徒然読書日記201902
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2019/2/28
「事件現場清掃人が行く」 高江洲敦 幻冬舎アウトロー文庫
首には大きな数珠。顔には防毒マスクを装着し、ビニール製のカッパで全身を覆う。手にはゴム手袋。隙間ができないよう、粘着 テープで厳重に封をする。そして靴には、やはりビニールのカバー。これが私のいつもの作業着です。
<特殊清掃>とは、主に自殺や孤独死などがあった場所で、消臭・消毒、虫の駆除、遺品整理、廃品・ゴミ処理、清掃・リフォームなどで原状 回復まで請け負う仕事であり、今の日本の社会的状況とあいまって、どんどん需要が増えているにもかかわらず、普通の葬儀社や清掃業者では 手に負えない作業である。これは、そんな特殊清掃を専門に引き受けようと志し、その名も「事件現場清掃会社」という会社を設立して、様々 な事件現場に立ち会ってきた男のルポなのである。
新築マンション入居直後に急死した30代のひきこもり男性の遺体は、2年もたってからミイラ化したウサギ(唯一の友だったのだろう)と 共に発見された。
50代で孤独死した認知症の男性の、ゴミと糞尿が悪臭を放つアパートを訪れると、「早く何とかしてくれよ」とガミガミ怒鳴り散らす隣室の お婆さんが居た。
練炭自殺した若者の部屋の締め切ってあったカーテンをあわてて締め直したのは、窓ガラスにガムテープの文字で「ゴメン」と書かれてあった からだった。
認知症の母と二人並んでぶら下がり健康器で心中した娘は、葬儀の手配まで済ませ、体の下にはブルーシートを敷いて、後を汚さないように 気を配っていた。
息子の遺体で汚れた蒲団を運び出す業者に、死臭を体中にまとわせて「すみません」といい続けていた初老の母親は、汚れた床を自分ですべて 拭き取っていた。
ずぶりとゼリー状の水をすくってみると、固まっていた表面が破れ、たちまち強烈な臭いが立ち上がった。お婆さんは追い炊きしながら入浴中 に亡くなったのだ。
などなど、高江洲がこれまで(注:2003〜2012)に立ち会ってきた現場は、すでに1500件を超えているのだという。
「孤独死」が社会を揺るがす大問題として、一躍世間の話題となったのは、1995年1月に起きた阪神・淡路大震災の時だった。震災から 10年の間に、地域のつながりを失った仮設住宅で、「孤独死」と呼ばれるような亡くなり方をした人が、560人を超えたのである。
誰かが死ねば必ず家族や親類縁者が通夜・葬式を営み、関わりのあった人たちが故人を悼むものだと、あなたは思っているのかもしれないが、 50歳になっても単身者である「生涯未婚率」が、2030年には25%近くにまで増加するであろうと予測されるほど、社会の単身化が進む 日本の社会では、現実に、東京都で孤独死した6000人もの人々、さらに自殺や行き倒れで亡くなった身元もわからない3万2000人もの 人々を、見送ってくれる人はいない。
<それでは、こうした人々の死は、誰がどうやって始末をつけるのでしょうか。>
事件現場に駆けつけ、血液と体液を拭い、真っ黒なかたまりとなって襲いかかってくるハエの大群と対決する日々を私は送っています。 (中略)
ある日、仕事から戻ると母がしみじみといいました。
「みじめな仕事ねえ・・・」
今の私は、母の目を見据えていい返すことができます。
「事件現場清掃は尊い仕事です」
2019/2/27
「恋愛制度、束縛の2500年史」―古代ギリシャ・ローマから現代日本まで― 鈴木隆美 光文社新書
「恋愛」という言葉は明治時代に「love」や「amour」の訳語として作られたもので、それ以前に日本には言葉としては「情」や 「色」しかなかった。だから「恋愛」は、舶来品の一つ、ヨーロッパからの輸入されたものだ。
というのが、柄谷行人なども唱えた<恋愛輸入論>である。それまで日本の伝統が知らなかったもの、日本語の語彙にはなかったものを、 明治の知識人がヨーロッパに追い付け追い越せとばかりに取り入れたものなのであれば、明治以前にも「それ」と似た感情はあったとしても、 苦労して作られた「恋愛」という言葉は、「love」や「amour」とは違う、不完全で奇妙なものなのだった。
なんだかよくわからないけれど、カッコいい舶来品として、始めのうちは「ラアブ」などとカタカナ語で書かれていたものが、次第に「恋愛」 という言葉に置き換わっていく、「恋愛の日本化」という独特の過程の中で、その歴史的経緯を無視して、西洋的「恋愛」と、日本的な「情」 と「色」が、論理的には相容れないにもかかわらず、ポンと並列に置かれてしまう。本当は対立しているはずのものを、「まあまあ」と隠蔽 (ある意味では外国文化を拒絶)してしまう、そんな日本文化の並列構造という傾向にあえて逆らって・・・
<ヨーロッパの「恋愛」と日本の「恋愛」はどう違うのか。>を比較文化論の枠の中で問い直し、どういう経緯でそうなってしまったのかを、 歴史を追いながら見てみようという、これは東大理科1類入学ながら、気鋭のプルースト研究者へと異色の変身をたどった仏文学者による、 刺激的な論考の試みなのである。
ヘレニズム文化とキリスト教の世界観が、複雑に入り混じり展開されてきた欧米文化の基層の、その変動のうねりの中で練り上げられてきた 「恋愛」という概念。
<重要なのは、それが「制度」であるということです。>
それはある種の規範として、無意識のレベルにも根を張る心理的束縛となり、古代ギリシャから現代日本に至るまで、実に多様な形で存在して きた。
知を求め、美を愛し、イデアの世界に恋をした、古代ギリシャの美少年への愛。(プラトニックラブ)
肉欲を徹底的に罪なものとみなした、キリスト教の隣人愛。(アガペー)
下級騎士の忍耐力、忠義心を鍛えた、領主の妻への絶望的な愛。(中世宮廷恋愛)
現実より幻想、理性より感性を求めた、革命と個人主義の時代の愛。(ロマンティックラブ)
このような発展の経緯をたどったヨーロッパの恋愛制度は、やがて日本に入ってきて奇妙に混ざり合い、日本独自の恋愛制度が生まれること になるのだが、弁証法的な欲望があまりない、日本文化という奇妙な空間では、ヨーロッパ的な恋愛と日本的な色恋は、時に並列し、時に 混ざり合い、今に至ることになった。「キャラ萌え」とロマン主義的な恋愛が接合する、今どきの日本の街場の風景が、そのような事態の 現われであると解釈できるというのだった。
中世宮廷恋愛も、キリスト教も、ロマンティックラブも、あるべき恋愛の姿を規定し、抑圧的な制度となってしまいました。おそらく 「キャラ萌え」さえも、同様に抑圧的な制度となってしまうのでしょう。
2019/2/21
「吉田松陰『孫子評註』を読む」―日本「兵学研究」の集大成― 森田吉彦 PHP新書
ここで最初に指摘しておかなければならないことは、江戸時代の日本人にとって、『孫子』を理解することは必ずしも容易では なかったということである。それは、彼らの漢文読解力の高さを考えると意外なことであるが、問題はただ単に文章を読むことには なかった。
<『孫子』に書かれた内容が、泰平の世を生き始めた武士たちには理解しがたいものだったからであった。>
そんな彼らは、例えば「兵は詭道なり」のような語を、具体的にどう理解すれば良いのかなかなか呑みこめず、甲論乙駁するばかりで、 『孫子』に対して儒学や武士道からの批判を加えはするものの、本来の「兵学」としての趣旨を見失ってしまうことになった。
物心ついたときから『孫子』を座右の書とし、少年の頃から日本を守る手立てを考えることを己の仕事と引き受けて生きてきた、 戦いの術を修得し、実戦ともなれば軍師として軍を指揮することを求められる、「兵学者」であった吉田松陰にとって、いざ本当の危機の時代 を迎えたこのときに、自分たちが無用の長物であることを証明してしまうという体たらくは、看過すべからぬ事態であったはずなのだ。
というわけで、江戸時代に蓄積された『孫子』研究の集大成であるだけでなく、泰平日本の兵学がいよいよ実戦において試されることになった 到達点として、吉田松陰の『孫子評註』を詳しく取り上げ、読み解くことこそが、いまから二千年以上も前に書かれた『孫子』という書物を 理解する近道だというのだった。
『孫子』の理想形は「戦わずして勝つ」である。駆け引き、謀略、心理情報戦を駆使し、戦力の確保に努めながらも、直接的な戦いは可能な 限り避けて、味方はもちろん、敵さえも利用しようとする。
孫子を心の師と仰ぎ鵜呑みにするというよりも、繰り返し問いかけ、対話しながら思考をまとめる手がかりとする、古今の事例を紐解き、 当時の時勢に結び付けた大変個性的な註釈を加えて飛躍する師・松陰の思考に、必死で食らいついていく久坂玄瑞や高杉晋作ら、維新の志士 たち。松陰とともに『孫子』を読みほどき、咀嚼していく音まで聞こえてくる(ちょっと大袈裟か?)ような、臨場のドラマはぜひご自分で 体験していただくとして・・・
過剰な平和主義が蔓延し、視野狭窄に陥ってしまった戦後の日本では、本来兵学であるはずの『孫子』は、経営戦略の教科書としてもてはや されるばかりである。そうした『孫子』読解の歪みを断ち、『孫子』を本当に理解することで、日本的戦略思考の欠点を省みるとともに、 中華的戦略思考の在り方を知ることが、一戦を交えることなく、気づいたときには尖閣諸島が外国の者であることになっていた、なんてことに ならないために必要な施策なのではないか、ともいうのだった。
再会を期すと再跋に記して清書した『孫子評註』を久坂玄瑞に託した松陰が、幕府の命により江戸の獄へと移送されることになったのは、 その4日後のことだった。松下村塾で『孫子』を学んだ若者たちが、危機を危機として認識し、率先して死地に陥る――幕末維新の動乱へと 向かうのは、松陰が処刑された後のことになる。
今余獄に繋がれ、而して三友処を分つ。他日或は一堂に会聚すること能はば、各々其の得る所を出し、因って原稿を把りて之れを較べん、 亦一快ならずや。(『孫子評註』再跋)
2019/2/20
「こんな夜更けにバナナかよ」─筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち─ 渡辺一史 文春文庫
「鹿野さん、食べるスピードが遅いでしょ。バナナを持ってる腕もだんだん疲れてくるしね。で、ようやく1本食べ終わったと 思って、皮をゴミ箱に投げ捨てて・・・」
もういいだろう。寝かせてくれ。そんな態度を全身にみなぎらせて、ベッドにもぐり込もうとする国吉に向かって、鹿野がいった。
<国ちゃん、もう1本>
ある日の深夜、病室の簡易ベッドで眠っていたところを、鹿野の振る鈴の音で起こされて、内心ひどく腹を立てていた国吉だったが、
「オレはただ食いたいから『バナナ食う』っていったんだよ。そしたら、国ちゃん、こっち見ないで食わせるからさ――。イヤだったけど、 そこはガマンさ。そういう面では、オレは遠慮しないからね」
とまったく悪びれる様子もない鹿野を見て、爆発寸前だった国吉の怒りは、急速に冷えていったのだという。
「あの気持ちの変化は、今でも不思議なんですよね。もう、この人の言うことは、なんでも聞いてやろう。あそこまでワガママがいえるって いうのは、ある意味、立派。そう思ったんでしょうか」
鹿野靖明、40歳(2000年、本書執筆開始当時)。
全身の筋力が徐々に衰えてゆく難病「進行性筋ジストロフィー」だと医師に告げられたのは小学校6年生の時だった。18歳で車いす生活と なり、32歳のとき心臓の筋力低下による拡張型心筋症で生死の境をさまよった。35歳で自発呼吸が難しくなり、人工呼吸器を装着した。 1年ほど前からは首の筋力低下により、動くのは両手の指がほんの少しという、ほとんど寝たきり生活の第1種1級の重度身体障害者 なのである。
<できないといえば、この人には、すべてのことができない。>
寝返りがうてない、かゆいところもかけない、自分のお尻を拭くこともできない、あらゆることに人の手を借りなければ、生きていけない。 実際に、1日24時間誰かが付き添って、呼吸器や気管内にたまる痰を吸引しなければならなかった。放置すると痰をつまらせ窒息してしまう のである。
<そもそも他人の介助を24時間必要とする、つまり、片時も一人になる時間がない生活とはどのようなものなのか。>
日々を切実に、ギリギリのところで生きている人に会ってみたいと道営ケア付き住宅「シカノ邸」を訪れた、福祉・医療などまるで未知の 分野のフリーライターが目にしたものは、優秀な女性ボランティアを勝手に自分の「秘書」と呼び、自分でかき集めた新人の「鹿ボラ」たち には、研修をほどこす「教師」となり、講演会や研究会で発表する自分の体験話を「論文」と言い換えて、迷惑をかけながら生き続けること に、絶対絶望しようとしない、鹿野の“あつかましさ”だった。
<この家は、確かに「戦場」だった。>
鹿野は「この家の主人は私である」という強烈な自己中心性を発揮しながら、マイナスカードの多すぎる人生を、あくまで主体的・能動的に 生き切ろうとして、在宅福祉・医療の制度充実を求めながら、「見えない圧迫」と必死で戦う姿を、鹿ボラたちに示し続けてきた のだったろう。
「尊厳死を認める社会的な背景には『自分のことが自分でできないような生き方には、尊厳がない』とか『家族に迷惑をかけたくない』とか 『ウンチやオシッコを人にとってもらうなんて情けない』とか、そういう些細な価値観に支配されている部分がとても大きいと思うんです。 でも『人に迷惑をかけない生き方』が、じゃあ尊厳のある生き方なのかというと、ぼくは鹿野さんを見ていたからでしょうけど、とてもそうは 言い切れないという気がするんです」(『MOKU』2005年6月号 山田太一との対談)
2019/2/16
「しびれる短歌」 東直子 穂村弘 ちくまプリマ―新書
したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ (岡崎裕美子)
穂村 えっと思う。「したあと」の前に書かれた言葉が見えない。それは「朝日」が直視できないようなものだろうか。放置された「自転車」 と自分の姿が重なって、虚しくて淋しくて悲しい。
東 これは何をしたか書いてないけど、まあセックスをしたんだよね。徹夜のアルバイトもだるいけど(笑)。「自転車に撤去予告の赤紙は揺 れ」という感じが、もうお前はクビだって言われたアルバイト人の感覚ではなくて、やはり彼からもう愛されていないという体感だと思う。
<僕らの頭の中は「繁殖」と「恋」の二重性で混乱している>
と、のっけからこれである。(さすがに、あの
『回転ドアは順番に』
で、しびれるような<愛>の形を紡ぎ出して見せた、最強タッグは健在なのだ。)それにしても、ちくまプリマ―新書 というのが、どのくらいの年齢層をターゲットとしているのかは知らないけれど、今どきの小・中学生がもしこれを読んでいるのだとしたら、 なんと贅沢な少年時代なんだろうと、羨ましくさえ思われてくるのである。
罪おほき男こらせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ (与謝野晶子)
穂村 見られる客体としての自分の若さや美しさを、異性に対して怯むこと無く誇示するっていう歌です。・・・そもそも、こういうことを 許さない社会だったというのがある。なのに敢えてこれを言うわけだから、与謝野晶子はすごい人だと思う。
東 明治34年ですからね。もちろん和歌には女性の性愛を謳うという伝統はあるけれども、もっと間接的な感じでしょう。
と、さすがにここまで遡ることはないけれど、生真面目な暇人世代にとっては、せいぜい俵万智くらいしか居なかったんだから。
焼肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き (俵万智)
穂村 これは、じつは初案は「焼肉と漫画」だったそうです。それをわざわざ「グラタン」という食べ物にしたわけだから、あえてえぐく してるよね。
東 言語感覚がすごい。俵さんの歌ってわかりにくいところはなくて、一瞬で理解できる。わからないことを詠ってないから、自分にも出来る んじゃないかと思いがちなんだけれども、同じようには絶対に出来ない。
それが、与謝野晶子からずいぶん時間がたって、現代の若い女性の歌を見ると、自分の身体をモノとして見るという苦さが感じられるという のである。
するときは球体関節、のわけもなく骨軋みたる今朝の通学 (野口あや子)
穂村 彼女たちは最善じゃないと思ってるんだよね。愛の名のもとにそういう行為をしているから、最善じゃないけど受け入れて、だけど完全 にハッピーではない・・・そういう苦さがあって、そこに誇り高さがある。
東 こういう感じって、ここ10年くらいかなぁ。男に求められる身体を持つ自分、それがモノとして感じられて、なにか違う、これでは嫌だ、 という感覚が意識されてくる、みたいな。
と、こんな濃密な丁々発止が、恋、食べ物、家族、動物、時間、お金・・・というテーマを巡って謳われた短歌を題材にして、繰り広げられて いく。「固有名詞の歌」なんて、ジャンルがあることさえ知らなかったヨ〜。
愛してくださっているのですかと耳を疑った、舟さんの声 (横山ひろこ)
(引用者注:波平の愛の言葉に耳を疑ったのである。)
2019/2/16
「自分の<異常性>に気づかない人たち」―病識と否認の心理― 西多昌規 草思社文庫
異常の定義は、難しい。好意的に見れば、個性ととらえることもできる。たとえば「思慮が足りない」は、「(頭でっかちではなく) 行動力がある」と言い換えることもできないではない。周囲から見て、このような解釈の修正ができれば、異常という言葉を使うのは言いすぎ だろう。
<あなたは、自分のことを精神的に正常だと思いますか?>
他人によって外部から見られる自分と、自分から見た自分とのギャップというのが、正常・異常を考える際に必ず生じてくる問題である。 自分ではおかしいと思っていても、他人から見ればいたってまともという場合もあれば、その逆もある。言うまでもなく、もっとも闇が深い のは、他人から見れば異常なのだということに「自分で気がついていない」場合である。
「病識」=「精神疾患患者のもつ自分の病気に対する正しい認識」(『現代精神医学事典』)
隣人が毎日、朝昼晩カレーライスを作るので、カレーの臭いに困っている、と「強すぎる被害妄想」に悩まされている母親。
ささいな書類作成のミスから、誰からも批難されていないのに、自殺未遂にまで追い込まれてしまった、「妄想性うつ病」のキャリア官僚。
異様なハイテンションで、疲れも知らず頭脳も身体もキレキレだった自分を取り戻したいと叫ぶ、「双極性障害」のビジネスマン。
毎朝、自慢話と他者への苦情とが延々と続き、傍若無人で横柄な態度から強制退院を余儀なくされた、「自己愛型パーソナリティ障害」の 元新聞記者。
規則正しすぎる日常生活をおくりながら、突然キレたかと思うと、無礼な発言や身勝手な行動など抑制が効かなくなってしまう、「認知症」の 高齢者。
「空気が読めない」と言われるので「発達障害ではないか、調べてほしい」と事前情報入手も万全でやってきた、「アスペルガー障害」の 高学歴商社マン。
この本で紹介される彼・彼女らは、概ね他人の「お前はおかしい」という評価や、自分でも感じているに違いない違和感を、認めようとは しない。しかし、自分にとって都合の悪いこと、違和感を覚えるものを否認するのは、ある意味正常なことではないのか。何かしっくりこない ものに対する気づきがある程度欠如している、鈍感なことが、心理的に正常である証なのかもしれないのだから・・・
というのが、この仕事を続けるうちに「自分が正常である」という自信が揺らいできたことが、この本を執筆する一番強力な動機になった という、臨床精神医学者の臨床体験に基づく赤裸々な告白なのである。(事実、精神科医にはユニークを通り越して、「この人はおかしい のではないだろうか」という人がたくさんいるのだという。)
自分が異常か、異常でないのか、線引きが難しいのはもちろんだ。しかし、なにより自分自身がそのことに気がつく難しさは、SNSや 人工知能が発達した現代でもまったく変わっていないどころか、かえって増しているような印象をもつことだ。ジュリアス・シーザーの箴言 とされる「人間はみな自分の見たいものしか見ようとしない」という言葉は、現代でもまったく輝きを失ってはいない。
2019/2/14
「アメリカ」 橋爪大三郎 大澤真幸 河出新書
大澤 アメリカを理解するときの第一次近似として言えば、もちろんアメリカにはいろんな人がいるわけですけど、アメリカ的なる ものを理解するときには思いきって、「文字どおりキリスト教を信じている人たち」と理解することが重要だと思うんです。
と雑談めいた話題から、まるで今思いついたかのように、突如議論の核心を突くような、宝刀の切っ先をふりかざしてくる、用意周到の大澤に 対し、
橋爪 信仰は、なぜ趣味の問題ではないのか。それは、信仰は、選べないからです。日本人は「宗教の自由」と聞くと、「そうか、信仰は 個人の問題で、自由に選んでいいんだ」と解釈します。でも、キリスト教の考え方はそうではなくて、信仰は神の恵み。与えられるものなの です。自分で選んでいるうちは、信仰とは言えない。
と、まるで先刻承知していたとばかりに発止と受け止め、キッチリと切り返しておきながら、話してみるまで思ってもみなかった、発見が あったと、泰然自若の橋爪。
『ふしぎなキリスト教』
、
『おどろきの中国』
、
『ゆかいな仏教』
、
『元気な日本論』
と、 次々にベストセラーを生み出してきた、日本を代表する2人の社会学者による対談本の、今回のテーマは「アメリカとはそもそもどんな国か」 というものだった。
橋爪 アメリカのアメリカらしさの根本。それは、アメリカは特別な国なのか、アメリカは世界の模範なのか、アメリカ的価値観(自由、 民主主義、資本主義、・・・)は世界が真似すべきものなのか、という点にあるんですね。
アメリカは、圧倒的な世界標準であり、アメリカ的価値観がデフォルトの標準であるという前提を世界中の人が受け入れている。ならば、 アメリカ社会は、地球上のさまざまな国や社会の平均値に近いのかといえば、全く逆で、アメリカは他に似た社会を見出せないほど、まったく の例外なのである。どこの国にもナショナリズムはあるが、アメリカ人のように「世界中の人がアメリカ化すればいちばんいい」と、本気で 思っているようなナショナリストはいない。アメリカは特殊すぎて、ほとんどの国はアメリカ化できないにもかかわらず、グローバルに行動 しようとしたら、アメリカの信仰に合わせてふるまわなくてはならないのだ。
たとえば、サッカーやラグビーなど、さまざまなフットボールのいろいろな要素を取捨選択して、世界中のどこで誰がやっても、コンテクスト フリーで同じようにできるようにと、厳密に標準化されたアメフトは、普遍化したことでかえって特殊なものとなり、ほとんどアメリカでしか やられていない。これは、ほんとうは世界中の人がもう本気でキリスト教なんて信じていないのだが、アメリカ人だけが本気で信じている。 そのアメリカ人が本気で信じているということを前提にやっているゲームを、世界中の人が採用している、という図式と相似なのである。
このこと自体をアメリカがよく理解しておらず、また、相対化できていない。アメリカ人は自分がアメリカ人であるということと、距離を とれていないのだ。
では「私たちにとってアメリカとは何か」。
アメリカべったりの政策を70年以上も続けてきた日本にとって、もし世界を変えることにおいて自分が変わらなくてはならないのだとしたら、 アメリカ(を通じて日本)を知ることこそが、間違いなく、そうした変化への道の入り口であるというのだった。
橋爪 この対談では、アメリカを根底で支える、価値観と行動様式について掘り下げてきました。アメリカのものの見方や行動様式を 体得すること。これは、アメリカべったりになることではありません。その反対に、アメリカと違った価値観と行動様式をそなえた、日本を 発見することでもあるのです。日本とアメリカの関係が、成熟したつぎの段階に進むために、これは不可欠の作業だと思います。
大澤 全面的に賛成です。日本は、アメリカへの精神的な依存度において、世界でも突出していると同時に、アメリカを理解していない程度に おいても、突出している。アメリカを知ることは、アメリカへの、ほとんど倒錯的なレベルの依存から脱するための最初の一歩です。そのこと をつうじて、日本は自分が何者であるかを知ることになるし、自分がアメリカに対して、あるいは世界に対して何ができるかもあらためて 自覚するでしょう。
2019/2/9
「心という難問」―空間・身体・意味― 野矢茂樹 講談社
私は世界そのものを知覚している。目の前の一本の木は確かに実在し、私はその実在する木そのものを見、その梢で囀っている鳥の声 そのものを聞いている。また、私の周りにいる他者たちも、私と同様にさまざまなものごとを知覚し、感じている。「そんなこと、論証する までもなくあたりまえのことではないか」、そう言われるだろうか。
<だが、哲学はそれを疑う>
たとえば、薄暗い山道を歩いていて蛇に遭遇したとする。しかし、近づいてよく見てみるとそれは一本の縄だった。最初に見えた蛇の姿は、 実物を誤って写しとった「知覚イメージ」(錯覚)だったということになるわけだが、もしそうであるならば、私たちが正しい知覚において 見ている縄も「知覚イメージ」にすぎないということにはならないか。
というのが、私たちは実物そのものを見ているという素朴な実感(「素朴実在論」)は間違っていると、疑問符を突きつけ、見ているのは脳が 生み出したイメージにすぎないという「知覚因果説」(実物と知覚像の「二元論」)を要請する、「錯覚論法」と呼ばれる強力な議論である。
しかし、目の前に見えているこのリンゴがリンゴの実物ではなく知覚像であるというのなら、実物のリンゴはどこにあるのだろうか。(「ここ」 そのものが知覚像なのだ)正午を指している目の前の時計が時計の知覚像であるというのなら、実物の時計はいま何時を指しているのだろうか。 (原因は結果に先行するのだから)
「二元論」の考え方に立つかぎり、実在世界と知覚世界は時間・空間的な位置関係をもちえないことになってしまうのである。(「懐疑論」)
ならば、知覚の背後に隠れてしまった実物などは無用のものとし、いっさいは知覚イメージだけと考えればいいのではないか。見えているその リンゴ、それが実在のリンゴそのものであり、実在のリンゴはそれが見えているいま・そこにある、というのが「知覚の一元論」である。
しかし、目の前の引出しの中のハサミは、引出しを開けてみればそこに見えるわけだが、閉じられた引出しの中で私に見られることなく「そこ にある」のではないのか。実在性の根拠のすべてを知覚におこうとする「一元論」の考え方は、懐疑論を退けると同時に、私がいま知覚して いないものの実在性を見失わせるのである。
といったような感じで、知覚・感覚・他者を巡る哲学問題を、日常的な何気ない場面から取り出しながら、ただひたすら一歩ずつ、議論を重ね て進んでいく。
「私の歩みについてきてほしい。私も、読者を置き去りにして進むようなことはしない。」というのだが、複雑に入り組んだ迷路の袋小路の 一つずつを虱潰しに探索しながら、念入りに積み重ねられていく議論のスタイルなので、もういい加減にして先を急ごうとする読者に対し、 道草を食って置き去りにされているのは「アナタの方だ!」と思ってしまった。
誤解のないように付け加えておくが、世界は対象・空間・身体・意味という観点から、それに関わる要因の関数として秩序付けられる。という、 著者が独自に展開する「眺望論」と「相貌論」の切れ味にはさすがに鋭いものがあるし、そこから導き出された結論は、「知覚イメージ」なる ものは私たちの誤った直感と誤った哲学的議論によって生み出された捏造物にすぎない、といたってシンプルなものなのである。
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