徒然読書日記202003
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2020/3/31
「狗賓童子の島」 飯嶋和一 小学館文庫
もし、狗賓様に許されて『御山』に入り、千年杉に至り着いて初穂を奉納できたならば、その者は、狗賓様から不可思議な力を与え られる。望むと望まぬとにかかわらず、それは力というより役目、もっといえば宿命のようなものだ。
当年数え16になる若衆が1人選ばれて、陰暦9月の初丑の日に「千年杉」にその年の初穂を捧げるために、島の聖域である「御山」に遣わさ れる。隠岐・島後に伝わるこの大切なお役目が、島の庄屋の寄り合いで西村常太郎に与えられることになったのは、弘化4年(1847)の ことだった。河内きっての大庄屋だった父・履三郎が、大塩平八郎の蜂起に加わった科により、わずか6つで捕えられ、15で隠岐へ流された、 自らに課せられた「流人」という運命を健気に受けとめ、島後の人々に深く感謝する日々を送っていた常太郎にとって、それは思いもかけない ことだった。
第19回「司馬遼太郎」賞受賞作。
「実は、田を作ってみたいのです。」と、島の医師・村上良準のもとで医術を学ぶこととなった常太郎が突然切り出したのは、それが西村の家に 生まれた男児に数え18で与えられる命題だったからだが、自らの無力を思い知ると同時に、人に恵まれるだけの資質を持つ人間かどうかを確か めることこそが、その試練の意味であったことを教えられることにもなる。島の人々は衣食住のほとんどを自らの手で作り出す技術と知恵を持っ ており、人の暮らしというものの規範が備わっていることが、常太郎の心を落ち着かせてくれた。
「ここのところ、この島にいやな臭いが漂っている。距離をとれ、お前に近づいてくる者に注意を払え。」
やがて良準の跡を継いで島の医師となった常太郎は、疱瘡やコレラ、麻疹など、島の外から次々に襲いかかってくる恐るべき伝染病に敢然と立ち 向かっていくのだが、(偶然にも、この本を読み始めた途中から、クルーズ船による新型コロナウィルスの猛威が吹き荒れることになり、臨場感 あふれる読書となった。)
年貢銀納という「拝借米制度」により、幕府の無策によって上昇し続ける米相場で、自らが作った米を「おかみ」から買わされ、借金を返せずに 田畑を奪われる。蔓延する病よりもむしろ、苛酷な取立てや凶作のために追いつめられ、破れかぶれとなった島民たちは徒党を組んで、蜂起に 走ることになるのだった。
「松江の連中は、ただこの島を愚弄しているだけのことです。」
本州で穢れとする見たくないものを、遠い島へ流し目の前から消す「遠島」という制度により、内地から隔絶した流刑の島となった隠岐。長年に 渡ってそんなものを押し付けられてきたことに対する、積もり積もった怨念と引き替えに、島民は内地の人々の心を冒し尽くした「病」を免れて きた。しかし、内地との流通の活発化は皮肉にも伝染病の脅威だけではなく、拝金の病をも引き込んで、島びとの心を蝕むようになり、島が「島」 である由縁を破壊しつくして、大切な何かを島びと達から奪い去ってしまったようなのである。
太古より「御山」に棲み、島民の畏怖を集めていた狗賓さんは、いつの間にか島びとの心から追い出され、狗賓さんの存在を具現していた 狗賓童子たちも姿を消した。
2020/3/31
「日本思想史の名著30」 苅部直 ちくま新書
「没後には著作が読まれなくなった人物ののこしたテクストから、重要な思想を発見できるのではないか」という意見にも一定の説得力 はあるが、実際のところそういう事例はあまりない。弾圧を受けたといった事情があれば別であるが、「忘れられた思想家」には、忘れられて しまうだけの原因がある。
そんなわけで、古代から昭和戦後期まで、時代を超えて読み継がれ解釈し直されてきた、広い意味で古典と呼ぶべき著作群の中から、時代の思潮を 知る上で重要と思われるテクストや、その思想家の著作を読み始めるのに適切なものを、著者なりに30選んで解説を試みたという本である。
「和を以て貴しと為」と冒頭に掲げているとは言っても、ここで言う「和」はよく誤解されるように他人の気持ちを忖度して、それに逆らわ ないよう調子を合わせることを意味するのではない。
自分の価値観に固執することなく、他人からの批判に謙虚に耳を傾け、みずからの意見を他人の検討にさらす、そんな緊張関係を内に含んだもの が「和」だという。中国風の律令に基づいて日常業務を遂行する官僚としてのモラルを、豪族たちに身につけさせるための法(のり)であること。 それが『憲法十七条』を定めた聖徳太子のねらいであった。
いま生きている現世での一生のあいだに、みずから意図して念仏を唱えれば、そこで成仏できるという考えは、親鸞に言わせれば二重に間違っ ている。
それは「自力」によって罪業を消そうとするむなしい試みであるばかりでなく、来世の成仏へと導く阿弥陀の誓願にも逆らうふるまいなのだ。 その「御はからい」を信じてさえいれば、ただ念仏を唱えるだけでよい。いや,唱えていない人ですら救いとろうとするのが阿弥陀仏の「誓願 不思議」というものだ。読者を奥へ奥へと誘いこむ、こんな言葉づかいの妙技が、親鸞の『歎異抄』という著作の魅力なのである。
実は親房の考える「正統」すなわち正しい皇室の系統とは、同時代の後村上天皇から系図を過去にたどって、子から親に、またその親に・・・ という親子関係の線上に位置する天皇を選びだしたものであった。
つまり、三種の神器を持っている今上天皇がいつでも「正統」の末端にいることになり、神器は「正統」としての位置を与える強力なシンボル なのである。しかし、こうした考えに適する天皇とは、ただ神器を継承するだけで政治の実務には口を出さず、統治者の「徳」の内容を指し示す ことが仕事となる。皇室と武家政権との関係を穏当なものとして提示したことが、北畠親房の『神皇正統記』が徳川時代を通して古典として継承 されてゆくことを助けたのであろう。
などなど、名著が名著である由縁は、そこに何が書かれてあるかということより、それが時代を通してどのように読まれてきたかにあることを 指し示していく。
江戸時代・・・山崎闇斎、新井白石、伊藤仁斎、荻生徂徠、山本常朝、山片蟠桃、海保青陵、本居宣長、平田篤胤。
明治〜戦前時代・・・会澤正志斎、横井小楠、福沢諭吉、中江兆民、徳富蘇峰、吉野作造、平塚らいてう、柳田國男、和辻哲郎、九鬼周造。
と、その名は知りながら実際にはなかなか手が出せなかった名著の数々が綺羅星のごとく並べたてられていく、思想史の絵巻に頭がくらくらする 思いなのではあるが、戦後に至って、丸山真男と相良亨の名が挙がるのみなのは、その他の著作はまだ時の評価を与えられていないから、という だけではなさそうなのだった。
日本思想史が学問の一分野としてそれなりの確立をみた現在では、思想の大きな歴史に関するそれまでの枠組を組み直すような仕事はやり にくくなっている。学術研究としての綿密さと正確さを求めようとすれば、大胆に創造性を展開する余地は、小さくならざるをえない。
2020/3/19
「覗くモーテル 観察日誌」 Gタリーズ 文春文庫
「寝室というプライベートな空間にいるとき、人々は性的にどんな行動をとるのか」
この目的を達成するためにわたしは前記(デンヴァー近郊にある客室数21)のモーテルを買いとって自身で経営し、観察していることを いっさい知られずに、多種多様な人々がくりひろげる相互作用を観察するための絶対安全な手法を確立しました。
『王国と権力』や『汝の隣人の妻』などの問題作により「ニュージャーナリズムの旗手」と称された著者のもとに、1980年のある日<一通の 手紙>が届く。10あまりの客室の天井に通風孔を模した四角い穴を開け、分厚いカーペットを敷き詰めた天井裏に息を潜めて、客室で繰り広げ られる行為を覗き見ていた。しかも、1960年代から数十年にわたってモーテルの客を観察し、見聞きしたことをほぼ毎日欠かさず記録として 書き続けてきたというのである。
「そんなことをしたのも、ひとえに人間への飽くことなきわが好奇心のゆえであり、決して変態の覗き魔としてやったことではありません」だっ て?奇しくも、それは自分が『汝の妻の隣人』で採用した調査手法や動機と似通ったものであることを、認めざるを得ないものではあった。
<本人からきちんと同意をとっていたことを除けば。>
匿名での情報公開を手伝ってほしいという条件は、こんなことが公になれば、訴訟どころか実刑を科される危険もあり、とても受け入れられる ものではなかったが、この手紙を送ってきた人物は“変態の覗き魔”なのか、“尽きざる好奇心”をそなえているだけの無害な人物なのか、 それともただの“嘘つき”か、それを確かめるためだけと自分に言い聞かせて、著者はこのコロラド男に会いに行き、あくまで興味本位から天井 裏から客室のカップルの性行為を実際に覗き見し、実名を明かせないのなら何ひとつ書くつもりはないと念を押しながら、『覗き魔の記録』と いう膨大な手書き原稿を送ってもらうことになってしまう。
<行動>(美しい裸身をあらわにした)女がベッドで隣に横たわっても、男(白人男性35歳)はさして興味を示さず、次から次へとタバコを 吸いながらテレビを見続けていた。やがてキスをして女の体をまさぐるうちに、男はあっというまに勃起し、前戯もそこそこに上になって正常位 で挿入、ほぼ5分後にオーガズムに達した。女はオーガズムに達せず、即座にバスルームへ行って精液を洗い流した。ついでふたりは部屋の明か りとテレビを消し、ひとことの挨拶も会話もないまま眠りについた。<結論>このふたりは幸せなカップルではない。
観察実験の第1号としてはまことにお粗末な結果となった、ごくフツーの性行為を皮切りに、グループセックスやレスビアン、夫婦交換、自慰 行為など、様々な性行為のあり方が、本人たちは誰にも見られていないと確信しているがゆえに、実に赤裸々に描かれていくことになるのだが、 多くは意外に興覚めで、「覗き魔」はまた「記録魔」でもあったがゆえに、体位や時間や回数まで執拗に統計をとった報告によれば、「かなり 活発だった」のは12%にすぎないという。
さて、「本にはしない」はずだったこの『覗き魔の記録』を、どうして暇人がこうして読んでいるのかといえば、2013年に、まもなく80歳 になる「覗き魔」が、生きているうちにこの貴重な記録を読者に伝えたいと思い、実名を明らかにすることを認めたからだ。観察の舞台となった モーテルもずいぶん前に売却し、当時の利用客からプライバシー侵害を理由に訴訟を起こされても、時効だろうと考えての結果だったという。
出発点は、窓枠の下にしゃがみこむ少年だった。半世紀後のいま、フースは屋根裏のルーバーつき通風孔ごしの人生から引退し、街灯の監視 カメラやドローンや国家安全保障局の目ですっかり見張られている社会のなかで生きている。
2020/3/18
「時間は存在しない」 Cロヴェッリ NHK出版
特殊相対性理論は、宇宙の時間構造が親子関係による構造と似ているという発見をもたらした。つまり宇宙の出来事の間には、完全では ない、部分的な順序が定められるのだ。
持統天皇には天武天皇との間に生まれた草壁皇子という息子がいたが、持統の父・天智天皇は天武と同じく舒明天皇から生まれた天武の兄だった。 つまり、持統は叔父と結ばれたことになるのだが、では誰が天武と「同世代」なのか?(原文はギリシア神話の人物で、わかりにくいので設定 変更しました。)天武の息子の草壁から見て母である持統か、それとも天武の父である舒明から見て同じ息子である天智が同世代というべきなの だろうか。親子関係は、人間の間にある順序を確立しはするが、すべての人間の間に順序が確立されるわけではなく、天武と持統は互いに対して 前でも後ろでもないのである。(ここで
「天武は天智より年上だった」
なんていう説を持ち出すと、話が余計にややこしくなるのでやめておきます。)
持統の祖先(天智から上へとつながる系図)からなる円錐形の「過去」があり、子孫(草壁から下へとつながる系図)で構成される「未来」が あるが、直系の祖先でも子孫でもない人々(たとえば天武)は、この円錐形の外側の「拡張された現在」にとどまらざるをえないのだ。これが、 『時間は存在しない』という驚愕の宣言の謎解きらしいのだが、(というか、原題は『時間の順序』だから、そんなこと言っていないのだが ・・・)そんなことは例えば
『時間はどこで 生まれるのか』
で既にご紹介したように、暇人ですら随分昔から耳にしていたことで、要するに、現代の物理学においては時間は空間と一体 化した広がりで、過去と未来を区別する方向性もなければ、共通の「現在」なるものも存在しないということだ。
<それにもかかわらず、なぜ私たちは時間の流れが存在するように感じるのか?>
ある相互作用によって粒子の位置が具体化すると、粒子の状態が変わる。また、速度が具体化する場合も、粒子の状態が変わる。しかも、 速度が具体化してから位置が具体化したときの状態の変化は、その逆の順序で具体化したときの状態の変化と異なる。
これが量子力学の特徴となる現象の一つ、量子変数の「非可換性」であり、この<順序>こそが時間的な順序の原始形態なのではあるが・・・
<過去と未来の違いはすべて、かつてこの世界のエントロピーが低かったという事実に起因しているらしい。ではなぜ、過去にはエントロピーが 低かったのか。>
赤6枚、黒6枚のカードを順番に並べてシャッフルすると、赤の中に黒のカードが何枚か交じる。というのがエントロピー増大の基本的な例で ある。では、でたらめにシャッフルした最初の6枚を覚えておき、もう少しシャッフルしてみたらどうか?何枚か別のカードが交じるのは同じ 結果とはいえないか。ランダムだった最初のカードの配置を記憶して、その配置が特別だと宣言したのはこの私たちのほうなのだ。 だとしたら・・・
<宇宙のエントロピーについても、同じことがいえるのかもしれない。>
というのが、“ホーキングの再来”と評される天才物理学者が、哲学から脳科学までの幅広い知見を駆使して辿りついた、今のところの到達点の 眺望なのである。
おそらくわたしたちは世界の特別な部分集合に属していて、その部分集合と世界の残りの部分の相互作用では、熱時間のある特定の方向に おけるエントロピーが低いのだろう。したがって時間の方向性は確かに現実ではあるが、視点がもたらすものなのだ。
2020/3/17
「東大のクールな地理」 伊藤彰芳 青春出版社
問題 図2−1は、アメリカ合衆国を中心とする2008年における音声電話の通信量の分布を示している。(図は省略)ヨーロッパ との間ではAのイギリスとの回線の通信量が多く、中米との間ではBのプエルトリコとの通信量が多い。これらの理由を、あわせて2行以内で 述べなさい。(2014年第2問設問A)
と問われて、ニューヨークのウォール街とロンドンのシティの間を飛び交う、金融エリート達の丁々発止のやり取りを思い浮かべることは間違っ てはいないが、そこで使用される言語が英語であるという当たり前の事実に注目しなければ、この問題の後半部分はいささか手強いものとなる。 (意外なことに、EU28か国のうち英語を公用語としている国は、イギリス、アイルランド、マルタの3か国しかないのだという。)
プエルトリコはヒスパニックが大半を占めるカリブ海の島だが、アメリカの市民権を持つ自治領であるため、多くの出稼ぎ者がアメリカ本土に 暮らしている。つまり、アメリカ合衆国とプエルトリコの間で交わされる通信のほとんどは、本土と島とに離れて暮らすヒスパニック系の家族に よるスペイン語の会話なのである。
解答例 Aは同じ英語圏で経済関係の強さから商業利用としての通信が多く、Bは自治領で多くの移民による家族間での通信が多いため。
というわけでこの本は、「このテーマを、このタイミングで、この切り口で聞いてきたか・・・」と、毎年2月末にはっとさせられるという河合 塾の人気講師が、「持っている知識を関連づけて解を導く能力の高さを重視」している、「東大地理」の入試問題をネタにして「考える練習」を 実践してみせてくれたものなのだ。
東大が受験生に「持っている」ことを要求している知識は、高校の教科書レベルのもののみ。(東大のHPにはっきり明記されているそうだ。) あとは、出題者が様々な原典から集めたデータを問う内容に即して加工した「資料(図や表)」に導かれるように、「論理的思考力」を働かせ れば、ふだんニュースや新聞をチェックしているだけではなかなか見えてこない、本質的な「世界の見え方」、「時代の捉え方」に知らぬ間に たどり着いているという、今の世界について新しい景色を見せてくれる「知的なレンズ」になってしまうというところが、「東大地理」をクール と称する由縁だというのだった。
<問題> スペインには、世界的に知られている自動車のブランドが見られないのに、自動車が輸出第1位となっている。その理由を、 スペイン国内外の状況にふれながら、3行以内で述べなさい。(2014年第3問設問B)
というこの問題にしても、ドイツ、フランス、スペインそれぞれのEU域内と域外相手に分けた貿易額と輸出上位品目の表が与えられただけでは、 フランスが域内の赤字が大きいのに対し、スペインは域外の赤字が大きいことが分かるにすぎないため、与えられた情報が少なすぎて戸惑うこと にもなるのだが、「スペインには、世界的に知られている自動車のブランドが見られないのに、・・・」とわざわざ書いてあることに、出題者の 意図を読み取らねばならない。
<東大の問題文には、基本的に無駄なものはなにもないのである。>
解答例 国際競争力の高い産業が少なく、賃金水準の低いスペインでは、EU加盟を契機に、域内関税のないEU全体を市場としてドイツなどの 域内や日米などの域外から自動車メーカーが進出したため。
私が舌を巻くのは、出題者の、今この世界で起こっていることに対する「感度」と、入学してくる生徒に対する「要求」を、受験生でも解答 できる問題に仕上げる「作題力」です。
2020/3/11
「一億三千万人のための『論語』教室」 高橋源一郎 河出新書
子曰く、学んで時に之を習う。亦た悦ばしからずや。朋あり、遠方より来る。亦た楽しからずや。人知らずして慍おらず。亦た君子 ならずや。
<いくつになっても勉強するのはいいものですよねえ。みんなでこの教室に集まって一緒に勉強してる時は特に楽しいですね。だってひとりじゃ センセイだってつまらないですよ。・・・>
このあまりにも有名な出だしの一節を「折にふれて勉強する」なんて通り一遍に訳されても、遠方から朋が来て楽しい理由が全然わからなかった という著者が、ならば、2500年前の弟子たちがそうであったように、センセイは本当は何を言いたいのかがわかるまで、決してこの人のもと を離れまいと心に決め、20年もの永きに亘って、その言葉を食い入るように聞き続け、書き留めてきた自習ノートに基づく、これは『論語』 超訳(訳の方が長い!)のお披露目なのだから、
子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。
<仲良くすることは大切だからといって、よくわかっていないのに「いいね!」ボタンを連打するのは考えもので、そんな連中に限って「一緒に どう?」というと「ボタン押しただけ」って答えがち。>
なんて人口に膾炙した名言も、タカハシさんの手にかかればまことにお洒落に変身して、しかもとってもわかりやすくなってしまうことに驚かさ れることになるし、
子貢曰く、我は人のこれを我に加うるを欲せざるや、吾れも亦たこれを人に加うるなからんと欲す。子曰く、賜や、爾の及ぶ所に非ざるなり。
<「ぼく、人から迷惑をかけられるのは、イヤなんですよね。だから、人に迷惑をかけるのもいけない、って思ってるんですよ」「おまえには 無理。ふだん、人に迷惑かけてるのに、そのことに気づいてないもの」>
とちょっと自慢気に吹聴したところを、センセイにビシッと窘められて、クシュンと打ちひしがれてしまった愛弟子の表情までが見えてきそうな 臨場感なのだが、
子曰く、父母の年は知らざるべからざるなり。一には以て喜び、一には以て懼る。
<ご両親がいま幾つか、知ってる?えっ、知らないの?どうしようもないね・・・あんたたち。いいですか、いつも接していると、年をとって いることにも気づかないでしょう。それで、えっと、突然、幾つだっけって思って、あっもう70じゃん!ってびっくりしたりするわけです。 ・・・>
「孝」とは、親に対して深い尊敬の念を抱くことだが、それが難しいのは、親は「よく知っている」ことになっているので、理解しようなどとは 思わないからだ。いちばん近い人間である「親」ですらわからないのに、「人間」がわかるはずはなく、まして政治や社会のことを知ろうなんて 虫が良すぎるのだ。だから、「孝」とは強制的に「親」を理解するために、センセイが考え出したツールだったのではないかというのである。
一瞬胸を衝かれる思いのする、こんな孔子の「言葉」が『論語』にあったことを教えてもらえたのは、これが『論語』の全訳であるからだ。 タカハシさんという達意の水先案内人に導かれて、ついに辿りついた499番目の孔子センセイ最後のメッセージ。それは、<「ことば」を理解 しなければ、ほんとうに人間を理解することはできない>という、この意欲的な挑戦に最もふさわしいものだった。
子曰く、命を知らざれば、以て君子と為すなきなり。礼を知らざれば、以て立つなきなり。言を知らざれば、以て人を知るなきなり。
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