考えを持っています。教育勅語を、いわば古典として重視したことが、『くわしすぎる教育勅語』という 本書の基本的なモチーフと言えるでしょう。
2020/11/29
「死んだら飛べる」 Sキング Bヴィンセント編 竹書房文庫
もしあなたがデルタ航空やアメリカン航空やサウスウエスト航空をはじめとする航空会社の飛行機に乗る予定があるのなら、本書では なくジョン・グリシャムかノーラ・ロバーツの本をバッグに詰めるのが賢明だろう。安全な地上にいたとしても、本書を読めばあなたはシート ベルトをきっちりきつく締めたくなるかもしれない。
<なぜなら、この空の旅は大荒れになるからだ。>と、編者を務めたスティーヴン・キングの警告から始まるこの本は、古今の名作家17人が トライした「恐怖に満ちたフライト」のアンソロジーなのである。
米国空軍の機上輸送係デイヴィス二等軍曹が、南米ガイアナから輸送を命じられたのは大量の棺だった。上空飛行中、貨物室から「あの子たちの 歌」が聞こえ・・・(Eマイクル・ルイス『貨物』)
北極上空の闇で、飛行機酔いで眠れず窓外を凝視していたウィルスンは、突然眼球が飛び出しそうになった。翼の上に異様な小人がいてエンジン をいじろうと・・・(リチャード・マシスン『高度二万フィートの悪夢』)
法律学者のジョンが目覚めると、エストニア発の航空機内には誰一人いなくなっていた。やがて自らがCIAに法的お墨付きを与えた「拷問」の 型が進んでいき・・・(トム・ビッセル『第五のカテゴリー』)
古物商のライアンがショロクア族の盲目の老女から騙し取り密輸しようとした禁制品のその仮面は、確かに「本物」だった。機内でその仮面を 付けた少女は・・・(コーディー・グッドフェロー『仮面の悪魔』)
グアムを核攻撃した北朝鮮に向けてICBMを発射した米国への報復にロシアがミサイルを発射して、百本もの白煙柱が立ち上る空で着陸地を 失った飛行機は・・・(ジョー・ヒル『解放』)
などなど、多くは気鋭の若手による近未来の世界情勢を盛り込んだ極上のモダンホラーやサスペンスがお披露目されるのに混じって、アーサー・ コナン・ドイル、アンブローズ・ビアス、レイ・ブラッドベリ、ロアルド・ダールなど、文学史上に名を残す手練れの作品を味わうことも できる。
わずか19名の生存者グループのリーダーとして、襲い来るゾンビの群れから「終わるまで安全でいられるところへ」という使命を果たした マイルズだったが・・・(べヴ・ヴィンセント『機上のゾンビ』)
右主翼よりも少しうしろのエコノミークラスの座席に納まったディクスンは、いつも通り飲まず食わずで過ごしていた。やがて飛行機は乱気流 に襲われ・・・(スティーヴン・キング『乱気流エキスパート』)
とさすがに編者だけあって、二人の作品は出色の出来栄えなのだが、暇人が特に気に入ったのは、イギリスでももっとも多作なSF作家の最高 傑作というものだった。
突起を押すと57秒だけ時間を遡ることができる指輪により、何でも望みのものを手に入れたフランクは、最悪の飛行機事故に遭遇し、空中に 投げ出され・・・(E・C・タブ『ルシファー!』)
注:以下はネタバレにつき、文字を白くしておきます。
――
57秒の生き地獄。
くり返し。
くり返し。
何度も何度もくり返し。なぜなら、そうしないかぎり、待ちかまえている海にたたきつけられるしかないのだから。
――
2020/11/20
「<知>の欺瞞」―ポストモダン思想における科学の濫用― Aソーカル Jブリクモン 岩波書店
これから見るように、量子重力においては、時空多様体はもはや客観的な物理的実在としては存在せず、幾何学は関係的かつ文脈依存 的になり、既存の科学の根本的な概念範疇は――存在そのものも含めて――問題化され相対化される。このような概念的な革命は、将来のポスト モダン科学、解放の科学の内容に深遠な影響を持つことを議論したい。
1996年、アメリカで人気の高いカルチュラル・スタディーズ誌「ソーシャル・テクスト」に、若手物理学者アラン・ソーカルの論文が掲載 された。幾人かの著名な科学者がポストモダン思想と社会構築主義に対して行った批判に反論するために、「サイエンス・ウォーズ」という特集 号が組まれたのだが、「境界を侵犯すること――量子重力の変形解釈学に向けて」と題されてそこに掲載されたこの論文は、科学者側からの 力強い支持表明だった・・・はずだった。
かつては定数であり普遍的であるとみなされてきたユークリッドのπもニュートンのGも、いまやそれらがもつ避けがたい歴史性の文脈の中 で捉え直されることになる。そして、仮想的な観測者は決定的に脱中心化され、もはや幾何学のみでは定義され得なくなった時空点とのあらゆる 認識論的な連結性を絶たれてしまうのである。
フランスやアメリカの有名知識人たちが、「数学や自然科学に哲学的あるいは社会学的な意味がある」と論じた文献からの短い引用を「糊」で つなぎ合わせ、一連のあきれるような論理の飛躍のあげく、断定的な宣言に至るこの論文が、実は「悪戯」であったことを、ソーカルは出版後 ただちに明らかにしたのだった。
というわけでこの本は、その後巻き起こった称賛と再反論の嵐の中で、「パロディー論文」に引用された短い文章の、より長いテクストを集めて 例示し、一体どういう理由で、これらの文章がばかげていて無意味であるのかを、わかりやすく説明してさしあげましょうという、まことに ご親切な作業の成果なのである。あとはご自分でお確かめいただくとして、ポストモダンの著作にしばしば見られる、自然科学の哲学に関連した ある種の思考の混乱「濫用」の例を挙げておこう。
<自然科学の概念を、概念的なあるいは経験的な正当化をすこしも行なわずに、人文科学や社会科学に持ち込むこと>
ラカンは神経症の主体(=患者)の構造は正確にトーラスそのものであると教え、
クリステヴァは詩の言語というものは連続の濃度の概念で理論的に記述できるといい、
ボードリヤールは現代の戦争は非ユークリッド空間を舞台にすると教えてくれる。
<全く無関係な文脈に、恥もなく専門用語を投入して、皮相な博学ぶりを誇示すること。ときには、学術的な注釈者やマスコミの開設者までもが この手に乗せられる>
バルトはクリステヴァの仕事の精緻さに感服し、
ル・モンド紙はヴィリリオの博学をたたえている。
<実際には全く意味のない言葉や文章を弄ぶこと。これが度を過ぎると、言葉の意味についての重度の無関心症を併発した真性の専門用語中毒 に陥ることになる。>
ラカンは「最近のトポロジーの進展」を応用すると豪語し、
ラトゥールは彼の考察によってアインシュタインに何か新しいことを教えることができたろうかと自問する。
<難しい「思想」を語っていたはずの賢そうなひとたちは、じつは論文の内容をまったく理解していなかったのだ。>(@橘玲)
われわれは、これらの分野(哲学、人文科学、あるいは、社会科学一般)が極めて重要であると感じており、明らかにインチキだとわかる物 について、この分野に携わる人々(特に学生諸君)に警告を発したいのだ。特に、ある種のテクストが難解なのはきわめて深遠な内容を扱って いるからだという評判を「脱構築」したいのである。多くの例において、テクストが理解不能に見えるのは、他でもない、中身がないという 見事な理由のためだということを見ていきたい。
2020/11/19
「『縁側』の思想」―アメリカ人建築家の京町家への挑戦― Jムーサス 祥伝社
「町家を見てみませんか?」と言われ、私は案内されるまま町家の表扉をガラガラと開けて玄関庭へ入りました。外はすでに暗く、 月明かりだけが頼りで、薄暗いながらも通りとは明らかに違った独特の“匂い”が漂う三方を壁に囲まれた異空間に、私は「スバラシイ!」と 思わず声を漏らしていました。
築80年以上で、11年間も空き家だったというその京都の町家は、「ボロボロでそのまま住める状態ではない」と家主も言うように、 「おくどさん」が残っている「通り庭」にはパイプがそこらじゅうを走っていて、まるでバックヤードか、人には見せられない地下倉庫のような 感じだったし、奥の客間には木目調の旧式な巨大エアコンがドデンと鎮座し、折角の「奥庭」にそのエアコンの巨大な室外機が無造作に置かれ ていた。70センチ四方の小さすぎてこのままでは使えそうもない「五右衛門風呂」の壁には、「ケバケバしい白いタイル」が貼られていたの だが、2階に上がって踊り場の右にある東向きの和室には、なぜか古いミニキッチンが備え付けられており、その奥の壁にもやはり白いタイルが 貼ってあった。しかし、材木屋である家主の先々代が息子のために建てたというだけあって、元々は吟味された最高級の材料で、ユニークな デザインが施された質の高い物件である。
「リフォームしながらしか住めないでしょう。だから当分、家賃はいりませんよ」という有難い申し出に、「ここに住みたい」とその場でお願い することにしたのは、相当な傷み具合だが、日本の歴史、美意識、文化、果ては先人の息遣いのようなものを短い時間ながら体感できて感動し、 この家に一目惚れしてしまったからであり、日本の伝統建築を実地で学ぼうという時機に、こんなに魅力的な町家を意のままにリフォームできる のは、生涯に二度とないチャンスだと思ったからだった。
というこの本は、MITの大学院で建築を学び、当時世界の建築デザインの最先端だった東京の現代建築の巨匠(槇文彦と谷口吉生)の門を 叩いたあと、「日本の伝統建築を学びたい」という興味から、伝統的数寄屋建築を手がける京都の一流工務店(中村外二)に学ぶべく、京都へと 居を移した若き米国人建築家が、町家のリフォームをきっかけに、様々な気付きと出会いとを経験していく中で辿り着いた、「建築文化を保存 すること」という境地への道標なのである。
「どうして日本で町家を改修する仕事をしているのですか」と、著者はよく人からそのように尋ねられ、いつも返答に窮しているという。 相当に傷んだ古民家の改修を<業>としてお手伝いすることが多くなってきた暇人も、「お金をかけて改修するより、いっそ壊して新築した方が 安上がりではないか」と言われてしまうことが多いわけだが、建物改修の目的は使い勝手の改善であったり、断熱性の向上だったりが本来で あるべきなのだから、私たち業者は決して「建物」を元の状態に保存修復しているのではなく、その場所に育まれてきた「文化」をこそ保存 しているのだということを忘れてはなるまい。
町家を改修していく中で、私が最も関心を持ったのは、日本建築における「あいまいな場所」です。例えば、縁側は屋根があるので「外」 ではありませんが、壁がないので完全な「内」でもありません。この「あいまいさ」こそが、日本建築における独自の要素、コンセプトである と私は考えています。そこから、この本のタイトルは生まれました。
2020/11/18
「壱人両名」―江戸日本の知られざる二重身分― 尾脇秀和 NHKブックス
江戸時代は、身分秩序の厳格な時代だといわれる。武士と百姓・町人は、判然と区別された身分で、しかも世襲で固定されていた―― という、近代以降に形作られた、現代人のイメージもある。
しかしその男は、正親町三条家に仕えるときは、大小二本の刀を腰に帯びる「帯刀」した姿の公家侍「大島数馬」であったはずなのに、京都 近郊の村に住むときには、野良着を着て農作業に従事するごく普通の百姓「利左衛門」として、二つの身分と名前を使い分けていた。 江戸時代中期以降、江戸や京都などの都市部から地方の村に至るまで、あちこちに存在していたことが確認できる、このような存在形態は 「壱人両名」と呼ばれた。
「昔の人には名前がたくさんあった」とよく言われるのは、幼名から成人し、家名を継いで、やがて隠居する、そのたびごとに「改名する」のが 普通だったからだ。しかし、たとえその人生に“いくつも名前があった”としても、公に認められていた名前は、その時点での「人別」に記載 された「通称」一つだけなのである。(実名や本姓、更には雅号など、話をどんどんややこしくさせる事情について、懇切丁寧な解説もあるの だが、長くなるのでここでは割愛させていただく。)にもかかわらず、彼らは子どもの留吉が成人して正右衛門に改名したというような、時間の 経過によって名前や身分が変化・移行したわけではなくて、ある時は商家の店先で帳面を前に算盤をはじいている町人・佐藤屋庄六が、別の日 には帯刀した武士・奈良伝右衛門として出仕するといったように、一人で二つの名前と身分を同時に保持して使い分け、別に他人を面白がらせ ようと思ったわけでもなく、全くの別人として一人二役を演じていたかのようなのである。
<壱人両名は、なぜ、存在したのか。>というこの本は、日本近世史を専門とする著者が、“なぜそんなことをしているのか”という観点から、 現代社会とは異なる江戸時代の社会の仕組みを考察し、そこに生きた名もなき人々の価値観や秩序感を、生き生きと浮かび上がらせてみせる ことで、私たちが思い描く江戸時代のイメージを塗替えてしまう快著なのである。
江戸時代の日本は、徳川将軍が大名らに領地を配分(宛行)して保証・承認(安堵)することで、各領主にその「支配」(管轄)を委ねるという 形式を踏んでいた。「支配」はそれぞれがその支配領域だけを管轄する縦割り行政であり、江戸時代の人はたくさんある「支配」のうち、どこか 一つの「支配」に属さねばならなかった。人がどこかに所属することで生じてくる立場は「身分」と呼ばれた。つまり江戸時代の「身分」とは、 「支配」との関係に基づく社会的地位のことなのである。
非合法であった「壱人両名」は、何らかの要因で表沙汰になれば処罰となったが、「支配」側が「うまくやっている」と融通を利かせて黙認して いる場合も多かった。江戸時代の社会秩序は、極端に言えば、厳密に守られている必要はなかった。ただ建て前として守られている体裁がとられ ていることを重視したようなのである。
本書に登場する数多の壱人両名の男たちは、誰もが知っている、名のある歴史上の人物ではない。いわば“名もなき男”たちである。だが そんな彼らの壱人両名というあり方に注目した時、長い期間、変わらなかったように見える江戸時代の社会、とりわけ身分の固定とか世襲とか いわれているものの、本当の姿が見えてくる。
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