徒然読書日記201909
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2019/9/21
「恋愛と贅沢と資本主義」 Wゾンバルト 講談社学術文庫
古い社会、そして新しい社会の生活のすべての動きにとって、中世からロココ時代までにかけて行われた両性関係の変化よりも重要 であった出来事を私は知らない。
ロココ時代の女性たちが、趣向を凝らした部屋飾りや、贅を尽くした服装に夢中になったのは、むろん宮廷の趣味の影響を受けたものだったが、 それより大きな影響を与えたのは、愛情と恋愛関係についての考え方の変化だった。「愛」が世俗化し、それを「物」で競わねばならなくなった のである。
ある社会で自由な恋愛が、拘束された愛つまり結婚とならんで羽振りをきかすようになりはじめた場合、こうした新型の恋愛につかえる女は 誘拐された良家の娘でなければ、姦通する女または娼婦である。
こうして、宮廷で洗練されてきた愛の作法は都市の中心で風俗化していくことになるが、それを先導したのは「高等娼婦」(クルティザン) だった。裕福な男たちは、生活のためには必要最小限しか使わずに、残りの大半を享楽のために費やし、女たちは好んで「愛妾」となる道を 選んだのである。
<奢侈、贅沢とは、必需品を上まわるものにかける出費のことである。>
「奢侈」の一般的発展の傾向には、婦人がおおいに関与していたのだということを、このMウェーバーと並び称された偉大な経済史家は結論 づけようとする。
「屋内的になってゆく傾向」
中世の奢侈のほとんど多くは公共的であったが、時代がすすむとともに個人的で家庭的なものになっていった。女性が奢侈を家の中にひきずり こんだのだ。
「即物的になっていく傾向」
人手がかかりさえすればよいなどといった、かつての非生産的な奢侈よりも、より生産的な奢侈への移行がおこった。有益な品物を使うことが 本命となったのだ。
「感性化、繊細化の傾向」
芸術のような理想主義的な生の価値ではなく、もっと動物的な低度の本能につかえるように、女たちは全精力を傾けて促進するようになった。
「圧縮される傾向」
多くの奢侈が与えられた時間内にくりひろげられ、使用者が多くの奢侈、たくさんの享楽をより迅速に手に入れることができるよう、生産される ことが求められた。
これら「奢侈」の一般的発展の傾向は、すべて「資本主義」(商業と工業)の発展にとって根本的意味を有するものだったと言えるだろう。
「そうですとも、可愛いお嬢さん。あなた方は、あらゆる大都市の生存条件となる本当の奢侈なのです。あなた方は、外国人と彼らのギニーを おびきよせる魅力あふるる餌なのです。」
『恋愛と贅沢と資本主義』という、落語のような「三題ばなし」が無事に「落ち」を迎えたのである。
こうして、すでに眺めてきたように、非合法的恋愛の合法的子供である奢侈は、資本主義を生み落とした。
2019/9/19
「アンデス古代の探求」―日本人研究者が行く最前線― 大貫良夫、希有の会編 中央公論新社
わが国アンデス考古学は、古代アンデス文明の起源と形成過程の解明を主たる目的として、最初のコトシュ遺跡の発掘調査 (1960〜66)から、その都度大きな成果を得つつ、ペルー各地で系統的に遺跡発掘を進めてきた。(佐藤謙・希有の会会長)
なかでも、1988年からの<クントゥル・ワシ遺跡>の発掘調査では、アメリカ大陸最古の豪華な黄金装飾品を含む大発見となり、世界を 驚かせることになった。現在、遺跡からの出土品は日本側の寄贈により建設された「クントゥル・ワシ博物館」で展示されているが、その維持 管理は地元住民の手に委ねられており、その学術的意義のみならず、学術成果の地元還元のモデルとして、極めて高い評価を得ているのだと いう。(発掘調査作業自体が地元住民の貴重な収入源でもある。)
しかし、調査の最前線に立つ8人の研究者たちが、発掘現場で得た貴重な経験を語ってくれたこの本を読めば、展示品などほんのご褒美に すぎないことがわかる。
・権力はなぜ発生したのか。
・最初の神殿はなぜ生まれたのか。
・文化の周縁部に突如、大神殿が築かれたのはなぜか。
・巨大な地上絵は何のために、どうやって描かれたのか。
――彼らは「文明」そのものを発掘しようとしているのである。
文明が発生するのは食料生産が確立し、余剰を生み、農牧業以外の仕事に従事する人口が増えてから、と考えるのがそれまでの常識でした。 ところがアンデスでは紀元前2000年というと、農業もあまり発達しておらず、土器もない時代です。けれども神殿ができていた。 (大貫良夫・東大名誉教授)
<神殿がなぜ文明発達の基礎になり得るのか>
・大きな壁を外側に造るために、古い時代の壁を埋める。
・更新するたびに大きくなるので、労働量も大きくなる。
・人々を組織することや、食料の確保も必要になる。
・食料生産を増やすため、品種改良や灌漑など工夫する。
・人間社会の組織化が進み、人を動かす知恵も発達する。
・複雑な理屈を考えようという、宗教思想家が出る。
・儀礼を飾る道具・衣装などの工芸技術が発達する。
神殿を建て替える行為そのものが社会を発展させる原動力になるという「神殿更新」説をはじめとして、古代アンデスの人々の思考の基礎を 分析する論理を構築することで、これまでの通説を覆す新しい考え方を発掘することこそが、「文明の起源を推理する」考古学研究の醍醐味 であることを、多くの興味深い発掘現場写真とともに、私たちに教えてくれているのである。
海外で発掘を続ける日本人研究者を取材していて常々感じるのは、彼らのしていることが、文化による国際貢献としてもっと評価される べきだ、ということだ。もちろん自身の関心に基づく研究が第一の目的ではあろうが、遺跡を掘りっぱなしにするのでなく、成果を現地の言葉 で還元し、遺跡の保存や活用にまで踏み込む研究者に何人も会った。それによって、地元住民に歴史への誇りが養われていることもしばしば ある。(清岡央・読売新聞文化部)
2019/9/11
「路地の子」 上原善広 新潮社
「なんや、おんどれ。ドス出してどないしよう言うねんッ」
牛刀を避けた剛三が引きつった顔で叫ぶと、ぎらりと睨み返して龍造が怒鳴った。
「お前が来い言うたから来たっただけやろが。今さら命乞いしても遅いわ。そこでジッとしとれッ」
<路地で生き抜くためには、舐められたら負けだ。>
昭和39年、大阪松原市・更池。1日200頭以上の「牛を割る」こともあるという<とば>で、一触即発の睨み合いとなったのは、時間給の 見習い少年2人。ガタイの大きい方はいっぱしの極道の見習いで、とりあえず食うために<とば>にも来ているに過ぎないという18歳の武田 剛三。小柄な方が、早く<とば>の技術を身につけようと学校にも行かず働きに来ていた上原龍造で、まだ中学3年生という「末怖ろしいガキ」 だった。
「剛三よ。あれはホンマに刺しにいっとったぞ。せやから逃げた方が正解や。龍造はホンマもんの気違いや。もう相手にせんと放っとけや」
この<路地>では、まるでサケが生まれた川に戻ってくるかのごとく、最終的には8割以上の住民が食肉関係の仕事に就くことになる。たとえ 人様から「屠畜を生業にしている」と蔑まれようとも、ここが彼らにとって結局は、もっとも居心地のよい場所だからだった。
というわけでこの本は、群雄割拠していた極道たちと渡り合いながら切った張ったを繰り返し、伝説にまでなった数多くの武勇伝を残す一方で、 「金さえあれば差別なんかされへん」と、<部落解放運動>の高まりの中で劇的に変化を遂げようとする<路地>の気運とは一線を画して、 巧みに同和利権に喰い込み、一代で「更池一」といわれる食肉工場を経営するまでに成り上がった、上原龍造という男の「立志伝」なので あれば、ノワール版「プロフェッショナル仕事の流儀」として、その破天荒な浮沈のドラマを、息つく暇もなく一気呵成に味わっていただく のも一興なのだが、
「若い頃は、龍造のようになりたくなくて、ひたすら感情を抑え込んでいたように思う。」
と「何か書く人」になる道を選んだ著者は、甲斐性を除けば父と同じような生き方をしてしまっていることに気付かされる。「自分のことを 書くには、龍造のことを書かなければならない。」と、一緒に過ごした時間の短さを埋め合わせるかのように、できる限り一つひとつの「昔話」 を路地の人々に確認していく取材の中で、次第に浮かび上がってくる父の実像。
「私たちは龍造に復讐しようと思ったのではなく、少しでも、父としてこちらを向いて欲しかったのではないだろうか。」
書き終えてはっきり思ったのは、私たちは、どこに住もうが更池の子であるということだ。
更池という地名はもう残っていない。かつて路地がなくなれば、人に蔑まれることもなくなると考えられた時代もあった。今もそう考える人は 少なくない。しかし、逆説的なようだが、更池の子らが故郷を誇りに思えば思うほど、路地は路地でなくなっていくのではないだろうか。
2019/9/9
「もしもし」 Nベイカー 白水社
「いま何着てるの?」と彼は訊いた。
「グリーンと黒の小さな星がついた白いシャツでしょ、それに黒のパンツ、グリーンの星と同じ色のソックスと、9ドルで買った黒の スニーカー」と彼女は言った。
「いまきみがどんな風にしてるのか、知りたいな?」
アメリカの東と西に遠く離れて暮らす、お互いの顔さえ知らない男女が出会ったのは、別々の雑誌に載っていた“2VOX”という番号に 導かれてのことだった。これは、互いの声に心惹かれて一対一のラインに移動して始まった、二人の通話のみで全編が綴られたという、 つまりは<テレホン・セックス>の小説なのである。
「じゃあ、いちばん最近興奮したことは何?」
「そうだな」と彼は言った。「ディズニー映画に出てくるティンカー・ベル。」
身長5インチとすごく小さいのに顔はそのへんの普通の女の子が、胸に比べて大きすぎるヒップを見下ろして、悲しそうに首を振るしぐさに 興奮してしまったという、29歳で、ごく普通の会社員生活を送っているジムが、前の持ち主の女性が何かをこぼして全体が波打っている ロマンス本を古本屋で手に入れて、すっかり硬くなってしまったりする自らの性的嗜好を明かして見せれば、
「きみがいちばん最近キャンディ・コーンをかまってあげるきっかけになったイメージを話してくれるのがいい」
「きのうの夜。シャワーを浴びてたの」
大きくて豊かな感じのしずくが、惜しげもなくたっぷりと降り注ぐ、その水滴の一つひとつの形がとても具合がよくて、シャワーの中が一番 イきやすいという、こちらも、普段はごく常識的な社会人であるアヴィは、玄関の壁に突然あいた大きな穴に、素っ裸で上半身を向う側の居間に 突っ込んで、3人のペンキ屋にローラーで・・・(これ以上はご想像にお任せします。)
「隠し事はなしで」と始まった、互いの性的趣味の探り合いは、いつしか変態じみた妄想の告白合戦の様相を呈し、次第に興奮の度合いは 高まっていくことになる。
とはいえ、これを書いたのがあの
『中二階』
を世に送り出したベイカーなのであれば、これは単なるエロ小説であろうはずもなく、「言葉の力」だけでどこまで「イかせる」ことが できるか、というこれは極限まで研ぎ澄まされた「会話ゲーム」の逸品なのである。間違っても、途中で「到達」してしまうことなどないよう に、アナタも最後まで踏ん張って、至福の「恍惚感」を味わっていただければ幸いである。
「ねえ、そろそろイくっていうのはどうかしら?」
「うん、いいね。全面的に賛成だ。もう服は脱いでる?」
「ちょっと待って。そうね、公式発表的には裸と言っていい状態ね。ブラはしたままだけど」
「脚は開いている?」
「コーヒーテーブルの縁に指をかけているわ」
「そして右手はクリトリスを触っている?」
「まあ、はしたないこと!でもそのとおり、答えはイエスよ。ついでに言うと、右手だけじゃなくて、クリトリスを両手の人差し指ではさむ ようにしているの」
「オーケイ。その人差し指で何なりと、好きなことをしていていいよ」
2019/9/6
「忘れられた日本人」 宮本常一 岩波文庫
これらの文章ははじめ、伝承者としての老人の姿を描いて見たいと思って書きはじめたのであるが、途中から、いま老人になっている 人々が、その若い時代にどのような環境の中をどのように生きて来たかを描いて見ようと思うようになった。
単なる回顧としてでなく、現在につながる問題として、老人たちのはたして来た役割を考えて見たくなったから・・・というのである。
「いままで貸し出したことは一度もないし、村の大事な証拠書類だからみんなでよく話しあおう」
と、古文書を収めた帳箱の鍵を預かる区長に調査協力を依頼したことで始まった、対馬の「村の寄り合い」は、ほかにも「いろいろとりきめる 事がありまして・・・」と、夜も昼もなく二日たってもまだ続けられていた。反対の意見が出れば出たで、しばらくそのままにしておき、 そのうち賛成意見が出ると、また出たままにしておき、最後に最高責任者に決をとらせる。全ての人が体験や見聞を語り、発言する機会を持つ ということが、村の前進にたとえ障碍があったとしても、村里生活を秩序あらしめるための知恵なのである。
「この頃は田の神様も面白うなかろうのう?」「なしてや」
「みんなモンペをはいて田植するようになったで」「へえ?」
「田植ちうもんはシンキなもんで、なかなかハカが行きはせんので、田の神様を喜ばして、田植を手伝うてもろうたもんじゃちうに」・・・
田を植えながらの早乙女たちの話には、エロ話が多かった。話の中心になるのは大てい元気のよい40前後の女だった。植縄をひいた正条植を するようになって田植歌は止んだが、だからと言ってだまって植えるわけではない。仕事をはかどらせるかのように、たえずしゃべっている。 隣合った二人で声をひそめて話していると、「ひそひそ話は罪つくり」と誰かが言う。エロ話でも公然と話されるものでなければならないのだ。 エロ話の上手な女の多くが愛夫家であるというのもおもしろい。女たちのエロ話の明るい世界は女たちが幸福であることを意味している のだった。
「どこにおっても、何をしておっても、自分がわるい事をしておらねば、みんなたすけてくれるもんじゃ。日ぐれに一人で山道をもどって 来ると、たいてい山の神さまがまもってついて来てくれるものじゃ。ホイッホイッというような声をたててな。」
と、小さい時からきかされたこの言葉のおかげで、著者はその後どんな夜更の山道をあるいても苦にならなかったという。祖父・宮本市五郎は、 周囲の人から見ればきわめて平凡な人だったから、もう大方の人には忘れられてしまったが、「納得のいかぬことをしてはならぬ」という信条 の下、人に強いることはしないが、自分だけは古いことを守る生き方を死ぬまで貫こうとした、その生涯がそのまま民話といっていいような 祖父に対する深い尊敬と愛情が、その豊富な昔話を十分にうけつがなかったという後悔とともに吐露される。
「いったい進歩というのは何であろうか。」
進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつ あるのではないか?これは、そのように考え続けた長い道程の中で、多くの人にあい、多くのものを見てきた、<宮本民俗学>の最高傑作 なのである。
一つの時代にあっても、地域によっていろいろの差があり、それをまた先進と後進という形で簡単に割り切ってはいけないのではなかろうか。 またわれわれは、ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい。それで一種の悲痛感を 持ちたがるものだが、御本人たちの立場や考え方に立って見ることも必要ではないかと思う。
2019/9/4
「予測マシンの世紀」―AIが駆動する新たな経済― Aアグラワルほか 早川書房
今日では人工知能の進歩が目覚ましいが、実のところその結果として「知能」がもたらされるわけではない。実際にもたらされるのは、 知能の大事な構成要素のひとつ、「予測」である。
自然言語を解釈して質問の答えを提供してくれる人工知能(AI)に、「デラウェア州の州都はどこか?」と尋ねれば「ドーバーです」と 瞬時に答えてくれるが、AIは実際には州都がどこなのかは「知らない」。ただ、誰かがこのような質問をするときには「ドーバー」という 回答を探していることを「予測」できるだけだ。
<予測とは、情報が欠落している部分を埋め合わせていくプロセスである。>
予測が安上がりになれば、予測は増えていく。・・・いまでも予測は在庫管理や需要予測など、従来のタスクに使われ続けている。しかし 最近の重要な傾向として、従来は予測と関係のなかった問題にも予測が使われるようになっている。
アマゾンで買い物をすると、AIはあなたが購入したくなりそうなアイテムを予測して、オススメ商品を紹介してくれる。(現状の予測精度は 5%程度らしい)しかしこの予測の精度がある閾値を超えれば、アマゾンは注文を待たずに、顧客がほしがっていることが予測された時点で 商品を発送する方向に舵を切るだろう。配達用のトラックと同じものを何台も準備し、顧客のもとを定期に巡回して不要な商品を回収する コストを、顧客内シェアの増加による利益が上回るならば・・・
<アマゾンは2013年に「予測発送」の特許をアメリカで取得している。>
最近の機械学習の進歩は、しばしば人工知能の進歩として言及されるが、それには以下の3つの理由がある。
1.この技術に立脚するシステムは学習し、時間とともに改善していく。
2.特定の状況において、こうしたシステムはほかのアプローチよりも著しく正確な予測を行う。
3.こうしたシステムは予測の精度が向上した結果、翻訳や車の運転など、かつては人間の知能の独占領域と考えられていた分野のタスクを こなせるようになった。
「データ」と呼ばれる既存の情報を利用して、機械は見ること(物体認識)も、操縦すること(無人自動車)も、翻訳することも可能になった のだ。
<多くの科学技術者が機械学習を「人工知能」と呼ぶのは、「予測」が知能にとって重要な要素だからだ。>
予測に関しては、機械にも人間にもどちらにも長所と短所がある。予測マシンの性能が改善されるに伴い、企業は人間と機械による分業体制 を調整していかなければならない。
様々に異なる指標のなかから複雑な相互作用を見つけ出す作業に関しては、人間よりも機械のほうが優れている。しかし、データが生成される プロセスについて理解することが予測にとって有利になる状況では、人間のほうが機械よりも優れている。データが豊富な時には素晴らしい 結果を残す機械でも、少量のデータに基づいて「例外予測」を行うことは苦手なのである。
ロンドンのタクシー運転手の状況が悪化したのは、ナビゲーションアプリの普及で彼ら以外の何百万人もの人たちが、はるかに優秀になった からだ。タクシー運転手の知識はもはや不足商品でなくなり、運転技術や感覚器官という新規参入者にも備わっている補完的資産の価値が 上昇したせいなのである。
<「AIに雇用を奪われる」とむやみに恐れるよりも、求められるスキルの変化を見定めることが肝要だろう。>
今日、高い報酬を得られるキャリアの多くでは予測が中心的なスキルになっている。医者、金融アナリスト、弁護士などだ。しかし、予測 マシンが道案内をするようになった結果、報酬の高いロンドンのタクシー運転手の収入は減少し、報酬の低いウーパーの人数が増えたのと同じ 現象が、医療や金融で進行すると見られる。
2019/9/3
「世界一『考えさせられる』入試問題」 Jファーンドン 河出文庫
この本は解答付き問題集である。もちろん、すべて、オックスブリッジ(オックスフォード大学とケンブリッジ大学)の入試の面接官 が出した悪名高き難問奇問から選りすぐった。
ということは、すべての質問の主旨は大学側が本当に賢い学生を、つまり<当意即妙の応対ができる学生>を見つけることにある のだから・・・
“Do You Think You're Clever?”
<あなたは自分を利口だと思いますか?>(ケンブリッジ大学・法学)
などという意地悪な質問に、謙虚に「いいえ」と答えたりすれば、利口な人だけが入学を許可される大学から即座に入学を拒絶されてしまう だろうし、だからといって「はい」と答えたのでは、自分は正真正銘の馬鹿であると言っているようなもの。自分は利口だと確信している人は、 ふつう賢明ではないのである。では、いったいどう答えればいいのだろう・・・と、ふだんは知識と経験のストックがあるから、必要最小限の 努力で自動的に応対して用を足しているわたしたちの頭は、たちまち回転しはじめることになる。つまりこれは、そういった類の問題集 なのであれば、
<高層ビルの高さを気圧計を使ってどのように測りますか?>
という質問に、「ビルのてっぺんから気圧計を落としてその落下時間を測る」とか、「ビルの管理人に気圧計を賄賂として渡して高さを教えて もらう」なんて、いかにも馬鹿馬鹿しい答えを、咄嗟の機転を利かして連発するなどというのも、もちろん正しいことにはなるのだが、 それにしたところで、「ビルのてっぺんと下とで気圧を測り、その差から高さを割り出す」という期待される解答は、当然知っての上だ ということは仄めかしておかねばならないし、
<蟻を落とすとどうなりますか?>(オックスフォード大学・物理学)
という質問にも、ありとあらゆる答え方は考えられるが、これは物理学の問題なのだから、蟻の落下に関する科学的考察に的を絞るのが賢明 ということになる。こうした質問に答えるときのコツは、頭に浮かんだ自然な答えを脇に置いて一瞬立ち止まり、その質問の意図が本当はどこに あるのかを考えることなのだ。そんなわけで、<利口になる道への最大の障害は、利口ぶることである。>と、著者はおっしゃるのだが、
「一級薀蓄士(うんちくし)」を自認する暇人としては、本当は利口ではない人が<利口ぶる>ためにも、それなりの努力が必要なのだから、 <利口ぶる>ことだって、利口になるための立派な別ルートなのではないかと信じて、日々奮闘努力しているつもりなのである。
ここに載せた質問に答えるには利口でなければならない――それも、驚くほどに、面白いほどに、刺激的なほどに、苛つくほどに、ずる賢い ほどに、有害なほどに、底知れないほどに、すばらしく利口でなければならない。
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