徒然読書日記202007
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2020/7/31
「1492 西欧文明の世界支配」 Jアタリ ちくま学芸文庫
西ローマ帝国が崩壊すると、ヨーロッパは多くの支配者によって鎖でつながれ、ほぼ1千年の間眠る。それから偶然とも必然とも言え ようが、あるときヨーロッパは自分を取り囲む者たちを追い払って世界征服に乗り出し、手当たり次第に民衆を虐殺し、彼らの富を横領し、 彼らからその名前、過去、歴史を盗み取る。
<1492年がそのときである。>
「いよ〜国が見えたぞコロンブス」という決め言葉と共に、『1492』はインドを目指したコロンブスが偶然ひとつの大陸を「発見」した年 として記憶されている。しかしこの年はまた、グラナダが陥落してヨーロッパ最後のイスラム王国が崩壊し、ユダヤ人がスペインから追放された 年でもある。そしてこの年を境に、経済=世界の中心はヴェネツィアからアントワープへと移り、ヨーロッパの目は地中海から大西洋へと向け られることになった。
<1492年は≪大陸=歴史≫の形成の仕組みを明らかにする。>
ひとつの「政治的空間」はその過去から身を清め、その土地から邪魔者たちを追放し、征服に値するひとつの地上の楽園、「新しい人間」を 勝手に捏造する。1492年以前にはまだ選択の可能性が数々あったが、1492年にその選択がなされ、1492年以降、ヨーロッパは世界の 支配者となった。
というこの本は、現代フランスを代表する知性として、精力的に政治的・社会的著作活動を続けている英才アタリが、1992年にコロンブス のアメリカ大陸到達5百年祭に合わせて執筆したものなのだが、その批判的な舌鋒の大胆さにはお祭り気分も吹き飛んだに違いない。
<歴史はそれを構成する断片を隠す。>
葬儀が生きている人々を集める機会にすぎないように、どの記念日も現在について語る機会にすぎず、1492年の≪真実≫もさまざまに変化 するからだ。歴史は百年経過するごとにその出来事を思い起こし、時代の状況に応じてそれに特別な、皮肉なあるいは滑稽な、悲惨なあるいは 輝かしい光を投げかける。
ヨーロッパがイスラム教徒やユダヤ人を排斥して、勝手なヨーロッパ像を捏造しようとしてきた1492年直前までを記述していく第1部と、 自らを「キリスト教ヨーロッパ」として定義し、<進歩>という名において世界征服に乗り出し、数々の蛮行を繰り返していく第3部に挟まれて、 『1942』その年に起こった出来事を、1月から12月まで細大もらさず記していく第2部は、ゆえにこそ無関係に見えるあらゆる事実を 正確な時系列で提示する。なぜなら・・・まさに今日、未来があらゆる想像を超えているだけに、ますます過去が捏造されるから。それが アタリの真摯な警告なのである。
<今日重要なほとんどすべてのことは、善いことも悪いことも、あのときに決まったということを理解してもらいたい。>
もし1492年が違ったふうに展開していたならば、5つの象徴――<商人><芸術家><探検家><数学者><外交官>――および今日の 主要な5つの価値基準――<デモクラシー><市場><寛容><進歩><芸術>――はその近代的意味を持つことはなかったであろうことを。
2020/7/17
「怪奇日和」 Jヒル ハーパーBOOKS
もしかしたら、なぜそんなに大勢が最初の土砂降りで死んだのか疑問に思う人もいるかもしれない。その場にいなかった人々は、 “ボールダ―の住民は、雨が降ったら屋内に入るくらいの常識もないのか?”というかもしれない。まあ、話を聞いてほしい。
<雨が降ったとき、ほとんどの人が外でその雨に捕まった。>(『棘の雨』)
2005年、32歳のデビュー作
『20世紀の幽霊たち』
という短編集で既に、その才能がホラーファンを震撼させたあのヒルの、これは最新中編小説集である。 原題は“STRANGE WEATHER”で、つまりは「奇妙な天気」が物語の進行にまとわりつくように絡んでくるのだが、それぞれに風味の異なる4題噺 となっている。
異様な風体のその醜い「(仮称)フェニキア人」は、ポラロイド風のカメラを携えてキャデラックの白いコンパーティブルで町中を乗りまわして いた。不穏な予兆に満ちた迫りくる雷雨の中、ついに「フェニキア人」との対決を果たしたわたしは、<それ>のささやきを耳にし・・・ ははは。本当にそうしたんだ。
<「あの男に写真を撮られないように用心おし。あの男にいろいろ盗まれるようになっちゃいけないよ」>(『スナップショット』)
ショッピングモールで4人の銃撃殺傷事件が発生し、命懸けで犯人を射殺して英雄となった警備員は、暴力衝動が抑えられずDVで家庭崩壊した 男だった。刻々と広がり続ける山火事の猛煙の中、幼馴染を警官に誤認射殺された過去を持つ女性ジャーナリストの追及の手は、ついに真実に 届きそうになるのだが・・・
<「考えてもみろよ。もしも自分が銃をもっていたらと・・・そしたら、この話はちがった結末を迎えていたかもしれない」> (『こめられた銃弾』)
急逝した女友達の願いで気乗りのしないスカイダイビングに初挑戦したぼくは、搭乗したセスナの故障で緊急脱出させられ不時着する。そこは 奇妙な雲塊の上だった。望みは思い浮かべるだけですべて雲が実現してくれるが、脱出だけはさせない。それは、なんとか抜け出してみれば、 説明のつかない愛情が込み上げてくる体験だった。
<「まったく」老人はいった。唇から唾が飛ぶ。「ふわふわしおってからに」>(『雲島』)
そして、いよいよ大トリにふさわしい傑作『棘の雨』である。雲ひとつない8月最後の土曜日の炎天下。米国の一地方都市を襲った突然の豪雨は、 水滴ではなく鋭く尖った棘状の結晶体だった。なすすべもなく逃げまどい、道に倒れ伏す人々。仮設の埋葬所に運び込まれる遺体の山。混乱に 乗じて暗躍を始めたカルト教団。やがて明らかとなる驚愕の真実とは?
<すべてがまったくの悪夢というわけでもない――まあ、それに近い日もあったけれど。>(『棘の雨』)
感染症が蔓延し、異常気象も頻発する今日この頃、暇人も心の底から「そうあってほしい」と願うばかりなのである。――希望はある。
もし本物の雨が降ったら、わたしは駆けだしていって雨のなかで踊るだろう。これから先ずっと、子供みたいに水たまりを踏むだろう。 どんな人生にも少しの雨は降るものだ、という諺がある。そうあってほしいと思う。
2020/7/15
「選べなかった命」―出生前診断の誤診で生まれた子― 河合香織 文藝春秋
当時(2011年)41歳の母親が胎児の染色体異常を調べる羊水検査を受けたが、医師から「異常なし」と伝えられていた。母親は 男児を出産。男児はダウン症に起因する肺化膿症や敗血症のため約3カ月後に亡くなった。
<出生前診断で説明ミス ダウン症を「陰性」>
「出産するか人工妊娠中絶をするかを自己決定する機会を奪われた」として、その後両親は医院と担当医師を相手取り、1千万円の損害賠償を 起こしたのだが、ここでいう「損害」とは、想定外のダウン症児を生んだことによる精神的衝撃のことだろうか。あるいは、合併症で子を失った ことによる悲しみに対してなのだろうか。それとも・・・「ダウン症で生まれたこと」それ自体が「損害」だ、とでもいうのだろうか?
<ロングフルライフ(Wrongful life)訴訟>とは、医師の過失がなければ、障害を伴う自分の出生は回避できたはずと、「子」自身が主体と なって提起する損害賠償請求である。同じ状況において、障害のある子を産まないという「親」の選択肢は保護されるべきとする、<ロングフル バース(birth)訴訟>の例は日本でも過去にあるが、自分は生まれてくるべきではなかったと「生まれてこない権利」を(もちろん亡くなった 「子」の代理で「親」が)主張する、これは日本初のケースとなった。
すでに子どもは生まれているのに、出産を検討する機会を奪われたという論理で起こされた、この訴訟に対しては、批判的な意見が少なく なかった。そもそも「ダウン症児であれば中絶していたかもしれない」ということ自体が差別に当たるのではないかと、ネットでも論争が 繰り広げられた。
というわけでこの本は、障害者の性の問題を取り上げて話題を呼んだ、
『セックスボランティア』
の著者が、 自らも1年前に妊婦検診でダウン症の疑いを告げられ、出生前診断を受けるべきか悩んだ際の心の葛藤も踏まえながら、この難問に挑んだ 出色のルポである。
子どもが亡くなると、途端に態度を翻した医師。
そもそも障害を理由にした中絶を認めていない母体保護法の壁。
羊水検査を受けられず生んでしまったダウン症の子と共に生きる家族。
子どもが無脳症であるとわかりながら、あえて出産を選んだ母親。
多くの当事者たちの声に丁寧に耳を傾けながら、その立場に立たされた人にしかわからない、「選択する」ということの意味を問いかけていく。 結局、判決は原告側の勝訴となり、1千万の支払いが命ぜられたが、それは「心の準備ができなかった夫妻への慰謝料であり、「子」への賠償は 認められなかった。裁判所からは何度も和解を勧められたが、母親は「裁判所の判断を仰ぎ、医師には子に謝ってもらいたい」と和解に応じずに、 主張を曲げなかった。
「あの場で謝ってくれていたら・・・。謝ったって家族しかいないんだから外に漏れるものでもありません。お金の問題でも、保険の問題 でも、裁判の問題でもないのです。先生、あなたしかいない、あなたに謝って欲しい、あなたに・・・。あの時が一番重要でした」
2020/7/14
「記憶する体」 伊藤亜紗 春秋社
以前、吃音の当事者数名でおしゃべりをしていたときに、こんな「究極の問い」の話になりました。「もし目の前に、これを飲んだら 吃音が治るという薬があったら飲む?」
<答えは、意外にも、そこにいた全員が「NO」でした。>
子供のころから吃音に苦しめられてきたにもかかわらず、それによって吃音が消えてなくなるのだとしたら、そんな薬はいらない、と言う彼ら には、ああ、きっと「どもることも含めて自分」という、吃音を肯定的に捉える意識があるのだと考えることは、でも少しだけ違うのではないか。 そうではなく、そのような障害を抱えた体とともに生き、無数の工夫をつみかさね、その体を少しでも自分にとって居心地のいいものにしよう と格闘してきた、その長い「時間」の蓄積こそが、その人の身体的アイデンティティを作ってきたことに、気付いているからなのではないか、 というのである。
「19歳で失明、病気の発症が15歳、確定診断が10歳・・・」と話しながら、ずっと手元のA5サイズの紙に、自然にメモを取り続ける 30歳の全盲の女性。それは、見えなくなって10年間、書く能力がまったく劣化せず、鮮度を保ったまま真空パックされているかの ようだった。
「にぎりこぶしくらいのちっちゃい足が、断端のところにくっついている感じ」。23歳のときに事故で左足膝下を切断した48歳の義足の ダンサーは、事故前に使っていたときの動かす感覚の記憶をあてはめて「ない足をあるように使う」ことで、切断した左足が「器用になった」 と言う。
「スマホと義手が同時に落ちたら、パッとスマホを取ると思います(笑)」と衝撃的な思考実験を語る、先天的に左肘の下から先がない男性に とって、「片手で完結している」という「左手の記憶がない」感覚は、二つの手が連動して動く「両手を持つ」という感覚を知らないという ことだった。
「それまで無意識にやっていたことが『あれ?』って引っかかるんですよね」。40歳のとき若年性アルツハイマー型認知症と診断された男性 は、「体にお任せ」というオートマ制御の気楽さを失った。「記憶するものとしての体」を無条件に前提にすることができなくなるのが認知症 なのだ・・・などなど。
生きていく上で不可欠な道具になることもあれば、逆に妖怪のように居ついて本人を苦しめ混乱させる要因になることもある。最初は微笑ましい ノイズだったものが、いつしかその位置付けが時間とともに変化して、不可欠な要素になることもある。これは、あの
『目の見えない人は世界をどう見ているのか』
の著者が、再びインタビューという手法によって生身の体が持つ物凄い情報量の中から紡ぎ出して見せた、「ともにありながらともにない」 プロセスによって、「体の記憶」が作り込まれていった、11人の当事者たちの物語なのである。
記憶は様々に位置付けられますが、どの場合においても共通しているのは、本人とともにありながら、本人の意志を超えて作用することです。 日付を持った出来事が、いつしか日付を失い、やがてローカル・ルールとして体の固有性を形づくるようになるまで。
2020/7/6
「続・哲学用語図鑑」―中国・日本・英米分析哲学編― 田中正人 斎藤哲也 プレジデント社
「哲学」という言葉は、philosophy に対する日本語がなかったので、明治期に西周(にしあまね)が作った訳語です。それまで 日本人は、西洋人のように、哲学(論理)と宗教をはっきりと分けて考えてはいませんでした。
<本書は、日本に「哲学」という概念が生まれた後の哲学者を紹介します。>
というわけでこの本は、古代から現代までの西洋哲学者72名と、その思想の核となる基本的な哲学用語200弱を取り上げ、わかりやすく 図解(というかヒトコマ漫画)にして説明してみせた、まことに画期的な
『哲学用語図鑑』
の続編なのだから、 (ちなみに、<英米分析哲学編>は前著で積み残した西洋の哲学者たちを網羅的に紹介したものになっている。)
日本最初の哲学者・西田幾多郎とその後を引き継いだ京都学派の哲学者たちの,基本的な哲学用語を解説する、<日本編>においてもその スタイルは健在で、花に心を奪われた忘我の境を象徴する桜の枝を右手に携え、左手で桜柄の扇子(日本人の象徴?西洋人は国旗だった。)を かざしながら、西田幾多郎が口走る、「絶対矛盾的自己同一」なんて、超難解な名セリフだって、
ああ、自分が無であることを自覚する「絶対無の場所」に立つことさえできれば、矛盾するものが相互に作用することで自らを創造的に生成 できちゃうんだな。と、たちまち腑に落ち(たような気になっ)てしまう、まことに小気味のいい図鑑なのである。(本当は何にも理解できて ないことも前著と同様なのだが・・・)
中国は日本を経由して、「哲学」という訳語を使うようになりました。中国にも日本にも、物事の原理を問う思想の営みは古くからあります。 しかし西洋とは違い、哲学(論理)と宗教を明確に分ける枠組みはなく、「宗教」という概念もありませんでした。
<中国思想の源流には、諸子百家の思想があります。本書では諸子百家の思想を「中国哲学」として紹介します。>
と、西洋とは異なるスタイルで、世界や人間の根源的なあり方について考えた、孔子や老子、孫子、韓非子などの言葉と思想を紹介する <中国編>も、仁と礼の思想を説く孔子の「儒家」の教えが、様々な解釈を加えられながら「儒教」として連綿と受け継がれて、やがて東アジア 全域に広まる「儒教」となる遠大な流れの中で、実に分かりやすく解きほぐされていくわけなのだが、
これができるのだったら、空海・親鸞・道元などの日本の宗教家の思想や、荻生徂徠・本居宣長・平田篤胤などの和学の系譜だってできるのでは ないか。「ぜひとも、続々編を期待したい」と思うのである。
2020/7/4
「親鸞と日本主義」 中島岳志 新潮選書
――ん?「天皇の勅命」?私の文字を追う目が、止まった。倉田は、合理的判断や善悪の判断を超えて存在する「弥陀の本願」と「天皇 の勅命」を同様の存在として扱っている。・・・「そういうものの存在を要求しないものには宗教意識はわからない」と述べている。
親鸞と唯円の関係を軸に、人間の根源的「罪」とその苦悩に迫った『出家とその弟子』で知られる作家・倉田百三は、昭和初期には日本主義へと 傾斜していった。
<倉田は親鸞思想と日本主義をどのように関係づけていたのか>
近代日本政治史の研究者として、特に1920年代以降の天皇を中心とした国体を信奉する国粋的なイデオロギーを思想的格闘の対象としてきた 著者は、多くは日蓮系の
「超国家主義者」
が抱く構想は「自力」への過信に満ち溢れており、そのような発想は親鸞の「絶対他力」からは最も遠い存在であると確信していたが、そんな 固定観念を打ち砕くことになったのが、三井甲之が戦中に刊行した『親鸞研究』(東京堂)という一冊の本との衝撃的な出会いだった。 阿弥陀仏の本願力は「日本意志」と読み替えられ、「南無阿弥陀仏」という名号は「祖国日本」へと変換されて、親鸞の「絶対他力」を国粋主義 と強く結びつける。革新派右翼までをも徹底的に糾弾し、思想弾圧の尖兵となった「原理日本社」を蓑田胸喜と共に牽引した、国粋主義者の三井 甲之は親鸞主義者だったのである。
というわけでこの本は、親鸞を信奉した宗教者・文学者・哲学者たちの思想に次々とメスを入れ、親鸞思想と日本主義の関係を検討していく中で、 彼らは決して親鸞の思想を捨てて、日本主義へと「転向」したのではなく、親鸞の教えを追求するが故に、日本主義へと接続していったことを 跡付けていく。
<なぜ、このようなことが起きるのか。>
自己の疎外感や苦悩を「他力」としての「大御心」が包摂し、透明な民族共同体の中に溶け込んでいく、という国体論的教学は、煩悶する同時代 人には魅力的だった。悩みもなければ、疎外感もなく、辛いこともない。すべては「他力」の恍惚に回収される。「自力」の苦悩が溶解する。
<親鸞の思想そのもののなかに、全体主義的な日本主義と結びつきやすい構造的要因があるのではないか。>
「自分は真理を知っている」と言う人にはめっぽう厳しいが、「何が正しいかわからない」と悩み苦しむ人には,とびっきりやさしい。「自分 だってよくわからない」とささやき、庶民の素朴な嘆きに寄り添ってくれる「となりの親鸞」を、人生の指針に据え続けてきた著者が最後に 辿り着いた結論は、親鸞思想の扱いを誤ると、非常に危険な言論へと転化してしまうから・・・だから、親鸞は「危ない」というものだった。
親鸞の研ぎ澄まされた思想と問いは、魅力的であるが故に危険性を伴う。自力へのラディカルな懐疑は、時に極端な自力の否定になり、自力 への攻撃となる。権力に対する無力と無抵抗が常態化し、沈黙の共同体が現前する。しかも、構造的に国体論へと接続しやすい。危ない。
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