徒然読書日記202001
サーチ:
すべての商品
和書
洋書
エレクトロニクス
ホーム&キッチン
音楽
DVD
ビデオ
ソフトウェア
TVゲーム
キーワード:
ご紹介した本の詳細を知りたい方は
題名をコピー、ペーストして
を押してください。
2020/1/31
「黒船前夜」―ロシア・アイヌ・日本の三国志― 渡辺京二 洋泉社新書
蘭学とはオランダ文明の研究を指すのではもちろんなくて、「邦人が広く蘭人又は蘭語を通じて西洋の学術を咀嚼した行動」(岩崎 克己『前野蘭化』)をいうのであるが、だとすればその勃興も、鎖国を維持できぬことを思わせる海外のざわめきに、人びとが耳を塞いでは おられぬところから生まれたものだろう。
日本が16世紀半ばから17世紀半ばにいたるおよそ100年間に経験した最初の接触を、ヨーロッパ文明とのファースト・コンタクトと呼ぶ のだとすれば、その後の「鎖国」という長い中断を経た、1853年の「黒船来航」にもっぱら焦点を合わせるのも無理はないが、それは「開国」 へのひとつの画期にすぎない。セカンド・コンタクトそのものの開始を告げるのは、それよりはるかに早い100年前の安永・天明年間、場所は 北方の蝦夷地に求められねばならない。
ファースト・コンタクトであれ、セカンド・コンタクトであれ、それを述べようとする際私たちは、ともすれば海を越えてやってくる西洋人を 迎える立場で物事を見てしまいがちだ。だが、その遭遇の様相を手落ちなく叙述するには、海を越えて訪れる者たちの視点もまた必要なのでは あるまいか。
シベリア遠征により東漸の第一歩を印したロシアが、その後足早にカムチャッカ、千島、アリューシャン、アラスカへと歩を進めた目的は、毛皮 獣の捕獲だった。しかし、物資の輸送が極度に困難な未開の密林に阻まれて、食料を初めとする生活物資の欠乏を解決しないかぎり、その経営 拠点を維持することは困難だった。ロシアは極東シベリアからアラスカにまたがる長大なロシア領を維持するために、日本との交易を望み、ただ ただ日本の産する食料を欲したのである。
ロシア帝国南進の波をもろにかぶることになった松前藩は、その成り立ちといい内情といい、他の3百諸侯とは異なるユニークな性格を刻印 された小報国だった。
蝦夷地に米は稔らないため石高がない。なんと、幕藩体制の根幹たる石高制が存在しないという特異な藩の成り立ちが、その暗い歴史に影を落と していた。日本人は松前や箱舘など渡島半島南端にへばりつくように居住するだけで、原住民のアイヌと対等な交易という絆を結んで、平和に 共存するしかなかった。松前藩主はアイヌを領民として支配していたわけではない。要するにアイヌの住む広大な天地(アイヌモシリ)は日本に とってまだ統治の及ばぬ異国なのだった。
<北方問題とはアイヌを自分側にとりこもうとする日・露民族主義どうしの相克にほかならなかった。>
というこの本は、「鎖国」状態の日本の辺境における異文化との接触の実態を、文献資料に基づく豊富なエピソードを交えながら、ロシアと アイヌと日本という、三者三様の民俗文化の食い違いを乗り越えて結ばれた、奇蹟のような交誼を描いて、第37回「大佛次郎賞」に輝いたもの なのだが、
「西洋化=近代化」の中で失われてしまった、明治以前の「この国」の文明の姿を再構築し、その尊ぶべき「価値」の意味を再確認して見せた、 名著として名高い
『逝きし世の面影』
の 続編として企図されたものというだけあって、
不甲斐ない幕府の応対に愛想をつかして、ロシアの代表と堂々と渡り合ってみせた松前奉行の潔さや、拘束されたロシア人の身代わりに捕虜と なることを躊躇しなかった、豪商・高田屋嘉兵衛の度量の大きさ、そして、ロシア人をして「今まで知ったすべての民族中最良のもの」と 言わしめた、アイヌ人の朴訥さなど。
今回もまた、「失ってしまった」ものはあまりにも大きかったことを、痛感させられることになる名著であった。
国際社会に対応するにはあまりに弱体な日本近世国家のありかたを嘲笑したり悲憤したりするのは、果たして21世紀のあるべき文明の姿を 模索する私たちにふさわしい態度だろうか。徳川国家は初めは強大な軍事力を有する武士集団が支配する兵営国家として出発しながら、19世紀 初頭には、武力紛争をできるだけ回避し、平和な談合による解決を重んじる心性が上下ともに浸透する社会を作り出していた。これが恥ずべき 事実であるはずはない。
2020/1/26
「キャット・パーソン」 Kルーペニアン 集英社
ロバートはミューとヤンという名前の二匹の猫を飼っているという話だった。ふたりはマーゴが子供の頃に飼っていたピタという猫を 登場させて、一緒に込みいったシナリオを作り上げた。ピタはヤンに思わせぶりなメッセージを送るのだが、ミューに対してはいつもよそよそ しく冷たい態度を取る。彼女はミューとヤンの仲を妬んでいるのだ。
アートシアターの売店でバイトをしているときに出会ったことがきっかけで、SNSをやり取りするようになったマーゴは、おもしろい返しを ぽんぽん飛ばしてくるロバートの頭のよさにたちまち夢中になり、すぐに返事が来ないときにはせつないくらいに胸を焦がすまでになっていた。 やっとむこうから映画に行こうと誘ってきたその日、無口な彼の態度にもしかしたら殺されたりしてという不安も感じながら、ロバートの家に 向かったのだが・・・
というこの表題作がツイッターでトレンド入りするほどバズったため、執筆予定の長編も合わせたその出版権で1億円という巨額の前払金を手に したという、これはまさに前代未聞の、それまで無名に等しかった若き女性作家によるデビュー短編集なのである。
図書館の棚の裏側に押し込まれていた、怪しげな<魔術の書>に書かれているとおりのことをすると、心の奥底の欲望が生ける男として素っ裸で そこに立っていた。(『キズ』)
4歳のとき専門の医者に通って、相手かまわず噛みつく癖を治療させられたエリーは、大人になっても職場の同僚に噛みつく夢想に耽ることを やめられないでいた。(『噛みつき魔』)
とうとう最低な彼女と別れたのだと転がり込んできて、いつしか居着いてしまった友人に、若い夫婦が命じたルールは初めのうちは他愛のない ものだった。(『バッド・ボーイ』)
いじめられっ子の娘から、誕生日のキャンドルに掛けたおぞましい願い事を「なかったことにしてほしい?」と問いかけられて、夫を寝取られた 母親は答えに窮する。(『サーディンズ』)
マッチングアプリで呼び出したその可愛らしい女の子は、「出し抜けにあたしの顔を全力で思いっきりパンチすること」がセックスする条件だ と言うのだった。(『死の願望』)
などなど、ここに収められた12編の物語のどれを取ってみても、妄想のうちに求めていた何かを手に入れたと思った瞬間から、思わぬ泥沼に 引きずり込まれ、「嘘でしょ、これが私?一体なんでこんなことになっちやったの。」“YOU KNOW YOU WANT THIS”「だって、これが貴方が 望んだことでしょ。わかってたはずよ!」という展開をたどることになるのは、本書の原題にあるとおりなのである。
「あのひとは悪いことはなんにもしていない。ただわたしのことが好きで、セックスがへたで、それからたぶん、猫を飼ってるって嘘をついた ってだけ。」だから、少しでも好意をみせた自分にも責任があると、望まないままセックスしたことに無理矢理納得しながら、それでもなんとか 縁を切ったマーゴだったが、20歳の肉体に溺れる中年男という構図に、自分でも恥ずかしくなるくらい自惚れに満ちた幻想に酔いしれたことも 事実で、それに対する<しっぺ返し>は強烈だった。
なあ、こんなこと訊く資格ないのかもしれないけど、よかったらおれの何がいけなかったのか教えてほしいんだ おれたちは心が通じ合って るって思ってたんだけど、きみのほうはそうじゃなかったのか、それとも・・・処女かどうか訊いたときに笑ったのは、数えきれないくらいの 男とヤッテルからだったのか いまもさっきの野郎とヤッてる最中か そうなのか・・・なんとか言えよ
「この売女(ばいた)」
2020/1/10
「東京の美しい本屋さん」 田村美葉 エクスナレッジ
デジタルで発信する「情報」より、何倍も手間暇をかけられた「物体」としての本。それが勢ぞろいする「本屋さん」という空間。 その空間自体が美しく、いまやとても贅沢に感じられます。そんな「美しい本屋さん」がたくさんある街、東京。時代も、東京も、どんどん 変化しているからこそ、こんなにそれぞれの個性が輝いて、目が離せないのかもしれない。
<「本を手に取る」ことが、いつしか、かけがえのない体験だと感じられるようになっている。>
というこの本は、わざわざ本屋さんを訪れなくても、欲しい本をピンポイントで検索して購入できるようになった、そんな時代に抗うかのように、 専門的な美術書や写真集、絵本など「美しい本」を扱うお店(この本自体が美しい写真集のような本なのである。)はもちろん、「街の本屋さん」 として愛されているお店や、本を売るだけでなく様々な取り組み(カフェやギャラリー、イベントスペースなど)を広げているお店まで、棚の 色味や照明、本の並べ方など、さりげない空間づくりのこだわりにも個性あふれる、「東京の美しい本屋さん」33軒に取材した実況中継の ような本である。
「植物だらけの空間をつくったら、この空間に住む人はどんな本を読むだろうか」
コーヒー片手に、どこを見てもワクワクするような、植物の気配に満ちた店内を歩き回れば、毎回異なる出会いが待っているはず。 (上野 ROUTE BOOKS)
「ここで過ごす時間が良いものであるように、居心地の良い場所と時間を提供したいです」
「これ懐かしい」と、本自体のテイストや見た目、質感に「時代」を感じられるものを求めてやってくる、若いお客さんが多いという。(西荻窪 TIMELESS)
「隠れ家的ブックカフェ。マットの下、親しい人だけに教える秘密の鍵のかくし場所」
扉を開けると溢れんばかりの雑貨と本には値段が付けられておらず、「どうしても欲しい」と言われたら売ったり、売らなかったり。(中目黒 Under the mat)
「ブックカフェを始める条件は、なるべくそのままの状態でここを保存することでした」
ジャズバー、そしてカフェとして50年以上受け継がれてきた「骨董品」のような場所を使って、日々読書会などのイベントを催す。(荻窪 6次元)
「しかけ絵本は、ひとつひとつの仕組みは簡単でも、その組み合わせで無限の可能性が生まれるんですよ」
高い天井から有名な絵本の最後のページを模した大きな飾りがお客さんを出迎える、日本で唯一のしかけ絵本の専門店。(鎌倉 Meggendorfer)
「あえて<探しづらく>することで、思いもしなかった本との出会いをつくっています」
そのため、版元の倉庫に眠っていた「一体、誰が買うんだろう」と思うような本ほどよく売れていくという、「入場料制」をとる本屋。(六本木 文喫)
などなど、もしも幼いころの体験がほんの些細なきっかけとなって、この玉手箱のような素敵な本の誕生につながったのだとしたら・・・、 「本好きな父」としては遅ればせのご褒美をいただいたようで、なんだかとっても嬉しいのだった。
子どもの頃、週末は本好きな父に連れられて本屋さんを訪れるのが習慣でした。いつもチェックする児童書のコーナーを一通り見たら、次は 文房具のコーナー。あるいは、目的もなくお店中をうろうろしてみたり。父が本を選び終わるまでの小一時間、全く飽きることなく色々な発見の できる「本屋さん」は、私にとってとても楽しい場所でした。
2020/1/4
「iアイ」 西加奈子 ポプラ文庫
え、と声を出した。
咄嗟に口を覆ったが、とても小さな声だったから、隣の席で肩を回している濱崎成男も、前の席で髪を弄んでいる矢吹沙羅も、反応しなかった。 ホッとして周囲を見回すと、こちらを見ている人間はいなかった。誰も。かすかに動悸がした。
「この世界にアイは存在しません。」
初めての数Tの授業で、二乗したら−1になるというi(アイ)が虚数であることを言ったに過ぎない数学教師の言葉が、これほどまで胸に 刺さることになったのは、シリアの難民として生まれ、ハイハイを始める前にアメリカ人の父と日本人の母のもとにやって来た、父にも母にも 似ていない「ヨウシ」である自分が、「ほしいものを手にすることが出来ない子どもたち」に比べて、「不当な幸せ」を手にしているのでは ないかと、ずっと後ろめたさを抱えて生きてきたからだろう。
ワイルド曽田アイ。父はアイという言葉が「愛」に相当することを気に入り、母は「i」が自身のことを指すということが気に入ってつけた、 それが彼女の名前だった。
「中学2年生のときに、はっきり気付いたの。自分の気持ちに。私は、女の子が好きだって。」
高校に入学して初めてできた親友のミナ(権田美菜)が、悩みを打ち明けあえる関係をはぐくんだ後、LGBTに寛容なロスへと日本を飛び出し ていったのに対し、
「私、ずっと死んだ人の数を書いてるの。」
<どうして私じゃなかったんだろう。>と、世界中で起こっている事故や事件や災害で死んだ人の数を、ノートにずっと書き続けていることを 打ち明けたのは、没頭していれば数学は自分を決して拒絶しないからと、日本の大学院に進学し、数学科という檻の中で密やかな安堵と絶対的な 絶望の日々を過ごすなかで、東日本大震災が勃発し、米国に在住する両親が懇願したにもかかわらず、日本を離れることを頑なに拒んでいた時 だった。
「誰かのことを思って苦しいのなら、どれだけ自分が非力でも苦しむべきだと、私は思う。その苦しみを、大切にすべきだって。」
やがてデモの写真を撮るフリーカメラマンで、うんと年上のユウ(佐伯裕)と劇的に出会い、熱烈に恋をして結婚したアイだったが、辛い不妊 治療の末に、ようやく授かった子どもを流産してしまった、その時に、ミナが高校の同級生とのたった一度の過ちで妊娠してしまったことを 告げられる。
「私に起こったこともそう。私のからだの中で赤ん坊が死んで、その悲しみは私のものだけど、でも、その経験をしていない人たちにだって、 私の悲しみを想像することは出来る。自分に起こったことではなくても、それを慮って、一緒に苦しんでくれることは出来る。想像するという その力だけで亡くなった子どもは戻ってこないけど、でも・・・私の心は取り戻せる。」
これは、残酷な現実に立ち向かわねばならない、すべての「I」と「You」と「All」に捧げられた「優しくて強靭な物語」(@又吉直樹) なのである。
「この世界にアイは、存在する。」
両親に、ミナに、ユウに愛されたから私があるのではない。私はずっとあった。ずっと、ずっとあった。だから、私はここに、今ここにある のだ。そして、そんな私を、この私を、両親が、ミナが、ユウが愛したのだ。先に私はあった。存在した。そして今も。
アイはここにある!・・・私はここだ!
先頭へ
前ページに戻る