徒然読書日記201711
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2017/11/26
「マラス」―暴力に支配される少年たち― 工藤律子 集英社
日本人にとっては、コーヒーくらいしか馴染みのないホンジュラス。国土面積は日本のおよそ3分の1弱で、人口は約810万 という中米の小さな国は、2010年以来5年連続で、人口10万人当たりの殺人事件発生率世界一という、不名誉なレッテルを貼られ てきた。
その原因の一つが、<マラスと呼ばれる若者ギャング団>の抗争と犯罪である。
2014年夏、メキシコの貧困層研究の一環として、ストリートチルドレンの暮らしぶりを現地で見続けてきた著者は、日本の新聞の ニュースに目を引かれた。
「中米から米国へ不法入国する子どもが急増している」国境警備隊に拘束された未成年者約5万2千人のうちの75%以上が、 グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス出身者であり、この中米3カ国からの移民の子どもたちは、「住んでいた地域を支配する ギャングの脅し、暴力から逃げてきた」というのだ。
中南米からメキシコへ逃れた子どもたちにインタビューする機会を得、その体験の苛烈さに衝撃を受けた著者は、<マラス>から逃げる 者たちと、<マラス>の仲間となっている者たちの間には、いったいどんな違いや差があるのか(あるいはないのか?)、<マラス>の 素顔を知りたいと思うようになる。
――中米へ行こう。<マラス>とはどんな連中なのか、この目で確かめよう。
2014年9月半ば、著者の工藤はフォトジャーナリストであるパートナーと共に、<マラス>の巣窟、ホンジュラスの首都 テグシガルバへ飛んだ。
育児放棄、家庭内暴力などの問題を抱える貧困家庭を10歳で飛び出し、庇護を求めて<マラス>に入るしかなかった少年は、まずは、 自分たちの縄張りの<見張り役>から始まり、やがて<みかじめ料>の取り立て役を命じられるようになる。そして、15歳になると 正式メンバーへの登竜門として、<殺し屋>の任務を果たすことを強いられ、その後は凶悪犯罪に手を染めれば染めるほど、集団内での 地位が上がっていく。
第14回「開高健ノンフィクション賞」受賞に輝いたこの作品が明らかにしたのは、しかし、<マラス>という暴力集団を成立させて いる仕組みだけではなかった。
家庭では得られなかった居場所を確保するために、罪悪感が消え去ってしまうほどに自分を追い詰め、ただ必死で自分の役割をこなして きた少年たちだったが、常に何かしらの問題を抱え、ほめられず、尊重されず、という家庭環境の中で、自分に自信が持てず、心に闇の 空洞を抱えてきた彼らにとって、すれ違う人たちが、畏敬の眼差しを送ってくれる、というギャングの仲間になることで得られた <リスペクト>の体験は、たとえそれが<愚かな勘違い>であったにしても、自らの存在意義を見出す手段となっていたようなのである。
<問題は、「アイデンティティ」の喪失なのだ。>
未来ある少年少女たちが、結果的に自身の未来を台なしにしているのだとすれば、その未来を取り戻すためには、おとなが立ち上がら なければならない。これは、必死にもがきながらも、ゴールを目指して走り続けている、この物語の真の主人公たちへの力強い <伴走宣言>なのである。
私たち日本人もいままさに、その同じゴールを設定し、そこへ向かって走りださなければならないと、最近つくづく思う。なぜなら、 この国の子どもたち、若者たちの間でも、リスペクトに飢え、偽りのアイデンティティで自分をごまかすことでしか、生き続けることが できない人間が増えていると感じるからだ。
2017/11/24
「日本史の内幕」―戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで― 磯田道史 中公新書
このごろ、歴史小説を読んでも、面白いものが少ない。理由ははっきりしている。情報化社会、ネットの社会になって、情報 検索が容易になり、同じ情報をコピーして共有するようになったからである。
<日本史の内幕を知りたい。そう思うなら、古文書を読むしかない。>
自分の先祖も参戦していた戊辰戦争で、たとえば、ご先祖様はいくら新政府からご褒美をもらったのか?歴史教科書には決して書かれて いない、歴史の現場の実像を見てみたいという思いから、15歳で古文書の解読をはじめた。
『武士の家計簿』
で鮮烈なる デビューを飾って以来、全国各地で古文書を発見・解読し、歴史の裏側に埋もれてしまった真実を、発掘し続けてきた著者が、 新聞・雑誌に掲載・連載してきた、小ネタ満載のエッセイ集のような本ではあるのだが・・・
「徳川埋蔵金」がもし出てくるとしたら、それは「小判」ではなく、油酒樽に詰まった「弐分金」である。
「三方ヶ原」で信玄に惨敗し、浜松城へと暗闇の中を敗走した家康は、左右の馬脇を守るお供の刀に痰唾を吐き続け、後日の「恩賞」 の証とした。
朝鮮征伐で肥前「名護屋城」に出陣した秀吉に、同行した側室は淀殿ではなく京極殿だったから、この時期に懐妊したはずの秀頼は 「秀吉の子」ではない。
などなど、新発見のエピソードのどれもが、うまくふくらませばNHK大河ドラマになってもおかしくない、そんな興味津々の面白さ なのである。
実際、「おんな城主 直虎」は、有名な歴史人物が出尽くして低視聴率に悩むようになったNHKに、大河ドラマになりそうな人物 リストを紹介したのがきっかけのようだし、羽生結弦が「殿」を演じて話題となった、映画『殿、利息でござる』の原作も、仙台藩の 「国恩記」という古文書をベースとして生まれたものなのだ。 (
『無私の日本人』
)
古文書が読めない書き手が書いた歴史叙述は、結局、情報をどこかからコピーして借りてこなくてはならないから、ここに新味を加え ようとすれば、現実ばなれした架空の作り話にするほかはない。古文書に書いてあることが<すべて真実>というわけではないが、 もし真実でないことが古文書に書かれていたのなら、なぜそのような虚偽が書かれたのかと、その背景を探ることで、歴史の姿が くっきりと見えてくることもある。
<古文書には、えもいわれぬ説得力がある>というのだった。
この本は、古文書という入り口から、公式の日本史の楽屋に入り、その内幕をみることで、真の歴史像に迫ろうとする本である。 だから、教科書的な、表向きの歴史理解にとどまって、歴史常識を維持したい方は、読まれないほうがよい本かもしれない。
2017/11/20
「京都の定番」 柏井壽 幻冬舎新書
三ヶ日が終わり、そろそろお屠蘇気分も抜けようかという頃、西陣の町家から機音が聞こえてくる。
注連縄を張り、鏡餅を飾った機を囲み、織手たちが新年の挨拶を交わした後、ひと越、ふた越と織り、仕事始めとする。概ね4日の 昼前に行われ、機を織り、一年の無事を祈った後は、旦那と職人たちが盃を交わし、祝い肴を突き合う。
1月4日の、<機始め>である。
二十四節季で言うところの<小寒>から<大寒>まで、一年で最も寒さが厳しいひと月の間、京の都では様々な行事が行われる。
1月7日は、<七草粥>(若菜摘み)だ。「上賀茂神社」の<若菜祭>では、粥を神前に供え、参拝客に七草粥が振舞われる(有料)が、 社家町の老舗「京都なり田」の<すぐき漬け>を忘れてはいけない。
同じ7日には、京の花街の<始業式>も行われる。歌舞練場に集った舞妓たちが、稲穂のかんざしに裾引きの正装で馴染み客と挨拶を 交わす華やいだ空気に包まれて、祇園川端通沿い「一平茶屋」の<かぶら蒸し>で温まりたい。
1月7日から中旬過ぎまでは、<初釜>の茶会が続く。表、裏、武者小路、三千家それぞれに、各界の著名人を招いて、和やかな歓談の 場となるが、菓子は決まって<花びら餅>、この時期どこの和菓子屋にもある筈だが、予約必須である。
1月8日から18日頃までは、<山伏の托鉢>もある。本山修験宗総本山「聖護院門跡」に参集した山伏たちが、都大路にある信者の家 を、法螺貝を吹き、金剛杖を突きながら托鉢してまわる、京の新春の風物詩となっている。
というわけでこの本は、『おひとり京都の愉しみ』など京都の魅力を伝えるエッセイで名高い、京都在住の歯科医師が、
有名寺社を訪れ、誰もが観る場所だけを観て、写真を撮り、SNSに投稿してハイおしまい。次なる名所へ移動して、また同じことを 繰り返す。
<あなたは本当に「京名所」を見ていると言えるか?>とばかりに、京都を訪れた誰もが足を運ぶだろう名所の幾つかを取り上げて、 その自分なりの歩き方、見方を紹介してあげましょうというものなのである。
「東寺」は<五重塔>のみではない。
「金閣寺」は<金閣>のみではない。
「清水寺」は<舞台>のみではない。
知ってるつもり、見たつもりでも、その拠って立つところを知った上で、いま一度訪ねてみれば、そこがなぜ名所として、長く、 多くの人を集めてきたのかが分かる。これは<二度目の修学旅行>へのお誘いなのだった。
現在は、空前の京都本ブームと言えるくらい、たくさんの本が出ているし、情報量も多い。「穴場」「人知れず」「とっておきの」 といった惹句が躍るが、悲しい哉、そこには、“俄京都”的なものが本物の顔をして紛れ込んでいる。
2017/11/20
「生命に部分はない」 Aキンブレル 講談社現代新書
本書の原題は、『ヒューマンボディショップ』という。人体(ヒューマン・ボディ)をまるで自動車の修理工場(ボディ ショップ)のように扱うようになった生命科学と現代医療を批判的に論じた本だ。(新書化によせて 訳者・福岡伸一)
最初は“売血”からだった。輸血を必要としている人のために無償で血を提供する“献血”という行為が認められるのであれば、 不足している血液を有償で提供することも許されるだろう。
血が売れるのなら、“臓器”も商品になる。血は採っても補充されるからというのなら、2つある腎臓ではどうか、死人の臓器は再利用 できないか。
“死者からの収穫”のため、死体を生かしておけばいい。“脳死”の法的定義がどんどん前倒しされていけば、やがて脳の高次機能は 失われているが、自発呼吸している“永久的植物状態”でも死んだことにできる。
中絶された“胎児”の臓器と組織も利用価値が高い。代替部品として使うために意図的に妊娠して胎児をつくる、というのももはや SFの世界(カズオ・イシグロ
『わたしを離さないで』
とか)の話ではない。
というわけで・・・血液、精子、卵子、細胞、臓器、あるいは胚や胎児、そして遺伝子へと展開していく“人体の商品化”の歩みは、 人体を各パーツに分け、あたかも機械部品のように取り換えたり、更新したりするために、部品を備蓄し、売り買いするための マーケットまで生み出すことになるのだが、
私たちが生命を機械として扱えるようになったのは、万能細胞やゲノム編集などの技術が進歩したからではなくて、私たちの生命観自体 が、生命を機械(メカニズム)とみなすようになったからだ。
ということに気付かせてくれたことこそが、本書の核心であると福岡ハカセは断言し、ある巧妙な思考実験を提示している。
ここにブラック・ジャックのような優秀な外科医がいて、鼻の移植手術を試みたとする。顔の真ん中にある三角形の突起物の外周に そってメスを入れ、それを切り離そうとする。しかし、どこまで深くそれをえぐりとれば、鼻という嗅覚機能を摘出したことになるの だろうか?
なるほど、『生命に部分はない』のである。
本書の指摘どおり、この『すばらしい人間部品産業』(単行本刊行時の題名)は巨大なブルドーザーのごとくうなりを立てて前進を 続けている。そして最大の問題は、本書が予言していたように、時間をかけた十分な議論や慎重な合意形成を経ることがないまま、 先端的テクノロジーだけが急激な進行をさらに加速し、研究者自身を含めてそれを誰も止めることができないということである。 (訳者あとがき)
2017/11/11
「医学のたまご」 海堂尊 理論社
「曽根崎君、大学で医学の研究をしてみる気はないかい?」
僕は、その言葉をまったく理解できずに思わず聞き返した。
「えと、それは、大学に遊びに来なさい、ということですか?」
成績不振で2年生への進級さえピンチという、桜宮中学1年生の薫少年が、東城大学医学部総合解剖学教室の藤田教授から、飛び級で 医学研究の道へとお誘いを受けることになったのは、文科省が実施した全国統一潜在能力試験で、なんと全国1位の成績を取ったから だった・・・のは確かだが、
実はその問題を作成したのは、世界的なゲーム理論学者である曽根崎伸一郎・帝華大学教授、すなわち薫の父親だった。試験台として 協力させられた薫は、試験の中身と解き方のコツまで、事前に知らされていたのである。
というわけで、この本は、思わぬ成り行きで「日本一の天才少年」となり、大学の医学部で望んでもいない医学の研究に勤しまねば ならなくなってしまった少年が、医学部教室という「伏魔殿」の中で展開される、オトナの事情に振り回され、翻弄されながら、 優しい先輩や、頼りになる友だち、そして最後は父親からの的確なサポートにより、自らの甘さが招いた最大のピンチに、最後は果敢に 立ち向かい、ついには乗り切っていくというストーリーなのである。
実は、あの
『チーム・バチスタの栄光』
の著者が、また
『死因不明社会』
みたいな、ノン・フィクションに近いスタイルで、将来、医療の仕事に就きたいと考えている、中高生向けに書いた本だろうと 思い込んで読み始めたのだったが、
「扉を開けたときには、勝負が付いている」
「初めての場所でまず捜すべきは、身を隠す場所だ」
「エラーは気づいた瞬間に直すのが、最速で最良だ」
「ムダにはムダの意味がある」
「閉じた世界は必ず腐っていく」
「世の中で一番大切なのは、ゴールの見えない我慢だ」
などなど、章題に付けられた父親の名言の数々に、ゲーム理論学者ならではの含蓄があって、これはむしろ一人ぽっちで社会に放り出さ れた少年の「成長譚」が読みどころなのであって、医学に関しては、むしろ現実の嫌らしい部分が曝け出されているため、 「医学のたまご」向けとしては逆効果かもと思ったのだが・・・
医師や看護師になんか絶対なりたくないと思っている人へ。この物語は、そうした人に是非読んでもらいたいのです。・・・病院で どんなことが行われるのか、医者や看護師はどういう人たちか、知っておく必要があるのです。知らないということは、自分の人生に マイナスに働きます。無知は罪なのです。
2017/11/5
「ブラックライダー」 東山彰良 新潮文庫
フィッシュ葬儀社の三男坊が人を殺してその肉を食べたこと自体は、まあ、目くじらを立てるほどのことでもない。 ヘイレン法が施行されてからのこの三年というもの、国じゅうでその類のことは起こるべくして起こってきたわけだし、・・・
というのだから、<この世界>では人肉食を禁じる法律が施行されたにもかかわらず、いまだに人を食うための殺戮が横行している らしい。<6.16>と呼ばれている核爆発によって、現代文明は脆くも崩壊し、地球は急速に寒冷化(マイナス20度)して、 食糧生産が途絶えたからだった。
そんな時代背景のなか、馬泥棒一味のレイン兄弟にかけられた懸賞金を求め、開拓時代のようなアメリカ西部を愛馬リトルドットに 乗って駆け巡る、バード・ケイジ連邦保安官の活躍が描かれる第1部は、古き良き西部劇さながらの乗り(運命の女性コカ・コーラ・ ライトとの絡みもある)なのだが、これは、22世紀末の<世界>なのである。
彼にはわからなかった。人として扱われるようになってひさしいが、人以下の存在と、人以上の存在がこの世界に存在する不思議は、 いまも理解できないままだった。ずっと自分にはなにかが欠けているような気がしていた。
アメリカ東部の<利口な連中>が、絶滅した牛と、絶滅しそびれた人間をかけあわせ、角が短く二足歩行する牛の培養に成功した。 人間の遺伝子のお陰で、いつでも発情できるこのショートホーンは、わずか10年で東部の食卓を席捲し、食卓革命を引き起こした のだが、メキシコ南部の農園で人と牛のあいだから生まれた<牛腹の子>、マルコは農園主にその知性を見出され、読み書き、算術と 格闘術を習得することになる。金色の髪、ぬけるように白い肌、物憂げな青い瞳を持つ美少年は、やがて、みずからの使命に目覚め、 ジョアン・メロヂーヤと名前を変えて、流浪の旅に出る。寄生された人間は必ず死に至るという<蟲グサーノ>の大流行に立ち向かい、 感染した患者は容赦なく殺しまくるという、第2部は一風変わった<救世主>の物語なのである。
それから7年後・・・。
ジョアンはワイオミングの大クレーターに居を定め、彼を主と仰ぐ人々につき従われて、平穏な暮らしを送るようになっていたのだが、 東部の連邦本部からの要請により、討伐隊の総司令官となったバード・ケイジの指揮のもと、壮絶なる戦闘の火蓋が切って落とされる ことになる第3部。
殺戮をやめたジョアンの思いはどこに向かっていたのか?
バードは何のために命を賭して闘い続けたのか?
<蟲>の本当の存在意義とはいったい何であったのか?
これは、自分の記憶やルーツという貯金を使って書いたという
『流』
によって直木賞を受賞した著者が、その前に、まったくの空想だけで紡ぎあげていた、壮大なスケールの<黙示録>ともいうべき作品 なのである。
切り裂かれた死人の胸からあふれ出し、大地へ還ってゆく蟲たち。それを見ていると、不意に謎が解けたように思えて心が躍った。 世界にはなんの悩みもなく、目のまえに広がる道なき道はまっすぐにルピータのいる農園へとつづいていた。気がはやる。しかし つぎの瞬間には、まるで明け方に見る夢のように、すべてが跡形もなく消え失せていた。
。
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