徒然読書日記202006
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2020/6/23
「瓦礫(デブリ)の未来」 磯崎新 青土社
そのイメージの片鱗が、あと数年で極東の島国に実現する予定であった。ところがあらたに戦争を準備しているこの国の政府は、 ザハ・ハディドのイメージを五輪誘致の切り札に利用しながら、プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義を頼んで廃案に してしまった。その迷走劇に巻き込まれたザハ本人はプロフェッショナルな建築家として、一貫した姿勢を崩さなかった。だがその心労の程は はかり知れない。
「<建築>が暗殺された。――ザハ・ハディドの悲報を聞いて、私は憤っている。」
2016年3月31日、ザハ・ハディドの訃報がTVニュースで伝えられ、その一週間後にはロンドンのセントラル・モスクで礼拝が行われた、 その時に・・・この世界に名だたる建築家が、「ザハ・ハディドへ」と送った短いコトバから、この論考が語りはじめられたのは、ただの憤り からだけではなかっただろう。
社会性をもった公共的な建築物を設計するのがまっとうな建築家のやることとみられていた時代に建築家として出発して以来、実務的には、 近代国家がみずからを表象するようなミュゼアム、ライブラリー、シアター、コンサートホールなど、公共的文化施設を思考対象としてきては いたが、この建築家の思考の根拠は、常に焼土と化した日本の都市の瓦礫を踏んで歩いたときの身体の記憶を手がかりに、繰り返しその地点に 立ち戻ることにあった。
産業社会の基準が生産から消費へと変質を開始し、一品種大量生産から多品種少量生産へと社会が分衆化すると、物品はその消費性が注目され はじめる。メタボリズムの若い世代の建築家たちや、巨匠・丹下健三にさえ大型商業建築のコミッションが舞い込み、ファッションとなった 建築デザインの一翼を担いはじめたが、その時、アカデミーやメディアにおいてモダニズムをイデオロギーとして批判する対抗的なファッション を纏った、この建築家の切り口は『建築の解体』だった。もっとも、そんなラディカルな在り方さえもが、ポストモダンとしてブランド化し 消費尽くされ、使い捨てにされてしまうことにはなるのだが・・・
1970年頃の言語論的(記号論的)転回から、およそ四半世紀がすぎると情報論的転回が起きる。消費中心経済は金融資本主義へと移行し、 格差社会となった。デジタル化でオリジナルとコピーの区別がつかなくなり、時間は序列に、空間は濃度に、事物は痕跡になった。「都市」は 虚実いりまじってアンリアルになった。既に1967年にこの建築家が構想していた『見えない都市』がリアルなものとなり、『電脳都市』が 現実となりはじめたのである。そして・・・
あいかわらず未来の都市は見渡す限り瓦礫のみであり、それがさらに放射能に汚染されていることだけが確実だとすれば、憑依した巫 (シャーマン)を介して何ものかの<声>を聞く他に道はない。何しろあらゆる(ア)イコンは自動的にクラッシュするのだから。
「みえない」モノを「みえる」モノに変換するのに、古代の<わ>の国においては、モノを呼びだすための呪言を<声>にして対応していた。 しかし、テクノロジーの産物である正統近代建築のロゴスが全面支配している世界には、この手法では全く通用しないことを知ったこの建築家 は、ロジックとは無縁の何か、自らの身体を介して世俗的に学習した<イマージュ>そのものを生成するザハ・ハディドに、シャーマンとしての 萌芽的な才能を見たのだ。
新型コロナ禍で廃墟と化した東京に、ついに幻で終わった<東京五輪2020>の墓銘碑として屹立するには、今の新国立競技場では荷が 重すぎる。私たちが失ったものは、想像以上に大きかったと言わねばならない。
大津波のあと、大量の「巨大数」としか呼び得ない瓦礫をみた。意識を失った。無意識のさらにその下層にあるに違いないと想われる イメージが渦巻く世界をみた。・・・歴史的には文珠、観音、阿弥陀が中心に位置したが、いまは弥勒になっている。すなわち「未来」仏。 「瓦礫の未来」と題した由縁である。
2020/6/21
「物は言いよう」 斎藤美奈子 平凡社
たとえば、「いやいや、×××さんは、女だてらに立派なもんですな」「まったくです。女にしておくのは惜しいですよ」という会話 が耳に入ってきたとしよう。変なこといってるな、とあなたは感じる。しかし、これが「セクハラ」「差別」かとなると、ちょっと微妙なところ。 こんなとき、FCという語が効果を発揮する。ピッタリくるのはこのひと言だ。
「それって、FC的にどうよ」
エフ・シー(Femi Code)とは、言動がセクハラや性差別にならないかどうかを検討するための基準であり、公の場ではそれにふさわしいマナーを という趣旨だ。つまり、フェミコードとは、性や差別にまつわる「明らかにおかしな言動」「おかしいかもしれない言動」に対する、イエロー カードなのである。とはいえこれは、政治運動の道具でも宗教上の戒律でもないのだから、心の中で「このブス」と思っていようと「このクソ ババア」と毒づいていようと構わないのだが、外面だけ取り繕おうとしても、内なる意識が外にこぼれ出るのはよくあることで、その人物の本音は 日ごろの言動にポロリと出てしまうことになる。
「子どもを一人もつくらない女性が自由を謳歌して、楽しんで、年とって税金で面倒見なさいというのはおかしい」(森喜朗 難易度★)
「女性にもいかにも<してくれ>っていうの、いるじゃない。そういう格好しているほうが悪いんだ。男は黒ヒョウなんだから」(福田康夫 難易度★★)
「女の涙は最大の武器。泣かれると男は太刀打ちできない」(小泉純一郎 難易度★★)
などなど、元首相を含めた政財界のお歴々の発言が格好の餌食となり、いつもながらに切れ味抜群の斎藤の物言いが炸裂していくことになる わけだ。もちろん、これらの発言が語られた前後の事情を踏まえてみれば、これは聴衆へのリップサービスのようなものなのだろうが、 ひょっとしたら、本気でそう(少なくとも、ユーモアを交え好印象を与えるだろうと)思っているように思われるところに、この問題の 質(たち)の悪さがある。
ここに取り上げられた発言に対する心得は全部で60例。
「女の涙には勝てん」問題
「女は家にいろ」問題
「女は女らしく」問題
「男はスケベだ」問題
「女だからこそ」問題
「女に政治はわからん」問題
「女はだまっとれ」問題
「ご主人と奥さん」問題
と、どの問題を突きつけられても、我が身の不明を恥じるばかりだったのだが、(トイレに置いておいたので妻も愛読し、滞在時間が長くなった と愚痴られた。)
<出羽おば1号 難易度★★★>
「これが女性の意識を古いままにしている大きな要因であることをあらためて指摘しておきたい」 (マークス寿子『とんでもない母親と情けない男の国日本』)
と、女性のFCチェックにもぬかりのないところが、さすがわが愛する斎藤の抜け目のなさというものだ。「日本では」妻が夫の地位に従属して いると批判するなら、離婚した元夫の名前(地位)をあなたは利用なさっていないのか。・・・てな、もんなのである。
黒船来航以来の伝統か。「日本では」「西洋では」など、やたら、「ではではでは」を連発する人がいる。こういう人を昔は「出羽の守」と 呼んだ。出羽の守界にも、近年は女性の進出が目立つ。敬意をこめて「出羽おばさま」とお呼びしたい。
2020/6/16
「東大の数学入試問題を楽しむ」―数学のクラシック鑑賞― 長岡亮介 日本評論社
図(省略)の長方形ABP1P2はある国境の町をあらわし、各線分は道路をあらわす。図の地点P1〜9には外国への通路が開かれている。 いま、ある犯人がBから外国に向かって逃走しようとしているが、この犯人はP1〜9以外の各交差点において、確率1/2ずつで真東または北東に 進路をえらぶ。この犯人を捕まえるために3人の警官をP1〜9のうちの適当な3地点に配置しようとする。どの3点に配置すれば、犯人を捕まえる 確率pが最大となるか。また、そのときのpの最大値を小数第2位まで求めよ。ただし、犯人は警官に出会わないで国境の地点に達すれば、無事に 逃げおおせるものとする。(昭和47年度東京大学理科第6問)
「参ったなぁ、これから1年、どうすればいいんだろう。」
昭和47年3月、東京大学理科T類二次試験の数学の試験会場で、若かりし暇人はなすすべもなく、呆然と大教室の天井を見上げていた。第1問、 第2問はとりあえず手を付けるには付けたが、解答にあまり自信が持てず、第3問、第4問、第5問に至っては、解法の見込みも立たずにスルー して、ほとんど白紙に近い状態のまま、最後の第6問に辿り着いた時点で、試験時間150分の過半が過ぎようとしていたのだ・・・ お、終わった。終わってしまった。
嫌味に聞こえたなら申し訳ないが、高校での学内成績から考えて、落第することなど全く想定していなかった当時の暇人は、他の大学には願書すら 出しておらず、現役時代には一度も通ったことのない塾に、今さら浪人したからと通うことになるのもなんだかやだなぁと、無為な妄想に貴重な 時間を費やしていたのである。
<そんな暇人を、この第6問が救ってくれた。>
犯人追跡ゲームという、入試数学とは思えない興味深い問題設定に引き込まれ、愚直に1地点ずつ場合の数を数え上げていくことで、答えが出せた のである。「どんな難問でも、基本の積み重ねで」、問題によっては「小学生の算数レベルの知識で」解いてきた・・・暇人なりのやり方に戻る ことの大切さを思い出したのだ。(参照:
『あなたにも解ける東大数学』
)
ここから気を取り直して、第5問、第4問と逆に遡り、問題文に込められた出題者の意図に忠実に沿って、なんとか時間内に全問の解答を まとめることができた。もちろん、満点を取れたなどとは思わないが、全科目中で数学が一番苦手な暇人としては、十分に満足できる得点を稼ぐ ことができたのではないかと思っている。
そんなわけでこれは、受験勉強する今どきの若者達に、「損得の論理」や「解法の暗記」では到達すらできない《勉強する者の誇り》を回復する ために、本当に良い問題を提示してあげようと考えた大学のベテラン数学教授が、忘れ去られてはもったいない東大の数学入試問題の名作を取り 上げ、鑑賞する本なのだが、東大で特に目立つのは、計算などは面倒ではないが、いわゆるルーチンワークでは手も足も出ない(ように見える) 「易しい難問」で、それが約半分を占めるという。残り半分の、数学的な読み書き能力を見るだけの「問題」さえ解ければ合格ラインには届く ので、平均的な受験生は「易しい難問」を真っ先に「捨てる」だろう。これらを「捨てない」資質の高い若者(1割近く)を先に合格させて しまうためだけに、合否に効いてこない「易しい難問」を、毎年わざわざ新作しているのである。
つまり、東大の数学入試では問題を楽しんだ者の勝ちなのだ。
「分かっていれば数学の問題は解ける」――この当たり前のことを理解しようとしない人が、「解答を知っていれば答案が書ける」という 『カンニングのススメ』のようなものに「救い」を求めて殺到する。・・・このような馬鹿馬鹿しい「試験対策」は、しかし、数学にはなかなか 通用しない。
2020/6/12
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」 ブレイディみかこ 新潮社
胸の奥で何かがことりと音をたてて倒れたような気がした。何かこんなことを書きたくなるような経験をしたのだろうか。わたしは ノートを閉じ、散らばっていた鉛筆や消しゴムをペンケースの中に入れてその上に置いた。
<ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー>
と、青い色のペンで、ノートの右上の隅に、小さく体をすぼめて息を潜めているような筆跡で書かれていた「落書き」。先週の宿題で、「ブルー」 という単語はどんな感情を意味するかという質問に、『怒り』と書いたら赤ペンで思い切り添削された、とは聞いていたが、その同じノートに この「落書き」を書いたとき、中1の息子は「ブルー」の正しい意味を知っていたのだろうか、それとも知る前だったのだろうか?
「そのことをわたしはまだ息子に聞き出せずにいる。」
というこの本は、1996年から英国ブライトンに在住し、「最底辺保育所」で働きながらライターとして活動してきた著者が、地元の「元底辺 中学校」に入学することになった息子と、その多種多彩な友人たちとが巻き起こす、喧嘩や衝突など様々な事件連続の毎日を書き綴った記録 なのだが、これが「こんなに面白くなるとは考えたこともなかった。」と著者自らが驚くくらい話題沸騰となり、「本屋大賞2019」にまで 輝くことになったのは、「なんかまた、ずいぶん違う感じの中学校を選んだんだね」と誰もが驚くほど、彼が卒業したエリート・カトリック小学校 と、入学を決めた公立・元底辺中学校の校風が真逆と言ってもいいぐらい違ったことの手柄かもしれない。
「演劇とか子どもたちのしたがることができる環境を整えたら学業成績も上がってきたらしいし、先生たちもカトリック校と違ってフレンドリー で熱意があった。」と、いい歳をしていまだに反抗的でいい加減な、パンクな母ちゃんと、「人種の多様性があるカトリック校に対し、 9割以上が白人の英国人である地元の中学では、顔が東洋人だというだけでいじめらる。」と懸念する、元エリート銀行員ながら、リストラされて 大型ダンプの運転手になってしまった父。カトリックの小学校で生徒会長まで務めた、基本的に「いい子」だった息子が、結局元底辺中学校の 方に行きたいと言い出したのは、仲の良い友達が決め手だった。
ここから始まる、時には反発しあい、ともに悩みながら、知恵を出し合って乗り越えていく、「親子の成長物語」は、どうぞ自分でお読み いただきたい。ちなみに、あの「落書き」を書いた頃は、新しい学校生活が不安だったし、レイシズムみたいなことも経験してちょっと陰気な 気持ちになったのだという。
「いまはどっちかっていうと、グリーン」
まったく、子どもというやつは止まらない。ずんずん進んで変わり続ける。・・・いまのところは、グリーン。きっとこの色は、これからも 変わり続けるに違いない。
イエローでホワイトな子どもがブルーである必要なんかない。色があるとすれば、それはまだ人間としてグリーンであるという、人種も階級も 性的嗜好も関係なく、・・・共通の未熟なティーンの色があるだけなのだ。
2020/6/10
「外は、良寛。」 松岡正剛 芸術新聞社
僕のこの良寛談義はたった一首の歌から始まり、その一首の歌で終わります。なぜならば、僕はそのひとつの歌に入ったまま、そこから 出ていくことができないのです。
<淡雪の中にたちたる三千大世界 またその中にあわ雪ぞ降る>
「三千大世界(みちあふち)」の巨大な器世間が、淡雪と戯れながらも、淡雪の一寸四方の舞い散る姿の中にもまた三千大世界が見えてくるという 相乗感覚。それを茫然と見ているのは良寛であるが、はたして良寛が雪になって見ているのか、雪が良寛になって降っているのか、その境い目は もはや、ない。
「僕が語りたい良寛は、この良寛です。」というこの本は、「僕のような書道や良寛についての門外漢」が、良寛を通して自らの風変わりな 書道観の一端をのべることを目的としたと言うだけあって、
「良寛は書くことで、書くことを捨てている人」
文字がもつ意味づらと、意味がもつ文字づらの、その両方の表面的な因縁の重さからパッと手を放したような、。その「合間」から良寛の書が 舞い出してくる。
「なんであれ、出入りの加減をどっち側にも引っ張らなかった人」
加える方にも減らす方にも、また、前にも後にも、去る方にも来る方にも、つねにそのぎりぎりを、たえず出たり入ったりしている「ゆれ」を 見つめていた。
などなど、良寛の筆の「打点の高さ」や「いきなりの速さ」から浮かび上がらせてみせる、良寛が実際に筆をもって書いている姿の光景には 息を呑むものがある。
「ひょっとして良寛は吃音だったのではないか」
痙攣的な葛藤は表現物のあちこちに分散できた。それが逆に、外観にも「弱さの強さ」をつくりあげ、フラジャイルな「合間」を無限に強調 できることになった。
「良寛の書に一番ふさわしい言葉は<フラジャイル fragile>という言葉だと思います。」
そこにそうしてあるということが精一杯である、ということにおいては実は弱々しくないのです。一見弱々しいように見えるのに、そのこと がそこだけで成立しているために、たいそう強いものになっている、そんな感覚です。
<うらをみせおもてをみせて散るもみじ>
というわけで、良寛の少年時代から、老いらくの恋までを追いかけた正剛さんの一人語りは、散りゆくもみじを詠んだ辞世の句で締め括られる ことになるのだが、最初から良寛は淡雪の中の三千大世界の中で舞っており、「僕はそれを眺めていただけ」という、それはまことに清冽な 光景なのでもあった。
ずいぶんながいあいだ眺めていたのでしょうが、いまとなってはそれがなにかの寸前のことだったのか、いつの寸暇のことだったのか、 わかりません。ただただ良寛の淡雪が降っていたのです。
「ともかくも、気がつけば外は良寛――、良寛だらけです。」
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