徒然読書日記201802
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2018/2/27
「おらおらでひとりいぐも」 若竹千佐子 文藝春秋
あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねぇべが。 どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如(なんじょ)にすべがぁ・・・
だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから。おめとおらは最後まで一緒だがら。
<あいやぁ、そういうおめは誰なのよ>
あと3日で祝言という満24の時に、東京オリンピックのファンファーレに押し出されるように、故郷の 東北から東京へと飛び出した。結婚した最愛の夫・周造は60歳を前に心筋梗塞で急逝し、二人の子ども も親元を離れて、寂しい一人暮らしが続く「桃子さん」だったが、故郷を離れてかれこれ50年、 日常会話も内なる思考の言葉も標準語で通してきたはずなのに、いつの間にか心の中に氾濫するように なっていたのは・・・
<今頃になって、いったい何故東北弁なのだろう>
心の内側で、誰かが自分に話しかけてくる。東北弁で、それも一人や二人ではない、大勢が。ふだんは ふわりふわりと揺らいでいて、何か言うときだけ肥大する、小腸の柔毛突起のようなものが無数に密生し、 彼女の心を覆っているのだった。
本年度「芥川賞」受賞作品。
来し方を思い起こし、行く末を思案する、大勢の「桃子さん」による、まことに喧しい「独り語り」が、 まるでジャズセッションのように繰り広げられていくのだが、
周造がこちらを見てにこやかに笑っている。この周造の目にはおらが映っている。おらだけが映って いると思った。そして一瞬、一瞬だけ、この写真は周造の遺影になると思った。
彼岸花の大群の向こうに立つ周造を撮った一枚の写真。10年たって、それが現実となって、それ以来、 大勢の「桃子さん」の中に、片隅にうずくまって顔を上げない女がいることに気付く。今、「桃子さん」 は黙ってその女に手を差し出し、引っ張り上げて、一緒に歩き続けるしかない、と決意する。
夫が死んだ、そのもっともつらく耐え難いときに、「自由に生きろ」と内側から鼓舞する声を、喜んでいる 自分もいる。もちろん、周造は惚れぬいた男だったけれど、それでも周造の死に一点の喜びがあった。
「おらは独りで生きて見たがったのす。」
これは「玄冬小説」と名付けられた、来たるべき独居時代を生き延びるための「哲学」の書なのである。
周造はおらを独り生がせるために死んだ。はがらいなんだ。周造のはがらい、それがら、その向ごうに 透かして見える大っきなもののはがらい。それが周造の死を受け入れるためにおらが見つけた、 意味だのす。
2018/2/25
「百年泥」 石井遊佳 文藝春秋
「ああまったく、こんなところに!」
大声で叫びながらつかみだすと同時にもう一方の手で水溜りの水を乱暴にあびせかけ、首のスカーフで ぬぐったのを見ると5歳ぐらいの男の子だった。
「7年間もどこほっつき歩いていたんだよ、ええ?ディナカラン!親に心配させて!」
インドのチェンナイで、社員教育のための日本語教師をしているIT会社へと、徒歩で向かおうとしていた 私の、真ん前を歩いていた黄色いサリー姿の40年配の女性が、いきなり泥の山の中へ勢いよく右手を 突っ込んだかと思うと、ぎゅっ、と丸刈り頭の男の子の耳を引っ張ったまま、泣きだした子どもとともに、 たちまち人ごみの中へ消えた。
百年に一度の大洪水に見舞われたアダイヤール川の、一世紀にわたって川に抱きしめられたゴミが、 あるいはその他の有象無象が、つまりは都会のドブ川の、とほうもない底の底まで撹拌され押しあい へしあい地上に捧げられて、いま陽の目を見たようなのである。
本年度「芥川賞」受賞作品。
日本語教室の生徒達との、通じているようでいながら。時にすれ違う会話。
想像を絶する通勤ラッシュを避けるため、<飛翔翼>を身に付けて舞い降りる重役たちの見慣れた風景。
幼いころから口をきくのをほとんど聞いたことがなかった、母の人生の継ぎ接ぎだらけの思い出。
熊手で掃き寄せられた、泥まみれのウィスキーボトルと、人魚のミイラと、大阪万博の記念コインが、 それらに刻み込まれていたはずの<忘れられた>思い出とともに、さも面倒くさそうに欄干の切れ目から、 いっしょくたに川に落とされていく。
これは、ようやく地面が見えた洪水3日目に、自分のアパートを出て対岸にあるオフィスへと、 アダイヤール川にかかる泥だらけの橋を渡る束の間のうちに、日本とインド、過去と現在のさまざまな 出来事をめぐる、記憶と回想、そして怪しげな想像の泥の中を掻き分けながら遭遇した、白昼夢のような 物語なのである。
かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。話されなかったことば、 濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。あったかもしれない人生、実際は生きられることが なかった人生、あるいはあとから追伸を書き込むための付箋紙、それがこの百年泥の界隈なのだ。
2018/2/20
「女系図でみる驚きの日本史」 大塚ひかり 新潮新書
一夫多妻&生まれた子供は母方で育つ母系的な古代社会では、同じきょうだいでも「母」の地位 や資産によって出世のスピードや命運が決まるのはもちろん、天皇家の歴史もいかに母系の地位を獲得する かの権力闘争史として見ることができる。
<出てきた“腹”が子の運命を左右していたのだ。>
歴としたミカドの子である光源氏が、あれほど優れた人物でありながら、臣下として世に仕えていたのは、 後見もない息子に対する父・桐壺帝の配慮もあっただろうが、中宮→女御→更衣という天皇の妃の序列の 中では、もっとも低位にある“更衣腹”であることを、本人も自覚していたからだろうし、
源頼朝が弟の義経をあれほどまで執拗に攻めたて、ついには自害にまで追い込んだのは、「身分の低い 雑仕女」とされる義経の母・常盤が、父・義朝の当時唯一の「後家」だったからだ。正嫡とはいえ「先妻 の子」という位置付けの自分に対し、義経はいわゆる「当腹」の子として高い地位におり、頼朝はそれを 恐れたわけである。
平安古典の母艦たる貴族社会では、女のもとに男が通う婿取り婚が基本で・・・しかも不倫がばんばん 出てくるから、DNA鑑定もない昔、確実なのは母方の血筋だけ。
<「信じられるのは女系図だけ」ということになってくる。> はずであるにもかかわらず、既存の系図集 は「どの父の子であるか」という「男系図」ばかり。というわけで、「どの母の子であるか」という 「女系図」を自分で作成してみたら・・・
滅亡したはずの平家が、清盛の血筋を今上天皇にまで繋げている一方で、勝ったはずの源氏では頼朝の直系 があっけなく途絶えていたり、互いにライバル視していた紫式部と清少納言の、それぞれの孫息子と 孫娘が、なんと恋人同士であったことが分かったり、これは、「あの人がこの人とつながっている!」 という発見の楽しさと驚きに満ち溢れた、お勧めの一冊なのである。
それにしても、まるでお役所の組織図のように単純な男系図(子供の数が多いだけ)に比べて、女系図の なんと複雑怪奇なことか!
一人の女性から何本もの夫婦関係(時には親子孫まで)を示す線が延びて、まるで東京23区の地下鉄 路線図もかくやといった有様で、いろんな路線がこぞって乗り入れる、乗換駅みたいな要の人物もいる のである。
「母系の力は絶大」で、時代をさかのぼると、「母が違えば他人同然」という状況があったからこそ、 古代天皇家の血なまぐさい闘争も引き起こされた。
そうしたもろもろを、女系図で浮き彫りにしていくことで、見えなかった日本の権力構造を描けたら ・・・、驚きの日本史を浮き彫りにできたら。そしてはじめて系図にはまったころに感じた、この人も あの人もつながる。滅びていない!、と分かったときの楽しさを蘇らせ、共有できたら、と思う。
2018/2/14
「羊と鋼の森」 宮下奈都 文藝春秋
目の前に大きな黒いピアノがあった。大きな、黒い、ピアノ、のはずだ。ピアノの蓋が開いて いて、そばに男の人が立っていた。何も言えずにいる僕を、その人はちらりと見た。その人が鍵盤をいくつ か叩くと、蓋の開いた森から、また木々の揺れる匂いがした。夜が少し進んだ。僕は十七歳だった。
「あなたはピアノを弾くんですね」「いいえ」
「でも、ピアノが好きなんですね」
それが指名の依頼も多いという名調律師・板鳥さんを通して、「調律」という仕事と出会った瞬間だった。
北海道の、中学までしかない山の集落で生まれ育ち、宿命のように山を降りて、将来するべきことも思い つかない高校生活を送っていた外村が、ハンマーのフェルトの調整を終えたとき、音の連れてくる景色が 「ずいぶんはっきりした」と答えたから、そう思ったに違いないが、実際には、ピアノに触ったこともない どころか、今日初めて、ピアノというものを意識したばかりだったのだ。
「弟子にしていただけませんか」
その後、店を訪ねた外村の唐突な直訴に、板鳥は笑いも驚きもせず、穏やかな顔で調律の学校への進学を 勧めてくれた。
2016年「本屋大賞」受賞作品。
2年間の課程を終えて、板鳥のいる店に就職し、調律師としての道を歩み始めた外村にとって、ピアノも 弾けない、音感がいいわけでもない人間が、曲がりなりにも音階を組立てることができるようになった とはいえ、泳げるはずだと飛び込んだプールで、水をかいても、進んでいる実感がなく、それでももがき ながら、こつこつと前に進むしかない日々だったが、
たとえば、小鍋で煮出してミルクを足し、カップに注がれて渦を巻く液体にしばらく見惚れた、実家の 祖母がつくってくれた「ミルク紅茶」。
たとえば、それ自体が強い意志を持つ生きもののようで、そばで見るとどきどきした、泣き叫ぶ赤ん坊の 「眉間の皺」。
たとえば、山が燃える幻の炎に圧倒されて立ちすくみながら、遅い春が来てこれから若葉で覆われる、 確かな予感に胸を躍らせた「裸の木」。
などなど、 ピアノに出会うまで知らなかった美しいものを、記憶の中からいくつも発見することにもなった。
知らなかった、というのとは少し違う。僕はたくさん知っていた。ただ、知っていることに気づかずに いたのだ。
「どうして外村くんみたいな人が調律師になったのか。不思議に思っていたよ。どうして板鳥くんが あんなに推していたのか」
「あの、僕みたいな人ってどういう人ですか」
「うん、なんというか、まっとうに育ってきた素直な人」
社長から、先着順で決まったと言っていた板鳥が、実は強く推薦してくれていたことを聞かされ、驚くと 同時にでもそれって「面白味のない人」と言われている気がした外村だったが、
ご心配なく。
これは、諦めや羞恥や嫉妬などのさまざまな葛藤の中で、時に縮こまってしまいがちな私たちの心に、 そっと手を差し伸べ、揉みほぐしてくれるような、そんな陽だまりのような温かさに包まれる物語 なのである。
「でも、今は違うよ。外村くんみたいな人が、根気よく、一歩一歩、羊と鋼の森を歩き続けられる人 なのかもしれない」
「それはそうです」板鳥さんが鷹揚にうなずく。
「外村くんは、山で暮らして、森に育ててもらったんですから」
2018/2/4
「往復書簡」―初恋と不倫― 坂元裕二 リトルモア
「玉埜です。お返事くださいと書いてあったので返事書きます。
迷惑です。・・・これからもクラスの他の人たちと同じように、僕はいないものにしてください。よろしく お願いします。」
「三崎です。お返事ありがとう。よろしくお願いしますの使い方が面白かったです。」
突然の「靴箱郵便」から始まった、中学一年のクラスメート同士による、いささか危なっかしい手紙の やり取り。近づいたり離れたりの、ぎこちない関係性が深まっていくことをお互いに意識し始めた矢先、
「明日から盛岡の親戚の家に家族で行くことになりました。終業式には出られないので、次会うのは 新学期になります。三崎さんも楽しい春休みが送れるといいですね。」
「この手紙を玉埜くんが読むのは四月になってからのことだと思います。わたしは施設の関係で、また違う 町に行くことになりました。この学校に来るのは今日で最後になります。」
玉埜が欠席した終業式の事件により、三崎は春休み中に転校して、二人の関係はあっけなく途絶えることに なったのだが・・・
『それでも、生きてゆく』(芸術選奨新人賞)
『最高の離婚』(日本民間放送連盟賞最優秀賞)
『Woman』(日本民間放送連盟賞最優秀賞)
そして、なんと言っても『カルテット』
<会話の魔術師>坂元裕二が、淡々と交わされる二人の会話だけで紡ぎだしてみせた、この朗読劇の脚本は、 それが、手紙とメールのやり取りという、一方通行の<時間差>をもって繰り返されるがゆえに、思いも かけぬ時空の広がりの中に私たちを放り込み、あらぬ想像を掻き立てさせられることにもなる。
「拝啓、朝夕と随分涼しくなりました。三崎明希と申します。本厚木中学校で一年生の時に同じクラス だった者です。もう随分と長い時が経ちますが、三崎という名前におぼえはありますでしょうか。」
二十数年ぶりに玉埜の実家に届けられた、結婚式へ招待したいという三崎からの手紙。それは、東名高速 道路、海老名サービスエリア付近で中央分離帯に乗り上げて横転し、死者八名を出したバスの中で書かれた ものだった。
「ずっと何を見ていたのだろうと思います。・・・それは多分、今適当に名前を付けてみると、その人 の前を通り過ぎるという暴力。それは多分金槌で頭を叩くこととそう変わらないことなのだと思います。」
あの時、<あの手紙>が届いていなかったら、きっと自分は金槌を手にしていたに違いないから、大切な 人がいて、その人を助けようと思うなら、もうその人の前を通り過ぎてはいけない。そう考えて行動した 玉埜のもとに、再び届けられた<あの手紙>。それは、やっと素直に受け止めることができた、初恋の人 からの二十数年ぶりのラブレターだった。
「玉埜です。返事くださいと書いてあったので返事書きます。
お手紙ありがとう。嬉しかった。」
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