徒然読書日記202002
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2020/2/26
「聖なるズー」 濱野ちひろ 集英社
当時の指導教員に勧められたのは事実だ。性暴力やドメスティック・バイオレンスに強い関心があるが、研究対象にはしないほうがいい と考えている、どんなテーマがよいだろうかと相談した。指導教員は言った。
「ジュウカンやってみたら」「ジュウタンですか・・・?」
30代の終わりに京大の大学院に社会人入学して受けたその提案の、「獣姦」を「絨毯」と聞き違えてしまうくらい、そんなこと今まで考えても みなかった著者が、それでも結局、文化人類学におけるセクシュアリティ研究のテーマとして「人間と動物のセックス」を取り上げることにした のは、東京の大学生だった19歳から22歳にかけて、当時のパートナーから性暴力を含む凄絶な身体的・精神的暴力を振るわれていたという 過去があったからだ。愛がわからなくなってしまった自分でも、極限的な事例を通すことで、「愛とはなにか」というより大きな問題を捉え直せる のではないかと期待したのである。
2016年10月22日の朝、55リッターのバックパックを背負って、彼女はベルリン中央駅に立っていた。ドイツにある世界唯一の動物性愛者 による団体「ZETA(寛容と啓発を促す動物性愛者団体)」のメンバーたちを訪問する旅が始まったのである。
第17回「開高健ノンフィクション賞」受賞作。
犬は吠えずにゆっくりと鼻を突き出した。その体躯の大きさにびくびくし、私は目をしばたたかせてしまう。嗅がれるままに手を差し出す。 取り調べを終えると、犬は静かに後部座席に戻り、組み合わせた両前脚の上に顎を置いた。
「キャシーだよ、僕の妻」
動物性愛者たちは、自らを「ズー」と称する。ズーとはズーファイル(zoophile)の略語である。そして自分の愛する特定の動物個体を 「パートナー」と呼ぶ。「獣姦」(bestiality)は動物とセックスすることそのものを指す用語で、ときに暴力的行為も含み、そこに愛があるか どうかは全く関係がないのに対し、「動物性愛」(zoophilia)は心理的な愛着が動物に対してあるかどうかが焦点となる。「愛がある」から動物 とセックスをするのだ。
「犬とのセックスは、自然に始まるんだよ」
「あなたがセックスをしたくなったとき、そう都合よく犬もしたくなるものなの?」「違う。犬が誘ってくるんだよ。犬が求めてくるんだ」 「求めてくると、セックスをするってこと?」「まさか。相手がしたくて僕もしたいときにするんだよ。それがセックスだと僕は思う」
いま「キモチわる〜い」と思われただろうか?そう思われた方は、ぜひこの好著をお読みいただきたい。
週末の天気の良い日に、女児とお揃いのTシャツを着せて、可愛らしいリボンをつけたチワワを、時には歩かせずに抱きかかえて、散歩を楽しむ 微笑ましい家族連れ。東京の小洒落た住宅街でよく見かける、こんな光景のほうが、考えようによってはよほど「キモチわる〜い」のではない だろうか。
ズーたちの犬に対するまなざしは、一般的な「犬の子ども視」のちょうど逆だ。彼らは成犬を「成熟した存在」として捉えている。彼らに とってパートナーの犬が自分と同様に、対等に成熟しているという最たる証拠は、犬に性欲があるということだろう。彼らにとって犬は人間の 5歳児ではないし、犬が「人間の子どものようだから好き」なのではない。
2020/2/26
「対論!生命誕生の謎」 山岸明彦 高井研 インターナショナル新書
「深海の熱水噴出孔に存在する無機物から代謝を行い自己再生するだけの生命が生まれ、その後、新たに誕生した遺伝機能を持つ生命が 代謝型生物と融合することによって、現在のような生命へと進化していった」というのが、私の考える地球生命誕生のシナリオです。
と<深海誕生説>を唱え、無機物から有機物をつくり出して利用する代謝系さえできてしまえば、「生命は勝手につくられるんじゃない?」と 挑発するのは、水深2000メートルの深海で生物探査を行う、海洋研究開発機構の深海・地殻内生物圏研究分野長である、気鋭の微生物学者・ 高井研。
温泉には宇宙から飛んできた有機物が溶け込んでいきます。有機物は温泉の水際で、何度も乾燥と湿潤が繰り返されました。このように有機物 同士が脱水縮合を行い、それがRNAになっていったわけです。
と<陸地誕生説>を唱え、「自らを複製して増殖する複製系」が誕生しなければ、生命とは言えないと嗜めるのは、国際宇宙ステーションで 行われている生命実験「たんぽぽ計画」の代表を務める、熟達の分子生物学者・山岸明彦。
山岸が、「生命は必要なものの多くをその場でつくりながら生まれてきた」なんて、難しすぎて不可能だったと思います、と高井の説を切って 捨てれば、高井も、「地球の生命はRNAの誕生から始まった」なんて、タンパク質よりつくるのが難しいRNAで生命をつくる理由がわから ない、と負けじと喰って掛かる。
地球上に存在するあらゆる生物が、約40億年前に存在したと考えられている「LUCA(最終普遍共通祖先)」の子孫であることは、今では 共通認識となっている。だが、「LUCAよりも前に生命は誕生していて、それがどのようなものだったのか」では議論が分かれており、これは それを巡っての丁々発止なのである。
「生命が存在するのに必要な条件」一つとってみても、高井 @エネルギー A元素 B有機物 山岸 @膜 Aエネルギー B情報を伝える 核酸 とお互いの主張は喰い違っており、一歩も引こうとしない議論を繰り広げることになるわけなのだが、決して「聞く耳を持たない」わけ ではなく、「聞く耳を持つ」者同士で闘わされる知的なバトルは、
山岸 それはダーウィニストからすると、「そのようにプログラムされているだけ」と説明できます。
高井 屁理屈キターー(笑)。
・・・だとか
高井 私は「ダーウィン進化を生命の定義に入れる必要はない」と考えます。
山岸 その考えをどう受け止めるかは、研究者の度量しだいですね(笑)。
・・・なんて、
一々相手の痛いところを突く的確な必殺技の応酬となるだけに、かえって「始末が悪い」のだった。(もちろん、それがこの対論の醍醐味なので ある。)
科学の楽しさは、それまで未知であったことが次々と明らかになっていくことです。ただし、その歩みは平坦ではありません。高井先生と私と の対談を通して、今わかっていることとそうでないことの狭間を感じてもらえたでしょうか。二人には決定的に違う点もあるのですが、共通の理解 もあります。これが、現在わかっていることです。一方、まだ一致していない点は、まだわかっていないことです。科学者の仕事はまだわかって いないことを研究して確かめることです。
2020/2/19
「武士の起源を解きあかす」―混血する古代、創発される中世― 桃崎有一郎 ちくま新書
「武士」とは結局、何だったのだろう?歴史学はこの問いにまだ答えを出していない。そういわれたら、読者諸氏は信じられるだろうか。 私は信じられなかった。それが本書の執筆動機だ。この問いがなぜ重要なのか、なぜ解明されないまま今日に至ったのか、などといった事情に ついては、油断すると無限に書けてしまう。多くの専門家は、そうした事情・経緯を一般向けの本でも丁寧に追跡し、紹介する必要があると信じて いる。しかし・・・
「結論が出せなかった経緯など一般の読者にはどうでもよかろう。」
というこの本が、わが国の歴史の約半分に及ぶ7世紀もの間この国を支配してきた、その<武士がどこからどう生まれてきたか>という根本の問い に、居並ぶ専門家がいまだにシンプルな答えすら出せないでいることに痺れを切らし、自分で取り組まざるを得なくなったじゃないか。「専門家 でもないのに・・・」というボヤきから始まるのは、著者特有の言い回しによる<絶大な自信>の表明であることなど、
外交使節(渤海使)と祭礼(大甞会)のみが通る“舞台”装置として、唐や新羅との軍事的な緊張関係の中で、律令国家の威信を物体化させた ものだったのだから、結局、実用性は容易に犠牲にされた
『平安京はいらなかった』
と、喝破して みせた前著を読んだ者にはミエミエなのである。
「地方の富裕な農民、中でも年貢の納入を請け負う名主が荘園の中で成長し、土地や財産を自衛するために一族で武装し、武士になった。」 などという、古くからある定説は<ほぼでたらめ>で、中世で活躍した代表的な武士に農民の子孫など一人もいないのだし、かといって逆に、 「紛争当事者の実力行使を抑止・制圧しようとする天皇と朝廷の意志を<代表的に具現>して、武士は本来、都(西国)の衛府から生まれた。」 という説(参照:
『武士の日本史』高橋昌明
) も、地方(東国)の武士を異端の偽物と決めつける姿勢に、納得しがたいものがある。
武士は地方と都の両方に足場・活動拠点(政治的な足場や収入源)を持ち、相互に往復しながら(都鄙往還という)、政治や文化を持ち込み 合って、流動的な形で武士の地位を形成していた。
しかし、武士がこの地上に最初に誕生した場所は一ヶ所であるはずで、都か地方か、そのどちらかであったはずだ。では、どちらなのか?
専門家の誰もが敬して遠ざけているように見える「武士の素性」というテーマに、無謀にも果敢に挑むことにした古代・中世の礼制・法制研究者 という門外漢が、《礼》思想の身分体系(王・公・卿・大夫・士)という専門知識も駆使して、<武士の素性>という問いへの一点突破を試みた 結果、辿りつくことになったのは、<有閑弓騎>(食いつなぐための生産活動以外に割ける時間的余裕を持つ富裕層で、馬上から弓で戦う騎射術 を心得た人)という種族の出現だった。桓武の子孫が子宝に恵まれすぎ、鼠算式に増えた王臣子孫を収奪に駆り立てる開墾競争の高まりの中で、 彼らと地方の伝統的有力者との融合が進んだというのである。
「武士は京を父とし地方を母とする混血種(ハイブリッド)の子たちだ。」
地方社会はメスが産んだ卵で、王臣子孫はオスの胤だ。どれだけ卵が巨大で子の本体のように見えても、どれだけオスの胤が小さくとも、 重要性は大きさと無関係であり、生まれた子は正確に双方の性質を半分ずつ受け継ぐ。地方社会という卵が、細胞分裂を始めて「武士」として 生れ落ちるためには、必ず王臣子孫という胤の注入が必要だ。
2020/2/18
「宇宙と宇宙をつなぐ数学」―IUT理論の衝撃― 加藤文元 角川書店
「普通の数」(つまり、1,2,3、・・・)の足し算と掛け算からなる、「環」と呼ばれる複雑な構造をした数学的対象に対して、 その足し算と掛け算という「2つの自由度=次元」を引き離して解体し、解体する前の足し算と掛け算の複雑な絡まり合いの主立った定性的な 性質を、一種の数学的な顕微鏡のように、「脳の肉眼」でも直感的に捉えやすくなるように組み立て直す(=「復元」する)数学的な装置の ようなもの
というのが、2012年に整数論の非常に重要で難しい予想問題である「ABC予想」を解決したと主張しながら、その斬新さと難解さゆえに、 世界中の名だたる数学者たちもお手上げで、いまだに数学界に完全には受け入れらていないという、「宇宙際タイヒミュラー(IUT)理論」 なるものを発表した、望月新一・京大教授による、ごく簡単なご説明のようなものらしいのだが、
「テータリンクは、かけ算系のモノイドと、抽象的な群としての局所的なガロア群だけで構成し、その「モノイド+群」というデータから 「たし算」を《復元》すること、つまり、復元しようとしたとき、どのくらいのひずみが発生するかを計算することが、理論のポイントです」
と言い直した方が、まだ「ピンとくる」らしい数学者の皆さんにとって、「たし算と掛け算を分離」して、「脳の肉眼」で直感的に捉えるなんて 言われても、「チンプンカンプンなんだろうな」ということがおぼろげに理解できるのは、むしろ暇人が「数学素人である」からなのだろう。
「a+b=cを満たす、互いに素な自然数の組(a、b、c)に対し、その積abcの根基(素因数分解に現れる素数の積)をdとすると、 d<cとなることは例外的に少ない」
という「ABC予想」にしても、その簡単そうな見かけにもかかわらず、いまだ未解決の世紀の難問としてその名をとどろかせているわけで、 この世の常として、「易しそう」に見えるものほど、実際にはとても難しいということのようなのである。
そんなわけでこの本は、「フェルマー予想」の解決、「ポアンカレ予想」の解決に続く、一般社会でも話題になりうる大偉業を生み出したのが 日本だったからこそ、「IUT理論」の一般人向けの世界初の解説書を出し、広く一般の読者にわかりやすく伝えたい、という熱い思いに支え られて出版されたものなのだ。
著者の加藤文元・東京工大教授は、開発途中段階から友人として議論に加わり、この「未来からきた論文」を理解しているらしい数少ない数学者 の一人として、望月教授の人となりから始まって、理論を構想するに至った経緯や、発表してからの数学界における反響と戸惑い、議論の噴出 なども語ったうえで、理論を理解するために必要な最低限の知識として、タイヒミュラー理論や遠アーベル幾何学、群論の初歩の初歩を、比喩を 交えながら丁寧に解説していく。
理論の肝は、ようやく「たし算とかけ算の分離」の説明に入る本書の後半あたりからで、「1を次々に足していく」という「たし算」的な自然数 の捉え方では、「約数・倍数」という「かけ算」的な素数の出現パターンを予測できないので、「たし算」だけの宇宙と「かけ算」だけの宇宙と いう異なる数学の舞台を想定し、舞台間の限られた通信手段だけで、計算方法を伝達する。(これが「宇宙際」だ。)
どうやらそういうことらしいと、暇人は暇人なりに薄ぼんやりと理解したような気がしたのだが、もちろんそんな単純な話ではあるまい。 でも、理解しようとしただけでも、「自分で自分をほめてあげたい。」と思うようになる、これはそんな類の本なのである。
2020/2/8
「反日種族主義」―日韓危機の根源― 李栄薫・編著 文藝春秋
嘘と詐欺が蔓延している(例:偽証罪が日本の430倍、保険詐欺がアメリカの100倍など)中、社会的信頼の水準はだんだん 下がって行く傾向にあります。・・・こういう話に大多数の韓国人は納得している雰囲気です。なぜか。皆がそんな社会で一日一日を苦痛を受け ながら生きているからです。
<韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っています。>
なんて淡々と言い切ってしまわれたところで、「そこまで言って委員会」における嫌韓論調の類で鍛えられてきた日本人の耳には、なんの驚きも 響きはしないのだが、「朝鮮総督府が土地調査事業を通し全国の土地の40%を国有地として奪った」という韓国教科書の記述が「でたらめな 作り話」で、「植民地朝鮮の米を日本が収奪した」という教科書の主張は「無知の所産」。「日帝が戦時期に朝鮮人を労務者として動員し奴隷に した」という主張が「悪意の捏造」なら、「憲兵と警察が道行く処女を拉致して、慰安所に引っ張っていった」という韓国人一般の通念に至って は、「真っ赤な嘘」を土台としたものだ。
と、懇切丁寧に歴史資料を提示しながら論証していく、この日本人にとっては「胸のすく」ような本の、一番驚くべき点は、これが、韓国在住の 韓国人の手で書かれ、しかも「韓国で出版できた」、というところにこそ「ある」と言わねばならない。
1991年、金学順という女性が、日本軍慰安婦だった自分の経歴を告白しました。以降、170余人の女性たちが、自分も同様の経験者 だった、と告白しました。彼女たちは、自分たちを慰安婦として連れて行った日本軍の犯罪行為に対して、日本の謝罪と賠償を要求しました。 それから今までの28年間、この問題をめぐって韓国と日本の関係は悪化の道を歩んで来ました。
という「従軍慰安婦」問題にしても、日本軍が慰安所を設置し慰安婦を置いたのが1937年から45年までのことにすぎないのに対し、韓国の 「慰安婦」はそれ以前、15世紀以来の朝鮮王朝時代から存在し、1945年に日帝が敗れ韓半島から撤退した後も、変わらず存在していること が示される。韓国における「性売買産業」(ダンサー、慰安婦、接待婦、密娼)は、むしろ解放後に国を背負う一大産業として繁盛したと言って もいいくらいなのだ。(団体で韓国に旅行した日本人男性ならば、その多くが体験したことがあるに違いない、これは歴然たる事実である。私は ないけど・・・)
話を「従軍慰安婦」に限ったとしても、1951年からの朝鮮戦争時には「韓国軍慰安婦」が、そして米軍駐屯地には「米軍慰安婦」が、当然の ように存在した。しかし、「私は日本軍慰安婦でした」と告白した女性が170余人もいたのに対し、「米軍慰安婦でした」と告白した女性は わずか2,3人。「韓国軍慰安婦」に至っては、たったの一人もいないのは、彼女たちを支援してくれる集団情緒が、そこでは作動しないことを 知っているからではないかという。保護と支援どころか、「歴史的に最も古い職業」(=売春婦)に従事した卑賤な女性、と言われ投げ出される 危険性が遥かに大きいのである。
<日本軍慰安婦問題の底には、韓国人の日本に対する種族主義的な敵対感情が潜んでいます。>
種族は隣人を悪の種族とみなします。客観的議論が許容されない不変の敵対感情です。ここでは嘘が善として奨励されます。嘘は種族を結束 させるトーテムの役割を果たします。韓国人の精神文化は、大きく言ってこのようなシャーマニズムに緊縛されています。より正確に表現すると、 反日種族主義と言えます。
2020/2/4
「内田樹の生存戦略」 内田樹 自由国民社
僕の人生相談の回答はわりと「冷淡」です。・・・それは質問に直接お答えしないで、そもそもそのような問いがなぜあなたに取り憑い たのかという「前段」の分析の方に手間をかけるからです。
というこの本は、「問題の次数を一つ繰り上げる」ことで、「誰もが感じていて、誰も言わなかったことを、誰にでも分かるように語る」、 内田先生お得意の<思考のスタイル>が見事にはまったともいうべき、まことに痛快な「メタ人生相談」の決定版なのである。
相談 就職活動中なのですが「何やっとけばいいんですか?」(大手広告代理店志望です)
返信 もっと違う仕事を探されたらいいと思います。(「正解」を求めているような人は、クリエイターには向いていないと思うから)
「みんなができること」を私もできるようになりたいというような仕方で自分の能力開発を構想している人は、広告代理店にいってもたいした 仕事はできまい。手持ちの資源で買える一番高いポストを狙うような<消費者マインド>の求職者は、誰が自分を「呼んでいるか」なんて、 考えたことさえないだろうというのである。
相談 世の中に自分の考えを伝えるにはどうしたらいいですか。(世の中が逆の方向に動くのが憂鬱です)
返信 自分ひとりでもなんとかなることから始めよう。(「世の中」の設定が広すぎるんです)
自分の言葉が通じる範囲を「世の中」というふうに定義して、その外側は「世の外」だと考え、「世の中」をだんだん広げていく手立てを考える。 「自分ひとりではどうにもできないこと」を「どうしたらいいんだ」と悩むのは時間の無駄だから、「自分ひとりでもなんとかなること」に時間 を使えというのだ。
相談 ブラック企業の見分け方を教えてください。(なぜ人はそんな企業に取り込まれてしまうのか)
返信 「長い目で見たら」という基準がない。(生物としての「皮膚感覚」があればわかるはずだけど)
従業員を骨までしゃぶるようなあくどい商売をし続けていれば、いずれ悪評が広まって社会的信用を失うことになることは誰の目にも明らかだが、 最優先事項が今期の収益であるようなグローバル企業などには、「長生き」することに価値があるという発想はないので、ブラック化することは ある意味自然である。
相談 独立しようか迷っています。(エリート・サラリーマン続けるのと、どっちがカッコいいですか)
返信 独立志向の強い人は、他人に訊いたりしません。(「迷う」余裕があるなら、独立向きじゃない)
どっちがカッコいいか、というレベルで仕事について考えているような人は、組織の中にいた方が安全だと思われるし、組織にいると息が詰まって 死にそうだと、切羽詰まっている人は、こんなところに身の上相談しに来る前に、もうやっているはずだから。
などなど、「私はAすべきでしょうか、それともBすべきでしょうか」と他人に訊ねてくるような人は、結局、「AかBかの二者択一しかない」 =(でも、どちらも選びたくない)という袋小路に入り込んでいるというのである。でも・・・
「そこにいる限り、悪いけど、出口はありません。」
だから、僕からの回答は「あなたは、『そこに入っちゃいけない袋小路』に自分から入り込んでしまった。さて、なぜあなたはそんな誤った 行動をしたのでしょう」という問いのかたちをとることになります。
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