徒然読書日記202004
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2020/4/30
「脳はみんな病んでいる」 池谷裕二 中村うさぎ 新潮社
あれほど露骨に自分を問い詰めた前著でも、実はまだ避けていた話題があります。それは「健康とは何か」です。もう少し直截に 表現すれば「正常とは何か」です。(池谷裕二)
というこの本は、「人間とは何か」という問いについて真摯に語り合うために、当時は異端ともいえるお互いのDNA検査まで実施して、 「自分とは何か」という自分の「本質」を問うことにチャレンジしてみせた、前著
『脳はこんなに悩ましい』
の、 続編となる対談本なのである。
池谷 光が目に入ってくると目のレンズで屈折し、眼底のスクリーンに光を投影します。しかし、私たちは光そのものを見ているわけでは ありません。
中村 えっ・・・?だとすると何を見ているんですか。
大脳皮質の「第一次視覚野」に入ってくる入力情報のうち、目から直接入ってくる電気パルスに変換された視覚情報はわずか3%以下でしかない。 網膜から上がってきた情報だけでは詳細が不足して「見えない」ので、脳の内部で勝手に生み出された、目で見ているものとは関係ない情報を 処理している。
<「見る」とは、どちらかといえば「信じる」に近い行為です。(池谷)>
池谷 認知症の方が、前日に会っているときに嫌なことをされた場合、その嫌な経験自体の記憶はないのですが、情動面の記憶はあるようで、 「この人は初対面だが、なんとなく嫌な感じがする」という印象をもつようです。
中村 そういうことだけは覚えているんだ。事前に危険を察知する生存本能と関係しているのかもしれないな。
手に画鋲を仕込んだ人と握手する実験では、なぜ握手したくないのか理由がわからず、「手を洗っていないので・・・」などと言い訳でごまかす ことになる。表面的に辻褄があっていればOKなので、その状況をうまく説明できるストーリーをでっちあげるのだが、本人はその作話を虚構だ と思ってはいないのである。
<人間って変わったことや不思議なことが起きたとき、ちゃんと説明がつかないと気持ちが悪い。(中村)>
池谷 これまではタスクが複雑になればなるほどコンピューターにはまだ難しいと言われましたが、今では逆の言われ方をされます。特定の タスクに限定して競争させれば、ヒトの脳では、もはや太刀打ちできません。
中村 もう人間の出る幕はない。でも、ある特定の分野だけに秀でているってことは、人工知能はいわば発達障害というか、サヴァン症候群に 近いとも言えるのか。
人工知能のその限定的な能力ですら、内部の演算原理はわかっていない。研究者は人工知能という「器」だけを用意して、そこに様々な情報を 与えるだけだ。人工知能は与えられた情報をもとに自ら学習し、複雑な課題を解くことができるようになるが、その内部を覗いてみても、 プログラマー本人ですら理解できない。
<つまり「知能=人間が理解できないもの」としか言いようがないのです。(池谷)>
と今回もまた、中村うさぎという絶妙のツッコミ役を得て、当代随一の脳研究者による<脳>にまつわる興味津々の話題は尽きることなく続く ことになるのである。そしていよいよ対談は最終章に入り、ドクターX(精神科医)によるカウンセリングが始まるに及んで、 「自閉スペクトラム症」の問診が実施されるのだが・・・
う〜む。暇人にも思い当たることがありすぎて、幼少時から何らかの「発達障害」を抱えていることは、どうやら間違いないような気が するなぁ。
世の中には何の躊躇もなく他人を「異常者」呼ばわりする人々がいる。・・・そういう人たちを見るたびに「この人たち、なんで自分が理解 できないだけで相手を異常と決めつけられるんだろう?なんで自分は正常だとこんなにも確信しているんだろう?」と感心する。 (中村うさぎ)
2020/4/24
「うた合わせ」―北村薫の百人一首― 北村薫 新潮社
はるか昔、安東次男の『百人一首』を読み、その本来の形は二首一組の和歌アンソロジーであった――という指摘に、霧の晴れるのを 見るような快感を覚えた。それが、この試みを始める、遠いきっかけになっていたのかも知れない。
たとえば・・・
<体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ> 穂村 弘
――熱の額だからこそ冷えた窓につけ、眼が自然に外に誘われ、流れる白いものを見る。内に熱い額、外に雪。その時、硝子一枚を支点とした 天秤ばかりが釣り合う。
とだけならば、この本は普通の「短歌鑑賞エッセイ」となってしまうことになるのだろうが(それでも十分に面白いけれど)、それでは、まれに みる知的強者でありながら、それでいて《かはいげ》のなさが見えない穂村には太刀打ちできないとばかりに、
<垂れこむる冬雲のその乳房を神が両手でまさぐれば雪> 松平盟子
――こんな額の当たる窓硝子の上に、音もなく広がっているのは、――松平盟子の冬の空ではないか。
と、小学生の頃、ここぞという時、体温計の目盛りを自在に上げられたような気がする穂村に斬って返すのが、北村薫の《ドラマを生む読み》 というものなのである。
<子の運ぶ幾何難問をあざやかに解くわれ一夜かぎりの麒麟> 小高 賢
<蜂の巣のあるところまでわが妻に案内をされてあとは任されき> 中地俊夫
日常生活では、ここぞ「男の出番」というのが、あまり劇的であるのは望ましくない。蛍光灯の取替えぐらいが、平和な証拠である。「やっぱり、 パパじゃないとダメねー。」と褒められ、自分が生きていてよかったと思えたのは、そういう、第三者から見たら何でもないごく些細な瞬間だ。
などと述懐されると、激しく同意してしまう自分に驚きもするのだが、その思いのちょうど裏返しとして、昔の男の胸をよぎる哀しみを歌った、 <洗濯物を男のわれが取り込めるさまは亡母をかなしませゐん>(中地)もまた、食器洗い担当の身の上としては、心に響くものがあるのだ。 (妻への文句ではない)
<聞くやいかに 初句切れつよき宮内卿の恋を知らざるつよさと思ふ> 米川千嘉子
<だとしてもきみが五月と呼ぶものが果たしてぼくにあつたかどうか> 光森裕樹
新古今歌壇の申し子のような女流歌人、若草の宮内卿の<聞くやいかにうはの空なる風だにも松に音するならひありとは>という歌を引いて、 宮内卿には恋を知らない強さがあった――と語る時、米川の内には《恋》の思いがあるわけで、そこへ「だとしても」という光森の歌をつなげて みせる。これが、「うた合わせ」百首という稀有な試みの、結びに付け加えられた、ふと思い浮かんだ新たな組み合わせなのであれば、続編への 期待は高まるばかりなのだ。
短歌を読んでいると総体として、壮大な劇の中にいるように思えて来る。歌の描き出す個性がそれぞれの形で、世界のあちこちを歩いている のを見るようだ。そのうちに、ある歌とある歌を結ぶ断ち切り難い糸が、自然と見えたりする。無論、わたしにとっての糸だ。歌と歌が向かい 合い、背を向け、またある時は、こちらの丘とあちらの丘の頂きのように遠く離れ、しかし、確かに響き合う。そういう音を、わたしは聴いた。
2020/4/17
「流罪の日本史」 渡邊大門 ちくま新書
流罪は日本固有の刑罰ではなく、洋の東西を問わず存在した刑罰であった。その歴史も実に古い。おおむね流罪は死罪の次に重い罪で あり、ときの政権に反発した政治家、文化人、宗教者などに適用された。
「ちくしょー。島流しだ。」と、今でも企業の人事異動の際などに使われているように、一般に「島流し」と称されるとはいえ、それは必ずしも 離島に流すことを意味するものではなかった。中国の「律令」の規定を享受した日本の「流罪」は、基本的に罪人を辺境の地に追いやり、二度と もとの居住地に戻さないというもので、
@近流 越前国、安芸国
A中流 諏訪国、伊予国
B遠流 伊豆国、安房国、常陸国、佐渡国、隠岐国、土佐国
と、古い時代になればなるほど交通の便が悪い辺境の地は物淋しい場所であり、それゆえ流罪になった人々は、再起を期する気力を失った。 伊豆七島などに流人が文字どおり「島流し」となるのは、交通網が発達し海に浮かぶ遠い島々でなければ「流罪」の意味をなさなくなった、 江戸時代以降のことだ。
<流罪とはいったいなんだったのだろうか?>
保元の乱で後白河法皇に敗れ、流された讃岐国で軟禁状態に置かれながら、「いつかは京都に帰りたい」という呪詛の念から怨霊となった 崇徳天皇。
平清盛の政治的な配慮から助命され、14歳で伊豆国に流され壮年期を過ごしながら、看視者たちの後ろ盾を得て征夷大将軍にまで上り詰めた 源頼朝。
承久の乱で鎌倉幕府軍に敗北し流された隠岐で、『新古今和歌集(隠岐本)』を精選するなど、すぐれた歌人としての矜持を保ちながら生涯を 全うした後鳥羽上皇。
鎮護国家に重きを置く旧仏教の在り方に異を唱え、個人の救済を目指す鎌倉新仏教を広めようとして厳しい「法難」を受け、越後に流された 親鸞。
室町三代将軍・足利義満の寵愛を受け「猿楽」を極めながら、跡を継いだ義教が甥の音阿弥を寵愛したことで疎まれ、突如佐渡に配流され失脚 した世阿弥。
関ヶ原合戦で敗北し島津氏を頼って薩摩へ逃亡しながら、最終的には八丈島に遠流となって、子々孫々に渡り幕末維新期まで本土帰還が叶わ なかった宇喜田秀家。
などなど、時代の変遷や身分の違いによって、「流罪」の形も徐々に変化を遂げていることがわかるが、そこには一種のパフォーマンス的要素も 含まれていた。つまり「流罪」とは一種の終身刑で、恩赦などがなければ配所(流された場所)で生涯を終えさせるぞ、という脅しが政権の狙い でもあったというのである。
現代では情報網や流通網が発達し、東京のような大都会であっても、地方であってもさほど不便さはないはずである。しかし、前近代(特に 織豊期以前)においては、都市部の繁栄と地方とでは大きな格差があったはずである。武家、公家、僧侶は京都などの都会で豊かな生活を送って いたが、自らが流罪となったときは、あまりのことに落胆したに違いない。「一刻も早く故郷に帰りたい」という心情は、流人すべてに共通した ものではなかっただろうか。
2020/4/14
「背高泡立草」 古川真人 文藝春秋
一体どうして20年以上も前に打ち棄てられてからというもの、誰も使う者もないまま荒れるに任せていた納屋の周りに生える草を 刈らねばならないのか、大村奈美には皆目分からなかった。
「あんまし草茫々やったら、みっともないじゃんね」
と幼いころ養女に出され、今は無人となった平戸の小島にある実家(吉川家)へ、福岡から向かおうとする母の美穂に付き合わされた奈美が、 母の兄(内山家)と姉、そして姉の娘とで、廃屋となった吉川の納屋の周りの草刈りをするという、これは言ってみれば「ただそれだけ」の物語 なのではあるが・・・
本年度「芥川賞」受賞作品。
繁茂した植物はコンクリートで固められた所以外のあらゆる地面を覆い尽くし、それぞれが絡まり合いつつ日の光の独占を試みて上へと伸び 広がっているのだった。そうして塊となって積みあがり、そのまま途切れることのない大波が押し寄せるようにして彼女たちの立つ場所から 30歩ほどの先に見える納屋のほとんど半面を葉や蔓で隠してしまっていた。
「ほら、下から下からって、どんどん生えとるもん」
子供の頃から育まれてきた、いつかは海を渡りたいという「雄飛熱」に浮かされて、吉川の<古か家>を売り払い、満州を目指そうとした 男の話。
終戦のどさくさに紛れ、建国準備が進む故国へと脱出を図った密航船が難破し、救出された<古か家>で見知らぬ子どもと親子を装いながら、 芋粥を啜る朝鮮人の話。
口を利かぬことが呼吸を長く止めるコツと教わって、島一番の「刃刺」になった青年が、選ばれて派遣された蝦夷での体験を伝えることに苦慮 する話。
中学の夏休みに、酒乱の父からカヌーによる航海という破天荒な課題を与えられ、辿りついた<内山酒店>にカヌーを残し、電車で鹿児島へ 向かった福岡の少年の話。
<島>や<家族>に纏わり付いていた、<遠い>、<近い>忘れられようとしている<古か家>の記憶が、<納屋>に絡みつく<蔓>をはぎ取る ように、脈絡もなく語り継がれていくうちに、私たちは気付かされることになる。
今は美穂が余念なく手入れをすることで、荒ら家とならずに済んでいるこの<新しい方の家>も、自分たちがすっかり島を訪れることが なくなれば、<古か家>と同様に朽ち果てていく。納屋も、あと何度草を刈りに来るのだろうか?
<もっとも時の流れを示す眺めこそ、誰も来る者がなくなり、草の中に埋もれた納屋だった。>
<吉川>という家はすでにないのだから、<古か家>も<新しい方の家>も、奈美の目にはただ二軒の空き家としか見えていなかった。しかし、 「使わんでも刈らないけん」と毛ほどの疑問もなく口にする2人の姉妹の言葉には、そうした時間の経過をわずかばかりも感じさせないものが あったのだ。家の前の埃ですっかり白くなったアスファルトの亀裂や、欠けたことで出来た窪みから点々と芽吹いていた、四季海棠(ベゴニア) の花。
「へえ、植木鉢から種が飛んでいったっちゃろうね」
最初に美穂からそれを指し示されたとき、鉢植えから離れて種が芽吹くのも別に珍しいわけではないと思っていた奈美も、あまり母が素直な 態度で声に出して繰り返すのを聞くうち、確かに驚きもすれば悦ばしいことのように思われてくるのだった。
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