徒然読書日記201908
サーチ:
すべての商品
和書
洋書
エレクトロニクス
ホーム&キッチン
音楽
DVD
ビデオ
ソフトウェア
TVゲーム
キーワード:
ご紹介した本の詳細を知りたい方は
題名をコピー、ペーストして
を押してください。
2019/8/30
「むらさきのスカートの女」 今村夏子 文藝春秋
うちの近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。いつもむらさきのスカートを穿いているのでそう呼ばれている のだ。
近所の公園には、「むらさきのスカートの女専用シート」と名付けられたベンチまであるというほどに、彼女の存在は知れ渡っていて、ジャン ケンをして負けたら、罰ゲームとしてベンチに座る彼女にタッチして逃げる、という遊びが子供たちの間で流行っているくらいなのだ。公園の そばのボロアパートに住む彼女は、時期によって働いたり働かなかったりするが、働いた日は見るからに顔が疲れ切っていて、どこにも寄り道 せずに帰宅する。今は、朝夕問わず、公園や商店街でしょっちゅう見かけ、常に観察しているわけではないのだが、わたしの見ている限り ・・・
つまり、何が言いたいのかというと、わたしはもうずいぶん長いこと、むらさきのスカートの女と友達になりたいと思っている。
という、自称「黄色いカーディガンの女」は、もちろん「むらさきのスカートの女」ほど自分が有名でないことは自覚しているわけだが、 まるでストーカーのように、その行動を逐一報告してみせるにもかかわらず、全く彼女に気付かれている様子がないのは、一体どうしたわけ なのだろうか?
自分が働く「ホテルの清掃係」の採用面接を受けさせようとする<黄色>の策略に導かれ、同じ職場に通うようになった<むらさき>は、 お世辞にも清潔とは言えない見た目にもかかわらず、意外にも「真面目」で「まとも」という評価を受け、職場の先輩たちに受け入れられて いくのだが・・・
本年度「芥川賞」受賞作品。
<むらさき>という女のある意味奇妙な行動が、微に入り細を穿って語られれば語られるほど、彼女の肖像はどんどん曖昧になって、それを 語っている<黄色>という女の、ほとんど描写されることのないぼんやりとした相貌が、くっきりと像を結んでくるようになる。<むらさき> という補色を背景にして、<黄色>が鮮やかに浮かび出てくる、二人の関係は<ルビンの壺>のような「だまし絵」の絶妙な按配にあるのだ。 職場である事件を起こして姿を消してしまった「むらさきのスカートの女」は、一体どこに行ってしまったのだろう。
気をつけて見ていないと、誰かが勝手に座ってしまうからと、公園の彼女専用シートに自分が腰を下ろすことにした「黄色いカーディガンの女」 は、「そこはわたしの席よ」と言われ、そこに立っているのが、この席の本当の持ち主だとしたら、その時は喜んで席を譲るつもりだった のだが、
子供たちは、いつだって、お見通しなのである。
まさにその時、ポン!と肩を叩かれた。絶妙なタイミングでわたしの肩を叩いた子供が、キャッキャッと笑いながら逃げて行った。
2019/8/27
「昭和16年夏の敗戦」 猪瀬直樹 中公文庫
12月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は 長期戦になり、終局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。
<だから日米開戦はなんとしてでも避けねばならない。>
昭和16年8月27日、首相官邸大広間。平均年齢33歳の<窪田角一内閣>が、2カ月にわたって激論を闘わせた<閣議>の末に到達した、 それが結論だった。
<総力戦研究所>「近代戦は武力戦の外思想、政略、経済等の各分野に亘る全面的国家総力戦なるに鑑み総力戦に関する基本的研究を行ふと共に 之が実施の衝に当るべき官吏其の者の教育訓練を行ふべき機関」として、官民各機関より選りすぐられた若きエリート達に、大学と同じような 講義をいつまでも続けるわけにはいかないと考案された<模擬内閣>に、「日本が南方に石油を獲りにいったらどうなるか」という想定で、 <机上演習>(シミュレーション)を行えという課題が突き付けらたのである。
真剣な面持ちで始めから終わりまでメモを取る手を休めなかったという東條陸相をはじめ、彼らと対峙してこの報告を受けることになった、 <第三次近衛内閣>の閣僚の面々は、その結論に何を思い、どう答えようとしたのか?この二つの内閣の一瞬の交錯は、この後、どのような 展開を生み、何を抱え込んでいくことになったのか?それは<歴史>が証明している。何も変わりはしなかったのだ。
<35人の総力戦研究所研究生にとって、あの“昭和16年夏の敗戦”体験とはなんだったのだろうか。>
研究所入所要件が実社会に出て10年、という基準は、幅広いバランスのとれた判断力を必要条件としたものであったろう。社会を知らない 学生のように性急で観念的でもないし、逆に熟年世代のような分別盛りでもない。そういう知性が、シミュレーションのなかで辿りついたのが、 “日米戦日本匹敗”という正確な見通しであった。
「やるかやらんかといえば、もうやることに決まっていたようなものだった。やるためにつじつまを合わせるようになっていたんだ。僕の腹の 中では戦をやるという気はないんだから」(鈴木貞一・元東條内閣企画院総裁)
「開戦までの半年は、すでに出ていた結論を繰り返して反芻し、みなが納得するまでの時間としてのみ消費された」(高橋健夫・陸軍省燃料課 技術将校)
「やる」という勢いが先行していたとしても、「やれる」という見通しがあったわけではなかったから、みな数字にすがることになったのだが、 <その数字は、つじつま合わせの数字だった。>
いわば、全員一致という儀式をとり行うにあたり、その道具が求められていたにすぎない。決断の内容より“全員一致”のほうが大切だった とみるほかなく、これがいま欧米で注目されている日本的意思決定システムの内実であることを忘れてはならない。
2019/8/24
「そしてミランダを殺す」 Pスワンソン 創元推理文庫
「僕の本当の望みは、妻を殺すことだよ」
僕はジンでしびれた口でほほえみ、相手がこの言葉を信じずにすむように、小さくウインクしようとした。しかし彼女の顔はまじめなまま だった。女は赤みがかった眉を上げた。
「そうすべきだと思う」
空港のバーで偶然隣り合った見知らぬ美女に、酔った勢いで口を滑らせ妻の浮気を打ち明けてしまった富豪実業家のテッドは、なぜか冗談を 真に受け協力まで申し出てくれた彼女に背中を押され、つかまるリスクを大幅に減らした「殺人計画」の歯車を回し始めることになる。
「正直に言うと、わたしは、殺人というのは必ずしも世間で言われているほど悪いことじゃないと思っている。人は誰だって死ぬのよ。 少数の腐った林檎を神の意志より少し早めに排除したところで、どうってことないでしょう?」
「あなたの奥さんは、たとえばの話、殺されて当然の人間に思えるわ」
と、恐ろしいまでにクールな受け答えに終始するリリーは、実は少女時代から今に至るまでに、すでに何度かの「体験」を済ませていた。 こうして、<妻殺し>の企みが着々と進められていく現在に並行して、リリーの<サイコパス>としての性格形成の歴史が、物語の前半で 明かされていくことになる。
注意:(ネタバレとなるので、自分で読んでみたいと思われた方は、これより先へは進まないでください。)
一週間後、わたしは彼に、ときどき夫を殺す夢を見るの、と言った。二週間後、ブラッドはわたしに、もしそうしてほしければ、俺がその 仕事をしてやろう、と言った、それはそんなにも簡単だった。
<彼を引きつけたのはセックスだけれど、彼をつなぎとめたのは欲だった>
住宅の新築を依頼した工事業者のブラッドを、結婚を餌にまんまと唆すことに成功したミランダは、<妻殺し>の物語を<夫殺し>の物語に 反転させてしまうのだが、頭の回転が速く、しかも行動的なリリーによって、<狩る側>だったはずの自分が、やがて<狩られる側>に回って しまったことに、気付かされることになる。
どうしていいかわからず、僕はほほえんだ。こうなったら、あとをつけていたことを認めるべきだろうか?それとも、これはまったくの 偶然だというふりをすべきなんだろうか?彼女は足を止めず、ほんの数インチのところまで近づいてきた。
「ごめんなさい」
テッドとミランダの夫婦の間に起きた事件に関与しているとは思えないリリーが、なぜか些細な嘘をついていることに疑問を持った刑事の キンボールは、執拗に付け回した結果、彼女に刺されてしまった、という体裁で、この物語は予想外の大団円を迎えることになるはずだった のだが・・・
そんなリリーの思惑を打ち砕くことになったのは、保釈を待つ彼女の元に届けられた、アル中療養中の父からの励ましの手紙だった。
そうそう、追伸。この前、書き忘れたんだが、悪い知らせがあるんだよ。実は、うちの隣のあのバードウェル農場が、ボストン在住のまだ 十代のヘッジファンド・マネージャーに売られてしまったんだ。そいつは土地を均して、部屋数57だかの週末用ドヤを建てる気らしい。 もうブルドーザーが何台も到着しだしているんだよ。・・・
2019/8/16
「男性誌探訪」―雑誌で読み解く日本男児の麗しき生態― 斎藤美奈子 朝日新聞社
男性誌とは何か。――これがよくわからないのですね。「これぞ雛型!」という確立されたスタイルが、男性誌にはありそうでない のである。・・・女性誌はよくも悪くも開発の進んだ雑誌界の「先進国」だが、男性誌はまだまだ探索の余地が残る雑誌界の「秘境」だ、と。 都会はどこでも似ているけれど、秘境は気候風土によって、文化も景色もいろいろでしょう?
というわけで、女性誌上で連載した女性誌評(『あほらし屋の鐘が鳴る』所収)の続編のつもりで、次は男性誌やりますか、くらいのかる〜い ノリではじめた、これは、みんなが読んでる「あの雑誌」男性誌31誌をウォッチングしてみました、という女子にとっては未知なる領域への 探訪の記録なのである。
本音(エロオヤジ的劣情)を建て前(知的なパパ的義憤)でコーティングしたカムフラージュ作戦ですよね、これ。・・・いずれにしても、 これが売れ筋の週刊誌だということは、読者の頭の中もこのようになっているのかもしれない。
と、機内誌から外されるヘアヌード掲載誌『週刊ポスト』の、一見水と油のような二つの要素をハイブリッドする絶妙なバランスを揶揄する ところから始まって、
<堅物というか融通が利かないというか、肩の力の抜き方が日本一下手だ。ひと昔前の企業戦士型のお父さんタイプ。実直かつ勤勉。 がんばってるのにもうひとつ報われない。>(『プレジデント』)
<若いときから妙に目配りと要領はよく、取り建てて個性的でも一芸に秀でているわけでもないのに、上には覚えめでたく下にはなれなれしく、 自らのポジションをしっかり確保している人物。>(『文藝春秋』)
<高年齢の男性に支持されているのは、こういう小姑根性的執拗さ、底意地の悪さゆえだろう。小姑根性がいちばん発達しているのは、 ほんとは「男の老人」じゃないかという気が私はする。>(『週刊新潮』)
と「王道」を歩む男の雑誌を片っ端から切って捨てる、いつもながらの斎藤の猛毒を含んだ舌鋒の小気味よさには胸のすく思いがするのだが ・・・、
<はたして彼らの心をとらえる「ヤンキー趣味」とは何だろう。私は「もっとも安いマッチョ」と解釈している。高いマッチョは勘弁だが、 この安さ爆発感は悪くない。>(『ヤングオート』)
<まあ、高級なパチンコですかね。一か所にどっかと座り、釣り堀の管理者が放流してくれた玉(魚)と遊ぶ。大会などでへら師がずらりと 並んださまは、どう見てもパチンコっしょ。>(『月刊へら』)
と、マニアックでディープな世界を見つめる斎藤の目が心なしか暖かいように感じたのは、暇人の気のせいだったのだろうか?そうそう、 『釣り』と言えば・・・
<その気恥ずかしさは、目的(素敵な女性を同伴しての豪華な食事や大名旅行)と手段(そのために必死で情報誌を繰るビンボー臭さ)の間に 横たわる、決定的な乖離というか矛盾に由来する。>
『日経おとなのOFF』が、そんな身も蓋もない失楽園系不倫専門情報誌であることに、まったく気付くこともなく、京都特集を買ってきた のはいつのことだったか?思わず、書店に走って確かめねばと思ったりもしたのだが、この月刊誌はたして「不倫ブーム」が消滅した?今も、 変わらずご活躍なのだろうか?
なにせ、この本自体が今から15年以上も前に買ったものなので、取り上げられている雑誌も、変身を遂げた者や廃刊に追い込まれたものも 多いのである。(なんでそんな本を今さら読了したのかといえば、1階のトイレでしか読まない本なので、月に5ページくらいしか進んで いかないのだ。)
男性誌に限らず、雑誌というのは一種のサークルみたいなところがあって、常連の読者からすると美点も欠点も知り尽くした旧知の間柄、 あうんの呼吸だけでわかりあえる空間である。そこへ部外者が突然ズカズカ踏み込んできて、わかったような口をききくさったら、だれだって おもしろくなかろう。・・・憶測や誤解にもとづく非礼な記述も多々あっただろうに、この場を借りて、みなさまの温情に篤く感謝したい。
2019/8/11
「司馬江漢」―「江戸のダ・ヴィンチ」の型破り人生― 池内了 集英社新書
江戸時代の1750年代から1815年(文化12年)頃にかけて活躍した、司馬江漢という一筋縄ではいかない人物がいた。
<江戸時代の日本を代表する優れた画家であった。>
銅版画(エッチング)の技法を日本で初めて発明して世に広め、さらに洋風画に本格的に取り組んで蝋画(油絵)の手法を日本に最初に確立した 画家だった。その近景と遠景を大胆に調和させる画法は、北斎の「富嶽三十六景」に影響を与え、近代洋画の大家・高橋由一も洋画の先駆者 として高く評価したが、生涯、諸侯や高官に仕えることもなく、作品を売ることを生業としたという意味で、江漢はまさしく「町絵師」として 意気高く生きたのである。
<日本において最初に地動説を世に広め、無限宇宙論の入り口に立っていた。>
押しも押されもせぬ有名な町絵師となった江漢は、絵の修業を名目にした長崎旅行で、西洋文化の合理性に出会い、「世界のなかでの日本」 という視点を得た。江戸に戻り、貪るように西洋紹介の本を読んで「窮理学」に深入りしていった彼は、街角の素人科学者として、人々を 啓蒙することに喜びを見出すようになる。『刻白爾(コッペル)天文図解』など、絵師としての技量を発揮して、地動説や点々と恒星が宇宙に 分布している様子を描いて見せたのだ。
<なぜ、ほとんど忘れられた存在となってしまったのか?>
多彩な才能で多くの分野に手を出し(口も出し)たことが、むしろ「この道一筋」を高く買う日本的伝統のため無視されたこと。学者の論を 学んでそれを広く伝える役割に徹したため、学者の論の方を重んじる気風のなかで、その業績が正式の歴史に書き残されなかったこと。 なにより、口が悪くて傍若無人な振る舞いをし、意識して世間を惑わす事件を引き起こしたため、彼の人柄や行状を良く思わない人も多かった こと。(仲間の批判や悪口だけでなく、時の権力者の松平定信に盾突くようなこともしたため、蘭学仲間からは「こうまんうそ八」と呼ばれ、 疎まれる始末だったとか)
引退宣言をして全作品を売りに出しながら引退はせず、62歳で突然年齢を9歳多く詐称して、そのまま死ぬまで押し通し、67歳で頭を丸めて 僧になり、自らの死亡通知をチラシで人々に配るなど、晩年に至ってからの奇妙な行動だけ取り上げてみても、この人物「ただもの」ではない のである。
え?それにしたって「ダ・ヴィンチ」は褒めすぎだろうって?いやいや、案外ダ・ヴィンチだって、こんなような「愛すべき」変人だった ような気がするなぁ。
江漢の多才ぶりたるや、まるでルネサンス期のダ・ヴィンチのようではないか。この本の副題に「江戸のダ・ヴィンチ」という表現を用いた のも、彼の多芸多能な側面に焦点を当てて世に紹介したいと思ったからである。
2019/8/5
「幻覚の脳科学」―見てしまう人びと― Oサックス ハヤカワ文庫NF
「幻覚」という言葉の厳密な定義は、いまだに状況によってかなり異なるが、その理由はおもに、幻覚と誤知覚と錯覚の境界線を 見定めるのが、必ずしも容易ではないことにある。しかし大まかに言うと、幻覚は外的現実がまったくないのに生まれる知覚、つまりそこに ないものを見たり聞いたりすることである。
「東洋風のゆったりした衣装を着た人たちが、階段を上がったり下りたりしていて・・・柔らかい雪がクルクル回っていますね。」
そんな映画のようなシーンが、突然目の前にリアルに見えるようになったと訴えるロザリーは、数年間まったく何も見えていなかった、全盲の 老婦人だった。失明した人が幻覚を見るのは珍しくはなく、視覚を失ったことへの脳の反応で、その幻影は「精神病」ではなく、 シャルル・ボネ症候群と呼ばれる病気なのである。
「煙、化学薬品、尿、かびみたいなのは序の口で、ひどいのは大便、へど、こげた肉、腐った卵に似ている。私の脳は本当に新しい境地に 達したのだ」
鼻炎にかかって強力な鼻スプレーを使ったあとに、強くなったり弱くなったりはするが、けっして消えない「変な」においに追いかけられる ようになったボニーは、考えられる外因をいくつも探したすえに、しぶしぶながら、においは自分の頭の中にある「幻臭」であることを認め ざるを得なかった。
「その声は大げさなものではなく、内容も気がかりなことではなかった。単純な命令をする。たとえば、グラスをテーブルの片側から反対側に 移せとか・・・」
それでも、13歳で「声」を聞き始めたというスミスの父親は、その声にしたがっているうちに、彼の内面生活は耐えがたいものになっていった という。多くの統合失調症患者が聞く「声」が、責めたり、脅したり、する傾向があるのに対し、正常な人たちに聞こえる「幻聴」は、たいてい ごく平凡なものなのである。
「庭で遊んでいると、目もくらむほど明るい閃光が左側に現れ、広がって、地面から空へと大きく弧を描いた。くっきりした縁はギザギザで 光っていて・・・」
記憶にある最初の発作が起きたのは3歳か4歳のときだったという、著者のオリバーはそれ以降、人生の大半を片頭痛とともに過ごしてきた。 特徴的なジグザグの形が中世の要塞に似ているので、要塞スペクトルとも呼ばれる、この視覚的な前兆を見たあとに、ひどい頭痛に襲われる 人が多いのだという。
「何が起きているのかきちんとわかっているのですが、なぜか自分が自分の体のなかにいないように思えるのです。」
「二重意識」と呼ばれるこの感じが起きると、痙攣が来るだろうとわかるのだと、中年プロ歌手のセルマは癲癇発作の前兆について語っている のだが、「同時に二つの場所にいるのに、どこにもいないように感じる」この感じは、実は幼い時に頭に重傷を負った暇人も、若かりし頃に 何度か経験している。
というわけでこの本は、『妻を帽子とまちがえた男』、『火星の人類学者』などで、様々な神経症状を示す人々との臨床経験と出会いを、共感的 にそして魅力的に描いてきた脳神経科医が、ひどく不名誉なこととして自分の「幻覚」体験を認めたがらない人が多い患者たちとの対話のなか から、じっくりと紡ぎだして見せた、脳機能を解明する上での貴重な手掛かりの玉手箱ともいうべき、珠玉の医学エッセイなのである。
多くの文化は幻覚を、夢と同じように特別な意識状態と見なし、到達できるのは幸運なことと考えて、精神修養、瞑想、薬物、または孤独 によって、積極的に求めている。しかし現代の西洋文化においては、狂気の兆候か、脳に悲惨なことが起こる前触れとされることのほうが多い ――大部分の幻覚には、そのような暗い意味合いはないのだが。
先頭へ
前ページに戻る