徒然読書日記202008
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2020/8/30
「息吹」 Tチャン 早川書房
われわれが空気から生命を得ているという説は、歴史のほぼ全体を通じて自明のものとされてきたから、あえて擁護するまでも なかった。
毎日、空気をいっぱいに満たした2個の肺を消費し、空になったら自分の胸郭から取り出して、満杯にした肺と交換しないと数秒以内に死んで しまうという異宇宙で、時を報せる塔時計が完璧に正確な時を刻んでいるにもかかわらず「進む」、つまり「時間が遅れている」という怪現象の 謎の究明に挑もうとした解剖学者が、自分の脳を自分で解剖することで辿り着くことになった生命の真の源「息吹」の奇跡。それは、いずれ生命 がどのようにして終わるかを告げるものでもあった。
という表題作『息吹』以下9篇の短篇が収められたこの本は、あの衝撃の第一作品集
『あなたの人生の物語』
でセンセーションを巻き起こしたチャンの、ファン待望(なんと17年ぶり)の2冊目の著作なのである。(1冊目は知る人ぞ知るという感じ だったが、「メッセージ」として映画化され再ブレイクした。)
門の両側が20年の歳月で隔てられているという<歳月の門>をくぐって過去と未来を往き来はできるが、過去の出来事を書き換えたいという 願いはかなわない。タイムトラベルものが持つ再帰的な性質を逆手に取り、過去を変えられないことが必ずしも哀しいばかりではないことを 示してみせた――『商人と錬金術師の門』
ボタン1個と大きな緑のLEDがついた、車のリモコンに似た小さな措置のボタンを押すとライトが光る。いや、厳密に言うと、ボタンを押す 1秒前にライトが光る。この「予言機」をはじめて手にした人間は、数日間、憑かれたように遊び続け・・・やがてある症状を呈するように なっていく――『予期される未来』
閉園になった動物園の飼育係を勤めていた彼女に声をかけてきたのは、「ディジエント」(仮想環境で生きるディジタル生物)の開発チームだった。 AIを飼育することで、どこまで成長させることができるのか?(製造中止となった後のAIBOの末路はどうなるのか) ――『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』
「赤ん坊の面倒を見るために設計された、ロボットまでは行かないマシン」(見た目もグロテスク)に育てられた赤ん坊は、どんな風に育つ のか――『ディシー式全自動ナニー』
あらゆるライフログを記録し、瞬時に検索して視界の下隅に表示する「リメン」、それは人間本来の記憶に取って代わろうという試みだったが ――『偽りのない事実、偽りのない気持ち』
人類は地球外生命体と接触したいという強い欲求に基づき宇宙の彼方の声を聞くことができる耳を作り出したが、非人類種族の知的生命体は、 案外傍にいた――『大いなる沈黙』
世界は数千年前に神の手で創造されたという、今では疑義が生じるようになったこの仮説が、もしも正しかったと確認されるような世界が あったら――『オムファロス』
起動すると装置内部で宇宙全体を記述する波動関数の2つの分岐の間で情報通信が可能になる「プリズム」、多世界解釈のどれをあなたは選ぶ のか――『不安は自由のめまい』
結局、全話ご紹介してしまったが、それぞれ全く別の時代、別の宇宙(時には別の生物世界)の設定が、何の説明もなく、ごく当然のように 展開されるのだが、何の違和感もなく、いつしかその作品世界に没入してしまっていることに気付く所が、この天才作家の力量というもの なのだろう。ネタバレになるから、ストーリーの落とし所は省いたが、最後にチャンがペンローズだと明かした『息吹』の発想源なるものだけ、 ご紹介しておこう。
人間は、事実上、秩序を消費し、無秩序を生成している。人間は、宇宙の無秩序さを増大させることで生きている。われわれがそもそも 存在できているのは、宇宙がきわめて秩序の高い状態で始まったからに過ぎない。(『息吹』作品ノート)
2020/8/28
「性転師」―「性転換ビジネス」に従事する日本人たち― 伊藤元輝 柏書房
スキンヘッドに口ひげ。178センチ、体重は80キロ超えと恰幅がよく、この日は、仕立てのいいシャツにブランド物のサングラス をかけていた。68歳なのだが、実際より若く見え、バブルの匂いもする。商売人らしい雰囲気をまとった「オッサン」だ。
<坂田洋介は、タイでの性別適合手術を斡旋する「アテンド業」を営んでいる。>
性別適合手術をタイで受けたい日本人を募集し、現地の病院や旅行会社と連携し、渡航から帰国までを手伝い、仲介料を取る、というアテンド業 の業務内容は、性器に関わる医療行為、東南アジアという土地、そして仲介料=マージンを取るというそれぞれの要素が絡まり、「あやしい」 匂いがプンプン漂う仕事に見えてしまう。だから、著者が彼らを『性転師』と名付けたのは、詐欺師、山師、地面師など、「師」と付く職業が 連想させる犯罪性やグレーな要素を意識してのものだという。だいいち、そう呼ぶことを笑いながら承諾してくれた坂田のあやしげな雰囲気に、 妙にぴったりとハマるのだ。(嘘だと思うなら、表紙のカバー写真を見てほしい。)
しかし、性器の手術というデリケートで命にも関わる業務に、国や公的機関でも大企業でもなく、ましてや医療従事者でもない自営業者が深く 関わっている。いや、関わらざるを得ないという状況を生み出したのは、いったいなぜなのか?
この本は、これまで当事者やその家族を中心に性同一性障害をテーマとして取材を進めてきた記者の、少し角度を変えた「アテンド業」の視点 からのルポなのである。
アパレル業界で成功した経験を持つ商売人としての勘で、安くて質の良い美容整形ができるタイの病院と提携し、日本で美容整形メニューの サイトを立ち上げた、坂田の「アクアビューティー」というアテンド会社に、メニューの片隅にしか載せておらず、まして実績などなかった 「性別適合手術」への問い合わせが相次いだのは、2002年当時、日本での性別適合手術はまだ「難しい」状況にあったからだった。長年 「性転換手術」がタブー視されてきた日本の医療業界の歴史の結果である。
「医療の技術は日本の方が上だと思うし、世界に評価されているのも日本の方だから、日本で受けるべきですよね、先生!」という手術希望者に 対し、「いや・・・タイに行けるんだったら、タイに行きなさい」と、日本の性別適合手術を担っている外科医自身があっさり答えている。 手術例を多くこなしてきたタイの医師が大学生のレベルだとすれば、日本の手術などまだまだ小学生のレベルにすぎなかったのである。
想定外のビッグウェーブに驚きながら、それを見事に乗りこなして事業を軌道に乗せた坂田と、その後に続いた「第一世代」の性転師たち。 その後20年ほど続いたアテンド業界の基礎づくりにより、多くは「元客」が自らの経験を武器として、希望者を誘客するようになった「第二 世代」の性転師たち。
彼らへの取材からその果たしてきた一定の役割を知れば、今後も必要とする人がいる限りは、その役割を果たし続ける責任もあることがわかる だけに、アテンド業は決して世間で思われているような「悪」の存在ではない、というのが著者の実感なのだが、それはまた「皮肉な徒花」の ような世界でもあった。
ただ、この業界が消滅していく、役割を終えていくということは、すなわち当事者を取り巻く日本国内の環境がよくなっていくということ でもある。
2020/8/25
「新記号論」―脳とメディアが出会うとき― 石田英敬 東浩紀 ゲンロン叢書
コンピューターの思想的発明というところに戻れば、記号論はその出発点にある学問であり、世界自体がコンピューター化するという ことは、世界が「記号論マシン」によって覆われた、つまり普遍記号論化したということになります。ところが・・・
<世界そのものが「記号論」化しているのに、学問としての記号論は影を薄くしている。いったい、それはなぜなのか。>という大きな謎の 問いかけに、石田が駒場の授業で初めて会った時から既に、「深くてスピードのある洞察力になんて頭のいいやつなんだ」と舌を巻かせた らしい東は、
いずれにせよ、まずはバロック記号論があり、つぎに現代記号論がある。そして今日の石田さんのお話は、さらにその現代記号論が 「終わった」時代から振り返ってつくられているということですね。
<つまり、これからのお話は、現代記号論をアップデートしてスマホやネットについて語りましょうというものでは「ない」んです。ここが 大事です。>といささか先走りながらも、専門知識をもたない聴衆にも理解できるようにと、(ただし、本当にそれが理解できるかは別の問題 だが)丁寧に噛み砕いて解説する。これは、一般市民を対象に2017年の2月から11月まで、当初1回の予定が白熱のあまり3回に及んだ という、噂の公開講義の実況中継なのである。
どんな文字もその要素は3ストローク内で書け、その出現頻度を統計処理すれば、どの文字・記号システムでも同じように形の要素が分布して いることがわかった。この「ヒトはみな同じ文字を書いている」という知見に驚くなど、人文科学は脳科学と出会うことで「一般文字学」の 再構築に向かわねばならない。という、第1講義「記号論と脳科学」。
脳の部位と言語の個々の機能を対応させる「言語装置」論を批判し、複数の部位が機能連合するという構造論的なモデルを仮想すること。 「言語装置」の批判的考察から「心的装置」の解明へとつなげたフロイトは、ヒトの心は「メディアのかたち/脳のかたち」をしていることを 見抜いていた。という、第2講義「フロイトへの回帰」
「心の装置」は脳神経系の回路からなり、信号化された「文字」が書き込みと転写を行っている。この洞察を、さらにアップデートしなければ ならない。すべてが伝わり(スピノザ)、すべてがデータとなり(パース/フッサール)、ネットワーク化されたとき(タルド/ドゥルーズ =ガタリ)、なにが伝わっているのか。という、第3講義「書き込みの体制2000」
「1900年の書き込みシステムでさえ学問的に消化できていないのに、学外では2000年の書き込みシステムが吹き荒れている」(東) すべてがデータベースと化し、いたるところでネットにつながれ、いくつもの情報オントロジーによぎられる生活を、否応なく強いられる毎日の 中で、心理的・集団的個体化のための<自己のプラットフォーム>をどうしたらつくれるか、ということこそが21世紀を生きる我々に 課せられた命題だというのである。
石田氏の目標は、20世紀後半に華開いたものの、いまではすっかり影響力を失ってしまった大陸系哲学の伝統――日本ではおおざっぱに 「現代思想」などと呼ばれているもの――を、21世紀のサイエンスとテクノロジーを参照して新しいものに蘇らせ、ふたたび影響力のある ものにすること、つまりは、この金融資本主義とソーシャルネットワークと人工知能の時代にふさわしい、新しい人文学をもういちど打ち立てる ことにある。それはじつに壮大で、野心的な試みである。ぼくはその野心に共鳴して、石田氏に講義を依頼した。
2020/8/16
「街角図鑑 街と境界編」 三土たつお・編 実業之日本社
新しい道路や鉄道を建設中の現場に行くと、まだ生まれたてで上に何も乗せていない状態のものが見られる。いくつも並ぶとドミノ 倒しのように見えるが・・・
「倒してはいけない。」(田村美葉・高架橋脚ファンクラブ会長)って、「アンタの専門はエスカレーターじゃなかったのか!」と、親の顔が 見てみたくなって思わず鏡を見てしまったほど驚いてしまったのだが、
一つ一つにちゃんと名前と役割があるにもかかわらず、街を歩いている私たちのほとんどがそれを知らず、「見えていない」ものたち。 配管、足場、室外機、ガスメーター、交差点、坂道、階段、歩道橋、踏切、橋脚、ダム、橋、トンネル、鉄塔などなど・・・を取り上げて、 まずはその名前と役割を知り、ちゃんと見分けがつくようになれば、ほらね、今までと街の風景がまるで違ったものに見えてきて楽しいでしょ、 という図鑑である。
「こんな微妙なズレを22.5度エルボで合わせるのには寝れない夜もあったろう。関係者の苦労や工夫を愛でよう。」 (血管や神経のように街の資源を運ぶ「配管」三土たつお)
「解体されてしまうのがもったいないと思ってしまうような、こんなに美しくて贅沢な構造物が、そのあたりに普通にあるってすごいことだ。」 (機能と職人技のかけあわせ「足場」小金井美和子)
「そうやって部屋でくつろいでいる最中、快適とは正反対の環境に身を置いて、健気にファンを回す、アイツのことも思い出して欲しい。」 (人類のよき相棒「室外機」斎藤公輔)
「古いものの正面顔は昔のロボットみたいでかわいいのだ。たまに赤茶色に錆びたものもあるが、新型に負けず長く頑張ってほしくなる。」 (とぼけた顔の精密機械「ガスメーター」三土たつお)
「なぜそんなことしているんですか?」というのが、1994年から全国の団地や工場を見て回り、写真に収めてきたという「都市鑑賞」の雄、 大山総裁に対して最も多く発された質問だという。しかし、質問者も本当は「なぜ」を聞きたいわけではなく、言葉に詰まって「なぜ」と言って しまっただけではないかというのである。この「なぜ」に答えることはたいへん難しいので、ちゃんと説明しようと言葉を尽くすと大変に時間が かかり、すぐに興味をなくした相手は途中で遮って、
「要するに○○が『好き』なんですね」とまとめにかかることになる。「好き」は「よく分かんないけど、好きならしょうがない」という 「コミュニケーション終了」のお知らせなのだという。
結論=<都市鑑賞とは何かを考えるにあたっては「なぜ」ではなく「どのように」という問いにこそ意味がある。>
恋人や結婚相手もそうではないだろうか。「なんで好き?」「どこが好き?」はその問いが発せられたこと自体がすでに危険信号なのだ。 重要なのは「どのように」その人と過ごしているか、だろう。(『都市鑑賞とは何か』大山顕)
2020/8/15
「求む、有能でない人」 GKチェスタトン 国書刊行会
このごろ世間ではずいぶんヘンな思いこみがある。ことがうまくいかないからといって有能な「実際家」を待望する。しかしそういう 時は、実際的でない人物が望ましいのではないか。(『求む、有能でない人』)
「実際家」とは日々実務が通常どおり運ぶのに馴れきった者なのだから、そうでない時であるにもかかわらず、なにゆえ「有能」な人を求めよう とするのか。「有能」とか「能率」などというのは、行為の結果だけを云々して、事前になんの哲学もない、したがって選択能力もない、ろくで もない言葉である。うまくいくかどうかは行為が完了した後でなければわからないのだから、勝ち組に加担して闘うというのはありえない。 勝ち組になるために闘うのだ。
<たまごはひたすらニワトリになるために存在している。しかし、ニワトリは単にたまごを生むために存在しているのではない。>
というこの本は、チェスタトンが主として「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」に寄稿したコラムからの抜粋である。チェスタトンと いえば、日本では『ブラウン神父』物の探偵小説家として知られていて、暇人も小学生の頃に読んだ記憶がある程度だったのだが、それは あくまでも「余技」で、19世紀末から1936年に没するまでの生涯にわたって、各種定期刊行物に寄稿した評論やエッセイこそが本領なのだ そうで、普遍的真実を語る警句と意表をつく逆説で、「近代」の矛盾をついた時事批評が広く英米の読者から愛された、当代随一の評論家として 有名だったようなのだ。
そんなわけで、この本に取り上げられた長くても5,6ページの短文のいずれもが、深い洞察に導かれたものであるらしいことは、何となく わかるのだが、洒落やウィットが効きすぎていて、これは本当は何を言いたいのだろうかと、首をひねらされる部分も多々あったことは正直 告白しておかねばならない。しかし、20世紀初頭の社会情勢に対する時事批評であるにもかかわらず、現代社会に置き換えても何ら古びること がないのは、思想の背骨が通っているからだろう。たとえば・・・
<いちばん実用的で有益な予言は当たらない予言である。>
恐ろしい未来がまざまざと描かれると、人はなんとかそれを避けようと懸命になるだろうから、予言が当たらないことこそが、予言者の勝利 なのである。と、見事な1回転半ひねりをみせたところで、芯はまったくブレることがない。(え?羽生は4回転だ?いえ、この時代は1回転 できれば上出来だったので・・・)それが、その予言をした者にとっては、自分は正確ではなくとも正しかったと思える理由になる、と言う のだから、この皮肉なユーモアにあふれる箴言集は、19世紀生まれの偉大なる<確信犯>が指し示す、来るべき21世紀への予言の書という べき逸品なのである。
未来社会についての小説はそんな思いで書かれるのがよい。来るべき災厄をまだ避けられそうな時にそれを描いた本はまことに有益である。 (『未来の勤労者』)
2020/8/2
「時限感染」―殺戮のマトリョーシカ― 岩木一麻 宝島社
封筒の中から三つ折りにされたA4用紙が取り出される。検視官がテーブルの上で紙を取り出した後の封筒を逆さにすると、小さな チャック付きのポリ袋が転がり出た。袋の中には樹脂製と思しき5センチほどのチューブが入れられ、その中には寒天状のものが入っていた。
引き出された内臓と共に整然と並べられていたその首なし死体は、ウィルス学特にヘルペスを専門とする女性教授のものであることが判明した。 そんな殺害現場のソファーの上に残されていた白い封筒。それは残虐な殺害方法にいきり立つ捜査陣を嘲笑うかのような、冷静な犯人からの 犯行声明文だった。
「マトリョーシカは数十万人の命を奪うだろう。我々はバイオテロにより享楽に満ちた世界に死を振りまき、人々に内省を促す。次なる連絡を 待て」
見えないウィルスへの感染におびえながら、マスクを着用し、ソーシャルディスタンスを保つことを心掛け、「新しい日常」の構築を目指す 社会を描く問題作。・・・なんてことにでもなれば、これは冗談のような設定だが、これが発表されたのは2018年の「コロナ前」なのだから、 もちろんそんな物語にはならない。(余談だが、2020東京オリンピックに向け、垂れ幕、横断幕、ポスター、駅前に溢れるオリンピック ソングなどに、浮き立つ街の光景も描かれている。)
「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した本格医療ミステリー、
『がん消滅の罠』
で 我々の度肝を抜いた著者による、これは待望の第2作なのである。
<以下、若干ネタバレとなってしまいますので、所どころ文字を白くしておきます。>
「
まず大腸菌の中に遺伝子組み換えで病原性を高めたヘルペスウィルスのDNAを入れる。
」というのが、 「マトリョーシカ」の正体ではないか。
エリート大学の理科系出身で卒論は「カマキリの交尾」という変人ながら、本庁捜査一課の切れ者として名の通っている鎌木刑事と迷コンビを 組んで、全日本警察空手道選手権優勝という両親の夢を託されながら、筋肉量が低下するという遺伝性の難病により挫折した、所轄の新米女性 刑事・桐生が、マスコミへの警察極秘情報のリークや、地方の田舎都市における陽動散布作戦など、挑発を続ける犯人に追いかけられるように 調査を進めることで、ようやく掴んだかに思えたそんな手掛かりのようなものから、ついに尻尾を捕まえることができた容疑者の男は、取調べ の席で突然堰を切ったように笑い始めた。
同日同時刻、共犯者が匿名接続ソフトを使用して、動画投稿サイトにアップロードされた、容疑者による第2の犯行声明。
「マトリョーシカ」とは、
感染力は強いが封じ込めは容易なヘルペスウィルスの中に、さらに狂牛病の病原体プリオンの 遺伝子
を、「入れ子」にしたものだった。
そして・・・
マトリョーシカを最初に散布したのは、実は今から6年も前、2013年7月7日のことだったのだ。
・・・しかし、
<なぜ、事前にバイオテロを予告したのか?>
犯人の本当の狙いが明かされ、驚愕の事実を知ることになるのは、実はここから先のお話なのである。
「
まさに生ワクチンによる予防接種のようなものだ。生ワクチンは弱毒化した病原体を投与して、免疫を獲得させるために 行われる。相葉が実行した今回のテロは、将来の破滅的なバイオテロに対する予防接種だと考えることができると思う
」
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