徒然読書日記201807
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2018/7/28
「恋する能楽」 小島英明 東京堂出版
男女の恋愛が描かれる「能」に登場する人物は、今を生きる私たちと同じように恋をして胸を 時めかせるし、失恋をして傷つき、打ちひしがれることもあります。(中略)さらに彼らはあの世とこの世を 往来し、生きている間には伝わらなかった思いや言葉を亡霊となって現れ、語ります。既に死している者 だからこそ、後悔に苛まれている者だからこそ、その語りは独特の説得力を持ちます。
<まるで「後悔のない恋をしなさい」と諭しているかのように。>
舞台が始まると、まず「ワキ」が登場し自らの素性を名乗って、あるワケありの場所へと案内する。(道行) 「ワキ」は旅の僧など常に男性で、現実の人間として面をつけず(直面)に演じられる。
そこへ「前シテ」が現われ、その土地にゆかりのある人物の物語を語り、自らがその人であることを ほのめかしながら「幕入」する。(前場)
「アイ」(間狂言)による解説が入ってから、「後シテ」が在りし日の姿で現れ、昔を偲んで舞を舞うなど した後、夜明けと共に姿を消す。(後場)
というのが、600年以上も前に世阿弥が確立し、今では能の主流となった「夢幻能」の基本的スタイルなので あれば・・・
身分の違いと歳の差に「身の程」という切ない現実を弁えながらも身を焦がした、老人庭師の山科荘司と、 ほんの「遊び心」から、そんな老人の想いを弄んだことで、ついに自死に至らしめてしまった白河院女御の 物語。
それ及び難きは高き山。思ひの深きは渡津海の如し。いづれ以ってたやすからんや。げに心さへ軽き身の。 塵の浮世にながらへて。由なく物を思ふかな。(『戀重荷』)
九州から上京して三年もの間戻らぬ薄情な夫を怨みながらも、溢れる恋慕の情を抑えることが出来ぬ妻と、 そんな妻がついには病死するに至ってもなお、妄執の地獄の苦しみにあることを知って、後悔の念に苛まれる 夫の物語。
今の砧の。聲添へて君がそなたに吹けや風。あまりに吹きて松風よ。我が心。通ひて人に見ゆならば。 その夢を破るな。(『砧』)
「何があろうと一日も欠かさずに百日通って下さったら、あなた様の恋を叶えましょう。」と約束する 小野小町に、恋するがゆえに九十九もの夜を通いながら、共に語ることさえ叶わずに百日目の夜に息絶えた 深草少将の命懸けの恋。
あかつきは。あかつきは。数々多き。思ひかな。我が為ならば。鳥もよし啼け。鐘もただ鳴れ。夜も 明けよ。ただ獨寝ならば。つらからじ。(『通小町』)
などなど、どの物語をとってみても、そこにあるのは、<この世になにかしらの「無念」を残した人の声を 聞いてあげて、またあの世に送り返す。>という、天才・世阿弥が考案した「残念」を昇華させる装置の 絶妙な按配なのである。
う〜む。「能」ってこんなにスリリングなものだったのか。
本書では「恋愛」をテーマにした能の作品を20曲紹介しています。・・・人を恋うるとは、心が花で 満たされること。そして心が鬼の棲家となること。ぜひ登場人物の気持ちに触れ、その心を想像してみて 下さい。古今変わらぬ、大切な何かに気が付くはずです。
2018/7/26
「国体論」―菊と星条旗― 白井聡 集英社新書
真珠湾攻撃当時の日本が戦場では勝利していたにもかかわらず本質的には破滅していたのと全く 同じ意味で、われわれの今日の社会はすでに破滅しているのであり、それは「戦後の国体」によって規定 されたわれわれの社会の内在的限界の表れである。
<「国体の歴史」―その二度にわたる形成・発展・崩壊―を叙述する。>
大日本帝国憲法によって、天皇は「神聖不可侵」な「統治権の総攬者」という存在と位置づけられた、明治 時代は「天皇の国民」の時代だった。自由主義的な思潮が流行し、統治者としての天皇の存在が希薄化した、 大正デモクラシーという「天皇なき国民」の時代を挟んで、理想国家実現のために、支配・動員される立場 から能動的に活動する者へと転化した臣民によって押し戴かれる、昭和ファシズムは「国民の天皇」の時代 であった。「天皇の国民」から「天皇なき国民」の段階を経て「国民の天皇」へと達したところで、 システムが崩壊したと、戦前の「国体史」はシンプルに総括できる。
<同様のサイクルを戦後史にあてはめることが可能である。>
戦後の日本が混乱と紆余曲折を経ながら経済的繁栄を達成できたのは、占領から安保条約締結そして改定へと 至る対米従属体制の形成と確立があったからだ。この「アメリカの日本」の時代は、1971年のニクソン 訪中などに象徴されるアメリカの国力の低下と共に終焉し、日米貿易摩擦も激化する「アメリカなき日本」 の時代となるが、これはまぎれもなく対米従属レジームの安定による果実でもあった。しかし、91年の冷戦 崩壊によりアメリカが日本を同盟者として遇する必然性が消滅すると、日本の対米従属は逆にますます顕著と なり、いつの間にか自己目的化された「日本のアメリカ」の時代として、現在に至っているのである。 つまり・・・
<戦後においては、「天皇」の位置、あるいは機能的等価物を「アメリカ」が占める。>
というのが、あの数々の受賞に輝いた前著作
『永続敗戦論』
において、「敗戦の否認」という歪んだ歴史意識が、日本社会にいかに有害なかたちで 浸透しているかという事実を、明瞭に浮かび上がらせてみせた著者の見立てなのである。
大日本帝国は、「天皇陛下がその赤子たる臣民を愛してくれている」という命題に支えられ、その愛に応える ことが臣民の義務であり幸福であるとされた。親米保守勢力が支配する政府とそれを翼賛するメディア機関は、 「アメリカは日本を愛してくれている」という妄想を、日本の国民に刷り込もうとしている。
<「国体」は、残骸と化しながら、それでも依然として国民の精神と生活を強く規定している。>
2016年8月8日、天皇の「お言葉」がテレビを通して発せられた。この「象徴としてのお努め」について の今上天皇の強い危機感の表明を、私たち日本人はどう受け止めればよいのだろうか。アメリカを事実上の 天皇と仰ぐ「国体」において、日本人は霊的一体性を本当に保つことができるのか、という問いをである。
もし仮に、日本人の答えが「それでいいのだ」というものであるのなら・・・それは「天皇の祈りは無用で ある」との宣告にほかならないことを、私たちは覚悟しなければならない。
そしていま、アメリカの媒介によって「国体」が再編され維持されたことの重大きわまる帰結を、 われわれは目撃しているのである。(中略)戦後の天皇制の働きをとらえるためには、菊と星条旗の結合を、 「戦後の国体」の本質として、つまり、戦後日本の特異な対米従属が構造化される必然性の核心に位置する ものとして見なければならない。
2018/7/23
「誰もが嘘をついている」―ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性― SSダヴィドウィッツ 光文社
「君は『ニガー』というグーグル検索ワードが人種差別を示唆するとしている」とサマーズは 言った。「ありそうな話だな。それによってオバマがケリーに後れを取った地域が予測できると。面白い。」
元米国財務長官で、経済学の権威ある賞をいくつも受けている、ローレンス・サマーズのオフィスに招かれ ることになったのは、「米国の隠れた人種差別がオバマの選挙にどう影響したか」について書いた著者の論文 に、サマーズが興味を持ったからだった。「君は他に何をやっているんだ?」と、利率とインフレ、警察と 犯罪、事業と慈善などについて語り合った、それは人生で最も知的に酔わせられる60分となったのだが、 結局、サマーズが本当に聞きたかったのは、「このデータで証券市況を予測できると思うかい?」という、 誰もが知りたがる質問だった。
<新たなビッグデータ・ソースは、株価の行方を予測できるのか?単刀直入に答えればノーだ。>
キーボードやタッチスクリーンの操作を手がかりに、人々の本当の欲求、実際の行動、そして真実の姿を 暴き出すことができるのではないかと思い付き、グーグル・トレンドを使って博士論文を書いてやろうと 決意した時から、人々がウェブ上に残す痕跡を追い続けるようになった、元々はグーグルの データサイエンティストという肩書を持つ、インターネット・データの専門家である著者の、それが今の ところの回答なのである。
<それでは、ビッグデータ分析で一体何ができるのか?>
1.かつてなら推測するしかなかった領域を映し出す、豊富なテーマをめぐるさまざまなデータが手に入る。
(選挙絡みの検索の大部分は、両候補の名前を含んでいるが、先に入力された候補が当選するという入力順が、 投票動向の良い先行指標になっている・・・など)
2.匿名性が守られるため、欲望と行動の言行不一致が明らかになる正直なデータをもたらしてくれる。
(SNSでは夫を「最高」「誰よりすごい」と評している妻たちが、グーグルでは「嫌なやつ」「うんざり」 というワードで夫を検索している・・・など)
3.データが膨大な規模で手に入るので、小さな部分集合に絞り込んでも、有意義な分析ができる。
(人気のある暴力的な映画が公開された週末には、無数の米国人が残虐な犯罪シーンに扇動されて、という 予想とは逆に犯罪は大きく減っていた・・・など)
4.手軽に比較対照試験ができるため、単なる相関関係ではなく、因果関係を検証できる。
(名門校出身者が他の高校の出身者よりも栄達する理由はただ一つ、もともと優秀な人間を採っているから で、高校での教育を原因とする結果ではない・・・など)
これは、「グーグル検索こそ、人間心理についてこれまで収集された最も重要なデータセットである」と確信 している著者による、<情報過多時代に不可欠な新しく創造的なアプローチ>への招待状なのである。
これは偽科学ではない正真正銘の科学だ。だからと言って、社会科学革命が単純で普遍的な法則の形を 取るとは限らない。(中略)革命はむしろ、研究に研究を重ね、発見に発見を継ぐことで、徐々に訪れる だろう。人間の心と社会の複雑なシステムについて、私たちはゆっくりと理解を深めていくだろう。
2018/7/17
「<六本木>には木が6本あったのか?」―素朴な疑問でたどる東京地名ミステリー― 谷川彰英 朝日新書
予ツラツラ思ふに麻布の此辺には上杉朽木高木青木片桐一柳等の諸侯の下やしき中やしき六軒まで 集ひあるが故に六軒の苗字をかたどりて六本木といふもしるべからず此故(以下略)
つまり、「木」が関係している6つの大名屋敷があったので、「六本木」という地名が起こった。とするのが、 小石川に住む老僧・十方庵敬順が著した『遊歴雑記』(文政12年)に端を発する「六大名説」なのだが、 地名はその地域で自然発生的に生まれるのが普通で、6人の大名の苗字が木にちなんでいるから、などという 「凝った」付け方は考えられない。
というこの本は、「地名というものは現地を訪れてその風土に触れ、人々の気持ちに触れなければわからない ものなのだ。」と文献調査だけでなく、必ず現地調査を行うことを信条にしている、名うての「地名研究者」 が、「地名の謎」を解くだけでなく、その謎解きのプロセスを、推理小説で起きた事件の真相を探るかの ように、説き起こしてくれるものなのである。
<「池袋」の「袋」は何の袋なのか?>
「袋」のような盆地の窪地に、多くの沼地があったという印象から、地名の由来は来ている。しかし、池袋 周辺は都内でも高台にあり、多くの池があったというには無理がある。実は、「池」は今の池袋駅から見ると ずっと北東の滝野川方面(地名は「谷端」)にあった。本来の池袋村は板橋駅に近かったのだ。
<一つも洲がないのになぜ「八重洲」?>
「洲」は砂地を意味する地名となると、東京駅の新幹線側は砂地だったのだろうか?そんな話は聞いたことが ない。家康の外交顧問としてウイリアム・アダムス(三浦按針)と共に活躍した、ヤン・ヨーステンに与えら れた屋敷から「八代洲」という地名が生まれたのである。
<「日本橋」は「日本一の橋」?>
17世紀の末に出された『紫の一本』という本に、「一つ橋、日本橋ありて、三本橋なきはいかに」と書かれ ている。江戸の町が造成され始めた頃、丸太二本を渡しただけの粗末な「二本橋」が、立派な橋に改修されて 「日本橋」と呼ばれるようになったのだ。
などなど、その由来を単に知っているにとどまらず、どのように知り得たのかを追体験することで、地名散歩 の魅力はますます深まっていくのだが、さて・・・
<六本木に木は6本あったのか?>
龍土町の高台に昔から古い松の木が6本あったことが「六本木」の町の起こりと考えてよいが、それがどこに あったかはわかっていない。ただ、『江戸名所図会』にこの周辺の名所として紹介されている「一本松」は、 代を変えながら今も同じ場所に立っているのである。
2018/7/13
「絶滅の人類史」―なぜ「私たち」が生き延びたのか― 更科功 NHK出版新書
ヒトが圧倒的に特別である理由は2つにまとめられる。1つはヒトが生物として変わった特徴を もっていること、つまり実際に、ある程度は特別な生物だからだ。
約700万年前にチンパンジー類と分かれて別々の道を歩み始めた、人類の系統において最初に進化した特徴 とは、「直立二足歩行」と「犬歯の縮小」である。人類以外の草原に住むすべての動物が「四足歩行」のまま 進化しているのは、「直立二足歩行」には短距離走が苦手で、しかも目立つという大きな欠点があるからだ。 人類が「犬歯」=牙という凶器を捨ててしまったのは、一夫一婦制かそれに近い社会を作るようになり、同種 内での争いが穏やかなものになったからだ。しかし、生存競争を勝ち抜くためには、一見不利と思われる ような、そんな・・・
<ヒトという生物の変わった特徴がなぜ進化したのか。>
もう1つは、ヒトにもっとも近縁な生物から25番目に近縁な生物まではすべて絶滅していて、26番目 に近縁な生物(チンパンジーとボノボ)と比較しているからだ。
今のところ知られている最古の化石人類(サヘラントロプス・チャデンシス)から、アウストラロピテクス属、 ホモ属まで、つまり、25種以上いた人類の中で、現在生きている私たちヒトは「最後の種」なのである。 では・・・
<人類の中でなぜヒトだけが生き残ったのか。>
というわけでこの本は、動物の骨格の進化をテーマに
『化石の分子生物学』
を渉猟する分子古生物学者が、私たちホモ・サピエンスは、「本当に特別な存在 なのか」という、偶然と幸運のストーリーを描き出さんと、果敢に挑んだ意欲作なのである。
肉食獣に見つかりやすく、見つかったら最後、捕まって食べられてしまう、そんな不利な特徴を人類が わざわざ進化させたのは、おそらく、<食料を手で運んで、子を育てるためだった。>
捕食者から身を守るために、私たちは「群れ」という高度に協力的な社会関係を作り上げ対抗したが、 それでも食べられてしまう確率が高かったのなら、<多く食べられた分だけ、たくさん産めばいいのだ。>
結局、生物が生き残るか、絶滅するかは、子孫をどれだけ残せるかにかかっているという、これはまことに 他愛もない人類史の真理なのである。
なんでも食べられてどこでも生きていける者が、かろうじて生き残った。私たちの祖先は弱かったけれど、 いや弱かったがために、類人猿にはない特徴を進化させて、生き残った。その末裔が、私たちホモ・ サピエンスだ。この本は、そんな私たちの祖先の物語である。
2018/7/10
「ヤクザと原発」―福島第一潜入記― 鈴木智彦 文春文庫
暴力団と1Fは“誰もが嫌がる危険な取材先”という共通点を持っており、ならば向いている だろう、と思った。幸い、日々の暴力団取材で恐怖への感受性は鈍化している。子供もおらず、放射能が 人体に与える影響と体力のバランスを考えれば、44歳(当時)という年齢からも適任だ。
<無理をしても原発を取材しよう>
2011年3月12日、東京電力福島第一原子力発電所(1F)の1号機が水素爆発を起こした、ちょうど その瞬間・・・著者は、郡山を過ぎ福島市に入る直前で、水と食料と往復分の軽油を詰め込んだトラックの 助手席に座っていた。
4トン車4台編成のその集団の、著者以外のメンツは運転手を含めすべて現役の暴力団だった。東日本大震災 で、物資の支援を行ったのは、住吉会や稲川会など東北に多くの参加団体を持つ組織はもちろん、山口組を はじめ、全国ほぼすべての暴力団がなんらかの救援活動を行ったのだという。それは、いまや反社会勢力と 呼ばれ、存在を全否定されている彼らの、あくまで<善意>に基づくボランティア行為だったのかもしれない が、
「原発は儲かる。堅いシノギだな。動き出したらずっと金になる。これ一本で食える。シャブなんて売らん でもいい。・・・それに原発はあんたたちふうに言えば、タブーの宝庫。それが裏社会の俺たちには、 打ち出の小槌となるんだよ。」
震災前の建設時からすでに、地域社会において密接な関わりを切り結んできた『ヤクザと原発』の切っても 切れない関係は、震災直後、暴力団を通じてコンタクトを取った、東電協力会社への取材などからも、今も 変わらず存在していることは明らかなのだった。
「俺たちの仕事は、基本、中抜きなんで、いまどき自分で現場に行くことは少ねぇだろうけどな。」
「メーカーも分かってるだろ。知らんぷりだけど、汚れ仕事はヤクザにって思ってるんじゃないか。」
「駆け出しのヤクザでも10人集めれば月に600万円だ。・・・バブルがはじけて、単価が下がって くっと、適当にやってた人夫出しの会社がばたばた倒産したけどね。」
福島原発関連の協力企業が、どこも作業員不足に頭を抱えていることを知った著者は、わずか5分の面談で 暴力団から紹介された業者への就職内定を得ることに成功する。
「命懸けられるっすか?」
「死んでもがたがた言わないと誓約書に書きます!」
というわけでこの本は、ヤクザ専門誌の元編集長として、ヤクザ関連の記事の取材・寄稿を続けている 暴力団専門のライターが、福島原発1Fの高密度汚染区域に、防護服を身に纏って突撃取材を敢行した、 まさに「命懸け」の潜入ルポなのであるが・・・
そこで悪戦苦闘する作業員たちの、意外に真摯な原発への向き合い方や責任感などは、先にご紹介した漫画
『いちえふ』
でも描かれていたように、基本的にヤクザでもそれほど変わることはなかった。
東京電力を筆頭とする、原発関連企業の上層部の、臭い物に蓋をするやり方のほうが、よほどにヤクザ なのである。
「ヤクザもんは社会のヨゴレ、原発は放射性廃棄物というヨゴレを永遠に吐き続ける。似たもの同士 なんだよ。俺たちは」
組長の得意顔がフラッシュバックする。ともにダブルスタンダードの常用を余儀なくされる点では、確かに 似ている。
2018/7/6
「家族シアター」 辻村深月 講談社文庫
「真面目」というのは、随分便利な言葉だ。大人が使うとまるで褒め言葉のように聞こえる。 だけど、そんなの「イケてない」ことの裏返しだし、愛想のない分厚い眼鏡に、前髪まできっちり真ん中分け にして編み込んだお下げを揺らす姉は、実際ブスだった。
<姉は「真面目な子」だった。>
勉強や、ピアノや書道など習い事での成績を誇った、同じ中学で一学年上の「亜季のお姉ちゃん」と、お互い の友達からどうしても注目されてしまう、「由紀枝ちゃんの妹」だった亜季は、そんな姉を反面教師として、 あの子はオシャレな子、気を遣っている子、というイメージを獲得するための女としての努力を続けた。 そんなある日、念願かなった憧れの男子との初デートの途中、近場のデパートの前に勢ぞろいする三つ編み 軍団の中に、楽しそうに笑っている姉の姿があった。「山下の姉ちゃんさ、少しはお前のこと見習えばいい のにな。勉強ばっかじゃなくて、世の中、もっと楽しいことあるし。だいたいさ、部活、アニメイラスト部 なんだって?」
休みの日だって普段と変わらない眼鏡とお下げ姿。だけど、提げた鞄に大きなハート形のキーホルダーを つけていた、普段、学校にはつけていかない。休みだから、友達と一緒だから、オシャレしてるんだ。
という、『「妹」という祝福』を皮切りに、様々な家族のあり方を描いた、小さな物語が全部で7編。
「あんたたちみたいなネクラがバイト代はたいて“お誕生会”の準備に夢中になったところで、その子たちの 感謝なんてめっちゃくちゃ薄いよ。」
とアイドルオタクの弟をバカにしていたはずの姉(ヴィジュアル系バンドの追っかけギャル)は、そんな <ファンの情熱>に取材した心温まる新聞記事を発見し、取っておいてくれていた。(『サイリウム』)
「自分は親だから、謝らなくてもいいって思ってるよね。そんなふうに血のつながりは絶対って思ってると、 いつか、痛い目見るよ。」
高校に入って、やたらと塞ぎ込んで、母親に反抗的な態度を見せるようになった優等生の娘が、担任の子ども を宿していることに気付いた時、自分も出来ちゃった結婚だった母が躊躇うことなく発した言葉は、 「その人のことが、好きなの?」というものだった。(『私のディアマンテ』)
「海に行った時、貝殻の音のことも話したよね。私が海の音だって言ったら、あんたが違うって言って、 それで怒っちゃったけど、あの時、本当はなんか言おうとした?」
学研の『6年の学習』に載っている漫画の続きを毎月楽しみにしている姉のはるかに対し、1年下の妹の うみかはちょっと変わった、付録を楽しみにしている『科学』派だった。宇宙飛行士になりたいが、言葉に して何か言うのは苦手だから、「お姉ちゃんみたいな人をつれていくのが夢だ」と告白した、そんなうみか だってきちんと言葉にできていた。 「『その音は、お姉ちゃんが奏でてる音だよ』って、言おうとしたの。」(『1992年の秋空』)
家族だからこそぎくしゃくして、家族だからこそ言い過ぎて、家族だからこそ気になって、家族だからこそ ひきづってしまう。誰もがみな、どうしようもなく「家族」なのだった。
胸がぎゅーっとなって、「ごめん、一人で行って」と別れてしまったその日のデートを、後で激しく後悔する ことにはなったけれど、姉の結婚式のテーブルに置かれた手紙を読んで、優等生である姉を自分が誇りに 思っていたのだということに、亜季が気付かされたこともまた事実なのである。
『亜季へ
中学校時代の私、山下由紀枝にとって、唯一の自慢は、自分にかわいくて人気者の妹がいる、ということ でした。友達も少なく、男の子とも無縁な私の憧れを全部かわりに生きている亜季は、当時の私がすがり ついた価値のすべてでした。いつまでも、その頃のかっこよさを持った亜季でいてください。』
2018/7/5
「合成生物学の衝撃」 須田桃子 文藝春秋
下から上へ、大小の丸い細胞同士がひしめき合いながら増殖し、空間を徐々に占領していく様は、 一見、ごくありふれた細菌のように見える。だが、その細胞群が持つ意味を考えながら眺めていると、私は 驚嘆と同時に、かすかな戦慄も覚えずにはいられない。
我れ先にと成果を競う公的な国際チームに対し、独自のアイデアでたった一人で立ち向かい、実質的な勝利を 収めた、『ヒトゲノムを解読した男』クレイグ・ベンター。彼がその理想を実現するために設立したベンター 研究所のウェブサイトを開けば、8時間を約20秒間に圧縮したモノクロの動画を見ることができるだろう。
<ミニマル・セル>
孤高の天才科学者が20年もの歳月をかけて作り出したこの<細菌?>には、ゲノムを授けてくれた親は 存在しない。つまりこれは、自然界には同じゲノムを持つものはいない、進化の長い系統樹から外れた、 紛れもない人工生命体なのだった。
<合成生物学>
人間が自分たちの遺伝子のセット(DNA)を人工的に作ろうとしたり、あるいは、地球上に存在しない生物 を、DNAを合成することで作り出そうとする研究分野。
「ヒトゲノムの合成は現実的なプロジェクトではない。・・・もし小さな細胞を作ることができないとしたら、 どうやってその数百万倍も複雑な細胞を作ろうというのだろう?」
と、ベンターが合成生物学研究の第一線にいる多くの科学者が意欲を燃やす計画の実現性を真っ向から否定 するのは、彼が傲岸だからなのではなく、合成DNAを持つ細胞を作製することの難しさを、誰よりもよく 理解しているゆえなのだ。しかし逆に考えれば、それはゲノムを「読む」ことから「書く」ことへと移行する 合成生物学のこの潮流は、人類にとって必然だと、認めていることでもある。
というわけでこの本は、あのSTAP細胞事件を報道した
『捏造の科学者』
により、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した、毎日新聞科学環境部の記者が、 今度は、ノースカロライナ州立大学遺伝子工学・社会センターに1年間客員研究員として留学し、取材・ 研究した、いま<もっともホット>(@ビル・ゲイツ)な「合成生物学」の現在地と、それが切り開いていく であろう豊かな可能性についての、丹念なレポートなのだが、
留学を終えた、この敏腕科学ジャーナリストの胸の奥には、しかし、ずっと居座って消えない、ある疑問が 残ることになった。
新たな技術をあみだし、それを応用する能力を知性と呼ぶのなら、人類には確かに他の動物にはない圧倒的な 知性があるのだろう。だが、その技術や知識を駆使して生命の設計図を改変するためには、また別の種類の 知性が必要なのではないだろうか。
人工的なゲノムに基づき新たな生物を創り出すことは、種の進化を人間が直接、操ることのように見える。 ・・・しかし、母なる地球に暮らす多様な種の一つにすぎない私たち人類が、私たちだけの目的のために 進化の担い手となり、他の種の生命の設計図を大胆に書き換えたり、新たな種を創造したりする権利がある のだろうか?
2018/7/3
「素顔の西郷隆盛」 磯田道史 新潮新書
大久保は常に状況に合わせて自分を変えていけるタイプでした。郷中教育では郷中のエリート、 明治近代化の中ではその政策エリート、と自分を合わせていくことができました。いわゆる官僚タイプで、 昨日までの藩が新政府にとって変わっても、すぐに手先として働けました。大久保自身が何か強い独創的な 思想を持っていたわけではないので、「事を運ぶ」にあたって「どのように」とは考えても、「なぜ」とは あまり考えないのです。
<しかし西郷は「なぜそうするのか」を自問して苦しむたちで、だからややこしい人だと言われたのです。>
人物としては劣っていても、全くと言っていいほど欠点のない大久保利通を、便利のいい人間だから機会を 見て登用してやろうと考えた、薩摩藩要路の人々にとって、
子供みたいに純真なくせに、策謀を始めるといくらでも悪辣なことを考えつく柔軟な頭脳。
自分が思う世の中を作ると決めたら、それに必要な作業へと機械的に変換できる天才的な革命家。
理不尽な身分制や差別に対する怒りと、人を選ぶことの抜群の上手さ、などなど。
自分の信じたものに対しては手段を選ばないという「大きな欠点」をもつ西郷隆盛は、いかに誰からも愛され る人物だったとしても、「やばいから、近づくのをよしておこう」と思わせるような存在であったようなので ある。
そんな西郷はまた、私欲や狭い地域主義を乗りこえる大きな「公」の心をもつ人格者であり、たとえ人気取り と思われても委細かまわぬ「ええかっこしい」だったから、(皮肉なことに、)国事に奔走する西郷の周りで、 彼に心酔し付き従ったたくさんの人が死ぬことになった。
<あれだけ人望があり、人に好かれる明るさがあるのに、近寄れば近寄るほど死の匂いがしてくるのです。>
維新を成し遂げ、新政府で一度は地位をきわめた西郷は、下級武士たちが頑張ってできあがったはずの政権の、 実権を握った面々の見るに堪えない醜態に気付く。
「いにしえの道を聞きても唱えても、我が行いにせずばかいなし」(『日新公いろは歌』)
この維新の悪弊を解消したいという思いが西郷を下馬させ、やがて西南戦争へと繋がっていくことになるの だが、いずれ人間は死ぬのだという諦観を持ち続けた西郷が、真っ先に討ち死にでもしてくれていれば、 あれほどまでの激戦にはならなかったに違いない、と考えると、これはまことに無意味で、だからこそ やり遂げられねばならぬ「内なる戦」だったのかもしれない。
<その意味では、とても孤独な人だったのではないでしょうか。>
というのが、この著者の
いつものやり方
で、西郷の側近くにいた人々の証言などをあらためてひもとき、「素顔の西郷」は どのような人物で、いかなる考えをもって生きたのか、を再考してみせた、当代随一の歴史検証家による 推理なのである。
今から150年前、西郷という男の強烈な個性をもってしなければ、新しい日本は生まれませんでした。 西郷が現在の日本国家のもとを作ったのであり、新国家を作るために、徹底した破壊を断行しました。 制度設計として、江戸幕府を残してはいけないという激しい考えのもとに、維新を進め、今の日本の原型が 形づくられました。
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