徒然読書日記201709
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2017/9/30
「フーコーの振り子」―科学を勝利に導いた世紀の大実験― ADアクゼル 早川書房
そして、ついに彼は目撃した。追い求めていたとおり、おもりの揺れ動く面(これを振り子の振動面と呼ぶ)が徐々にだが はっきりと目に見える変化を起こしていることに、彼は気づいた。振り子の振動面が、最初の位置からずれていたのである。
1851年1月6日午前2時。
長さ2mの鋼鉄製ワイヤーの一端を、それがねじれることなく自由に回転できるように工夫して天井に固定し、ワイヤーのもう一方の 端には、重さ5キロの真鍮製のおもるりを取り付けることで、パリ左岸のカルチェ・ラタン地区にある自宅の地下室に、天井から吊り 下げられ自由に揺れ動く振り子を完成させ、フーコーは、この驚くべき発見に辿りついた。
東京・上野の国立博物館の本館にあった、長さ約20mの巨大な振り子を見たのは、中学2年の時だった。(今も動き続けているの だろうか?)ゆっくりと振動面をずらしていく振り子を見ながら、まるで何かの力(コリオリの力?)に導かれているかのようだ、 と思ったように記憶しているが、
とんでもない!振り子はまったくぶれてはおらず、動いていたのは見ている自分の方だったとは・・・
<レオン・フーコーは、まさに地球の自転を目撃したのである。>
この困難な振り子の実験を成功させると、彼は新型の望遠鏡を組み立て、舞台照明の調節装置を発明し、写真技術を改良し、光の速さ 測定の精度を上げ、そして、ジャイロスコープを発明するなど、並はずれた自然に対する理解力と、語り継がれるほどの器用さによって、 科学界に貢献する偉業を達成していくことになるのだが、科学教育を受けていないという経歴から、当時は必須とされた数学の才がない と見做され、科学界の主流派からなかなか認められなかった。
そんな不遇の天才に光を当て、排他的なパリ科学界に彼を認めさせ、パリ帝国天文台付きの物理学者に登用したのが、ボナパルト家異端 の後継者、皇帝ナポレオン三世だったのは、まことに奇しき因縁というべきものだった。
というわけでこの本は、地球が自転していることをわれわれに知らしめ、何世紀にもわたる執拗な懐疑論や科学と宗教との論争に終止符 を打った、「振り子」を巡る物語なのであり、地球が自転しているという事実を教会が最終的に受け入れたのは、何よりもフーコーの 発見がその理由だったことに、間違いはないのだが・・・
自らの過ちを素直に認め、悔い改めることは、いかな人格者であろうとも、なかなかに難しいことのようなのである。
ヨハネ・パウロ2世が1992年10月に「ガリレオへの謝罪」を表明したのは、とにもかくにも1世紀半前に行われたレオン・ フーコーの研究のおかげだったのである。
2017/9/17
「芭蕉という修羅」 嵐山光三郎 新潮社
のちに俳諧師として名をあげるが、いかほどの才があるといっても、山国の伊賀上野から大都市の江戸へきて、そのまま俳諧 宗匠になれるものではない。
<芭蕉は、水道工事人として江戸にきたのである。>
土木、水利の技術にすぐれていたため、幕府より神田上水の改修を命じられた藤堂藩から派遣されて、芭蕉は伊賀上野から江戸へと やってきた。俳諧を余技とする水道工事のエキスパートが、若き日の芭蕉こと桃青だったということなのだが、日本橋の旦那衆が集まる 俳諧の席で、顔を覚えられたことにより、受益者負担であった水道工事を相対契約で請け負うことができ、大金を手にすることになる。 しかし、水道・水路の工事は幕府の機密事項であったから、当然ながら諜報がかかわってくる。これ以降、芭蕉は幕府の諜報機関の人々 と深いかかわりを持つことになった。
というわけで、泉鏡花文学賞を受賞した問題作
『悪党芭蕉』
から11年。その後もさらに現場検証を続ける著者が、原典と関連資料を渉猟することで辿りついた、これはもうひとつ別の芭蕉の 生活の実像なのである。
芭蕉の発句は、のちの枯淡なる独白や、風雅なる旅の句も、基本的には作り話が多い。フィクションである。芭蕉の頭のなかには 中国詩人や西行の吟ほか多くの雑多な古典からの引用があって、風景などはさして見ていない。
<嘘つき芭蕉の誕生である。>
天和2年(1682)12月28日、駒込大円寺を火元とする火事、世に言う「八百屋お七」の大火で深川にあった芭蕉庵が焼けた。 焼死しそうになった芭蕉は、小名木川(隅田川の支流)の泥水につかり、洲を這い上がって難をのがれ、一命をとりとめた。
――古池や蛙飛こむ水の音 芭蕉
蛙はふつう、池の上から音をたてて飛びこんだりはしない。池の端からするり、と音をたてずに水中に入っていく。とすれば、芭蕉が 聴いた音は幻聴だろうか。あるいは、観念として「水の音」を創作したのか。芭蕉の眼前にあるのが、深川の水の濁った焼け跡の古池 だとすれば、その池に飛び込む蛙には芭蕉自身の死にそこなった記憶が重なっていることになる。
<そうと気がつくと、「古池や・・・」の吟は寂ではなく、修羅の句となる。>
元禄2年(1689)3月27日、深川を出発し8月下旬大垣につくまでの東北巡行の旅は、芭蕉没後に紀行文として発刊された。 『おくのほそ道』である。
それは、日光東照宮造営にからむ仙台藩謀反の動きを探るという幕府隠密としての裏の任務(同行の曽良が担当)を携えながら、 神祇・釈教・恋・無常・羇旅・述懐という流れで「歌仙形式」に仕立て、風景を詠みつつ故人を追悼するなど、深く思考してわかり やすく詠んだ、文学的挑戦だというのだった。
芭蕉は『ほそ道』の旅から帰って5年後に没するが、生涯を通じてはげしい闘争のなかに身をおき、妄執が心からはなれることは なかった。風狂とはそういうことである。俳諧は共同体の文芸で、修羅場に屹立する孤峰が芭蕉である。修羅の巷を芭蕉は運動体として 歩きつづけた。
2017/9/15
「影裏」 沼田真佑 文藝春秋
なかば放心したように眉をあげ、そっけない語調で何ごとかぶつぶつ呟いたなり日浅は無言になってしまった。剥がれ やすそうに亀裂の入った樹皮を撫で、幹の上部から下部へと順番に耳を押し当てた。こうした作業に、倦きもせず没頭している らしかった。
医薬品会社の盛岡の子会社へ異動となった今野(わたし)は、同性で同年輩、ともに釣好き、日本酒好きだった日浅という男と、親密に 付き合いだしたのだが、暇さえあれば出かけるようになった川釣りスポットへの道の、行く手を遮るように姿を現わした巨大な水楢の 倒木に、ゆうべの酒がまだ皮膚の下に残っているのか、磨きたての銃身のような首もとを、滴る汗で油光りに輝かせながら、馬乗りに またがっている友の姿を、いくら暇を持てあましていたからといって、「普通」の男だったなら、携帯で撮影したりはしないだろう。
<そもそもこの日浅という男は、それがどういう種類のものごとであれ、何か大きなものの崩壊に脆く感動しやすくできていた。>
本年度「芥川賞」受賞作品。
突然退職した日浅の追想に耽って職場をふらつく姿を、「禁断症状」と同僚から揶揄されてしまうような日々を送っていた今野は、 互助会の訪問営業マンに転職した日浅との、久しぶりの再会に舞い上がり、夜釣りへのお誘いにいそいそとめかしこんで出掛けていく ことにするのだが、
「本社待遇の出向社員なら、カードか何かでためらうことなく決済し、さぞかしご満悦だろうラムレザーのダウンベスト」などと、 いちいち難癖をつける攻撃的で陰鬱な日浅の態度に、もうそこにかつてのような関係性は成り立っていないと気付かされることになる。
日浅の狙いは、互助会入会ノルマあと一口の達成だった。職場の年上の女性パートから、少しまとまった金を調達してもいた。今野には 異動になる2年前、気詰まりな対話を重ねた末に別れた男がいた。彼はその後、性別適合手術を受けていた。
そして・・・<東日本大震災>が発生。
姿を消した日浅の情報を求めて、実家を訪ね、事の次第を説明し、捜索願を出すべきだと説く今野に、日浅の父は思いがけない言葉を 発する。「あれを捜すなど無益だ。おやめなさい」
光が当たるところに影が生まれるのだとすれば、その影の裏にはいったい何が潜んでいるのだろうか?捲れ上がった影の裏から滲みだす、 様々なおぞましいモノを封印するかのように、今野は美しい光景を夢想する。
急発進し、坂道を猛スピードで駆けあがってゆくバイク。
遠くから逃げろと叫ぶ人の声。
海の向こうから海岸線いっぱいに膨れあがった防潮堤。
そしてその瞬間、ついに顎の先が、迫り来る巨大な水の壁に触れる。いつも睡眠不足でくたびれたような、そのくせどこか昂然と したあの童顔が包み込まれる。その最後の瞬間まで、日浅は目を逸らすことなどできないだろう。
2017/9/11
「英国二重スパイ・システム」―ノルマンディー上陸を支えた欺瞞作戦― Bマッキンタイアー 中央公論新社
この兵器は、人の命や手足を奪ったりはしない。科学や工学や腕力に頼るのでもない。都市を破壊したり、Uボートを沈め たり、ドイツ軍戦車の装甲に穴を開けたりもしない。そうした華々しい活躍とは無縁の働きをする。敵を殺すのではなく、敵の頭の中に 入り込む。
<ナチが、イギリス側の望むとおりに考え、それによってイギリス側の望むとおりに行動するよう仕向けるのだ。>
イギリス情報局MI5で、ドイツ側スパイを二重スパイに変える任務を担当する情報将校の小チーム「ダブル・クロス」を率いていた ター・ロバートソンが、その任務の成果として、イギリス国内にいるドイツ側工作員が一人残らず確かに自分の手の内にある、という 驚くべき結論に達したのは、1943年6月のことだった。
これはつまり、この「二重スパイ・システム」をうまく運用すれば、戦争の行方を変えるような大々的な嘘もつける、ということでは ないのか?タ―は早速、「ヒトラーに嘘を伝えることのできる兵器」を作り、第二次世界大戦で最も重大な局面で、これを使うよう チャーチルに迫った。
「フォーティテュード(不屈の精神)作戦」
1944年6月に、ナチ支配下のヨーロッパへの反攻作戦として挙行された、大規模上陸作戦「Dディ」を成功に導くため、本来の 上陸目標がノルマンディーであることを隠し、ドイツ軍を偽の上陸地点パ・ド・カレーに引きつけ、同地に足止めするための、それは 欺瞞の網だった。
「ダブル・クロス・チーム」の中核をなした5人のスパイたちは、しかし、今まで招集された中で最も奇妙な一団でもあった。
セルビア人プレイボーイで国際的な実業家「トライシクル」。
ポーランド軍パイロットで本物の情報将校「ブルータス」。
ギャンブル好きで両性愛者のペルー女性「ブロンクス」。
優れた独創力を持つ、ドン・キホーテのような情熱的スペイン騎士「ガルボ」。
犬を溺愛するロシア生まれの移り気なフランス女性「トレジャー」。
彼らは誰もが認めるような英雄ではないし、二名は倫理的に問題のある人物だった。飼い犬を見殺しにされたことを恨み、敵に寝返る ための罠を仕掛けていた者さえいた。彼らは武器を持って戦ったりはしなかったが、実際に武器を持って戦った兵士たちが ノルマンディーの海岸に上陸できたのは、彼らの献身的な努力のお陰だった。
人間の心理や性格や個性といった曖昧模糊としたものや、紙一重で変わる忠誠と裏切りや、真実と嘘の狭間を縫って蠢くスパイたちの 奇妙な衝動についての物語。これは「もう一つの別の戦争」の物語なのである。
そして、工作員「アーティスト」。
ドイツ国防軍情報部「アプヴェーア」に所属しながら、工作員「トライシクル」の親友として、ゲシュタポに囚われながらも、最後まで 秘密を守り通した男。戦場で戦いたくないのでスパイとなり、姿をくらます才覚も手段も動機もありながら、そうしないことを選んだ男。
<彼もまた、Dディの英雄ではないが、それでもやはり、彼は英雄なのであった。>
ダブル・クロスの二重スパイたちがスパイになった理由は、冒険心だったり、報酬目当てだったり、愛国心からだったり、欲望から だったり、個人的な信念からだったりした。彼らは一風変わったチームとして、ときには上司の手を焼かせながらも、勇敢に振る舞い、 最後には目覚ましい成果を挙げた。
2017/9/6
「医療者が語る答えなき世界」―「いのちの守り人」の人類学― 磯野真穂 ちくま新書
私たちは自分の身体になんらかの不具合を生じた際、それが何かを明らかにするため病院に行く。そこには自分が感じる 違和感の正体をハッキリさせ、できることならそれを取り去りたいという思いがある。不確かなものが明らかにされること、問題の 解決法が見出されること。私たちの中で、この二つは明確に結びつく。
<しかし残念ながら実際の医療現場は常にそうとは限らない。>
放っておいたら確実に消えてしまう命の炎が、カテーテル治療によってふたたび燃え始めたり、わけのわからない身体の痛みが一粒の薬 で和らいでしまう、なんて目を見張るような治療の成果だってもちろんないわけではないのだが、
一方で、様々な事情が織りなす中で病院に置きっぱなしにされてしまった老人たちや、治療法もなく、徐々に身体が動かなくなっていく のをただ受け入れるしかないALS患者が存在するのも、また今日の医療の現場なのである。
専門家としてのあらゆるアドバイスに対し、頑なに首を振り続けた患者が診察室を去った後、「一生懸命考えた方法を全く受け入れて もらえないとこちらも傷つく」とぽつりとつぶやいた内科医。
認知症の親の入院中のケアがなっていないと息子に怒鳴られ続け、「自分たちの努力は何のためにあるのだろう」とやりきれない思いを 吐露した看護師。
患者の薬に対する不信を払拭するため、治す方法を知りながら、あえて治らないであろう方法を選択し、「治す」にすぐに踏み切らない ことが、「治す」ための地平を開くと遠回りをした漢方医。
病気を「治す」ことが医療の仕事であるというしごく当たり前の考えは、かれらの仕事の本質をむしろ見えにくくするし、もっといえば、 誤解すら招きかねないのではないか。
<医療者も私たちと同じ人なのである。>
というわけでこの本は、医療をフィールドとする文化人類学者である著者が、多くの病む人が訪れる現場に赴き、
医療者は自分の世界をどのように見据えているのか。
そこから見える世界は、病む人が見る世界とどのように違い、どのように同じなのか。
ということを、相手の肩越しの視点から覗き見た、今日の医療現場の実態に迫る迫真のレポートなのである。
むしろそこで重要になるのは、医学を目の前の患者にインストールすることではなく、標準化が不可能なそれぞれの患者の人生の 文脈に、医学という知をどう混ぜ合わせていくか、医療者の持つ専門知と患者の人生の間にどのような再現性のない知を立ち上げ、 実践し続けていくかである。
2017/9/4
「火山で読み解く古事記の謎」 蒲池明弘 文春新書
もしも、巨大な火山噴火に遭遇した縄文時代の人びとの、驚きや畏怖の感情が古事記神話に痕跡を残しているのだとしたら・・・
これから試みようとしていることは、こうした仮説を足がかりとして、古事記にしるされた物語を火山の神話として読み解いてみる ことです。それによって、古事記のなかのいくつかの謎を解明できるのではないか。そんな予感がするからです。
たとえば、アマテラスの「岩戸隠れ」の神話。
これを、最長でも7分台の皆既日食への畏れであると解釈したのでは、「あれ?太陽の様子が何か変だな」と思っているうちに終わって しまい、太陽の復活を祈る暇さえないのだから、これは、スサノオを火山の表象とみなし、太陽を噴煙で覆い隠してしまうほどの巨大 噴火をおこした、荒ぶる火山を鎮める女性祭祀者の物語として読むべきだというのである。
頭が八つ、尾が八つというヤマタノオロチは、溶岩流が山の谷や沢を求めて合流あるいは分流する様を暗示している。
オオナムチ(大穴持)とも呼ばれるオオクニヌシは、大きな火口を持つ火山の神であり、彼が支配する出雲とは八雲(噴煙)立つ火山の 王国だった。
天孫降臨としてニニギが降り立った九州南部の高千穂は、縄文時代における火山集積地であり、アメノウズメらの祭祀者集団が先遣され たのは、荒ぶる大地を鎮めるためだった。
そこでニニギと結ばれたコノハナサクヤ姫(美しい円錐形の成層火山・開聞岳)は火山の女神であり、いまは富士山信仰の象徴として、 全国各地にある浅間神社の祭神となっている。
などなど、7300年前に九州最南部で発生した、巨大な噴火(「鬼界カルデラ」)にまつわる縄文人の記憶が、古事記神話の根源に あるのだと想定しさえすれば、
<なぜ、古事記神話は日向(九州南部)、出雲(島根県)が主な舞台となっているのか。>
(九州南部と出雲は西日本における二つの火山集積地である。)
<アマテラスをはじめとする神々はたえず戦っている。そうした戦いの背景には、どのような歴史的事実が存在するのか。>
(神々の戦いは、現実の戦闘行為ではなく、荒ぶる火山活動を鎮めるための祈りの比喩的表現である。)
<古事記の素材となった神話や伝承の起源は、どの時代までさかのぼることができるのか。>
(古事記に記録されている神話は、縄文時代あるいはそれよりも古い旧石器時代に起源をもつ可能性がある。)
と、これまでは神話の世界のお話なんだからと、何となく見過ごしてきた辻褄の合わない古事記のエピソードの数々が、まるで目の前で 繰り広げられる出来事の実況中継でも見るかのように、まことにしっくりと腑に落ちてくる気分を味わうことができる。これは、古事記 専門家でも、火山専門家でもないからこそ書けたという、「驚異の風景」のルポルタージュなのである。
なぜ、地震や台風ではなく、火山の記憶が神話化するのかといえば、その光景の荘厳さ、美しさにあるのではないでしょうか。・・・
人智を越えた驚異の情景を目にした古代の人たちが、そこに神のようなものを見出したとしてもまったく不思議ではありません。 そこに神話が発生するきっかけがあるはずです。
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