徒然読書日記201704
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2017/4/26
「中世の声と文字」―親鸞の手紙と『平家物語』― 大隅和雄 集英社新書
中世の文化は、漢字漢文に親しむ貴族や、経論を学び梵字まで知っている僧侶だけが生み出したわけではない。宮廷の文化は、 仮名文字しか読めない女性によって支えられていたし、祭礼の歌や舞を担い、地方の歌謡を都に持ち込んで流行の旋風を起した人々も 無文字の人々であったに違いない。無文字の社会に豊かな文化があり、活発な知的活動もあった。
<文字のない社会では、ことばは声で伝えられ、記憶された。>
開祖・親鸞が、自身の信心の拠り所を求めて、『無量寿経』などの経典を繰り返し読む中で、その意味を解読し、その教えを明らかに しようとした。浄土真宗の根本聖典ともいうべき主著『教行信証』は、しかし、人に読ませるために書かれたものではなく、親鸞が 自分自身のために書き続け、読み返しては加筆を続けた本だった。
では、いまや日本最大の仏教教団となった浄土真宗において、750年前の親鸞の教えは、どのようにして人々の心を捉え、伝えられ てきたのか?
「親鸞は弟子一人ももたずさふらう。そのゆへは、わがはからひにて、ひとに念仏をまふさせらはばこそ、弟子にてもさふらはめ、 弥陀の御もよほしにあづかて念仏まふしさふらうひとを、わが弟子とまふすこと、きはめたる荒涼のことなり」(『歎異抄』第六段)
阿弥陀如来の前では門弟はみな同朋だ、と考える親鸞の周りに集まった東国の念仏の信者たちは、親鸞に様々な質問をし、親鸞もその 問いを自分の心に照らしたうえで、誠実に答えた。その当時は文字を知らないものが大多数であった門徒たち、一人一人の心に深く 染み込んだ親鸞の声と言葉は、文字に記されることはなかった。親鸞はそこに居るのだから、なお聞きたいことがあれば、直接教えを 乞う機会はいくらでもあったし、記憶していればそれで充分だったのだ。そんな親鸞は東国を去った後、なおも教えを乞う残された 人々のために、門弟たちに手紙を書き送り、声を上げて読み聞かせるようになる。
「ゐなかのひとびとの文字のこころもしらず、あさましき愚痴きわまりなきゆへに、やすくこころえさせむとて、おなじことを とりかへしとりかへしかきつけたり。こころあらむひとは、おかしくおもふべし、あざけりをなすべし。しかれども、ひとのそしりを かへりみず、ひとすぢにおろかなるひとびとを、こころへやすからむとてしるせるなり。」(『唯信鈔文意』追って書き)
それは、改めて自らの信心の拠り所を伝えなければならないと考えた親鸞が、諄々と遠方の門徒たちに語りかけるように説いた、情感 溢れるものだったのだが、はじめは手紙であったはずのものが、やがて親鸞自身の「法語」のようなものとなり、念仏往生の教えの 核心を述べた「著述」として、遺されることになったのである。
これと時期を同じくするかのように・・・、行長が自分が書いた文章を声に出して読み聞かせ、それを聞いた盲目の琵琶法師・生仏が、 琵琶を奏でながら語っていき、ことばを憶える。そんな気の遠くなるようなプロセスの共同作業を通して、生み出されたのが 『平家物語』の語りという中世軍記物の傑作だった。
他の民族や地域には見られない、日本の中世を体現する<本>が、<声>と<文字>の関係という、中世にしか見られない作られ方の 中で生まれてきたことを描き出してみせた、これは、まことに鮮やかな切り口の<中世文化史>の試みなのである。
声を文字(仮名)に書き留めることと、文字(漢字)を声に移すためにことば(和語)を選ぶ、という二つの営みが交錯する中で、 文学的な文章を創造したのが中世文学の世界であった。
2017/4/23
「無葬社会」―彷徨う遺体 変わる仏教― 鵜飼秀徳 日経BP社
戦後、集団就職で都会に出てきた団塊世代や、その親世代が、じわじわと死期を迎えつつある。・・・2015年の死亡数は 約130万人。この数字は今後25年間ほど増え続け、2030年には160万人を突破すると予想される。鹿児島県の人口(約170 万人)と同等の人が毎年、死んでいくのである。
この「多死(大量死)時代の到来」により、死を受け入れる現場では様々な<前兆現象>が始まっている、という。
3組に1組が葬式なしで済ませる<直葬>となり、<火葬10日待ち>もあるという首都圏の火葬場の現実。
そんな火葬待ちの<待機遺体>の保管にこまった遺族が、すがるように利用することで繁盛している<遺体ホテル>。
核家族化による死後への不安から、増え続ける<献体>の希望者と、網棚などにわざと遺棄されるようになった<遺骨>。
遺骨が供養できないのであれば、有料で引き取って代わりに供養しましょうと、寺院が始めた宅配便による<送骨サービス>。
2030年には2700万人に近づくと予想される<孤独死>予備軍と、その現場をリセットする<特殊清掃>業界の急拡大。
これは、前著
『寺院消滅』
において、過疎化により檀家離れが進み、高齢化と後継者不足により担い手を失った、<地方都市の寺院>が直面する窮状をレポート してみせた著者が、今度は、核家族化が行き着いた先にある、地縁・血縁関係が希薄な<都会の寺院>が直面することになった、 大量死の現場を取り上げたルポルタージュなのである。
「我々、東京の寺院の繁栄は、地方の寺院の犠牲の上に立っていると思う」(ある東京都内の僧侶の言葉)
地方の菩提寺の墓じまいをして、先祖の遺骨を都会に移し替えようとする需要に応える、<無宗教式の永代供養>という新しい墓地 形態の登場。数千基納骨可能というこの<巨大納骨堂>では、参拝ブースでICカードを端末にかざすだけで、コンピューター制御で 遺骨が参拝者のもとへ自動的に運ばれてくる。
、 <だが、肥大化していく都会の寺院とて、本当に安泰といえるのだろうか。>
「家族葬」「一日葬」「直送」や「散骨」「骨仏」など、簡素化・多様化が進む葬送の形。
「寺を持たない都会人」と「食えない地方の僧侶」をつなぐ「お坊さん便」の出現。
「現代の僧侶の多くが、なぜ仏教を真剣に学んでいないのかといえば・・・自分たちの属している宗派の教義が真実だと心の底では 思っていないからです。」(佐々木閑・花園大学仏教学科教授)
市場経済にどっぷりと浸かった<都会の寺院>は、そのおかげで経営的には安定したのかもしれないが、「施しもの(布施)」で 生きていくという、本来の仏教の理念からは遠ざかってしまったのではないか?
それこそが、今の日本仏教に向けられた<市民の厳しい目>ではないか、というのだった。
「葬る」という言葉には、死者を埋葬し、供養する意味がある。だが、都市化が進む現代社会にあって、地域や家族、宗教者、 親しい者らが「死」を丁寧に看取り、送る時代は、遠く過去のものになりつつある。独りで死んでいき、その後は、死者と生者との 「付き合い」はなくなる。
2017/4/17
「イモータル」 萩耿介 中公文庫
厚紙のカバーに手書きで記されていた。兄だ。大学を中退後、インドで行方不明になった。・・・去年、親戚の葬儀で帰郷 した際、ついでに兄の部屋を整理し、その本だけ実家から持ってきた。
兄から「智慧の書」と名付けられたその本には、照明を点けてぱらぱらめくると、赤鉛筆で線が引いてあった。
<思慮深く誠実な人は、その生涯の終わりに際して自分の人生をもう一度繰り返したいとはけっして望まないだろう>
『意志と表象としての世界』A・ショーペンハウアー
職場仲間とのストレスから、<鬱>の症状に悩まされるようになっていた滝川隆は、いつしかこの不思議な書に惹かれ、なぜか救い まで感じるようになっていた。
自分は何者で、何に苦しんでいるのか?
自分の苦しさは兄の苦しさであり、この「智慧の書」の苦しさなのではないか?
それぞれがばらばらなようでいて、実は深いところでつながっているのではないか?
解決しなければならない、たくさんの<謎>の答えを得るために、隆は15年以上も前にインドで亡くなった、兄の<亡霊?>と共に、 インドへと旅立つのだが・・・
フランス革命の激動に湧き立つ世間を横目に、王立図書館に勤める下っ端の東洋言語担当司書という立場に甘んじながら、世渡りに 関心を持たず、ペルシャ語で書かれたヒンドゥー教の聖典『ウパニシャッド』を、ラテン語に翻訳したデュペロンの浮き沈みの人生が 語られる第一の物語と、
あのタージ・マハルを遺したムガル帝国の王ジャハーンの第一皇子として生を享け、帝位を継ぐことを約束されながら、知への渇望 止みがたく、イスラムにとっては異教の書である『ウパニシャッド』を、サンスクリット語からペルシャ語へと翻訳させる事業に 地道を上げ、本当の神を見いだそうとし続けたことで、弟たちとの権力闘争に敗れたシコーの苦悶の人生が描かれる第二の物語と。
間に挟まれた、この壮大な二つの歴史物語を読み終えた時、私たちは気付かされることになる。
滝川隆が失踪した兄の足跡を辿るインドへの旅は、決して第三の苦渋の人生の物語を語ろうとしたものなどではない。これは、ムガル 帝国から、フランス革命を経て、現代の日本へと、時空を超えて継承されることとなった一冊の書物に託して、ウパニシャッドから ショーペンハウアーへと至る、一筋の道を刻んできた、偉大なる<哲学の物語>なのである。
「難しそうな題名ね」「ああ」
「お兄さんのでしょ」「たぶん」
「自分でそう言ってたじゃない」
・・・
「持ち主はどうだっていいんだ。それより書いたのは自分かもしれないって思うんだ」
2017/4/15
「ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち」 Jロンソン 光文社新書
人間の持つ「恥」という感情はうまく利用すれば、大きな力になり得る。これは国境を越えて、世界中で通用する力になり 始めている。しかも、その影響力は次第に強くなっていて、影響が及ぶ速度も増している。
<「正義の民主化」とでも言うべきことが起きている。>
ツイッターのユーザーやブロガ―など、ソーシャル・メディアのアカウントを持つことで、以前なら沈黙せざるを得なかった人たちは、 大きな<声>を持った。「ネット上で晒し者にする」という攻撃は、強い相手に有効な場合が多いため、かつてなら弱く、無力だった 人たちによって巨人が倒される、という事態も頻繁に目にするようになっていた。
<悪>と闘うために、悪人を晒し者にするという手段が使われる、まさにその時に、その只中に身を置いて、それを至近距離で見つめる ことで、それが、<悪>を正すのにどれほどの効果を発揮するのかを見極めたいと、ドキュメンタリー番組の制作者として活躍してきた 著者が、決意を固めることになったのは、彼自身が、ツイッター上で受けた<なりすまし攻撃>を、逆に敵を晒し者にすることで、 完璧に撃退することに成功していたからだった。ところが・・・
「アフリカに向かう。エイズにならないことを願う。冗談です。言ってみただけ。なるわけない。私、白人だから!」
と、自分の書いたジョークに一人笑いながら、ツイートボタンを押したジャスティン・サッコは、反応がまるでないことにがっかり しながら、飛行機に乗り込んだ。11時間後、着陸して携帯の電源を入れるとすぐ、高校卒業以来話したことのなかった知人からの メッセージが目に飛び込んできた。
「こんなことになるなんて、とても悲しいよ」
彼女のツイッターは<人種差別的>だとして、世界最大の「大炎上」(全世界のトレンド第1位)を記録し、そして、ジャスティン ・サッコは大手ネット企業の広報部長という職を失った。
<公開羞恥刑>(ネットリンチ)。
ボブ・ディランの発言を捏造したことが発覚した、人気ポピュラー・サイエンス・ライターの末路。
カンファレンスの会場で、隣席の友人に向かって下ネタのジョークを口にしたところを、写真入りでツイートされてしまった エンジニア。
それを拡散したことで、エンジニアが失職したことを公表したために、逆に窮地に追い込まれることになってしまった女性、
などなど。「大炎上」の原因はもちろん、彼ら自身の行動や、軽率な発言にあったのだとしても、それで職や社会的地位までを失って しまうことになろうとは。
ごく普通のどこにでもいるような人たちが、何の法的根拠があるわけでもなく、自分の気分と周囲の空気だけで、一斉に徹底的に 「犯人」を祭り上げ、叩き出す。<私刑>(リンチ)発生のメカニズムに迫る、これは現代人必読の好著なのである。
ツイッターは、かつては何気なく、深く考えずに自分の考えをつぶやくことのできる場だった。ところが今では、常に不安を感じ ながら、慎重に物を言わねばならない場に変わってしまった。
2017/4/6
「観察力を磨く 名画読解」 AEハーマン 早川書房
では、まず基本的なところから教えてもらおう。テーブルの上にはいくつのアイテムがのっていただろう。そしてそれぞれ、 どんなアイテムだっただろう。できるだけ正確に思い出してみよう。・・・
長く見つめれば見つめるほど新たな事実が明らかになり、次々と疑問がわいてくる。
<ここまでくると単に見ているのではなく、観察しているといえる。>
描かれているのが誰(または何)で、いつの時代の、どこで起きた出来事で、どうしてそういうポーズをしているのか。その答えが わかっているという意味で、それは<途方もない量の経験と情報の蓄積>(@美術史家、D・ジョズリット)なのだから、アートは、 私たちの観察力、分析力、コミュニケーション力を鍛えるのに必要なすべてを備えている。
と主張するこの本は、FBIやCIA、警察や大企業を相手に、美術作品によって観察力を磨くためのセミナーを実践している、 美術史家(で弁護士!)が用意した問題集なのである。
アートを教材にすれば、複雑な状況はもちろん、一見すると単純だが、実は深い意味を持つ場面も分析できる。
(よく知っていることについて語るほうが、実は難しい。)
アートはどこにでもあるうえ、人間の内面をあばいて鑑賞者の心を揺さぶるものが多い。
(心をざわつかせることは、脳にとって最高の刺激である。)
アートは身近にあるものに対する視点や、解釈、コミュニケーションの方法を見つめ直させてくれる。
(私たちを日常から連れ出してくれるのだ。)
だから、このセミナーでは、画家の筆遣いや、配色や、作成年代などの、専門知識について学ぶわけではない。(『名画読解』という 題名に魅かれて読みだした方にはお気の毒だが・・・)アートはあくまで自由な解釈が許される視覚教材として、あなたの目の前に 提示されるのであるから、あなたは<見たままを――もっといえば、自分が見たと思うままを語ればいい。>というのだった。
そんな風に様々なレッスンを受講させられた後で、私たちは最後に再び、冒頭に紹介されたルネ・マグリットの『肖像』に戻ることに なる。この本を読む前とあとで、自分がどう変わったかを実感してみようという、これは自信満々な講師による、卒業試験のような ものなのである。
初めて見たときは風変わりな静物画ぐらいにしか思わなかったものが(ひょっとすると、絵には目もくれず先へ進んだかもしれ ない)、今や可能性の塊に見えるのではないだろうか。
<絵そのものは変わっていない。変わったのはあなただ。>
2017/4/6
「三種の神器」―天皇の起源を求めて― 戸矢学 河出文庫
源平合戦の終幕、安徳天皇はわずか8歳(数え歳)で入水という悲劇の最期であった。そしてその際に、三種の神器のうち 八咫鏡は船上御座所にあったが、草薙剣と八坂瓊曲玉とは二位尼が携行して帝と共に海中へ失われたと伝えられる。そして、曲玉は 木箱ごと浮いたためすぐに回収されたが、剣は海中に没して二度と発見されなかった。
<平家滅亡の時、壇ノ浦に沈みオリジナルは失われた>
という、この「三種の神器」にまつわるいかにも真相めいた言説は、実は真実ではない。(し・・・知るなかった!)「八咫鏡」は、 アマテラス神の祟りを恐れた崇神天皇から倭姫命に託され、伊勢の内宮に遷座することになった。「草薙剣」(天叢雲剣)は、東征 するヤマトタケルに授けられ、有名な事績を経たのち、熱田神宮の御神体として納められた。従って、平家が持ち出したのは、宮中 賢所に祀られていた「写し」なのであり、その本体は今も変わらず、
「八咫鏡」は、伊勢・皇大神宮(内宮)に鎮座
「草薙剣」は、名古屋・熱田神宮に鎮座
「八坂瓊曲玉」のみが、東京・宮中に鎮座 しているということなのだ。
天皇即位にあたって、1300年もの長きにわたり、代々継承されてきたかけがえのない宝物。「三種の神器」は、宮中祭祀には必須 の祭具であり、とりわけ皇位継承の祭儀においては、三種揃っていることが大前提となる。
「敵が伊勢湾附近に上陸すれば伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みが立たない、 これでは国体維持は難しい」と、御身を差し出してまでの講和を図った昭和天皇の決断は、「三種の神器」こそが日本の歴史であり、 日本の文化そのものであることを示している。「三種の神器」が揃わなければ、そもそも「天皇」たりえないのである。
宮中祭祀においては「写し」が用いられ、天皇でさえ見ることはないとされる、その「本体」ははたしてどのような姿をしているのか。
なぜ「三種」なのか。
それぞれにどのような意味があるのか。
どのような歴史的経緯のうちに現在に至ることになったのか。
「天皇とは何か」が問われている今、「天皇」であることの保証の起源に迫り、その真相を解き明かそうという、これは(ひょっと したら、当の天皇さえ目から鱗の)<意欲作>なのである。
神器となっている三種は本来的に「道具」である。そして最高権威者の威儀を示すに相応しい道具である。したがって、現行の ごとく「携行」するのは正しくない。
天皇が身に付ける、すなわち玉体に装着すべきであろう。・・・そうすることでそれぞれを依り代として神威を玉体に受けることが できるのだ。・・・
皇太子殿下にはぜひそのようにされるよう期待したい。
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