徒然読書日記201705
サーチ:
すべての商品
和書
洋書
エレクトロニクス
ホーム&キッチン
音楽
DVD
ビデオ
ソフトウェア
TVゲーム
キーワード:
ご紹介した本の詳細を知りたい方は
題名をコピー、ペーストして
を押してください。
2017/5/31
「偉大なる失敗」―天才科学者たちはどう間違えたか― Mリヴィオ 早川書房
1917年、最大スケールで見れば宇宙は不変かつ静的であると確信していたアインシュタインは、自分自身の方程式で記述 される宇宙が、自分の重みで崩壊しないようにするため・・・自身の方程式に新しい項を導入した。
一見するかぎり見事な解決策となった斥力的重力=「宇宙項」。
それは、宇宙が膨張していることを真っ先に予言する栄誉を失わせただけでなく、後に自らそのアイディアを取り下げざるを得なく なったという意味で、「我が生涯で『最大の過ち』だった。」(という歴史上有名な台詞をアインシュタインが述べるのを聞いた、 というガモフの証言は実は創作だと著者は結論しているが・・・)
「融合遺伝」(両親の特徴がペンキを混ぜ合わせるように融合して子に伝えられる)という仮定のもとでは、自然選択のメカニズムは 期待どおりに作用しえない、という点を完全に見落としてしまった、「進化論」のダーウィン。
地球のマントルが対流するという、予期せぬ可能性の指摘に耳を傾けようともせず、地球内部の熱伝導は一様だという仮定に固執し、 地球の年齢を実際の50分の1に推定してしまった、物理学者のケルヴィン卿。
タンパク質の構造解明における画期的な成功を過信し、低品質なデータとわずかな研究期間というやっつけ仕事で、三本鎖のDNAと いう誤った結論に至ってしまった、化学者のポーリング。
宇宙マイクロ背景放射の観測により、ビッグバン理論が単なる仮設から実証された主流の座についたことが明らかになっても、定常理論 を支持し続け、不自然で信じがたい説明を繰り出して「単なる変わり物」とみなされた、天体物理学者のホイル。
というわけでこの本は、真に偉大な数人の科学者が犯した、意外な過ちと、それがもたらした予期せぬ影響を追いながら、最終的には、 発見や革新へと繋がる道は過ちという想定外の道筋で作られることもある、ということを証明してみせようという試みなのである。
1998年、ふたつの天文学者チームがそれぞれ別個に、宇宙の膨張がこの60億年間で加速し続けていることを発見した。それは、 あの宇宙項から期待されるような何らかの種類の斥力が、宇宙の膨張を加速させていることを示唆していた。宇宙項によって静的宇宙 が実現すると考えたことは、悔やまれるミスであったかもしれないが、だからといって、方程式の表面的な美のために、宇宙項に恣意的 にゼロという値を代入して、宇宙項を取り去ってしまったことは、自身の理論の一般性を制限してしまったという意味で、方程式の 簡素化のために払った高い代償となったと言わねばならない。
<アインシュタインの本当の過ちとは、宇宙項を取り去ったことだったのである!>
本書で説明している過ちはいずれも、何らかの形で、大発見への橋渡し役を果たした。だからこそ、「偉大なる失敗」と読んでいる わけだ。・・・5人の犯した過ちは、科学の進歩をさえぎっていた霧を振り払う、きっかけのような役割を果たしたのである。
2017/5/26
「身体巡礼」―ドイツ・オーストリア・チェコ編― 養老孟司 新潮文庫
2011年7月、帝国最後の皇太子だったオットー・ハプスブルクが亡くなり、伝統に従って埋葬された。心臓はハンガリー に(王家の中では例外的)、残りの遺体はハプスブルク家歴代の棺を置くウィーンの皇帝廟に納められた。
<実際には700年続いたハプスブルクの王家は、特異な埋葬儀礼を守ってきた。>
ハプスブルク家の一員が亡くなると、心臓を特別に取り出して、銀の心臓容れに納め、ウィーンのアウグスティーン教会のロレット 礼拝堂に納める。肺、肝臓、胃腸など心臓以外の臓器は銅の容器に容れ、シュテファン大聖堂の地下に置き、残りの遺体は錫の棺に 容れて、カプチン教会の地下にある皇帝廟に置く。いずれも歩けば10分以内の距離にある3箇所に、遺体は別々に埋葬されることに なるのである。
<だれがそれをするのか>
王家の一員が亡くなったときに、「玉体に傷をつける」ようなことができるためには、なにか理屈があり、前例があったはずだ。 それはどういうもので、いつごろ発生して、どう伝わってきたのか。その背景には、心に対する体、<身体>というものをどう考え、 評価するかという、大きな文化的背景があるに違いない。解剖学を専攻していた現役時代から、ずっと抱き続けてきた<埋葬儀礼>への 関心。それが、母親の墓参りにも行っていない養老先生を、この中欧の赤の他人の<墓参巡礼>へと駆り立てた理由の一つだった。
<心臓信仰>
死体には二人称の死体と三人称の死体がある。(一人称の死体はない。それを見る自分がいないから。)そして、三人称の赤の他人の 死体とは違って、二人称の死は、その人だとわかる部分が残存する限り、なかなか死体にならないのだという。王家という共同体に おいては、祖先を祀るという埋葬儀礼によって、構成員はいつまでも構成員のままに保たれる。遺体はどういう形であれ、「その人が そこにいるものとして」保存されなければならなかった。特に、身体の中心にあっていちばん重要だと思われた心臓は、身体と分けて 埋葬されることが多かった。(心がそこに宿ると考えられていたか、どうかは別として。)
というのが、長年にわたる人間(生者と死者)観察を通して、思考し続けてきた養老先生ならではの、含蓄に富んだ読みなのである。
パリのモンマルトルの丘の上に立つ、サクレ・クール寺院(=「聖心」教会)の天井には、「聖なる心臓」が炎に包まれたキリスト像が 描かれている。「聖心」の女子大生なのだから、「心が聖い」に違いない・・・なんて思ったら、大間違いなのだ。
(30年前に、ウィーンで)ふと立ち寄った教会で、日曜日のミサの案内が貼ってあり、その中にハートに矢が射すようなマークが あったのだ。これはなんだ?・・・日本に戻って、聖心女子大学の校章はふたつのハートが百合の花で囲まれ、左側のハートは茨が ぐるりと囲んでいて、右側のハートが剣で貫かれていることを知った。・・・それが30年間ずっと気になっていたのである。 我ながらしつこい性格だと思う。よく言えば学問的。だれも言ってくれないけれどね。
2017/5/18
「これで古典がよくわかる」 橋本治 ちくま文庫
「和漢混淆文」は、日本人が日本人のために生み出した、最も合理的でわかりやすい文章の形です。これは、「漢文」という 外国語しか知らなかった日本人が、「どうすればちゃんとした日本語の文章ができるだろう」と考えて、長い間の試行錯誤をくりかえし て作り上げた文体です。
奈良時代まで、自分たちの「文字」というものを持っていなかった日本人は、朝鮮経由で入ってきた「漢字」を使うしかなかった。日本 最初の歴史書である『日本書紀』は、「漢字だけで書かれた文章に合わせて日本語を使う」=「漢文」で書かれたが、それと同時期に、 「自分たちの言葉に合わせて、漢字を好き勝手に使う」=「万葉仮名」の発明により、工夫して書かれたのが『万葉集』だった。
そんな「万葉仮名」をくずして「ひらがな」が生まれ、それだけで書かれた「シンプルな物語」である『竹取物語』が登場するまでに 100年。それを「物語の祖」と呼んだ紫式部によって、日本が世界に誇る王朝文学の極致、『源氏物語』が「ひらがなばかり」で 書かれるまでには、さらに150年を要した。
「漢文」を日本語として読む時の補助として発明された「カタカナ」は、女文字である「ひらがな」とは違って、「わかりやすい書き 下し文」を書くためのものだった。『源氏物語』の100年後に、「漢字+カタカナ」の「書き下し文」により、民間伝承を集めた 説話文学としての『今昔物語集』が誕生し、当時最高の教養人の書物として、随筆文学の嚆矢である鴨長明の『方丈記』が、「漢字+ カタカナ」の「和漢混淆文」で書かれるまでには、100年の歳月を要した。
今の我々が「普通の日本語」と思っている、「漢字+ひらがな」という「和漢混淆文」が登場するのは、それからさらに100年後。 鎌倉時代の終わりになって、兼好法師の『徒然草』が、ようやく、今の我々にも「わかる古典」として誕生したのである。
<既にできている「ひらがな」と「漢字」をドッキングさせるのに、なんでそんなに時間がかかるんでしょう?>
それは、「ひらがなだけの文章」は「話し言葉の先祖」であり、「漢字+カタカナの文章」は「書き言葉の先祖」であるからだ、 というのである。自分たちは、「公式文書を漢文で書く」けれど、「ひらがなで書いた方がいいような日本語をしゃべる」という矛盾を 埋め合わせるために、「漢文」という本来は「外国語」でしかない「書き言葉」は、「話し言葉」を取り込むことで、どんどん「今の 日本語」に近づいてきたのである。
「古典というものが日本語の骨格をなすような言葉で、それを無視してしまったら日本語はおかしくなる」
「おしゃべりなんかとはまったく無縁だと思われている古典が、じつは現代の言葉と大きな関係を持っている」
というわけでこの本は、『桃尻語訳枕草子』などの現代語訳を通して、古典の単なる翻訳から離れた現代化という困難な作業に挑み続け てきた著者が、「わかりやすい」ことだけ重視し、その文章を書いたり読んだりする、人間の“中身”を忘れてしまった、現在の日本語 教育に対する注文書なのである。
日本の学校には、日本語を教える「国語」という授業が、ちゃんと小学校の時からあります。その「国語」は、やがて「現代国語」 と「古典」にわかれて、「古典」の方は「わかりにくい」と言われて生徒に嫌われてしまう――そういう傾向があります。生徒たちは、 「古典はむずかしくてわからない」と言います。でも・・・
<そんな生徒たちに、「現代国語」の方は「よくわかる」んでしょうか?>
2017/5/17
「株式会社の終焉」 水野和夫 ディスカバー21
1997年までは雇用者報酬は不況でも減少することなく増加基調にあったので、貯蓄が可能でした。貯蓄の増減は利子率に よって決まっていたので、株価(企業業績を反映した)と利子率は同じ方向に動いていたのです。
20世紀末に新自由主義が世界を席捲すると、資本の自己増殖に励もうとする「資本帝国」は、雇用者所得を減少させることで株高を 維持しようと図った。従来、景気の尺度としてあったはずの「株価」と「利子率(金利)」は、その関係を断ち切られ、「株価」のみ が、いわば「資本帝国」のパフォーマンスを表す尺度へと、大きく変貌したのである。
しかし、「利子率(利潤率)」はまた、資本(財)を「蒐集」する資本主義というシステムの、増殖スピードを表す尺度でもあるの だから、その利子率がマイナスになったということは、資本を含めたあらゆる蒐集が「過剰、飽満、過多」という、宿命的な限界に 近づきつつあることを、それは意味するのではないのか。
<資本主義が資本の自己増殖ができなくなったとき、その主役である株式会社に未来はあるのだろうか?>
というこの本は、大ベストセラーとなった、
『資本主義の終焉と歴史の危機』
において、もはや「周辺」のない地球に、無理やり「周辺」を追い求めること は、民主主義の腐敗を招くことにしかならない、と警鐘を鳴らした著者が、「成長がすべての怪我を癒す」とばかりに、「強欲」資本 主義の御旗を掲げて盲進しようとする、「アベノミクス」の喉元につきつけた、切れ味鋭い刃の切っ先なのである。
「より速く、より遠く、より合理的に」を追及した20世紀の近代資本主義は、地球が「無限」であることを前提として、飛躍的な生活 水準の向上を実現してきた。IT革命とグローバリゼーションにより、地球が「有限」であることが明らかとなってしまった、21世紀 は成長(=近代)それ自体が収縮(=反近代)を生むようになる。
<潜在成長率を決めるのは、技術進歩、資本量、労働量の3つの要素ですが、これらはいずれも、すでに成長に貢献していません。>
・売上増以上に研究開発費などのコストがかかるため、技術進歩は成長に寄与できない。
・すでに資本が過剰な日本において、これ以上の投資により資本を増やせば、それは不良債権となる。
・家計の収入増以上に教育費がかかるようになったため、労働量、すなわち人口の減少に歯止めがかからない。
「無限空間」を前提として初めて利潤極大化が可能になる近代の価値観に、最適化するように発明された株式会社に終わりが近づいて いるというのであれば、
「よりゆっくり」=減益計画で充分である。
「より近く」=配当は現物給付とし地域の会社になる。
「より寛容に」=応分の税を負担し過剰な内部留保を減らす。
ことが、21世紀の会社のあるべき姿であるというのだった。
「問題を問題として記述している人に対して、分析するなら同時に解決策も示せと迫るのは間違いだと考えている。(中略)前向き なものがまったくないからといって、それがどうかしたのか、と」(『時間かせぎの資本主義』Wシュトレーク)
2017/5/9
「英単語の世界」―多義語と意味変化から見る― 寺澤盾 中公新書
trunk 1(木の)幹 2(自動車の)荷物入れ 3(象の)鼻 4 (競技用の男子の)パンツ 5 (旅行者用の) 大かばん・・・(『ジーニアス英和辞典』)
<日本人にもっとも馴染みのある「車のトランク」は、「木の幹」とどのように繋がっているのだろうか>
単語の多義性は、過去におこった意味変化が集積して生まれたものなのだから、多義語が持つさまざまな意味を繋ぐ糸を発見しようと 思えば、その語が経てきた歴史的意味変化の道を辿らなければならない。
『英語語源辞典』などを調べれば、「trunk」は15世紀前半にフランス語から借用されたもので、その時には「木の幹」を意味する 単語だったことがわかる。その「木の幹」をくりぬいた形状に由来する「管」(現在は廃義)という意味を介して、「ゾウの鼻」や 「トランクス」という意味が派生してきた。その「木の幹」を削って作った箱を、昔は実際に「収納箱」(現在は廃義)として使用して いたことから、「車のトランク」や「かばん」という意味が生まれたのである。
ある単語の意味が変化する場合、もとの意味からでたらめに新たな意味が出てくるのではなく、両者の間には必ず何らかの繋がりが ある。
「類似性」(似ているもの)
「近接性」(近くにあるもの)
単語のもとの意味(原義)と、そこから派生した意味(転義)との間には、上記2つの連想関係に基づく場合が多いのだ。
というこの本は、前著『英語の歴史』(中公新書)において、1500年におよぶ英語の歴史のなかで、発音・つづり、語彙、文法が どのように変化してきたかを語った著者が、今度は単語の意味変化を取り上げ、その歴史的変遷を辿ってみることで、ばらばらに見える 語義をつなぐ「関連の糸」の存在を発見することが、一見、廻り道のように見えて、英語学習の効率アップにつながるのだということ を示してくれたものなのである。(第一、その方が絶対に楽しいしね。)
さて、名詞・動詞・形容詞といった「内容語」の意味の変化について、一通り理解した後で、議論は、前置詞・代名詞・助動詞など 文法的な役割を担う「機能語」の意味の変化へと移り、佳境に入っていく。
・「of」は「所属・所有」より「分離・剥奪」の意味が先
・「you」が単複同形なのは「尊敬の複数」の代用
・「can,may,must」にみる「能力、許可、命令」の意味変化の一方通行性
などなど、興味津々の話題満載なのだった。
2017/5/8
「マディソン郡の橋」 RJウォラー 文春文庫
「わたしは最後のカウボーイのひとりなんです。わたしの仕事にはまだちょっと放し飼い的なところがある。・・・わたしは ただ少しいい写真を撮って、完全に時代遅れになるまえに、あまり大きな損害をもたらすまえに、消えてなくなりたいと思っている だけなんです。」
ハリーという名のおんぼろピックアップ・トラックを運転して、ワシントン州ベリングハムから、屋根付きの珍しい橋を撮りにやって きた写真家、ロバートキンケイドは、<この世に生まれる前からここにいて、ほかの人たちが想像もしないような場所で、ずっと ひそかに暮らしていたんじゃないか>と、たまに付き合う女性にさえ言わせてしまうような、ふつうの社会には納まりきれない、 放浪するジプシーのような男だった。
それはひとつには、長年の習慣のせいだった。それは彼女にもわかっていた。どんな結婚や関係も、その影響を受けずにはいられ ない。習慣は予測を可能にし、予測がつくということにはそれなりの快適さがある。彼女にはそれもわかっていた。
はるか昔にナポリから<甘い夢>を追いかけてやって来た、アイオワ州マディソン郡の農夫の妻、フランチェスカ・ジョンソンは、 <台所のロウソクの明かりのなかで踊ることもないし、女の愛し方を知っている男のすばらしい愛撫もない。>こんなはずではなかった <退屈な>片田舎での生活に微かな悔恨を抱きながら、愛する夫と二人の子供に囲まれた平凡で穏やかな日々を過ごしていた。
会うまえには、互いのことは知らなかったはずなのに、まるで長いあいだ、相手に向かって歩いてきたかのように、52歳の男と 47歳の女は運命に導かれたかのように出会い・・・恋に落ちた。
クリント・イーストウッドがメリル・ストリープを相手に指名して、自ら監督・主演し大ヒットとなったあの映画の、原作本が読書会の テーマ本に選ばれたので、自分では絶対手に取らないであろう本を、半信半疑の想いを抱きつつ読了。
ありえたかもしれない自分の<夢>を心の奥深くに抱きながら、家族のために生きる道を選び続けてきた女の前に、<橋>の向こうの 世界から、突然異界の男が現われて、「お風呂で一杯の冷たいビールを飲むだけで、こんなに優雅な気分になれる」ことを、思い出させ てくれる。たった4日間の、めくるめくような至福の時間を過ごしたのち、一緒に旅立とうと願う男に対し、女は<橋>を渡ることを 拒んでしまう。
「わたしの責任を放棄させないで。そんなことをして、後悔しながら生きることはできないわ。」
<夢>は、ありえたかもしれないから美しいのであれば、実現してしまえばそれはもはや<夢>ではありえない。ここで<橋>を渡って しまえば、それはこれまでの自分のすべてを台無しにしてしまうということに、女は気付いていたのだろう。
死ぬ少し前、デモインの病院で、そばに坐っている女に向かって、夫のリチャードが吐露したことばを聞いた時、あの4日間と引き換え に、喪ってしまいかねなかった<もの>の大切さを、彼女だってきっと身に染みて思い知らされたに違いないと、暇人は信じたい。
「フランチェスカ、お前にも自分の夢があったことはわかっている。わたしがそれを与えられなかったのが残念だ。」
2017/5/4
「中二階」 Nベイカー 白水Uブックス
1時少し前、私は黒い表紙のペンギンのペーパーバックと、上にレシートをホチキスで留めた「CVSファーマシー」の白い 小さな紙袋を手に、会社のあるビルのロビーに入ると、エスカレーターの方向へ曲がった。エスカレーターは、私のオフィスがある 中二階に通じていた。
<「CVS」の袋の中に入っていたのは、新しい靴ひもだった。>
昼休みの直前に、左の靴ひもが切れてしまったので、昼食に出るついでに、ドラッグストアに寄り道して買ってきたのである。それに しても、昨日家を出るときには、右の靴ひもが同じように、結ぼうとして引っ張った瞬間に切れてしまったのだったが、2年も前に 父から就職祝いにと贈られた靴の、左右の靴ひもが2日と経たずに相次いで切れる、などということがあるものだろうか?毎朝何百回と 行なってきたひもを結ぶ動作が、ロボットのように常に同じだったため、左右のひもに同量の力がかかっていたからだろうか? それとも・・・
と、傍目にはどうでもいいような瑣末な事象に対する、微に入り細を穿った尋常ならざる考察が、見開き半分以上を侵食する注釈付きで 展開されていく。
おそらく、大手の業者が一斉に紙からプラスチックに切り替えてしまったことにより幕を開けた、不便この上ない“浮かぶストロー 時代”への憤懣。
幼稚園の先生から教わった“あらかじめじゃばら寄せ方式”に始まる、靴下をスマートにはくための、素晴らしいテクニックの遍歴。
4,5歳で結ぶ技術を会得して以来、20年以上にわたる私の人生における大きな進歩8つのうちの、実に3つまでもが靴ひも結びに 関することだったという感慨。
三角屋根の一方を押し開いて、折り畳まれたまちを引き出すと、そのまま理想的な注ぎ口に早変わりする、牛乳のカートン容器に対する 畏れにも似た憧れ。
ときどき私の脳裏をかすめる、“昼休みの始まりは、昼食前に洗面所に入った時点とみなすべきか、それとも出てきたときか”という、 くだらない疑問に関する考察。
ああでもない、こうでもない。そして・・・
たとえば、空港の手荷物運搬システムや、スーパーマーケットのレジのベルトコンベア、ビー玉がジグザグの滑り台を転がっていく 玩具、オリンピックのボブスレーの走路など、など、子供時代、たいていの人が好きだったと思う、ボートや電車や飛行機より、 小規模な輸送システムのほうに興味があったという彼が、
<これらと通じあう魅力があったが、ただ一つ違っていたのは、実際に乗ることができるという点だった>
と偏愛する、エスカレーターに乗っているわずか数十秒間に、彼の脳裏をよぎった様々な想念だけで綴られた、これは、まことに斬新な “極小文学”の極地なのである。
エスカレーターをおりる直前、ステップの溝が吸い込まれる櫛目プレートのところに煙草の吸いがらが一つひっかかり、小さく 撥ねながら回転しているのが目に止まった。私は中二階に降り立ち、振り返ってその吸いがらをしばらく眺めた。
先頭へ
前ページに戻る