徒然読書日記201812
サーチ:
すべての商品
和書
洋書
エレクトロニクス
ホーム&キッチン
音楽
DVD
ビデオ
ソフトウェア
TVゲーム
キーワード:
ご紹介した本の詳細を知りたい方は
題名をコピー、ペーストして
を押してください。
2018/12/27
「死刑絶対肯定論」―無期懲役囚の主張― 美達大和 新潮新書
人の命を奪い、遺族に多大な苦しみを与えたのに、反省しない受刑者がわずか十数年で何事もなかったように社会へ戻るのを見続けて いると、「何という不条理なのか」と暗鬱な気分になります。正義の女神の手にする秤は、常に被害者の命が軽く傾きっ放しのように思えて なりません。
<殺人事件に対する量刑はあまりにも軽すぎる>
反省のない受刑者の傍らで自分の醜行について省察するうちに、そう考えるようになった。というのだから、これは実体験に基づくリアルな 証言として、膝を正して傾聴せねばならないように思ってしまう。著者は計画的に2件の殺人を犯して服役した後、
『人を殺すとはどういうことか』
という話題作を獄中で著してから、すでに20年。悪質な受刑者のみを収容する「LB級刑務所」で、自ら仮釈放の機会を放棄して服役し 続けている、筋金入りの「無期懲役囚」なのである。
例えば、人を殺すことは悪か?と訊けば99%の者が悪である、と答えるでしょう。しかし、自身が他者を殺めた事実については、事情が 変わります。殺すことは悪である、だが、自分の犯行には理由があり、加えて被害者に非があると平然と言う者が半数以上です。
<殺人犯達の多くは、倫理観・道徳というものは持っていません。>
刑務所内の工場や居室では、受刑者同士が自らの犯行の暴力性を誇示するかのように、被害者の悲惨な状況を楽しげに語り、周りも遊びの話 でも聞いているかのような雰囲気である。新法の施行により受刑者の待遇は大幅に改善(自由時間、娯楽、食事など)され、刑務所は「悪党の 楽園」と化した感があるが、自身の罪を反省し、被害者・遺族等の関係者への謝罪、そして将来の更生に有益な処罰を科するのが、本来の主旨 なのであれば、笑い声が響く楽しいだけの刑務所は、受刑者の将来にとってもむしろプラスにならないということを、人権派と称する人々も 理解すべきだというのだった。
にもかかわらず、死刑を科さずに無期懲役刑にする場合、判で押したように被告人の将来の更生の可能性・法廷での反省が見られる等が、その 判断理由となる。LB級施設の受刑者達に、法廷で述べた反省と謝罪の気持ちなどはもうどこにもなく、稀に反省の心を持った者が来ても、 周囲の空気に汚染されてしまい、仮釈放の審査では、反省と更生について模範的な回答をし、被害者に申し訳なかったという素振りもしながら、 なんの罪責感もなく社会へ戻って行くことになる。
無期囚にとっての希望とは仮釈放ですが、真剣に更生しようと期する者とそうでない者を区分できるように制度を整えるべきだと思います。 仮釈放を与える者と、与えないで生涯社会から隔離するべき者とをはっきりと分けた方が、社会秩序を維持する為にも、懲罰という意味でも 望ましいと思います。
まずは「自分の罪とは何か」、そして「命を奪われるとはどういうことか」、さらに「自分が遺族ならば赦せるか」などなど、自分自身と正直 に向き合い、事件の顛末を詳細に振り返り、被害者と遺族の思いについて真摯に考えさせて、それを長文のレポートにまとめさせる。
そんな<反省の度合いを徹底的に測る制度>として、<執行猶予付きの死刑>を導入せよ。というのが、鑑定人をして「奇跡的な知能レベル」 と言わしめた、現役無期懲役囚の主張なのである。
2018/12/23
「私以外みんな不潔」 能町みね子 幻冬舎
道が狭くて、バス停のまぁるい看板が車窓のすぐ横っちょに見える。そこに書かれた10と10。数字の並びはキリがよいし、直線と 円が規則的に並ぶ字面も気持ちがよいし、じゅーじょーじゅっちょーめという響きも、小さいやゆよが多くてシズル感があり、口の中にちょっと 唾が満ちる。じゅーじょーじゅっちょーめでございます。じゅ、じょ、じゅ。言ってみる。
<ここが私は好きです。>
そんな生まれ故郷の札幌から、父の転勤で茨城県の祖母の家に引っ越すことになったのは、幼稚園の年長の夏休み中の出来事だったのだが、 父に「覚えていないだろう」と言われるのは癪なので、懐かしいようなふりをする。すでに、それくらいの小芝居ならやってのけるような 少年だった。
園自体にみんなでいっしょに同じことをしましょうという教育方針がなく、ひとりで絵を描いたり字を書いたりしていても誰も干渉して こなかった、いい具合に放任的だった札幌の幼稚園で、友達がほしいと思うこともなく、何よりひとり遊びを好み、「おはなし」本や「漫画」 を描いていた彼にとって、「なんでお前、服ちがうの?」と、自分より頭一つ大きな男の子がいきなり背中を両手でズンと押してくるような 世界は、恐ろしくて声も出ないものだった。
私は今まで、文字がたくさん書けたり、絵がうまく描けることで、正当に評価されてきた。ところがそれらはここでは何とも思われず、 どうやらかけっこだのなわとびだの、私が一つもおもしろいと思えないものが得意な、くだらない人ばかりがほめそやされている。
<まったく、ここはなんて不潔で下劣な世界なんだろうか。>
そんな彼にとって一番の問題は、幼稚園の薄茶色の不潔な空気の、かなめの場所に腰を下ろしているもの・・・トイレだった。床が水浸しで、 灰色の細かいタイルが貼られていて、その窪んだ目地のいろんな部分にどす黒い水が不規則に溜まっている。ズッとお尻の下までズボンを 下ろさないと、どうしてもうまくおしっこができない、立って器用におしっこをする方法がよくわからない彼にとって、園内をくまなく駆け まわる子供たちの目から逃れ、笑われず、さらしものにもされず、排尿を済ませてサッと帰るような芸当はとても不可能だった。最初の日に トイレの中を見て、思わず口を閉じてしまった彼は、幼稚園では絶対におしっこやうんちをしないことを固く心に誓ったのだが・・・
『オカマだけどOLやってます。』でデビュー以来、ラジオやテレビでも活躍中の、東大卒の文筆業・自称漫画家による、これは異色の私小説 なのである。
周りとはいささか変わったごく繊細な感性(ごはんは嫌い、触られるのがいや、など)を持つ少年の目を通すと、ごくありふれたものである はずの日常の光景は、これほどまでに粗暴で、時にグロテスクなものとさえなることに気付かされるのだが、ついに誕生日がある3月が来て、 今年はさらにうれしいことに、もう二度とこのまがまがしい、不潔な、危ない幼稚園に来なくてすむ卒園式の日。
茶番のような儀式を終えて、広い広い園庭を真っすぐに突っ切って、自転車置き場へと帰りを急ぐ彼を襲った感情は、思いもかけないもの だった。
園の門が近づくにつれて喉元がどんどんカッと熱くなってきて、両手に持った「賞状」にあっという間にポタポタと涙がこぼれ落ち、 そんな感覚に自分でびっくりして、またさらに涙が十粒たて続けに落ちて「賞状」が濡れてしまいました。おもらしとか、押されたりとか、 そういうとってもいやなことがあったわけじゃないのに、そんなとき以上に涙が止まらないことなんて初めてで、ゆがんだ視界のせいか これだけ大きな園庭がとても狭くなったように感じられます。私はお腹のペンダントだけは濡らしたくなくて、「賞状」をくしゃくしゃに 握ってペンダントに押し当てていました。
2018/12/19
「終わりの感覚」 Jバーンズ 新潮クレスト・ブックス
人生も残り少なくなれば、誰でも少しは休めると思う。休む権利があるとさえ思う。私もそうだった。だが、そんなとき、人生に 褒美が用意されていると思ったら大間違いだとわかりはじめる。
「私には面白い人生だった。」
と、そのように我が身を振り返ることを、周囲がそう思わなかったとしても驚きはしないし、あえて文句を言おうとも思わないが、多少の成果 と多少の落胆があったにもせよ、特に何事も起こらなかった平凡な人生を過ごして、今は穏やかな引退生活に満足している。そんな初老の独身 男(前妻と娘とは仲良くやっている)トニーのもとに、ある日、聞いたことのない法律事務所からの手紙が届く。それは、40年も前に別れた 学生時代の恋人ベロニカの母親が亡くなり、500ポンドの現金と2通の「文書」が遺贈されることになっている、という通知だった。
<一度会っただけのベロニカの母親から、そんな謝罪をうけるほどの理由が、あの頃の自分にあっただろうか?>
中学時代からの親友だった秀才エイドリアンは、ケンブリッジに進学し、こともあろうに別れた後のベロニカと恋仲となったことで、絶交する ことになったのだが、「文書」のうちの1通はトニーから彼らにあてて送った呪詛の込められた手紙であり、もう1通はほどなくして自殺して しまったエイドリアンの日記だった。なぜか、その「日記」を手元に置いて渡そうとしないベロニカと、40年ぶりのぎくしゃくした応答を 繰り返すうち、忘れていた過去がフラッシュバックし始めることになる。
2011年度「ブッカー賞」受賞作品。
『10 1/2 章で書かれた世界の歴史』
『イングランド・イングランド』
など、 4度目の候補としてようやく受賞にこぎつけた、英国を代表する知的作風の作家による、これは記憶と時間をめぐるまことにスリリングな掌編 なのである。
私たちは自分の人生を頻繁に語る。語るたび、あそこを手直しし、ここを飾り、そこをこっそり端折る。人生が長引くにつれ、私が語る 「人生」に難癖をつける人は周囲に減り、「人生」が実は人生でなく、単に人生についての私の物語にすぎないことが忘れられていく。それは 他人にも語るが、主として自分自身に語る物語だ。
過去の思い出というものは、しまい込んで忘れられているからこそ、時々思い出してみるだけなら、懐かしく、美しいのだ。一旦掘り起こされ て、白日の下に晒されてしまった過去の真実は、思い出すたびに苦く、切ないものとなる。そして、それはもはや、取り返すことのできない 悔恨として、胸の奥底に蟠ることになるのだった。
<累積があり、責任がある。その向こうは混沌、大いなる混沌だ。>
人生の終わりに近づくと――いや、人生そのものでなく、その人生で何かを変える可能性がほぼなくなるころに近づくと――人にはしばし 立ち尽くす時間が与えられる。ほかに何か間違えたことはないか・・・。そう自らに問いかけるには十分な時間だ。
2018/12/18
「絶景本棚」 本の雑誌編集部編 本の雑誌社
登場の書斎主は趣味も専門もバラバラ。本棚の数だけ広がる世界。意外と役立つかもしれない収納ノウハウに、あの人はあの本の隣に 何を並べているのか。魅惑の背表紙読書もお楽しみください。
というこの本は、本の雑誌の書斎訪問連載『本棚が見たい!』の書籍化第一弾なのである。
8坪の狭小地に地下1階、地上2階建ての、めくるめくような螺旋状の書庫を建ててしまった、社会経済学者の松原隆一郎や、約5万冊の蔵書 を、背表紙を壁紙代わりに美しさと機能性にこだわって収容しているという、小説家の京極夏彦の本棚、なんていうのは、フルカラーの写真を 眺めているだけで、その絶景に息を呑むことにもなるし、
国土地理院の地図を1万枚、それ以外の地図を2千枚程度所有するという、地図研究家の今尾恵介や、版が違うのはもちろん、同じ版なのに 色が違っていたり、用紙によって厚さが違うからと『言海』だけで260冊以上あるという、辞書研究家の境田稔信など、いくら専門である からとはいえ、そのこだわり方は尋常ではなく、蒐集品がズラッと並ぶ本棚の光景はまことに壮観なのである。
版型別に収納できるよう設計された本棚の、文庫用のスペースに講談社文芸、岩波、中公、ちくまの各文庫が整然と並ぶ、大学職員の根岸哲也 の本棚。まず巨大な本棚を作り、単行本も文庫も作家別50音順に並べて使い勝手最高というのは、作家の新井素子の本棚。どの部屋も膨大な 量のソフトに埋もれていて、隙間から覗き込むくらいしか確認する術がない魔窟と化した、アンソロジストの日下三蔵の書庫。
本の並べ方、整理の仕方も各人各様で、眺めているだけで楽しいのだけれど、種々雑多なジャンルの本が、脈絡もなく並べられているかの ような、HONZ代表の成毛眞の本棚が一番しっくりきたのは、多分それが、暇人の本棚の普段見慣れた風景に、何となく似ているように 感じたからではないかと思う。
自分の本棚を他人に見られるということは、何となく裸にされてしまうようで恥ずかしいのではないかと思うのだけれど、本というものは 背表紙を見ているだけで、読んだような気持ちになれるものなのだから、他人の本棚の背表紙を眺めるという行為は、実際に本を読むこと 以上に、想像を掻き立ててくれることになるのだろう。
<人の魂、本棚に宿る。>
スタイリッシュ、すっきり整然、床積み、魔窟に野放し系etc.。趣味も専門もバラバラな34人の最強の本棚模様。堂々の背表紙も 魅惑たっぷり、フルカラーで迫ります。
2018/12/17
「死に山」―世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相― Dアイカー 河出書房新社
遺体はテントから1キロ半ほど離れた場所で見つかった。それぞれべつべつの場所で、氷点下の季節だというのにろくに服も 着ていなかった。・・・ほぼ全員が靴を履いていなかった。・・・9人のうち6人の死因は低体温症だったが、残る3人は頭蓋骨折などの 重い外傷によって死亡していた。・・・女性メンバーのひとりは舌がなくなっていた。・・・一部の衣服から異常な濃度の放射能が検出 されたという。
1959年初めの冬、ウラル工科大学の学生と卒業してまもないOBのグループが、ウラル山脈北部のオトルテン山登頂を目指して遭難した。 3週間近くたって送り込まれた捜索隊が、回収した遺体の検死後に発表した最終報告書に書かれた死因は、「未知の不可抗力」というもの だった。目撃者もなく、広範な調査が続けられたものの決め手はなく、科学技術の進歩にもかかわらず、半世紀以上たった今でも、この あいまいな死因は書き換えられていない。
一方では、雪崩、吹雪、殺人、放射線被曝、脱獄囚の襲撃、衝撃波または爆発、放射性廃棄物、UFO、宇宙人、狂暴な熊、異常な冬の竜巻、 などなど。はては、冷戦下のソ連のことゆえ最高機密のミサイルの発射実験を目撃したせいで暗殺された、なんて突拍子のないものまで、 さまざまな憶測が飛び交い、いまだにインターネットを席捲、人びとを翻弄し続けてもきた。あの夜、なにかが起こってメンバーは全員、 夜を過ごそうとして設営したキャンプを飛び出し、厳寒の暗闇に逃げていった、のだとしたら・・・
<彼らはいったい何を体験したのだろうか?>
9人の若者が不可解な状況で命を落とし、なにがあったのか知らされることもなく、その家族の多くもすでに世を去った、この胸の痛む事実に 対し、まだ生き残っている人々も、やはり同じ答えのない疑問を抱いて墓に入らせてはならないという、それは鎮魂にも似た感情に導かれての ものだったのかもしれない。
これは、たまたまこの事件に出会い、次第にのめりこんでいく中で、グループの唯一の生存者がまだ存命であることを知った、アメリカ人 ドキュメンタリー映画作家が、グループメンバー自身が残した日誌と写真、捜索に関わった人々へのインタビューなど、多年にわたる事件資料 の丹念な調査に基づき、そして無謀にも自ら身をもって挙行した冬山登頂から再構成してみせた、世界的未解決遭難怪死事件の、衝撃の全貌と 真相の記録なのである。
だれかがココアの粉末を水に溶かしたが、火がなくて冷たいままだった。ジーナとドロシェンコがストーブを組み立てられなかったのは、 外でなにかが起こりつつあって、不安が募ってきていたからかもしれない。テントの下のスキー板はすでに振動しはじめていたが、やがて テント自体も揺れはじめた。
ここから先の、<多分こうだったんではないか>劇場(@チコちゃん)の息詰まるような一幕は、どうぞご自分でお確かめいただくとして、 最後に一言だけ。トレッキング隊のリーダーの名をとって「ディアトロフ峠事件」と呼ばれるようになった、この事件の現場はホラチャフリ山 の東斜面。それは皮肉にも、この地に昔から住むマンシ族の言葉で「死の山」を意味する名前だった。
たしかにディアトロフ事件は謎めいているが、この事件に惹きつけられたのは、たんに真相を知りたいという欲求のためだけではない。 ディアトロフ・グループのメンバーは、大学で勉強するかたわら、ろくに地図もない地域を探検して過ごしていた。インターネットもGPSも ない時代にだ。かれらの生きた環境―冷戦真っ盛りのソビエト連邦という―は私自身が生まれ育った環境とはあまりにもかけ離れてはいるが、 かれらの探検の旅には一種の純粋さがあり、そこに共感を覚えた。
2018/12/15
「全国マン・チン分布考」 松本修 インターナショナル新書
男根語である「オチンチン」「チンポコ」「チンポ」などならば、テレビでも、ネットでも、ときにかわいらしく、愛らしくさえある 言葉として、日常的に口に出すことができるというのに・・・。
<女陰語は、今、なぜ大っぴらに口に出せないのだろうか?>
ベストセラー『全国アホ・バカ分布考』を世に出した、人気テレビ番組『探偵!ナイトスクープ』に寄せられた一通の投書。
「私のおまん、どこにいったか知りませんか?」と東京の職場へお土産に持参したお饅頭の行き場を尋ねて大騒ぎとなってしまった、24歳 (1995年当時)の京都の独身女性からの依頼に応えて、<女陰語は、日本で、どのように分布しているのか。その分布は、どのようにして 成立したのか?>を追いかけた大調査の、これは23年後の報告書なのである。(分布図自体は依頼前の1992年に出来上がっていたのだが、 放送禁止用語であるため、お蔵入りしていたらしい。)
マンジュー、ヘヘ、ボボ、マンコ、チャンベ、メメ、オメコ、オソソと、日本地図の上に遠隔地から順に同心円上に並べられた「女陰語」の 分布図は、「アホ・バカ分布」と同様に、みごとに方言の「多重周圏構造」を描いていた。
方言の多くは地方で独自に生じたものではなく、文化の中心地だった京の都で流行りすたりした言葉が、明治維新まで1000年以上をかけて、 じわじわと地方に広がったものなので、京都より東にある方言は、原則として西にもあって、はるか昔の京の都の遺風を受け継ぐ、古い言葉 ほど時間をかけて遠くまで旅をするのだという。京都ではうら若き乙女が平気で口にする「おまん」(お饅頭)は、関東だけでなく四国・土佐 でも周囲の人を赤面させる禁忌語となるのである。
さて、ではなぜ「オマンコ」と呼ばれるようになったのか?
女陰が「マンジュー」と呼ばれたのは、鎌倉・室町頃に渡来した饅頭の、蒸しあげた丸くて白く柔らかそうな外観が、女児のそれに似ていた からではないかという。しかし、あどけない幼児のための言葉だった「マンジュー」が、やがて大人の陰部にも使われるようになったため、 (「毛饅頭」なんてのもあるらしい。)都の婦女子はさらに愛らしさと上品さを加えるべく、御所で使われていた「オマン」に、指小辞「コ」 を付けて「オマンコ」という言葉を生み出したのだ。
では、我が石川県の「チャンペ」は?(なんか物凄く恥ずかしい・・・)
室町時代、輸入品であり庶民には手の届かない高級品だった「茶壷」は、その形が似ているところから女陰を意味する言葉として通用していた。 「茶の湯」という文化の華が完成した徳川初期の京では、「お茶」そのものが女陰の意味に用いられるようになる。そして、「茶」をさらに 愛らしいものとして「擬人化」するため「兵衛」を付けて、「茶兵衛」という愛称を付けたというのである。「真理っぺ」「百合っぺ」の ように、そこには娘を慈しむ両親の情愛が込められているような気がする・・・って、ホンマかいな!
2018/12/03
「政権奪取論」―強い野党の作り方― 橋下徹 朝日新書
インテリ層は理想を語ればいいだけなので、自分の理想に合っているかどうかで判断する。しかし現実の政治行政は、理想を直ちに 実行できるものではない。現状に変更を加えようとすると、官僚組織、政治家、利害関係者、そしてメディアを中心とした世間の反対の声を 乗り切っていかなければならない。多くの政治家はそれを乗り切るために途方もない精神力、体力、政治力を求められ、最後は屈服し、 現状維持に甘んじる道を選びがちだ。
<しかし安倍政権は現状変更にチャレンジしてきた。>
森友・加計問題での身内への甘さと調査能力の欠如、公文書の改ざんに伴う民主政治への信頼の深刻な失墜、陸自問題があらわにした シビリアンコントロールの危機などなど、数々の不始末を露呈しながら、「他の内閣より良さそう」という理由だけで、安倍内閣が安定した 支持率を維持できていることの理由が、もしもそこにあるのだとすれば、<日本の政治には、今こそ、与党に緊張感を与える野党が必要だ。> 自民党に対抗できる強い野党を作るためには、自民党とは異なる太く新しい方向性とビジョンをもって、日本が進むべき新しい道を示さねば ならないことは言うまでもないが、<方向性やビジョンを打ち出すだけでは強い野党は作れない。>
今の野党は、いい政策さえ作れば国民の支持は集まると勘違いしているようだが、政権与党の失政を政権交代の「風」につなげるためには、
・有権者のニーズを的確に科学的にすくいあげる組織的能力
・きちんと意思決定できる組織マネジメント
・地方で実績を示した上での基礎票の獲得
といった「したたかな戦術」が必要だ、というのが大阪での8年間の実績を踏まえた、元「大阪維新の会」代表からのアドヴァイス なのである。
<あえて言う、政策より組織だ>
強い野党を作るには、政策理念が一致しているかどうかよりも、「決定できる組織」かどうか、その技術や力量があるかどうかの方が大事 である。
<「次は私のことについて」変えてくれるという期待感>
大事なのは政党としての「意気込み、挑戦、実行力」を見せることなのであり、多種多様な有権者の「見えない票」は現在ではなく将来の 利益を見ている。
「今の野党が全部まとまったときに醸成される日本の新しい道では、自民党と真に対抗できるだけの無党派層の支持を得られないと思う。」 という違和感を拭いきれないらしい著者は、自民党の「融通無碍さ」と「それでもまとまる力」を、ぜひ見習ってほしいとさえ苦言する。 つまりこれは、本気の『政権奪取論』なのである。
野党としては、政権与党に緊張をもたらすためのもう一つの「器」であることが大事なのであって、器の中身つまり政策・理念・思想など は、各政党が一生懸命、国民の多様なニーズをすくい上げて詰めていくものだと思う。つまり政党で死命を決するほど重要なのは組織だ。 はじめから政策・理念などを完全に整理する必要はない。
先頭へ
前ページに戻る