徒然読書日記201904
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2019/4/27
「浮世の画家」 カズオ・イシグロ ハヤカワepi文庫
娘に対するその日のわたしの応対は多少そっけなく見えたかもしれないが、去年に三宅家から破談の申し入れを受けたことに対して この節子にいかにも不審げにたずねられたのは、それが最初ではなかった。
嫁ぎ先の夫が妹の縁談が急に打ち切りになった理由を知りたがると訴える長女は、わたしがなにか隠していると思い込んでいるようなのだが、 その根拠がわからない。強いて考えれば、ひとり息子が一段格の高い家の娘と恋愛結婚することを快く思わない先方の判断であって、わたしは そんな問題にこだわるような性格ではなかった。
現在でも、しばしば世間の出来事とか、だれかのふとしたことばによって、わたしがかなり高い地位にあることを思い知らされるたびに、 そんなものかとあらためて驚くような始末だ。例えば、つい先だっての晩、あの昔なつかしい歓楽街にあるマダム川上のバーで・・・
<つい話がそれてしまった。節子が先月うちに来たときのことを思い出そうとしていたのに。>
戦前、「現代の歌麿」として歓楽の世界の享楽的な美を描くことで名声を博した大家・森山に、一番弟子として師事していた小野は、戦時色も 深まる中、退廃的な世界に閉じこもる<浮世の画家>でいることは許されぬと師の下を離れ、戦意を鼓舞する画風で一世を風靡し、多くの支持 を得たのだが、敗戦した途端立場は一変し、その責任を負わせるかのような世間の目は冷たく、大勢いた弟子も離れ、妻を亡くしてからは、 半ば隠居の生活を余儀なくされていた。
<これは自らが招いた過ちだったのだろうか?>
過去の責任をとることは必ずしも容易なことではないが、人生行路のあちこちで犯した自分の過ちを堂々と直視すれば、確実に満足感が得ら れ、自尊心が高まるはずだ。とにかく、強固な信念のゆえに犯してしまった過ちならば、そう深く恥じ入るにも及ぶまい。むしろ、そういう 過ちを自分では認められない、あるいは認めたくないというほうが、よほどはずかしいことに違いない。
と自覚はしているように見えて、その実、娘の縁談がうまく運ばないこと一つをとっても、それに対する身に覚えのなさは、誠に不甲斐ないと 言わざるを得ないのだ。というわけで、
20年前の出来事を2日前の出来事のすぐ隣に置き、両者の関係に注意を向けるように読者を促すこと。しかし、そう配置することの根底にある 理由を、多くの場合、語り手は完全に知らなくてもよい。というより、自分自身のできれば思い出したくない過去を語ろうとすると、それは 幾層もの自己欺瞞や否認によって覆い包まれ、本当に思い出せなくなるものなのかもしれない。
それこそが、この今や押しも押されもせぬノーベル賞作家が、小説家としてのごく初期の段階で、『失われた時を求めて』(Mプルースト)から 啓示を得たという、<移動の方法>とノートにも書き記した、ほとんど抽象画家がキャンパスの上に形や色を配置していくように話をつないで いく、物語展開のスタイルなのだった。
たとえ、「自分の最良の年月と才能が無駄遣いに終わり、そのことがいずれ時間と歴史によって証明されてしまうことは恐怖」であったとして も、「年をとってから振り返り、自分の生涯はそういう世界のユニークな美しさを把握する使命のために捧げられたと自覚できたならば、わし は大きな満足を感じるに違いない。そして、だれがなんと言おうと、人生を無駄に過ごしたとは決して思わないだろう」という師の言葉こそが、 その口ぶりまで含めて、自分が受け継いだ最大の財産であったことに、晩年になってようやく気付くのも、それほど悪くはない人生だろう。
「少なくともおれたちは信念に従って行動し、全力を尽くして事に当たった」後年になって、自分の過去の業績をどう再評価することに なろうとも、その人生に、あの日わたしが高い峠で経験したようなほんとうの満足を感じるときが多少ともあったと自覚できれば、必ず心の 慰めを得られるはずだ。
2019/4/23
「偽善のトリセツ」―反倫理学講座― Pマッツァリーノ 河出文庫
だれかの行為を、そんなのは偽善だ!と批判すると、すごく痛烈な批判のように聞こえるんです。批判した側に正義があるような気に なるんです。だけど、詳しく話を聞いてみると、単なるいちゃもんだったり、そもそもどこがどう偽善なのかはっきりしないことも多いんです。
<どうもほとんどの日本人は、偽善という言葉の意味を深く考えず、気にくわない相手を批判するための便利な悪口として安易に使っている ようにお見受けします。>と御託を並べているのは、日本の歴史文化に異常に詳しい謎の日系イタリア人・パオロ。
彼が切り盛りする立ち食いそば屋兼古本屋という不思議なお店「ブオーノそば」にやってきた常連客の中学生。スジを通したがる男・豪太と、 ディベート大会出場を目指す亜美を相手に、偽善とはなにか、偽善とどう向き合えばいいのか、という問題について、議論を吹っ掛け、講釈を 垂れ始めたところなのである。
<「偽善者ぶって」「偽善者のフリをする」これは日本語の表現として、あきらかにヘンですよね。私のいってる意味、わかりますか?>
亜美「ああ、そうか。“善人ぶって”とか、“善人のフリをする”が正しいんだ。偽善者ぶるだと意味が逆になっちゃう」
<そのとおり。いいひとみたいなフリをすることが偽善です。「偽善者ぶって」しまったら、いいひとのフリをする悪人のフリをすることに なります。>
豪太「わけわかんねぇ」
といった具合で、ボケやツッコミもふんだんに散りばめて、軽妙な会話のキャッチボールが続けられていくことになるわけだが、
<もしもきみたちがパオロという人物の職業や性格をなにも知らず、同じ電車に乗りあわせていたとします。そしてパオロが席を譲った現場を 目撃したら、どう考えるか。きっと、笑顔で老人に親切にするパオロを、とてもいいひとだと評価するのでは?>
亜美「人の善行の真意は、見た目ではわからないってこと?」
<そうです。だから私は辞書の定義に疑問を抱いたんです。うわべだけの善行というけれど、うわべか本心かを見抜くのは、現実には不可能 です。>
豪太「なるほどぉ。選挙がはじまって、パオロの選挙ポスターを見てはじめて、そのお年寄りも、あっ、あのときのアイツ、偽善だったのか と気づくんスね」
といったような簡単な設問を繰り返しながら、たとえば席を譲った偽善者と、偽善を恐れて譲らなかった善人との比較によって、たとえその 真意が見透かされてしまったとしても、偽善者は誰かを救っていることの意義を問いかけてくるのである。なにもしない人は、たとえ善人で あっても、結局、だれも救っていないではないかと・・・
<だから私は、偽善こそが目指すゴールだと考えてます。偽善者になれれば、それでいいんです。すでに偽善者になってるなら、現状維持で じゅうぶんです。努力してもっと上を目指す必要など、まったくありません。>
これは、あの『反社会学講座』で日本中を煙に巻いた戯作者による、意外に真面目な「偽善のすすめ」の一席なのである。
偽善を批判する人たちの最大のあやまちは、動機や気持ちを重視するところです。私はその考え方は危険だとすら思ってます。何より大事 なのは、動機や気持ちでなく、結果なんですから。
2019/4/19
「世界史の実験」 柄谷行人 岩波新書
柳田国男の学問は、雑多な領域、文学、農政学、民俗学、人類学、宗教学、言語学などの多領域に及ぶ。それは体系的ではないし、 体系化することも難しい。ゆえに、当時それは「柳田学」と呼ばれていました。そう名づけるほかなかったからです。
この柳田の方法を吉本隆明は「無方法の方法」と呼んで批判し、柳田国男の『遠野物語』を材料に<抽象>して『共同幻想論』を書いた。これ に対し、柳田学の中にも一見そうみえるものとはべつの一つの内的体系があると異議を申し立て、『柳田国男試論』という啖呵を切ってはみた ものの、柳田国男の仕事に「内的体系」あるいは「方法」を見出すことに成功した気がしなかった、というのが1974年のことだった。
そんな著者が柳田について再考しようと思ったのは、ジャレド・ダイヤモンドらの『歴史は実験できるのか』という本を読んだことがきっかけ だったという。40年前の『柳田国男試論』で取り上げた「実験の史学」という論文の中で、柳田がそれと似たことを考えていたのではないか と気づいたからである。
≪現在の生活面を横に切断してみると、地方地方で事情は千差万別である。その事象を集めて並べてみると、起原あるいは原始の態様はわから ぬとしても、その変化過程だけは推理することは容易である≫(『民間伝承論』柳田國男全集28)
柳田はそんな自らの史学の方法を、「実験」と呼ぶ以前には「比較研究」と呼んでいた。(『民間伝承論』では、それを「重出立証法」といい かえた。)それは、空間的な差異を時間的な差異として捉え、そこから生活文化の歴史を明らかにしようとするものだった。
≪現在の国内の事実はほとんどこの変遷のすべての階段を、どこかの隅々に保存している。一つの土地だけの見聞では、単なる疑問でしかない 奇異の現状が、多数の比較を重ねてみればたちまちにして説明となり、もしくは説明をすらも要せざる、歴史の次々の飛び石であったことを 語るのである≫(「実験の史学」柳田國男全集27)
ダイアモンドが太平洋の島々に見出そうとしたそのような刻印と同じものを、柳田は日本列島の古層の中に見出そうとしていた、というので ある。1935年に「実験の史学」を方法的に確立したはずの柳田は、しかしその後まもなく、それについて沈黙してしまうようになる。 「大正デモクラシー」の雰囲気に涌く20年代にはありえた社会を変える「実験」が、中国・米国との戦争に突入する中で消滅してしまった からだ。しかし、柳田はそれを放棄したわけではなかった。
2011年、大勢の死者が出た東北大震災に震撼させられた著者は、柳田が第二次大戦末期に書いた『先祖の話』を読み返す。この時すでに、 彼はまもなく新たな「実験」の時が来ることを予感しており、「新たな社会組織」が考えだされなばならないと確信していたのだが、彼がいう 「社会組織」には、生きている者だけでなく、死者、祖霊が入っている。柳田はこの時、戦死者の弔いのことを考えていたのである。
外地で戦死した若者を弔うことが何よりも大事ということはまた、二度とこのようなことを起こさない、という「社会組織」を作ることでも ある。それが憲法九条であり、しかも、これは柳田にとって、日本を「神の国」にすることを意味したというのが、永い時を置いて、自分の 中で「文学」と「日本」が回帰してきたという著者の、現在の到達点なのである。
この意味での「神国日本」は、「神国日本」を唱えて帝国主義的膨張政策を強行した連中が消えてしまう戦後にこそ可能である。柳田は そう考えたのではないかと、私は思います。これは宣長のいう「古道」の回復と同じことです。ただ、それを宣長のようにたんに文献によって ではなく、また、篤胤のような理論的独断によってでもなく、「実験」によって示すことです。
2019/4/16
「愛と怒りの行動経済学」―賢い人は感情で決める― Eヴィンター ハヤカワNF文庫
意思決定とは、ふたつの相反するメカニズムが激しく争う過程だと思われがちだ。つまり、われわれのなかの感情的で衝動的なメカ ニズムが「誤った」選択をさせようとする一方で、やはりわれわれに備わっている合理的で知的なメカニズムが苦労しつつも最後には正しい 選択へと導いてくれる過程だと思われている。
しかし、そうであるとするならば、われわれは進化の過程でいくつかの欠陥を帯びてしまったのだと言わねばならない。でなければ、われわれ がこれほどまでに感情的である理由を説明できそうにないからだ。
・人が怒ることになんの利点があるのか。
・競争社会に生きているのに、なぜときどき謙虚な気持ちをいだくのか。
・なぜわれわれは恥ずかしいとか、悔しいと感じてしまうのか。
・どうしてわれわれは身を焦がすような恋情をいだくのか。
<なぜ人々はもっと合理的に思考できないのだろう。>それは、感情のなかにも論理があり、言い換えれば、論理のなかにも得てして感情が あるからに違いない。
・感情はわれわれの意思決定にどのような影響を与えるのか。
紛糾している問題で正当な主張と不当な主張を区別するわれわれの能力は、ほどよく怒っている状態のもとで高まる、など。
・感情はわれわれの妨げとなるのか、助けとなるのか。
やましさ(裏切った場合に感じる)と屈辱感(裏切られた場合に感じる)という人間らしい感情が協力の可能性を高める囚人のジレンマ、 など。
・われわれを思考する動物にすると同時に、感情を持つ動物にもした進化のメカニズムはどういうものなのか。
男女を区別する具体的な特質は必ずしも進化上の利点とはならないが、男女には違いがあるという事実そのものが、両方の性にとって大きな 利点であり続けている、など。
このような「感情の役割」についての新たな考察が進んだのは、脳科学と、行動経済学と、ゲーム理論という三つの重要な研究分野でこの20 年のあいだに起こった静かな革命のおかげだと明快に示してみせる。
というわけでこの本は、感情と合理性の「継ぎ目」に関する最新の研究成果を踏まえた、気鋭の行動経済学者による新たな収穫のお披露目なの であり、もし人類が、感情の欠如したミスター・スポック(@スタートレック)のように、理性と論理のみに基づいて行動するヴァルカン人と して発展していたら、われわれの生活はかなり困難なものになっていただろうし、十中八九は生き残れていなかっただろうというのだった。
われわれの感情のメカニズムと知性のメカニズムは協力し合い、支えあっている。そもそもふたつを区別できないときもある。感情や直感に 基づく決定は、考えられる結果や影響を綿密に分析してから出した決定よりも、ずっと効率的な場合が――しかもすぐれている場合が―― 多い。
2019/4/8
「1R1分34秒」 町屋良平 文藝春秋
そうだ。ぼくはこわかった。いやだ、おもいだしたくない。そこでビデオのスイッチに手が伸びそうになるが、持ち前の研究心と きまじめさによって踏みとどまる。目の前がくらかった。いまも試合中だ。まるで犯罪をおかしたような心もち。なんの法をおかした経験も ないのに、敗戦ごとのこの目前まっくら現象において、前科数犯のごとききもちでめざめる朝ばかり。
<がんばれ、がんばれ、と口にだしながら泣いていた。>
デビュー戦を初回KOで華々しく飾ってから、二敗一分けと負けが込んできている、プロボクサーの自分にとって、日本チャンピオンだった はずの漠然とした夢が、いつしか日本タイトル挑戦、十回戦、八回戦、六回戦と徐々にグレードダウンし、いまでは「次の試合を負けない」 ことに成り下がってしまっていることに気付いたのは、いったいいつからだったのだろう。
ありえたかもしれないKO勝ちとありえたかもしれない判定負けを、パラレルに生きる他ない、試合の記憶とビデオの自分の動きとの符号と 差異。この試合の日の記憶と、ビデオを見る真夜中の記憶の中間で、次の相手がきまるまでを待ち受ける、バイトと練習の日々を送る以外ない ことが一番きつかったが、「何回敗けても飯はうまい」という腹一杯飯が食えるよろこびとともに、まだまだ残るダメージの筋肉痛だけが やさしいことが、なんともやりきれない日々なのだった。
本年度「芥川賞」受賞作品。
「ちょっと、しばらくおれ忙しいからさ」とこれまでのトレーナーに見捨てられ、代わりにつくことになった現役6回戦ボクサーだったはずの ウメキチとの出会い。
「考えて。考えるのはおまえの欠点じゃない。長所なんだ。それをおれが教えてやるよ」というウメキチをゲーム感覚で信頼することができた のは、「おまえを勝たせたら、おれはこの方法を究めてチャンピオンを目指す。おまえが敗けたらこのやりかたを棄てて、おまえも棄てて考え 直す。わかったか?」とあけすけに宣言するウメキチもまた、自分と同じく、どうしようもなくボクサーであったからなのだろう。
<自分じゃなく、世界を変えたい。>
自分ばかりが変わっていくのは辛い。自分の目のレンズを濁して世界を修正するのはもういやだ。ほんのちょっと動くだけで世界を変えられる ような気がする、という何年も味わっていなかった感覚の中で、ぼくの身体の中を久々に全能感が駆け抜ける。
「おれのボクシング人生を、いったん止めたかった。ビデオのストップボタンみたいにな。それがおまえだ」
これは、ぼくという駄目だったボクサーが、ウメキチとの出会いをきっかけに、自らが描く理想像に果敢に挑みかかった、シャドーボクシング の物語なのである。
<勝つよ。きっと勝つ。そうしたら記憶をひからせてやるからな。>
という決意を30秒でうしないまたくり返す、三日後に1ラウンド1分34秒にTKOであっさり勝つ、そのあっけない結末のためだけに この夜をあと二回。
2019/4/7
「ベートーヴェン捏造」―名プロデューサーは嘘をつく― かげはら史帆 柏書房
今日、残存しているのは全部で139冊。うち137冊がドイツ国立図書館(現ベルリン国立図書館)の所蔵である。使用された時期 は、1818年から1827年の10年弱。47歳から亡くなる56歳までだ。
<会話帳>とは、聴覚を失ったベートーヴェンが、家族や友人、仕事仲間とコミュニケーションを取るために使っていた筆談用のノートのこと である。それは、『交響曲9番「合唱」』など、人生終盤の傑作群が生まれた時期と重なることもあり、手紙や日記と並んでベートーヴェン 研究における重要な一次資料だった。
しかし、ベートーヴェン没後150年という記念の年に、「ドイツ国立国会図書館版・会話帳チーム」が行った小さな研究発表が、激震をもた らすことになる。「われわれが編纂している会話帳のなかに、ベートーヴェンの死後、故意に言葉が書き足されている形跡を発見した。」
――いったい、誰が?
ベートーヴェンの晩年には、「無給の秘書」として音楽活動や日常生活の補佐役をつとめ、彼の死後全部で3バージョンの『ベートーヴェン伝』 を書いた人物がいた。アントン・フェリックス・シンドラー。
耳は聴こえずとも、言葉は話せるのだから、会話帳にベートーヴェン本人のセリフはなく、ほとんどは取り巻きどもの雑多な書き込みにすぎ ない。そんな筆談用の「ノート」のことなど、誰も思い出しもしないどころか、保管されている事実すら知らないだろう。本人の言葉が存在 しないという欠点こそあれど、彼の人生をたどる上である程度の状況証拠として使いようがあることを、わかっているのは自分だけなのだ。 というわけで・・・
『交響曲第5番』の「ジャジャジャジャーン」というモチーフについて「このように運命が扉を叩くのだ」と述べたというエピソードや、 『ピアノ・ソナタ第17番』について「シェイクスピアの『テンペスト』を読みたまえ」と忠言したという話など、あまりに有名な伝説のあれ もこれもが、もしも捏造だったというのなら、私たちが思い描くベートーヴェン像は崩壊してしまうことになるだろう。
シンドラーが行った数々の改竄は、自らを美化し、ほかの側近たちを悪しざまに描くなど、彼自身の自己顕示欲や嫉妬の産物にすぎなかった のだろうか?いやシンドラーの嘘は、ベートーヴェンに関するあらゆる「現実」を、彼なりの「理想」に変えるための魔法でもあったのでは ないだろうか?シンドラーがベートーヴェンに対して抱いていた使命感は、遺品を「一次資料」として扱い、「正確に実像を伝える」という 学問的なポリシーとは根本的に別だった。
というのが、実はシンドラーの実像に迫ろうとした画期的なこの「伝記」の、落としどころのようなのである。
もし、シンドラーが覆い隠した真のベートーヴェンを知りたいと望むならば、私たちがすべきなのは彼の存在を葬り去ることではない。 シンドラーに限りなく接近し、彼のまなざしに憑依して、ロング・コートの裏側の「現実」に視線を遣ってみることだ。
2019/4/6
「ニムロッド」 上田岳弘 文藝春秋
金を掘る、と言っても、金(ゴールド)を掘っているわけではない。掘っているのは金(マネー)の一種だけど、実感としては金 (ゴールド)の採掘に近しいことをやっている。
法人向けにサーバーの保守サービスをする会社に勤めている中本哲史は、突然社長から「仮想通貨を掘る」業務を命じられる。稼働していない サーバーを副業的に活用して、ビットコインを採掘することの可能性を探る、課員たった一人の「採掘課」の課長となったのだ。
「それで、もう結婚もしないし、子供も作らない?」
「別にかたくなにそう決めているわけじゃないけど。ただ、もうのれないような気がするだけ」
「のれないって、何に?」
「人類の営み、みたいなもの?」
中本が週一のペースで関係を続けている田久保紀子は、TOEIC850点以上で外資系証券会社に勤務し、頻繁に海外出張をこなすという エリート社員なのだが、高齢妊娠の出生前診断で染色体異常が見つかって、「生まない」と決断したことから離婚となり、結婚も子供もない 人生へとハンドルを切り替えたようだった。
ねえ、中本さん、僕は思うんだけど、駄目な飛行機があったからこそ、駄目じゃない飛行機が今あるんだね。でも、もし、駄目な飛行機が 造られるまでもなく、駄目じゃない飛行機が造られたのだとしたら、彼らは必要なかったということになるのかな?
自らニムロッドと名乗って<駄目な飛行機コレクション>という謎のメールを送り付けてくる、元同じ職場の同僚の荷室仁は、鬱病になった ことがきっかけで名古屋へ転勤し、実家でまた新しい小説を執筆し始めたという、落選続きながら作家志望をあきらめない変わり者だった。
本年度「芥川賞」受賞作品。
「仮想通貨」、「染色体異常」、「懸賞小説」、いずれもが雲をつかむような、捉えどころのない世界の中で、飄々と生きているように見せ ながら、実際には、翼を折られた「駄目な飛行機」のように、自分なりに精一杯、飛ぶための努力を続けることに苦しんでいるようにも見え てくる。
やがて、荷室から送られてくるメールは、「駄目な飛行機」から「小説」へと進化する。ビットコインで巨万の富を築いた人間の王ニムロッド は、ブリューゲルの塔の絵を参考にして、何よりも高い螺旋状の塔を建てる。塔の屋上に整然と並んでいるのは、最後の商人から買った数々の 駄目な飛行機のコレクションなのだが、ついにもう用意できるものはなくなったと宣告されてしまう。
「駄目な飛行機を造ることはできないんだ。故意に造らせたものは、駄目な飛行機とは呼べないだろう?」
地面にしっかと足をつけたまま、燃料が尽きるまでプロペラを回し続けるしかない飛行機に乗り込んで、懸命にアクセルをふかしている、 そんな自分を後ろ斜め後方の上空から眺めているような、読後感だった。
僕は飛行機の白い影を眺めながら、そうだ、僕の仮想通貨の最小単位を nimrod にしてはどうだろう、と思い付く。高い塔みたいに価値を 積み上げる僕の新しい通貨。いつか雲を突き抜けてその塔が高くそびえたならば、その最小単位が顔を出す。nimurod 、塔の上に最後に残った 人間、人間の王。
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