徒然読書日記201912
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2019/12/28
「闇市」 Mモラスキー編 新潮文庫
終戦直後が舞台となる作品には、闇市の風景が描かれていることが少なくない。本書の作品群においても、様々なタイプの「闇屋」を はじめ、性別も年齢も社会階層も実に多様な人物が現れる――朝鮮人と中国人、日本の警察官と占領軍の憲兵隊、律儀な会社員と堕落した小説家、 パンパン(街娼)と男娼、男に騙される娘や駆け落ちする娘。いろいろな夫人と未亡人、優秀な女学生と不登校の少年、いびる姑と復讐する嫁 ・・・。要するに、闇市を描いた本書の作品群は、敗戦後の日本社会に対し、様々な角度から光を当ててくれるものになっている。
<「日本人にとって闇市とはいったい何だったか」という問いに対し、これらの作品はどのような闇市像、人物像をもってこたえてくれるの だろうか。>
というこの本は、多趣味が高じて今では「居酒屋研究家」として名を売るようになった、日本在住30余年の現代日本文学研究者が、久々に 「文学回帰」を志し、戦後社会における「闇市」の意味という特異なテーマをめぐって、あまり読まれていないと予想される作品を厳選して 編んだ、刺激的な短編小説集なのである。
「私は、七七八五一号の百円紙幣です。」という彼女の目を通して、闇シジョウの基本原理が流通にこそあるということが鮮明に浮かび上がって くる。――太宰治『貨幣』
空襲で家族と生き別れた男と女が炊き出しの握り飯を食べた縁で一緒に始めたおでん屋の屋台。戦後、変貌する町をたくましく生き抜く人たちの 姿を垣間見せる。――永井荷風『にぎり飯』
満員電車から落ちたおっさんが残したリュックにずしりと詰まっていた蜆。先ず身近な人を不幸に突き落として俺は生きて行こうと思い、男は 平凡な闇屋になった。――梅崎春生『蜆』
さて、<闇市>そして<焼跡>とくれば、どうしたってこの人を外すわけにはいくまい。
戦前は気丈だった祖母から吹き込まれた、戦死した父親の理想の姿との再開を果たすため、自ら進んで近所の大人の男たちに身体を委ねるように なった年巨と、戦後は寝たきりとなり愚痴をこぼすばかりと成り果てた祖母に、意趣返しするかのように辛く当たるようになり、いつしか ヒロポン使いのパンパンとなった母。「お母ちゃんはあんたになんにもしてやれんかったけど、一つだけ役に立ったるわ、な、お母ちゃん抱き、 かめへんやろ、お母ちゃんやもん、な、女を教えたるよ」落ちぶれた母は、ほんのひととき、「聖母」になる。――野坂昭如『浣腸とマリア』
おずおずと闇市に足を踏み入れる無邪気な女学生。
女装と麻薬売買を始める元旋盤工。
小説家になる夢を捨ててすがすがしい闇屋に転じる青年。
マーケットで焼き鳥屋を始める元長官夫人。
それを<解放>と見なすべきか、<堕落>と見なすべきか、あるいはどちらでもないと考えるべきか。ただ一つ確かなことは、闇市が具現する <戦後>という新しい時代には、多くの苦悩とともに新たな可能性が生まれたということなのだ。
この11篇の作品を読み終えてから「闇市とは何か」を改めて考えてみると、答えがどれほど複雑かを痛感せずにはいられない。けっきょく 特定の「答え」のようなものはなく、闇市とはきわめて多面的な現象であることが浮き彫りになるばかりなのである。
2019/12/23
「狂うひと」―「死の棘」の妻・島尾ミホ― 梯久美子 新潮文庫
「島尾の留守中に掃除をするために仕事部屋に入ると、開いたままの日記が机の上に置かれていました。そこに書かれていた一行が 目に飛び込んできて、その瞬間、私は気がおかしくなりました。それはたった十七文字の言葉でした。いまも一字たりとも忘れていません。 死ぬまで消えることはないでしょう」舞台女優が台詞を言うような、よどみのない口調だった。
「そのとき私は、けものになりました」
昭和29年9月29日早暁、東京・小岩の自宅で、ある女性との情事が記された夫の日記を見てしまった島尾ミホは、それ以後、精神の均衡を 失うことになる。家事も二人の幼子の世話も放棄して、昼夜の別なく夫の不実をなじる妻の、修羅の日々を描いたのが、新進作家だった夫・ 島尾敏雄の傑作『死の棘』である。
平成18年2月、19年前に夫を亡くしてから人前ではつねに喪服で通す86歳のミホに、「あなたのことを書きたい」と頼み込んで始まった インタビュー取材は、“そのとき”の敏雄が「書かなかった話」を、今自分が聞いていると感じるようになった直後、突然中止となり結局活字に することはかなわなかったのだが、ミホの没後、長男伸三の了解を得て、夫妻が遺した膨大な未公開資料を読み込むことでリベンジを果たした、 これは奇蹟のような文学評伝の金字塔なのである。
刊行当初、『死の棘』は、自身の浮気によって妻を狂気に追い込んだ作家の私小説として話題を呼び、読者を増やしたのだが、数々の文学賞を 受けた純文学の名作として、文壇での評価が高まるうちに、純粋稀有な夫婦愛を描いた作品として定着していくことになる。そして妻のミホには、 無垢で激しい愛ゆえに狂気に至った聖女という鋳型が嵌められ、彼女はそのくびきから逃れようと格闘を続けねばならないことになった。
しかし、加計呂麻島での劇的な出会いに掛けて吉本隆明らが作った、ヤマトから来た「ニライ神」(島尾)を島を代表して迎える「巫女」(ミホ) という構図は、東京の高等女学校で教育を受けた、当時25歳の婚期を過ぎたインテリ女性という「実像」の前に、もろくも崩れ去ることになる のだし、冒頭ご紹介のシーンにしたところで、島尾はミホが日記を見るであろうことがわかっていて、彼女にとって衝撃的なことをあえて書いた 可能性があるというのだ。
「何のために、ですか?反応を観察して、小説にするためですよ」
島尾が日記や手紙をはじめ自分自身に関する記録の保管に偏執的と言えるほどの情熱を傾けた人であったことは有名だが、ミホも同じだった。 手紙の下書きからちょっとしたメモ、ノートの切れ端への走り書きまで、遺品整理の作業の中で、おびただしい紙類が出てきた。そして・・・ 発見された未完の原稿、『「死の棘」の妻の場合』
<本当に狂っていたのは妻か夫か>、それは丹念な取材を重ねた著者がついに辿りついた、衝撃の真実だったと言うべきなのだろうか?
島尾は『死の棘』や「病院記」のほかにも妻をヒロインとする作品を多数書いており、ミホは作家・島尾敏雄の世界の中心に君臨した。 書かれることで夫を支配したと言ってもいい。それでも彼女は、晩年まで自分の『死の棘』を構想していた。「書かれた女」のまま人生を終える ことを拒否しようとしたのである。
2019/12/21
「禅談」 澤木興道 ちくま文庫
一体、人間の幸福ということはどんなことか、めでたいということはどんなことか、物をもらったらめでたいのか、酒をよばれたら めでたいのか、嫁さんをもらったらめでたいのか。一休という親爺さんは、「元日や冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」 という縁起の悪いことを言いよる。もうちっとあっさり、めでたいと言えんものか、こう念の入った頭を持つと正月も何にもならん。なるほど 考えてみればそうにも違いないが、また世の中はそうでもない。(『辻占根性』)
<禅というものはそんなものだろうか。そんなに念の入った、けったいなものなのか。>
澤木興道(1880〜1965)は、明治から昭和を代表する曹洞宗の僧侶であり、定住する寺を持たなかったことから「宿なし興道」と 呼ばれた。1935年には駒澤大学教授に就任し、それまで選択科目であった坐禅を必修科目とさせ、徹底した坐禅教育を行った。 「何にも ならんもののためにただ坐る」という只管打坐を貫き、その一生を通じて実践して見せた。・・・と、ウィキペディアでは紹介されている。
この本は、そんな澤木師が親しみやすいストレートな物言いのうちに、怠惰に陥りがちな私たちの安直な日常に活を入れる、迫力の説法を集めた ものなのである。
「二乗は精進して道心なく 外道は聡明にして智慧なし」
自分だけ迷わないようにしようという精進には、私とあなたとぶっ続きの要領を飲み込む道心がなく、たいていの者は自分のためにぶすぶす考えて ばかりいる。仏教以外の邪見である外道は聡明であるばかりで智慧がない。自分の学んだ学問のために騙されるのだから度し難い代物である。 道心を「福」といい、智慧を「徳」という。この福と徳とを充分に反省し、人間が久遠の仏陀として生命を奪い返そうというのが仏教なのだ。
「多欲の人は多く利を求むるが故に苦悩も亦多し。少欲の人は求め無く欲無ければ即ち此の患いなし。」
「若し諸の苦悩を脱せんと欲せば当に知足を観ずべし。知足の法は即ち是れ富楽安穏の処なり。」
まだもらわぬうちの欲を戒めたのが「少欲」で、もらってからの欲を戒めたのが「知足」である。少欲と知足とは人間の欲全体を戒めた掟なのだ。
「触処生涯分に随って足る 未だ伎倆の人に如かざることを」
負けても勝っても、そこに銘々自分の有る限りの本分を尽くした以上、どこでもバタバタせずに、現在の境遇に最上最高の満足を見出すという のが禅である。禅の悟りというものは自己の生活態度――今日は今日の、明日は明日の生活態度――をはっきり見つめていく道なのだ。
<よく、「坐禅はなぜするものか」と言う人がある。坐禅は何もするものではない。自己に親しむものである。>
「坐禅は習禅にはあらず 大安楽の法門なり 不染汚の修証なり」
坐禅は積みあげてゆくものではないし、苦しみでもない。しかし行き着く所まで行き着いたからといって、それを人に誇ったりするものでもない というのである。
間違わんように、しっかりやってもらいたい。
2019/12/16
「<松本清張>で読む昭和史」 原武史 NHK出版新書
評論家の川本三郎は、「松本清張は、東京をつねに地方からの視線で描く。弱者が強者を見る目で東京をとらえる。中央の権威、権力 によって低く見られている地方の悲しみ、憎しみ、怒り、そして地方での憧れといった感情が複雑に交差しあう」(『東京は遠かった』)と 述べています。
<私が松本清張という作家に惹かれる理由は、大きく二つあります。>
一つは、清張の作品が戦後史の縮図であるという点で、高度成長期の象徴として鉄道網が走る何気ない風景の描写があり、都市と地方の格差が 如実にわかる。もう一つは、タブーをつくらないという点で、あくまでも自分が発掘した資料を基に、天皇制や被差別部落といったテーマに 忠実に向き合う姿勢が一貫している。
列車時刻表を駆使し、デビューしたての花形寝台特急「あさかぜ」をトリックに仕立て、推理小説界に“社会派”の新風を吹き込んだ『点と線』。
殺人事件の影に隠れていた、地方都市に色濃く残るハンセン病への差別構造に蝕まれた父子の宿命を浮き彫りにした『砂の器』。
敗戦から独立回復までの8年間に起こった「帝銀事件」などの12の怪事件の背後には、すべてGHQの謀略があったと史料に基づき結論づけた 『日本の黒い霧』。
当事者への取材から発掘した新事実に基づき、「二・二六事件」のその先には宮城を占拠して、天皇を手中におさめる計画があったと明らかに した『昭和史発掘』。
大正天皇亡き後の貞明皇后が皇太后として君臨する昭和初期の宮中で、南朝正統論を踏襲して秩父宮をまつり上げようとする勢力を描いた未完の 遺作『神々の乱心』。(本作品は清張がライフワークとしていた『昭和史発掘』の執筆過程で得た構想に基づき、壮大な歴史小説に昇華させよう とした試みということになる。)
つまりこの論考は、昭和という時代の闇が刻印されている松本清張の代表作5つを、「鉄道」と「天皇」という切り口に注目しながら読み解いた ものなのだが、
「二・二六事件」勃発を弘前で知った秩父宮は、最短ルートである東北本線には乗らず、わざわざ遠回りの羽越・上越ルートを選んだのはなぜか? 「東北本線が雪で不通となったため」と『昭和史発掘』に書いた清張に対し、当時の新聞や天気図でその事実はないことを確認したうえで、 秩父宮に日本政治史を進講した人物で、青年将校とのつながりも深かった東大教授の平泉澄と上越線水上駅で合流し、密談の時間をつくるため だったのでは?というスリリングな説を取り出してくるあたり、「天皇」に関する著作が多いだけでなく、鉄道マニアとしても有名な著者の面目 躍如といった趣なのである。
そんなわけで、2019年5月1日に新天皇・徳仁が即位し、元号が平成から令和に改められた、この節目を迎えるにあたり、タブーをつくらず に時代と歴史に向き合い続けた松本清張の地方から中央を相対化する視線を通して、「昭和」という時代の闇に改めて光を当て、「時代を超えて 残り続けるもの」とは何であるのかを見つめ直してみるには絶好の、歴史好きには特にお薦めの好著である。
私たちは、平成の前の時代に当たる昭和史というものを、何となく知っているつもりでいます。しかし清張の作品を読むと、比較的近い過去 ですら、実は何もわかっていなかったことに気づかされる。その意味で、松本清張は小説家にとどまらない、ひとりの歴史家ないしは思想家と して読みなおされる存在ではないかと私は考えています。
2019/12/11
「愛と欲望の三国志」 箱崎みどり 講談社現代新書
この本では、ラーメンのガイドブックや研究本のように、歴史も含めて、どんな特徴や味があるのか、詳しくご紹介していきます。 「三国志」は、日本でどのように読まれてきたのか、日本の歴史にどうかかわってきたのか、どんな日本語の「三国志」があるのかという、 いわば“「三国志」の日本史”の世界にご案内します。
<同じラーメン/「三国志」という物語でも、お店/著者によって、テイストが全く異なります。>
というこの本は、小学二年生の時に再放送されていたNHKの「人形劇三国志」を偶然目にして以来、この物語が大好きになってしまった ニッポン放送の女子アナが、女子高時代に「友達にもこの面白さを知ってもらいたい!」という強い願いから迷い込んだ「研究の道」の、 その後の研究成果をお披露目しようというものなのだが、
日本人が大好きな「三国志」の変遷!
関羽・張飛が女に!?
劉備と孔明が交わる春画!?
なんて惹句が、そんな女子高生がそのまま大人になった(1986年生まれ)ような顔写真と共に、本書の帯を飾っていたりするものだから、 きっとお手軽な「三国志あるある本」に違いあるまいと、舐めて読み始めたりすると度肝を抜かれること必定の、これはまことに真っ当な 研究本だった。なにしろ彼女は、東京大学大学院の比較文学比較文化コースで「日中戦争期における『三国志』ブーム」の論文を書き上げた、 筋金入りの「三国志」研究者なのだ。
え?“「三国志」の日本史”なんて知ってどうするのかって?
中国四千年の歴史の中では一瞬とも言える百年ほどの時代を描いたにすぎない小説『三国志演義』を、われわれ日本人は愛読し、長きにわたって 読み継いできた。それこそ卑弥呼の時代から江戸時代まで、隣国の古代史を描いたにすぎない小説を、これほどまで大切に繰り返し繰り返し語り 直してきたのは、「中国について知りたいなら、三国志を読みなさい!」という中国理解のツールとしての役割も期待されてきたからではないか。
たとえば、あの有名な吉川英治の『三國志』の執筆の契機となったのは、盧溝橋事件後の情勢視察など二度に及ぶ中国大陸への従軍体験だった という。「小説を通して中国の民族、国民性を少しでも理解してくれることを願ったのである」(吉川英治記念館・城塚朋和事務長)「討つべし、 また、愛すべし」という相反する見方の間で、吉川英治は揺れながら、従軍で得た体験や感慨を『三國志』本文中に埋め込んでいったのだ。
魅力的な登場人物の紹介や、重要なエピソードの顛末など、これから読むべき「三国志」を選ぶためのブックガイドとしても、もちろん楽しめる のだが、世にある「三国志」関連本はほぼ読み尽くしたという猛者にとっても、おそらく初めて耳にするような、新鮮な発見に遭遇することが できるに違いない。
現在、日中関係が不安定な状態が長く続いていますが、過去に学ぶことも必要です。中国政府が強権的な姿勢を強める中、漠然とした不安が 広がっている、そんな現状に対し、過去のよりシビアな状況の中で、中国への理解を深めようとした先人たちの姿から学べることがあるのでは ないでしょうか?
2019/12/9
「夢見る帝国図書館」 中島京子 文藝春秋
そのうら若き女性は、ある時期から頻繁に図書館を訪れるようになった。ひどい近眼のくせに、けっして眼鏡をかけようとしない頑固 な一面を持つ彼女の目に、建物全体は、あるいはぼんやりとしか映らなかったかもしれないが、図書館のほうに目があったなら、その両眼は つねに彼女に釘づけになっていたに違いない。(中略)どれほどの書物を読んだことか。図書館は、わが懐で飲むように書籍を読了していく この稀代の女流作家の卵が、かわいくてかわいくてならなかったに違いない。
<もし、図書館に心があったなら、樋口夏子に恋をしただろう。>(『夢見る帝国図書館・6』樋口一葉と恋する図書館)
その白髪女性は、端切れをはぎ合わせて作ったコートの下に、茶色の長い頭陀袋めいたスカートを穿いて、足元は運動靴という奇天烈な装いを していた。かつては図書館に半分住んでたみたいなものだというからには、「本好きな人なんだな」と思われるそんな喜和子さんが、上野公園の ベンチで出会ったばかりの物書きの<わたし>を、東京藝大の先の細い道を抜けた路地裏の古くて狭い長屋に誘い、「上野の図書館が主人公の 小説」を書いてみないかと唐突な頼みごとを持ち出し、図書館が辿った歴史にまつわる蘊蓄を披露しながら、それに交えてポツポツと、自らの あまり良く覚えていないらしい、幼いころの思い出がたりを始めたりしたのは、小説を書いてはいるものの立場的にも精神的にも不安定な時期 だったわたしと、二人の<不安定>が都合よく惹かれあったからなのだろう。・・・というのが、この物語の本筋なのだとしたら、
不平等条約撤廃のための近代国家の証として、明治新政府が「ビブリオテーキ」を作ることを思いついた福沢諭吉の<前史>から始まって、西南 戦争による資金難の中、「書籍館」整備のために奮闘を重ねた永井久一郎(荷風の父)の熱き思いと、図書館が辿ることになったその後の苦難の 歴史や、幸田露伴、宮沢賢治、谷崎潤一郎、芥川龍之介などなど、錚々たる文豪たちが図書館を通り過ぎていった、思いがけないエピソードの 数々に加えて、
帝国図書館が樋口一葉に恋をしたり、図書館に動物園の動物が訪ねてきたりする、折々に間に挟み込まれるこの奇想の「小説」のほうは、一体 誰が書いたのだろうか?
しばらく交流が疎遠になっているうちに、長屋から老人施設に引っ越し、体調を崩して入院して、あっけなく逝ってしまった喜和子さんだったが、 そんな彼女が長屋の居室で囲まれていると安心すると、大切にしていた古い『樋口一葉全集』に、わたしは「上野の古本屋」で出会うことになる。
わたしは深く胸を衝かれた。あの、喜和子さんの小さな部屋、彼女が愛した空間、彼女が愛した物語、わたしたちがいっしょに過ごした時間と 瞬間が、その古いワンセットの全集から一気に立ち上がってきて、眩暈を起こさせるようですらあった。
ところが、なんとこれが大きな勘違いで、とはいえ、この出来事がきっかけとなって、物語の後半は大きく動き出し、謎に包まれた喜和子さんの 「自分が自分であるために必要だった物語」の顛末が明かされることになるのだった。
<真理がわれらを自由にする――。>
どこかでその言葉を聞いたように思って目を上げると、わたしが座っていた国立国会図書館東京本館の目録ホールの、目の前の図書カウンター の上部に、ギリシア語の原文と並んでそれは刻まれていた。
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