徒然読書日記201805
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2018/5/31
「陰謀の日本中世史」 呉座勇一 角川新書
問題となるのは、明智光秀の動機である。光秀は織田家中の新参者であるにもかかわらず、信長の 信任を得て急速な出世を遂げ、丹波一国を領する大名にまで登り詰めた。信長に多大な恩義があるはずなのに、 光秀はなぜ信長を裏切ったのか。
<明智光秀ごときが単独で織田信長のような英雄を討てるだろうか?>
反抗的な正親町天皇を譲位させ、自らが太上天皇になろうとした信長に対し、朝廷内に反信長同盟が結成され、 勤皇家の光秀を誘ったという「朝廷黒幕説」。
信長によって京都から追放され、毛利氏のもとに身を寄せていた将軍足利義昭が、かつての家臣光秀に指令し て、クーデターを起こさせたという「足利義昭黒幕説」。
「本能寺の変」勃発で最も利益を得た人物は誰か、という後知恵から、光秀を唆したのではないかと疑われる ようになった「秀吉黒幕説」や「家康黒幕説」。
「陰謀論」とは、つまり<特定の個人ないし組織があらかじめ仕組んだ筋書き通りに歴史が進行したという 考え方>なのであれば、その根底には、<陰謀の発案者は100%完璧に未来を見通すことができる完全無欠 の天才(超能力者?)である>という思い込みが隠れているので、
「因果関係の単純明快すぎる説明」(大事件の複雑に絡み合う要因を、たった一つに絞ってしまう)
「論理の飛躍」(状況証拠のみから憶測や想像で話を作り、その挙証責任は批判者に転嫁する)
「結果から逆行して原因を引き出す」(原因と結果が直線的につながって、紆余曲折したはずのプレイヤーの 迷いや誤断が消えてしまう)
という特徴を持つことになり、「とてもわかりやすい」ために、これほど人気があるのだ。というのが、 あの自身も予想外の大ヒット作
『応仁の乱』
を著した、気鋭の日本中世史学者の読みなのである。
兄弟決裂から謀反に走った源義経は陰謀の犠牲者だったのか?
鎌倉幕府打倒を果たした足利尊氏は陰謀家だったのか?
日野富子が悪女とされた応仁の乱の原因は将軍家の御家騒動だったのか?
家康の会津征伐は石田三成を関ヶ原へとおびき出す陰謀だったのか?
学問的にはあまり意味がないため、自称「歴史研究家」が妄想を綴ったようなものが大半を占めている これらの「陰謀論」を、学界の人間があえて研究対象として正面から取り上げたのは、何が陰謀で何が陰謀で ないかを見極める論理的思考力を身につけてほしいからだという。
信長にも弱点はあり、隙もあったのだから、明智光秀が己の才覚で信長を討ったことを、殊更に訝る必要は ないのである。
陰謀というイロモノめいたものが対象であっても、歴史学の実証的な手法に則って研究することは可能で ある。・・・だが、結論に至る議論の進め方は、奇をてらわず、歴史学の手法を踏み外さないよう心がけた つもりである。本書を通じて歴史学の手法について理解を深めていただければ、著者として望外の幸せ である。
2018/5/29
「悲素」 帚木蓬生 新潮文庫
はたして正午のニュースの冒頭が、カレー事件だった。内容が(集団食中毒とされていた)朝刊と 異なり、混入毒物が青酸に変わっている。しかも既に4人の死者が出ているという。青酸が検出されたのは、 犠牲になった人の司法解剖の結果だった。
<毒が青酸となると、食中毒以上におかしい。>
報道されていた被害者の症状から、青酸系の毒物という発表に疑問を感じていた、九大医学部衛生学教室教授 の沢井に、「どうしても先生のお力を借りなければならなくなりました」と、和歌山県警から鑑定の依頼が あったのは、3週間後のことだった。毒物が青酸ではなく「砒素」であった疑いが深まり、数少ない砒素中毒 の患者を日本で一番診察している現役の臨床医として、沢井に白羽の矢が立ったのである。
無差別のテロまで想定されるこの怪事件の解明のため、63名にも及ぶ被害者たちを一人一人診察するという 大変な任務を、誰かがやらねばならぬのならと、チームを組んで引き受けることにし、マスコミに漏れぬよう 隠密行動で和歌山に向かった、そんな沢井を待ち受けていたのは、しかし「町内会の夏祭りでカレーを食べた」 無差別の被害者だけではなかった。
というわけで、この本は、「カレーによる無差別大量殺人事件」だと思っていたら、ハヤシによる保険金搾取 殺人未遂事件」だった・・・
1998年に発生し、世間を震撼とさせたあの「和歌山毒物カレー事件」(ホースで水を撒いてた映像の記憶 も生々しい)の、捜査過程を克明に追い掛けた現役医師作家が、ほとんど事実に基づいて組み立てた(かの ような)、医療捜査&法廷小説の金字塔なのである。
「急性砒素中毒」の被害者という珍しい症例の診察記録の蓄積。
過去10数年に遡った「保険事故」被害者の診療録の解析。
それぞれの事件に使用されたとみられる「砒素」の検出と同定分析。
そこから徐々に浮かび上がってきた悪魔の構図は、不足する物証の中、折角の鑑定が殺意を裏付ける証拠と して採用されることもなく、逮捕後も完全黙秘を貫いた被告は、結局「動機不明」のまま、「和歌山毒物 カレー事件」に対して死刑判決を受けることになった。
医学研究者としての人生を締めくくる最期の一幕を、まさに擲つかのようにして鑑定に取り組んできた沢井に とって、この<カレー>は、まことに苦い後味であったに違いない。
一審、二審、三審と、揃い踏みのように、真由美の犯行動機の解明まで行き着けなかったのには理由が ある。カレー事件だけに主たる眼目を置き、過去の殺人や殺人未遂を軽視し、有機的に連関して考察しない という初歩的な誤謬を犯したからである。あくまでひとりの人間が犯した罪を、人為的に切り離して考える など、一般常識からも逸脱している。
2018/5/18
「最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか」 JRチャイルズ 草思社文庫
たったひとつの災難、たったひとつの原因だけでは、なかなか大惨事にはいたらない。大惨事は、 貧弱なメンテナンス、意志疎通の悪さ、手抜きといった要因が組みあわされることによって発生する。 そうしたゆがみは徐々に形成されていく。
<システム亀裂(クラック)>
まるで、圧力のかかった金属の内部に走る亀裂が、金属疲労によって少しずつ成長していくかのように、毎日 のように体験させられる、人間のちょっとしたミスと機械の不調によって、システムは少しずつ段階的に壊れ ていく。そして、ひとつの欠点が他の欠点につながりはじめたとき、跳ね返された問題は収束の方向から一転 して拡大へと向かい、巨大システムは<最悪の状況>に直面することになる。
「絶対沈みっこない」という最新技術への過信が、想定外の悪天候の中で発生した信じがたいほどの不具合の 連鎖によって、脆くも崩れ去った時、転覆した海洋掘削装置オーシャンレンジャーの中で、この窮地を逃れる ためのポンプの秘密を、備え付けの操作マニュアルから読み解ける乗組員は誰もいなかった。
硬化したゴム製Oリングからガスが漏れて、破滅的な大事故を起こす危険があるから、極寒の中での打ち上げ はしないようにという技術者からの警告を、NASAの代表者たちが黙殺してまで、チャレンジャー打ち上げ に走ったのは、「早くしろ」というスケジュールのプレッシャーからだった。
たがいに関連性をもたないミスが少なくとも6つ連鎖して、ついに大事故に至ったとされるチェルノブイリ 原発事故。
電報の山への対応に忙殺された無線オペレータが、巨大氷山接近の警報を後回しにしたため衝突・沈没した タイタニック号。
もちろん、危険性を見ぬき、システム亀裂を初期の段階でとめた人が存在する事例も数多くある。未然に防が れた惨事は、新聞やテレビではめったに報道されないため、ともかく災害は不可避なのだと人は考えてしまう のかもしれない。
起こりうる危険を事前に予見し、「最悪の事態」に備えるための方法を、フライトシュミレーターなどで学ん で身に付けることで、危惧が現実となっても慌てることなく、貨物室が吹き飛んだ大型機DC―10を見事に 着陸させるという、マコーミック機長の離れ業も紹介されている。
<ニアミスは真実を語る効力をもっている。>
トラブル発生の前兆を難儀と考えず、もちろん隠蔽することもなく、ものごとの不調の秘密を明らかにして くれるいく条かの光とみなすことで、かれらは『最悪の事故が起こるまで』に、行動を起こすことができる のである。
「あの瞬間のおそろしさは、」と王さまは言いやめません。
「わしは一生、一生忘れやせんよ!」
「でもねえ、あなた、」と女王さまは言います、
「メモにしてお置きにならなきゃ、きっとお忘れになりますよ。」
(ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』より)
2018/5/17
「AI vs.教科書が読めない子どもたち」 新井紀子 東洋経済新報社
AIがコンピューター上で実現されるソフトウェアである限り、人間の知的活動のすべてが数式で 表現できなければ、AIが人間に取って代わることはありません。・・・コンピューターの速さや、アルゴ リズムの改善の問題ではなく、大本の数学の限界なのです。
「だから、AIは神にも征服者にもなりません。シンギュラリティも来ません。」と、その理路を整然と解き 明かしてみせてくれる、この気鋭の数学者が、「なんだ、じゃ、AIに仕事を取られて失業するっていうのは 嘘か。」と、ホッと胸をなでおろそうとした私たち凡夫の民に、安心するのはまだ早いとばかりに突き付けて みせた、暗黒の未来図。
人間の仕事をすべて奪ってしまうことはないにせよ、多くの仕事がAIに代替される未来が、目の前に迫って いることは事実だが、たとえそうなっても、AIでは代替できない新たな労働需要が生まれて、余剰労働力は そちらに吸収される?いいえ、残念でした。
「AIでは対処できない新しい仕事は、多くの人間にとっても苦手な仕事である可能性が非常に高い。」
というのが、<東ロボくん>と名付けた人工知能を我が子のように育て、東大合格を目指すチャレンジを続け ながら、ついに桜散った数学者の冷徹な読みなのである。
著者が同時並行して実施してきた、日本の中高校生の「読解力」についての大がかりな調査と分析によれば、 現在の日本の中高校生の多くは、詰め込み教育の成果で表層的な知識は豊富だが、中学校の教科書程度の文章 の意味を正確に理解できていないことが判明している。
「あれ?AIと同じではないか?」
過去問やウィキペディアといった活用可能な知的資源を、最先端の数式処理で検索するだけでは、読解力と 常識の壁を乗り越えることができず、結局、東大合格を断念したとはいえ、<東ロボくん>の最終的な偏差値 は57.1で、MARCHや関関同立に合格できる程度の実力には到達していたのである。
教科書も読めない現在の日本の子どもたちが、そんな強力なライバルに太刀打ちできるとでもいうの だろうか?
折角、新しい産業が興っても、その担い手となる、AIにはできない仕事ができる人材が不足するため、 新しい産業は経済成長のエンジンとはならない。一方、AIで仕事を失った人は、誰にでもできる低賃金の 仕事に再就職するか、失業するかの二者択一を迫られる――。
<企業は人不足で頭を抱えているのに、社会には失業者が溢れている>という「AI恐慌」の未来予想図を 提示して見せることが、しかし、この数学者の本旨ではない。最後に提示される<一筋の光明>を、ぜひ あなたもご一読いただきたい。
ヒントは<読解力>なのである。
2018/5/9
「SHOE DOG」―靴にすべてを。― Pナイト 東洋経済新報社
素晴らしい男性の1人が、オレゴンの古い街道のことを何かにつけて語っていた。それは私たちが 受け継いだものだと、先生は力説していた。それは私たちの特性、宿命、DNAであると。
「臆病者が何かを始めたためしはなく、弱者は途中で息絶え、残ったのは私たちだけだ」
悲観的な考えを寄せ付けず、可能性を強く信じる者だけが生き残る。私はうなずいて話を聞き、そんな 先生を心から尊敬していた。・・・だが実際歩きながら、こう考える時もある。
<何だ、ただの土埃にまみれた道じゃないか>と。
美しい場所ではあるが、何も大きな出来事が起きたためしがない、オレゴン州ポートランドに生を享け、偉大 な陸上選手になることを夢に描いて、トラックを走り続けてきた。著者のバック(フィル・ナイト)が、 アスリートとしての才能が自分にはない、という事実をようやく受け入れることができたのは、24歳に なってからだった。
その時彼の頭に閃いたのは、常にスポーツをプレーするような、それに近い気分を味わえるほど仕事を楽しむ 方法はないだろうか、ということだった。それは馬鹿げたアイディアだろうか?しかし、自分は走ることが 好きだが、馬鹿げているといえば、これほど馬鹿げたものもないのだから・・・
というわけで、突然思い立って、日本のシューズ・メーカー「オニツカ」(現アシックス)を訪れ、アメリカ での販売権獲得に成功し、やがて決裂。すぐに独自ブランドを立ち上げたかと思えば、あれよあれよという うちに、巨大ブランド「アディダス」を凌駕するまでに育て上げてしまった、
と聞けば、あの『陸王』のような熱血開発物語のように思われるかもしれないが、急激な会社の成長に資金 準備が追い付かず、常に綱渡りという部分は同じでも、経営者のタイプはまるで正反対で、後ろも見ずに 突っ走るどころか、ひょっとしたら前も見えていないのではないか、と心配になるような、「ナイキ」創業者 の意外な一面を知ることができる、これはまことに破天荒な一代記の一部始終なのである。
<SHOE DOG>(シュードッグ)とは、靴の商売に長く関わり懸命に身を捧げ、靴以外のことは何も 考えず何も話さない、そんな人間のことだ。
互いにそう呼び合いながら、病的と言えるほど熱中の域を越し、インソール、アウトソール、ライニングの ことばかり考えている人たち。こうした、哀しいほど靴に取りつかれた人たちに取り囲まれて、時に同情を 催しながら、ともに過ごしてきた自らの半生を振り返った後で、
「だが私には理解できる」と思わず吐露してしまったのは、彼もまた生粋のオレゴン魂を抱えた<シュー ドッグ>だったからなのだろう。
人が1日に歩く歩数は平均7500歩で、一生のうちでは2億7400万歩となり、これは世界一周の 距離に相当する。シュードッグはそうした世界一周の旅に関わりたいのだろう。彼らにとって靴とは人と つながる手段であり、だからこそ彼らは人と世界の表面をつなぐ道具を作っているのだ。
2018/5/3
「逃げる力」 百田尚樹 PHP新書
人間というものはできるだけ忍耐強く我慢して、自分の責任を果たさなければいけない。逃げた ことが他人に知られたら、恥ずかしい。逃げることは、消極的で、後ろ向きなこと――そんなふうに考えて いませんか。
<でも、その考えは間違っています。>
「逃げるべきときに逃げること」は、とても重要なことなのだ。にもかかわらず、現実にはそれができない という人が多いのは、
「逃げるエネルギーや気力がなくなってしまっている」
(積極的に逃走するためには、戦うとき以上にエネルギーと精神力を要するものなのだ。たとえば、 離婚とか・・・)
「それまでにつぎ込んできた投資をもったいないと思ってしまう」
(生き残る企業は、躍進する力が凄いことは言うまでもないが、実は撤退する力の方が素晴らしい のである。)
からだと喝破する。これは、あの『永遠の0』の著者が「自分にとって大切なものを守る」ための、人生の 根本的な考え方を説いた本なのである。
世の中で「勝利者」と呼ばれるような人を見れば、いずれも例外なく「逃げる力」に優れていることが わかる。
・同じ相手に二度負けることは決してなかったモハメド・アリ
・総大将でありながら、窮地に陥るや一人で逃げ出してしまった織田信長
・99戦負け続けながら捲土重来を期し、最後の一戦で項羽を破って天下を取った劉邦
などなど、歴史上に名を残した「逃げる達人」が、いずれも決定的な敗北を喫することもなく、いわば 「上手に負けている」のは、「今回は調子が悪かった」とか「自分に不利な条件があった」とか「運が 悪かった」などと、自分以外に原因を求めようとせず、「負けを素直に認めること」ができたからだ。
そうでなければ、負けの原因と真正面から向き合って反省することもできず、だから次も負けてしまう。 プライドの高い人ほど、何度も同じパターンで負けてしまっていることが、少なくないのである。
というわけで、この本は「我慢しないでとっとと逃げよう」という教えであるかのように思われたかも しれないが、後半部分に至って、ついに我慢しきれず中国・韓国の暴挙に対する憤りが噴出する(著者の本領 発揮である)あたりを読めば、もちろん「逃げる」のは、あくまで「最後に勝つ」ための方便であることを、 忘れてはいけないようなのである。
戦わなければ家族や自分を守れないときは、絶対に逃げてはいけません。そのときは命を懸けても戦って ください!そこで逃げるのは本当の卑怯者であり、臆病者です。
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