徒然読書日記201703
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2017/3/31
「入門!進化生物学」―ダーウィンからDNAが拓く新世界へ― 小原嘉明 中公新書
この地球には現在、200万種を超える多種多様な生物が棲みついている。驚くべきことは、それらの生物がみな見事に それぞれの得意とする技を駆使して、それぞれの環境に適応しているということだ。
<一体このような動物はどのようにして生み出されたのか?>
@ 種を構成する個体には変異がある。
A 変異にはその個体の生存や繁殖にとって有利な変異と不利な変異があり、有利な変異は集団の中に維持され、不利な変異は排除 される。
B 有利な変異は親から子へと受け継がれる。
というのが、「自然淘汰説」を唱えたダーウィンの、かの有名な「進化論」の核心的骨格であるのだが、この「進化」という生物学 用語が、一般社会にまで広く普及するようになった現在、本来の意味とは全く異なる誤った意味合いで使われていることが多いのだ という。
<人間が一番進化している?>
生物は、それぞれの種に固有の環境によりよく適応するように形質を特殊化させており、それぞれの環境で進化の先頭に立っている という意味では、横一線である。
(ヒトがチンパンジーになれないように、チンパンジーはヒトにはなれない。チンパンジーは進化してチンパンジーになったのだ。)
<進化とは進歩的な変化である?>
進化とは、集団における任意の遺伝子の頻度が、世代の経過とともに増加することをいうのだから、退歩や退化も含まれるし、遺伝的 変化ではないスキルの上達などは含まれない。
(その技術を持っていることが子供をより多く生むうえで有利に働かなければならず、実際に他の人より多くの子を遺さなければ進化 できない。)
<ハチ目昆虫の不妊のワーカーはいかにして進化したか?>
未授精卵のみが雄となるハチ目昆虫では、同じ両親から生まれた姉妹の血縁度が高く、自分自身で子を産んで育てるより、母親が産んだ 妹を育てる方が、自己遺伝子の複製に有利なのだ。
(血縁者に対する利他的行動は、形を変えた自己利益優先主義の行動の結果だった、ということだ。)
などなど、生物の目的にかなった生物学的由来を追及する「進化学」の核心を、一般向けに分かりやすく書き下ろした、これは、格好の 「啓蒙書」なのであれば、目から鱗が落ちまくり、蒙を啓かれること保証付きの逸品なのである。
我々はともすると、これらの見事な適応を目にして進化のすばらしさに感心するかもしれないが、しかしある特定の環境要因に特化 することは、進化的に長期的観点から見ると問題がある。すなわち特殊な環境要因はより一般的な環境要因より、地球の地学的変動の 影響を受け、攪乱されやすいからである。
<見事としかいいようのない精緻な進化は、実は絶滅への道でもあるといえるのだ。>
2017/3/20
「朗読者」 Bシュリンク 新潮文庫
なぜだろう?どうして、かつてはすばらしかったできごとが、そこに醜い真実が隠されていたというだけで、回想の中でも ずたずたにされてしまうのだろう?・・・辛い結末に終わった人間関係はすべて辛い体験に分類されてしまうのか?たとえその辛さを 当初意識せず、何も気づいていなかったとしても?でも、意識せず、認識もできない痛みというのはいったい何なのだろう?
<あのころのことを思い出すと、どうしてこんなに悲しくなるのだろう?過ぎ去ってしまった幸福へのあこがれなのだろうか・・・>
私たちが「黙読」しているという時には、たとえ口は動かさなくても(たまに動かしている人もいますが)、頭の中では声を出して 読んでいて、つまり、私たちは「音読」できる以上のスピードで、本を読むことはできない、ということなのだが、(ちなみに、 見開きわずか1秒という速読術で有名な「フォトリーディング」は、頭の中でも声を出さずに「目読」する)では、その時私たちの 頭の中に流れている声は、いったい「誰の声」なのだろうか?
同じ本を2度読むことはめったにない暇人が、「読書会」のテーマ本になったために、2000年に読んだ本を再読。
その時の
「感想」
に、それほどの 違和感はないけれど、前に読んだときには、前半に張られている伏線の意味に気づかず読んでいたわけだから、2度目の今回はあの時と 同じように読むことはできないことになる。そして、そのようにして読んでみたからこそ、初めて気付いたこともある。
物語の前半における「朗読」では、二人の頭の中に「ミヒャエルの声」が流れていたことは間違いないのに対し、(ハンナにとっては、 その「声」だけが、世間に向けられて開かれた唯一の窓なのだから)、後半の「朗読」で、テープから流れるミヒャエルの声は、何も 気づいていなかった頃の二人の関係を追慕しようとするかのようなミヒャエルの思惑を超え、いつしか、ハンナは「朗読」ではなく、 「手紙」を望むようになっていく。つまり、彼女は「自分の声」を獲得することになったのだ。
ミヒャエルに「罪」があるとすれば、それは彼が「ハンナの声」に、ついに耳を傾けようとしなかったことになるのだろう。彼は 「朗読者」なのであれば、結局、彼の耳には最後の最後まで「自分の声」しか届いてこなかったということなのだ。そして、これは ようやくそのことに気付いたミヒャエルが、素晴らしかったはずの苦い過去に向けて書き綴った、悔恨の記録なのである。
<誰が僕に注射を打ったのだろう?感覚を麻痺させないことには耐えられなかったので、自分で自分に麻酔を打ったのだろうか?>
それはまるで、注射されて麻痺した腕を自分でつねってみるようなものだった。腕はつねられたことを自覚しないが、手の方は つねったことを自覚している。最初の瞬間には、脳はそれらの認識を区別することができない。しかし、次の瞬間にははっきりと 判断する。ひょっとしたら、手はあまりにも強くつねったので、つねられた箇所がしばらく白くなっているかもしれない。停まっていた いた血がやがてまた流れて、その箇所も赤みを帯びてくる。しかし、だからといって感覚が戻ってくるわけではない。
2017/3/17
「幻の料亭・日本橋『百川』」―黒船を饗した江戸料理― 小泉武夫 新潮社
丸い黒漆の卓台があって、その上にギヤマンのコップと小皿が客の人数分並べられ、紅で寿と書かれた紙で包まれた箸が 置かれている。台の真ん中にはギヤマンの瓶に入った薄荷酒と保命酒が置かれ、切子の蓋物に砂糖が入っている。また、切子の箸立に 箸が数膳立てられていた。なんともすごい店構えであるが、ようやくありつけることになった料理の献立は、次の通り。
小菜 海胆蒲鉾(白身魚の擂り身にウニを加えたもの)
鶉胡麻蒲鉾、紅白花形薯蕷、結牛蒡白胡麻あえ
海老よせもの、椎茸しんじょ
吸物 鯛皮付きしんじょ、葉防風、赤みそ
酒燗 切子の瓶に入る
鱠 鰹、胡瓜、独活、大根おろし、かけ醤
茶碗 青鷺むしり菜
小菜 鯛赤みそ入むし揚
椀盛 玉子しんじょ、わらび、塩はつたけ、うす葛
飯
香物 茄子白瓜切漬
これで料金は一人前金百疋(1万6千7百円相当)、これが最も下の等級で、上品二百疋のお客には泥亀(スッポン)が出た。 文化文政期に花開くことになった町人文化の、その基盤を用意した明和・安永の時代(1764〜81)、日本橋瀬戸物町の浮世小路 (現在の三越本店の向かい側を入ったあたり)に開店し、古典落語の噺ネタにまでなった、料理茶屋「百川」については、実は謎が 多く、詳しい記録も残されていないのだという。
「百川」ではいったいどんな料理が振る舞われ、どのようなご贔屓たちが、それを堪能していたのか?
この謎に敢然と立ち向かったのが、あの「味覚人飛行物体」と自他ともに認める、食の魔人・小泉センセイなのであれば、これはもう、 これだけで「お茶碗3杯」(お約束のフレーズでゴメン)間違いなしの垂涎の快著なのである。
足繁く通っていた文人墨客たちは、太田南畝(蜀山人)を筆頭に、山東京伝・京山の兄弟や、亀田鵬斎、谷文晁といった錚々たる メンバーで、「山手連」と呼ばれ、定例の「狂歌」の品評会や、不思議なことを発表し合う「咄咄の会」、1位がなんと7升5合飲んだ という「大酒乃会」など、趣向を凝らした宴の催しが、豪華な献立と共に活写されていくのである。
そんな「百川」が、まっさきに西洋料理を取り入れ、繁盛していたはずにもかかわらず、明治維新以降、忽然と姿を消してしまう。
それはどうやら、一人前3両、5百人分、総額千五百両(1億5千万円相当)に及んだという、ペリー一行への饗応料理を、徳川幕府 から押し付けられたことに遠因があるのではないかという。
昼食にもかかわらず、90種を超えるという仰天の献立を見るにつけても、食器を揃えるだけでもその苦労が偲ばれるのだが、(幕府の 意向に沿った格調高い本膳料理は、残念ながら淡泊過ぎて米国人には物足りず、受けが悪かったらしい。)崩壊間際の徳川幕府が、 その勘定を支払うことなど、到底出来なかったに違いないのである。(百川もそれは承知の上だったのかもしれないが・・・)
2017/3/14
「しんせかい」 山下澄人 文藝春秋
外へ出て空を見上げると大きな月が確かに出ていた。満月に見える。少し欠けているようにも見えた。月など出ていなかった かもしれない。夜ですらなかったかもしれない。
「何かいっつもそうやな」
いつだって「そんな気がする」と、大事なことを言ったか言わないかも覚えていない風なまだるっこしさを、彼女の天(とはいうもの の、セックスとかそういうことはまだ何もしていないのだが、)からなじられてばかりだった19歳の「スミト」は、家に間違えて 配達された新聞の「二期生募集」の記事に応募して試験に合格し、生まれ育った土地から遠く離れたところにある、俳優と脚本家を 目指すものを育てる、知らない名前の有名な【先生】が主宰する、【谷】と呼ばれる場所で2年間暮らすことになった。
本年度「芥川賞」受賞作品。
「さみしいよぉ」
まさこちゃんがいって、ミランダさんとケイちゃんとけいこがうなずいた。
「佐伯さん泣いてたよ」
カツさんがいった。
「泣いてたの?」
けいこがいった。
・・・・・・・・
「やっぱりみんなさみしいんだよ」
ミランダさんがいった。
といった感じの臨場感あふれる会話による、スピーディーな展開が続けば、これは青春群像劇のシナリオのようなものなのだ、 と思ってしまいそうになるのだが、
ミランダさんは「みんな」といった。みんな、なのならぼくもだ。ぼくはどうなのだろう。どうだったのだろう。
その場に確かに参加しているらしい「スミト」は「ぼく」ではなく、「ぼく」はどうやら50歳になった今の「ぼく」なのだ。
そして、このよく考えると「スケスケ」の物語が、
<それから一年【谷】で暮らした。一年後【谷】を出た。>
と唐突に締め括られているところを見ると、これはどうやら濃密な2年間の修行生活の中で発生した、様々なエピソードを、思い出す まま、順不同に羅列したら、1年の出来事に圧縮されてしまった、ということらしい(?)のだが、それが、単に「面倒くさかった」 からだけなのか、それとも「狙った」ものなのかどうかは、作者に聞いてみないとわからないのである。
どちらでも良い。すべては作り話だ。遠くて薄いそのときのほんとうが、ぼくによって作り話に置きかえられた。置きかえて しまった。
2017/3/13
「密着 最高裁のしごと」―野暮で真摯な事件簿― 川名壮志 岩波新書
<最高裁がなぜ面白いのか。>
それは、とびきり知的で高尚な法律の話と、とびきり泥くさい俗世の話が直結しているからでしょう。きわめて身近で、しかも何が 正しい答えなのか言い切れないテーマも扱われるわけですから、一億総評論家になるにはもってこいなのですね。
たとえば・・・夫とは別の男性との間にできた子を出産した妻が、「生物学的な父親を、法律上の父親として認めてほしい」と提訴した というケース。
実際には、「夫(元夫)と子どもの親子関係は取り消せるか」が争われる(親子関係不存在確認)ことになるこの訴訟では、1審の家庭 裁判所、2審の高等裁判所とも、DNA型鑑定という精緻な科学技術を評価し、妻側の完全勝訴となったのだが、どうしても納得でき ない夫は、最高裁に上告したのだった。(血がつながっていないのになぜそこまで、という夫の思いもきっちり取材されている。)
さて、注目の最高裁の判断は?なんと「法律上の父子関係を取り消すことはできない」というものだった。最後の最後の土壇場で、 逆転判決が出たのである。民法772条には「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」という、<嫡出推定>と呼ばれる規定 がある。
当事者双方の主張を聞き、物的証拠や証言をもとにして、本当のトコはどうだったのかをあぶり出し、事実関係を一つ一つ洗い出して、 シロクロを付ける。1,2審が事実認定の役割を担う「事実審」であるのに対し、
事実認定については高裁の判断をそのままキープする前提から出発し、あくまでその判断が法律の適用について過ちをおかしていない かを審理する。「法律審」の役割を担う最高裁では、事実ではなく理屈に基づいて判断が示されるのだ。
といったような感じで、「夫婦別姓」の違憲訴訟や、「裁判員裁判」の求刑超えのケースなどを紹介しながら、最高裁の意外に知られ ざる「しくみ」を、わかりやすく解説してくれた、これは現役の最高裁担当記者ならではの労作なのだが、
高尚な法律解釈を持ちだし、ポイントをち密に分解して、最後は理屈で決着を付ける、ツンとすました体温のないインテリの巣窟の ように見えて、最高裁のみに許される「個別意見」の中味をみれば、そこに垣間見えてくる、合議に携わったそれぞれの裁判官の 「素顔」は、<下世話で知的で、ロジカルでウェット>なのだった。
最高裁の裁判官は、僕ら以上に「法に支配」された人たちでもありました。上から目線で法をあやつる神ではなく、むしろ法に かしづく忠実なしもべ。司法のトップであるからこそ、僕らよりずっと不自由な束縛のもとに身を置いているのです。
2017/3/7
「予告された殺人の記録」 Gガルシア=マルケス 新潮文庫
不幸な偶然がなぜこんなにも重なったのか、誰にも解らなかった。リオアチャから取り調べのために出向いてきた検察官も、 その偶然に気づいていたにちがいない。もっとも彼はそれを敢えて認めてはいない。というのも、調書に明らかなように、合理的な説明 を与えようとしているからである。広場に面したその扉は、連載小説の表題風に「宿命の扉」という名で繰り返し呼ばれている。
<「晴着のときは、息子は決して裏の戸口からは出ませんでした」母親は道理にかなった答えをした。>
夜中過ぎまで続いた、町中総出の結婚披露宴のどんちゃん騒ぎの翌朝早く、同じ晴着を着たままで、船で着く司教を出迎えようと、多く の人びとでごったがえす船着き場へ出かけたサンティアゴ・ナサールは、自宅の正面の扉の前で、あと数秒で中に入れるというときに、 双子のビカリオ兄弟が手にした豚を殺すナイフで滅多刺しにされてしまう。処女ではなかったという理由で、結婚初夜に実家に戻され てしまった花嫁(彼らの妹)が、家族に問い詰められて口にした相手の名前が、サンティアゴ・ナサールだったからだ。
<「あれは名誉の問題だったんだ」とパブロ・ビカリオが言った。>
まるで、誰かに犯行を阻んでもらうための努力を、思い付く限り試みるかのように、双子の兄弟は「殺すつもりで殺す」ことを当たり 構わず公言し続けたのだから、船着き場でサンティアゴ・ナサールを見掛けた人々の誰もが、彼が「殺される」ことをすでに知っていた にもかかわらず、いつも使用している裏玄関ではなく、わざわざ二人が待ち構えている表の扉口に向かい、殺されてしまうことになった のはなぜなのか?
1967年に空前のベストセラー『百年の孤独』を世に送り出し、82年にはノーベル文学賞を受賞した、そんなガルシア=マルケス 本人が、自身の「最高作」と自負しているというこの作品は、文庫本にしてわずか143頁という限られたスペースの中に、圧倒的な 密度の人間模様を凝縮してみせた、ルポルタージュ仕立て(マルケスの家族が暮らすコロンビアの田舎町で実際に起きた事件に取材 している)の逸品なのである。
物語は初めのうち、目撃者へのインタビューによって得られた証言や、何度も読み返された取調べ調書に基づいて、まことに丹念に、 リアリスティックに描かれていく。それは、30数年前の暑苦しい人間関係のしがらみに満ちた田舎町の姿が、祝祭的な盛り上りの 中にくっきりと浮かび上がってくるかのようだ。
そして、駆け足でクライマックスへと向かう最終章。
そんな舞台装置を背景にして、あの日、本当は何があったのかという「殺人劇」の情景が、克明に描かれていく時、私たちは、マルケス の脳裏に確かに映し出されていたに違いない、「再現フィルム」の上映を見ることになるのだ。
<「おれは殺されたんだよ、ウェネ」彼はそう答えた。>
彼は最後の段につまずいて転んだ。が、すぐに起き上がった。「まだ、腸に泥がついたのを気にして、手でゆすって落としたほど だったよ」と叔母のウェネはわたしに言った。それから彼は、6時から開いている裏口から家に入り、台所で突っ伏したのだった。
2017/3/6
「人質の経済学」 Lナポリオーニ 文藝春秋
ベルリンの壁の崩壊以降、法も統治も機能しなくなった失敗国家や地域が世界に続々と出現した。そこでは誘拐や人身売買の 類いが大手を振って行われ、前例のない規模に達している。大国の秘密主義を背景に、このビジネスは野火のように拡がる一方だ。
すべてのきっかけは、9.11を契機にテロの抑止を図ろうとアメリカが制定した、2001年「愛国者法」にあるのだという。
「ドル取引のすべてを米国政府へ届け出ること」が金融機関に義務付けられたため、ユーロ決済ルートを求めたコロンビアの麻薬 カルテルとイタリアの犯罪組織が接近した。コカインをヨーロッパに持ち込むため、アフリカのサヘル地域(サハラ砂漠南縁部に広がる 半乾燥地域)を中継地とする新しい密輸ルートが開拓されたのである。
間もなくして、サハラ周辺で密輸をサポートしていた「武装イスラム集団」が、ヨーロッパ人旅行者32名を誘拐するという事件が発生 する。(このとき、ヨーロッパ各国の政府が支払った莫大な身代金の一部を投じて設立されたのが、「イスラム・マグレブ諸国の アルカイダ(AQIM)」だったのは皮肉である。)身代金を支払ったことを認めない主要国政府は、その後頻発することになった サヘル地域での誘拐に対し、公の場で非難することも、適切に介入することもできなかった。
こうして、多くの犯罪組織や武装集団は、欧米人の誘拐が資金調達の格好の手段であることに気づいたのだ。
もちろん、こんな危険な誘拐ビジネスが横行するような場所には、欧米人(特に観光客)は寄り付かなくなってしまい、人質の供給は 先細りとなりそうなものだが、「ジャーナリスト」や「人道支援活動家」を自称する、先進国の無邪気な若者は後を絶たず、身代金の 要求額もうなぎ上りという盛況のようなのである。
さらに、生身の人間を扱うことに慣れた商人たちは、「人質」から「難民」へと商売のターゲットを移すようになってきた。2015年 に中東で発生した大量の難民が、雪崩を打ってヨーロッパを目指そうとした時、誘拐組織や密輸組織が密入国斡旋にシフトすることは 造作もないことだった。供給をはるかに上回る需要があり、儲けの多いビジネスであるにもかかわらず、誘拐と違ってほとんどリスク はないのだから。
ブレグジット(Brexit 英国のEU離脱)。
極右政党の勢力伸長。
移民排斥や人種差別。
国境管理の強化。
保護主義の高まり。
排他的な感情に訴える政治家や政党が大国の政権の座につく事態が、先進世界全体に拡がりを見せている昨今、ヨーロッパを目指す 大半の難民が、犯罪組織の力に頼らざるを得ないという苦境は、ますます深まっていくばかりであるが、密入国を斡旋する悪徳商人たち の潤沢な資金は、元々は最も声を上げるべきときに沈黙を守ってきた大国が、人質の取引に支払った身代金なのである。
このような状況が続く限り、生身の人間を貨物のように扱う悪徳商人は、絶望した人々をヨーロッパの玄関口に運んで暴利を むさぼることだろう。そしてこのビジネスは、ヨーロッパ内外のジハーディスト組織に資金を供給し続けることになる。
2017/3/4
「応仁の乱」―戦国時代を生んだ大乱― 呉座勇一 中公新書
<応仁の乱とはどのような戦乱か?>
と問われたら、かなりの人は答えに窮するのではないか。(中略)「東軍の総大将が細川勝元で、西軍の総大将が山名宗全で ・・・」ぐらいの説明はできるかもしれない。だが、それ以上となると、なかなか難しい。結局、「この戦乱によって室町幕府は衰え、 戦国時代が始まった」という決まり文句で片付けられてしまうのである。
室町幕府8代将軍の足利義政が、弟の義視を後継者と定めた直後、妻の日野富子が男児(後の義尚)を出産したことに起因する将軍家の 御家騒動に、幕府の実権を争っていた細川勝元と山名宗全が介入して勃発し、応仁元年(1467)から文明9年(1477)まで 11年にもわたって、天下を二分して繰り広げられた大乱である。というこれまでの「通説」では、やがて全国各地にまで波及し、 大規模で長期にわたることになった戦乱であるにもかかわらず、大名たちが何のために戦ったのかが見えてこない。
<なぜ戦乱は起こり、最終的には誰が勝ったのか?>原因も結果もはっきりしない、この日本史上屈指の大乱の不思議に挑んだ、 これは新進気鋭の日本中世史学者による意欲作なのである。
成立当初、諸将の反乱に悩まされ続けた室町幕府は、彼らの動きを監視・統制するため、諸将に上洛を命じ在京を義務付けた。代わり に、複数国の守護を兼ねるような有力武将には「大名」として幕府の意思決定に参加することを認めることにした。
<室町幕府は将軍をリーダーとして推戴した諸大名の一揆なのである。>
このような大名たちの横の結びつきに基づく連合政権は、将軍に求心力がないと、派閥形成につながることになる。「嘉吉の変 (1441)」により、足利義教(義政の父)が暗殺されると、細川・畠山両管領家による主導権争いが始まり、将軍家は求心力を 失った。畠山氏を押さえ込むため、山名宗全とタッグを組んだ細川勝元だったが、その畠山氏が内紛で弱体化したことにより、山名氏と の同盟の重要度は低下してしまった。結果的に、表向きは将軍の後継問題という形を取りながら、覇権勢力細川氏に新興勢力山名氏が 挑戦するという、「応仁の乱」は生起したのだが、両者の激突は、決して<宿命的なもの>ではなかった。
細川・山名という二者間の利害対立だけが問題ならば、当事者同士の交渉で妥協可能だったはずだが、(実際、両者は諸将に先駆けて 講和しているのだ。)双方が多数の大名を自陣営に引き込んだために、戦争の獲得目標が急増し、参戦大名が抱えるすべての問題を 解決する妙案など、ありえなくなってしまった。誰もが短期決戦で終わることを望みながら、面目というしがらみの中で、抜き差し ならない泥沼にはまり込んでいくことになったのである。
「応仁の乱」は「下剋上」という新時代を切り開いた「革命」になぞらえられることが多いが、これはむしろ、支配階層の「自滅」に よってもたらされたものではないか、という鮮やかな切り口なのである。
皮肉なことに、応仁の乱の原因であり、また主体でもある二つの大名集団は、終戦と共にいずれも解体した、そして、従来の幕府 政治では日陰者だった守護代層や遠国の守護が、戦国大名として歴史の表舞台に登場してくる。既存の京都中心主義的な政治秩序は 大きな転換を迫られ、地方の時代が始まるのである。
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