徒然読書日記201905
サーチ:
すべての商品
和書
洋書
エレクトロニクス
ホーム&キッチン
音楽
DVD
ビデオ
ソフトウェア
TVゲーム
キーワード:
ご紹介した本の詳細を知りたい方は
題名をコピー、ペーストして
を押してください。
2019/5/31
「イスラム教の論理」 飯山陽 新潮新書
世界には様々な価値観を持つ人々がいます。・・・私たちは一般に、それを「多様性」という言葉で肯定的に受け入れます。しかし 世界にはこの「多様性」を否定的に捉え、世界はひとつの価値観に収斂されなければならないと考える人々もいます。
<イスラム教という宗教は後者に属します。>
2014年、既存の世界秩序を否定する勢力が突如登場し、カリフという指導者が神の法によって世界を一律に統治するカリフ制の再興を 宣言した。<イスラム国(IS=Islamic State)>である。
「神は我々に神の敵と戦うよう、神の道においてジハード(聖戦)をするよう命じられた。・・・『騒乱がなくなるまで戦え。そして宗教 すべてが神のものとなるまで(コーラン第8章39節)』」
指導者バグダーディーが、カリフとして初めて行ったモスルの大モスクでの説教に鼓舞されるかのように、イラク、シリアを中心に燎原の火の ごとく広がった勢力は、イスラム過激派の「テロ集団」であり、「平和の宗教であるイスラム教の教えとはまったく一致しない」とヨーロッパ のイスラム教指導者たちからも非難され、2017年にはイラクのモスルとシリアのラッカという二大拠点を駆逐されたことで、その勢力は もはや下火という観測も出始めるようになったのだが・・・
<彼らが世界中に蒔いた火種が完全に消えることは、少なくとも近い将来にはありえません。>
なぜなら、「イスラム国」は世界中のイスラム教徒たちが忘れかけていた神に命じられた理想を思い出させ、その実現が夢ではないことを 証明したからだ。というのが、この気鋭のイスラム思想研究者が、イスラム法の文献解読とフィールドワークを通して、イスラム教徒自身の イスラム教への認識を学ぶことで、現代のイスラム教徒にとって世界はどのように見えており、それが私たちの世界認識とどのように異なって いるかということを踏まえたうえでの、結論なのである。
「いつか神の法が世界を統治する日が必ずやってくる」という「確定された未来」(神が世界をそのように作ったのだ)を信じていることを 考慮に入れなければ、
・なぜイスラム教徒はテロをおこすのか?
・なぜ「イスラム国」のようなイスラム過激派に共鳴する人があとをたたないのか?
・なぜイスラム教徒は自爆などという暴挙に及ぶのか?
といった、多くの日本人が素朴に抱く疑問に、なにひとつまともな回答を与えることはできないというのである。
国や地域の枠組みを越えて全イスラム教徒がひとりの指導者のもとに結束し「ジハード」を実行すること。それこそが、あるべき理想的な イスラム共同体像である、と思い起こさせる誰かが存在し続けること。神がそれを目指すよう命じている以上、それを志向することは、あなた にとっては不自然かもしれないが、イスラム教徒としては「自然」なのである。
イスラム教徒にとってのイスラム教は、神が人間に恩恵として与えた導きです。神の恩恵であるイスラム教が、人間の産物である民主主義に 優越するのは、彼らにとっては「当然のこと」です。
<神は全知全能だからです。>
2019/5/28
「墓が語る江戸の真実」 岡崎守恭 新潮新書
忠臣蔵で吉良上野介の屋敷に討ち入った赤穂浪人は47士である。このうち幕府の命で切腹したのは46人。浅野内匠頭の菩提寺と して名を知られる江戸の高輪泉岳寺にある墓石は48基。
<47士のうち、泉岳寺に引き揚げる途中で寺坂吉右衛門だけがいなくなったことはよく知られている。>
もともと46基だった墓石がすぐに47基になったのは、切腹した46士に、志を果たせぬまま討ち入り前に自刃した、萱野三平の墓が 加わったからだ。(歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』で腰元のお軽と駆け落ちの末、自害に追い込まれることになる早野勘平のモデルである。) そんな泉岳寺の墓石に寺坂のものが加わって48基となるのは、慶応4年が明治元年に切り替わった時。ようやく「怖くて逃げた」という 汚名が晴れたのか・・・いえいえ。
墓石に刻まれた赤穂義士たちの戒名を見ると、
大石内蔵助 刃空浄剣居士
堀部安兵衛 刃雲輝剣居士など、
どの墓も冒頭が「刃」、最後が「剣」なのに、寺坂吉右衛門の戒名だけは、「遂道退身信士」と墓石までがなんとなく「逃げた人」っぽいの だった。(遺族の面倒を見てもらうために皆で頼んで逃げてもらったという説もあり、「道を遂げ身を退く」と呼んでほしいそうです。)
<墓石は歴史を知り、語りかけてくる。>
歴代当主とその正室の墓が並ぶ中、1カ所だけ「殿様と愛妾」が隣り合う。幕末薩摩藩の世に言う「お由良騒動」の血塗られた歴史を偲ばせる 島津斉興の墓所。
高野山奥の院に信長、秀吉、家康をしのぐ「一番石」の供養塔を建てた、三代将軍家光の兄・徳川忠長の母・お江への強い思い。
「死して後も天下の政道を見守りたい」という遺言に従って、卵塔と呼ばれる電球を縦に立てたような墓石の四方に大きな穴が穿たれた、 春日局の湯島麟祥院の墓。
藩祖・利家と賢夫人・おまつが、野田山の自分たちの墓よりずっと高い地点に置くことで示した、信長の無理強いで当主を譲らされた 長兄・前田利久への気配り。
などなど、これは新聞社の政治記者として、時の首相や実力者の選挙遊説などに同行しながら、一行が寝ているうちに出かけてひとり尋ねた という、「研究者」でも「旅行者」でもない、正直に言えば歴史好きの「出張者」なればこそ提供できたに違いない、いささか変わった視点 から掘り起こした「歴史の豆知識」満載の、一服の清涼剤のような「歴史漫遊禄」の快作なのである。
長い年月を経て、刻まれた文字が読めなくなったり、一部が欠けてしまったりしているものもあるが、本当に昔のままなのは墓域、 とりわけ供養塔を含む墓石である。しかもその刻字、その配置、その規模、その由来などから、歴史のシーンがしのばれるどころか、 くっきりと浮かび上がってくるものも多い。
2019/5/23
「最後の秘境 東京藝大」―天才たちのカオスな日常― 二宮敦人 新潮文庫
ブラジャーを仮面のように顔につけ、唇と爪は赤く彩られ、上半身はトップレス。乳首の部分だけ赤いハートマークで隠し、下半身は 黒いタイツで、その上にピンクのパンツをはいている(仮面ヒーロー「ブラジャー・ウーマン」)
――藝大の構内を歩いていると、そんな人に出くわすという。
上野駅から様々な文化的施設が立ち並ぶ公園を抜けると、左側が“美校”と呼ばれる美術学部、右側が“音校”と呼ばれる音楽学部に行きつく。 どちらも国内最難関で志願倍率は7.5倍(最高は絵画科の17.9倍)、「芸術界の東大」と呼ばれ三浪くらいは当たり前という、ここが東京藝大の キャンパスなのである。
真冬の深夜、顔面に半紙を貼りドライヤーを当て乾かして、彫刻科の等身大全身像の課題のために、自分の型を取ろうとしていた<現役藝大生 の妻>。「とにかく妻が、面白い」ことが、芸術とは縁の薄い方だった小説家の著者が、藝大に潜り込むというルポに取り組むことになる きっかけだったのだが・・・
まずは道具からと、なんでも自分で作ろうとする人たち(美校)と、指は商売道具だからと、仕送り50万で洗い物さえしない人たち(音校) という、見た目も、雰囲気も、性格も、そして、おそらくこれまで歩んできた道筋も、まったく正反対に近い人たちが、同じキャンパスに 同居しているのだから、
藝大の生協には、指揮棒(消耗品なのか?)とガスマスク(樹脂加工の際使うらしい)が並べて売られている、
美校と音校の合同教授会議では、時間厳守の音校に対し、ルーズな美校の教授陣は、ほぼ全員遅刻らしい、
「全音符の書き順をこたえよ」(音校)、「自分の仮面を作りなさい」(美校)なんて、入試の過去問があった、などなど、
常人にはうかがい知ることのできない天才たちの、彼らにとってはごくありきたりの毎日が、記されていくことになる。
中学でグラフィティにはまって警察に補導され、鳶職からホストクラブ経営者へと転身しながら、刺青を学びたいと日本画科を目指した人も いた。
国際口笛大会のグラチャンとして、「藝大に口笛で入った男」は、口笛をクラシック音楽に取り入れる方法を真剣に研究しながら、これは遊び だという。
平成27年度の卒業生486名のうち、168名が大学院などに進学し、225名は「進路不明」とある。
「ある意味、就職してる時点で落伍者、といった見方もあるのよ。就職するしかなかった、ということだからね。あいつは芸術を諦めた。 みたいな・・・」
とりあえずいろいろな人に話を聞き、全体像を把握してから、ピアノとか、油画とか、主要な人物をピックアップして文章にしていこうと 考えていた著者は、取材を進めるうちに、それが大いなる勘違いであることに気付かされることになる。
<そもそも藝大に「主要でない学科」などなかった>のである。
一人一人がオリジナルであり、各分野に奥深い世界が広がっていた。このあたりで僕は、これを一冊の本にするのは不可能ではないかと 冷や汗を流し始めました。
2019/5/18
「ナツコ」―沖縄密貿易の女王― 奥野修司 文春文庫
「ヘヘッ、ナツコはよ、あれは闇商売の親分よ。何をやるにもいちばん。大の男がナツコに命令されたら、ハイどころか、ウッウッ としかいえなかったさぁ。あれは女傑のなかの女傑よ」
<沖縄に大密貿易時代とでもいえるような一時代があったことなどまったく知らなかった。>
1945年(昭和20年)、焦土と化した沖縄は着るものも食べるものも、そして住む家もないという惨憺たる世界だった。占領下「政府間 取引き」に制限された海外貿易が早々と解禁された日本本土に対し、沖縄ではじつに5年以上も禁止されて、鎖国状態に置かれることになった のは、生産手段がすべて破壊された沖縄の事情に鑑み、本土攻略を想定して揚陸した膨大な物資を、配給すればこと足りると米軍が考えたから だろう。そこに自然発生的にはじまったのが、「バーター」と呼ばれた物々交換による「密貿易」だった。
台湾、香港、マカオ、上海、与那国、口之島、鹿児島、神戸、横浜と、自分の命を担保に粗末な舟を仕立て、東シナ海や太平洋をわがもの顔に 往き交った、そんな海人(ウミンチュ)には、しかし交換できるものなどありはしなかった。そこで・・・彼らは物資を保管する米軍キャンプ から、ありとあらゆるものを盗んできては、これを「センカ(戦果)」と称して輸出したのである。
海人(漁師)の町糸満で生まれた、30代の小柄で美しい女性・金城夏子が、その手腕と度胸と情報収集力を駆使して、いつしか女親分・ ナツコとして、嬉々として従う巨漢の男たちを顎で使いまわすように成り上がっていった時代。沖縄中がヒステリー状態になったように、 子供から老人までこぞって密貿易にかかわった、「ケーキ(景気)時代」と呼ばれるその異様な時代は、1946年から琉球輸入品の関税が 撤廃された51年までの、わずか6年間の「貧しかったが、夢があった」時代だった。
結局、わずか38歳で病を得てこの世を去ったため、ナツコが一瞬の光芒を放っていたのは、戦後のわずか8年間にすぎなかったことになるが、 終戦当時20歳以上のウチナンチュウなら、聞き覚えのないものはいないほど著名なナツコが、沖縄の戦後史に一切登場しないのはなぜなのか? 密貿易という言葉が表沙汰にできなかったために、その時代を風靡した「大スター」金城夏子は、同時代を生きた人たちの記憶の中に消滅 しようとしているのか?
これはぎりぎりのタイミングでいきなりあらわれた、よそ者のヤマトンチュウだったからこそ聴取することができたに違いない、もはや 数少なくなった生き証人たちの記憶の底から、半世紀ぶりに引き揚げられた、奇跡のような「沖縄の夢」の痕跡なのだ。
「もういちど、あの時代がこないかねえ」
沖縄では「唐代」があり、琉球処分以降の「ヤマト世」があり、敗戦後の「アメリカ世」から復帰後の「ヤマト世」と、時の統治者に翻弄 されるだけで、自らの時代である「ウチナー世」はなかったといわれる。しかし誰の支配も受けず、誰の手も借りず、占領軍に対抗して自分 たちの持てるエネルギーを存分に発揮して生き抜いた密貿易の時代こそ、「ウチナ―世」ではなかったか。
<そんななかで金字塔のように輝いていたのが夏子だった。>
2019/5/14
「絶滅できない動物たち」 MRオコナー ダイヤモンド社
ごく最近まで、人間は種の絶滅を真剣に受け止めていなかった。・・・文明のどの時点にせよ、種が絶滅することもあり得るなんて、 誰ひとりとして考えてもみなかった。子どものころ、わたしの心に植えつけられた環境の倫理観は、100年前のほとんどの人にはおそらく 意味不明だろう。
第一に、<絶滅はよくないことだ。>
第二に、<絶滅から種を救うのはいいことだ。>
20世紀初めに種は尊重されるべきという倫理観が現代人の心に芽生え、1960年代に環境運動が盛んになると、種を救う議論の要となった のは<絶滅の脅威>だった。・・・はずだった。しかし、そう思い込まされてきたジャーナリストが、世界の「自然保護」の現場を駆け巡り、 目にしたものは、絶滅の危機に瀕する動物たちと、その動物を発見し、追跡し、執着し、哲学的に考察し、救いだし、復活させようとする人間 の、格闘の物語だった。
遺伝的多様性が失われて大きく数を減らしたフロリダパンサーは、人間が放った別種のピューマと交雑することで、かろうじて生き延びる道を 選ばされたのか。
人間の意図的な介入によって、わずか30年で別種の淡水魚へと進化したホワイトサンズ・パプフィッシュは、絶滅の危機から救われたと 言えるのか。
飼育下で生息する10羽のみとなったハワイガラスの冷凍保存された遺伝子から、枝を使ってエサを探すという「聖なるカラス」の「文化」は 再生できるのか。
50億羽もいながら乱獲が原因でたった100年で絶滅したリョコウバトは、絶滅させた張本人である人間によって、ゲノム編集で復元され ようとしている。
わたしたち人間の近い親戚であるネアンデルタール人ですら、その「復活計画」はもはやSFの世界の話ではなくなりつつあるのだという。
脱絶滅に取り組んでいる個々の人間は素晴らしいし、見ならうべき刺激的な人々もいることはいる。だが、人間が現存の種とやっとのこと で共存している時代に、復活させた動物を世界に戻す方法を示した者はそういない。
ブロンクス動物園の「爬虫類の部屋」の陸生飼育器に閉じ込められて、人工噴霧システムと餌用に特別飼育された虫を与えられて保護されている 十数匹の黄色いカエル。生息地だったタンザニアの熱帯雨林の滝に、水力発電ダムができたため野生集団が消滅したキハンシヒキガエルの、 それが現在の飼い殺しの姿なのだが、カエルを絶滅の危機から救うのにこれだけの手間をかけたところで、もう滝に完璧に適応したあの珍しい 生態を取り戻すことはできないのであれば、
「人間はこのカエルを絶滅に任せるべきだったのではないか」という、昔なら野蛮と思ったに違いない考えを抱いてしまったというのが、 この著者の率直な思いだったのである。
最終的に、リスクを正当化するだけの明確で説得力のある倫理的な主張を提示した脱絶滅の例は、ほとんどわたしの耳に入ってきていない。 多くは、技術、死にゆく運命、世界の終焉に執着している現代の側面を反映したもののように思える。ときどき、脱絶滅の議論は、進化と絶滅 は表裏一体ということを精神的に否定しているのでは、と感じられる。わたしたちが種として生きのびるのを支えるために天然資源を搾取する 道を選ぶ以上は、絶滅はわたしたちが進化する代償ということになるのだろう。
2019/5/8
「不自然な宇宙」―宇宙はひとつだけなのか?― 須藤靖 講談社ブルーバックス
いつもは見過ごしがちですが、世の中は数多くの不思議な物事で溢れています。そしてそのほとんどは、解明されることなく謎のまま 残っています。・・・我々人間と地球の関係についても、単なる偶然なのか、それとも何か深い理由があるのか、よくわからない事実は数多く あります。
<ものが見えるわけ>
人間の目は太陽光のピーク波長付近である可視光域に高い感度を持つ。そして地球の大気も、この可視光に対して透明であるからこそ、人間は ものが見えるのだ。仮に大気が紫外線に対して透明であったなら、生物には致命的だっただろうが、太陽の温度と大気の性質は、偶然、人間に 好都合な組み合わせだったことになる。
<水の物理化学的性質>
水は液体の状態より固体(氷)のほうが低密度という、きわめて例外的な特徴を持つため水に浮き、氷河期には海の表面が氷で覆われることに なった。結果、海に吸収されなくなった二酸化炭素ガスの温室効果により、再び液体の海に戻った。生物にとって不可欠な水の不自然な物理 化学的性質のおかげである。
<地球と他の天体との衝突>
地球は他の惑星に比べて非常に大きな衛星(月)を持つため、自転軸の向きが長期間にわたりほぼ一定で、比較的安定した気候条件が保たれる ようになった。原始地球に火星程度の天体が衝突して、弾き飛ばされた物質が月になったという説が有力だが、かなりの微調節が必要なそんな 偶然の積み重ねが人類を進化させた。
などなど、あたかも奇跡であるように思えるこれらの偶然が実現した例外的な惑星であるからこそ、我々はこの地球の歴史に首をかしげている ことになる。「知的生命が存在している惑星は、数多くの偶然を経験している」これが、人間の存在と宇宙の性質の間に成り立つ相関を選択 効果で解釈しようとする「人間原理」の考え方なのであるが、
ある事象の起こる確率をpとする。このpの値が1に比べて著しく小さいとする(つまり、ほとんどありえないということ)。にも かかわらず、実際にその事象が起こった例が1つだけ観測されている。この場合、宇宙にその系が1つしかないのならば、これは奇跡だと 考えるしかない。しかし
<宇宙に同様な系がN個あると仮定すれば・・・>
観測されている例以外にも、同様な系が多数存在すると認めるだけで、偶然が必然として統計的に解釈できてしまうことになる。この解釈に 「人間」は顕わには登場せず、決して「人間のために」といった怪しげな価値観も含まれてはいない。
あとはその無数の系はあくまで便宜的に仮定したものに過ぎないと割り切るのか、あるいは実在しているはずと思うのか、の違いです。 「人間原理」に帰依しているとすれば、信仰心の篤さの違いに帰着するのでしょう。
これは、最新物理学に基づく宇宙論研究の最前線に立つ気鋭の宇宙物理学者による、「マルチバース」という概念への道案内なのである。
先頭へ
前ページに戻る