徒然読書日記201906
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2019/6/25
「漢字の字形」―甲骨文字から篆書、楷書へ― 落合淳思 中公新書
漢字の歴史はきわめて長く、約4千年にわたって使われ続けてきた。殷王朝の甲骨文字や西周王朝の金文、秦王朝の篆書などを経て、 現在の漢字(楷書)が作られたが、その長い歴史の中で、漢字の字形は大きく変化してきた。
<「犬」は、なぜこれが動物の犬を表すのか?>
一画目の前半が前足、二画目の前半が頭部のうち下あご、後半が後足であり、三画目が胴体と尾にあたる。四画目の点は、「犬の耳」とする説 もあるが、一画目の後半とともに上あごを形成していたものが分離した部分なのである。つまり、「犬」は上部に頭、左側に足がある、動物の 犬の姿を文字にしたものなのだが、楷書の形からこれを理解することはとても難しい。では、なぜそんなことがわかるのかというと・・・
殷の時代に使用されていた最も古い甲骨文字では、上部に耳のある頭、下部に尻尾、左側に爪のある足が表現されており、まさしく巻いた尾の ある犬だったのだが、その後長い時代を経て、西周(金文)→東周(鳥文)→秦(篆書)→隷書→楷書と、字形を継承しながら連続的に変化し て「犬」になったことが読み取れるからだ。
というわけでこの本では、多くは小学校で習う教育漢字を取り上げ、個々の漢字がどのように作られ、なぜ現在の形が「そうなっている」かを 説明してみせる。
ここで用いられるのが「字形表」。
漢字の成り立ちについて、各時代の字形を丹念に集めて一覧表とし、見開きの2ページで1文字(または2文字)の字形を、その継承関係に 注目しながら、誰の目にも明らかな形で示してくれるのだが、この「各時代の字形」を一文字ずつ丁寧にフォント化する作業の方が、文章を 書くよりも時間がかかったという、著者手作りの力作なのだ、と聞かされれば、
「牛」の角が片方だけだったり、
「馬」のたてがみがなびいていたり、
「象」は鼻から書かれていたり、
「本末」が転倒していたり、
「人」は、一人で立っていたり、
などなど、まさに漢字が発散するヴィジュアルの魅力に、改めて驚かされこと請け合いの、眺めて楽しい漢字の宝石箱なのである。
本書では、見た目によって作られた文字(象形文字)や、記号を用いた文字(指事文字)など、比較的わかりやすいものを中心に取り上げた。 しかし、漢字には多様な成り立ちがあり、終章で紹介したような複数の字形を組み合わせた文字(会意文字)のほか、発音符号を用いた文字 (形声文字)なども数多く存在する。・・・機会があれば、それらについても字形の歴史を紹介してみたい。
2019/6/21
「感情天皇論」 大塚英志 ちくま新書
天皇の位を生前に皇太子さまに譲る意向を示している天皇陛下が、8月にお気持ちを表明する方向で宮内庁が調整していることが、 関係者への取材で分かった。・・・天皇はかねて「象徴としての天皇の地位と活動は一体不離」との姿勢を示し、公務を重視してきた。近年は 年齢に伴う体力的な不安をごく親しい人たちに話すこともあり、天皇としての務めを全うできなければ退位もやむを得ないという意向を伝えて きた。(『朝日新聞』2016年7月29日夕刊)
<人は何故、ことばで思考をすることを感情の共感をもってサボタージュしてしまうのか。>
「私はこれから一人の個人として、これまでに考えて来たことを話したい」という天皇の「意志」が、「お気持ち」という感情の領域へとすり 替わっていくこと。それは、象徴天皇が可能にする「国民の統合」という公共性のあり方なんて、主権者である私たちはそもそも考えたくない ぞ、というサボタージュの選択である。というこの本は、『感情化する社会』(太田出版)で、「スマイル0円」という無償の労働を「感情 労働」という切り口で鮮やかに描出して見せた著者による、天皇の「おことば」を正しく理解しようとしたことに端を発した、終わりの「平成 天皇論」の試みなのである。
相手の「感情」に作用させるために、自分の「感情」を用いる「感情労働」は、対価を伴わないがために気高いものとして持ち上げられること になるが、その一方で、本来の「労働」の専門性は自明のこととして、それに付帯する当然のオプションとして、それ以上に期待されることに もなる。
ただ「国民の安寧と幸せを祈る」だけでなく、「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて 来ました。」という「おことば」は、象徴天皇制とは天皇及び皇后による「国民」に対する「感情労働」だという考えに、明仁天皇は至った のだと理解できるのではないか。そして、国事行為以外に「感情労働」が象徴天皇としての「機能」であり、その「機能」を高齢となった自分 が果たせないのであれば、「機能」の継続性を担保するために退位を制度化してほしいという、「象徴天皇制の継続性を担保する制度化」を、 彼は訴えていたのではないのか。しかし、国民の多くの反応は「退位したい」という「お気持ち」に同情的だった。つまり、「考え」を「感情」 としてしか受け止められなかったのである。
「明仁天皇の時代」(皇太子妃との結婚以降)を通じて私たちが「天皇」について考えることをいかにサボタージュしてきたのか。
「投石少年」(御成婚パレード)を描いた、三島由紀夫、石原慎太郎、大江健三郎のテキストや、
「シン・ゴジラ」、「ゆきゆきて、神軍」、「新世紀エヴァンゲリオン」などが描き出した表現。
文学や映画を通じて天皇をめぐる時代精神を抽出していく、自家薬籠中のオールドスクールな「批評」という方法を駆使した、スリリングな 展開は、是非ともご自分で当たっていただくとして、(つまりここでご紹介したのは、長い論証のほんの序文にすぎないのである。)天皇家の 人々の「個人となる権利」を私たちが奪い続けてきたことを解き明かす、こうした丁寧な論証の末に、この屈指のサブカル批評家が辿り着いた 結論は、<天皇制を断念しよう。>という、至ってシンプルなものだった。
いいかげん天皇家の人々の人権を損ない、そして、それを担保に私たちが公共性を自らつくり得る個人となることへの怠惰を私たちは止める べきである。天皇の感情労働に慰撫され続ける「甘え」を断念すべきである。そうしないと永遠に私たちは近代を迎えられない。
2019/6/13
「ビッグ・クエスチョン」―〈人類の難問〉に答えよう― Sホーキング NHK出版
困ったことに、たいていの人は、本物の科学は難解でややこしく、自分にはとうてい理解できないと思っている。しかし・・・ 数式を使わずにわかりやすく説明されれば、たいていの人は基本的な考え方を理解し、意味を受け止めることができる。
<私はそれが可能だと信じているし、その努力を楽しみながら、これまでの人生を送ってきた。>
というこの本は、ずっとビッグ・クエスチョンに強く心を引かれながら走り続けてきたという、「車いすの天才」ホーキング博士が、いまだ 誰も解き明かしていない<究極の問い>に生涯をかけて挑み、後に続こうとする者たちに明快な方向を指し示してくれた最後の贈り物なので ある。(博士は2018年3月14日に、76歳で「思いがけない贈り物」と呼ばれた奇跡のような生涯を閉じたのだ。)
<神は存在しますか?>
お好みならば、科学法則を「神」と呼んでもいいですが、その神は、会って質問できるような人格神ではありません。
<ビッグバンの前には何があったのですか?>
それを問うことは、南極点のさらに南には何があるのかと問うのに似ています。時間の概念があるのは、私たちの宇宙の内部だけなのですから。
と、なるほど数式を使わない易しい語り口はとてもわかりやすく感じるけれど、語られている内容を真剣に理解しようとすると、途端に途方に くれてしまうし、
<宇宙には人間のほかにも知的生命が存在しますか?>
そもそも地球上に知的生命なんているのでしょうか?というのは冗談としても・・・
なんて、時にお茶目な回答が飛び出したりする(隙あらば、イギリスのブレグジット政策やトランプ大統領誕生への揶揄の機会を伺っている 節さえある)のは、「自分が世界でもっとも有名な科学者のひとりになったのは、<障がいを持つ天才>というステレオタイプにぴったり はまったからだ。」と嘯いてみせる博士の、本領発揮という場面であったとしても、そこで示されることになる回答自体は、決して不真面目な ものではないのである。
<ブラックホールの内部には何があるのか?>
<タイムトラベルは可能なのか?>
といった専門分野の解説となると、さすがに<事象地平の面積>や<時間順序保護仮設>などの専門用語が飛び交う、博士の独壇場の世界に 突入することになるが、ブラックホールに落下してブチブチに引きちぎられる寸前に無事帰還することさえできるのであれば、そんな気分を 味わってみるのも、読書の醍醐味というものだ。
最後に言いたいのは、基本粒子の集まりにすぎない私たち人間が、自分たち自身を支配する、そしてまた私たちのこの宇宙を支配する法則を 理解できるようになったという事実は、偉大な功績だということだ。私は本書に取り上げたビッグ・クエスチョンを考えると胸が躍るし、 それらを探究することに情熱を傾けている。その興奮と情熱を、みなさんに伝えたいのだ。
2019/6/11
「戦後最大の偽書事件」―「東日流外三郡誌」― 斉藤光政 集英社文庫
昭和22年の深夜、突然に天井を破って落下した煤だらけの古い箱が座敷のどまんなかに散らばった。家中みんながとび起き、煤の 塵が立ち巻く中でこの箱に入っているものを手に取って見ると、毛筆で書かれた(中略)数百の文書である。
紀元前7世紀、日向高砂族王国の佐怒王の東征により、津軽へと亡命した邪馬台王国の安日王は、先住民である津保化族と合流し、新たな北の 王国が成立した。つまり、津軽に『古事記』や『日本書紀』に登場しない古代王朝・荒覇吐(あらはばき)王国があり、これがのちに蝦夷と 呼ばれることになった、というのだ。やがて蝦夷の首長となった安倍一族の、あまりに強大な勢力を恐れた大和朝廷は、源氏の棟梁である 頼義・義家父子にこれを征伐させる。(前九年の役である)その後、安倍氏の末裔は安東と名を変えて全国に分散しながら、自分たちの先祖を 滅ぼした朝廷に対して敵愾心を持ち続けた、という物語の記録なのである。
「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」。
1975年、中世の国際港湾都市として発掘調査が進む十三湊を有する青森県五所川原市の市浦村は、その安東氏が支配した村であったという 縁もあり、この正史には登場しない津軽の闇の古代・中世史を、敗者の視点から記した「門外不出」「口外無用」の“古文書”という触れ込み で、村の公史として世に出した。公的資料というお墨付きを手に入れた「外三郡誌」は、折からの超古代史、古史古伝ブームとも相まって、 一部の歴史ファンから熱狂的に迎え入れられることになる。
「天井を突き破って落ちてきた長持ちのなかに入っていた」この謎の古文書の由来について、江戸時代後期から代々伝わる「秘密の書」である と主張し続けた、“発見者”の和田喜八郎は、安東氏の末裔・秋田家の命を受け、各地に残る伝承を収集した和田家の子孫で、五所川原市の 荒覇吐神社を守る家柄だといい、秋田家に残された「外三郡誌」(368巻)の原本は火事で焼失し、その副本(寛政原本)が結果的に和田家 にのみ伝えられることになったのだという。
ただし、今回発見されたのは、喜八郎の曽祖父と祖父らが明治以降に書写した「複製本」だった・・・というあたりから、だんだん話が怪しく なり、その後、和田家からはほかにも次々と古文書が“発見”され、最終的には二千巻にも達したとされる「和田家文書」の真贋が問われる 事態に発展していくのである。
というわけでこの本は、地元・東奥日報の青年司法担当記者が、1992年の訴訟をきっかけに追いかけることになった、「偽書事件」の顛末 の記録なのだが、
・江戸時代成立のはずなのに明治以降の新語が出てくる。
・字体には戦中に教育を受けた者の特徴が見られる。
・戦後に生産された版画用の和紙が使われている。
などなど、和田本人が書いたものである証拠は明白であるにもかかわらず、泥沼の論争は終息することもなく、綿密な取材に多大なる労力と 時間を要したという意味で、これは、<戦後最大の偽書>だったのである。
「何もない・・・。やっぱり、何もありませんでした。もともと、この家には何もなかったんです。そもそも、天井裏は物を隠せるような構造 にはなっていないんですよ。」
この古びた一軒家が、それも今、原田(広島の偽史研究家)がのぞいたばかりの天井裏こそが、「戦後最大の偽書」と呼ばれる『東日流外 三郡誌』が“発見”されたとされる場所にほかならなかった。
2019/6/2
「地面師」―他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団― 森功 講談社
(積水ハウスの社員が)旅館の周辺に赤いカラーコーンを配置し、測量を始めようとした。その矢先の出来事だ。とつぜんパトカー がサイレンを鳴らして駆け付け、周囲が大騒ぎになったのである。
それは2017年6月1日、JR山手線の五反田駅から徒歩3分、目黒川を渡ったところにある旅館「海喜館(うみきかん)」の玄関先での 出来事だった。これが、およそ600坪の土地売買に絡んで、63億円もの大金をニセ地主に支払ったという、紛れもなく史上最大の「地面師 詐欺」の現場なのだが、取引経験や知識も豊富な、日本屈指のデベロッパーでもある積水ハウスは、なぜこうも簡単に巨額の不動産代金を騙し 取られてしまったのだろうか。
<地面師>=他人の土地を自分のもののように偽って第三者に売り渡す詐欺師(大辞林)
終戦間もない混乱期のドサクサに跋扈した彼らが、再び徒党を組んで暗躍するようになったのは、都心の地価が狂ったように跳ね上がった バブル期だった。その後鳴りを潜めていたはずの伝説的な詐欺集団が、昨今、またもや東京の都心や大阪で蘇り、不動産のなりすまし詐欺は ピークを迎えているのだという。
「地面師」のグループは、犯行計画を立てる「主犯格」のボスを頂点に、概ね10人前後で構成されている。
なりすまし役を見つけ、演技指導までする「手配師」。
パスポートや免許証などの書類を偽造する「印刷屋」。
振込用の銀行口座を用意する「口座屋」。
法的手続きを担う弁護士や司法書士の「法律屋」。
などなど、それぞれがそれぞれの役割を分担して犯行にのぞんでいるのだ。(ちなみに、弁護士は本物の弁護士なのである。)
本書で取り上げられたいくつかの事件にたびたび顔を出す、主犯格の大物地面師・内田マイクや北田文明、そして大物手配師・秋葉紘子などは 実名である。つまり、彼らは顔と名前が知られた有名な地面師ということになるが、もし逮捕されたとしても不起訴か、せいぜい微罪で服役し、 すぐに「職場」に舞い戻ってくる。(積水ハウス事件の首謀者として、顔と名前を堂々とテレビに曝しながら、まんまとフィリピンに高飛び してみせたカミンカスこと小山操もその口だろう。)
「なりすまし犯の多くは、事件における出来事は断片的にしか覚えていない。いざ、なりすまし役を逮捕しても、証言能力に乏しいケースが 少なくありません」
たとえば、秋葉紘子が日頃は介護施設などの清掃員として働いているのは、認知症の高齢者などの中から「はまり役」をスカウトするためでは ないか、という。狙いを定めた物件の所有者の個人情報を得るため、駐車場の契約を結んで生年月日や電話番号、印鑑証明や住民票を入手 したり、休眠会社を買い取って、売買代金の手付金を振り込ませるためのニセ口座をつくったりと、下準備にかける時間と労力は惜しまない。 この辺りのことは、先にご紹介した
『老人喰い』
と似たような事情のように思うのだが、大きく異なるのはそのスケールの大きさなのである。
地面師集団は、弁護士や司法書士がそこに加担し、法の網からすり抜ける術を研究し尽くす。そのうえで、高値の土地持ちを狙い、億単位 の資産をかすめ取る。彼らにとって、被害額が数十万からせいぜい数百万のオレオレ詐欺とは2ケタも3ケタも違う、いかにも効率のいい仕事 だ。そんな闇の住人たちは、なかなか根絶やしにできない。
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